私的 昭和テレビ大全集
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モーニングショー (1964)

モーニングショー(1964)
「8時半です。おはようございます」
そんな元NHKアナウンサーの挨拶で始まった『木島則夫モーニングショー』。

当時は、テレビの放送時間なんて凄く限られてました。朝の時間帯もしかり。
しかしNHKは世界的にも当時は希有であった朝番組を積極的に開拓。
『おかあさんといっしょ』『連続テレビ小説』で、主婦層から圧倒的な支持を得ます。
しかし8時半からの時間帯は、事実上の空白区。
主婦も家事に取りかかる時間で、誰がそんな時間にテレビを見るかと言われてました。
そんな中、NHKから引き抜いた木島則夫アナウンサーをメインに据えて、
日本初のワイドショー番組と言われるこの番組がスタートしました。

アメリカNBCで早くも1952年から始まっていた情報番組『TODAY』が元で、
ドロップで有名なヴィックス社がMBS毎日放送に持ち込んだ企画と言われます。
そして、当時MBSの関東ネット局であるNETで実現しました。
初代パーソナリティーの木島は、昭和43年に日本テレビにハントされ、
『木島則夫ハプニングショー』でまたヒットを生みます。
その後、議員ともなりました。高橋圭三、宮田輝など、全国放送で名と顔を売る
NHKアナウンサーはよく議員になりました。テレビはこれで良かったんですかね?

番組スタートの翌年からすぐに他局も次々と追随し、未開拓だったこの時間帯も
たちまち戦国区となります。しかし木島が抜けた後も番組は堅調に続き、
長谷川肇、奈良和、溝口泰男、江森陽弘、美里美寿々、内田忠夫、武見敬三、
前田吟、渡辺宣嗣と看板を替えながらも老舗『モーニングショー』の名を守りました。
内容は、今あるワイドショーとほとんど変わりません。
生放送で、旬の話題を次々取り上げていく感じです。
第一回では、吉展ちゃん事件が扱われました。当時は男の子の営利誘拐が多かった。
昭和時代、こういう番組でのCMは生コマーシャルが一般的でしたね。
今はワイドショーでもあまり見かけなくなったな。
十條キンバリーが、クリネックスティッシューをこの番組で押し上げました。
こんな記事を発見→http://www2.nttcom.co.jp/comzine/no015/long_seller/

歌のコーナーもありました。青山和子の「妻の日の愛のかたみに」や、
トワ・エ・モアで有名になった『誰もいない海』もこの番組からです。
しかし、テレビ歌謡史上もっとも特記されるべき事が1965年4月5日に起こります。
三輪明宏が、持ち歌の『ヨイトマケの唄』をテレビで初披露。その歌唱に
視聴者からの絶賛がまさに嵐のように沸き起こり、この歌は大ヒットとなりました。
この歌は、要するに土方さんの唄ですからね、新選組の(笑)。
だから、人権屋がわらわら湧いてくると、内容にはなんら差別性がない…
どころか、そういう底辺の人間賛歌であるにも関わらず、放送自粛曲となりました。
人権屋連中の活動が、単に利権むさぼりに過ぎなかった事が、
この歌の歴史だけでも手に取るようにわかるというものです。
その人権屋利権の諸悪の根元である或る法律が失効し、
この歌を取り巻く状況も少しずつ緩くなって、数年前、本当に何十年ぶりかで
NHKで三輪自身が歌いました。この時も、やはり凄かった。
その番組の中で或る作曲家が日本一の唄であると評論していましたが、
ワタクシもそう思います。歌詞、曲、そして何よりその歌唱。
多くの人間がこの歌に感銘を受けカバーしていますが、ハッキリ言って
表現の怪物・三輪の凄さを際だたせる結果にしかなってないですね。
ぜひ一度、彼が歌っているところを見て欲しいものです。
「歌」というものに対する概念が、大きく揺さぶられるでしょう。
そしてそれは、まだまだ貧しかった昭和40年の人々には、より響いたのであります。
まさに魂の歌唱であり、伝説のシーンです。
好評で何度か歌唱したうちの、一度はワタクシも見ていると思います。

……
ただ、♪ イーアイイーアイオー って歌と似てるなとは思うんですけどね (^_^;
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
クリネックスティッシューを
栗原さんが生コマーシャルのとき、
使っても使っても後から後から出てくるんです、と言って、どんどん箱から出すのです、子供心に勿体無くて見ていられませんでした。
その頃、まだ我が家ではちり紙の大きな束を買ってきて使っていましたから。
2006/08/17(木) 19:04:06 | URL | モデラート
チリ紙
ちりがみ、ちりし、はながみ、なんて言ってましたが、
最近はあまり観なくなりました。
昭和40年代はみんな使ってたと思いますけどね。
ティッシュペーパーなんて高級品でしたけど、
今じゃすっかり安くなったなあ。
まあ、また高くなりそうな雰囲気もありますが。

そそ生コマは覚えてないけど、たしかに勿体ないなあ(苦笑)。
高度成長期を彷彿とさせるエピソードですね(笑)。
2006/08/18(金) 01:42:15 | URL | ごいんきょ
十条キンバリー社とモーニングショーの関係
実はこの番組は現在のクレシアの前身である十条キンバリー社が1963年より発売開始された「クリネックスティッシュ」の販売促進戦略(発売初年はなかなかティッシュそのものに対する日本人の理解度が低かったためになかなか売上げが伸びなかったらしいです)の一環でNET側に企画を持ちかけたのがそもそもの発端であり、それ故に当初のスポンサーは十条キンバリーの単独提供であったということだそうですよ。この番組の誕生についてもどこかの古めかしい書籍の中で記述が載っていたのを記憶してます。
2006/08/18(金) 15:05:54 | URL | (ハンドル未記入)
ワイドショーの産みの親 日本ヴィックス社
これにつきましてテレビ朝日社史を紐解いてみますと、
やはり本文記事で書いたように、日本ヴィックスで合っておりますね。
もう少し詳しく解説しますと、当時のNETというのは
今で言うNHK教育テレビのように、教育放送も手がけており、
そうした番組にはやはりスポンサーが付きづらかった。
一方で貿易自由化が進み始め、コルゲート、ジレット、シェル、
パーカー、ネッスルなどのいわゆる外資も広告界に参入し始めておりました。
そんな折り、NETに、教育番組を一括購入しても良いという外資の打診。
その条件は、月曜から金曜までの朝のワイド番組との一括ならというものでした。
この会社が件の日本ヴィックスで、この時、同社の代表取締役、
バーク・C・ピーターソン氏は次のように語ったと言います。

「あなた方はアメリカのNBCで12年も続いている
 『TODAY』という番組を観た事がありますか?
 私どもが新たに考えているワイドショーの、
 雛形としての共通した点はありますが、
 それをそっくり日本でやろうとしてもダメです。
 日本には、日本のワイドショーとしての作り方があるはずです。
日本語では上手く言い表せませんが、イメージ的に表現すれば、
『Good Morning Show』と親しみを込めて呼ばれるような番組にしたいのです」

このようにして始まったのが、このモーニングショーですね。
ですから当初は日本ヴィックスの一社提供でした。
司会には当初、既にフリーになっていた高橋圭三氏が打診されました。
実現していたら色々な歴史が変わっていたでしょうね。
他にもいろいろエピソードは載っていますが、面倒なのでこの辺で(笑)。

人気が出てからのスポンサーは、花王石鹸、日本石油、サントリーが加わりました。
日石灯油でぽっかぽか。日石灯油、だもんね。ですね。
ちなみにヴィックスのCMは、鳥のアニメで、
♪ ヴィックス ヴィックスと歌うやつだったかな?
70年代に入ると書ききれないくらいのスポンサーが入れ替わり立ち替わりです。
2006/08/19(土) 00:12:31 | URL | ごいんきょ
朝なのに
三輪じゃなくて美輪ですね。私もそのNHKの放送でものすごく感動しました。
 モーニングショーのテーマソングって覚えてます? 小学校のとき学校で、「テレビは計画的に見よう」と啓発した映画を見たことがあるのですが、ラストで学校が終わってテレビを見てる子どもが次の番組のオープニングが流れてくるとテレビを消して勉強し始めるというシーンで、次の番組のテーマソングが「モーニングショー」のテーマになっていたので、「あれは朝の音楽なのに」と違和感を感じました。
 この番組もネットが多かったですね。スーパーモーニングになった今も、朝日系のない地域でも数多く放送されています。
2006/12/15(金) 12:46:22 | URL | かじか
テレビは計画的に
うーん… 計画的に…というか、確信的に、なるべく長く見ていたなあ(苦笑)。
モーニングショーのテーマはわりと地味なモノでした。
小川宏ショーなんかは印象的でしたけどね。
この番組のテーマを記憶している人はあまりいないでしょう。
2006/12/15(金) 20:45:28 | URL | ごいんきょ
水曜日の
「ああ日本の社長」になぜかはまっていて、留守録で毎週見ていました。(^_^;)
宮尾すすむさんが社長宅を訪問する場面で、必ず台所に行って冷蔵庫の中身を拝見するシーンがお約束として流れていました。
江守陽弘さんや田丸(当時は美里姓)美寿々さんが司会の頃、よく見ていたと思います。
2007/01/07(日) 21:27:57 | URL | 北国の人
ああ日本の社長
いやあ、これはありがたい指摘を。
そうそう、この番組を語る上で絶対に外せないコーナーですよね。
ワタクシもよく観てました。
さすがに、録画してまでは見ませんでしたが(笑)。
しかし、そのビデオ今でもあればかなり貴重ですけどねー。
冷蔵庫覗いてたのは忘れちゃいましたが、ヨネスケさんの
突撃となりの晩ご飯を意識したんでしょうね(笑)。

社長と言っても中小企業というか、町工場のおじさんみたいな人が多かったような。
そういう人に、「社長。社長」と宮尾さんが例の口調で持ち上げるんですね。
2007/01/08(月) 00:33:38 | URL | ごいんきょ
自分にとって「モーニングショー」の司会者というと、終盤期の内田忠夫さんと、現「スパモニ」司会の渡辺宜嗣さんの2人のイメージが強いですね。
内田さんというと、それまでは「ニュースステーション」などでNY中継を担当しているベテラン記者として活躍されていた方で、小さい頃のイメージでは「お堅い方なのかな」と思っていたのですが、「モーニングショー」司会になってからは、お茶らけた一面を発揮して、大きくイメージが変わった印象があります。

宜嗣さんに関しては、まだ当時はまだまだ若手・中堅という位置づけだったせいか、ちょっと印象が薄いですね。むしろサブとして出演していたロザンナさんのイメージのほうが強いかなあ・・・。でも、彼がメインに抜擢となったことで、モーニングショー」の番組カラーが一気に明るくなった、という印象はありましたね・・・。

現在の「スパモニ」は完全に宜嗣さんの番組といってもいいぐらいに久米さん譲り?の個性を発揮していますね。生放送のタイムテーブルを一手に掌握して自由自在に話題を変えていきながら司会をやる当りは、流石だな、と思いますし、ワイドショー司会にとっての必須条件「スマートな司会ぶり」をちゃんと身につけているな、という感じがしますね。
2007/01/08(月) 04:45:39 | URL | BL
内田忠夫モーニングショー
モーニングショー最末期の話ですね。
内田さんはレポーター当時のままの押しの強い声でやってました。

渡辺さんは朝まで生テレビを第一回からアシストしてますが、
当初は初々しくて好感持ってました。
吉澤アナといい、地味ながらいいアナがこの当時テレ朝に入ってきたですね。
古舘さんは決して地味じゃなかったけど(笑)。
最近の朝生では己の価値観と議論や結論が食い違っていると、
強引に自分の価値の方に引きつけて解説しているので、
ちょっと不適格だなと思ってますが、
司会の田原さんもそういう人だから仕方ないのかもしれません(苦笑)。
テレビ朝日の尊大さに染まった印象があります。

最近のテレビはあまり見ないのでスパモニも滅多に見ませんが、
朝生第一回から見続けているので、看板番組を持った時には
いささか時の流れを感じました。」
2007/01/08(月) 08:07:45 | URL | ごいんきょ
渡辺アナ
渡辺アナは、「アフタヌーンショー」が打ち切りになり「この秋一番!」(みのもんたが司会でした)でつないだ後、レギュラーで始まった「なうNOWスタジオ」の司会に抜擢されて始めて知りましたが、そういう経緯で「薬にも毒にもならないアナウンサー」というイメージが未だにあります。同じ東海地方出身者に対してちょっと申し訳ない気もしますが。
 「朝生」はその後ですね。もっとも当初は関東ローカルでしたが。朝日新聞資本の入ってるBSSにもネットしてほしいです。
 そうそう、BSSは内田モーニングショーをネットしてましたが、BSSにとっての湾岸戦争第一報は、TBS系の番組や再放送でなくこの番組で流れました。何か限りなくJNN協定(ネット外とのニュース素材のやりとりはしない)違反に近いですが。
2007/01/08(月) 12:23:25 | URL | かじか
渡辺宜嗣アナ
朝生初期にはむしろ薬の役割をしてくれてましたね。
最近はやはり経験を積んできて、自分の意見が出てくるのはいいんですけど、
アンケート結果とかを自分の解釈でねじ曲げるのは勘弁して欲しいです(苦笑)。
まあ、テレビ局ほとんど全てに言いたい事でも有るんですが。

朝生も観ていて面白い論客がいなくなったんで、ほとんど観なくなりました。
田原さんが降りたら完全に縁切りになると思います。
2007/01/08(月) 22:52:11 | URL | ごいんきょ
江森陽弘モーニングショー オープニングBGM
江森陽弘モーニングショー オープニングBGMが収録されたCDって売ってないのでしょうか?死ぬほど聴きたいです。誰が演奏してて何て曲名なのかな?
2007/02/26(月) 14:26:35 | URL | 研ちゃん
初期の朝生は「過激
朝生も最近は田原氏の年齢上の問題もあって時間が短縮されて、議論の過激さも制約が多いせいかかなり緩くなってしまいましたよね。

それこそ初期のころは、相当に過激な議論も多く、またその過激さが逆に「下品」どころか「上品」にすら見えてしまう面々ばかりがそろってましたよね…,常連には。
野坂昭如氏は堂々と放送禁止用語を連発しまくったり、大島渚監督の激怒振りも相当凄かった・・・。
他にも野村秋介氏とか西部遼氏、嵐山光三郎氏等などかなり癖のある、黙っていても「近寄りがたい迫力のある」論客ぞろい。舛添要一氏も初期から出演してましたけど、まだまだこれら上記の方からすれば「ヒヨッコ」といった位置付けでしたね。それがいまじゃ、自民党参議院の大御所議員になりつつあるわけですからねえ。初期の過激・白熱の議論も隔世の感すらあります。
2007/02/26(月) 21:27:29 | URL | (ハンドル未記入)
モーニングショーOP
● 研ちゃんさん
江森さんのもよく見てたけど音楽は思い出せないです。
モーニングショーは一通り見たけど、ひとつも音楽覚えてないなあ。

● 未記入氏
朝生についてはスレ有りますよ。
初期朝生がなぜ熱かったかと言えば、
初代プロデューサーがそれだけリキ入れてたという事と、
当時はどこも扱ってなかったタブー論議が幾つも残ってた事(2chも無い時代)、
タレント性のある論客が多数いた事などですよね。
今がやや温いのは、制約と言うよりもこれらの違いだと思います。
名前を並べられた論客も、嵐山さん以外は皆好きでしたね。
嵐山さんは常連と言えるほどは出てなかったと思いますが。
桝添さんは当時からそこそこ人気有ったようですが、
まさかあれほど票を取るとは、今更ながらテレビの影響力を思い知りました。
2007/02/27(火) 06:44:07 | URL | ごいんきょ
サザエさん(漫画の方)で
カツオが朝早くから出かけるらしく、その支度に追われる磯野家の様子を描いた作品がありました。(朝日新聞から出ている文庫版サザエさんの37巻、25ページ目)
3コマ目で「モーニングショーに出るんだ」とカツオ本人が言っていたのですが、昔は小学生向けの視聴者参加コーナーがあったのでしょうか。(カツオたちの服装が半袖だったことから、たぶん夏休み頃の出来事ではないか)
ちなみにオチは、ワカメが
「じゃ、やがては参議院だね!」
とからかい、カツオが照れながら家を出る、と言うものでした。この当時、木島則夫さんが選挙に出られたとか?
ちなみにこのマンガは昭和43年に描かれたものだそうです。
2007/03/30(金) 19:52:32 | URL | 北国の人
そのネタは
覚えていませんが、説明を読む限りでは、
お昼のワイドショーの司会の、横山ノック、
青島幸男両氏の事をネタにしていると思います。
2007/03/31(土) 00:53:43 | URL | ごいんきょ
そうそう
前世の記憶はないので、見たことはなかったんですが、唯一残ってるという1965年初めの木島則夫モーニングショーのVTRを、こんなところで見ました↓
http://denmomo.blog.eonet.jp/nyanko/2009/02/post-ae02.html
2009/02/16(月) 21:32:20 | URL | 桃
おお。早く記事を書いて下さい。
初めて桃さんのブログにコメントできそうだ(笑)。
2009/02/17(火) 01:44:42 | URL | ごいんきょ
渡辺アナ
1番、印象に残るのは
江森陽弘さんかな。

溝口さんはワイドショーの
キャスターには向いてない気がした。
ステーションアイにも出てた
ニューヨークでレポーターをしてる内田忠男さんの後任に
あの、小島一慶氏の起用が予定されていたが
一慶さんが例の不倫
金髪ギャルとの買春騒動で
立ち消えになり
渡辺アナが後番組の
スーパーモーニング開始まで
担当したようだね。

その、渡辺アナも
スーパーモーニング担当も
してたけどね。
朝生の彼の真摯な態度による
気取っていない司会ぶりは私も
大いに評価したい。 
  
2009/02/17(火) 11:38:26 | URL | 梅吉
モーニングショーはわりと入れ替えが激しくて、これだという人は思い当たらないです。
モーニングショーという番組が主役だった印象ですね。
初代木島さんは覚えていないし。
2009/02/18(水) 06:46:14 | URL | ごいんきょ
奈良漬
手塚治虫のどこかに「奈良漬モーニングショー」というパロディが使われていて、そのせいかモーニングショー イコール奈良和、と思っていましたが、司会者は交代していたんですね。江森陽弘、美里美寿々あたりは見たような気がします。
日本の社長もこの番組のコーナーでしたか。記憶が繋がりました。コーナーの最初か最後に年商◯◯億、と紹介するんでしたね。バブルに向けてまっしぐらの頃だったんでしょうか。今じゃこんなコーナー、羨望と悪意の視線でしか作れないだろうし、「金魂巻」のマル金、マルビも冗談じゃ済まされなくなっちゃいました。
2009/02/20(金) 19:33:07 | URL | あぶもんもん
ああ、ありましたね、そんなの。
奈良和さんの時あたりだったかな。
幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree)のインストをテーマにしてたような。

年商○億は最後の決めですね。
バブルっぽい紹介ではなく、まだ良き頃の日本の社長紹介ですから、
苦労してやって来た中小企業の社長が主体だったと思います。
人材派遣業という名の奴隷業者や、実業家という名の株転がし屋なんかが
大手振ってテレビや新聞で偉そうな口を叩けるご時世じゃなかったです。
それは日本を「構造改革」してからですね。
2009/02/21(土) 02:18:49 | URL | ごいんきょ
誤解を招く書き方でした
紹介されていた社長さんは実直そうな人ばかりだったと思います。ただ、日本の社長、年商◯◯億、というコーナーが素直に受け入れられる雰囲気が、バブルが飽和に達する以前の、最後のいい時代だったのかな、と思いました。
このころだったか、少し前だったか、東京・渋谷の道玄坂で宮尾すすむとすれ違ったことがあります。すぐ近くに来るまで気がつかなくて、顔を見て思わず「おおっ」と驚いたら、向こうも私の顔を見て「おおっ」というリアクションをしていました。テレビの感じそのままで。その時、ああ、いい人なんだなと思いました。
2009/02/23(月) 23:26:12 | URL | あぶもんもん
年商○億まで行って良かったよねーという見方ができる人を紹介していたと思いますよね。
宮尾さんのリアクションは目に見えるようでおかしい(笑)。
2009/02/25(水) 06:19:14 | URL | ごいんきょ
宮尾さんと「社長三訓」
名物コーナー「ああ日本の社長」では、最後にその社長の「三訓」を
宮尾すすむさんがご披露していました。
「一つ、○○は○○と心得よ!」
「一つ、△△は□□せよ!」
「一つ、××で必要なのは▲▲である!」
そして、
「この3つを守ったら、アナタも社長になれる!…かもよ」が、
毎度お決まりのフレーズでした。
私が唯一覚えているのが、
「一つ、今日出来る事は今日やれ。明日(あした)には明日の“今日”がある」です。
他に「これは」という三訓を覚えていらっしゃる方は、是非教えて下さいませ。

宮尾さんの御霊が、いつまでも安らかでありますように。合掌。
2011/07/13(水) 22:53:47 | URL | 甚六
エンディングフリップで、「日本の社長が本になりました」って言ってたなあ。


● 甚六さん
そうだ。そんな締めでしたっけ。
明日には明日の今日がある、なんか聞いた気がするな。
ワタクシは、「現在は未来の過去」と言った事が有ります。
特に教訓的な意味は無いのが残念ですが(笑)。
2011/07/14(木) 22:47:40 | URL | ごいんきょ
朝のワイドショーの先駆けとして、故宮尾すすむさんの名コーナー「日本の社長」を始め数々の名コーナーを産んだ「モーニングショー」も「スーパーモーニング」とタイトルを変えコメンテーター鳥越俊太郎氏の硬派なコメントが光る(勤め人なのでなかなか見られませんがそういう評判を聴いていました)番組でしたが、この春から日本テレビの看板アナ羽鳥を引き抜き司会に据え、おまけに彼のニックネームを番組タイトルに用いるとはテレ朝にはプライドと言うものがないのかと言いたくなりますね。
2011/07/15(金) 00:27:06 | URL | ナベチン
ほー。
しかしまあ、局アナの独立というのは往々にして有りますし、
そもそも木島さんもNHKからですしね。
羽鳥さんの今後の活躍次第でしょう。
2011/07/15(金) 06:42:54 | URL | ごいんきょ
そういえば、「スーパーモーニング」の司会、更には「ニュースステーション」で久米宏の半年間に渡る休養時の代理キャスター、そして現在では夕方のニュースキャスターを務めるなどテレ朝を代表する渡辺宣嗣アナですが、確か駆け出しの頃「トゥナイト」のレポーターを務めていたのを記憶しています。恐らく色っぽい現場あたりへの取材もあったのではと思われます。硬軟様々な仕事を歴任して現在の彼がある訳ですね(o^∀^o)
2011/07/18(月) 21:44:00 | URL | ナベチン
トゥナイトもやってましたっけ。
ああ、やってた気します。
なんか印象薄いんですよね。
という事は、軟派な取材はしてなかったんじゃないかな。
トゥナイト前半は、一般的なリポートが主流だったですからね。
典型的なのが疑惑の銃弾レポートでした。
2011/07/19(火) 07:11:23 | URL | ごいんきょ
八波一起さんも
はじめまして。
記憶違いならごめんなさい。
モーニングショー末期の頃、八波一起さんも司会をされていたような気がしたのですが・・。
溝口泰男さん、ウチの母が好きでした。私が小学校入学の際、週末ディスカウントセールで、ランドセルゲットしまして。長く使わせていただきました。
江森さんと内田さんが好きでしたね。
歌のコーナーゲスト、記憶にあるのは岩崎宏美、清水由貴子、坂本スミ子のお三方。
あ、もちろん「日本の社長」も好きでしたよ。ではまた。
2011/07/21(木) 10:50:42 | URL | あみーご長嶋
はじめまして。
八波さんは、内田さんの頃かな、コーナー持ってました。
なんだっけな。名前に語呂合わせしたコーナー名だったけど。
ウィキペディアによれば、サブ止まりだったようですが、長いですね。

週末ディスカウントセール。
なんか懐かしい響きだな(笑)。
2011/07/25(月) 23:18:28 | URL | ごいんきょ
モーニングショーのネット局だが
各地域の最先発局ばかりでしたね新潟の場合アフタヌーンショーや
キャンディキャンディNST新潟総合テレビモーニングショーはBSN新潟放送
2012/01/14(土) 11:25:27 | URL | (ハンドル未記入)
局が少ない地域は、その分密度の濃い編成を組めたというのは有るようです。
2012/01/22(日) 08:34:22 | URL | ごいんきょ
マイク真木さん
栗原さんのあとに確かマイク真木さんが司会に抜擢されたと思うんですけど、私の記憶では。。
若造のくせに(って、親が怒ってた【笑】)、すっごいタメぐちで、栗原さんのことを「栗原クン」って言っちゃったり、顰蹙かってました。
なにしろ生意気だった(・・らしい)。
2012/01/22(日) 19:48:17 | URL | オリビア
う~ん… 確認できませんねえ。
栗原さんこそ、結構な物言いであまり評判が良くなかったらしいですから(笑)、
早めに降板して、マイクさんが後がまを務めた可能性もゼロではないでしょうが、確認できる資料は有りません。
マイクさんがワイドショーっぽい座にいたような気は、ワタクシもするのですが。
2012/01/27(金) 21:38:17 | URL | ごいんきょ
やっぱりマイク真木さんも司会やってたみたいですよ。
オリビアさんとごいんきょさんのやりとりで気になったので色々検索をかけてみたところ・・・やはりマイク眞木さん、栗原さんの後任でサブ司会なさってるようですよ。

時期は昭和41年9月からの約1年ほど。その後、GSバンドのを組んだんでその活動に専念したいとかという理由で番組を降りて、42年の秋〜木島ショーとしての終了までの期間は小椋克己という地方局のアナウンサーだったか記者の方が穴埋めをしてたみたいですが。

あと、ずっと時代は下りますが、田丸さんの時代の中・後期(昭和62年新春〜秋)もトリオ司会体制でして、田丸さんのほか、当時新人だった寺崎アナ、そしてコメンテーターっぽい位置づけで彦由常宏さんという、それまでは裏方みたいな形で番組に関わっていた方が司会陣に加わっていたみたいです。これもどういう訳かWikipediaには記述が全くない(汗)。

こういう情報ってWikipediaに上げるのが本来なら筋なんでしょうが、どうもあそこの表テーブルのタグやら記号やらが複雑でして、どうも追記しようという気が起きないんですよね・・・。あれだけ閲覧者も投稿者も桁外れな数のサイトなんだし、もう少し使いやすくならないもんなんでしょうかねぇ・・・(苦笑)
2014/10/24(金) 21:13:48 | URL | (ハンドル未記入)
そうですね。その後、ワタクシも資料で確認できました。
オリビアさんとお母さんは、完璧でした(笑)。

昭和41年10月10日に特別出演した栗原玲二さんに対して、「栗原君」と呼んだのですね(苦笑)。
しかし、すぐに木島さんが「やっぱり栗原さんですね」と窘めて事なきを得たと言いますか。
この件に関してはオリビアさんのお母さんだけでなく(笑)、
かなりの苦情が寄せられたようです。
そして、きちんと窘めた木島さんには好感が寄せられました。

そんなマイクさんですけど、回が進むにつれて馴染んでいったようで(笑)、
視聴者にも受け入れられたようです。
若造も若造、まだ日大芸術学部の学生だったんですよね。
2014/10/24(金) 23:53:21 | URL | ごいんきょ
小椋克己アナ
名無しさん御指摘の小椋克己氏(1928~2005)とは、高知放送(RKC)でアナウンサーをしていた方です。
彼は生粋の土佐人ではなく実は東京の生まれで、後に父親の仕事の関係で高知住まいとなったそうです。愛媛大学を卒業後、当初は同県の南海放送に就職しましたが、1956(S31)年RKCに転じました。後に同局で報道局長やニュースキャスターとして活躍しますが、実は67年から68年にかけて、「木島則夫モーニングショー」のサブキャスターを務めていたのです。
今でこそ、地方局から在京キー局に出向するアナウンサーは珍しくありませんが、この当時は余り例がなかったのではないでしょうか。

RKC退職後の91(H3)年、桂浜を見下ろす高台に建っている、県立坂本龍馬記念館開館と同時にその館長に就任しました。やはり言葉のプロとしての視点でしょうか、とりわけ龍馬が残した数々の手紙の魅力に引かれ、口語訳を添えたこれらの手紙を展示の基本として、今でも好評を博しています。
2014/10/25(土) 00:13:07 | URL | うみがめ
そうですね。
小林克己さんはうみがめさんのご説明の通りで、
マイク真木さん降板後を受け持つ訳ですが、
どうもマイクさんに替わってから視聴率が落ち込んだようです(笑)。
現役大学生にいきなり人気番組の副司会とは、
ちょっとテレビを舐めた人事でしたかね。

で、ちょうど一年間、木島さんが降板するまで務めた訳ですけど、
なんで地方アナを?と言う不思議な人ではあります。
工学部出身で三人の子持ち、報道畑の経験も豊富で東京弁もできる、
地方の感覚を持った特殊な人材ではあったのでしょうが、
やはり突飛な人事だったとは思います。
2014/10/26(日) 00:01:03 | URL | ごいんきょ
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