私的 昭和テレビ大全集
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時事放談 (1957)

時事放談

只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、民放政治討論番組の老舗を振り返る、この番組です。






昭和32年7月28日が第一回だったかと思います。
その回の副題は「浴衣問答」となっておりますので、両人とも浴衣で問答したのでしょう。
両人というのは、『時事放談』の顔とも言える細川隆元と、小汀利得。
現アメリカ大統領が就任した時に小汀氏が健在なら、きっと小浜市から中継したでしょう(笑)。
ですが通常は、この二人の部屋を擬した畳敷きのセットで放送され、
冬場などは囲炉裏部屋になったりしました。

第一回の放送時間は10時35分から11時で、その後よりやや遅い感じでしたが、
昭和32年のテレビ放送というと、まだ無放送時間帯が点在していた時分。
昼の3時4時台とかも砂嵐でしたし、夜も11時台まで有ったか無いかという風情。
朝もそんな感じで、早くても7時台からという時代ですから、
10時台というのは当時としたら、早朝に近い感覚かと思います。
『テレビ寄席』の稿で書きましたが、お昼に始まっていたあの番組の挨拶が、
「皆さん、今日はもう起きましたか?」だったのですからね。

これは勿論、目が覚めたかという意味ではなくて、
完全週休一日だった時代、たまの休日の日曜は、朝はラジオを聞きながら
ゆっくり布団の中で過ごすという家が多かったのでしょう。わが家はそうでした。
まして昭和32年当時では、朝に限らずラジオが非常に強い時代。
日曜朝からテレビをつけていた家はかなり少なかったと思われますし、
故にこの当時のこの番組を記憶している人は、
今日では絶望的に少ないかと思います。

当初は「浴衣問答」の方が番組題のようにも扱われておりますが、
これは先発番組として、NHKの『こんにゃく問答』が有ったからでしょう。
『こんにゃく問答』は徳川夢声と柳家金語楼による、
結構お笑いも意識した時事問答でしたが、こちらは完全なる時事対談。
初期の頃は細川の相手役は週替わりだったようですが、
小汀の出演回が多く、そのうちに完全固定となりました。

日経新聞社長だった小汀は貴族院議員でもあったかと思いますが、
ウィキペディアには記載が無いですね。なんでしょう?
公職追放を解除された昭和25年には日経新聞顧問になり、
更に国家公安委員に指名されてしばらく活動しました。
昭和30年代には評論家活動に入っており、31年に放送法審議会委員となっております。
つまり、テレビ局としては目の上の瘤のような存在だったかと思いますが、
そういう人物に好き放題言わせていたのですから、往時のテレビ人も骨が有りました。

主の細川隆元も難物でした。
朝日新聞試験採用第一期生となり、政治部記者から編集局長を経て、
戦後初の総選挙で社会党から立候補し当選。
次の選挙で落選して、昭和30年頃に政治評論家活動を宣言したところでした。
なぜ時事放談という番組が生まれ、細川隆元が抜擢されたかという事は、
現在のところワタクシは寡聞にして知る事が出来ません。
あれだけの長寿番組であったにも関わらず、あまり注目されない番種のためか、
これまでテレビ史の中でまともに扱われてこなかったのです。

番組内容としては、とにかくこの二人が時事に関して言いたい放題(苦笑)。
しかし苦情も多かったものの、快哉を叫ぶ人も多かったから長寿だったのでしょう。
昭和33年1月6日(月)には、新年だからか「時事放談特別番組」と称して、
夜の10時半から「おイヌ問答」という番組が放送され、
吉田茂とNHK『こんにゃく問答』で人気の金語楼が対談しました。
しかしかつての大宰相を前に金語楼は緊張の体で、コチコチ。
まったく「放談」とならなかったようです。
吉田が細川との対談を拒んだのでしょうか(笑)。

昭和35年5月1日放送では、小汀が「奈良の鹿を守る会に金を出すことをやめた」
と一方的に宣言。理由は何かと言えば、文書に「オジカ・メジカ」と書くべきを
「オスジカ・メスジカ」と書いてあったからだという、非情に馬鹿馬鹿しい話(笑)。
昭和36年10月22日放送では、津地裁が受刑者の読書や入浴制限を違憲とした判決を受け、
二人が「一部悪人の保護を尊重する最近の社会風潮は遺憾である」と発言(笑)。
これは感情的には同意できる人も多いでしょうが、
政治評論家の発言としてはあまりに言辞が幼稚と思います。
特に、入浴を人並みに認めるなどは、格別悪人保護でもないでしょう。

昭和38年7月21日放送では、時の河野一郎建設大臣邸が野村秋介らに焼き討ちされた事件で、
坪28万で50坪だからとか保険をかけてるから損はしてないとか、
挙げ句の果てには「焼け太り」という言葉まで使う始末。
ここまで来ると放談と言うよりも、呆談でしょう。
昭和39年10月25日放送では、16日に二人がベルリンの壁の前に立って録画した姿を放送。
24日に東京オリンピック閉会式が放送されたばかりで、
まだまだ世界が一つになる遠さを実感させました。この時イギリスの憲兵が、
マイクを持って歩く二人に質問してくる場面も有り、一瞬の緊張が走りました。

昭和45年の年が明けると、創価学会と公明党による言論出版弾圧問題をこの番組でも扱い、
細川は池田大作をこの番組に呼ぶと宣言しましたが、池田側が逃げたというか
承諾しなかったようで、どうも実現しなかったようですね。
丁度この頃から、小汀利得も往時のキレが無くなりつつあったようで、
特に2月15日の放送では、施政演説を擁護する発言をしたものの
細川の追求にほとんどまともに応えられず、勉強不足という批判が多数ありました。
そして6月14日に、その日の放送分に出演できないため、小汀の番組引退が新聞発表されました。
方や細川隆元の方は、昭和も末期の番組終了まで、丸々三十年以上も出続けました。

昭和45年6月14日放送からは、小汀の代わりとして斎藤栄三郎と、
先の言論出版妨害をされたという当事者である藤原弘達が交代で出演。
藤原は昭和39年から、しばらく『ニュースコープ』のキャスターを担当したり、
この頃はラジオ・テレビでTBSと非常に近しい関係でした。
昭和50年代まではバリバリに活動しており、池田大作・創価学会への剥き出しの敵意は
最後の最後まで健在で、テレビでもかなり過激な物言いで糾弾していたのを覚えております。
提供は勧業証券で、後に勧業角丸証券となってからも提供を再開しました。
途中からは永大産業やら日本生命などが主に加入しております。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
ミユキ野球教室の前に見てました
日曜の朝、隣の部屋で朝寝していた父が布団を上げずに入ったまま見ていた番組。幼い私は、いつもお爺さんが出てるから「じじ放談」と思い込んでいました。また、隆元さんはちゃんと名前を理解していましたが、相方の人はオバマリ・トクさんと覚えており、後年漢字を見て修正しました。永大産業はこの番組でしか提供しているのを知らなかったです。テーマソングは格調高い管楽器でしたね。
2014/08/22(金) 23:29:39 | URL | デュデュッピデュッパ・デュデュッピデュッパ
「ジジィ放談」だと思っていたな〜〜(^◇^;)
この番組は知ってますが。お子ちゃまの頃、「時事放談」でなくて…「ジジィ放談」だと思っていましたわ。
2014/08/24(日) 10:19:13 | URL | マスダっち1971
ジジとくれば
昔新聞のラジオ欄で伊東四朗の番組だったかに「ババ放談」って出てたのを見た記憶が(笑)
2014/08/24(日) 13:34:32 | URL | 鉄ドン
この番組の大まかな対談ペアの変遷はこんな感じでしょうか。
・細川隆元、週替りの対談者(開始当初のみ)
・細川、小汀利得(昭和33年〜45年6月)
・細川、齋藤栄三郎または藤原弘達(昭和45年6月〜49年4月)
・細川、藤原、土屋清、加藤寛(各人のうち2名ずつ交代、昭和49年4月〜62年3月)

おそらく小汀→齋藤→土屋・加藤は何れも出演当時は経済評論家として活動していたお歴々の面々ですので、最初期の細川の週替りの対談者も主に経済専門の記者や研究者を中心にしたキャスティングだったんでしょうね。

あと、いわゆる後期の「四人組」体制に関しては、この体制になって最初のうちはそれまで同様、細川が固定、後の3人が週替りという感じだったようですが、その後、細川が高齢になったことも配慮してなのか、昭和50年代の半ば(54年頃?)には細川も含めた4人のうち2名によるローテーション出演制の形となったようです(自分もかなり幼い頃ですが、藤原弘達・加藤寛の対談ペアは多少記憶にあります)。

その後、「時事放談」としての放送終了→「日曜放談」への改編で細川隆元も勇退。”若返り”
を計る意味合いから、上記4人組では一番年の若い(といっても大正15年生まれ、既にこの当時で61歳(笑))加藤寛のみを残し、そのほかは昭和生まれの各分野の論客を数人準レギュラーとして起用しての対談番組として5年間放送、平成4年に完全終了となった・・・という流れのようです。

ここでいう”若返り”の理由は多分日本テレビ系の「春夏秋冬」での昭和45年頃に行われた”若返り”とほぼ同義の”若返り”なんでしょうね。若返った・・・といっても新たに起用された論客何れも既に人生の折り返しは過ぎた(つまり50歳の大台を悠に超えた)人ばかりでしたし(笑)。
2014/08/26(火) 05:20:50 | URL | (ハンドル未記入)
● デュデュッピデュッパ・デュデュッピデュッパさん
とにかくこの番組と言えば、爺放談という揶揄でね(笑)。
オバマリ・トクさんは新しいかも。オダマリって印象だったんでしょうね(笑)。


● マスダっち1971
とにかくこの番組と言えば、爺放談という揶揄でね(笑)。


● 鉄ドンさん
そっちも有りましたか(苦笑)。


● 未記入さん
小汀さんは開始当初から、中心的な登場人物でしたけどね。
ほとんど隔週くらいの割りで出ていたような。
「放談」ですからねえ。やはり若い奴がやると、反発も更に多いでしょうからね。
2014/08/27(水) 07:12:55 | URL | ごいんきょ
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