私的 昭和テレビ大全集
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7時にあいまショー (1962)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、TBSになぜ昭和30年代映像が多いのかを振り返る、この番組です。






昭和37年4月7日(土)夜7時に始まった30分音楽番組で、
昭和30年代中頃によく見られた、主として洋楽を中心とした歌番組でした。
初期には飯田久彦が「ルイジアナ・ママ」で人気絶頂で、固定出演の様相。
その他に佐々木功。今ではアニソン大王として名を馳せますが、
元々はロカビリアンというのは有名ですね。
更にはスリー・ファンキーズなどが定番の顔触れ。
客席を設けたスタジオで、正にショー形式でやっていたのでしたが。

昭和38年になって、13・20日と2回に渡り、カテリーナ・バレンテ・ショーとして、
東レがバカンス・ルックを売り出すためにザ・ピーナッツと共作させた
「恋のバカンス」を吹き込むため来日中の彼女のワンマンショー形式で放送。
この辺からでしょうか、こうしたワンマン形式も出てくるのでした。
また、ポップス系ばかりではさすがに飽きられるという事でか、
橋幸夫や三沢あけみなど、純粋な日本的歌謡曲歌手も出演するように。
倍賞千恵子ショー、更にはSKDショーなど、路線が広がり、
語り手として、当時飛ぶ鳥を落とす勢いとも言うべき古今亭志ん朝も登場。

そうして6月8日に、販売されて今日でも見られる坂本九ショーが放送されたのです。
一曲目、坂本九ごく初期のヒット曲「素敵なタイミング」をにこやかに歌い出すのですが、
この歌、レコードではいわゆるフェード・アウト、段々と音量が小さくなる形で終わるんですね。
そしてその部分になると、坂本が慌てて口を押さえて、おっとアブナイ
って感じで意味深な笑顔を見せるという、なかなか素敵な演出がされました。
つまり、普通に歌っている部分は口パクで歌っているように見えるけど、
フェード・アウトの部分でいつまでも口を開けて歌う真似をしていると、
音楽が終わっているのに口を開けてしまいかねないという、そうした茶目っ気。

この番組は、少なくとも間違い無く「坂本九ショー」に関しては、
レコードに合わせて口パクをしていたという、ま、当時の歌番組では珍しくないですが。
でも、それをバラしてしまう、こういう可愛げの有る演出をしていたのは珍しいと思います。
そんな演出をしていたのは誰あろう、後年、特撮マニアから崇められる事になる、
TBSの異端児?(笑)、実相寺昭雄その人でありました。
他にもこの坂本九ショーでは、いかにも才気走ったというか、
およそ音楽ショーとしては先鋭的とも言える演出の冴えが多々見られます。
ここではね(笑)。

でも、テレビ探偵団という回顧番組で、やはりこの『7時にあいまショー』
だったと思いますが、妙ちくりんな画面の歌番組が紹介されたんですよね。
画面のほとんどが黒で、ごく一部にどこかから覗いたような小さな丸が有って、
そこからだけ歌っている歌手が見えるというヘンテコな画面。
三宅裕司と泉麻人が、「なんでこんな画面なんでしょうねー?」とか
しきりに不思議がってるのが異常に可笑しくてね(笑)。
ワタクシは実相寺昭雄という人の演出ぶりや、以前は歌番組もやっていた事を知っていたので、
一目見て、「これ実相寺だろ!(笑)」と笑ってましたけど(笑)。
なんか、スタジオに物を置いていたりして隙間が有ると、
「実相寺が覗かないように塞いでおけ」と言われていたとかの話が有ったような(笑)。

そんな具合に、TBS社員時代から独自演出を追求していた実相寺昭雄。
ついには御大・美空ひばりを舞台下から映し鼻の穴に迫ったり、
歌っている間中、その口だけしか映さなかったりで、ひばりの取り巻きに睨まれてしまう。
ひばり本人は、「あたいの歯が映って良かったじゃないの」とか、
一応は笑って済ませていたという話ですが、内心はやはり不愉快だったでしょう。
これにて先から睨まれていた実相寺は露骨に干される事となり、
見かねたTBSの先輩、円谷英二の長男・円谷一の引きで映画部から円谷プロに出向。
以後、そちらでも異端的役割で、特撮マニアから独特の評価を得る。
というのは、そちら方面に興味が有る人々にはわりと有名な流れです。

坂本九ショーは、彼が昭和28年にギター片手でダニー飯田に弟子入りし、
バンドボーイを経て、昭和35年に中村八大のリサイタルで「上を向いて歩こう」を
直立不動で歌うなど、ミュージカル九ちゃん一代記といった風情で、
間間の講釈は古今亭志ん朝が受け持って構成されました。
先に言ったように、この時代の音楽バラエティ番組としては非常に稀な、
ソフト化されて販売されている回でもあります。
また、先に言った飯田久彦が「ルイジアナ・ママ」を歌う映像も残っています。
この当時のポップス番組で映像が残っているなど、奇跡的なのですが。
こうした事から、TBSは映像を残す事に熱心だったと解釈する人もいます。
ワタクシも、以前はそんな感じで思ってました。

けれどもきっと、この番組が残っているのは、他ならぬ実相寺のお陰なのでしょう。
元々が映画志向の強かった彼は、他の凡百のテレビ人と違い、
自分の仕事を残すという事を意識していた人物でした。
そして、まだ生放送だったドラマ、こうしたバラエティ番組など、
当時の常識としてはわざわざ残さなかった番組を、
上手く伝票を切って、キネコという形で残すようにしていたのです。
彼のお陰で当時の姿を知る事が出来る番組が、結構あるんですよね。
当時はビデオテープが高かった? 著作権の絡みが有った?
嘘ではないですが、残す気が有ればいくらでも残せた事は、彼が証明しているのです。
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