私的 昭和テレビ大全集
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セブンショー (1967)

さあて、書き手が戻りました(笑)。
それに伴い企画も新たにしまして、テレビ俳優再発掘という観点から、
しばらく記事を構成していきたいと思います。
Web百科事典を標榜するウィキペディアも、昭和30、40年代のテレビに関しては、
ほとんど空欄にも等しい惨状で、愕然とする事がまま有ります。
なんとか、その時代を担った番組や人物を、少しでも発掘していきたいという事です。
また、個人誌レコード版ライトの新刊として、テレビ俳優特集を年内に発売というのも有ります。
そちらに関しましては、27日(日)にお知らせする予定です。



園井啓介(そのい・けいすけ)。昭和7年3月27日、東京市・浅草生まれ。
東京都立工芸木材工芸科卒。
25年、新東宝美術部入社。
29年、国民文化研究所演劇科から、俳優を志望して劇団青俳に加入。
同年、KRテレビ『ショーボート物語』にてテレビ初出演。
32年、NHK『歴史は眠る』にて初主演。
33年、フリーとなりNHK『事件記者』のヤマさん、山崎記者役で人気が出始める。
35年、TBS『サンセット77』でスペンサーの声をアテて、人気番組となる。
37年、島倉千代子が主演主題歌を担当したTBS『あの橋の畔(たもと)で』にて、
   島倉の相手、光晴役を演じて、一世を風靡する人気を得る。
   これは舞台化、映画化もされ、人気歌手である島倉がそれらに出演できなかったのに対し、
   全て光晴役をこなし、どれも成功に導いている。
41年、長内美那子を相手に、フジのライオン奥様劇場リバイバル路線『月よりの使者』で高視聴率。
42年、4月3日より、フジテレビ『園井啓介セブンショー』放送開始。非ナイター期の半年を担当。
44年、再び長内とのコンビで奥様劇場『あの波の果てまで』、
更に続け様に松尾嘉代相手にTBS花王愛の劇場の方で、『君は心の妻だから』にて主演。



この様に、TVメロドラマの帝王と言えばこの人!という、
テレビ男優を代表するような存在だったのですが、
驚く事に、いまだにウィキペディアに項目が無いという。
どうも情報の偏りが激しすぎる気がしますねえ、あそこも。
てな訳でワタクシが多少なりともそれを補おうとしての、この企画です。

昭和40年代始めは、テレビ放送の時間帯が広がっていった時期です。
朝の時間帯も同様で、朝7時台と言えば、子供向けを中心とした再放送か、
ニュースを中心とした報道系の地味な番組ばかりが並ぶ、埋め草枠でした。
しかし、NHKテレビ小説やNETモーニングショーに加え、
フジテレビの小川宏ショーまで並んで、朝番組は百花繚乱の様相。
7時台も、各局が独自性を追求する激戦区となっていったのでした。

フジテレビは、9時からの小川宏ショーに続き、8時台にピンポンパン、
そして7時台に、この時間帯初の朝ワイド『起きてますか』を41年秋から開始。
半年後に、その『起きてますか』を受け継ぐ形で、当時は人気俳優だった
園井啓介を司会に据えた『園井啓介セブンショー』を始めたのでした。
他の出演者は、『起きてますか』から引き続きの三国一朗、
アシスタントに宮崎房子、松下加津子。音楽面で、ダニー飯田とパラダイスキング。
宮崎総子は既に仲代達矢夫人の実妹として知られ、立教からフジ入社してさほど経っていない頃。
このセブンショーは、最初の大仕事と言えるものだったかと思います。
更には二期会の浜田章子、青板由美子、西村てい子のトリオも色を添えていたので、
朝の歌声というのが考慮されていた番組だったのでしょう。

この番組が特筆されるべきなのは、俳優がワイドショーの司会をする先駆けという点です。
先に書いた『お昼にあいましょう』の川崎敬三・関口宏よりも早いですが、
TBS『ヤング720』をワイドショーと考えると、そちらが先になります。
俳優単独でのワイドショー司会という観点ですと、これが最初かもしれません。
そういう役割に推される程、当時の園井の主婦受けは良いと考えられていたのでしょう。
実際に、先に挙げたようにメロドラマの数々で実績を残しておりました。
テレビ男優の第一人者であったと書いても、過言では無いでしょう。

当の園井は、ナイターシーズンに入るとドラマが減るので、
消耗を覚悟で仕事の場を増やす事にしたという意の言葉を述べました。
既にテレビ番組も量産期に入り、神風タレントと称された人間の中には、
飽きられてすぐに消えていった人材も出て来ていたのでしょう。
そんな時節、毎日顔を出し、自前の言葉を述べる帯の生放送は、
かなりの緊張を強いるものであった事は疑い有りません。

そしてナイターシーズンが終わる春になると、
『園井啓介セブンショー』の番組題から、「園井啓介」の部分が消えました。
園井は、半年で降板したのです。
その後は、前番組から一貫して出演していた三国一朗が司会となり、
アシスタントには「天国に一番近い島」を書いた森村桂が据わりました。
森村は、『モーニングショー』等に出演した際の発言が特異で注目されておりました。

園井啓介の方は、その後もドラマで活躍。
特に、当時の昼ドラ女王といった風情だった長内美那子との共演が華で、
園井&長内コンビは、昼ドラの帝王・王女の組合せといった訴求力が有りました。
テレビドラマをこれだけ盛り上げた園井の名が、今日、まるで伝えられていないのは、
その引退があまりに早過ぎるものだったからです。
昭和48年、脱税の疑いでの取り調べを受け、引退を表明。
ワタクシが調べた文献では「取り調べ」となっているので、
刑を受けた訳ではないと思うのですが、それでいきなり引退という事情は不明です。
既に仕事があまり来ない状態だったのでしょうか。
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