私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -



土曜洋画劇場 (1966) → 日曜洋画劇場 (1967)

該当番組画像募集


映画番組というのは、なかなか定着しなかったのですよね、テレビでは。
理由は幾つも考えられるのですが、一番大きかったのはやはり、
映画会社がなかなか人気作や名作をテレビに解放しなかった事でしょうか。
尤も、邦画はその様な締め付けが厳しかったものの、
国内での競合が少ない洋画会社としては、テレビでもなんでも
過去作でお金を貰えれば万々歳というのは有ったでしょうから、
割と早くから色々放送されてはおりました。
中でも、当ブログ昭和30年代特集で扱った『テレビ名画座』と『日曜ロードショー』は、
テレビ史的に重要な番組だったと言えましょう。

『テレビ名画座』は、劇場映画がテレビ番組としても充分商売になる事を実証しました。
『日曜ロードショー』は、初めて夜の8時という黄金時間帯に90分もの長時間で
映画番組を始めた枠で、しかも昭和37年にしてカラー放送でした。
声優の吹き替えを俳優によって固定したのも、その枠が最初です。
しかし、後続のTBSなどでは、作品によって俳優が同じでも声優が違うという事が有り、
この辺は視聴者からも苦情が有ったものです。
これは、吹き替え版の制作を別々の制作会社に依頼していたからで、
声優の統一を指示していなかったために起きた事でした。

テレビ対映画の勢力意識も決着が概ね付いた昭和41年秋、
東映を親会社のように頂いていたNETが、愈々本格的な映画番組枠を設置します。
火曜の『火曜映画劇場』と、土曜の『土曜洋画劇場』。
東映のドル箱である大川橋蔵や中村錦之助の作品を放出したのも大きな事でしたが、
テレビ史全体から眺めると、洋画劇場の方がはるかに大きい存在となったのでした。
NETというのはテレビ朝日の前身で、一応は教育テレビ局という建前でしたから、
娯楽番組の制作が弱かった、と言うか、あまり自由に出来ない面が有りましたし、
そもそも最後発局なので、金銭面から技術面から、制作能力も弱かったのです。

しかし、自局制作の力が弱い分、外部の力を利用して、『ララミー牧場』『ローハイド』
といった西部劇の一大ブームを起こし、「外画のNET」という通り名も有りました。
その「外画のNET」が、昭和41年10月から「MMライン」と呼ばれる
女性(ミス&ミセス)を明確に標的とした編成方針を打ち出し、
第一弾として放ったのが、この『土曜洋画劇場』でした。
当時としてはネットワーク事情や視聴習慣から敬遠されていた2時間枠を、
日本で初めて実現させた番組でもあるのですね。
ただ、日曜ロードショーよりもかなり後の番組であるにも関わらず、白黒番組でした。
非力だったNETは、まだまだカラー化まで幾分の時を要しました。

第一回放送は「裸足の伯爵夫人」で、提供会社はシチズン、ミツワ石鹸、
パイロット万年筆、そしてネッスル日本の4社でした。
以後、「山河遥かなり」「チャンピオン」「子鹿物語」「三銃士」「荒馬と女」と続きます。
解説には、『ララミー牧場』で「西部こぼれ話」を語っていた淀川長治が起用され、
その流れで、この土曜洋画劇場時代の解説は、「こぼれ話」と称しておりました。
しかし、初期には淀川の解説は、必ずしも好評とは言い難いもの。
特に初期には映画番組の大衆化がまだ実現されておらず、
いわゆる映画通な人々の意見が眼についたものです。

テレビ名画座や日曜ロードショーの昔から有った、映画通の指摘としては、
カットが多い、日本語だと興醒め、字幕で見たいというのが有りましたが、
この番組では主題曲が違う、題名が違うという指摘も見受けられました。
題名は判りやすいように、公開時題から少しだけ弄ったりした場合も有り、
主題曲や劇中曲を替えたのは、元の音楽が解らなかったのか入手できなかったのか、
或いは著作権上の許可を得る事が出来なかったとか、そういう事なのでしょう。
何度か別の映画の主題曲を流した事が有り、知らない人は良かったのでしょうが、
映画通からしたら、これはあるまじき事だったかと思いますね。

功績としては、声優のスターシステムを確立させた事が有ります。
日本テレビの日曜ロードショーでもそれは意識されていたのですが、
なかなか浸透していなかったのを、この番組で再度、決まった俳優は決まった声優に固定しました。
その主立った顔触れは以下の通り。
ゲーリー・クーパー=黒沢良、ジョン・ウェイン=小林昭二、ジャン・ギャバン=森山周一郎、
ソフィア・ローレン=今井和子、クラーク・ゲーブル=納谷悟朗、ハンフリー・ボガード=久米明、
ブリジット・バルドー=小原乃梨子、バート・ランカスター=久松保夫、
ウイリアム・ホールデン=羽佐間道夫、グレゴリー・ペック=城達也、ケーリー・グラント=田口計、
マリリン・モンロー=向井真理子、オードリー・ヘップバーン=池田昌子 等々。

昭和42年4月から日曜に移行し『日曜洋画劇場』となって、以後なんと40年以上も親しまれました。
けれども当初は、土曜の夜にゆっくり見られたものを、日曜の11時までではキツイという苦情と、
土曜枠への復帰要望が結構な数寄せられていたのです。
しかし、局側はどのような事情か、完全無視(笑)。
たまに見た時には、なんか最後まで見た疲労感が有りましたね、昭和40年代中頃までは。
この時からようやく番組のカラー化が実現したため、制作費が跳ね上がったんでしょうね。
それで枠移動して提供会社も替え、レナウン、サントリー、松下電器という広告業界の超お得意様
大企業がズラリ並ぶ事になった中、ネッスル日本だけが土曜から引き続き提供し続けました。

カラー化『日曜洋画劇場』第一弾は、スタンリー・クレイマー監督「誇りと情熱」でした。
昭和40年代中頃から、恐らく最も馴染みの深そうな万華鏡の始まりになりましたが、
あれはなんか夢が有って良かったですね。音楽も良かった。
昭和45年4月、バート・ランカスター主演の「大列車作戦」より、
2時間を超える映画でも場合によって時間を延長して、ノーカットで放送するようになりました。
バート・ランカスターはこの枠で最も平均視聴率を稼いでいた俳優で、
それで彼の作品を第一弾としたのでしょう。

我が父は邦画は全盛期によく見ていたようですが、洋画という柄ではなく、
従ってテレビでも洋画、外国テレビ映画はほとんど興味を持ちませんでした。
しかもこの番組は、貴重な日曜の夜、一週間の始まりの前日という大事な日の、
当時としては深夜というような時間まで二時間も見る事になるため、
ほとんどチャンネルを合わせる事は無かったですね。
それでもネスカフェのCMとか間違い無くこの番組で見ていたので、
ワタクシが大きくなってからか、或いは何か有名作の時には見たのでしょう。
「アムステルダムの朝は早い」 どこの朝かて早いねんちゅーて(笑)。

締めの音楽は、開始当初から「ソー・イン・ラブ」だったようですね。
あれも日曜深夜まで見終わった後の疲労感を増幅させたなあ(笑)。
淀川長治の解説も、当初は色々と言われた事も有りましたが、
長年続くうちには、彼が日本の映画解説の権威のようにまでなり、
番組最後に「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と三度挨拶されるまで、
この番組を見ずにいられなくなっていた人が多いでしょう。
日曜洋画劇場は、サヨナラと言われるまでが番組です(笑)。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
名作の数々
我が家では初回から観たと思います。
名作の数々に母が「若いころ観た映画だわ!」と大喜びしていました。
第二回の「「山河遥かなり」、涙を流しているのを親に見られたら恥ずかしいと思いながら、そっと母の顔を見たら母も泣いていました。
四作目の「仔鹿物語」も家族で泣きました(笑)。
本当に沢山の名作の数々を観ることができました。

エンディングの曲は私にとっては映画の余韻を増幅させました。
大抵、終わったらすぐに布団に入るのですが、最後のテーマ曲が耳に残ったまま映画のラストシーンを思い浮かべたりして、なかなか寝付けないことがありました。
「何がジェーンに起こったか?」を観た後は本当に眠れなくなりました。

姉があのテーマ曲を「ラフマニノフのピアノコンチェルト風だね」と言ったのに、私は当分の間、本当にラフマニノフの曲と思い込んでいました。

淀川さんの通好みの解説もとても楽しく、初めのうちは家族で「なるほど」とか「そういう意味だったのね」みたいな感じで聞いていましたが、段々映画を観ながら、淀川さんがこの場面の話をするのではないかとか、皆で予想したりしました。

「ニューヨークの朝はネスカフェで始まる。」
という映画の一シーンのような映像のCMを覚えています。
映画の雰囲気を壊さないようにCMを製作していると何かに書いてあったような。
ニューヨーカーはインスタントコーヒーは飲まないでしょというのが我が家の定番のツッコミでした。
2014/09/24(水) 20:06:02 | URL | モデラート
まさに父が
 好きな番組でした。
 ただ、一度見た作品のときは日テレの時代劇→知られざる世界を見ていたと記憶してます。
 オープニングと淀川さんの解説部分、締めの「さよなら、さよなら、さよなら」しか記憶にありませんが(^_^;)、今考えると贅沢な番組だったんだなぁ~と感じます。
 我が家は当時民放すべての映画番組を見ていたと思います。
 月曜のTBSに始まり、水曜→金曜の日テレ、金曜→土曜のフジ、最後にこの番組という感じでした。
 つい先週日テレで「猿の惑星」の2011年版を放送してましたが、やっぱり熱心に見ていて、父の映画好きは健在のようです。
 そういう私、映画に興味はないものの、洋画と言えば「猿の惑星」と「ローズマリーの赤ちゃん」がなぜか思い浮かびます。
2014/09/25(木) 23:57:28 | URL | 北国の人
● モデラートさん
土曜の初回からの記憶が有る人は、なかなか貴重でしょう。
やはりモデラートさんのお母さんとなると、かなりお洒落な人だったんだろうなあ。
うちの親父は、『日本映画名作劇場』の時にそういう反応でしたが。
00
二人とも洋画なんてまったく柄じゃない(笑)。
NETの「MMライン」が見事に図に当たった訳ですねえ。
ああ、ラフマニノフね、はいはい。
楽器の使い方がそんな感じですよね。
空気感の出し方というか。
まあ知らない人ですが(笑)。
「ニューヨークの朝」と「アムステルダムの朝」と、どちらが先だったかな。
あ、洋画の雰囲気を壊さないようにというのは、レナウンとかサントリーもそうだったかと思います。
元々サントリーはそういう作り方が好きだったですがね。


● 北国さん
『桃太郎侍』ですか(笑)。
映画番組が弱くなったのって、長時間ドラマが当たり前になったからというのも大きそうな。
2014/09/28(日) 09:11:26 | URL | ごいんきょ
アランドロンのダーバン
のcmが流れた番組というのはこれがもしかして唯一なのかも
cmの最後の彼のセリフは恐らく母国フランス語らしく「ダーバン大人のエレガンス」という意味だそうである

ちなみにbgmの作曲はワンサカ娘と同じく全て亜星氏だそうでありこれも運命の悪戯なのかも
2014/10/05(日) 15:08:24 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
あ、じゃあ、あのCMを見たかどうかで、この番組を見たかどうかが判るのですね。
ならば、見ました、やはり(笑)。
「ダーバンセレレゴン、ドゥラモデル」とか言うんですよね。
かなり流行りました、当時。
ま、大方テキトー仏語でしたが(笑)。

んー。レナウンと言えば小林亜星さん。
なぜ運命の悪戯なのかがよくわかりませんが(笑)。
2014/10/06(月) 07:18:21 | URL | ごいんきょ
広川太一郎のターバン
 私は土曜の方は知りませんが、日曜の方は見ていました。ダーバン、唯一だったんですか。
 母やその友人たちは『仔鹿物語』を映画館で見たらしく、「クロード・ジャーマン!」「ジュニアよ」という討ち入りの合い言葉みたいな会話を時々していました。『仔鹿物語』は昭和50年ごろ(±5年?)にテレビで見た覚えがあります。
 洋画劇場とは関係ありませんが、昭和50年ごろか少し前、画面にターバンを巻いた男が映り
「ターバン、しゃれてガンス、どんな、もんだん」と広川太一郎の声が流れるTVCM がありました。丸井? パルコかもしれません。
2014/10/06(月) 13:52:02 | URL | あぶもんもん
広川さんのは覚えてないな。
有った気もしますが。CMでしたっけ?
2014/10/06(月) 22:46:46 | URL | ごいんきょ
 映画にのめりこむきっかけ
日曜洋画劇場10周年記念で放映された「サウンド・オブ・ミュージック」を見たのは中学3年のときでした。
ともだちにすごくいい映画だからぜひ見てとすすめられて、めったに11時なんていう時間まで起きていることのなかったよいこの私は、終わった後あまりの感動と心地よい疲労感になかなか寝つけなかったのを覚えています。

「サウンド・オブ・ミュージック」の
つぎのほうえいが
2015/09/23(水) 22:36:45 | URL | あんみつ
すみません
また投稿しなおします
恥ずかしい
2015/09/23(水) 22:39:27 | URL | あんみつ
つづき

「サウンド・オブ・ミュージック」の次の放映がゴールデン洋画劇場であって、その時はラジカセで音声をとり、画面をカメラで写しと今聞くとわらっちゃいますよね。

あの頃ロードショーをちょこちょこ観に行けるほど潤沢なおこづかいのない私の楽しみは、各局のテレビの洋画劇場でした。
2015/09/23(水) 22:56:45 | URL | あんみつ
ターバンのCM
ターバンのCMは、当時、週刊TVガイドのCMで、当時放送していた外タレCMのパロディというシリーズがあって、その中の一つかもしれません。

あるいは、パルコ関係だとしたら、当時、パルコの関連の出版社が発行していた「ビックリハウス」という雑誌のCMで、やはり有名なCMのパロディ(こちらは外タレCMに限りません)のシリーズがあって、その中の一つかもしれません。

ちなみに、パルコ本体のCMは、広川太一郎がナレーションをやってましたが、ビックリハウスのCMは、ビックリハウスのスタッフのお遊び的なCMで、作りも素人っぽい(あるいは、わざと素人っぽくしている)ものでした。

すいません。前の投稿は、途中でまちがえて送信をさわってしまったもので、途中で送信されてしまいました。

よかったら、前の書きかけのほうは消して下さい。
m(__)m

2015/09/24(木) 05:09:38 | URL | 10000k
● あんみつさん
サウンド・オブ・ミュージックは反則ですよねえ。
あれだけの画面と歌で構成されたら。
ラジカセまでは多くの人がやったと思いますが、
カメラで画面写真までのこしていた人がいたなんて、
YouTube時代になって驚いた事の一つです。
そして、そういう人が残した画像が、阿呆なテレビ人が残せなかった当時の映像情報として、博物館級に貴重な今日なのです。


● 10000kさん
あー、状況が一致するので、パルコCMらしいですかね。
2015/10/04(日) 15:14:26 | URL | ごいんきょ
泣ける
あの頃は録音するのも大変でした。
ラジカセをテレビにくっつけて録音という原始的なやりかたなので、家族の声がはいってしまったり、そこで文句を言うと墓穴をほってしまうので、忍耐あるのみでした。

カメラも今のデジカメならいざ知らず
24枚撮りのフィルム一本をどこの場面で撮ろうかと、配分がたいへんでした。

サウンド・オブ・ミュージックつながりで、ジュリー・アンドリュースディナーショーとだけ書かれたカセットテープがでてきました。
例の原始的なとりかたで、TBSで放送したもので確かにジュリーのショー、司会の男性はソフトな声で通訳までしている・・・そこまではわかりました。
検索に検索を重ねてやっとトップスターショーという番組だと判明、1977年帝国ホテルで行われた(当時8万円の!!)ショーの放送でした。
二谷英明さんが司会で、あんなすばらしいステージを1時間放送してたんですねー

トップスターショーはTBSチャンネルでたまに再放送されているので、映像は残っているとおもうのですが、いろいろむずかしいでしょうね。
2015/10/16(金) 17:04:22 | URL | あんみつ
お。耐えましたか。
ワタクシはしっかり、自分の声まで残しましたよ(笑)。
でも2ちゃんで誰か書いてましたが、更に年月が経つと、
その家族や自分の声の方が、近親者にとってお宝になったりね。

トップスターショーは映像残ってるのかなあ。
残してないとおかしいですよね。
ぜひCSで放送して欲しいですが。
2015/10/18(日) 13:16:49 | URL | ごいんきょ
ついに番組そのものがサヨナラ、サヨナラ
既に「サンデーステーション」(日曜午後9時)と
「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(同10時)が
この時間帯で始まることが報じられていますが、
今日行われた4月改変説明会で改めて終了が発表されたようです。

「日曜洋画だと日曜にしか編成できなくなる」というのが
困るらしく、映画は今後特番扱いとなるようです。
2017/03/07(火) 23:35:45 | URL | くろねき
しくじり先生なんて、そんなに種つん者がいるんですかね(笑)。
映画はもう、テレビで見るような時代じゃないですよね。
特に民放では、CMが致命的です。
2017/03/12(日) 17:52:56 | URL | ごいんきょ
> CMが致命的
先日、そのテレビ朝日で深夜に「言の葉の庭」(「君の名は」で話題の新海誠監督作品)を
放映してましたが、なんとノーカット・ノーCM
(一応サントリー提供ではあったらしい)で、ツイッターで絶賛されてましたね。
地上波でもやればできるじゃないの、と。
まぁ週末の午前3時台だからできたんでしょうけどね。

一方同じアニメ映画でも、ゴールデンで近々の話題作を放映した
お台場某局は、エンディングに余計な演出を加えてしまい…
よりによって権利に煩い、あの鼠社作品。下手したら始末悪いぞ~?
2017/03/12(日) 19:33:46 | URL | くろねき
昭和時代だと、ソニーがβ普及のために名画劇場やって、あれも素晴らしい企画でしたけど。
サントリーねえ。ウヰスキーもどきは許せないけど(笑)、
そうやって稼いだ金を文化方面ではよく使っているからなあ。

アナ雪のエンディングに独自性を出したらしいですが、
テレビならではのものを模索するというのも有りだと思うんですよね。
ワタクシは劇場で見ましたし、そこまで拘るなら映画館行けばという気もしますが。
本編を弄ったら問題ですけどね(笑)。

勿論、ネズミーの許可は取っているはずですよ。
2017/03/12(日) 19:46:40 | URL | ごいんきょ
エンディングの解けぬ謎
どうも年を取ると、記憶が混濁して混ざり込んでしまうのが悩みの種です。「日曜洋画劇場」のエンディングも、コール・ポーターの'So In Love'はもちろんはっきり記憶していますが、ひょっとして一時期浮気して、「アパートの鍵貸します」の主題曲を使っていた時期はなかったでしょうかね。それとも、あれは別の局の、月曜か火曜か水曜か木曜か金曜か土曜かのいずれかの洋画劇場だったのでしょうか。

まあ、勝手に謎だと思い込んでいるだけかも知れないのですが(笑)。

また、これは恐らく永遠に解けない謎と覚悟しているのですが、確かに記憶では、「虎の谷」(1966年。「シャイアン」のクリント・ウォーカーと「わんぱくデニス」のジェイ・ノースが父子を演じたインド冒険活劇)のテーマをエンディングに使っていた洋画劇場があったように思います。それが、You-tube、 Wikipediaその他、あらゆる検索を試みても分かりません。この作品もとうに忘れ去られ、したがって、テーマ曲をご記憶の方ももう誰一人この世にはおられないでしょうから(また笑)、もう確かめる術はないでしょうがね。それとも、当の映画をどこかで単発放送した際に、ついでにエンディングにそのテーマを使ったに過ぎないのを、定番のテーマと勘違いしたままなのか。それなら納得できるのですが。不思議なことに、この「虎の谷」、淀川センセイの解説で見た覚えがあるので、ますます混乱してきます。

2017/04/06(木) 03:52:39 | URL | 権兵衛
確かにEDに相応しい曲なので、何かの番組で使っていたのかもしれませんね。

虎の谷とか、よく出て来ますねえ(苦笑)。
これもED曲に相応しいので、何かで使っていたのかもしれません。
淀川さんは映画ミニ番組もやっていたので、そういう物の可能性も。
2017/04/23(日) 20:45:14 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ