私的 昭和テレビ大全集
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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、テレビも地上の星に目が向いていた頃を振り返る、この番組です。






塩野義製薬提供のクイズ番組枠で、「ポポンタイム」という枠名が付きました。
塩野義の代表的な薬に「ポポンS錠」が有るからで、楠トシエが歌ったCMソング
「ポポンとね」は、コマソン史に残るヒット作でした。
これまた、今年生誕100年となる三木鶏郎の作詞作曲です。
基本的にクイズ番組ではあったものの、非常に風変わりな主旨を持っていました。
それは、出てくる人物が善行者、または善意の人間でありながら不遇な人など、
隠れた善意・善行を紹介するというもので、言ってみれば美談のショー化でした。
ただ、自薦し放題といったわけでは勿論なくて、日本テレビの調査員が調査し、
他薦の者、新聞記事、福祉関係者からの聞き取りなどで人選。

そうした人が出場してクイズに出演し、賞金を獲得するという、
今ではなかなか考えられない奇特な番組だったと言えましょう。
例えば、交通事故で両足を無くした老人に親切にした鉄道職員、
精神薄弱児の教育に尽くす主婦、刑務所に毎日花を贈る女学生等々、
それまで隠れていた善行者に、幾許かの代償をと考えられたものでしょう。
今の幼稚なネット住民が見たら「偽善」中傷がけたたましいでしょうが(笑)、
当時の世情、日本人の情感は、この番組を名番組として受け入れていたのでした。
でも、たしかに非常に難しい問題だとは思います。
評価される事を目的とした不埒者を増やす危険性も有りますしね。

女手一つで三人の子供を立派に育てているニコヨンの人が出た時には、
特に激励の拍手と感銘が深く刻まれたようです。
ニコヨン。これを調べずに理解できる人も、かなり少なくなっている事でしょう。
丸山(三輪)明宏によるヨイトマケの唄が出来る10年ほど前には、
そうした人々が実際にそちこちに存在していたわけです。
ここで、拍手というものが非常に重要な役割なのです。
なにしろこの番組、会場の拍手が賞金額に跳ね返るという、
非常に非合理的な形態だったのでした。
かのニコヨン夫人には、それだけ多くの金額を与えようという意識が多かったわけです。

或る時は、四万円あれば普通の人の足のようになるという少年が出て、
賞金としては二万五千円を獲得。
それを見た或る大阪の建築業者が、不足分の寄付を申し出る美談も有りました。
当初の司会は日本テレビの越智正典アナウンサーでしたが、
昭和33年3月17日より、河井坊茶が担当する事になりました。
坊茶は、この番組では本名の秋元善雄で司会をしましたが、
河井坊茶という名はこういう番組には不謹慎だという配慮なのでしょう。

司会者に関しては、以前に「歌のタイトルマッチ」コメント欄にて寄せられた情報の中に、
ワタクシが把握できていない人物も結構書かれておりまして、
それによれば初代は三原純との事ですが、ワタクシは確認できませんでした。
他に金原二郎の名も書かれておりましたが、それもまだ確認できておりません。
わりと頻繁に司会者が替わっていたようで、ワタクシの方でも石井アナウンサー?とか、
確認しきれていない名前も有りますが、確認できているだけでも結構な数が担当してます。

昭和33年6月23日には、民謡を守る人々が特集されました。
善行者、恵まれない人に焦点を当ててきたこの番組でしたが、
更に一つの道を何十年と歩み続けている人物も扱うようになったのです。
昭和34年9月8日放送「日本の尾根に生きる人々」も同様で、
高山植物監視人として花を守り抜く鬼となっている人、
日本最古の能とされる「山の能楽師」の人などが紹介されました。

昭和35年8月16日の放送では、元栃錦の春日野親方が登場。
前年に、青森での五輪強化合宿で落馬して亡くなった青学短大の女学生が、
生前に栃錦の大ファンだった事が報じられた事が有るのですが、
その記事を読んだ春日野夫妻が、お葬式に姿を現したのですね。
感激したそのお宅では、娘さんのためにぜひ墓銘をとお願いするも、
親方は字が下手だからと、その場はお断りしたそうです。
そうしてその年の夏場所に、「銘が出来ました」との連絡が有ったのです。
親方は一年近くかけて、字の修練に励んでいたのでした。
放送には、春日野親方、女性のご両親、更に石屋さんが出演し、
皇太子ご成婚記念馬術大会でその女性が準優勝した際のフィルムも流されました。
昭和36年には、読売ジャイアンツの川上哲治監督も出演したようです。

いつ頃からかは判りませんが、この頃には司会者は早川元二になっていたようです。
どうも童話作家のようですが、どうした経緯で司会に抜擢されたのでしょう。
昭和37年5月29日放送では、無報酬で夜学教師を十五年続けた人物が登場。
この頃には司会が高橋圭三と安西愛子になっておりました。
更にこの年の6月からは、放送時間がそれまでの火曜19時から、
日曜22時半へと移動となりました。
普及の進んだテレビに於いて、良心的とされる番組が、
どんどんと隅の方へと追いやって行かれ始めた頃でした。
もっとも、隅にでも有ればはるかにまだましなのだとは、今よく判りますが。
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