私的 昭和テレビ大全集
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WBA世界J・.フライ級タイトルマッチ (1976)

世界Jr.フライ級タイトルマッチ(1976)
Jr.フライ級なんて、とってつけの階級に過ぎなかったんですよね。
そもそもボクシングは重量級であるほど迫力あるわけですが。
それを覆したのが黄金のバンタムと言われたエデル・ジョフレ、
宿敵ファインティング原田らで、ルーベン・オリバレスなども加わり、
当時のバンタム級はそらもう、凄い華がありましたね。
しかし小柄な東洋人にボクシングが本格的に普及し始めると、
更に階級は下へ下へと拡大されていき、フライ級、更にはその下の
Jr.フライ級なんてのができたのですが、キワ物的に見られていました。
今では更にストロー級だの、ミニマム級だのもできてよくわかりません。

でもまあ、体重別で競わせるというのは格闘技に於いてはフェアと言えます。
単なる殴り合いから進化し、文明的スポーツとして発展したボクシング。
このフェアー思考が芽生えなければ、いつまでも野蛮な殴り合いだったでしょう。
その点、まだまだ世界経済はこの殴り合いで競っている状態ですね。
力が大きければ大きいほど、金を持っていれば持っているほど有利で当然。
それが自由競争であるという思考から脱却できていない状態です。
などと、昨今の政治経済状況も微妙に絡めた考察も混ぜておいて、
具志堅用高ですよ、カンムリワシ。

沖縄という土地を最も本土の人間にアピールした最初の人じゃないですかね。
彼が沖縄『県』を、本当に日本本土と一体化させてくれた感じがする。
まさに郷土の英雄でしょう。アフロヘアーも彼が広めたかも。
そして、キワ物的だったJr.フライ級を堂々たる階級に押し上げた功績も大です。
なにしろ世界タイトル連続13回防衛は、それまでの日本記録を倍上回るもので、
本当に圧巻でしたからね。さほどの格闘技・ボクシングファンでなくとも
毎回毎回、防衛戦が楽しみだったのは、彼が最後なんじゃないでしょうか。

軽量級なんですが、彼のパンチの破壊力は中量級に匹敵するもので、
自然、KOも少なくなかったですからね。ドスッドスッて感じで鈍く響く
右のジャブが、ストレートにも見える威圧感を持った人だった。
判定判定では、Jr.バンタムもその下のクラスも、栄えなかったかもしれません。
たった9回目の試合で世界王者ってのも、当時の日本人ボクサーとしては
あまりに異例中の異例で、その衝撃も大きかったですね。
「郡司さんの採点では…」と、このころ必ず解説は郡司信夫だったなぁ。

引退後は、ちょっと別方面でも注目されました。片岡鶴太郎が物真似を披露。
インタビューシーンでの「チョッチュネー」という間投詞が流行語になりました。
実際には、こんなこと言ってないですけどね、勿論。
でも、なんか感じをとらえていて説得力あったんだよな(笑)。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
ほんとに凄かった
とにかく、スピード、パンチ力を含めた、バランスの良さが群を抜いていましたね。それに彼ほど、身体のバネを感じさせてくれる選手はいなかった。

まぁ正直、ファン・グスマンに挑戦する前は、闘った世界ランカーは一人だけ。ファンの心理としては、本当に強いのか半信半疑だった(私もその一人)。それも、あの一試合で完全に払拭されましたがね。

そうそう、タイトルを獲った翌日の、某スポーツ紙のプロフィール欄に載った読み仮名は“ぐしけん もちたか”。やはり、あまり注目していなかったのだなと、思ったものです。

それに、ごいんきょがおっしゃるように、フライ級より軽いJrクラスなんて…ていう見方も百八十度変えてくれましたね。あの勝ちっぷりを観れば、そうなると思いますよ。

ただ、最軽量のミニフライ級となるとそうでもないようで。リカルド・ロペスというとんでもない選手は出たが、クラス全体の盛り上がりには欠けるし。

個々の試合では、タイトルを獲ったグスマン戦のほか、V7のマルカノ戦、V12のバルガス戦が、その充実ぶりで特に印象深いですね。後から考えると、V7はそれまでの国内防衛記録(6回)、V12は同クラスの連続防衛記録(11回)を、それぞれ破ることなど、タイトルを獲った試合を含め、記録がかかった試合ほどいい出来だったような気がします。

最後は残念な終わり方でしたね。バルガス戦の後、引退しようと思ったのを会長がウンと言わなかったので、現役を続行したというし。最後の2試合は、それまでの試合とはどこか違うような感じがして…、やはり一度気力が萎えると、難しかったのかもしれませんね。

ところで、具志堅がタイトルを獲り有名になった後、中央競馬にインターグシケン、キョウエイヨーコーといった馬が走ってましたよね。馬主は、具志堅が所属していた協栄ジムの後援者だったそうで。インターグシケンの方は、菊花賞まで勝ったのだから、こちらもたいした戦績です。

あと、いまでこそ駅伝などで知名度のある山梨学院大ですが、具志堅のタイトル挑戦試合までは、まったく知りませんでした。いい宣伝になったのでは。

しかし、これまで誰もコメントしていないなんて、何ともさびしい。やはり、ボクシングはマイナースポーツなんですね。
2008/07/04(金) 16:19:18 | URL | カントスカン
いやー、そら今はボクシングも冬の時代かもしれませんが、
昭和時代の人間には馴染み深いスポーツですよね。
ただ、当ブログを恒常的にご覧になる方は、やはりバラエティ系や子供番組に愛着が有る人が多く、
格闘技に思い入れが特に深い人は、そっち方面のページを見るでしょうから。
ここのスポーツコメントが少ないのは当然でしょう。
プロレスはマニアックな要素が強いので(笑)、
ここの閲覧者でも話せる人は多いと思いますけどね。

「もちたか」有ったかも。
軽量級はやはりどうしてもパンチ力が弱くなるので、
どうしたって重量級よりは迫力が落ちますね。
かと言って中重量級では日本人には荷が重いし。

ロベルト・マルカーノ戦は名勝負でした。
それまで判定の試合も多くて結果にブーイング浴び気味だった彼が、
一気にスターダムにのし上がった試合でもありました。

V12戦もたしかに盤石で、これはひょっとしたらジョー・ルイスの記録も破れるんじゃないか、
なんていう夢想もさせてくれました。
ところが、最後の試合の前日だったか、
バクバク飯を食べてる具志堅さんが報じられたんですね、東スポに(笑)。
あれ、試合後だったかな。
とにかく飽食をしてしまったようで、いわゆるハングリー精神が無くなってたんでしょう。
ボクサーの最大の敵は自分自身なんでしょうね。
競馬についてはワタクシはほとんどわからないのですが、
そう言えばインターグシケンって覚えがあります。
2008/07/06(日) 22:35:24 | URL | ごいんきょ
日本で最優秀の世界チャンプ
 かも知れませんね、具志堅さんは。私は、テレビよりも少年誌の巻頭カラーに出ていたり、漫画そのものになってた記憶の方が強いです。(丁度王選手と一緒にとか)。
 あの背筋鍛えるの覚えてます?海老反ってピョンピョン跳ねるやつ。
 この頃の共栄ジムって活気がありましたよね。金平会長で。上原とかもチャンプになって。
 具志堅のビデオは見応えありますよね。KO勝ちが多いから、ダイジェストで流しても退屈しないんです。
 具志堅さん確か、チャンプになる直前までトンカツ屋でバイトしてたんですよね。
 家の近くにも彼の経営してたラーメン屋チェーンがあって、サインとか顔写真が飾ってあったです(まだ店あるのかな?)。
 今の長谷川選手が記録抜きますかな?
2009/05/12(火) 00:42:34 | URL | ひとみファン
まあ記録の上では最高に位置する人なのは確実なわけですが。
わずか9戦で世界王者というのも、当時としては驚愕の出来事でした。
具志堅さんの漫画なんて有りましたかね。
カンムリワシがトレードマークにはなってましたからね。
軽量級なのにKO劇を幾つも演じてくれて、
史上最も日本人を熱狂させたチャンプと言えるでしょう。
長谷川選手は時代に恵まれてないですね。
でも記録が続けば、自分で時代を作れるという楽しみも有るわけですが。
2009/05/21(木) 06:35:31 | URL | ごいんきょ
具志堅の漫画
これは、特に有名な漫画という訳ではなく、良く例えばピンクレディが流行れば「ピンクレディ物語」とか、そういう類で良くマガジンとかサンデーで単発物でやってたものをイメージして頂いた方が良いと思います。
王選手と具志堅の対談は「ボクシングマガジン」でしていたと思います。
2009/05/22(金) 20:59:08 | URL | ひとみファン
ボクシングマガジンを閲覧とは、かなりのボクシング・ファンだったんですね。
ボクシングファンでありながらアイドルファン。
懐広いですな(笑)。
2013/03/28(木) 22:52:00 | URL | ごいんきょ
この時の会場は
カントスカンさんも書き込んでいましたが、後に駅伝等のスポーツで有名になる山梨学院大学の講堂でした。「大学の施設でボクシングのタイトルマッチとは何事だ!」といった意見が地元ではあったようですが、ときの学長が「日大講堂はプロレスのメッカではないか。」と押し切ったようです。山梨学院大学講堂は八時だよ全員集合の生中継も行われました。
2013/03/29(金) 20:56:15 | URL | とらお
そんなこと言う人には、「あしたのジョー」の少年院編でのジョー対青山戦のくだりを読ませるべきです(笑)。
ボクシングは歴としたスポーツですよ。
体育ですよ。
2013/04/03(水) 00:20:56 | URL | ごいんきょ
当時、問題提起した人たちは、スポーツの裏側に潜む興業=裏社会が学び舎と関わりを持つという事を懸念されたのではないでしょうか?ちなみに山梨学院大学はその後、息子さんに世襲して山梨学院体育大学の様相を呈しています。少子化の今、地方の文系私大が学生を集めるビジネスモデルとなっています。念のため私、OBでも関係者でもありません。
2013/04/07(日) 08:15:30 | URL | とらお
あー、なるほどね、たしかに、それなら一理ありますが。
まあ興業とは一線を画すべきとは言えるかもしれませんね、学府は。
2013/04/13(土) 07:21:06 | URL | ごいんきょ
プロレス&ボクシング
中学校のときの友人が、毎月「ゴング」をとっていて、それを借りて読むようになったことが、プロレスにはまった原因なのですが、なんとそいつは「プロレス&ボクシング」もとってたんですよ。「一人っ子はいいなー」とうらやしがりながらも「プロレス&ボクシング」も借りて、しっかりと読みふけって、その結果ボクシングにも、はまっていきました。ちょうどそのころは、階級もいまほど多くはなく、また、WBAとWBCしか公認団体はなかったにも関わらず、世界チャンピオンが日本人でこれまで最多の5人(確か、小林、沼田、西條、大場、花形)もいて、かなり世間的にも盛り上がっていて、テレビ放送もゴールデンで必ず世界戦が放送されてました。
でもって、そんな中、大場の存在はあったものの、「軽量級はKOは少ない」という私の常識を覆したのが具志堅選手でした。
 20年ほど前に友人と3人でススキノのとあるビルの中を歩いてたんですよ。そしたらなんと具志堅さん(3人連れ)とすれちがったんですよ。「おい、今の具志堅じゃなかった?」「そうだよ、具志堅だよ」となって、10mくらい離れてしまった後ろ姿に「具志堅!」と声をかけたんです。そしたら具志堅さん、振り返って手を上げ、微笑んでくれたんです。「具志堅さん」と言えばよかったと後悔しました。
2015/01/11(日) 02:15:00 | URL | みのモンタナ
んー。正にボクシング黄金時代ですよねえ。
大場さんは、本当に惜しい人でした。

具志堅さんも、チャンピオンになった当初は、
KOが少ないと文句を付けられてましたけどね。
そのうちにそんな声も消えましたが。

はは(笑)。
呼び捨ては良くなかったかな。
でも大物ですから、なんとも思わなかったでしょうね。
2015/01/18(日) 17:08:33 | URL | ごいんきょ
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