私的 昭和テレビ大全集
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夢であいましょう (1961)

岡田真澄さんがお亡くなりになりました。
岡田さんと言えば、当ブログの主要想定閲覧者層には、
なんと言ってもマグマ大使にとどめを刺すと思います。
で、それは当然として、実は兄君のE・H・エリックさん、
こちらは既に数年前に亡くなってますが、この方の出ていた
NHK『夢であいましょう』も書きたくなっていましたので、
この機会に、この二作を扱ってみたいと思います。
夢をみましょう 夢であいましょう
詩も、そして何よりメロディーラインの優しさ、ふくよかさ。
そこには日本という国が敗戦から立ち直り、新たな希望に向かって
進んでいるという漠然とした実感… 漠然としているのに
実感というのも少し変な感覚ですが、そうしたものが存分に堪能できた昭和30年代。
この時代を過ごせた人間は、平成の日本しか知らない世代に比べて、
なんと幸福だった事でしょう。武田の鉄ちゃんが、そういう時代を知らない
若い奴がぜんぜん羨ましくないと言っておりましたが、同感です。
この夢であいましょうのテーマソングも、そういう世相からしか
生まれ得なかったであろう佳曲だと思います。
以前も書きましたが、シャボン玉ホリデーなんかもそうですね。
こうした事を思えば、国全体が貧しいという事は、必ずしもそれだけでは不幸ではない。

この番組から生まれた忘れじのメロディーはテーマソングだけではなく、
むしろ月替わりで紹介されていた「今月の歌」から数多く生まれました。
坂本九の上を向いて歩こう、ジェリー藤尾の遠くへ行きたい、
デューク・エイセスのおさななじみ、梓みちよのこんにちは赤ちゃん、
毛色が少し変わって北島三郎の帰ろかな等々、いずれも時代を代表するヒット曲です。
遠くへ行きたいは、後年、永がナビを務めた同名の紀行番組のテーマソングとなり、
なんと現在までも使われ続けておりますし、おさななじみも、後年、
さわやかランドの白熊くん♪とエアコンのCMで替え歌されたので、
少し後の世代も曲は知ってるでしょう。
中でも昭和38年7月のこんにちは赤ちゃんは、レコード大賞を受賞。
この前後に生まれた赤ちゃんは、大抵この歌の洗礼を親や親戚から受けています。

上を向いて歩こうに至っては、アメリカのビルボード、キャッシュボックスという
二大チャート誌でトップを獲得という大快挙!
この曲はそもそも昭和36年の発表でしたが、アメリカに渡ってヒットしたのは、
こんにちは赤ちゃんのヒットと同じ昭和38年でした。
東京オリンピックを翌年に控えたこの年は、テレビ誕生十年の節目で、
テレビにとっては特異年とも言える年でした。
元日に初の本格連続アニメ鉄腕アトムがスタート。
11月には初の日米衛星中継実験が行われるのですが、
その時飛び込んできた報道は、ケネディ大統領暗殺を報じるものでした。
このケネディというのはテレビを非常に利用した大統領で、
大統領選テレビディベートでその若さを売り物に支持をぐんと上げ、
大統領になってからも要所要所でテレビから直接国民に訴え、
その威光を高めるのにフルに活用していた人でした。
そんな彼の最後がそういう舞台であったこと、真に不思議なものです。
12月には日本のテレビ普及に大きく貢献した力道山光浩が死亡。
こうして摩訶不思議なほどに特異的なテレビの十周年目は過ぎ、
日本は翌年の東京オリンピックをもって国際社会に乗り込んでいく事となります。
昭和30年代が特に味わい深いのは、やはりこの、オリンピック以後に
日本が段々と国際化していかざるを得なくなった事に大きく起因しているでしょう。
以後は急速に東京の町並みがコンクリートとアスファルトで塗り固められ、
街角からはドブ川や乞食の姿が消え、表面的にはきれいに整っていきます。
けれどもそれは同時に風景の無機質化にも繋がり、この後の町並みは、
とても感情移入できる心象風景を残してくれるものではなくなっていきました。
夢であいましょうは、こうした日本の時代の端境であったからこそも
光を放ち輝いた番組であったと言えるでしょう。
これはもう、縁とか運命とか巡り合わせとかの人知を超えた設定であって、
誰も再現し得ないし、しようと試みるのは愚かに過ぎません。
そうした番組や人物、事象はこの当時、他にも数々ありますね。
逆に言えば、この時代の空気を知るもの達は、それだけ恵まれているでしょう。
例えば長嶋茂雄という選手を表面の記録だけで捉えても絶対に理解できない。
同時代を過ごさないとね。

この番組自体がそういう宿命の元にありますので、登場人物も
時代の要請を受けたような人の集まりとなりました。
まだ駆け出しと言えたコメディアン・渥美清。
愛らしい顔をしながら機関銃のような可愛げ無いトークが身上の黒柳徹子。
スタッフでは、テレビ黎明期の名物作家の一人、永六輔。
そして、音楽を担当した中村八大。
永と中村はその名前から68コンビと呼ばれ、今月の歌の作詞作曲も担当。
『上を向いて歩こう』では歌手が坂本九であったため、
689トリオと親しまれ、歌の素晴らしさもあって大ヒットしました。
よく、『見上げてごらん夜の星を』もこのトリオと勘違いする人が多いですが、
この歌の作曲はいずみたくです。
この歌が今月の歌の一つであるようにNHKのページですら書いてますが、
本当にそうなんでしょうかね? 作曲家が違うのに。
この件に関しては永が後年、中村の死後にテレビで語った事があります。
事の発端は上を向いて歩こうでの坂本の歌唱。
ふぅえふぉむぅふぅひぃてへ あーるこうほうほうほう
この味がある歌唱法を、尺貫法保存運動からもわかる
四角四面の永六輔は、許容できなかった。
アメリカで大ヒットし再び日本でも脚光を浴びた時に、
永はこの歌唱をクソミソにこき下ろします。
すると今度は中村八大が怒った。
見上げてごらん夜の星を?星は夜出る物だ。余計な言葉だ。
永が持ってきた詩にケチをつける。
それをいずみたくに持っていくと非常に丁寧に曲をつけてくれた。
こんなような事を語っておりました。
ですから、本当に今月の歌だったのか、ワタクシは疑問があります。

さて、岡田真澄さんも出ていたらしいですが、
やはりこの番組と言えばそのお兄さんであるEHエリックさんの話になります。
ヘンな外人。
こんな差別的物言い、今のテレビ界ではなかなか難しいでしょうね。
差別的なのは表面的なものだけで、内包されているのは
日本人のコンプレックスや優しさであり、
こういうものが公共放送でも通じたという意味でも良き時代でした。
この番組とは関係ありませんが、ロイ・ジェームスなんかも同系統ですね。
顔はコテコテの西洋人。であれば、こちらが向こうの言葉を話す事はあっても、
向こうさんが日本語なんかをペラペラ話すなんて。
あんたホントに外人さん? 外人じゃないよね、同じ日本人だ。
そんな耳障りの言葉なんです。形式的な禁止用語に振り回されている
現今のテレビは滑稽というか、醜いですな。

で、エリックさんで一番覚えているのは耳動かしなんですよね。
これは流行った。いや、正確に言うと、どう表現すべきなんだろう(笑)。
なにしろ真似できない。ごくまれにできる奴がいて、そいつは英雄でした。
両耳をピクピク動かすその芸が流行った名残は、
アニメ『とびだせ!バッチリ』のOPや、
ウルトラQのケムール人の死に際などでちょっとだけ知る事ができます。
例によってNHKにはこの番組の残存映像が極端に少なく、
このエリックさんの芸も、当時見た人々の記憶の中だけのものなんでしょうか。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
アリゾナから遊びに来ました
はじめまして。
いや~、懐かしい番組がいっぱいですね。
早速ブックマークさせて頂きました。
また、遊びに来ます。
2006/06/01(木) 11:52:54 | URL | かめ
はるばるようこそ
はじめまして。
アリゾナですか~。ジョン・レノンのゲットバックを思い出します。
SUKIYAKI(上を向いて歩こう)はそちらでも有名な歌なんでしょうかね。
2006/06/04(日) 19:44:27 | URL | ごいんきょ
徹子さんと渥美さんのコント
ごいんきょさんの記事を読むと、あの頃が本当に懐かしくなります。
子供の記憶なので、曖昧で、頼りなく、不思議な感じすらしますが・・
見慣れた渋谷のバスターミナルに突然(のはずは無いのですが)現れた巨大なコンクリートの柱(首都高の橋脚)・・、夜空に浮かぶこれも巨大な空飛ぶ円盤には「リキ・パレス」という光が・・
後で謎が解けても、あの不思議な感覚だけは残っています。

この番組は、眠気と戦いながら観ていました。
ひとつだけ覚えているコントは・・
作り物のテレビに下駄の絵が映っていて、やって来た黒柳徹子さんがそれを見て、「あら、渥美さんだわ。」と一言。
ふとテレビの横を見ると本物の渥美清さんが。
「あら、ここにも渥美さん。」と徹子さん。
画面と本人を見比べながら、どっちが本物なの?という顔で「ここにも渥美さん、そこにも渥美さん」と繰り返すのです。
読んでも可笑しくないですよね(笑)
でも私は今でも笑えてしまいます(笑)。
2007/01/06(土) 21:26:24 | URL | モデラート
いや、面白いですよ(笑)
うーん、この稿は結構リキ入れて書いてますね。洒落じゃないんですが(苦笑)。
ブログで校閲もせずフリートーク感覚で書いているので
文章表現として見るとアラも多いですけど、
昭和30年代を溺愛する人間の想いはよく出ていると感心します、我ながら。
すみません、いつも謙遜で返さないで(笑)。

リキ・パレスですか。
ワタクシはマンガの中でしか知りませんが、なるほど、
当時を知る人はそういう感覚ですか。
力道山さんの死は、戦後日本の終焉と被るんですよね。
ワタクシの当時の地元では池上本門寺の墓が有名ですけどね。
あれもさすがにデカイ。

しかし、その下駄のコント可笑しいですね。
実際の映像を見るよりも字で読んだ方が面白いかも。
ワタクシも読んで笑っちゃいましたよ(笑)。
当時としてはちょっと進んだギャグ表現ですね。
永さんのコントってあまり知らないんですが、流石です。
2007/01/06(土) 21:54:40 | URL | ごいんきょ
午後のおしゃべり
「夢であいましょう」については、ごいんきょさんがその時代について熱く語っておられるので、私はその前身となった「午後のおしゃべり」について書いてみます。

美人デザイナーの中島弘子が上半身の右45度に傾けながら「皆さんこんにちは、中島弘子です」と言って始まるという「夢であいましょう」のオープニングのパターンはこの番組から始まりました。ただ、「夢であいましょう」との大きな違いは、素人の中島弘子一人の司会ではなく、もう一人男性の司会者がいたことです。それは、ボードヴィリアンの柳沢真一でした。今では忘れられていますが、昭和30年代には女性の雪村いずみとともに、ポピュラー歌手として男性のトップクラスであり、日活で主演作を何本も撮り(中原早苗(のちの深作欣二監督夫人)と共演した「「大阪娘と野郎ども」というコメディを二番館で見たことを覚えています。あの頃、中原早苗はコケティッシュな魅力がありました。バスタオルをまいた姿にドキドキしたものです)、アフレコの大先輩であり(「アイ・ラブ・ルーシー」(夫のリッキー)、「ミスター・エド」(馬の飼い主ウィルバー)、「奥様は魔女」(夫のダーリン))、久保菜穂子、三ツ矢歌子と並んで新東宝三人娘といわれていた池内淳子と結婚して1年で離婚したり、なかなかの人気者でした。しかし、器用貧乏なのか、二枚目半のきざなキャラクターを生かすことができずに、表舞台から消えました。そんな柳沢真一ですが、この「午後のおしゃべり」ではボードヴィリアンの強みを発揮して、司会に歌に活躍していました。
基本的には、ゲストとのおしゃべりと歌、コントという「夢であいましょう」と同じ構成でした。
ゲストの歌のバックで踊っていたのが、男性グループが「レ・ドーフィン」、女性グループが「レ・パンテール」でした。子供には日本誤訳が思いつかず(今でもフランス語?はダメなので)、よけい記憶に残っています。「夢であいましょう」でもバックダンサーを努めていたのではなかったかな。
 放送日については、平日の午後(「午後のおしゃべり」だから当然午後ですが)だったとしか、思い出せません。多分、夏休みか何かに見ていたのだと思います(決して、「レ・パンテール」のタイツ姿のダンス目当てではありません)。主婦を相手の番組があまり人気が出たので、土曜の夜10時に衣替えをして移ったのでしょう。その時に柳沢真一の姿はありませんでした。
2007/05/25(金) 23:06:08 | URL | 漫中老
幻の午後のおしゃべりを実見した人のコメントが来るとは思いませんでした。
柳沢真一さんはボードビリアンだったんですか。
しかもポピュラー歌手だったなんてねえ。
奥さまは魔女もミスター・エドも、
番組も柳沢さんの声も大好きでしたね。
池内淳子さんと結婚してたなんて知らなかったなあ。
2007/05/26(土) 07:09:04 | URL | ごいんきょ
確かこの番組でした
確かこの番組だったと思うんですが
あの丸山明宏さん(現、美輪さん)
が歌っているのをはじめてみました
歌の題名とはよく覚えていないのですが、祭りのセットのような舞台上で
仁王立ちで歌っているのを見て、
なぜか画面に引き込まれて行くような
感じになったような記憶があります
(決してその手の性癖があるわけでは
無いのですが)
後日、僕が親におねだりして初めて
買ってもらったレコードが
「ヨイトマケの唄」だったと記憶してます
2013/01/14(月) 16:53:45 | URL | プーさん
へえ。この番組でも歌いましたか。
ま、永さんが好きそうな歌ではありますけどね(笑)。

美輪さんのヨイトマケが初めて注目されたのは、木島則夫モーニングショーだったはずで、
その事はその番組の記事でも触れております。
その際、美輪さん本人の歌唱をぜひ見て欲しいと書いておりますが、
先日の紅白で、非常に多くの人が感嘆された事と思います。
美輪さんの表現力が著しく衰える前に、あのような場所で披露されたのは意義ある事だったでしょうか。
それとも今年も、ジャニーズとAKBが歌謡曲を摩滅させ続けるのでしょうか。
2013/01/14(月) 23:53:04 | URL | ごいんきょ
ヨイトマケではありません
失礼しました。
書き方が悪かったみたいで、「夢であいましょう」で歌ったのは「ヨイトマケの唄」ではありません。
この番組を見たあとで、ヨイトマケを聞いたときに、これはあのときの人が歌ってるんだよと家族に言われてレコードが欲しくなったんだと思います。
2013/01/16(水) 12:28:07 | URL | プーさん
ああ、そうでしたか。
おそらく、NHKだとフルには歌わせてくれないんで、歌わなかったんでしょうね。
ヨイトマケは大反響でバカ売れはしましたが、あまり歌番組で歌っていた記憶が有りません。
紅白からも依頼が有ったのを、フルに歌えないんで断ったと美輪さん言ってましたけど、
当時の歌番組はフルコーラス歌わせる番組はおそらく皆無でしたから、その記憶が無いんでしょうね。
数年経てば、夜のヒットスタジオが始まっていたのですが。
2013/01/17(木) 23:53:55 | URL | ごいんきょ
夢であいましょう いいですねー
夢であいましょうのエンディングで歌われていた同名の歌はいろいろな方が歌われましたが、私は坂本スミ子が歌ったものが最高と思っています。ユーチューブにも出ているので、よく聞いています。元々ラテン歌手で声量があるのに、この歌はグッと抑えて歌っているところがたまりません。バターと緑茶の香りをみことに融合させた数々の名曲を発表してきた六八コンビ、昭和30年代にリアルに見て聞くことができた団塊世代に生まれたことを幸せに思います。この時代、まだ粋なところがテレビにも随所に見られましたが、もうそんなムダとされるものはなくなってしまいました。残念ですね。
2014/06/12(木) 10:15:28 | URL | bunchan
オープニングでは、「♪ 夢を見ましょう」と歌われているのですが、
エンディングになると、「♪ 夢であいましょう~」と坂本スミ子さんが歌うのですよね。
本当にいい歌で。昭和30年代の日本でなければ生まれなかったと思います。
ワタクシもおぼろな雰囲気でしか理解しておりませんが、
生で見ていた人々、記憶している人々が本当に羨ましいです。
梓さんの『こんにちは赤ちゃん』のVTRを見ていると、本当に今でも幸せな気持ちになれますし、
なんと幸せな時代を生きていたのだろうと実感します。


先日、『夢であいましょう』という催しがありました。
永六輔さん、黒柳徹子さんが中心となって喋り、
坂本スミ子さんやジェリー藤尾さん、九重佑三子さん、田辺靖雄さん、
坂本九さんの娘さんなどが歌を披露する、素敵なショーでした。
渥美清さんや八大さんがいてくれたら、また更に楽しかったろうにと夢想すると残念ではありましたが。

この世代の方々が、こうやって活動してくれている間は、ワタクシにも見るものが有るけれども、
こうしたものも見られなくなった時、ワタクシは何を楽しみに見たらいいのだろうと考えると、少し絶望的になります。
2014/06/13(金) 23:09:32 | URL | ごいんきょ
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