私的 昭和テレビ大全集
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真珠の小箱 (1959)

真珠の小箱

只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、毎日テレビの歴史とその代表的紀行番組を振り返る、この番組です。






昭和26年9月1日、日本初の民間放送局第一声がラジオから流れました。
一つは愛知の中部日本放送。開始時間からは、こちらが正真正銘の第一声となります。
時間的にはやや遅れて正午からとなりましたが、大阪の新日本放送も、
同じ日から放送を開始しており、その事は遠く関東地方にも広告されました。
この新日本放送こそが、現在の毎日放送となります。
すなわち、日本初の民間放送局という歴史を誇る局でもあります。
塩野義製薬提供のペンギンタイムという番組が、この局での提供会社契約第一号です。
塩野義はペンギン鳥の練歯磨として、サンスター名で練歯磨を売り出しており、
その広告には必ずペンギンの漫画が添えられていたのです。

ペンギンタイムは、平岡照章による木琴演奏番組だったと言います。
そうした民間放送開局前に、塩野義は、このペンギンに関わるCMソングを公募。
時期から考えて、この番組のCMで流したのは間違い無いだろうと考えられます。
長い間、放送CMソング第一号は三木鶏郎作「僕はアマチュアカメラマン」とされてきたものの、
実は、この局で流された塩野義の「ペンギンさん」こそ、
CMソング第一号だろうという非常に有力な説があります。
毎日放送社史に記述されている、開局日に流された精工舎の時報メロディを
CMソング第一号とする考え方も有るようですが、それって「歌」ではないでしょう。
しかし、いずれにせよ新日本放送=毎日放送から流されているのは間違い無いのです。

そんな新日本放送の親会社は何処かというと、もちろん毎日新聞だったわけですが、
もう一つ、寺田合名会社という関東人にはまったく耳馴染みの無い会社との合同でした。
GHQが民間放送を許可、しかしながら不許可、更に許可と揺れ動く中、
日本全国でラジオ局の免許争奪戦が巻き起こり、どこも調整は難事業でした。
そのため、関西では当初一局の予定が二局となり、関西発の有力二大紙である
朝日新聞と毎日新聞がそれらを分け合い、更に他の申請者との合同となったわけです。
読売がテレビを始めるまで、朝日と毎日は新聞のみならず、
ラジオ放送でも不倶戴天の敵として張り合っていたわけなのですが。
しかし、新興・読売新聞が関東でテレビ局を始め、当然のように関西でも免許獲得の動きを見せた時、
敵の敵は味方とばかりに、この二社がテレビでは共闘したのですね。

それが関西初の民間テレビ局である大阪テレビだったわけですから、
厳密に言えば、MBSテレビもABCテレビも、前身は大阪テレビのはずなんです。
しかし、関西でのテレビ局が増える事になった時、朝日か毎日、
どちらかが大阪テレビとの合併という形を取る事になったのです。
そして一局だけが、独立した新局を作れるという事だったのですね。
テレビ放送という非常に先端的だった事をしていた人々は、
皆、独立した完全なる新局でやりたいというのが希望だったようですが、
結局は朝日放送が貧乏籤?のような合併となり、毎日は完全なる新局として独立しました。

とまあ、これが駆け足でのMBSテレビの成り立ちなのですが、
独立した際に毎日側は朝日への配慮も有るのでしょうが、完全に大阪テレビの過去を捨て、
社史でも大阪テレビ時代の事は、ほぼ完璧に無視されております。
こうした両社の押し付け合い(笑)から、今、大阪テレビ時代の資料が殆ど無いようですね。
それに危機感を持つ人々がネット上を軸にいろいろ活動して補っているようですが。
さて、独立したテレビ局となった毎日放送は、然し乍ら時勢の都合で、
読売テレビと共に準教育局としての免許となりました。
教育、教養番組を定められた一定量以上制作しなければならないわけです。

そんな出で立ちも有って、教養番組の範疇であるこの『真珠の小箱』が始まったわけです。
ちなみに、MBSの関東ネット局となったNETも教育局でしたので、
この様な番組は重宝したでしょうが、意外とこの番組がネットされたのは遅かったようです。
関西・毎日放送では開局当時の昭和34年3月から放送していたらしいですが、
関東・NETで始まったのは、おそらく昭和36年7月17日「斑鳩の里」からでしょう。
この時は毎週月曜夜10時45分から11時までの15分でした。
提供は御本家と同じく、近畿日本鉄道、近鉄。近鉄提供、真珠の小箱。
その後、曜日時間は日曜夜9時45分になったり、あちこち移動します。

内容としては、近鉄沿線、特に奈良・大和路を中心とした紀行番組でした。
新幹線開通前、今より遥かに遠かった関西の紀行を、
夜も更けて落ち着いた雰囲気の中で味わえるこの番組は、見た者には好評でした。
ただ、初期はまだ技術的な制約も大きく、ほとんどスライド写真で見せるだけだったので、
そこは物足りなさを感じさせてもいたのでした。
そして、藤岡謙二郎による解説が、早口だったり、余計な相槌が多いという不満も(笑)。
しかし、更に初期、おそらく関東ネット前の話でしょうが、写真すら無く、
スタジオに特産物を持ち込んで紹介するという内容だったようです。

金曜夜10時半なってからも、地味ながら堅実な人気を誇り、
この局、この時間で6%ほど視聴率を稼いでいたといいます。
昭和40年代に入ると日本人も少し余裕が出てきたか、一泊旅行する人も増えてきて、
それでこの番組の静かな人気に繋がっていたようなのです。
そして昭和40年代前後になると技術的な制約もほぼ無くなっていたのでしょう、
特別出演者が実際に現地を訪れ解説するという、いま普通に考える紀行番組となりました。
昭和44年4月25日放送「志摩を歩いて」では、作家・森村桂が答志島の漁村生活を紹介。

ただ、この頃には視聴率もかなり落ちていたようで、なんと、1%前後(苦笑)。
とは言え、基本的にこの番組は、視聴率はそれほど追求されておりませんでした。
教養番組として始まったという事はともかく、内容的には事実上、
全編が近鉄沿線紀行のPR番組、言ってみれば15分全部コマーシャル(笑)。
会社側はそうした意識も有ったので、それほど数字は追ってなかったのですね。
そして放送回数が増えるにつれ、また違った意義も加わってきて、
結果的には45年も続くという、長寿番組の代表のようにもなっておりました。
バッファローズの前には、プロ野球団名に「パール(真珠)ズ」と付けた近鉄。
そのバッファローズを手放さなければならなくなった年に、この番組も終わったのです。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
ありましたねぇ~!私の中学生のころ(もう少し前だったかも?)には日曜日の朝やっていた覚えあります。あの頃は朝、特に観るものも無く、やっているのをちらりとみてから、森田公一青春ベストテンを聞いたりしてました。
2014/09/05(金) 16:09:12 | URL | かむい
近鉄電車
 私、三重県で生まれ育ちました。三重で鉄道といえば「近鉄」です。
 そういえば、かつての近鉄電車の車内広告には自社の提供番組がドア横に掲載されていました。この番組MBS(関西広域圏)とCBC(中部広域圏)4ch左側と5ch右側に分けて記載されていました。
 近鉄沿線エリアのみならず、さらに小さくJNN系列で放送されているネット局が記載されていましたっけ。
2014/09/05(金) 23:54:20 | URL | nishiyan
● かむいさん
日曜朝がけっこう長くて、そちらで覚えている人は多いでしょうね。
森田公一青春ベストテンってのも、いいなあ。


● nishiyanさん
三重県・伊勢・志摩も奈良・大和路と共に主役でした。
考えてみたら、日本の原点みたいな土地柄ですよね。
紀行番組にこれだけ恵まれていた環境も無いです。
2014/09/06(土) 07:15:21 | URL | ごいんきょ
独立色が強かった大阪テレビ
朝日、毎日共に新局設立に拘ったのは、当初から大阪テレビの形態を過渡的なものと考えていた(大阪テレビ開局準備段階の頃に発行されたABC年報に「(大阪テレビとは別個の)朝日放送テレビの早期開局を期す」との一文があった模様)のに加え、開局後の大阪テレビが朝日、毎日どちらにも組みしない独自色が強い局に育っていった事も少なからず影響したかと思われます。

インターネット普及以前に大阪テレビとABCテレビ、MBSテレビ両局との関係について言及している著作は極少なくて、日本の都市学の嚆矢とされる出版物、大谷晃一氏の「大阪学」内でも「大阪テレビがABCとMBS両局に分裂」と、在阪民間放送の歴史を知らない人にはちょっと誤解され兼ねない一文で説明しているのみでして・・・・・、
ABC、MBS両局の歴史を多少知っていた当時の私でも余計訳分からんかったなぁ(汗)。
2014/09/06(土) 14:56:05 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
当初からそういう意識は有ったようですね。

大阪テレビに関しては、テレビ関連の資料でも本当に言及が少ないです。
如何にテレビが関東偏重かという事でもありましょうが、
関西の人々も触れなさすぎだったと思うんですよね。
2014/09/06(土) 21:20:49 | URL | ごいんきょ
ペンギン歯磨
塩野義製薬さんがサンスターペンギン歯磨き出していたのを知ったのがつい最近でしたね・・・(*^_^*)

昭和45年生まれの私は大阪生まれで小学校入る前の5歳くらいに父の転勤で千葉県に引っ越してきました。

確か・・・大阪にいた記憶でペンギン天気予報と言って氷山の上のペンギンさんが可愛くて見入ってしまった記憶があります・・・

スポンサーさんはもちろんサンスターでソルトサンスターと言って塩入歯磨きだったような・・・(。-`ω´-)
2014/09/20(土) 00:59:22 | URL | みけねこ
ペンギン天気予報ってありましたねぇ
ペンギン天気予報ってありましたねぇ。
確かABCだったかなぁ、氷山の上をトコトコ歩く(ドラえもん歩き)ペンギンの群れをバックに天気予報を流すってミニ番組。
時間は平日の夜9時前だったかなぁ。
2014/09/20(土) 09:25:18 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
おっと全国区だったんだ
おっと既に取り上げていたんですね。
サンスター天気予報
http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-230.html
関西だけでは無く、全国的に流れていたのを始めて知りました(汗)。
2014/09/20(土) 09:34:49 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● みけねこさん
ペンギン天気予報って言ってたかな。
こちらではもっとズバリ、「サンスター天気予報」と言ってたような(笑)。
内容は同じ感じですね。


● TXさん
ワタクシが書いたのは「サンスター天気予報」で(笑)、
時間は夕方でしたね、こちらでは。
2014/09/23(火) 23:27:50 | URL | ごいんきょ
カルチャーショックでした。
こんにちは。
今は亡き上方・大阪郊外の吹田千里地区にあったmbsの放送文化館には、『真珠の小箱』の第1回からの放送内容を羅列したパネルがあって、記念すべき放送第1回(1959年3月6日OA)は、「奈良・東大寺(二月堂)のお水取り」でしたけど、実際にお水取りを見に行ったさい、私は『真珠の小箱』のことを思い出したりしたものです。
さて、私は生まれてから高校卒業までずっと首都圏にて生まれ育ち、小学生のとき日曜の朝8時にTBSテレビを視てたら、ビスタカー(現在のビスタEX)が颯爽と快走する近鉄電車のTVCMと、メイン番組の『真珠の小箱』を視るなり、今までは乗り物の本や雑誌、果ては学研の『○年の学習』でしか知らなかったビスタカーが動いてる姿は、モノ凄くカルチャーショックだったのを憶えてます。
その後、私はかねてより憧れてた念願の関西へ引っ越しをし、およそ10数年にわたり近鉄電車の沿線に住んでましたけど、近鉄電車にてお出かけをする際には、時間あれば『真珠の小箱』を視てから行ったものです。
なお、近鉄電車の沿線案内の月刊『近鉄ニュース』には、『真珠の小箱』の放送予定案内が掲載され、近鉄電車に於いても同じく中吊り広告で、『真珠の小箱』の今月の放送予定案内があったのを、未だに忘れられません。
その後、生まれ故郷に戻り今に至るものの、首都圏のJRや一部の大手私鉄などにて、近鉄電車の沿線案内ポスターや中吊り広告を見かけたりすると、かの『真珠の小箱』がなくなっても、こうやってキャンペーンしてるのだなと思ったりするものの、日本一の大私鉄・近畿日本鉄道ゆえ、TVCMを介してキャンペーンを張れば、もっともっとイイのではないかな?と考えたりしますけど、いかがなものでしょうか。
さいごに長文となりましたけど、私はこの辺にて失礼させていただきます。
2015/04/26(日) 15:37:32 | URL | みやのこ
シオノギのコマーシャル
「真珠の小箱」に直接関係なくて申し訳ないのですが、かの有名なサンスターのペンギンのコマーシャルにつき一言。

私があの「氷のお山で澄まし顔…」というコマーシャル・ソングを初めて聞いたのは、忘れもしない「アラカザンの魔法」というアメリカの手品番組で、その提供がやはりシオノギ製薬でした。この番組は今ではまず、記憶している方は稀だと思いますし、私も番組内容についてはほとんど忘れているのですが、「アラカザン、ヘイ、アラカザン、ヘイ、これからはじまる大魔術…おへそもびっくり宙返り」という日本製?のテーマソングは、メロディともに記憶しています。

放送時期については、ずっと1960年前後と思い込んでいたのですが、改めて後年調みて、ようやく64年4月の項に見つけました。TBSで水曜の夜7:30からの30分番組で「コンバット」の前の時間帯、ナレーションはフランキー堺でした。スレ違い失礼します。
2016/03/05(土) 00:10:48 | URL | 権兵衛
● みやのこさん
非常に詳しいお話、真にありがとうございます。
ここまで真珠の小箱ファンの方も少ないでしょう。
色々、ワタクシなどでは調べようも無い情報が満載で助かりました。
真珠の小箱みたいな番組は、もう企業も提供する気無いでしょうね。

● 権兵衛さん
アラカザンの魔法ですか。初耳です。
たしかに貴重なお話でした。
サンスター天気予報のスレもございますよ。
上部中央検索窓をご利用下さい。
2016/03/05(土) 18:57:14 | URL | ごいんきょ
懐かしい
東京でも長らく放送していて、近鉄特急のCMがカッコ良かった記憶があります。かつて、吉祥寺に近鉄百貨店もあって、食品売り場は見たことのない、行ったことのない土地の物あって、わくわくしたのを覚えています。近鉄がバファローと名を変えたのは、当時の監督千葉茂の“猛牛”という名のちなんだそうです。近鉄のこの番組も、吉祥寺の百貨店も、球団も、懐かしい昭和の香りがします。
2017/02/12(日) 15:53:23 | URL | もも
なんだか懐かしい名前のような気がしますが。
過去、「もも」さん名義で書いてくれた人は二人いるのですが、
三人目の「もも」さんでしょうか。

あ。吉祥寺に近鉄百貨店あったんですか。やはり関東にも有ったのですね。

バッファローズはそうですね。その前はパールズですもんね。
迫力無いですよね(笑)。
「真珠」が近鉄の代名詞だったのかな、そう言えば。
2017/02/19(日) 12:49:24 | URL | ごいんきょ
近鉄百貨店
ももさん
お久しぶりです。

吉祥寺の近鉄百貨店!懐かしいです。
吉祥寺に開店して割とすぐに近鉄バッファローズが優勝した気がするのですが。
優勝セールに行って、バッファローズの赤いロゴの入ったガラスの灰皿を記念にもらいました。
記念品が灰皿というのも昭和の香りですね。
2017/02/19(日) 17:52:13 | URL | モデラート
そういえば
何年もここに来ていないかも知れません。
何番目のももかなぁ?
モデラートさん、覚えていてくださって光栄です(^_^)v
2017/02/19(日) 23:15:47 | URL | もも
おぅ、なんと、元祖のももさんでしたか。
モデラートさん、流石の眼力。

そうかなとは思っていたのですが、もし違ったらガッカリ感が強いので、一応は確認しておこうと。
正に再び来る者 涙して迎えるの心境です。

以前に比べて更新頻度は落ちてますが、気が向いたらいつでもいらして下さい。
2017/02/26(日) 20:01:39 | URL | ごいんきょ
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