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花は桜子(1963)

 昨年は、なかなか踏み出せなかったネットラジオのようなものをYouTubeに立ち上げ、これにてここ数年の課題を何らかの形で実現できた事になります。
 他にも内側では幾つも実現させたい事は有りますが、それらは何れも難度が高い事ですので、内側に刻むに留めておきます。

 取り敢えず本年の課題は、もう少しこのブログとの関わりを増やすようにしたいという事ですね。
 懸案の動画サイトも出来ましたし、エロテレビ史もそちらで随時展開して行きますし、今年は精神的にもブログに関われると思います。

 ただ、動画をやり始めてつくづく感じるのは、文章を書くよりも喋っちゃう方が楽だなあという事です。
 特に資料の書き写しとか画像作成、コメントの精査と返信は、動画でやった方がかなり楽なのですが。
 しかし、折角ここまで育てて戴いたサイトですので、ワタクシの目の黒いうちは永らえさせていきたいと思います。
 暫くワタクシがここに参加していなくても、広告が表示されていないという事はワタクシが有料料金を支払っているという事ですので、ワタクシの目がまだ黒いという証明となります(笑)。


 さて、改めましての第一弾は、今では殆ど誰も知らないような番組からとなります。
 これぞ、ここの真骨頂。
 ワタクシは視聴率や知名度で番組を差別しませんからね。と言うより、そうした点で振り返られないものほど、ここで扱う価値が有ると考える天の邪鬼なのです。

 ですが、この番組、視聴率は決して低くありませんでした。
 TBS火曜夜10時からの30分という、当時としては深夜とも言えるような枠だったにも関わらず、視聴率は20%前後あったようです。
 内容は、女座長のドサ回り劇団を描いた人情コメディーというものだったようで、主演の桜子座長に森光子。主題歌は、座員として出演もしていた五月みどりだったようです。

 ビデオ収録だったこの番組、当然、当時は保存などされないのが常で、恐らく一本も現存していないと思います。
 それ故、その時間帯としては結構な占有率を誇っていたと思われるにも関わらず、これまで殆ど、人の言の葉に乗った事が有りませんね。
 但し、番組自体の事ではなく、周辺の事情に特殊なものが有ったが故に、ごく一部で話題となったりもしました。

 番組開始当時、森光子には岡本愛彦という夫が居ました。
 他ならぬTBSの花形ディレクターであり、テレビドラマが映画に追いついたと人口に膾炙された『私は貝になりたい』他、何本もの社会派ドラマで華々しい実績を築いていた、当時のドラマ制作者の頂点に居た人と言って過言ではないでしょう。
 しかし、彼の硬派志向は、巨大な営利企業と化してきていたテレビ局という体制にとって、むしろ好まざる存在となっていたのです。

 かの安保騒動でも一方ならぬ傾注ぶりを見せた彼のような存在を、体制側は表現者として骨抜きに掛かります。
 かつては芸術祭での活躍を期待して通していた、社会派志向の長時間ドラマの企画が通らなくなったり、場合によってはお蔵入りという事態も現出するに及び、岡本は、この局を出る時が来るという思いを深めました。
 そして上層部は彼に、一時間の大型喜劇シリーズの企画を立てるように要求したのでした。

 岡本はそれに応えるべく、超大型泥棒の紳士と淑女を主役とした作品を考え、山田五十鈴、淡島千景らと接触していました。
 ”超大型の泥棒”に”超大型の政治家・実業家”を重ね合わせ、笑いの中にも何か光る真実とペーソスを描こうとしていたのでした。
 ところが或る日、彼がいきなり引っ張り出された会議は、”三越提供、東宝テレビ部制作、菊田一夫作、代理店電通、主演森光子の喜劇『花と桜子』について”というものだったのです。ちなみに三越の宣伝部長は、かの岡田茂。
 なんの打診も無しに、いきなり妻を主演とした喜劇を頼むと言われた岡本は愕然としました。

 彼が記すままに書けば、当時の三越社長はTBSの社外取締役であり、既にテレビを牛耳っていた電通が秘かに東宝と話し合い、現場が一言も介入できないように進めていた企画だったと。
 岡本は、彼ら現場に理解を示していた、時のTBS副社長・今道潤三に、この企画が通った場合の辞意を表明し、妻である森光子にも、この話を受けないように要請しました。

 しかし、結局は岡本に代わる演出者が立てられ、森光子も主演を受諾し、脚本は菊田の門下生に代わりながらも制作が決定します。
 岡本は当初の決意通り、辞表を提出。
 今道は一年間の海外研修と、TBSによる二千万出資の岡本プロダクション設立という懐柔策を出したと言います。
 しかし、”テレビの主体性の確立”を口にしていた今道に失望を感じた岡本は、そのままTBSを去る事になります。
 加えて妻・森光子の方も、菊田一夫や東宝との関係、更には女優としての欲も有ったのでしょうが、岡本の要請を袖にした事により、両者の関係は破綻する事となります。

 岡本が断った後のこの番組は、原弘男、鴨下信一ら、彼の部下が担当しました。
 TBSの花形演出家だった岡本の退社は、内外で非常に大きな衝撃となった事でしょう。
 それはテレビドラマが芸術志向から完全に離れる大きな転換点の象徴であり、大きく言えば、将来の白痴化への大きな橋頭堡だったと総括できるかもしれません。
 岡本の行動はテレビに娯楽に止まらぬものを求める制作者たちに波及し、TBS社内では彼に続き退社して独自路線を模索する者たちが続出し、テレビマンユニオンや実相寺昭雄らの独立もその流れに有りますし、TBS以外でもそのような動きが幾つか有りました。


 という具合に、周辺事情の方がテレビ史上では語られる事の多い作品ですが、ワタクシは勿論、番組の方も語りたいと思います。
 恐らく当時の視聴者や関係者の証言は期待できませんから、当時の資料からこぼれ話のようなものをなるべく多く拾い集め、ここにご紹介したいと思います。

 この番組の冒頭では、かげろう一座の舞台を見せるところから始まっていたようですが、その観客役を30人ほど集めるのがなかなか大変で、或る時は子供を多くしたり或る時は女性を多くしたりと、気も使っていたようです。
 どうしても足りない時は、スタジオ見学に来ていた局の人間を使ったりもしたのが、そのうちに、あそこに行くと使われると噂になって、サッパリ来なくなってしまったとか。

 夜行列車で一座が移動する場面の時、深夜の録画のために皆コックリコックリ。特に五月みどりは、リハーサルから本番まで、ずっと夢の中だったとか。彼女が目をこすりながら「あら、終わったんですか」と目覚めた時には、一同爆笑だったそうな。

 かげろう一座でカルメンを演じた時には、ホセに刺された後で桜子(森光子)の演じるカルメンは救急車を呼び、切開したお腹からはソーセージが出てくる演出。しかも、完全に出切った先には三越の札が付いていたという(笑)。
 スポンサー名とか商品名が番組中に出るのは当たり前だの時代ですが、森光子は、この演出がスポンサーに気に入られるか心配する文章を当時書いています。
 森光子も、三越の札が体から出て来た時に、まさか「なぜだ!」とは叫ばなかったでしょうけどね(笑)。
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