私的 昭和テレビ大全集
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セブンティーン (1962) → 夢をそだてよう → 明日があるさ

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、坂本九の『明日があるさ』が主題歌だった作品を振り返る、この番組です。





少し前に『教授と次男坊』の稿を書きまして、そこで、
その番組の主題歌として『明日があるさ』が広く流布されているけれども、
それはおそらく誤りであると疑問を呈しました。
今、その思いは更に揺るぎなくなっておりますが、
この、おそらく誤っているであろう認識が改まるまで、どれだけかかるのでしょう。
とにかくネット上には、嫌と言うほど広まってしまっております。
せめて、ウィキペディアはなるべく早く、記述を改めるべきでしょう。
あの番組の主題歌は、『ボクは我が家の次男坊』です。

では、『明日があるさ』は主題歌として使われなかったのでしょうか。
これに対しては、実はワタクシは、個人誌の方で既に書いておりました。
あの歌は、『夢をそだてよう』→『明日があるさ』という番組の主題歌なのです。
『教授と次男坊』は、レコードが発売される8ヶ月も前に終了しているのです。
番組が終わってすぐなら判りますが、そんな例はまず有り得ないでしょう。
一方、この『夢をそだてよう』は、レコード発売の一ヶ月前に始まっていました。

レコード『明日があるさ』のB面曲が『夢を育てよう』で、
そちらの方が番組題と同じなのが不思議でしたが、
実はこうした例はテレビ音盤ではまま有る事で、
大体の場合、当初は同題名の方を主題歌と想定して作ってみたものの、
もう片面の方がしっくりくるといった事から主題歌起用を入れ替えられて、
A面が別名だけど主題歌、B面は同名だけど主題歌ではない、
という音盤が、特にドラマなどでは結構な数あるのです。

ですからワタクシは、B面曲の『夢を育てよう』は没主題歌だと思っていたのですが、
ようやく長年の謎が解けました。そちらはエンディング主題歌だったそうです。
http://sentakusen.sblo.jp/article/81301459.html
この方はさすが、放送を直にご覧になって楽しんでいた人だけに、
『明日があるさ』をきちんと、日本テレビ『夢をそだてよう』の主題歌としております。
その人が確定的に書いているのですから、間違い無くエンディングで使われたのでしょう。
ステップを真似したとありますが、例のボックス踏みの事でしょうかね。

さて、ではそのテレビ番組『夢をそだてよう』と『明日があるさ』とは、
どのような番組であったのかというのを、今回、なるべく細かく解きほぐそうと思います。
まず順序として扱わなければならないのが、『セブンティーン』という番組なのです。
信頼度ピカイチの坂本九公式サイトを見ますと、『夢をそだてよう』と
『明日があるさ』を同時に扱っておりますが、これはワタクシも個人誌で説明済みでした。
ところが公式サイトでは、テレビ『夢をそだてよう』の解説で、
坂本九は「弘田三枝子、克美しげるの後を受けて3代目のホストで活躍」としているのです。
これが、ワタクシの新たな謎となりました。

何故かと言えば、『夢をそだてよう』という題名は、そのまま坂本の曲名。
であれば、その番組は最初から坂本九が主役ではなかったのか?
実際、放送開始の昭和38年11月7日の番組紹介を見ると、
「九ちゃんが主演」と大きな見出しが有ります。
しかし、あの公式サイトがこんなデタラメを書くはずがない。
番組『夢をそだてよう』が番組『明日があるさ』の前身だと知っていたワタクシは、
きっと、この『夢をそだてよう』にも前身の番組が有ったのだろうと思い至りました。

そして、その読みは正しかったのでした。
番組『夢をそだてよう』には、「セブンティーン」という副題が有ったのです。
そして『セブンティーン』というのは、『夢をそだてよう』の前の番組でした。
つまり、一番最初に『セブンティーン』という番組を解説しなければならないわけです。
『セブンティーン』は、昭和37年12月20日に始まりました。
森山加代子主演で、ドラマを中心に17歳の女性にアピールする音楽番組とあります。
ドラマなのか音楽番組なのか正体不明ですが(笑)、
この頃、日本テレビがよく作っていたミュージカル劇だったのでしょうか。
早くもカラー番組として制作されておりました。

他には仲宗根美樹、飯田久彦、克美しげる、青山ミチ、仲浩二、吉村実子、松村達雄
といった面々が出演しており、構成は前田武彦ほか、音楽が中村八大、演出は笈田光則。
いかにすれば、という形式で毎回の主題が有って、第一回は「ヒッチ・クリスマス」と題し、
いかにしてお金を使わずにクリスマスを過ごすかという内容でした。
坂本九は出ていなかったようで、故にあの公式サイトに、この番組が無かったのでしょう。
提供は不二家で、この頃、クリスマス向けのシート音盤を配布して、
ケーキの販売促進に使っていたようです。
少し後にオバQの提供を始めると、オバQが描かれたクリスマスシートとなりました。

そちらが一年近く続いた後、昭和38年11月7日より、『夢をそだてよう』となります。
ここから演出がシャボン玉ホリデーの秋本近史となり、青島幸男が出演に加わります。
こちらの主演は先に述べたように坂本九で、新趣向のバラエティーと紹介されてました。
坂本九とその妹、そしてお婆ちゃんという一家を描き、主題も毎回決めて、
そのホームドラマから始まる音楽ショーで、後半では本格的に歌って踊っておりました。
祖母役はなんと沢村貞子と本格的で(笑)、青島幸男、加賀まりこも出演。
また、坂本の妹役として劇団若草の子役・大貫ゆみ子が番組マスコット的存在に。

この『夢をそだてよう』の主題歌こそが、『明日があるさ』だったのでした。
そして、エンディング主題歌がB面の『夢を育てよう』だったという事です。
楽曲『明日があるさ』は純然たる片思いの歌ですが、
このような番組の主題歌として作られているのですから、
青年の大志をもそこに包含させていると捉えて問題無いでしょう。
♪ 若い僕には夢がある  というのは、恋の歌で終わらせたくない膨らみが有ります。
僕には色恋よりも先に為さねばならない事が有るのだ、という膨らみが。
曲調も切ないものではなく、弾んだ、希望を感じさせるものですね。
正に東京オリンピック前後の、夢と希望に満ち溢れていた日本そのものという歌でした。

さて、先の公式サイトでは、坂本九がこの番組の三代目ホストと紹介されております。
その謎を解く鍵が、先にも書いたように、この番組の副題、「セブンティーン」。
つまりこの番組は、『セブンティーン』の純粋な後継番組だったのでした。
勿論、提供会社も同じ不二家です。
従って、森山加代子の主演で始まった前番組『セブンティーン』も、
回が進むにつれて、ほぼ純然たる音楽番組となっていたのでしょう。
そうなった初めの頃は弘田三枝子が中心で、少しして克美しげるが中心となったのでしょう。

また、不二家は数年担当したこの日テレ木曜19時枠から撤退する事になりましたが、
番組そのものは、昭和39年2月3日、月曜18時15分に枠を移動してヤマハの提供で続きました。
番組名が『明日があるさ』になって、ようやく紛らわしさも解消(笑)。
番組名と主題歌が、めでたく一致する事となりました。
「歌のヒットにより番組名まで替わった」としている同時代資料も有り、
楽曲『明日があるさ』は、かなりの長期ヒットとなっていた感じです。
『夢をそだてよう』で妹役だった大貫ゆみこも引き続き出演、
ここでもマスコット的存在として可愛がられていたようです。

『セブンティーン』『夢をそだてよう』ではドラマ部分も大きかったようですが、
この『明日があるさ』では提供がヤマハになった事も有るでしょうが、
ほとんど純粋な音楽バラエティーとなっていた感じですね。
勿論、青島幸男も坂本九と一緒に、歌って踊ってしていたわけです。
主題歌『明日があるさ』も、もちろん彼の作詞でした。
放送作家として始まった青島幸男も、この頃には本格的なTVタレントに。
その出演数の多さが話題となっておりました。
『セブンティーン』で構成をしていた前田武彦は、『シャボン玉ホリデー』に続いて、
ここでも青島に仕事を取られた感じになっていた事でしょう。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
「ヒットQ」なんていう番組もありましたよね・・・
最初にドラマ(或いはコント風)歌番組として始まったが、回を追うことに普通の歌謡ショー番組になっていった・・・というと、やはり日本テレビでやってた「ヒットQ」(1970〜1971年)なんかもそうでしたよね。

あれも最初はスパイダース、田子の浦親方などがレコード会社を舞台にしてコメディをやりながらそこで売り出す曲という触れ込みでゲスト歌手を出す趣向だったはずですが、確か1ヶ月経ったあたりで、スパイダースから井上順、そして途中から”お茶汲み”役で入ってきた石田ゆりが司会、それからコメディリリーフのような役回りでなべおさみ(だったはず)だけが残って、普通の”バラエティ要素を含んだ歌謡ショー番組”に代わっていって、1971年に入ってすぐの辺りで番組名も「ヒット大作戦」とかいうありきたりな(笑)タイトルに代わったような。
ただ、これだけ短期間で目まぐるしく番組内容が変わった・・・ということからも明らかなように、視聴率はずーっと低迷したまんまで、最終的には1年未満で終ってしまったようですが。ま、石田ゆりさんがなかにしさんと結婚して家庭に入ってしまったのも終了理由だったみたいですけどね。
2014/06/02(月) 14:14:06 | URL | (ハンドル未記入)

あ、なべおさみは出てないみたいですね(汗)。
コメディリリーフでいたのは早野凡平でした。あの帽子被って「ナポレオン」とかやる方ですね(笑)。

といいますか・・・あの頃もこういう”ドラマ風歌番組”が特にナベプロ・ホリプロあたりが製作に関わっている番組だと多くあって、なべおさみがかなりそういう系統の番組にあっちこっちでまくっていたようなので(汗)ちょっと記憶が混同していたみたいです・・・。
訂正いたします。
2014/06/02(月) 14:19:26 | URL | (ハンドル未記入)
ああ、正にそんな感じで変遷したんでしょうね、『セブンティーン』も(笑)。
もしかしたら同じ制作者かも(笑)。
2014/06/03(火) 00:34:37 | URL | ごいんきょ
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