私的 昭和テレビ大全集
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女性専科 (1962)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、アイドル女性アナの原点を振り返る、この番組です。





今よりは女性の社会進出もされていなかった時代、昼日中の視聴率を狙おうとしたら、
どうしたって主婦層だけに向けたものとなりました。
少し前に扱った『婦人ニュース』などがそうでしたし、提供会社もまた、
女性だけを対象としていた、ポーラ化粧品。
一方の資生堂は、テレビ黎明期にはお洒落感覚のバラエティショーに力を入れていて、
少しすると『ママちょっときて』とか『ホラ、しあわせが』のようなホームドラマへ行き、
その路線はずっと後の、TBS石井ふく子路線まで続いていくわけですが。

そんな感じで、あまり露骨な女性だけを対象とした提供をしなかった資生堂ですが、
ずっと後年にはトーク番組の『おしゃれ』とか有りましたし、
あまり積極的ではないように見えますが、そうした番組もやっております。
言ってみれば『おしゃれ』だって一般的なトーク番組ですから、
婦人だけを対象としたものではないという言い逃れもできましょうが(笑)、
ポーラ『婦人ニュース』のように、言い逃れが絶対にできない番組もやっておりました。
それこそが、昭和37年6月11日にTBSで始まった、この『女性専科』。
女性だけを標的にしていると断言している、清々しいまでの性差別番組(笑)。

当初は午前11時からの15分番組で、暮らしの知恵のような情報番組。
週を通した主題が決められていて、例えば第一週は、「顔のプリズム」でした。
そして月曜から土曜の毎日、「顔の由来」「顔の一日」「似た顔」
「写真家の見た顔」といった感じで、週の主題に沿ったその日ごとの内容が有ります。
言ってみれば非常に地味な番組なのですが、わりと当初から注目されました。
と言うのは、司会がNHKを退社して2ヶ月ほどの、野際陽子アナウンサーだったのです。
「NHKにこんな美人のアナウンサーいたっけ?」というのが世の男の感想で、
たちまち野際アナは注目されていくのでした。

そんな8月第3週の主題は、「真夏の昼の夢」。
その月曜日に、東洋の真珠・香港の女性を採り上げる事となり、
たまたま来日中だった沈夢小姐という向こうのクラブ歌手を呼んで、
ジャズや中国の歌を披露してもらい、話を聞こうという事となったと。
その時の野際アナの服装が、チャイナドレスだったというのですね。
それも、深々と切れ目の入った(笑)。
夜のニュース戦争たけなわの頃、女性アナにミニスカ履かせて視聴率上昇を謀った、
浅ましいテレビ制作が眼に着きましたけど、これはその元祖かもしれません。
ま。単に上層部が見たかっただけという可能性も高いですが(笑)。

昭和39年5月19日には、淡谷のり子、宮城千賀子という化け物のように
芸能界で活き続けた二人が登場して、亭主無用論をぶち上げました。
「結婚したら子供だけ貰って別れてしまえ」
「丹前を着て味噌汁をすすっている男はゾッとする」など言いたい放題(笑)。
まだまだお堅かった当時の主婦から、お小言を喰らいました。
この頃、放送時間は13時台となっておりまして、
視聴率も平日この時間帯としては驚異的な、15%平均を取っていたといいます。
ただ、女性視聴者の中には、野際アナに「夜のムード」を感じるとして、
あまり好意的でない見方も有りました。やっかみでしょうけどね(笑)。

野際陽子は昭和41年にパリ留学するのですが、その代替人員として白羽の矢が立ったのが、
ニッポン放送から引き抜かれた石坂禎子アナウンサー。
九重佑三子のような髪型だったのが、資生堂側の要望でセミロングにしての登場。
当初は野際の留学が表沙汰になっていなかったため、
ただの代役という形で少しの期間担当し、その後、正式に引き継ぎました。
そんな昭和41年3月15日放送で、シェークスピアの四大悲劇の一つに
「ロミオとジュリエット」を挙げてしまい、几帳面な視聴者の方からお小言喰らいました(笑)。
昭和42年には、男である映画監督・恩地日出夫が司会となっております。

既にこの時点で「女性専科」ではないだろうと思うのですが(笑)、
実はその裏には、資生堂の大きな方針転換が有ったのでした。
それは、男性化粧品を大きく扱っていくというもの。
そして、あの団次郎のMG5が誕生するのです。
MG5は本当に画期的な商品、CMでした。
それまで男が化粧品を使うなど、日本男児には考えられない事でしたからね。
ウチの親父すら使っていたMG5(笑)。
こうして『女性専科』という番組の提供意義が薄れ、9月をもってその寿命を終えました。
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