私的 昭和テレビ大全集
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春夏秋冬 (1956)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、今や絶滅危惧種の教養番組を振り返る、この番組です。





気がつけば随分と長いこと放送されていた番組でした。
が、それほど多くの人の記憶に残っているという番組ではないかもしれません。
他ならぬワタクシ自身、こんな番組あったっけ?という感じなのです(苦笑)。
それがためか、これだけの長期放送されていたにも関わらず、
これまできちんとした調査がされてきていないようです。
なかなか大変な作業で、正直、面倒な気もかなりしておりましたが(苦笑)、
連休に入ったという事もございますし、奮起してワタクシが少しだけ手を付けたいと思います。

これの前身、いや、前身の前身と言うべきかな、そんな番組として、
徳川夢声のやっていた『テレビごよみ』というのものが挙げられるかもしれません。
これは、夢声がなんと毎日10分間、その日の歴史を語るという番組でした。
その日本テレビとの契約が、昭和31年6月いっぱいで終了。
7月からも契約は更新され、荒垣秀雄、高木健夫、中島建蔵らと共に、
引き続き番組を担当することが続行されます。
そんな6月23日、21時15分から25分までその『テレビごよみ』が放送されてから、
21時50分からの30分、『目できく話題』という番組が、近藤日出造らの出演で開始。
これこそが、他ならぬ『春夏秋冬』の前身番組でした。

元々は、宣伝・広告の評論活動もしていた片柳忠男が、
親しかった日テレ総帥・正力松太郎に、五人の自由人による社会批評番組を提案したところ、
何を言うかわからない人たちだから、君の責任で君の番組としてやれと言われたと。
なぜ五人かというと、一人くらい休んでもいいようにだったようですが(笑)。
その五人というのが、まずは件の徳川夢声。
少し前の番組に出ているので、参加し易かったというのは有るでしょう。
なにしろ生放送の時代です。更には司会の漫画家・近藤日出造、
他にサトウハチロー、渡辺紳一郎、奥野信太郎。これが初期五名。
夢声の他に『テレビごよみ』を担当した荒垣なども、この番組にも出演しました。

そんなわけで片柳忠男が預かった番組枠で、局員でもテレビ屋でもない人物が
テレビ制作をいきなり受け持つというのも神話期ならでは(笑)。
さて番組名を決めようとしたが、いいものが思い浮かばない。
だからというわけで、片柳が三ヶ月前に出版していた、
『雨・風・雲』という書題をそのまま使おうという、非常に安直な出だしでした(笑)。
そんなわけで『目できく話題 雨・風・雲』として始まったこの番組でしたが、
昭和34年、時の皇太子殿下ご成婚という時期を迎え、
この題名が些か不穏当だという指摘が有ったらしいのです。
と言って、その時点ですら既に三年になろうかという長寿番組でしたから、
簡単には番組名を変えられず、『雨・風・雲 本日は晴天なり』と取り敢えずしました(笑)。

ただこの題名、当時のテレビ欄表記は『雨・風・雲』で通していた感じですので、
実際の放送でどう呼称していたかの確認が難しいところです。
ただ、これを契機に題名を替えたいと片柳は思っていたようで、
昭和34年10月いっぱいで取り敢えず番組を一旦休止。
一ヶ月あけた12月2日より、時間を木曜21時15分から水曜22時30分に移し、
それを機会に番組名を『春夏秋冬』と改めました。
その後も、放送時間は右往左往。
いま考えればなかなか魅力的な出演陣なのですが、内容から視聴率が稼げず、
編成で空いている時間帯に押し込まれていたようですね。

この番組の提供会社も数々の変遷が有り、提供会社の理解で続いていた訳でもない。
なのにそこまでして延命していたのは、正力松太郎のお声掛かりと思われていたから。
かつての民放で絶大な権力を持っていた、一社提供主とワンマン社主。
このどちらかの力が無ければ、民放の教育・教養番組など有り得ないというのは、
今日のテレビ欄をザッと眺めれば、誰でも理解できるでしょう。
正にテレビは、一億白痴化装置と成り下がりました。
その惹句で名を馳せた大宅壮一も形成人員で、更には遠藤周作、楠本憲吉、
扇谷正造、渋沢秀雄等々、本当に錚錚たる人々が出演しております。

次に若返りが叫ばれ、大正14年生まれの三氏が参加。当時は若かったのですね(笑)。
それが加藤芳郎、荻昌弘、桂米朝で、司会も草柳大蔵に替わりました。
更に毎回、冒頭で「今回はこんなお話を皆さんに語って戴きます」と
第一回から前説を担当していたのが、中島かよ子でした。
二十五年の放送期間中、日テレの担当ディレクターは13人も替わったと言います。
あの井原高忠がサブだった頃と言うから本当に神話期ですけど、
サトウハチローが生放送で酔っ払ってクダ巻いちゃってどうにもならず、
女性ディレクターが泣いてしまったという話も有ります。

上野動物園園長の林寿郎も酔っ払って出てきて、「ライオンのモノはデカイぞ」
と握り拳の腕を前に出す始末(笑)。当然これは非難囂々でした。
昭和36年11月29日「父という男」では、奥野信太郎、渡辺紳一郎が子供と出て、
子供たちに父親について遠慮無く語ってもらう趣向。
いつもの貫禄もどこへといった風情で為す術の無い両者のおかしさが好評でした。
昭和37年3月28日「喫茶店」では、喫茶店の中にカメラを持ち込んで撮影。
経営もしていた内海突破が出演し、内情を語りました。

昭和37年8月1日「殿方ごめん遊ばせ」では、淡谷のり子、佐藤美子、飯田蝶子が出演。
この時も、いつもは勇壮な固定出演者が押され気味でした(笑)。
サトウハチローは、「親戚とはあまり付き合わない。悪い時は寄りつかないが、
良くなるとこちらが知らない連中まで連れてくる」と発言。
先のヨッパライ出演といい、歴史に残る詩人の暗黒面を見る思いです(笑)。
昭和43年1月15日に、固定の一人である奥野信太郎が急逝。
前日に、この番組が放送されていたばかりだったので、驚いた人も多かったでしょう。

21日に追悼番組「奥野さんの思い出」と題し、その14日放送の映像を見ながら、
固定出演者の他に片柳忠男も出演して、故人を偲びました。
片柳忠男は、正力松太郎の評伝等を度々書いており、
その縁故で、専門でもない番組構成を担当。
更にはその威光を背景に、この番組の長寿化を実現させました。
今このような番組をやろうとしても、なかなか出演の適格者が五人もいないですね。
漫画・アニメ文化の猛烈な浸食を前に、いわゆる教養人が絶滅に瀕している感が有ります。
ま、それ以前に、芸NO人をずらずら何十人も並べるつまらない番組は作れても、
このような番組は、とても今のテレビには作れないでしょう。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
あまりこれも触れられることがないのですが・・・最終盤(昭和57年4月〜)の1年間は秋元秀雄氏が司会を担当なさっていたみたいですね。

こういう番組が昭和58年まで生き長らえることが出来たのは、やはり出演者各氏が生きてきた”時代背景の激しさ”も影響しているんだろうと思います。

後期に登場した加藤芳郎さんや米朝師匠もみな大正14年生まれ・・・ということは戦争時代にちょうど少年・青年期だったわけで、戦時中の混迷期を必至な思いで生き抜いた経験を持っているんですよね。
その部分が彼らの存在感、或いは発言に”只ならぬ重み”を持たせていたことが、世論に広く受け入れられた要因だったのかな・・・という気がします。

ただ、重みというのは意図して創出されたものではなく、自然発露的に受け手に”重み”を感じさせるという意味での”重み”だったのようにも思うんですよね。

どうも戦後生まれは戦時の記憶を伝聞でしか知らないせいもあってか、その時代の話を”深刻すぎる”表情や声質でもっともらしく語る癖があると思うんですが、その点、生きた経験としてその時代を体験している人々というのは、「それも人生の一部にすぎない」という認識の上で”戦時”を捉えていた部分もあって、その時代に関連する経験を述懐するにしてもある種の”ユーモア”が含まれていたんですよね。

その受容的な意味での発言の”重み”と、能動的な意味での”軽さ”を持った年代が”重鎮”として君臨していた時代だからこその長寿番組であって、今の表向きの”重み”とは裏腹の中身の”薄っぺらさ”しか持っていない発言しかできない連中が”重鎮”風情をなびかせている今では絶対できない番組だと思いますね・・・。
2014/04/30(水) 13:30:48 | URL | (ハンドル未記入)
テレビに於けるオピニオン番組の雛型となった番組なのに・・・
TBSの「時事放談」(但し今現在のは時事放談とは認めない!(第一フォーマット自体がこちら「春夏秋冬」の方の踏襲だし(怒))から、現在のytv「たかじんのそこまで言って委員会」(この番組はかなりの亜種ですけど(笑))に至るキー局・地方局含め数多く存在したオピニオン番組の雛型となった番組なのは明らかなんですけど、当の日テレ自身が全く振り返ろうとしないのが、何とも腹立たしいというか。
大正力主導とは言え、朝日・毎日・読売の対等出資で発足した日テレの中で最も大正力・読売新聞色を感じさせる番組でもあったんですけどね・・・・・。
2014/04/30(水) 22:37:12 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
清水建設の一社提供
「春夏秋冬」知ってますよ。確かワタシが覚えているのは、清水建設の一社提供でしたね。
2014/05/01(木) 10:45:18 | URL | マスダっち1971
● 未記入さん
ま、敗戦体験というのは格別に大きいですよね。
第二次大戦は敗戦だったからいろいろ今でも言われますけどね。
日清日露とか言及している人は何故か見ませんし、
その辺がよくわからないです、ワタクシの感覚では。
それ以前の様々な内戦とかまで含めて戦争を語る人がいませんね。
いつか別の場所でやろうと思っていて、つい延び延びになってますが。


● TXさん
大正力さん主導というか、面倒な事に巻き込まれたくないから
君の名前でやれって事だったらしいですよ。
サトウハチローさんの言動とか見ていると、それもむべなるかなと思います(笑)。


● マスダっち1971さん
とにかく放送時間も提供会社もいろいろ替わってるんですよね。
面倒なので挙げませんが(笑)。
2014/05/07(水) 01:57:04 | URL | ごいんきょ
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