私的 昭和テレビ大全集
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喜びも悲しみも幾歳月 (1965)

喜びも悲しみも幾歳月(1965)
ホームドラマチャンネル開局以来、待ちに待っていた木下恵介アワーが、
ようやっと、それも全作全話放映決定という嬉しさよ(涙)。
まあ、ワタクシの親世代ならもっと喜んでいると思うのですが、
その世代のパソコン普及率は甚だ低いでしょうからね。
CS放送にも疎いと思われるし、そこいらで反応が少なくなるであろうと思いますが、
これは昭和テレビマニアにすれば画期的なニュースなのであります。
個人的には、進藤英太郎の『おやじ太鼓』が今から楽しみですな。ワッハッハッハ!

♪ おっいらみっさきのー とーだいもーりぃはー
この歌で、ちばあきおの漫画『プレイボール』の山本先輩を思い出すアナタ。通です。
そんな人はおいらだけか(笑)。
日本映画の重鎮だった木下恵介のオリジナル作品で、そもそもは1957年に、
佐田啓二・高峰秀子という黄金コンビの主演で映画公開され、大ヒットしました。
主題歌も、はるかに世代が下る山本先輩が歌えてしまうほどに大ヒット(笑)。
なんでこの映画がヒットしたかというと、日本人に職への聖なる意識があったからでしょう。
昨今、アメリカの日本文化解体勢力の謀略で、終身雇用制すら揺らいでおりますが、
そろそろ日本人は、アメリカは失敗国家であって学ぶ点は少ないと知るべきです。
どんどんアメリカ化して、どんどん暮らしづらくしている。

あちこちに転任しながら、日本中の船の安全運行を見守る灯台守夫婦。
そんな彼らと、彼らの子供の世代まで含めた日常を描いた作品で、
日本各地の四季に囲まれて、親子、男女の愛情物語を紡いでいくのです。
職業に生活そのものを預けて当たり前のようにつつがなく生活する彼ら。
敗戦から高度成長へと日本を導いた先人達は、この物語に、
会社に全てを捧げる自分自身を投入して見ていたんでしょうね。

日産自動車提供、木下恵介アワー。
今回、木下恵介アワーのOPが無いのが少し寂しいですね。
昭和40年代は、映画が完全にテレビに敗北した時代でありますが、
この木下恵介アワーの誕生も、それを象徴する出来事でした。
その記念すべき第一作に本作のTVドラマ化を選んでいるのも、
木下監督のこの作品への思い入れの深さをうかがわせます。

主題歌はもちろん映画の時と同じで、たしかこの曲が契機で
懐メロブームみたいのが起こったんじゃなかったっけな?
東海林太郎とかがやたらテレビに出るようになりましたっけ。
直立不動の歌唱スタイルが脳味噌にこびり付いてますが。後に前川清が踏襲(笑)。
懐メロブームを受けて、東京12チャンネルでその手の番組が誕生。
我が家はよく見ていましたね。
お陰様で、同年代が知らないような昭和初期~30年代の歌も、
有名どこはことごとく歌いこなせる変わり者になってしまいました(苦笑)。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
木下恵介監督ファンは少ないのですね
私は、幼い頃「木下恵介アワー」を観ながら小中高校時代を生きてきました。それが終わると「木下恵介・人間の歌シリーズ」が、人生教育の手本になりました。’55生まれで、木下恵介監督や山田太一脚本の作品は私の人生に大きな影響力を及ぼしています。昨年三月よりホームドラマチャンネルで放送された「」木下恵介アワー」の95%は録画テープに残すことが出来ましたが、三倍速で録った上デッキが古いものでザラツキが激しく仕事そっちのけで録画したのに実に残念な思いをしています。

「喜びも悲しみも幾歳月」全26話は、東京オリンピックの影響で熊本の弩田舎にも貧しい家庭にもテレビが何とか浸透し始めた頃の画奇的頃の木下恵介監督のTV参道だったのかも知れない。

「隠密剣士」と「木下恵介アワー」子供も絶対見れる番組だった。

 私は、その後暫くしてデビューした内籐洋子様のファンになり、記念樹の中のひとつの映画化されたもの(タイトルrを覚えていない)「あこがれ」だったかな「氷点」「センチメンタルボーイ」など、10円映画で観た。

 ホームドラマチャンネルで全26話観てこういう物語だったのかと思ったしだいです。少年の頃は、人生の機微は解らないものです。なんと優れた作品だったのでしょうか。
 わたしの少年の頃の思い出深い作品は「記念樹」でした。ではまた。
2006/05/16(火) 13:02:21 | URL | はっしゅう
麗しのテレビ黄金時代
はっしゅうさんも昭和30年代生まれの方でしょうか?
僭越ながら、テレビ的には一番良かった時代を観てきておりますよね。
視聴率を上げようという事よりも、
いかに自分が表現したい事を表現するかに、
ほとんど全てのテレビ人が悪戦苦闘していたんではないでしょうか。

木下監督はもちろん映画人ですが、
テレビ第一作にこの作品を選んでいるというのは、
メディアとしてテレビを蔑んではいないという表明のようにも感じます。
事実、その後の発表作はどれも素晴らしいものでした。
今日では絶対に民放では実現できないでしょうし、
NHKすらもかなり怪しくなってきておりますからね。

隠密剣士は大人も観られる子供番組で、
木下恵介アワーは背伸びしたい盛りの子供が観られる大人の番組でした。
木下監督ファンが少ないというよりも、
本文中にも書いていますが、ネットというメディアの特性があり、
ワタクシより上の世代の方は絶対数が少ないでしょうからね。
うちのオヤジやおふくろの世代が嗜んでいた番組で、
彼らはパソコンなんか猫と同等程度しか扱えませんよ。
手当たり次第にキーを叩くとか、そのくらいしか(笑)。
2006/05/16(火) 23:05:40 | URL | ごいんきょ
昼ドラ、黄金期の
このドラマの名前を見て、
感激いたしました。

当時小学生の私は、
夏休み・春休みや、午前中で授業が
終わった日の行動パターンは、
12:40からの、ポーラ・テレビ小説を見て、その後13:00から
花王・愛の劇場をみて、それから
チャンネルを変えて、13:00から東海テレビ制作枠のドラマを
見て、っていう感じでした。

その初期の頃にやっていたのが、
この「喜びも悲しみも幾歳月」。

映画の作品ももちろん良かったのですが、これぐらいスケールの大きな
大河ドラマになると、2時間程度の
映画では描ききれないので、
個人的には愛の劇場の連続ドラマの
方が好きでした。

エンディングの歌の雪の北海道の
シーンに蒸気機関車が走る様は、
圧巻でした。

映画には出てこない「木島」という
燈台守もいましたね。
老境に入った夫婦が手にした二枚の
写真。息子と木島の写真。

燈台守の歌は、木下監督作品のために作られたものとばかり思っていたのですが、映画の中で燈台守の歌が歌われていた(確か、結婚の内内のお祝いの席で)ので、少なくとも昭和初期には歌われていたものと思われます。

花王・愛の劇場は、文芸路線が多かったですね。
林芙美子の「放浪記(歌:野路由紀子)、山本有三の「女の一生」、
川端康成の「古都(歌:芹洋子)」
などなど。

今は「冠」もとれて、少し見応えも
なくなったような。
2006/07/10(月) 23:41:56 | URL | 藤四郎
よーく記事を読むと
昼ドラではなく、夜にやっていた、
木下恵介アワーの作品のようですね。

すみません。タイトルを見ただけで、
舞い上がってしまいました。
取り急ぎお詫び申し上げます。
2006/07/10(月) 23:45:55 | URL | 藤四郎
木下恵介アワー
であって、愛の劇場ではないと思います。
調べればわかるんでしょうが、そういうブログでもないんで(笑)。

灯台守の歌は映画主題歌じゃなかったんですか。
昭和初期の歌とはまったく知りませんでした。
だから懐メロブームに結びついたんですね。
その辺がちょっと引っかかっていたんですが、これで納得できました。

愛の劇場は文芸作品が多かったかもしれないです。
故にワタクシは、どちらかと言えばライオン派でした(笑)。
2006/07/11(火) 01:26:07 | URL | ごいんきょ
私もこのドラマを子供の頃、昼の時間に見ていた記憶があります。
この時代のTV作品特有の素朴な人間ドラマで、断片的な思い出しかないのですが、感動したことを覚えています。
2014/06/14(土) 21:56:52 | URL | するーぱす
やはり「愛の劇場」の方になりますか(笑)。
木下恵介劇場の白黒画面が懐かしいですけどね~、ワタクシは。
2014/06/15(日) 20:56:46 | URL | ごいんきょ
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