私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -



私のクイズ (1963)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、クイズ賞金額の最高値を振り返る、この番組です。





文豪・芥川龍之介の忘れ形見の一つ、芥川也寸志。
著名な音楽家である彼は、兄の俳優・芥川比呂志同様に、
テレビとの関わりも浅からぬものが有りました。
特に、森永製菓のCMソング「エンゼルはいつでも」と、
日産自動車のCMソング「世界の恋人」の二曲は、
使用頻度からも昭和テレビマニアには忘れ難いものが有ります。
そんな芥川也寸志が、珍しく司会業を担当して話題となりました。
テレビではその前に、TBS『ホーム・コンサート』や『日本のうた』等で
出演経験が有りますし、昭和50年代にはNHKで黒柳徹子と共に、
『音楽の広場』という番組をやっていたのをご記憶の方は多いでしょう。

けれども、それらは全て、彼の専門である音楽の範疇。
しかし、この『私のクイズ』は、その名の通りクイズ番組。
なぜ彼をクイズの司会にと考えたか、その端正な容姿と知的な佇まいによるのでしょうが、
第一回から難なく司会役をこなし、その人選が間違いでない事を証明したのでした。
「花王ファミリーショウ」と冠の付く通り、花王石鹸の一社提供。
テレビ黎明期の名番組『シルエットクイズ』の流れをくむ『花王ワンダフルクイズ』以来、
花王石鹸がクイズ・ゲーム番組を提供していた日本テレビ金曜夜7時半からの枠でした。
開始からか、少ししてからか、出場者は二人一組となっております。

文学や音楽など、なんと54もの部門から出題を選べ、
問題には、普通に出題されるものの他に、実演で出されるものも有りました。
例えば、「宮本武蔵と戦ったのは誰?」というクイズで、
鎖鎌に大刀の自由を奪われた武蔵が、小刀を投げつけて勝利する
という小芝居を演じたわけですけど、この時、武蔵役が緊張で小刀を落としてしまいました。
おまけに引き合っていた鎖も切れてしまい、仕方無く鎖が巻き付いたままの大刀で斬りつけ、
なんとかホッとしたのも束の間、得られた回答は、演技のせいか「佐々木小次郎」(笑)。
本当は「宍戸梅軒」が正解のつもりだったのでしょうがね。

回答者は勝ち抜きのチャンピオンと挑戦者の二人で、
クイズに正解すると3×3のマスにランプが点灯。
縦横斜いずれでも3つランプが並べば勝ちという、
クイズと三目並べとを掛け合わせた面白さが売り物でした。
この勝ち抜きは、いつまでも重ねられるものだったかどうかはともかく、
昭和38年2月8日放送でようやく敗退したチャンピオンは、
16万8千円の賞金を手にしたのでした。
当時のやや高めの一ヶ月分の給料といったようでしたが、
今でも一ヶ月の給料がこのくらいの人も多そうです。デフレ恐るべし。

昭和38年12月6日には、清水次郎長、大政、黒駒の勝蔵の子孫がご対面。
昭和39年3月13日放送では、世界一小さい鳥としてハチドリが登場…
する予定だったのでしたが、輸入した三羽とも寒さのためすぐに死亡。
やむを得ず剥製での出演と報じられるも、実際には生きたハチドリが無事出演した模様です。
そして4月からは、大きなテコ入れが為されました。
まずは、それまで音楽を担当していた、いずみ・たく指揮の
ニュー・ハード・オーケストラの他に、読売日響が参加。
芥川也寸志司会という事を更に押し出した感じで、クラッシックを大衆に近づけるべく、
司会者自ら指揮してハンガリアン舞曲などの親しみ易い曲を演奏させました。

更には、54も有った出題項目を整理し、9にまで減少(笑)。
以前は歴史ひとつ取っても、西洋史・東洋史・国史などと細分化されていたのでした。
勿論、賞金制度にも大幅な改革が加えられ、倍々の趣向にして
20人抜きで百万円の賞金が得られるようになりました。
選手権保持者は5人抜きまでは降りづらくするために、
5人以内で降りると賞金が三分の一に減額されるという規則も追加。
また、挑戦者が選手権保持者を破れば賞金額は両者で二分する事になり、
例えば百万円の選手権保持者を破れば、両者で五十万円ずつという具合となりました。

昭和39年5月15日、小説家・竹田敏彦の一人娘ともう一人の女性とが、
12人抜きで賞金105万4千円に到達しました。
更に5月22日放送では、14人抜きに成功、113万8千円まで漕ぎ着け、
翌週であと一人抜けば二百万円を超えると話題となりました。
賞金は、10人抜きで倍、15人抜きでまた倍となる決まりだったのです。
そして注目の29日放送で、見事に15人抜きし、賞金額は233万6千円に。
ところが、世間が騒がしくなったために気後れしてしまった二人は、
ここで降りてしまったために、記録はそこで止まったのでありました。

8月7日から、また規則改正が行われました。
基本的には進行速度を速めるための細かい改定で、
それまで一週で3組前後しか出場できなかったのを、5組程度にするためのものでした。
そして、引き分けはチャンピオンの勝ちであったのを、決戦を行うようにもなりました。
これに伴い、早押しボタンもどちらかが押すと片方が付かなくなるものとなり、
二千分の一秒という精度で早押し判定する新兵器が導入されております。
そうしたテコ入れを適宜行いながら二年もの期間続いた番組でしたが、
11月27日に、95回目の放送で終了となりました。

これは、単純に打ち切り。
最高時には20%有ったという視聴率が、10%をかなり下回る惨状となっていたのです。
裏番組も、『柔道一代』『歌のバースデーショー』『ちびっこギャング』と、
いずれも当ブログで扱われた(歌のバースデーショーも近日扱う予定)人気番組。
とは言え、破れた側には憤懣も有ったようで、プロデューサーの江本三千年は、
良心的なクイズ番組をゴールデン・アワーに持ってきたテストケースの頓挫に落胆し、
芥川也寸志は、次のような皮肉交じりのコメントを残しました。
「私は素人で何も知らなかったのですが、スポンサー、代理店が強いのは、
 日本独特なものなんでしょうね」
この頃から既に、代理店が異様な姿で跋扈していた事が窺われます。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
「土曜パートナー」なんていう番組もありましたよね。
芥川也寸志の司会番組というと・・・ネットチェンジ前の一時期、TBSが独自で土曜朝のワイドショーを製作していた頃にやってた「土曜パートナー」というのも確かありましたよね。

元々は昭和40年4月に、池谷三郎・鈴木治彦アナの司会で始まった「土曜ロータリー」のリニューアル版として同じ年の秋からスタートしたもので、45年秋まで丸5年間続きました。

この番組でもアシスタント役として続投となった鈴木治彦さんの回顧談によると、芥川さんはスタッフにも事あることに厳しく指導に当たるタイプの方だったとか。さすがにクラシック音楽出身の方だけあって、”折り目正しさ”を司会業をやるに当たっても相当重要視なさっていたんでしょうね。


2014/06/18(水) 06:18:22 | URL | (ハンドル未記入)
なんか有った気もする番組ですが。
今、そういう厳しさを持っている人が現場にいないでしょうね。
ま、今の腐れテレビ界には必要無い人材なんでしょう。
2014/06/20(金) 22:42:55 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ