私的 昭和テレビ大全集
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月下の美剣士 (1960)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、NHK連続時代劇の元祖を振り返る、この番組です。






昭和35年7月、NHKの番組表から西部劇と時代劇が一斉に消えました。
時の会長・野村秀雄が英断を振るったとされる、暴力番組追放の方針による措置でした。
時は60年安保にまつわる喧騒の世。
世情は殺伐としており、戦後に勃興した暴力団と呼ばれる存在が闊歩し、
三池騒乱や毎日新聞社襲撃など含め、日々新聞の紙面を騒がせておりました。
そんな世情を憂慮したのか、『西部のパラディン』『ハイウェイ・パトロール』
『アリゾナトム』、そしてこの『月下の美剣士』などが唐突に終了したのです。

『月下の美剣士』は、その春に鳴り物入りで始まっていた新番組だったにも関わらず、
わずか放送12回、各話前後編だったため全6話で終了という有様。
当時のNHK年鑑では『月下の美剣士』の稿で、「好評裡に完結」と
取り澄まして記述してますが(笑)、同じ書の概観の部では「いわゆる暴力番組」と、
にべもない書き方をして貶めております。
果たして、この番組はそのようなものだったのでしょうか。

そもそも、NHK初の本格的連続時代劇と銘打っていたもので、
直木賞を受賞した南條範夫の書き下ろしという、非常に力の入った出だしでした。
既に同局『お父さんの季節』で顔は売れていた加藤博司を主役に配し、
爽やかな美剣士・車田千秋の活躍を描いたもの。
舞台は徳川六代将軍の御世、旗本の次男坊・千秋が、よろず相談所の天恵道人と化け、
そこに持ち込まれる怪事件の数々を解決するという内容。
老人である天恵道人からの変わり身が見所の一つだったのでしょう。

先に言った全6話とは、「連判状の巻」「疾風組の巻」「辻斬りの巻」
「邪教の巻」「消えた印籠の巻」「にせ者の巻」の6話前後編12回。
第1話「連判状の巻」は、天恵道人の所へ深手を負った侍が転がり込んでくる。
紀州藩士で笹島と名乗る彼は、覆面の侍集団に連判状を奪われかけたという。
それが表沙汰になればお家の大事になると、その連判状を盗み出した途中、
待ち伏せに遭って襲われたのだという話でした。
悪漢と対峙する千秋は、問われて名乗るも春風太郎(笑)。

実はこの番組、放送開始前から既に暴力表現にはかなり気を使われておりました。
当時のNHKで、時間帯は子供を対象としている夕方6時。
色恋沙汰は勿論、殺人場面も絶対的な御法度。
ですから春風太郎が相手を懲らしめる時には、必ず峰打ちにしていたのです。
峰打ちと言っても、鉄の細棒で熟達者が叩く訳ですから、
実際には骨折とかは当たり前なわけで、ま、暴力と言えば言えるんでしょうけど(笑)。
それどころか言葉遣いにまで気を使い、子供の真似するような言い回しは避けました。

かような次第で、昭和40年代以降の常識からしたら、
とても暴力的とは言えない内容ですが、7月の改編で敢え無く消えました。
1クール打ち切りだったためでしょうが、次番組の『少年漂流記』は
あくまでも埋め草的な番組だったのでしょう。
そちらも1クールですぐに終わり、更にその後番組は、
この『月下の美剣士』でも固定出演していた桂小金治が主役に抜擢され、
3年以上も続く事になる『ポンポン大将』となったのでした。

NHKのこれら措置の翌年、昭和36年5月9日、全米放送事業者協会の集まりで、
連邦通信委員会委員長のニュートン・ミノーが、彼の地の放送番組を眺めれば
「一望の荒野(a vast wasteland)」であると演説し、波紋を広げました。
これにより彼の地では良質番組を模索する動きが強まるのですが、
野村会長の方針は、それを先駆けていたものだったという見方もできます。
ただ、より強権的な立場と手段だったために、この程度の番組まで打ち切られたりと
内容に問題が有ったのと、後進が続かないで終わってしまったのは惜しい面も有ります。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
加藤博司
この暴力追放で嫌気がさしたのか映画に転身して成田純一郎と改名しています。
眠狂四郎で息子を将軍にしようとする母親を持つマザコン息子みたいな役をやっていました。
2015/08/20(木) 22:11:45 | URL | さざんくろす
当時としたら、映画への転進は栄転ですね。
でも、こちらは腐っても主役ですから、どうでしょうか。
2015/08/24(月) 04:24:30 | URL | ごいんきょ
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