私的 昭和テレビ大全集
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ごめん遊ばせ (1959)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、対談番組の初期を振り返る、この番組です。





昭和34年、関東に一気に2つの民放が誕生。
2月1日に日本教育テレビ、略してNET、後のテレビ朝日が本放送開始。
1ヶ月後の3月1日に、フジテレビが開局。
4月10日にテレビ全局で放送予定の、時の皇太子殿下ご成婚パレードを控え、
正に日本のテレビは助走の段階を過ぎて、本格的な普及期に突入したのでした。
助走期に培った番組制作の数多の知恵と経験も実を結びだし、
機械のみならず、内容の方も、いよいよ旺盛たる充実期に入っていくのです。

現在で言うトーク番組、当時ですとインタビュー番組と言ったでしょうか、
これも、テレビの黎明期にはほとんど見られなかったのですが、
新規二局が、果敢にこの分野を開拓するのです。
フジテレビは、開局のその日より『スター千一夜』を開始し、
テレビではなかなか見られなかった映画スターの素顔を見せて好評。
二十年余も続く、局を代表する番組として親しまれたものです。
そしてNETの方でも、開局一週目の土曜日である2月7日に、
十年近くも親しまれ、局を代表した対談番組である、この番組が始まっていたのでした。

開局したての二局が有力対談番組を持ったのには、やはり制作能力の低さが有ったでしょう。
ただでさえ慢性的な人材難だった初期のテレビ界に於いて、
後発であるこの二局は、先行局に専属契約されていたりで、
更に出演人材を確保するのが難しく、また、資金力や制作経験の無さから、
ドラマなどの作り込んだ番組で頭角を現すことは、非常に困難でありました。
そこで、音楽・バラエティー系とか、お笑い方面の番組が重宝されていたわけです。

もっとも、NETの方は親会社の東映が、映画では後発会社だからでしょうが、
わりと進取の気風があり、テレビには積極的だったのですが、
この局はその名が示すように、教育テレビ局としての発足という足枷が有りましたので、
なんでもかんでも思いつくままには作れなかったというのが有ります。
その点、対談番組でしたら、社会的な番組という言い訳も作り易いですし(笑)、
また、話し手の匙加減一つで、いくらでも娯楽性を強められるわけですからね。
何よりも、お金がかからない(笑)。これは新興局には大きかったでしょう。
さて、先に黎明期にはほとんど見られなかったと書きましたが、
これだけ重宝な対談番組が、何故、初期にはそれほど見られなかったのでしょうか。

これはワタクシの分析になりますが、まず第一には、
司会の人材がいなかったというのが大きいでしょう。
テレビが出来たての頃は皆、そこに出ている人は何某かの芸を持っていたわけです。
対談番組というのは相手を立てる聞き役に徹する訳ですから、
初期にテレビに出ていた人たちは、やりたくない仕事だったでしょう。
数少ない対談番組として、既述TBS『現代の顔』というのが有りましたが、
聞き手の沢弘三は、番組プロデューサーその人でありました。
これは、自ら制作の陣頭に立つという事でもあったでしょうが、
任せられる人材がいなかったというのが、とにかく大きいでしょう。

第二の理由としては、ただ話すだけの番組などテレビでやる必要は無い、
という作り手側の意識が、けっこう大きかったのではという気がします。
とにかくテレビの初期には、映像が映るというラジオに対しての絶対的な優位性を、
なんとか訴求しなくてはと懸命にやっていたのだろうと思います。
先行局にはその時分の先入観が拭えなかったものの、
新進の二局にはそれも無く、既にテレビも普及期に入っていたので、
そうした事を強く意識する必要も無くなっていたのでしょう。
さて前置きが長くなりましたが、そうして始まったこの番組は、
正式題を『メイコのごめん遊ばせ』と言うように、中村メイコが聞き手でした。

初期には藤田観光の提供で、毎日放送、東海テレビ、信越放送との4局ネットでした。
提供はわりとすぐに佐々木硝子になり、終了まで続いたようです。
創業明治の佐々木硝子は、今、同じく明治創業の東洋ガラスと合併しているのですね。
中村メイコは既述『二人でお茶を』で書きましたが、電波の申し子と言うべき存在で、
そこにも書いたように、出来合いのものをこなす能力も、
咄嗟の機転を利かせる才能も持ち合わせておりましたから、
こうした番組の聞き手としては、まず申し分無い人材であったろうと思われます。
昭和36年2月23日には、直木賞を受賞した寺内大吉が袈裟姿で登場。
当初は住職作家として画面に登場していたわけです。

昭和38年12月19日には、『こんにちは赤ちゃん』でレコード大賞を受賞した、
作詞・永六輔、作曲・中村八大の二人組が登場。
当時はレコード大賞がこんな時期に判っていたのだという事と、
TBSでない局でも話題にしていたのだという事です。
昭和39年1月30日出演は、丹下キヨ子。
日本が煩わしくなってブラジルへと渡った彼女、4年ぶりの帰国で出演でした。
昭和39年4月30日には、作家・三島由紀夫が登場。
舞台への情熱を熱く語るも、芝居は常に楽しくなくてはいけない、
一見難しいと言われるものでも、実際は楽しかったと言われる作品を作りたいと語りました。

この番組に対する当時の声で最も目立つのが、
メイコ喋り過ぎ、メイコうるさいのような苦情(笑)。
なにしろ弁の立つ彼女だけに、興が乗ってくると捲し立てていた事も有るのでしょうが、
まだこうした番組に出演慣れしていない人物が多かったので、
喋りが滞りがちだったのを一生懸命に補おうとしていたかと思うのですがね。
それでも番組が始まって3年もすると、メイコが慣れたのか視聴者が慣れたのか(笑)、
むしろ聞き役としての上手さが誉められるようにもなってきます。
ただ、回によっては、やはりうるさいと言われたりするのですが(笑)。

第一回の出演者は徳川夢声で、彼こそ、テレビの黎明期には、
聞き手としても重宝されていた人材ではありました。
ただ、こうした有名人1対1での対談番組というのは、
『スター千一夜』や、この『ごめん遊ばせ』が切り拓いたと言って良いかと思います。
特に、純然たる芸能人であるメイコが聞き手となったこの番組の影響は大きく、
昭和36年頃になると、一躍、この手の番組が増えだして話題となりますが、
それでも、そのほとんどはラジオ番組。
テレビで有名芸能人が対談の聞き手として長年勤めたという例は、ずっと後の、
同じ局であるテレビ朝日の『徹子の部屋』まで断絶が有ったように思います。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
いまや芸能界・放送界の”最古参”。
かの永六輔が、1994年10月、TBSの新社屋完成記念番組で日曜日早朝のラジオ番組表を指差してこう言いました
「これは怖いですねー。ここにもし黒柳徹子が入ったらもうゾッとしますよ」
なんでこういう風に言ったか?といいますと、当時のTBSラジオの日曜早朝(特に7時台〜8時台)を飾るパーソナリティー陣がこぞって放送界の”猛女”ぞろいだったからです(笑)。

順番は確かメイコさん→栗原小巻さん→芳村真理さんだったでしょうか。
ここの”小巻さん”を仮に”徹子さん”と置き換えて見ましょう・・・確かに日曜の爽やかな朝にこの面々は・・・・確かに怖いです(笑)。

ま、それは別としてメイコさんは・・・恐らく今ご存命中で一線にいる芸能人の中ではひょっとすると一番長い芸歴をお持ちなんじゃないか?と思います。なにせ子役時代から70年間ずーっと出続けてるわけですからね。

この方にも元気なうちに何か色々自伝でも何でも書き残しておいてほしいなーという気がします。多分、世にもまだ出ていない驚くようなテレビ放送初期のエピソードをたくさんお持ちのはずですしね。

特に彼女はNHK専属としてテレビ開始と同時にキャリアをスタートさせた徹子さんとは違い、テレビ放送黎明期の時点で”ベテラン”といっていい芸歴、既に名も実もあるタレントさんという位置づけで、かつフリーの身でしたからね。
それだけに”生き字引”として色んなエピソードを元気なうちは可能な限り後世に語り継いでほしいな・・・と切に思うばかりです。
語り口調も頭の回転もこないだどこかのBSの番組に出ているのを見かけましたけどまだまだ”現役そのもの”って感じでしたし。

2014/05/27(火) 18:14:17 | URL | (ハンドル未記入)
たしかにその並びになると、凄い物が有りますがね(笑)。

メイコさんはこれまでにも色々語ったり著しているでしょうが、もっと細かいとことかね。
ワタクシに無限のお金が有れば、そういう企画でネット番組やるのですけれどもね。
2014/05/29(木) 21:54:59 | URL | ごいんきょ
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