私的 昭和テレビ大全集
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こちら社会部 (1963)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、権力のテレビ弾圧を振り返る、この番組です。





TBSが劇団民芸に発注したという、珍しいドラマでした。
民芸と言えば、共産党との繋がりが深いと言えた劇団で、
そこにTBSが発注したというのが、いかにも左翼の強かった当時だなと。
ただ、共産党万歳とか天皇制打倒を描いたドラマなら駆逐せねばなりませんが(笑)、
そこまでイカレた劇団が有ったとしても、それは流石にテレビには相手にされません。
民芸は勿論、真面目な演劇集団でありますから、ドラマもきちんとしていたはずです。

民芸の顔・宇野重吉は、舞台の厳しさはもとより、
テレビドラマでも表現の追求に余念が無かった。
なんと、ロケも含めた音声同録撮影を敢行し、生の演技を追求したのです。
ずっと後に勝新太郎が、『警視K』という番組でこれを試行しましたが、
そちらの方は声が聞き取りづらく、失敗という評価が多いと思います。
この時は、むしろ室内のように声がこもっていないのは自然とする評価も有りました。

昭和38年10月2日の第一回は、大卒就職問題を扱った「人間市場」。
小森デスクを宇野重吉が演じ、矢尻記者とその後輩の沼田らが、
そうした就職戦線で起きている薄汚い人間模様を取材するというもの。
がめつい学生側にも批判の目を向けた作品でした。
11月6日「小さな抗議」は、混血児を扱った話。
近年はそんなに見ないと思いますが、昭和三十年代は、ちょくちょく混血児の話が有りました。

そして11月20日放送予定だった「罠」が、市議選汚職の話で、
たまたま総選挙投票前日だったため、数日前に放送中止が報じられたのでした。
そもそもこの番組は、開始前から目をつけられていた節が有って、
スポンサーが番組内容に好感を持っていないという事が新聞で報じられておりました。
おそらく、共産勢力が中心部に大量にいる民芸という事で、
時の絶対的政権政党であった自民党を始め、様々な所から目を付けられていたのでしょう。

「罠」は、公団住宅建設予定地を知るために、市会議員が市産業課長の倅を
裏口入学させてやるという内容で、総選挙とはなんの関係も無いもの。
しかし、投票意欲を削いではいけないという判断でTBSが自粛を要請。
16日の宇野重吉とTBS編成局次長の話し合いで、最終的な中止が決定されました。
その前、11月13日放送「背中に眼」も小さな町の町長汚職に関した話で、
しかし社会部記者は、町のボスによる反撃にしてやられるというものでした。

そのように、内容の重厚さというか、その真摯な姿勢は折り紙付きで、
専門家にも視聴者からも、非常に評価されていた番組でした。
放送前のゴタゴタも、かえって前人気を煽るという結果となっていたのですが、
この放送休止はそうした流れを大きく阻害するもので、
やはり新聞紙上でTBS側の姿勢に疑問符が投げかけられました。
曰く、民芸の思想的な立場は始めからわかっている事なのだから、
イチャモンをつけるくらいなら始めから民芸のユニット制作などにしなければ良い、
という至極当然の指摘でありました。

結局、選挙後すぐの27日に「罠」は放送されたのですが、
それにより内容が広く知られる事となり、こんなものを中止にしたのかと、
TBS側の姿勢には視聴者からも批判と疑問が寄せられるように。
そして、12月25日放送予定だった「十八年目の戦死」も放送が中止されました。
結局この番組は以後放送される事が無く、わずか12回で打ち切りの憂き目に遭ったのです。
そちらの理由は、死因に薬物との関わりが有るのを提供会社の一つである藤沢薬品が嫌った、
という事が表向きは広く喧伝されております。

ただ、それだけでは打ち切りにまでなるのかどうか。
おそらく、共産党に関わるこの民芸作品に対する、非常に大きな力が働いたのではないかと。
と言いますのは、続く昭和39年1月から、これもNET制作で左翼色の強い内容から
度々問題視されていた『判決』という番組に宇野重吉が固定出演する事になるも、
社長命令で「宇野重吉を使うな」というお達しが下り、1月8日放送予定の
「わが道をゆく」が放送中止になるという事件が起きたのでした。

昭和40年4月には、やはりTBSの『話題をつく』という婦人番組が、
安部公房ら共産シンパが出演するという事で放送中止に。
なんと、「内容はどうでも良い。出演者が問題だ」という話でした。
当時は原潜寄港問題が有り、自民党が共産党シンパを殊に敵視しており、
947人ものブラックリストを作って、赤旗寄稿者などの排斥を呼びかけていたのでした。
この大掛かりな工作の背景には、何が有ったのでしょうか。

日本という国は、反日・侮日的な記事やドラマを作っても圧力はかからず、
むしろマスメディアがそうしたものを作れば、良識派と称される時代が有りました。
しかし、アメリカ様に関する星のタブーには、特にテレビの中では絶対性が有りました。
時のアメリカ様は、ベトナム戦争の真っ直中。
それに対する批判が日本の左翼陣営からも強まっていたわけで、
国内論調がそちらで盛り上がらぬよう、弾圧に動いていたのは間違い無いでしょう。
テレビはマスコミの中では特殊な存在で、権力から裁可されねば放送できない弱さが有るのです。
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