私的 昭和テレビ大全集
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九ちゃん! (1965)

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『光子の窓』『あなたとよしえ』『夜をあなたに』といったスタジオ・バラエティで、
日本のテレビ史上に残る作品を次々産み出した傑物・井原高忠。
その彼が、『ペリー・コモ・ショー』『エド・サリバン・ショー』の担当を経て、
公開バラエティー・ショーを作る事を思い立ったと。
井原が自称するには、それが日本初の公開バラエティだという事ですが、
その前にもそう呼べる物は有ると思うのですが。

ただまあ、この番組から始まった事は確かに色々有って、
「バミる」と呼ばれる位置取りとか、ワイヤレスマイクなんてのもそのようですし、
複数作家を呼び寄せ、彼らに幾つもの案を出させていいとこ取りするというのも、
この番組から彼が始めた事で、それは後に『ゲバゲバ90分』で突き詰められますが。
その時に呼ばれた作家が、井上ひさし、城悠輔、河野洋、山崎忠昭、中原弓彦(小林信彦)
という面々で、井原が言うには、「ギャラも普通なら高くなってしまうんですが、
作家の皆さんに泣いて戴いて」との事でしたが、後に小林信彦が記したところでは、
相当な額だった、との事です。

井原高忠という人は、アメリカ式ショービジネスを徹底的に研究した人で、
おそらく古今の日本のテレビ人で、唯一、それを理解していた人だとワタクシは思います。
従って、出演者は勿論の事、バックダンサーや頭脳の部分にもお金をかける。
お金をかけないと本当にいい物は出来づらいと理解していたのでしょう。
更には照明、効果といった隅々まで気を使い、それらの達人を重用した。
まあワタクシのようないい加減魔なら気が狂うほど緻密な構成を、
毎週毎週、自らが先頭に立ってやっていた人物でした。

それだけの仕事ぶりなので、手掛けた仕事の本数自体はそれほど多くない。
その代わり、一作一作の凝縮ぶりが物凄いのです。
そんな彼が、『夜をあなたに』以来なのかな、久しぶりに手掛けるショー番組として、
公開バラエティショーを選び、その中心に坂本九を持ってきたのが、この番組です。
題名もそのまま、『九ちゃん!』。
冒頭、会場全体で『九ちゃーん!』と大声で呼ぶと、現れた坂本九が、
「ア、結構だネ」と軽く返して始まるという出だしでした。

この「結構だネ」は番組中の決め文句で、「結構だネ音頭」なんてのも作られましたし、
毎週毎週の副題が、「~~、結構だネ」という形になってました。
「結構だネ」音頭の他に、ジェンカもこの番組で踊られ、それは会場の人間が参加して、
何百人という列となって会場狭しと伸し歩くという壮観な図でした。
歌詞では「レッツ・キッス」が本当なのですが、子供達も参加するという事で、
番組中では「レッツ・キック」と歌っていたのですね。

たしかに足を蹴り上げますから、その方が無難だったと思いますが。
あの頃、特に子供が集まる所では往々にしてこのジェンカが踊られ、
ワタクシは確かに、「レッツ・キッス、頬寄せて」「唇を重ねよう」
などと歌われているのが物凄く恥ずかしかったです。
水前寺清子の「365歩のマーチ」なんか、3歩進んで2歩下がるというのは、
このジェンカの踊りから閃いた気がしますけどね。こちらは下がって進んでますけど。

子供と言えば、昭和41年7月30日より、チビッ子トリオがホステス役で登場。
真ん中の桑原友美は『パパのおくりもの』でデビューして、
この後の『ジャイアント ロボ』で多くに知られる子役。
そして一番上は、中一当時の小林幸子でした。
それから、セント・バーナード犬の「ビッグ・サム」が固定出演していた頃も有ります。
井原は犬が好きなのか、『光子の窓』でも犬プレゼントを毎週していましたし、
彼が指揮した『うわさのチャンネル』にも大きなムク犬が出てました。

番組は好評だったようで、昭和40年から43年までも続き、
末期には青島幸男が作家兼出演者として関わっておりますね。
昭和43年8月31日は桃太郎を元にしたコメディー・ドラマ仕立てで、
青島幸男が書いたものを青島が主演という、ホストを差し置いて何してる感が(笑)。
あのビッグ・サム君、犬ですら、本来なら坂本九をも上回ろうかという出演料を、
主役より高いというのはどうもと、「適正価格」にしてくれていたのに(笑)。

ゲストも非常に豪華で、勝新太郎が座頭市をやった事も有るんですね。
ところがこの際、勝が例によって没頭してしまい、リハーサルが押してしまった。
迫る本番に周りみんながハラハラする中、坂本九は、
「僕はどんなに偉くなってもこんなに人に迷惑はかけたくない」と、
珍しく非常に怒っていたという事ですが。
末期にはザ・テンプターズらGSの連中も出るようになるのですが、
彼らは多忙のため、その部分だけ別の録画による放送となってました。
公開ショー番組という形式も、末期には全うできなかったのですね。

井原高忠という人は、有り体に言えば完全主義者、ワタクシはもう一歩進めて
「完全無欠主義者」と呼んでますが、とにかく決め通りにやる人。
遅刻は絶対に許さないし、アドリブも御法度。
この原則に従わない者は、坂本九であろうが絶頂のコント55号であろうが、
容赦なく怒鳴り飛ばされました。
だからでしょうけどワタクシは、子供の頃は彼の番組に熱中はできなかった。
ゲバゲバなんかもそうですけど、あまりにキッチリキッチリしてるんですね。

しかし、大人となって見返すと、ようやく本当の面白さが、
あの馬鹿馬鹿しさが理解できるのです。
大の大人が、それも皆一流の者たちが、他愛もないコントに全霊をかけて、
物凄い手間と労力とお金を使っていてね。
ゲバゲバなんか、それが5秒とかで終わるんだから。
なんという馬鹿馬鹿しさ(笑)。

本当に良い物というのは、それなりの眼が無いと理解できない。
例の勝新入魂のドラマ『座頭市』を見たってね、あの緻密な画造りに
どれだけの人間が気付いて、感動できるかとなると、かなり怪しいし。
そういう一流の作り手である井原の仕事は、かなり面倒で大変であったはずですが、
一流の人間はそうしたものを非常に評価しております。
藤村俊二、伊東四朗といった芸達者は、井原に過酷な期待をされ、
しかしそれに応えようと懸命に芸を磨き、成長していったのですね。

萩本欽一は、この番組の打ち合わせを見学に行き、集団作家制を知って、
後に自身でもパジャマ党なる集団を作る事となります。
そして出演を依頼されて、いつもの通りアドリブでこなそうとしたら、
井原に頭ごなしに怒鳴られたと(笑)。
でも井原は完全な番組を作るために複数作家を導入し、それなりの金を払い、
余裕を持って台本を渡せる体制にしていた訳で、覚えてこいという話なんですね。

彼は他人に過酷なプロぶりを要求していたけれども、
誰よりも彼自身が過酷なプロぶりだったから、誰も文句を言えない。
現場入りは誰よりも早く、全体を見回して構図を入念に調べ、
構成にしてもその緻密さは、とても一夜漬けでない事は一目瞭然。
そうして萩本欽一も、井原高忠を猛烈に好きになって、
『ゲバゲバ90分』出演、『スター誕生!』の司会へと繋がっていくわけです。

萩本が言ってますけどね、井原はもっといるべきだったと。
彼は50そこそこで日本テレビを辞めちゃって、日本でのテレビ番組制作から外れます。
ああした厳しい制作者がいたら、今のテレビももう少し違ったんじゃないかとね。
今はみんな優しいけど、厳しい人がいた方がバランスがいいだろうと。
ワタクシもそんな事を思っていたのですが、よく考えてみたら、
彼があの頃にテレビから離れたのは、もう見えていたんでしょうね。
日本のテレビはこれからどんどん駄目になるという事が。
実際、彼本来の番組造りは、少し前からちょっと不可能になっていたでしょう。

井原高忠が死んだという事は、日本のテレビが死んだという事。
ワタクシは敢えて、そう記したい。
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この記事へ寄せられたコメント
貴重な映像
先日、浜田光男さんのカムバック第1作の映画、君は恋人 という作品を見ていたら、この番組のシーンがありました。この映画用に取り直したのか、TVと一緒なのか解りませんが貴重なカラー映像でした。まぁ少なくとも全員集合までは、バラエティー番組に金と時間は掛けてましたね!ひょうきん族以降はバラエティー 擬きですね。今、バラエティーで良いとしたらま秘密の県民showや笑ってこらえてくらいですかね・・・・
2014/09/16(火) 14:02:57 | URL | かむい
ジェンカ
ジェンカ、皆で踊って、楽しかったですね。

小林幸子さんたちが出演したのは、途中からだったんですね。私が見たころは、もう、出演しました。

井原さんのバラエテイショー番組、この年代以降は、だいたい見ています。
2014/09/16(火) 16:18:06 | URL | たかちゃん
● かむいさん
らしいですねえ。
おそらく映画用に撮ったと思うのですが。
ちなみに放送は、カラー化の希望も有りましたが白黒でしたね。


● たかちゃんさん
1000人超の会場で、「さあ、みんなジェンカを踊りましょう、いらっしゃい」と九ちゃんが呼ぶと、
壇上に百人以上が集まってくるんですよね。
それが壇上だけでなく、舞台下まで降りて会場を練り歩くというカーニバル状態。
2014/09/17(水) 20:27:18 | URL | ごいんきょ
流れで見てましたが
土曜の夜7時から「黄金バット」あるいは「少年武田信玄?(だったと思う)」を見て、その流れで7時半から、「九ちゃん」見てましたね。中身ほとんど覚えてないのですが、最後の金魚のフン状態(失礼)のジェンカの映像は記憶に残ってますね。
 でも、はっきりいって好きじゃなかった。なんせ、運動会で何がいやかって、お遊戯ほど嫌なものは無かったモンタナなもんで。特に小3で踊った「小旗のパレード」は大大大っきらいでした。そのときだけ練習した曲でしたが、今でも半分くらい歌えちゃいますから。すいません、それました。
2014/09/17(水) 23:18:57 | URL | みのモンタナ
ジェンカは楽しかったのですが、歌詞が嫌でね。
永六輔さんですよね。
この番組と関係無いし、井原さんとは絶縁状態だったのですが(笑)、
坂本九ちゃんとの繋がりで、本当に軽くですが、この番組とも関わりが有ったらしいです。
2014/09/19(金) 07:11:54 | URL | ごいんきょ
確か井原さんだったかなぁ
確か井原さんが何処かで仰った事で
「アメリカのテレビと言っても、大きくニューヨーク発とロサンジェルス発と2つの違いがあってね。ニューヨークは舞台演出の影響を強く受けていて舞台的なのに対して、ロサンジェルスはハリウッドがあるからか映画的なんだよね。」とか。
アメリカ各都市の都市文化等の違いまで意識して研究していた人なんて、恐らく日本では、この人以外にはいらっしゃらないでしょうし、少なくともその手の話を聞いた事なんてありませんね。
2014/09/20(土) 09:47:41 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
井原さんはなんでも徹底していてね。
ミュージカルを研究すると言っても、そのメモの膨大さと緻密さには、見たら唸りますよ。
しかも徹底的に解析して、法則を発見したんですね。
有名なアメリカのミュージカルは、構成に法則性がきちんと有って、
それに則って作っていると。
歌の割合とか順番とかですね。
それを30分なら30分の番組に当て嵌めて制作していたという事なのです。
口先だけで偉ぶっていたわけではなくて、俺はここまで考えてきてるんだから、
ちょっと現場で見ただけで「こうしたら」とか軽く言うなという絶大なる自負が有るんですね。
2014/09/23(火) 23:34:42 | URL | ごいんきょ
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