私的 昭和テレビ大全集
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ゆく年くる年 (1956)

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昭和28年に初の民放、日本テレビが誕生したその二年後の昭和30年、
関東民放第二局のTBSが誕生したのでありますが、
その翌年の大晦日より、早くも民放全局共同による『ゆく年くる年』が始まりました。
時の日本全国の民放局は、日本テレビ、ラジオ東京テレビ(TBS)、
中部日本放送、大阪テレビのたった4局だったのですが、
その4局が共同で毎年各局の持ち回りとして年越し番組を制作する事になったのです。
この辺の事情は与り知りませんが、提供の服部セイコーの働きが大きかったのは
間違い無いのではないかと思います。勿論、実行部隊としての広告代理店もですが。

その昭和31年の第一回は、森繁久彌を総合司会に、まだ脚光を浴びる前の
前田武彦と永六輔が構成を手掛けるという、いま考えるとなんとも豪華な作り。
スタジオ中継を用いずに、ほぼ全編局外からの中継で大晦日の日本を伝えたのでした。
これは、当時の技術を思えば、かなりの冒険だったろうと想像できます。
民放第一局の日テレではなく、TBSが栄えある第一号制作局となったのでした。
翌32年は、北海道テレビが増えて全5局に。
司会はやはり森繁でしたが、制作局は日本テレビに。
この後、しばらく制作局は、日本テレビとTBSで交代で受け持つ事となります。

33年は司会がフランキー堺になり、参加局もラジオ局を交えて、
一挙に52社98局という大量局の参加となりました。
34年は、テレビが質量ともにラジオとの逆転を成し遂げ始めた転回の年。
それを象徴するように、番組作りもテレビ独自の色を追求する作りとなっていきました。
参加テレビ局も一気に増えて、36社42局に。
35年には44社62局となり、テレビは本格的に最盛期に突入していきます。
民放が全局集って番組制作に協力するこの番組は、
そうしたテレビの示威番組としての位置付けも持たされていた事でしょう。

昭和38年に、ようやく関東民放第三局のNET(テレビ朝日)が制作を担当。
第四局のフジは、何故かそれより遥かに遅れた昭和47年に初めて当番局となりました。
そして関東最後の民放、12チャンネルも、2年後の昭和49年に当番となり、
TBSとの対抗策として持ち回り制となっていた歌謡大賞では実現できなかった、
真の全民放協力番組としての体裁が、本格的に整った頃と言えるでしょう。
実際、我が家も揃ってテレビ画面を見ながら『ゆく年くる年』を迎えていたのは、
正にこうした昭和40年代後半から50年代前半の頃だったのでした。
テレビが全国民的に一家団欒に寄与していた、稀有な時代を象徴するような番組と言えましょう。

昭和51年は、TBSが当番局として、かなりの独自性を発揮。
田宮二郎、山口百恵という、当時のTBSドラマで話題となっていた、
赤白路線の両巨塔を総合司会に配するという新機軸を見せました。
昭和57年には、長年の対抗関係であった、NHKという権威をとうとう軍門に降します。
テレビが娯楽性へと一段と舵を切り始めた時分を象徴するかのような出来事でした。
我が家はどうしていたかと言えば、やはりどうしても、紅白歌合戦からの流れで、
落ち着いた雰囲気のNHKで年越しを迎えるという感じが多かったと思います。
それで、たまにあちこちの民放も回してみて、おお本当に全局同じ映像だと、
妙な感動を覚えながら確認作業も欠かしませんでしたが。

そうして、昭和最後の大晦日となった63年の放送を最後に、
全民放が揃って一つの番組を制作するという形は終了となりました。
昭和テレビの様々な様式美を具現していたこの番組が、
一つの時代の終了と共にその役割を終えるという奇妙な共時性。
その後は、正月も年々歳々有り難みが薄れ、除夜の鐘が荘厳に響く大晦日を味わう家も減り、
大きく言えば日本という国の在り様も、大きく変わってしまったと言えましょう。
日本全国で、全家族が除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦をすすっていたあの時代。
昭和の家庭像を最も象徴的に記憶させてくれた「昭和テレビ」の代表作は、
昭和という時代に殉じてその役割を終えたのでした。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
どこ見ても同じ番組
「ゆく年くる年」というと、どの局を見ても同じ番組というのが面白くて、いつもチャンネルをガチャガチャやってました。

スポンサーがセイコーというのも印象深いです(晩年は他社)。

音楽を聞き始めた頃のCMのためか、甲斐バンドの「HERO」と、財津和夫の「Wake Up」のCMは特にゆく年くる年と結びついての印象が強いです。

どの局を見ても同じ番組というスタイルは、偶然にも、昭和最後の年(63年~64年)が最後なんですね。
2015/01/02(金) 08:46:21 | URL | 10000k
ゆく年くる年は
それまで番組自体知らず、ちょうど釧路から札幌に引っ越したばかりの77年末に初めて見ました。この年はフジテレビが制作担当でサブタイトルが「世界とともに」で、渥美清さんと露木茂さんら3人の司会で放送前から盛んに番宣していました。
番組が終わってからも他局の喜劇舞台やら何やらをテレビの放送終了まで見続けて気が付けば朝5時になっていて、生まれて初めての徹夜でした。
翌78年末はテレ朝制作で欽ちゃんと檀ふみさん司会で「ふれあいを求めて」が副題でしたが、このときは見ませんでした。

しかし昭和63年末を最後に全テレビ局での放送が終了したんですか。
まさに昭和と共に歩んだ番組でしたね。
今はNHKのみですが、他局が騒がしいバラエティーばかり放送しているのを思うと、全局での放送が復活しないものかと思います。
2015/01/02(金) 19:30:10 | URL | リオ
● 10000kさん
やりますよね、ガチャガチャ(笑)。
甲斐バンドも財津さんもセイコーでしたっけか。
セイコーのCMはよく見たので、この番組での印象はあまり残ってないですねえ。
この番組ならではのCMも有ったはずなんですけど。


● リオさん
よくご記憶ですねえ。
綿買うし、この番組の記憶なんて全体像しか無いですよ。
もし今度全局での『ゆく年くる年』を再現しようという企画が出てきたら、
NHKも含めてやらないと意味が少ないですね。
また新しい時代を作り始めないと。
2015/01/03(土) 09:30:40 | URL | ごいんきょ
煌びやかのピークでした。
昭和40年代は、ドリフを見たいがために夜更かしして見ておりました。
毎年出演してたと思います。

47~48年がフジテレビ担当だったんですね。舞台上で南沙織や小柳ルミ子が、自分の持ち歌を替え歌にして「勉強するたびに~大人になっていく沙織なの~♫」「見上げれば~歌をうたって~誰からも愛される~歌手になりたいわ~♫」とか歌ってました。
最後にみんなでピンポンパン体操。「おめでと~おめでと~今年もよろしくね~♫」と歌って終わったと思います。 (当時テープレコーダーに録音した記憶)

その次の年が日テレ担当?で、各局のプラカードを持ったバトントワラーズかチアリーダーが山本直純調のマーチにのって入場行進していた、という記憶があります。その曲には歌詞があって「(前半略)求めよう~求めよう~希望をどこまでも~♪輝く青春の~ォ時を刻もう~♪LA・LA・セイコー♪♪LA・LA・セイコー♪LA!LA!」というテーマソングが当時の7時の時報に外人のチアリーダーの踊りで流れておりました。オイルショック前の贅沢な演出でした。
2016/12/27(火) 02:37:08 | URL | bean.
ドリフ出てましたっけ?
なんか落ち着いた雰囲気しか思い出せないので、意外ですが。

よく覚えているなと思ったら、録音したんですか。
ゆく年くる年を録音した人ってのは珍しいかも。
今あれば貴重な音源ですけどね。

LALAセイコーとかは、年末年始の特別なCMソングだったんですね。
セイコー配布の非売盤が有るのですが、なんか記憶に無いなと思っていたので。
2016/12/31(土) 08:17:51 | URL | ごいんきょ
へえ。
ズバリ!当てましょうをやっていた頃の方が可能性は高いですね。
2017/01/05(木) 20:11:59 | URL | ごいんきょ
「第32回ゆく年くる年」の…
「時をみつめて」というサントラCDを、そういえば叔父が持ってます
(叔父のは旧盤ですが現行盤あり、PCCR-50028)。
6曲入りと短く、今で言うマキシシングルに近いものです。

姫神が起用されたのはオリジナリティある楽曲を求めて、
とのことだったようですが(第32回は「橋」がテーマだったらしい)、
制作幹事局がフジテレビ→フジといえばポニー・キャニオン→
同社所属で脂がのっていて、作風にわかりやすい個性があり、
そして大型番組のサントラもできそうな存在といえば、
東北が生んだ異色バンド「姫神せんせいしょん」からの
ソロプロジェクトとしてスタート3年目でNHKの番組でもサントラ制作経験
(「ぐるっと海道3万キロ」の楽曲がそれ)があった姫神、
というロジックがあったんじゃないか、とも言われてるみたいです。

フランス領ポリネシアのモーレア島、ブラジルのイパネマ海岸、エジプトの
カイロから中継があり、それぞれ専用に一曲ずつ作られていたようですね。
2017/06/14(水) 21:07:58 | URL | くろねき
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