私的 昭和テレビ大全集
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碧い眼の東京日記 (1958)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、初期の外人タレント主演ドラマを振り返る、この番組です。





いわゆる外人タレントという存在は、割とテレビの初期からいたと思います。
その第一号を確定するのは今後の課題としても、
既述『OK横丁に集まれ』のジョージ・ルイカーあたりは、
テレビが生んだ外人タレントの先駆けのような存在と言えるでしょう。
日本人にとって日本人とは、「日本語を喋る人」という感じが有ります。
それは特に、外見が異なるほど強くなる感情のように思います。
東洋人で見た目の近いアグネス・チャンあたりが片言で喋ると、
「お前は一体、何年日本で飯を食ってるんだ」と言いたくなりますが(笑)、
サンコンあたりが片言でも日本語で話すと、物凄い親近感を持つではないですか。

昭和30年代の、今でもそうですが特に外人コンプレックスの強かった、
当時の日本人からすると、金髪碧眼の白人が日本語を話していたりすると、
それはもう、とてつもない親近感を持って迎え入れる気持ちになったものです。
ひところ流行った「変な外人」というのは侮蔑語ではなく、
「アンタ日本人だろ」という感覚なんですね。
映画よりもより身近な媒体であるテレビでは、こうした親近感を持たれる存在が、
出演者としてとても人気を得やすいという特質が有るわけで、
こうした「変な外人」という部類の出演者が割と早めに、結構な数で登場しました。

今回ご紹介するリンダ・ビーチは、ドラマの主役を張った初めての外人でしょうか。
確定まではまだ検証を必要としますが、その大いなる候補ではあります。
昭和33年4月、外人から見た日本人の生活の可笑しさや、
逆に、外人の生活を日本人から見た可笑しさを求めて企画されたようで、
主人公夫婦の役は、広く一般から公募したのですね。
夫役は、ケン・ニルソンという人に簡単に決まりましたが、妻役が難航。
外人記者クラブに協力を仰いで、シカゴデイリーニュースの記者である
リンダ・ビーチに白羽の矢が立ったのでした。

夫も同社の日本特派員であり、夫の他国出張中だった彼女はかなり思案したようですが、
アメリカのご婦人方は、ごくごく普通に社会貢献活動をするという事で、
これも日米の架け橋になる社会貢献ではないかと、承諾したという話です。
ところが、夫君が日本に帰ってそれを知るや、たちまち激怒。
「テレビ出演は家庭を破壊するものだ」と、当時のTBSに怒鳴り込んだといいます。
なにしろ一年の半分を他国への取材に行っていたらしいですし、
そうして久々に日本に帰っても、奥さんはテレビの仕事で遅くまで帰らないとなると、
それは、不満も有ったろうと思うのですが。

しかしそこは、リンダ自身が必死になって説得し、最終的には夫も了承。
そうなるとアメリカ男性は協力的で、放送の時は必ずスタジオまで現れ、
マネージャーのような役割まで務めていたというのですね。
そしてその即席マネージャーが、8月は子供と避暑をするから休ませてと言ってきたのです。
この辺、やはり当時の日本人とは大きく意識が違っていたところですが、
困った制作側は、VTR3本とフィルム一本で凌ごうという事にしたのです。
そして最初にフィルム撮りにかかり、ロケをしたのですが、
一本収録するのに一週間もかかってしまったという事で、リンダも降参。
これなら生放送の方が楽だと、泣く泣く休暇を返上したらしいです(笑)。

もっとも、その一本が完成していたのだとしたら、フィルム撮りされた話が
一本残っている可能性も有るわけです。いつか発見されると良いのですが。
『碧い眼の東京日記』として雪印乳業の提供で始まったのですが、
その放送開始の広告では、「日米合作」と謳ってました。
詐欺とは言わないけど、かなり大袈裟な表現ではないかと(笑)。
ただアメリカ人が出演しているってだけですよね(苦笑)。
その年の暮れ、夫役ニルソンがビザの関係で日本を去る事になり、
そこで終了という話も出たのですが、視聴者や雪印からの要望で続行となりました。

リンダには台詞はローマ字表記だったといい、そこから読み上げられる
片言の不思議なリンダ日本語は、結構な注目を浴びて人気者だったのでしょう。
昭和34年春、浜口庫之助作の「アイ・ラブ・東京」を吹き込んだりもしました。
外人が日本の流行歌を吹き込んだのは、日本コロムビア始まって以来の事でした。
レコードは他にも出している感じです。
『碧い眼の東京日記』は昭和34年5月いっぱいで終了。
その後のTBS日曜夜7時枠は、『月光仮面』に始まるタケダアワーとして、
長年TBSを代表する枠として親しまれる事となったのでした。

リンダ主演作の方は、『碧い眼のにっぽん日記』という別ドラマとなって、
木曜の夜9時15分からに移行となりました。
外国タレント、特に白人種でしょうけど、彼らは独特の優越感や習慣の違い、
常識破りのギャラ交渉などで、あまり評判はよくなかったようです。
そんな中で、大道具さんにまで「ハイ、コニチワ」と愛嬌を振りまく
リンダの評判はとても良く、スタッフ一同から愛されていたのだといいます。
昭和36年には、日本テレビの『うちの奥さん隣のママさん』というドラマにも出演し、
ぬかみそ女房を演じたりしましたが、その後は活動が途絶えてますね。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
碧い目の東京日記
びざの関係で去ったのではなくて、大学院へもどるため帰國しましおた。
2017/04/20(木) 08:48:29 | URL | ケン ニルソン
え?
ニルソンさんご本人ですか?
それは本当にありがたい、奇跡的な事ですね。

実は記事の元は、ディレクターだった小松達郎さんが書かれた
当時の新聞記事だったのですが、
そこではビザの関係と書かれていました。
大学院にお勤めだったのですか。
バイヤーさんだと、そこには書かれていましたが。

現在の所、日本のテレビドラマで主役を務めた初のアメリカ人という可能性がけっこう高いですよ。
当時の思い出とか、帰国後のお話とかも聞かせて戴ければ嬉しいですね。
2017/05/03(水) 16:05:23 | URL | ごいんきょ
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