私的 昭和テレビ大全集
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世界は笑う! (1968)

該当番組画像募集


♪ ドンストドンでゴーッゴーッ
  スッタモンダでゴーッゴーッ
  ドンストドンでゴーッゴーッ
  スッタモンダでゴーッゴーッ
  垂れ目と小っこい目で
  ドンストドンで 逃げろーっ!
  か弱い男に生まれたもんだ
  生きてくだけで焦っちゃう
  旨い話にゃ縁が無い
  「あ、ソンなら」
  大きな世界へ 飛びだ~~~~~~~~そ~う~


垂れ目と小っこい目というのが当初の55号の売りだったんですよね。
後に自然消滅のようになってからも萩本は垂れ目を売りにしてましたけど、
坂上は俳優活動が増えたからか、あまり小っこい目の事は言わなくなりました。
最後の「飛びだそう」の所で思い切り伸ばすのが、
歌手志望だった坂上の見せ所だったんですけど、
掛け合いで歌うこの主題歌、坂上と萩本の、あまりにも極端な歌唱力の差が(笑)。
カラー化の遅れていたフジテレビでは最初の方に類するカラー番組で、
公開収録番組としては初めてのものになるのかな。

それだからか、この当時のカラー収録番組としては非常に珍しく、
一部だとは思いますがビデオも残っているようです。
フジテレビ系列のアジアビジョンという所が開発した新兵器を用い、
カラー写真を舞台いっぱいに引き伸ばして、55号が世界を股に掛けるという設定でした。
この新兵器、「NECO」と呼ばれた代物。今だとCS局の名称になってしまいますが。
昭和43年は、コント55号が一躍大人気となった年で、
前田武彦と揃って出世作となった『お昼のゴールデンショー』が4月に始まり、
そして7月からのこの『世界は笑う』という連打で、一気に人気が過熱しました。

第一回は、55号がどうせならデッカクやろうとアメリカへ飛び出し、
ニューヨーク、コロラド、ネバダなどを歴訪するという趣向。
前述のNECOが活躍したのでしょうが、そうして背景を見て、
萩本が例の如くにやいのやいのと突っ込みを入れながらやってたんでしょうね。
でも、そんな設定は本当に初期だけのものだった気が。
すぐに、ごく普通の公開バラエティーショーになったと思うんですよね。
なにしろこの番組での記憶は、コント55号のコントしか無いです(笑)。
ゲストが歌を歌ったり、他の人たちが演し物をやったりもしていたはずなのですが、
たしか番組最後の15分くらいでしょうけど、二人が見せるコントだけがお楽しみでした。

例の「忘れもしない13年前!」というコントも、非常によく覚えてます。
かれこれ50年前ですが、忘れもしません(笑)。
あれはコント55号のデビューコントみたいな物で、萩本欽一が、
立ち会い演説会をやっているうちに机の脚が取れて、弁当売りになっちゃう
というコントを考えて舞台でやろうと思い、坂上二郎に話しているうちに、
それ二人でやった方がいいよと坂上が持ちかけた事によって55号が出来たと。
それまでは二人は同業でむしろ潰してやろうくらいに張り合っていたのが、
最もお互いを補強する存在となって売れたのですから、面白いものです。

そんな具合で、コント55号の作家として岩城未知男の名前も有名になりましたが、
実質的にはほとんど萩本の意向でコントは練り上げられていたのですね。
特に昭和44年8月2日放送は、55回記念として55号が出ずっぱりという売り。
という事は、他の回では55号の出演場面は限られていたという事でもありますな。
とにかく、その回では特に、「作・構成 萩本欽一」と新聞でも告知されました。
後に秋房子として自分の番組構成を掌握する萩本の、記念すべき回かもしれません。
番組提供は、花王石鹸とサントリー。
この二社が組み合わされての提供という番組、結構多いんですけど、好みが似てたんでしょうか。

フジテレビのプロデューサー常田久仁子は、元々がお笑いとは全く関係が無い部署だったのが
『お昼のゴールデンショー』を受け持つ事となり、萩本との関係もそこから。
おそらく萩本の持つアイドル性に目を付けたのでしょう、外見から立ち居振る舞いから、
数々の助言を萩本にして、見事にお笑いアイドルに仕立て上げたのでした。
但し、彼女はお笑いに関しては全くの門外漢。いや門外女。
だから、こと笑いに関する事にはまったく言葉を挟まず、
専門家としての萩本に全幅の信頼を寄せて任せていたという事です。
フジの萩本関連の番組は、ほぼ全て彼女がやってましたね。

吉田拓郎の「青春の詞」の中でも「欽ちゃ~ん」という叫声が描写されたほどの、
時代を象徴するような人気者とまでなった55号の凋落は、
時代を象徴していたが故に、早かった。
昭和45年には、出演番組の視聴率が軒並み下落し、二桁も稼げなくなりました。
なにしろ異常な数の露出でしたし、摩滅するのも早かった。
この番組に関して言えば、裏番組に怪物『8時だョ!全員集合』が始まりましたしね。
しかし、昭和46年頃から萩本欽一は個人として輝きを取り戻し、
後にこの枠に『欽ちゃんのドンとやってみよう』を引っ提げて復帰。
一時とは言え、見事にドリフに一矢報いたので有ります。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
アフリカでぃ アラスカでぃ 水虫飛んだ インド人
 毎週、見ていました。
 放映が始まる前から番宣を見てワクワク楽しみにしてました。
 番宣はアニメーションで、55号が地球のどこかに漂着して「ここはどこだ?」と訊くと土人が出てきて「アフリカでい」。次に白熊だったかエスキモーだったかが出てきて「アラスカでぃ」。交互に言い合うのでワケが分からなくなりますが、そのうちにどちらも55号を食べようとしていることに気がついて二人が遠近法を使って画面の中心へワ〜〜ッと逃げて行き、土人と白熊(エスキモー?)も二人を追って小さくなって消えて行く、というものでした。記憶がだいぶ不正確ですが。背景も無いシンプルな線だけのアニメーションだったと思います。私は当時まだアラスカという地名を知りませんでしたが、番宣は釘づけで見てました。

 たしかこの番組だったと思うんですが、水虫の歌のコントを覚えています。欽ちゃんがデタラメな歌を歌って聞かせてジロさんにその通り歌えと言う。「ちがーう。もういっぺん歌うからよく聞いてろ」と言って、微妙に違う歌を歌っていじめるというコントでした。ドンパン節みたいなメロディーで
♪山に登れば水虫飛んだ トンボだ水虫 下駄履いた
二回目は
♪山に登れば水虫飛んだ トンボだタヌキだ 水虫 下駄だ
てな具合でした。私は当時まだ水虫と下駄の関係は理解していませんでしたが、いつでもどこでも愛唱してました。

 一度、欽ちゃんのパンツが客席に見えたらしい事件がありました。
 ターバンを巻いた欽ちゃんがインチキなヨガをって見せる。で、舞台の前の方で坐禅を組むんですが、その時に何かが見えたらしい。客席から女性客のキャ〜という笑いが聞こえ、あわてて画面を見たときはすでに遅く、欽ちゃんが客席に向かってリアクションしていいるところでした。なぜ見逃したかと言うと、愚かにも欽ちゃんの真似をして坐禅を組もうとしていたんです。
 この番組、本放送とかぶる時期に、昼間に再放送がありました。
 そしてついに、欽ちゃんの股間を見逃した回がやって来ました。私は本放送の進行を頭に叩き込んであったので、見るべきタイミングは完璧に分かっていました。
 しかし! また坐禅を組むのに夢中になってしまったんです。ハッと画面を見たら、前回と同じタイミングでした。なんてバカな子でしょう。
 あのとき何が見えたのか、いまだにわかりません。
2014/10/12(日) 23:35:50 | URL | あぶもんもん
書き忘れました
 オープニングだったか、番宣だったか忘れましたが、二人の顔写真が画面に並んで、掛け合いで
欽ちゃん「コント55号の」
ジロさん「世界は笑う」
二人「ワハハハハハハハ」(写真が小刻みに左右に傾く)
というのがありました。
2014/10/12(日) 23:41:13 | URL | あぶもんもん
因果はまわる
あぶもんもんさんへ、何とその歌はレコード化されてました!タイトルは[山に登れば]といい、欽ちゃんの弟子の小堺さんと関根さんのやっていた深夜ラジオ番組コサキン無理やり100%(以降コサキン)では良く掛かっていました。歌詞はこんなのでした                  山に~登れば水虫踏んだ~       オケラが~鉄砲持って水浴びして~た それみ~てカエルが~わらぁっていたぁ 踏んだらぺっちゃんこ~踏んだらぺっちゃんこ~                この番組は見たこと無いのですが、これがドリフターズだ と言う本によると元々、ドリフターズがTBSの火曜日のゴールデンのレギュラーが急遽打ち切りになりその後その時間帯のレギュラーを勤めていたのが55号であり、世界は笑うの同時間帯にドリフターズを持ってきたのはやはり、打倒55号もあったのでしょうが、その時のお返しの意味合いもあったのでしょうね(局としては)但し今度は数年後逆襲にあうとはこの時は思いもよらなかったでしょうね。
2014/10/13(月) 00:40:56 | URL | かむい
コサキンの中では
あまり関係ないですが、コサキンの中では、欽ちゃんの山に登ればの他にラジオ版の欽ドンのテーマソング[今がチャンス]や坂上二郎さんの歌(デーゲームが多かったです)も良く流してましたね!
2014/10/13(月) 00:47:48 | URL | カムイ
● あぶさん
番宣情報はかなり貴重ですね。
しかし人喰い土人とは、映像が見つかっても今のテレビでは流せないなあ(笑)。
ああ、歌の節を少し替えながら苛めるというのもよく使ってましたね。
でも水虫の歌は覚えてないや。
欽ちゃんの御パンチラには全く興味無いです(苦笑)。
大きな顔写真が出るのは、たしかOPだったと思うんですよね。
そうそう。そんな感じで始まっていたかと。
だから『なんでそうなるの』の時も、何かしら既視感が有ったんですよね。


● かむいさん
「山に登れば」はラジオ欽ドンでもよく投稿者がレコード大作戦で使って、
欽ちゃんが苦笑いしておりました(笑)。
あれって元々はこの番組で派生した歌だったのか。
かなり貴重な情報でしたねえ。
TBS火曜19時半ね。トクホン枠。
そうそう。ドリフから55号が奪った枠ですが、ワタクシはドリフ時代は見てなかったな。
その頃のドリフはまだまだ弱かったんでしょう。
「今がチャンス」なんて歌が初期欽ドン!エンディングだなんて知りませんでした。
2014/10/13(月) 12:29:16 | URL | ごいんきょ
>かむいさん
 またまた貴重な情報をありがとうございます!
 ネット時代のおかげで、というよりこの『私的昭和テレビ大全集』のおかげで、一人では死ぬまで知らないままだったようなことがどんどんわかって嬉しいです。
 レコードになったり他の番組で歌われたりしてたとは全然知りませんでした。いつかヨーツベにも出るかもしれませんね。しかし、書いてくださった歌詞だと私はメロディーに当てはめられないんですが、たぶん私が聞いたのは番組の中でのアドリブだったんでしょうね。

>ごいんきょさん
 そうなんです。番宣はキャラのせいで二度と見られそうにないのが残念です。長短、2バージョンあったのを思い出しました。上に書いたのはロングバージョン。もう少しくわしく書くと、まず55号の二人がカヌー(?)を漕いで登場。遠近法で画面の中心から大きくなってくるのか、それとも画面の右から漕いで来たのかは忘れました。土人と白熊(エスキモー?)は無言だったかもしれません。(土人は意味不明の土人語だったかも。) で、土人を見た55号の一人が「アフリカでぃ」、次に白熊(エスキモー?)を見てもう一人が「アラスカでぃ」(2〜3回繰り返す)となるのだったかも知れません。
 短いバージョンは、いきなり「アフリカでぃ」「アラスカでぃ」から始まっていて、最後は同じでした。
2014/10/13(月) 13:42:46 | URL | あぶもんもん
花王とサントリー
花王とサントリーというと、「ザ・ガードマン」や、料理天国の末期(サントリーの一社提供じゃなくなった頃)を思いだします。
2014/10/24(金) 00:40:34 | URL | 10000k
花王とサントリーって、わりと組んでいる番組多いのかな。
おそらく広告代理店との関係が大きいのでしょう。
2014/10/24(金) 23:01:31 | URL | ごいんきょ
トクホのお茶
サントリーと花王といえば、今は、トクホのお茶で競合してますね(花王=ヘルシア、サントリー=特茶)。
2015/12/19(土) 13:58:30 | URL | 10000k
今やほとんどの大企業で、いろんな事やってますからね。
2015/12/20(日) 10:42:19 | URL | ごいんきょ
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