私的 昭和テレビ大全集
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ハットピンキー! (1970)

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♪ 何処へ行くんだピンキー 教えておくれよピンキー
  そんなに気取ってないでさ 何処へ行くんだい
  あの汽車に乗ろう あの汽車に乗れば
  涙という名の町に着く それでも口笛吹きながら


建設中の高層建築鉄骨を背に新宿西口広場を闊歩するピンキーとキラーズ。
昭和43年から44年にかけて『恋の季節』がいきなり馬鹿売れし、
初お目見え早々に子供・若者を虜にした、いずみたくの秘蔵っ子集団。
いずみたくは三木鶏郎門下を出発点としただけに放送音楽を数多く手掛けており、
勢い、その門下生たちも放送用音楽に関わる事が非常に多かった。
先輩格の佐良直美がいきなり注目を浴びた「世界は二人のために」は、
明治アルファチョコレートのCMソングを出自としておりましたし、
その後も数多くのテレビ主題歌を担当しておりました。

ピンキラもその伝から漏れず、シングル二曲目、三曲目がテレビ主題歌。
その後もCM曲やテレビ主題歌を幾つも担当し、
レコード化された物も非常に多かったのですが、
冒頭の、この番組の主題歌「ピンキーどこへ行く」は、
LPには収められてはいるものの、シングルにはなっておりません。
それはともかく、子供を含む若者に人気が有ったピンキラは、
当時のテレビ屋たちが血眼になって担ぎ出そうとしていた存在。

その第一弾とも言うべき、同じTBSのドラマ『青空にとび出せ!』は、
彼らの日程の問題などで上手く作り込めず、成功したとは言い難いもの。
今回は、歌唱力の有るピンキラの良さを活かせそうな、
音楽バラエティーと呼ぶべき番組でした。提供は、コカコーラとハウス食品。
ところが放送第一回の「新宿無宿の巻」が放送された昭和45年3月31日夜7時、
真裏のフジテレビ『夜のゴールデンショー』の最終回にも、
ピンキーとキラーズが出演しているのでありました。

現今のテレビ界では絶対に有り得ない掟破りですが、当時でもかなり厳しいはず。
どうせ最終回だからという事なのか、それでもこちらは第一回なわけだし、
こちらは期待の新番組とは言え、あちらは生放送だしと、
ファンはどちらを見るか迷ったのではないでしょうか。
どちらかが放送予定が狂ったのか、事務所側の不手際か、その辺は謎です。
さて第一回、「ピンキーの新宿無宿の巻」と副題が紙芝居で出されると、
子供達が「見るべし!」と叫ぶのですね。「べし」はこの番組で多用されました。

ところが紙芝居屋の熱演虚しく、ピンキラが『恋の季節』を歌い出すと、
子供達はみんなそちらに向かってしまうのでした。
そこへ無法者として、リッキーと360ポンドがオートバイで登場。
お目見え曲の『ワッハッハ』の流れる中、悪逆の限りを尽くすのでありました。
既にキラーズがやられた中、立ち上がったピンキーが無法者を駆逐するのでした。
しかし、彼らもただではやられず、次はトラックまで駆り出して大物を呼んできた。
「大物登場」という字幕で登場したのは、和田アキ子。たしかに大男。

ショベルカーに乗った和田が『笑って許して』を歌い終えると、ついにピンキーと対決。
この決闘はピンキーが勝つものの、無法者たちのダンプに轢かれ、ぺちゃんこに。
葬儀には友人代表として佐良直美が参列し、「いいじゃないの幸せならば」が流れる。
但しここは替え歌になっておりました。
♪ あの時あなたとラーメン食べて あの時あなたに払わせたあたし
  けちな女だと人は言うけれど いいじゃないの貯金ができりゃ
  明日はあなたに借りたお金を 明日は返そうと思ったあたし
  返しなさいよと人は言うけれど いいじゃないの あなたがいなけりゃ

浮かれた佐良が踊り出すと(笑)、参列者もみな踊り出してしまう。
それどころか棺桶を破って、ピンキーまでもが踊りに加わるという図。
こんな具合で、ピンキラや特別出演者たちが歌を披露する番組ではあるものの、
その発表方法はかなり仕掛けが施されていて、また、替え歌も多用されました。
この第一回は新宿西口中央公園で、建設中の高層ビル鉄骨を背景にやりましたが、
毎回毎回ピンキラが様々な場所で歌い踊るという、ミュージカルショーバラエティー。
動きの部分は漫画で表現し、説明の部分は「音楽イラスト」と称した文字で表現。
ピンキラファンの中核を成す子供層を大きく意識した番組作りと同時に、
予算低減の工夫もされての手法だったのでしょう(笑)。

それと言うのもこの番組、テレビマンユニオンという制作会社の、第一号番組だったのであります。
全編を通しているドラマ仕立ての演出、随所に有る斬新な表現など、いかにもでした。
テレビマンユニオンとは、70年安保騒乱当時の世相を反映してと申しますか、
それ以前の60年安保当時から、やや反体制的な匂いの強かったTBSという局が、
更により以上にそれが強かった一部制作者の動きを抑えきれず、
労使問題なども絡んで大量退職に至った案件から生じた集団という感じです。
テレビ番組制作がかなり労力と物量を要するようになり、
テレビ局による番組制作も難しくなり始めていた折で、番組制作会社への制作移行が起き始めた年でした。

TBSは、木下恵介、テレパック、そしてこのテレビマンユニオンと提携する事になり、
ユニオン側は40名ものTBS退職と交換条件に、中継車一台の無償供与を承諾させたのでした。
スタジオを持たぬ新参制作集団による第一弾が、この中継車を活用した、
『ハットピンキー』だったという事なのです。
大阪労音でいずみたくの企画を手伝っていた矢崎泰久と宝官正章から
テレビマンユニオンの構想について聞き及んだいずみたくは、
彼らに共鳴し、業務提携と歌手優先出演の申し入れを行ったのでした。

宝官正章はTBSからテレビマンユニオンの一人ですが、矢崎泰久は雑誌「話の特集」編集長。
こんな流れで。プロデューサーは宝官が務め、矢崎泰久ともう一人、
やはり大阪労音でのいずみたく集団の一人だった藤田敏雄が構成を担当。
藤田は冒頭主題歌の作詞もしております。
矢崎泰久は麻雀でも「達人」と異名を取った豪の者で、麻雀雑誌でも連載を持ち、
その交遊録では、宝官正章の名もよく出てきておりました。
その文に拠れば、宝官もおよそ玄人はだしの雀豪と見受けましたが、
二人ともタイトル戦のような花相撲には登場せず、ひたすら本場所に打ち込んでいたようです。
何が本場所かというのは、官憲の目も有るから大っぴらに賭博行為については書けませんけど(笑)。
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