私的 昭和テレビ大全集
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金曜夜席 (1965)

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『金曜夜席』と書いて「きんようよせ」と読むんですよね。
その名の通り、金曜夜の10時半からの45分と、当時としては深夜番組とも言える時間帯。
但し、プロレス中継との隔週交代放送でした。ですから、提供は三菱電機だったはず。
夜遅くという事で、大人向けを意識した作りで、落語では艶話なども披露し、
大喜利では「赤線復活」とかのネタも繰り出すという具合でした。
この番組が日曜夕方にそのまま移って『笑点』となったのですが、
今の笑点と表向きには全く同じですが、そういう部分が今では有り得ない点でした。

最初の部分は今の笑点と同じで、落語や漫才などの演し物。
続いて、『笑点』でもしばらくは続いていた、立川談志によるインタビューコーナーで、
第一回の特別出演者は柳亭痴楽でした。他では聞かないような話まで聞くという売りで、
聞かれる方は最初に、「どんな質問に対しても正直に答える事を誓います」と宣誓。
そして最後が今でもお馴染みの大喜利で、座布団を重ねる形は談志の考案とされ、
一目で答えの優劣が判るテレビ向けの演出は流石でした。
この大喜利部分も談志の司会で、それは『笑点』の初期まで続くのですが、
実は最初の3回だけは、三遊亭円楽が担当しておりました。

ところが円楽は、TBS『テレビ笑科大学』での紅白旗の上げ下げを
くだらないと断ったような難物(笑)。
ここでの司会も何か気に食わなかったのか、最初のわずか3回だけで終わりました。
本人が語っていたところでは、終わり何秒前なんて合図を出されても、
喋っている人を途中でやめさせる訳にはいかない。
そんな神経を使うような事は出来ないという事だったようです。
それで大喜利出演者の方に回る事になったのですが、
それはこれだけ人数がいれば、一人くらい喋らなくてもいいだろうと思ってでした。

昭和40年7月2日放送の大喜利では、対談で出た都家かつ枝の事を、
「あの人は元やり手ばばあ」と称する者がいるなど、
談志が先導していたであろう路線が少々感じられます。
尤も、司会の談志は「言っていい事と悪い事が有る」と抑え役だったようですが。
また、けっこう卑猥な話も有ったりしたようで、大人路線を強く意識してたんですね。
この時代のこの時間帯で、こうした洒落た感じの寄席番組は贅沢な感じですが、
時代的にそうした黒い感じや猥雑さが批判の対象でも有ったようです。

それでなのかどうか、12月16日には年末という事で、
談志が、何か意義の有る事をしようと言ってチャリティー・ショーを提案すると、
これには異議の有る者のいようはずもなく決定しました。
出演者それぞれが、噺家ならではのちょっとした物を持ち寄って、
最後の十分ほどで、客席まで入り込んで買って貰おうという算段でした。
収録が収まらない時は、放送終了後までも売り続けるという予定でしたが、
日本テレビお抱えの読売ホールでの収録だから時間も気にしないで良かったのでしょう。
その総売上と、出演者の出演料を全額寄付という形でした。

それはそうですよね。
素人のお客さんにお金を出して戴いて、自分達の出演料は懐になんて、
正常な人間だったら出来るはずが有りませんもの。
まさかそんな「チャリティー・ショー」なんて、この世に存在しないとは思いますが。
それでお金を取ったら、ソイツらが稼ぐためにチャリティーの名前を利用している事に。
後にいろいろテレビでもチャリティーショーやってますけど、
ああしたものも当然、CM出稿料とか全額寄付されているはずです。
出演者は勿論、局も広告代理店も、とても美しく尊い行為をされていると思います。

ま、皮肉はこのくらいにしておいて(笑)、この当時の出演者は、
談志と円楽を除いては、皆まだ二つ目という若手揃い。
従って出演料全額とは言ってもそう多くはないという話でしたが、
彼らは出演料全額を寄付したそうです。裏の話までは知りませんが(笑)。
でも談志とか円楽の気性を考えれば、きっと本当だったのでしょう。
ちなみに他の大喜利出演者は、柳亭小痴楽、桂歌丸、柳家きん平、林家こん平。
チャリティーに関しては、特別出演の柳家三亀松、更には固定出演者の師匠、
柳亭痴楽、桂米丸、林家三平といった面々も出演して、寄付を行ったようです。

この頃の大喜利はどんな感じの出題だったかというと、
ほとんど談志が考えていたようですが、紙に簡単な線を書いて何に見えるとか、
廃物利用の方法、お歳暮には誰に何を持って行くかといった感じの、
出題そのものは割と単純なものだったようです。
そして番組最後には、特別出演していた人間の感想が「影の声」として
場内に流されましたが、予め録音していたんだろというのがバレバレの、
内容とチグハグな言葉が多かったようです(笑)。
ま、特別出演者は出番が終わったらすぐに帰ってたんでしょうから、
きっと大喜利まで見ていたはずがありませんものね(笑)。

『金曜夜席』としての最終回が、昭和41年4月22日の放送でした。
そして翌々日の24日午後六時、大喜利出演者だった柳家きん平が、
雨の中レインコート姿で、京浜東北線へ飛び込み自殺をしてしまうのです。
彼は『おトラさん』で有名な漫画家の、西川辰美の実弟でもありました。
この番組の終了後、笑点にも出る予定は有ったはずですが、理由はよく判りません。
番組の方は、この時間帯で20%という実績を引っ提げ、日曜夕方に「昇格」となり、
それが『笑点』の始まりで、今にまで続いて相変わらず人気なのですからねえ。
立川談志が作り上げたこの形が、いかにテレビ向きだったかでしょう。
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この記事へ寄せられたコメント
談志師匠曰く
談志師匠曰く不毛の地と言われた深夜帯の番組企画を頼まれて、一つは殿方様が好きなバー・キャバレー風のセットでバニーガールがキャスターの傍らにたむろしているニュースショー番組(奥様向けのニュースショーがあるなら、殿方向けのニュースショーがあっても良いじゃないか的な発想の様ですけど)と後に11PMに化けて具体化した企画を、もう一つは落語じゃ途中でCMが入ってしまうから大喜利をやればと、こちらは談志師匠持ち込み企画の金曜夜席→笑点として具体化した企画を考えたという話ですけどね。


2015/04/19(日) 04:01:58 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
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