私的 昭和テレビ大全集
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源平芸能合戦 (1957)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、素人芸発露の先駆けを振り返る、この番組です。





いわゆる素人がテレビで芸らしきものを披露する、その端緒と言える番組でした。
素人と言っても、出場するのはガキではない。
いい年した社会人が、大真面目に宴会芸のようなものを披露するという番組。
出場するのは、その世界で好敵手となっている2つの会社・団体。
それが源氏と平家に別れて、それぞれの組からの精鋭が数名、芸を披露し合う。
解り易く第一回を例にすれば、日本航空 対 日本郵船という空と海との対決で、
斎太郎(さいたら)節やコミックダンスなどが繰り広げられたといいます。
https://www.nyk.com/yusen/kouseki/200201/index.htm

昭和33年4月16日には、渋谷食堂が出場。
わざわざ、その出場を告知するための広告をぶちました(笑)。
続く4月23日放送「東京生命 対 興亜火災」では、元東映で投手をやっていた樽井氏も出場。
ユニフォーム姿での野球ショーで、92点という高得点を獲得しました。
9月16日放送は、なんと「米軍 対 陸上自衛隊」(笑)。
正に、もはや戦後ではないといった組合せでした。
昭和34年12月1日の「東京地方貯金局 対 東京地方簡易保険局」では、
簡易保険局出場者に、アマチュアながら工房を持つ奇術創作家が父という女性が登場。
父親お手製の道具にて、「二枚屏風」という独自奇術を披露しました。

テレビは素人が面白いというのは、黎明期からそうでした。
この番組は、初期テレビ番組の長寿番付に長く居座り続けた代表作の一つ。
33年12月9日には、当時そう幾つも有ったわけではない、通算百回放送を達成。
当時大人気だった銭形平次捕物控に出演の若山富三郎を始め、
KRテレビで固定出演している芸能人が出演し、男女に分かれて芸を披露し合いました。
今ではバラエティ特番に俳優が出るのは当たり前というか、
そちらの方が仕事かという人もおりますが(笑)、当時としては豪華な企画でした。

昭和36年5月16日には、再び陸上自衛隊が登場。海上保安庁との陸海対決となりました。
この時、海上保安庁の「バナナボートソング」の採点で、
「9点9点9点」と読み上げられたのに、実際の得点は26点。
しかも海上保安庁は1点差で負けるという事態が有りました。
これは、審査員の一人が書き直したのか、裏側に8点と書いていたのを、
裏方がそちらの数字を読んでしまったために起きた不祥事。
いかにも全てが手製の時代ですが、後で引き分けという扱いにしたようです。
この時は、何故か北海道放送の制作でした。

36年8月22日は、「110番 対 119番」。
電話の普及期でもあり、それぞれの番号の認知を進めていた時期です。
この時の110番側は、痴漢退治の寸劇を披露。
東京の殺人的ラッシュアワーが始まった頃でしょうか。
12月28日は、「九大看護学校 対 九州管区警察学校」。
アイデア賞のミシンは、女性である看護学校側に無条件で贈られました。
今なら下手をするとセクハラの抗議を受ける可能性も有りますね。

そんな審査をしていたのは、高橋半、山村若、加藤忠松ら。
一人も知っている人がいません(苦笑)。
てな事で検索した感じでは、それぞれ作曲家、舞踊家、演出家といった感じですね。
審査員は演し物によって、けっこう色々な人が出ていたのでしょう。
提供は福助。足袋の福助ですね。
それ故に司会は、福助の福ちゃんがやっておりました。
福ちゃんというのは、当時の福助専属の人でしょうが、覚えている人は少なそうです。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
源平合戦
この番組を知りませんでした。そして、こういう番組があったからなのかな?と思ったのが、私が小学校のときに習っていた珠算教室で、年1回、丸一日を使ってやっていた源平合戦だったのです。

教室そのもの、普段から能力別に時間帯も分かれていたので、源平合戦
も当然能力別に源氏と平氏に分けられ、一番能力がある人がそれぞれの大将となるわけです。
下から勝ち抜き戦で、挑戦する人が
自分の得意な分野を指定でき、それで戦う形です。

珠算で、得意分野なんかあるの?と思われるかもしれませんが、例えば、暗算一つとっても見取暗算と読み上げ暗算があり、さらに足し引き算、掛け算、割り算も種類のうちですし、何乗というような計算(今は電卓がやってしまいますが)金利の計算などの商業計算もありましたし、何桁×何桁というように桁数も指定できたのです。

相手の度胆を抜くような指定をして、勝ち抜くようなゲーム性の楽しさもありました。

今、こういう合戦を名づけるとすると、源平ではなく、何なのでしょうね。
2014/04/29(火) 12:14:41 | URL | たかちゃん
はあ、暗算でも得手不得手が有るものなのですか。
「源平合戦」という言葉そのものは、この番組が発祥というわけではなくて、
むしろ逆に、往時は普通に有った表現を使っただけだと思うんですよね。
特に戦中なんか使った言葉のような。
だから、この番組から取った可能性は低めだと思います。
今や、「紅白」はまだ使うでしょうが、「源平」はさすがに死語だよなあ(笑)。
2014/05/07(水) 00:59:31 | URL | ごいんきょ
応援合戦
この番組で福助足袋を覚えました。
出演する会社名ばかり放送されて、福助足袋は平気なのかなぁと子供心に心配(笑)してました。

ワイシャツの上にハッピを羽織ったようなおじさんたちが出て、応援合戦をしていたような気がします。応援も勝敗があったような。

最初か最後に全員がズラーッと並んで挨拶してたかしら。応援もいるから結構大人数だったと思います。
お土産が福助足袋だったかな、観ていて「いらなーい」と思った記憶がありますが、またまた記憶のねつ造かもしれません(苦笑)。
2014/05/10(土) 10:03:31 | URL | モデラート
そうですね。
やはり宣伝になるから出ようという会社も多かったと思います。
福助の度量の広さとも言えますが、さすがにBVDとか下着メーカーは出さなかったはずなんですよね(笑)。

はっぴを着た素人の応援合戦。
先の12チャンネル回顧でも同様の番組が流れてました。
あれは地域対抗戦だったかと思いますが、明らかにこの番組を再利用したものでしょうね。

ですね。おそらく一組二三十人出ていたのではないですか。
足袋も当然くれたでしょうね。
でも、他にも配っていたんじゃないかな。
足袋だけだとさすがに汎用性無さ過ぎですよね(笑)。
2014/05/11(日) 07:31:13 | URL | ごいんきょ
福ちゃんの思い出
昭和30年代、堺市堺区安井町の福助本社工場が在りし日、大変に賑わっていました。
毎年、11月3日文化の日は「福助祭り」。
これは福助の文化祭で福助社員や近隣地域の関係者や芸能人などのイベントが盛りだくさん繰り広げられました。一般人も自由に催し場に入れ、毎年、多くの人が見物や福助の商品が格安で買え楽しみにしていた恒例行事でした。
朝からの開催にあたり総合司会は、お笑い源平合戦の司会者、福ちゃんが登場すると会場から大拍手と大歓声でした。
福ちゃんは大人気だったのです。
今でも福ちゃんの、お顔とお声は鮮明に記憶しています。
「お笑い源平合戦」の企業対決演芸会も毎回、面白い上に福ちゃんの軽妙でユーモアある司会ぶりが番組をより盛り立てていました。
福助足袋は福ちゃん、松下電器は泉さん。
その、お二人が専属アナの先駆者だったように思います。
そして、
その当時、ライバル企業の演技大会を源平合戦となぞらえユニークな番組つくりができたのも発想性、独創性豊かなテレビ番組制作関係者の人材が豊富だったとと感じます。
そして企業対抗演技大会の番組をすること自体、他企業の宣伝に一役買うことになり、それをあえてテレビ番組にする福助旅の太っ腹も素晴らしい。

2016/10/09(日) 09:48:22 | URL | えいたん
福ちゃんの情報があまりにも少ないですねー。
松下電器の泉大助さんと東芝の押阪忍さんは、ワタクシらの世代でも大いに活躍しておりましたが、
福ちゃんはここで初めて知りました。
2016/10/09(日) 13:47:49 | URL | ごいんきょ
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