私的 昭和テレビ大全集
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フランダースの犬 (1975)

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小学校低学年の頃、ワタクシは生涯で一番、文学を読んでおりました。
勿論、児童文学ではありますが、中でも「ピノキオ」は、
自分でも意識しないうちに、何度も何度も繰り返し読んでいたものです。
そんな時期に、「フランダースの犬」も読みました。
何故あれを読む事になったのかわかりませんが、おそらく父の同僚のおばさんが、
わりと教育熱心な人だったので買ってくれた物ではないかと思うのですが。
今では虚構の物語を読むのは時間の無駄という気がして、
漫画以外では読まなくなってしまったワタクシも、
幼少時の健全な知識欲は旺盛だったようで、こちらもきちんと隅々まで読みました。

はじめの言葉の部分で、お話には全てが上手く行って終わる
ハッピーエンドのものが有りますが、このお話はハッピーエンドではありません、
と書いてあったのが心に引っ掛かりました。
はじめにの部分で結末を匂わせるというのも妙な話ですが、
あまりにあまりの結末なので、子供に対する衝撃感を少しでも和らげようという配慮でしょう。
読みながらずっと、ハッピーエンドでないという事は、どう終わるのだろう
という事が気に掛かっておりましたが、まさかあんな形でとは、
まだ子供だった当時には、はじめにを読んだ後でも想像の埒外でした。
泣いたかどうかは覚えていませんが、多分、呆気にとられたというか、
驚きの方が大きかったような気がします。

ここでは散々書いておりますが、ワタクシは泣きの娯楽が好きではありません。
これは生来の性分によるものでしょう。
ところがこの作品は、とにかく読者を泣かそう泣かそうと、
ご都合主義の限りを尽くして主人公を追い込んでいく(笑)。
まして主人公は幼い少年だもの。可哀想感は弥増し。
ワタクシに言わせれば卑怯なんですよね、創作者として(笑)。
あまりに有名な作品なので、詳しい話は要らないかなとも思いますが、
ザッと書きますと、ベルギーはアントワープを舞台にした、
少年ネロと愛犬パトラッシュの友情の物語。
ザッと過ぎるけど、どうせみんな知ってるでしょ(笑)。

とまあ、これだけこの作品が有名だったのは、実はこの当時は、
世界で日本だけだったようなのですね。
本が出版されたイギリスでも、舞台となっているベルギーでも、
その頃にはみんなに忘れ去られていて、誰も知らない作品だったという。
しかし、このテレビ漫画化で日本で飛躍的に知っている人間が増えたため、
少し後に日本の景気が良くなった時分、ベルギーを訪れる日本人が、
舞台となったのはどこかという質問をやたらするようになり、
とうとう現地の熱意有る人が色々と尽力して特定したり、
更にはネロとパトラッシュの銅像まで造られるまで至ったのでした。

無垢な魂が最後に天に召されるというのは、キリスト教徒はよく描く結末。
ワタクシのような無道の人間からしたら、憤りのみしか感じないのですけど。
ま、宗教は理屈ではないから、理屈で説いても無意味なのですがね。
だから多くの日本人はあれを悲劇と捉えるのでしょうし、
だからこそ先に紹介したような前書きとなっていたのでしょうけど、
キリスト教徒にとっては、あれは幸福に至る序章の終わりという事なのでしょう。
現世でも救いが全く無い訳でもなく、ネロの純粋さは最終的に理解されますし、
ネロは憧れのルーベンスの絵を見る事が出来て、幸福感の中で旅立つという。
なんだか、これを書いているうちにまたムカムカしてきましたけど(笑)、

で、そんな作品ですので、本放送当時は見る気にもなりませんでした。
そうでなくとも、『ムーミン』終了後は、ちょうど子供番組から離れる頃合いだったので、
この枠、フジ日曜7時半のカルピス劇場にチャンネルを合わせる事は二度と有りませんでした。
翌年に『サザエさん』のようにアンコール名作劇場として夜7時台に再放送されましたが、
そちらも見ず、おそらくワタクシは名場面みたいなものしか見た事無いですね、テレビ版は。
それで検索して違和感を持ったのが、ネロの純真さが理解されるという部分。
原作ではそんな開放感は無かったと思ったら、やはりテレビ版の勝手な捏造でした(笑)。
原作ではネロの行為が評価される事も無く、ネロは静かに眠るのです。
だからこそ、ムカムカ感が募るというね。
そうなのだ。ワタクシにとってこの作品は、悲劇ではなく怒劇だったのです(笑)。
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この記事へ寄せられたコメント
滅びの美学
この作品が、とりわけ日本で好まれている背景には、他人からは評価されることなく失意のうちに死んでいくという主人公の姿に共感するという「滅びの美学」を感じさせるから、とは多くの専門家が分析するところです。
なるほど、立身出世物語を何より好むごいんきょのような人には嫌われるわけだ。

それで思い出したのですが、閉店間際の商店や、廃止間際の路線などが、その最後の日に向けて賑わいを見せるというのも、ある意味滅びの美学を好む国民性がなせる業なのでしょう。
私など、こうしたニュースを聞くたびに、「今頃になってあわてて利用するくらいなら、何故普段から利用してあげなかった?そうすれば無くなる事もなかったろうに」と毎度腹立たしい気持ちになってしまうのです。
2014/11/25(火) 15:45:13 | URL | うみがめ
うーん、どうなんだろうなあ。
もしそうだとすると、やはり日本人の宗教観と当時のカトリック的宗教観の違いが大きそうな。
だって、ネロは失意のうちに死んだ訳ではないですからね。
その辺は原作を読むと、ハッキリとわかるのですが。

ルーベンスの絵を奇跡的に見る事が出来たという歓びが、非常に大きいんですよね、ネロにとって。
彼は満足しながら死んでいて、そこに他者への恨みも、恵まれなかった事への不満も、一片も無いのです。
ワタクシが思いますに、そういう姿が武士道的審美眼と合致したのではないかと思いますがね。

閉店セールとかは、たしかに一抹の何かも感じますけど、
かと言って最後に閉店セールを大々的にぶったのに誰も振り向いてくれないより、
格段に情けある姿だとは思うんですよね。
もしそうなったら、それこそ失意のうちに閉店となってしまいます(笑)。
2014/11/26(水) 06:24:13 | URL | ごいんきょ
原作本も持ってました
ちょうどアニメ版放送当時に母が「フランダースの犬」の原作本を買ってくれて読んでました。
ハンスとかいういじわるじいさんがなんか嫌いでした。

原作者のクレジットがテレビではウィーダではなく本名のルイズ・ド・ラ・ラメーでしたね。

ちなみに翻訳者は「赤毛のアン」と同じ村岡花子さんです。
2015/10/08(木) 19:04:31 | URL | よーこぶー
原作者名は意外な情報でした。

村岡さんもクリスチャンですからね。
この原作は、敬虔なクリスチャンが読めば悲劇ではないはずなんです。
ネロは最後、神が与えてくれた奇跡としか思えない描写でルーベンスの絵を見られ、
歓びの中で天に召されるのですから。
カルピスの社長もクリスチャンだったという事で、殊にテレビ版の最後には、
社長の意向が反映されているという事です。
即ち、あの死は敗北ではなく、天国への凱旋なのだという事ですね。

ワタクシのような無道の者には、まったく賛同できない考えですが、
しかし当の原作者の国でもそうした見方がされていないというのは、
やはり宗教の持つ重みというのが違ってきている気がします。
2015/10/11(日) 05:29:40 | URL | ごいんきょ
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