私的 昭和テレビ大全集
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魅惑の宵 (1959)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、日本テレビのバラエティー番組の流れを振り返る、この番組です。






昭和36年という年は、日本の映像バラエティの夜明けとも言える年で、
NHKで4月から『夢であいましょう』が、日本テレビで6月から
『シャボン玉ホリデー』が、それぞれ始まりました。
バラエティの曙とも呼ぶべき日本テレビ『光子の窓』から、
前者には作家の永六輔が、後者には制作者の秋元近史が流れております。
この辺からも、『光子』の井原高忠が日本TVバラエティの祖とされるものですが。
そして、この両者にはそれぞれ前身の番組が有り、前回は『夢で』の前身である
『午後のおしゃべり』を扱いましたので、今回は後者の前身を扱ってみたいと思います。
その前身どちらも昭和34年に始まっているというのも、奇妙な一致ではあります。

日本の戦後芸能史を語ろうと思ったら、渡辺プロダクションの名は決して外せません。
それは、有名タレントの多さとかテレビ番組制作とか、表に出る部分も勿論ですが、
レコードの原盤権や出版事業など、数々の新機軸を打ち出した楽屋裏の部分も大きい。
そもそも大掛かりなタレントプロというのも渡辺プロが元祖のようなもので、
それ以前は個人的な繋がりのマネージャーが腕を振るうような世界でした。
発足間も無い渡辺プロが目を付けた、名古屋の双子歌手・伊藤シスターズは、
渡辺晋・美佐夫妻の家に住み込み、立ち居振る舞いから芸能まで数ヶ月叩き込まれ、
完成品と言える状態になってから世に出された存在でした。

彼女らが最初に出たテレビ番組というのが、呉羽化成提供『ウイークエンド・イン』
というジャズ系の音楽番組だったらしく、その元締めも、かの井原高忠でした。
井原が日テレ入りする前のバンド時代からの仲間だった渡辺美佐は、
井原「ター坊」に、この二人の命名を頼み、「ザ・ピーナッツ」という名が出来たのです。
これは井原の著書にも渡辺プロ側の記述にも有る話なので間違い無いでしょう。
彼女らは開局間も無いフジテレビで渡辺プロがユニット制作した番組、
『ザ・ヒットパレード』の固定進行役となって顔と名前を大いに売り、
続けて日本テレビで固定出演したのが、この『魅惑の宵』でした。

これは、『ウイークエンド・イン』でもディレクターをやっていた
秋元近史の番組で、秋元は俳人の秋元不死男を父に持つ変わり種でした。
提供は、帝国人絹こと帝国人造絹絲、後のテイジンで、
入江美樹をアシスタントとしてロイ・ジェームスが司会で進行し、
ポピュラー音楽、踊り、歌、コントを交えるという、
日本テレビのお得意としていた番種の一つでありました。
ザ・ピーナッツの他には、竹部薫、海原裕子等が固定でいたようです。

第一回の特別出演は水谷良重、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ、
水原弘、岡田眞澄といったところが出演しました。
このうち、伊藤素道らと水原弘は、ザ・ピーナッツと同じ渡辺プロ所属。
井原の書によると、秋元は渡辺プロと近くなって反ナベプロ(と言うか反・渡辺晋?)
の旗頭である井原と疎遠になっていったらしいのですが、
そうした芽は、この番組から育っていったものでしょう。
作家は前田武彦で、『シャボン玉』発足時の作家も彼でした。

前田武彦はこの番組でも出好きだったようで(笑)、関係無い場面に
関係無い役の扮装で通りがかったりするなどしていたようですが、その辺の狙いや
可笑しさが『シャボン玉』の「オヨビでない」に繋がったという話も有ります。
昭和35年12月9日放送は、「新説忠臣蔵」。
『シャボン玉』でもお馴染みだった季節物の忠臣蔵コントは、この番組からでした。
吉良上野介ならぬ吉良の仁吉が現れたり、先の『月下の美剣士』で書いたような
「刃物を持たない運動」を引き合いに出して、
ハナ肇の浅野内匠頭が切腹中止を申し出たりという内容でした。

そのように、時にクレージー・キャッツも出演するようになっており、
ここに初期『シャボン玉ホリデー』の原型は出来ていたわけです。
この金曜夜10時半の『魅惑の宵』は1年半ほども続き、
更に昭和36年4月9日から5月7日までの5回だけ、
日曜夜10時に『夜をたのしく』という同じくロイとピーナッツ司会の番組を挟んで、
6月4日からピーナッツとクレージーによる『シャボン玉ホリデー』が始まるのです。
途中に挟まっている『夜をたのしく』の意味がよくわからないのですが、
日曜夕方6時半の枠が空くのを待っていたのではないかと思います。
そしてその枠は、かつて『光子の窓』を放送していた枠だったのでした。

渡辺プロが『魅惑の宵』『夜をたのしく』『シャボン玉ホリデー』に期待したのは、
秘蔵っ子のザ・ピーナッツを売り出すという事が最優先だったでしょうし、
だから『シャボン玉』の当初題は『ピーナッツ・ホリデー』だったという話です。
しかし秋元が『シャボン玉』で企画した肝は、ピーナッツとクレージーの共演でした。
企画を提示され思案する渡辺晋から、秋元が半ば強引に了解を取り付けたのは、
この両者を組ませれば絶対に成功するという確信が有ったからですね。
そちらの立ち上げにも勿論、前田武彦が加わり、主題歌の作詞までするのですが、
フジテレビ『おとなの漫画』でクレージーと近くなっていた青島幸男がやってきて、
どんどん青島の番組となっていくのが前田は面白くなかったようで、程なく降り、
代わりに牛乳石鹸が前田に与えた枠が『シャボン玉ミコちゃん』だった感じです。
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この記事へ寄せられたコメント
「大学は花ざかり」
昭和36年、NETテレビで金曜日の夜10時から放映されていました。
主演は守屋浩。共演は当時、新人コメディアンの渥美清。それに美人歌手の沢たまき。
この時代はまだビデオが発達していなかったせいか、生放送だったようです。
この名作ドラマについて、インターネットで語られることはほとんどありません。残念です。
2014/09/07(日) 05:15:04 | URL | こうじろう
元々は映画で作られてますね。
テレビの方は当時もほとんど話題になっていないようです。
何かご記憶の事がございましたら、ここでも書いて戴きたいですが。
2014/09/11(木) 04:50:16 | URL | ごいんきょ
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