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とし子さん(1966)

 樹木希林さん、当時は悠木千帆でしたが、彼女の初主演作です。
 どれだけの人が覚えておいででしょうか。


 元々、悠木千帆は杉村春子の文学座から俳優人生を始めたという、本格的な舞台女優だったのです。
 文学座は度重なる集団脱退劇で存続の危機にまでなりましたが、それを乗り切れたのは、彼女ら若手の抜擢が上手く行ったからだという事でしょう。
 そんなわけで昭和39、40年頃は舞台俳優としてもそこそこ活躍しだしていた彼女が、一躍、世間の注目を集めたのが、既述『七人の孫』でした。

 中で彼女が演じたのが、おとしさんという、お手伝いさん。
 台本ではなんの設定も無い、ただの端役に過ぎなかったこのお手伝いさんが初登場したのは第三回。
 森繁のお爺ちゃんを外に迎えに行く役だったかと思いますが、このドラマではアドリブを共演者に仕掛けていた森繁が、彼女が演じるお手伝いさんの事を、相手役に対して、山形出身といきなり紹介したのです。

 これに応じた悠木千帆がズーズー弁を駆使してアドリブに乗り切り、それを森繁に認められて出番が増えていったのでしょう。
 元々は端役としか宛がわれていなかったお手伝いさんが、どんどん森繁との絡みが増えていき、そのズーズー弁も相俟って、番組も彼女も、人気がグングン上がっていったのでした。

 それが如何ほどのものであったか。
 『七人の孫』終了後、すぐに悠木千帆主演作が作られた事で伝わりましょう。
 その題名も、『とし子さん』。
 そう。『七人の孫』で演じていた”おとしさん”の名前がそのまま使われ、しかも役柄もズーズー弁の奥さんというものでした。

 子供が二人いる設定だったようですが、当時、彼女はまだ23歳。
 人気絶頂の彼女は旭化成・ミタスの広告も担当しており、その絵面は流石は女優という見目麗しいもの。
 実生活では昭和39年に岸田森と結婚したばかりの若妻でその役とは、既に老け役の素地は有った感じです。

 ただ、ズーズー弁には抵抗が有ったようで、後に”おとしさんにズーズー弁を喋らせたのは失敗だった”という感じの言葉を発します。
 若さ故というよりは、新劇俳優としての矜持という事のようで、普通の言葉を使っても東北出身というのを感じさせるべきだったという事のようでした。

 『とし子さん』第一回の視聴率は、23%。
 悠木千帆人気がかなりのものだったという事は、数字でも証明されています。
 なのに今日ではほとんど覚えている人がいないであろう理由は、ここで何度も言っているように、恐らく映像素材が残っていないため、再放送やソフトなどで記憶の再生産がされなかったためです。
 加えて、誰も、本人すらも、伝える事をして来なかったという事も有ります。

 この人気を受けてTBSでは、秋からも『とし子さん』の継続を決定したと発表します。
 ところが実際に制作されたのは、確かに悠木千帆主演ではありながら、『ハッスル奥さま』という別のドラマ。
 その理由は、『とし子さん』でのズーズー弁に悠木千帆が難色を示したためでしょう。
 そして『ハッスル奥さま』では、標準語を使う奥さんが主役だったという事です。


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