私的 昭和テレビ大全集
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物識り大学 (1956)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、高額賞金クイズ番組の元祖を振り返る、この番組です。





まだ菓子メーカーとしては森永や明治と大きく差の有ったであろう頃の、
ロッテが提供していたクイズ番組でありまして、『ロッテ物識り大学』という正式題でした。
初等科、中等科、高等科、研究科、博士試験の五段階に別れていて、
最後の週まで合格すると十万円の賞金というのが話題となりました。
そのわずか数年後に、なんとその十倍の『百万円Xクイズ』がTBSで始まりますが、
この頃としては破格な賞金額として結構な話題を呼びました。
司会は田中明夫で、学長として日置昌一という人が出演しておりました。
田中明夫は俳優で、日置昌一という人は物知り博士として当時有名だった人です。
番組終了後間も無い昭和35年に、まだ55歳で亡くなっているのですね。

スタジオに掲げられた番組題は、いかにも当時のテレビ局と広告主の関係と言いますか、
「ロッテ」の部分の大きさが、「物識り大学」の縦横2倍は有ろうかというもの(笑)。
昭和31年4月15日に始まったこの番組でしたが、6月3日、
ついに初の博士試験に挑戦する人が現れました。
荒川区尾久に住む文化服装学院出の家事手伝い22歳の女性で、
洋裁を習っていた人でしたが、番組には和服姿で登場。
この頃、ご婦人方は和服姿の方がはるかに多かったものです。
女性の社会進出がそれほどでなく、活動的な服装の必要が無かったからでしょう。
文学好きなこの人は、一般文学の部を選んでの出場でした。

博士試験は全三問で、そのうち二問正答すれば合格、見事に賞金十万円を獲得
となるわけですが、不合格なら賞金は一万五千円に減るという規則でした。
残念ながらこの女性は不合格だったようですが、7月29日に、
とうとう初の博士合格者が誕生しました。
中央区日本橋人形町の21歳の女性で、日本橋女子高卒。
浅草の呉服屋に勤める、やはり文学好きの女性という事です。
放送16回目にしての快挙達成でした。
8月12日には3人目で初の男性挑戦者が登場しましたが、日本歴史を選んで失敗。

当初は十万円と告知されていた賞金額も、いつの間にやら夏の頃には百万円となったようです。
なかなかな難関だという事で、ロッテも安心したのかもしれません(笑)。
という事で、百万円以上の賞金額を謳った最初のテレビ番組という事になりました。
と言っても、博士挑戦者が失敗すると賞金が積み立てられるという形式だったようです。
昭和32年の頃には学長がサトウハチローに交代。
更にその秋には、放送時間が日曜昼12時から夕方6時に移行し、司会も三木鮎郎に交代。
更に昭和33年になるとサトウハチロー学長の下に藤田圭雄が教授として就き、
久保菜穂子名誉教授までいるという布陣となりました。
そうした2月9日、これも生放送時代ならではでしょうが、出場者の一人が欠席(笑)、
歌入りクイズを出題する役目だった久保菜穂子が無用となってしまいました(苦笑)。

昭和33年6月6日には、スポーツ部門で博士試験に挑戦した男性が失敗。
次回博士試験の賞金は90万円と告知されました。
8月8日には外国地理と理科で二人の博士挑戦者が登場。
地理の方は法政大の学生でしたが、理科の方はなんと、小学六年生の11歳。
学生の方は勿論90万円の賞金に挑んだわけですが、小学生の方は、
仮に成功しても十万円と、些か不公平な感じもしますが。
お父さんはアメリカ大使館勤務という事でした。
しかし、この両者とも失敗し、賞金はついに百万円になったと告知されました。
この、大きく謳われた百万円の賞金も、とうとうその額を貰った回答者は出なかったようで、
8月29日に百万円チャレンジ大会と銘打ち、積み重ねられた百万円を合格者に贈る形にしました。
そして、9月5日より出題が新趣向となったようです。
11月28日には、高校生が博士挑戦で、賞金額は40万円でしたが、失敗したようです。

続いて12月19日に、一度に三人が博士挑戦。賞金額は50万円。
中でも天文学部門を受けたのが十歳の少年で注目されましたが、失敗。
この時、司会がせかせかさせて可哀想だったと同情した女性から、
少年に渡してと金一封が新聞社宛に送られるという事も有りました。
年が明けた1月2日の「お年玉大会」は、十万円チャレンジ大会。
前年9月以降に博士挑戦して失敗した五人が再挑戦という趣向でした。
アメリカ人もいる面白い顔触れのこの大会で勝ち残ったのは、
動物部門の11歳と天文学部門の10歳という二人の少年。
四問目で勝敗が決し、天文学の少年が十万円を獲得。
先に同情して金一封をくれた女性に、ガムと手紙を添えてお礼をしたようです。
ガムというのは、提供のロッテが参加賞でくれていたのでしょうね。
合格したこの少年は、角帽を被らされて表彰を受けました。

昭和34年2月13日には、武蔵中学一年の12歳が生物部門で博士挑戦。
賞金は60万円でした。
武蔵中学というのは、西の灘中学のようなものと考えて戴いて良いでしょう。
しかし、この時も不合格だったようです。
全体としてみて、とにかく博士合格者が異様に少なかった印象は拭えません。
当時としたら百万円近い金額は、今日の一千万を超えようかという価値でしょうから、
そうは容易く出す訳にはいかないというのもわかりますけれども、
流石に少なすぎだったかなという感じはします。
それが故なのでしょうか、テレビ初の高額賞金クイズであるにも関わらず、
今ではほとんど振り返られず、ウィキペディアにも未だ項目が無いという惨状です。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
生CM
確か「文化としてのテレビ・コマーシャル」という本の中に書かれていたのですが
おそらくこの番組の生CMで三木鮎郎が回答者にロッテのロゴマークを描かせて、間違っていれば「ロッテのマークをお忘れになっては困りますね」とマークを見せるという物があったようです。
また番組ラストの賞品授与でも「このマークも忘れないで下さいね」とマークを見せた?
2014/06/17(火) 02:29:12 | URL | 鳥飼
へえ。
ロッテのマークというと、例のL字かな。
まだ名前を売る事そのものに一生懸命な頃ですね。
2014/06/20(金) 23:10:12 | URL | ごいんきょ
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