私的 昭和テレビ大全集
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欽ちゃんのどこまでやるの! (1976)

欽ちゃんのどこまでやるの!(1976)
非常に私的な事ですが、ワタクシが特に好きな昭和のテレビ番組を書いてみますと、
『新選組血風録』『テレビ探偵団』『細うで繁盛記』『サタデーナイトショー』
さんまが出ていた頃の『笑っていいとも!』『奥さまは魔女』などでしょうか。
これらでNo.1を決める事は不可能ですが、より深い愛情を、より長く持続させてくれた、
そういうものをNo.1とあえてすれば、この『欽ちゃんのどこまでやるの』になるでしょう。
ワタクシはどんな種類のお笑いも理解できる、お笑い至上主義の人間で(笑)、
ドリフも好きだったし、モンティ・パイソンや一時の志らくのような区別ネタも好きですし、
それでいてこの作品のような、ほのぼのした笑いも好きであります。
こういう人間は、あまりいないでしょうね。

コント55号の活動に行き詰まりを覚えた萩本欽一は、一時精神的に落ちこんだようですが、
ラジオの『欽ちゃんのドンといってみよう!』や『スター誕生』の司会など
新境地を開いて雄々しく復活。『欽ドン!』のテレビ版でドリフをも一時凌ぎ、
その余勢を駆ってテレビ朝日でスタートしたのが、この番組でした。
ワタクシは第一回から最終回まで、おそらく一回も欠かさず見ております(笑)。

最初の頃はフィルムのサクラカラー24のCMを萩本が請け負っている頃で、
「4枚増えて値段は同じ。どっちが得か、よーく考えてみよう。
 どっちかなー、こっちがポロッと落ちる。
 これが残って、ドーンと撮ってみよう!」
という比較CMが話題になっていました。
おそらく日本初の直接比較CMで、他社のフィルムをポロッと落とすのが衝撃的でした。
てな繋がりで、当初サクラカラーがこの番組でも有力スポンサーでしたが、
第一回放送では、なかなかCMタイムになりませんでした。
じゃあどうしたかと言うと、萩本家に置いてあるテレビからCMを流したんですね。
この番組の頃はチンパンジーが「考えてますよ」と言うバージョンだったと思いますが、
萩本家のテレビからそのCMが流れると面白さ倍増で、会場も大ウケでしたね。
この手法で何回か通して、放送開始から40分以上も通常のCMが無くぶっ通しで
萩本家から放送し続けていたんで、「こりゃ本当にどこまでやるの?!だ」
と、ワクワクしながら見ていたのを覚えています。

最後の1つのCMだけは他社スポンサーだったからダメだったのか、
普通の形のCMタイムに入りましたけどね。
そんなわけで第一回から跳ばしていた番組ですが、その第一回の内容は、
萩本家にレギュラーを招いて、これからやっていくコーナーを説明する内容でしたね。
谷啓の『推理ドラマ』、若原一郎の『日本一短いドラマ』などのコーナーがあり、
萩本欽一と真屋順子の演じる夫婦が全編通してコントを演じているのですが、
その二人が見ているテレビの番組という設定で、これらコーナーが流されました。
ちょうどNETがテレビ朝日に改名して間もない頃で、♪ 我が家の友達10チャンネル
という歌をよく流していましたが、この萩本家のテレビでもそれが流されてました。

日本一短いドラマというのは、一枚の写真から笑いを取るという内容だったと思います。
視聴者が送ってきた写真に秘められた話を、萩本と若原があれこれ言う内容だったかな。
若原一郎は『おーい中村くん』という歌がその昔ヒットしたものの、
この頃はまるで露出も無くなっていたのですが、萩本が見いだした形ですね。
番組で、『あれからどうした中村くん』という続編の歌を制作。
毎週毎週、その売り上げ枚数をレポートしてました。
あまり芳しくない売り上げで、苦笑していた若原が印象に残ってますね(笑)。

推理ドラマは結構ウケましたね。
毎週のゲストが5品の料理を食べる。その順番を、谷探偵と萩本探偵が当てあう。
テレビの前の我々も、順番を推理するのが楽しみでした。
最初にメニュー5品が紹介され、二人であーだこうだ言いながら推理。
そして正解VTRでゲストが黙々と飯を食い始めます(笑)。
二人の推理が当たると、「♪ 萩本さん、大当たり~」とか
「♪ 谷さん、大当たり~」という女声ジングルが流れます。
普通に飯を食うゲストが多くて、一度手を付けたおかずにまた手を付けたりね。
早く次へ行けよと思いながら観てましたけど(笑)。
このコーナーは評判が良かったようで、わりと長く続きました。

しばらくすると真屋順子のお腹にクッションが入れられ、妊娠という事に(笑)。
ここから空前にして絶後の、超大河バラエティが始まるのであります。
やがて順子夫人は珠のような男の子を出産。視聴者により見栄晴と命名されます。
最初の頃は、ただの人形だったんですよね。
そのうちにハイハイするようにパワーアップ。
リモコンカーで動かしていたその人形も笑いをくれました。
真屋順子が歌う子守歌が作られ、毎回EDで歌われました。

やがて、普通に人間の子を使うようになりました。
最初の頃は小さいから事情も把握できてなかったんでしょうな。
硬い表情が印象に残ってますね。あまりしゃべらなかった。
そのうちに慣れてくるとどんどん愛くるしくなっていって、
番組エンディングで毎週日記を読み上げるようになりました。
夫妻の住居もテレビ朝日のある六本木から、
五本木(笑)→ 豊四季 → 三島 → 二本松 → 一の橋と引っ越して行く事になります。
数字が減っていくのに従い、子供達も成長していって、
番組が終わりに近づいていく感じがしてちょっと不安でした。

番組EDは一家の就寝シーン。
みんなで布団を敷き、一日の様子を話して、軽いトーク。
ちょっとしたオチが付いた所で家長である萩本が
「寝ましょ寝ましょ」と言って消灯されるというパターンでした。
ワタクシはこのEDのほのぼのした味わいがとても好きで、
こういうテレビ番組は、もう二度と味わえないだろうなと、
当時から噛み締めるように視聴していました。
だから、こんな長い記事も書けるわけです(笑)。
その時の想いは正しくて、その後もこれだけほのぼのした番組は無いです。

夫妻が見るテレビにはいつも同じアナウンサーが登場。
最初の頃は北野英二と名前が出ていたんでしょうけど、そのうち
『いつものアナウンサー』という名札が置かれるようになりました。
「萩本さんちのバカ夫婦、バカ夫婦と、近所の噂になっているそうです」
と、萩本家のニュースを読み上げるんですね。
あとゲストが来る前に、「誰々が萩本家に来るそうです」とニュースしたり。

この頃、番組のOPでは黒子衣装の斉藤清六が、舞台の掃除をしながら
観客とあれこれ話す前説?の模様を流しておりました。
清六はそもそも『スター誕生』の飛び入り素人で萩本に拾われ、
西山浩二なんかと一緒に「ドビン、チャビン、ハゲチャビン」とかやってましたね。
そしてこの番組の黒子となるのですが、子供達が大きくなる頃には
二代目いつものアナウンサーに昇格。『村の時間』という番組を放送してました。
「村の、時間の、時間がやってまいりました」というアナウンスがおかしかった。

清六がアナウンサーに昇格すると、二代目黒子に小堺一機が登場。
その芸達者ぶりで、オープニングが更に面白くなりました。
見栄晴も順調に成長し、次の子供が誕生する事に。
ところが出てきたのは三つ子。これも最初は人形でした。
やはり視聴者から募集して、つけられた名前は、のぞみ・かなえ・たまえ。
そのたまえちゃん、オチの役割を担っていて、一体だけ落書きみたいな顔でした。
人間が演じるようになってからも、高橋真美はオチを意識させられたようです(笑)。

三つ子も見栄晴同様、募集した実際の三つ子が演じるようになり、
その頃には見栄晴は、今もその芸名で活躍する藤本正則になってたと思います。
その間、番組にはいろいろなレギュラーが登場しました。
顔のやたら老けている学生服、若原先輩と近江俊郎ならぬトーシローくん。
若原の娘の瞳も、この番組からタレント活動をスタートさせたと思います。
瞳のフィアンセ役が蟇目良だったかな。
やたら明るい陽介くんもいましたね。ルイルイの一芸で飯を食う太川陽介。
この番組でも勿論やってましたよ、ルイルイ(笑)。

細川たかしがレギュラーになると、番組内で少しずつ新曲を作成。
細川の希望と萩本のアドバイスで詩や歌の世界ができあがっていき、
それはやがて『北酒場』という一曲の歌となって、番組内で歌われるように。
しかし普通には歌わず、毎回萩本の指示で変な振り付けや歌詞になりました。
「火を付けて くれた人」の部分はタバコを持つ振りにした方がいいねくらいまでは
普通だったのですが、週が進むと、持っているタバコの火が足に落ちて熱い
って振り付けを要求されるようになります。
「♪ 今夜の恋は タバコの先に ワッチャー! 火を付けて くれた人」
と毎週歌うようになりましたね(笑)。

そんな模様を毎週毎週ドキュメントっぽく放送しているうちに、
見る見る曲はヒットチャートを駆け上っていき、他局のベストテンなどにも出演。
その中でも、ちゃんと「ワッチャー!」って歌ってた時もあった気がしますが、
さすがにそれは無かったかな?(苦笑)
いずれにせよ、欽ちゃんも前面には出ないまでも応援っていう感じで出演してました。
この相乗効果により、番組は正に絶頂期とも言える様相。
この頃から、わらべの子供時代までは、本当に最高に楽しかったです。
毎週毎週ゲストが萩本家を訪れてトークをしていたのですが、
一緒にこの「ワッチャー!」をやるのが儀式みたいになってましたね(笑)。
出演者全員と、会場と、テレビの前の我々が完全に一体感を持てたと思います。

やがて三つ子も成長し、高部知子、倉沢淳美、高橋真美の三人になり、
アイドル的な存在となりました。高部知子はその少し前に昼のドラマに出ていて、
大竹しのぶに似た可愛い子だなと気になっていましたので、
この番組のレギュラーになった時には凄く嬉しかったです。
他の二人も、とても可愛い子でしたね。倉沢はこの番組後、アイドル展開もしました。
高橋はニッポン放送のラジオ番組とかやって、三人の中で一番地味だった分、
一番無難に芸能生活を送ったと言えますか。

三人が番組EDで歌い始めた『めだかの兄妹』は、北酒場と違ってすぐにヒットしました。
ベストテンやトップテンなど音楽番組にも出演し、順調だった矢先、好事魔多し。
新聞のテレビ欄に「高部知子衝撃写真」という見出しが踊りました。
内容は、FOCUSという日本文化破壊の先導を果たしたヤクザ雑誌に、
高部の喫煙写真が掲載されたというものでした。
明けた欽どこ放送日は大揺れ。急遽生放送となり、高部は取り敢えず謹慎。
その日の放送では順子と電話で会話し、それを通じての謝罪という形になりました。
冒頭、苦笑しながら狼狽して出てきた欽ちゃんの姿が忘れられませんね。
結局、その後のぞみはいない形で物語は進んでいき、高部復帰はありませんでした。

二人になってからも、わらべの人気は衰えず、二曲目『もしも、明日が…』も大ヒット。
ワタクシはこの番組中の歌で、これが一番好きですね。
また、演出もとても良かったです。
この頃、小堺は少し出世して、灰色のグレ子に(笑)。
そして新たに黒子として、関根勤が加わりました。
この二人は共に、先に書いた『ぎんざNOW!』出身でプライベートでも仲良く、
それぞれ芸達者でマニアックな面白さはあったものの、芸人としてどうも一皮むけず、
同じ事務所の先輩である萩本が預かる形になったんでしょうか。
欽ちゃんファミリーとなってからの二人は、ご存知の通り、順風であります。

この頃の番組EDは、わらべの二人に加わって、清六やお母さん、お兄ちゃんは勿論、
このクロ子とグレ子、更には歌が苦手なお父さんまで参加しての一大パフォーマンスでした。
「♪ もーしも明日が 晴ーれならば 愛する人よ そーばにいて」
と繰り返される中、出演者が少しずつ振り付けに加わり、コーラスが増えていく。
一番最後に、はにかみながら加わるパジャマ姿の欽一お父さんが可愛かった(笑)。
欽どこファミリー、欽ちゃんのどこまでやるのという番組、その集大成だったと思います。
後期のスポンサーでよく覚えているのが、高見山の丸八真綿。
「マルハチ!」と叫んで器用に踊るジェシーの愛嬌がウケました。
「NEC・新日本電気」と読んでいた提供ナレーションも印象に残ってます。

フジテレビでやっていた『欽ドン!』、TBSで始まった『週刊欽曜日』との合体番組が、
この頃の期首特番として、各局持ち回りで制作されました。
全番組のレギュラーが一堂に集まる様は正に壮観。
このような例は、後にも先にも無いと思います。
24時間テレビジャックとか、テレビ史に残る試みをやってきた萩本欽一ならではでしょう。

その後、子供達は更に成長して大人になってしまい、番組のパワーは見る見る落ちました。
あれほど感情移入していた見栄晴やわらべの面々が全く別の人間になってしまったのは、
番組の人気を維持する上ではハッキリとマイナスだったでしょう。
萩本夫妻は白髪のカツラを被って老夫婦を演じたのだから、
子供達も大人の格好をさせれば笑いにも繋がったんじゃないかと思います。
萩本は視聴率100%男としての活動に疲れたか、休養を宣言。
もはや番組は見るも無惨なものになっていきました。
しまいには、『たみちゃん』というまったく別の番組にいつの間にかなっている始末。
10年余も視聴者を引っ張ってきた大河バラエティが、あのような形で収束したのは、
非常に残念というか、もっとハッキリ言えば作り手の怠慢だと思います。
できればきちんと、大団円を迎えて欲しかったです。

この度、大願叶ってテレ朝チャンネルで放送開始。
しかしながら1980年代に入ってからと、かなり跳ばされています。
第一回からは無理でしょうが(笑)、なるべく多く見せて欲しいものです。
また、大河バラエティでありますから、
あまり回を跳ばして放送しても作品を冒涜すると思いますね。
大変でしょうが、できるだけ当時の形で放送して欲しいというのが、ファンの願いです。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
すごい勢いでしたね
欽ちゃん人気も当時は飛ぶ鳥を落とすどころか、
日本の芸能界に地殻変動を起こすくらいのモンスターでした。
シロウトを次から次へと人気タレントにしてしまう手腕は脅威でしたね。

事のスタートは、『スター誕生』の欽ちゃんのコーナーだったと思います。
コント55号の人気は、マンネリというよりは、
アドリブ中心のコントがあまりに時代を先取りしすぎていたんじゃないかと思います。
毒が強く突飛すぎる嫌いもあって、誰もが楽しめるものではなくなっていき、
欽ちゃん自体が、もっと民衆の感覚に近いアットホームな笑いのエンタテイメントに
方向転換した結果という気がします。
それと、シロウトがTVの主役になるというのもリスクは大きかったと思いますが、
すべてはここからスタートしたんですね。
2005/05/04(水) 19:41:52 | URL | 路傍の石
テレビは素人のもの
と欽ちゃんが気づいたのは、『スター誕生』ですね。
いろいろ書こうとも思いましたが、その番組の記事を書く時に取っておきます(笑)。

コント55号はマンネリ的なものと、やっぱりドリフの台頭が大きかったでしょう。
真裏でやってて飲み込まれちゃいましたからね。
だから欽ちゃんは、チョーさんに声をかけてもらって、
「ああ、ドリフは敵じゃないんだ」と知ってから気が楽になったと、
いかりやさんが亡くなった時にコメントしてました。

確信的に素人を転がす笑いを番組にしたのは、むしろフジの欽ドン!の方ですけど、
この番組でも見栄晴とかわらべあたりは、そういう存在でしたね。
2005/05/04(水) 20:15:20 | URL | ごいんきょ
あらら
フライデーがヤクザ雑誌とか書いてますが、高部知子の記事を掲載したのはFOCUSですよ
2006/07/21(金) 00:59:36 | URL | (ハンドル未記入)
ジェシーは、
マルハチ!といいながら、
でんぐりがえしもしていたような。
違ったらゴメンナサイ。

斉藤清六さんの
「バイナラ! ラナイバ!」の
フレーズは、
手の振りとともに今でも重宝させて
いただいています。
いい時代の楽しい番組でした。
2006/07/21(金) 01:25:58 | URL | 藤四郎
FOCUS
そうでした。
日本文化破壊の先導を果たしたのはFOCUSです。あれが元祖でした。
ワザワザご指摘ありがとうございます。
フライデーも同じ穴の狢と思ってますけど、
高部の記事を書いたのはFOCUSでしたね。
二誌とも日本を住みづらくする空気作りに邁進して下さいました。

しかし、欽ちゃんもこの手の騒動二回目で、あの事件がむしかえされちゃうと嫌ですね。
ならこんな記事書かなければいいと言われそうですが(笑)、
これでも当時を知っている人はわかるように、結構書くのを控えた事も多いんです。

● 藤四郎さん
ジェシーのマルハチはパターン結構あったような。
でんぐり返りしてたかな?
ダンスは印象的ですけど。

バイナラ、ラナイバ、今でも使ってますか(笑)
楽しい方なんですねえ。
2006/07/21(金) 01:55:55 | URL | ごいんきょ
よく考えて見ますと、いまの土曜20時枠の王者といえば「めちゃイケ」ですが、その土曜20時台のお笑い番組の源流を築いたのも、コント55号だったですよね・・・。「世界が笑う」の後にドリフメインで立ち上げたのがあの「全員集合」だったわけで・・・。あれ以来、特にTBS対フジテレビの土曜20時戦争はまさに壮絶そのものでしたし、その分だけ、スタッフ・出演者も一人でもお客を増やすための努力を怠っていなかったなあ、と感じさせられることも今になってみると多いですね。とにかく番組作りが当時は下品とされていたものでも、今振り返ると「丁寧」そのものですね・・。
「世界は笑う」→「全員集合」→「欽ドン!」→「ひょうきん族」→「加トケン」→「ウンナンのやるやらやらねば」→「めちゃイケ」。
まさに日本のテレビ史上においてこれほど様々な影響を与えている時間帯もないだろうなあ・・・と実感します。
2006/07/25(火) 22:41:31 | URL | blue
土曜8時バトル
そうですね。おっしゃる通りだとワタクシもほぼ同意です。
まあ、「丁寧」というのは、ドリフには言えると思いますけど、
フジはそれを打ち崩す意味でも、敢えてか丁寧には作ってなかったかと。
勿論、番組作りの現場そのものは、本当に殺伐としてたと思いますけどね。
特に企画とか。
ドリフが強大すぎて、裏のフジはドラマやったりもしてたんですよね。
土曜ナナハンとか言って。

全員集合のコント作りの際のいかりやさんの真剣さは、
ちょっと想像を絶していたようですね。
煮詰めて煮詰めて、絶対に笑えると判断するまでOKを出さない。
ウケなくて番組が終わってしまえば、ドリフはもう終わり。
そういう危機感が、あの番組を支えていたのは間違いないでしょう。

欽ドン!も全員集合も、まだ記事を書いてないんですよね。
全員集合は今更ワタクシがやらなくてもというのがありますが、
欽ドン!に関しては結構ネタがあるので、いずれはやる予定です。
2006/07/25(火) 23:59:46 | URL | ごいんきょ
あぜ道カットの
なぜだか今頃になって、“甘栗坊や”斉藤清六さんのギャグが見たくて見たくてしょうがなくなってしまい、スカパでチャンネル変更契約したんですが、まだ出て来てくれてませんね。。。(泣)

清六さんって、凄く昭和っぽいなぁって思うんですよ。風貌からして(笑)
昭和の終わりと同じ位から、ぱったりお姿を見なくなってしまいました。今頃どうしてるんだろう。

たしか前川清サンも出てたような。
変な声で「はっぷぉ~すぁい」(八宝菜)とか言ってませんでしたっけ?
あれ見て「前川さんって本当は面白い人なんだったんだ」って思った記憶があります(笑)
2008/02/14(木) 21:46:50 | URL | カピバラ
あぜ道カットの甘栗坊やですか(笑)。
清六さん、昭和というより、もっと昔、平安くらいののんびりさを感じます(笑)。
今でも舞台その他で活動されてるんじゃないかな。

前川さんはたまにゲストで来たくらいじゃないですか?
2008/02/15(金) 06:08:40 | URL | ごいんきょ
竹脇無我
 私も、全回とまではいきませんが欽どこは毎週良く見ていました。でも悲しいかな、ほんわかあったかい気持ちしか覚えていません。
 竹脇無我がゲストのとき、弟の竹脇「夢中」として出てきて、兄・無我を語るというスタイルだったと思います。他のゲストもそういうスタイルで自分を語っていたんでしたっけ。
2009/05/24(日) 20:15:58 | URL | あぶもんもん
スー初の単独レギュラー
どこで書こうか迷いましたが…
田中好子さんの訃報に接し、まず思い出したのがこの番組です。
敢えて「全員集合」にしなかったのは、あちらはグループとしてのレギュラー、一方こちらはタイトルにも書いたように、単独での初レギュラーという意味合いがあるからです。
彼女にとって、それまでの「決められた台本通りに演じきること」よりも「当意即妙の受け答えが出来ること」が求められたことは、ある意味新鮮だったでしょうが、この番組と出会えたことで、その後の女優人生の幅も拡がったことは間違いないでしょう。
お悔やみ申し上げます。
2011/04/22(金) 11:52:36 | URL | うみがめ
● あぶさん
そうですね。
名前を少し変えて、兄弟とか親戚とか、そんな感じで他人語りするスタイルだったと思います。


● うみがめさん
あ、そうか。
ワタクシ、すっかり忘れてましたが、そうでしたね。
たまえちゃんとどうもイメージが被っちゃって。
2011/04/23(土) 00:09:13 | URL | ごいんきょ
蟇目良さんはこの番組に出ていましたね。
それ以前は日産スカイラインのCMに起用されていました。(これを知ってるのは今の70歳ぐらいの人ですが)
今はサラリーマンになっていますが、定年になりました。
2014/06/19(木) 17:20:25 | URL | 永山修一
なんでそんなに蟇目さんに詳しいんですか(笑)。
2014/06/20(金) 22:34:27 | URL | ごいんきょ
「来々軒」
近所の「くるくる軒」からやって来たのが前川さんでしたね。ごいんきょがおっしゃる様にレギュラーではなかったですが。前川さんはドリフでもコントをやられて才能?を発揮してらっしゃいました。筋を崩さないドリフコントに出てる時と、いろんなアドリブを振ってくる欽ちゃんに対してる時の前川さんの顔が全然違うのが印象的でした。欽ちゃんの前では「素」になる瞬間があるんですよね。欽ちゃんは本当に素人や、ある意味コントの素人である歌手や俳優のセンス・才能を引き出す天才でしたね。決して欽ちゃん自身が面白いことやギャグを言っているわけではないのに、いつの間にかほのぼのと笑わされている自分がいました。
2014/10/26(日) 13:12:51 | URL | hey
あったなあー、「くるくる軒」(笑)。
当時から「アブナイなー(苦笑)」と思ってましたけど(笑)。
萩本さんの素人引き出し術が、さんまさんに引き継がれているのですよね。
ちょっとコッテリした味付けになってますが(笑)。
そう言えば、食は関東が濃くて関西が薄いのに、
なんで笑いは関東がサッパリ味で関西はコッテリ系なんだろう(笑)。
2014/10/26(日) 21:41:10 | URL | ごいんきょ
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