私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



国際プロレス中継

元々はTBSがプッシュした団体で、TBSプロレスという俗称でした。
ワタクシは、TBS当時は見た事が無いか、あまり覚えていません。
この当時からいた著名なレスラーとしては、サンダー杉山、
グレート草津、ストロング小林(後の金剛)などがいました。
いずれもプロレスマニヤには通る名前ですけど、馬場・猪木と違い、
日本人なら誰でも知っているというレスラーは出ませんでしたね。
TBSは結局撤退。おはちが回ってきたのが、東京12チャンネルでした。
12チャンネル当時はワタクシもしばしば観ておりましたが、
やはり全日本や新日本ほどの華やかさにどうしても欠けていたかな。
と言うか、馬場、猪木というレスラーに匹敵するエースがいなかった。
TBSプロレス当時はグレート草津やサンダー杉山、ストロング小林らが
エース候補というか、実質エースだったのですが、どれも伸び悩み。
他には、現在は京子の親父として有名なアニマル浜口などもいました。

12チャンネルに来てからは、ラッシャー木村が先頭を走ります。
そう。たけし軍団のラッシャー板前は、彼に顔が少し似ているのです。
力道山を彷彿とさせる黒タイツ姿のラッシャー木村がエースである事は、
国際プロレスのマイナー感を際立たせてくれました(苦笑)。
ファイトスタイルは、どこまでも正統派。
この正統派エースという縛りが、後の彼の運命を変えます(笑)。
元ラガーの阿修羅原も忘れられません。
アントニオとかジャイアントではなく、アシュラ。
この純和風なリングネームはプロレス界の新機軸でしたが、
国際プロレスは先に無い創意工夫が求められる立場だったので、
こうしたプロレス界の先陣を切る企画というのは多かったと思います。
デスマッチもそうでした。
漫画タイガーマスクの中で繰り広げられていた、特殊な形式での試合を、
国際プロは金網デスマッチで実現の口火を切ります。
エース・ラッシャー木村は、金網の鬼という異名を取りました。

猪木の新日同様、アメリカからトップレスラーを呼ぶのが難しかったので、
ヨーロッパのまだ観ぬ強豪を開拓したのは、
プロレス界に対する国際プロの大きな貢献となっています。
後に猪木と死闘を繰り広げる事になる大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント、
サマーソルトキックという必殺技を駆使するエドワード・カーペンター、
スープレックスをプロレスの必殺技に押し上げた、ビル・ロビンソン等々、
日本人選手よりも外人選手の方が華があったくらいです。
中でもビル・ロビンソンはイギリスの白人選手として外見もスマートで、
そのダブル・アーム・スープレックの見事さから人間風車と異名を取り、
一時はエースとして活躍するに至ります。
外人レスラーがエースというのも当時としては異色でしたが、
それだけロビンソンに華があり、後に全日に引き抜かれました。
一匹狼のカール・ゴッチは国際にも出場し、ロシモフ当時のアンドレを、
なんとジャーマン・スープレックス・ホールドで下したと言いますが…(^_^;
あの巨体にジャーマンをかける様を、実際に観たかったです。

後に、自分がベルトを巻く為にバーン・ガニアが作った(爆)
AWAという団体と提携し、アメリカマット界からもレスラーが来ます。
この頃には大木金太郎がラッシャーに次ぐ位置に。
ガニアからベルトを受け継いだ、ニック・ボックウインクルを呼んで、
日本でのAWAタイトル戦を実現させました。
対戦したのはエースの木村と2番手の大木。
大木金太郎は凄かった。
得意技の一本足原爆頭突きをこれでもかと乱発。
ニックはふらふらでリングアウトをさまよい、
いつの間にかその顔面は血だらけに。
それでも容赦なく頭突きを見舞う大木。
AWAタイトル奪取は目前に見えました。
結局タイトルは取れないんですけど、なかなかの試合だったと思います。
エース木村の方はあまり覚えていないですが、やはりかなりの健闘。
これらはこの二人が凄かったと言うより、弱いチャンプという
役どころをキッチリと演じ上げたニックの上手さという事でしょう。
ボックウインクルというセカンド・ネーム同様、非凡なレスラーです(笑)。

このタイトル戦を最後の花道のようにして、国際プロレスの斜陽は急速に。
ついには12チャンネルからも見放され、団体は崩壊しました。
選手達は大手の全日と新日にそれぞれ参戦していく事になります。
そしてエース木村は猪木の新日本プロレスを選びます。
或る新日テレビ中継の時、彼とアニマル浜口がリング上で参戦の挨拶。
マイクを手にした第一声が、「皆さんこんばんは。ラッシャー木村です」。
ワタクシは彼が正統派エースとして活躍していたのを観ていましたから、
べつになんとも思わずにその参戦挨拶を観てました。
ところが翌日、ワタクシをプロレスの面白さに目覚めさせてくれた、
やはりプロレスマニアの友人が見せた反応は意外でした。
「昨日の木村の挨拶観た? 『こんばんは』だぜ(笑)」
いや。こんばんはでおかしくないだろ、ヒールじゃないんだから。
とは思いましたが、クラスのプロレス好きはみな彼と同調。
彼らの感性の方が実は正しく、あの場では猪木に猛々しく挑む、
そんな振る舞いの方がたしかに盛り上がったでしょうね。
この「こんばんは」事件はプロレスマニア間では
後々まで語られる有名な事件で(笑)、
その後すぐに全日に移動したラッシャーはそれを逆手にとって、
マイク・パフォーマンスを「武器」にしてしまいました。
マイクを手にして「アニキよ」と馬場に語りかけるのをオチとした木村。
あゝ、好きだぜ、そんなプロレス界(笑)。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
よっ! 待ってました!
私のほうでも、国際プロレスについては、
巻の十六(B面)や
巻の百八十(A面)で
記事にしておりますので、
ご覧いただければ幸いです。

因みに、わたくし、
国プロのTシャツを所有しており、
会社にこのTシャツを着て行く時は、
闘志がみなぎります。

プロレス好きの同期入社の友人に、
このTシャツ姿を見せたら、
羨ましがられました。
2006/07/23(日) 23:32:18 | URL | 藤四郎
素晴らしきかなプロレス
そちらのブログ、検索機能が無いようなんで記事がなかなか見つけられなかったんです。
教えてもらって良かった。TBさせてもらいますね。

国際プロのTシャツって、当時モノですか?
それは確かに凄いなあ。
2006/07/24(月) 00:53:32 | URL | ごいんきょ
井上は・・・
いつも楽しく拝見させていただております。
私の好きなプロレスネタなので、いつもよりも熟読させていただきました。
そこで、気がついたのですが、新日マットにあがった国際レスラーは、木村、浜口、そして寺西だと記憶しています。
マイティ井上は全日にいったはずです。
ですから、本文中の「彼とマイティ云々」というくだりは誤りかと存じます。
他にもお気づきの方はいらっしゃるでしょう。
誠に僭越ではありますが、気になったものでコメントさせていただきました。
今後もご活躍を期待しております。
2006/07/24(月) 15:17:42 | URL | ac
お世話おかけします
ああ、浜口でしたか。
そうですね。考えてみれば井上は全日で観ましたね。
まあ、後にみんな全日言っちゃったんでゴッチャになりました。

ワザワザ訂正して戴き、申し訳ない事でございます。
2006/07/24(月) 23:06:48 | URL | ごいんきょ
番組タイトルについて
この場を借りて質問させてください。
東京12チャンネル時代の中継は「国際プロレスアワー」でずっと通していたようですが、
TBS時代の中継は、番組打ち切りまで「TWWAプロレス中継」のままで通したので
しょうか!?

プロレス史の文献などを見ても、意外と触れられておらず、また某掲示板にて質問を
しても、返答がなかったりします。案外難問なのかもしれません。
2006/09/18(月) 13:46:53 | URL | 部隊長
それはおそらく解決不能(笑)
そのご質問はワタクシも非常に興味がありますが、
おそらく永遠の謎となる可能性が…。
新聞等ではおそらく「プロレス中継」としかなってないと思うんですよ。
と言って、観ていた側もなかなかタイトルまで記憶はしてないでしょうし。
実際のタイトル画面にどのように出ていたかは、
それこそ当時の関係者で、しかも覚えている人を捜すしかまいのでは?
同様に、日本プロレス時代のタイトルも知りたいところなんです。
これは、ひょっとしたらビデオが残っている可能性もあるのですが、
名場面紹介でも、タイトルはなかなか映してくれませんし(笑)。
まして、TWWAはビデオが残っているとは考え辛いですもんね。
あと、全日のタイトルもよくわかりません。
「全日本プロレス中継」で間違いないとは思うのですが、
頭に「プロレスアワー」というのも有った気がするんですよね。

推理としては、TBSの番組表で「TWWAプロレス中継」となっている事。
当時の新聞タイトルが、「プロレス中継」となっている事などから、
「TWWAプロレス中継」というのが最有力容疑者です(笑)。

>プロレス史の文献などを見ても、意外と触れられておらず、
それはそうでしょう(笑)。
こういうのはむしろ、ここのようなテレビマニアの分野ですよね。
まあ、お力にはなれないわけなんですけど(苦笑)、
どなたか確証のある方、万が一いらっしゃいましたら宜しく。
2006/09/18(月) 19:48:34 | URL | ごいんきょ
国際プロレス中継
この番組は、なんと初回から観ております。タイトルは「国際プロレス中継」で間違いないでしょう。決して「TWWAプロレス中継」などではありません。水曜7時~8時、TBSでした。中継は、山田二郎アナが多かったです。
NTVの「日本プロレス中継」も観ていたプロレス好きの我が家でしたので、この番組にもチャンネルを合わせていました。

何故初回から、観ていたのがわかるかというと、初回が、「ルー・テーズ対グレート草津」の試合で、確かに観た記憶があるのです。ルー・テーズは既に誰でも知っているくらい有名でしたし、その人に無名の若手が挑むというのが、無謀に思えましたが、やはりというか、あっさりとバック・ドロップ一発で負けてしまいました。この記憶があまりにも鮮明で、後にこれが、第1回目の放送であったことを知りました。

初期は、豊登がいました。日本プロレスに出ていた彼が、何故こちらに居るのか不思議でした。当時は裏事情には、うとかったんですよね。豊登とよくタッグを組むのが、サンダー杉山。得意技が、雷電ドロップ(ヒップ・ドロップ)。長身のラグビー出身のグレート草津までがスター選手でした。

後に日本初の金網デスマッチを行ったラッシャー木村(当時から黒タイツ)とボディビル出身のストロング小林が、若手のホープでした。小林が非常に人気がありましたが、海外遠征が多かったようで、初期はあまり、テレビに出てこなかったような気がします。

しかし、この番組を支えたのは、やはり、ビル・ロビンソンとカール・ゴッチでしょう。
ビル・ロビンソンは最初無名でしたが、この番組により、日本中で人気者になりました。イケメンで、外人にしては珍しいクリーン・ファイトを見せ、最後は「人間風車」で決めるというのが見せ場でした。
カール・ゴッチは、大ベテランで、やはり、汚いことはせず、堂々たる貫禄がありました。関節技や原爆固めが得意技でした。しかし、レスラーの間では、本気でやるので煙たがられていたようです。
この二人の対戦が何回かありましたが、日本選手以上の人気で、いつも引き分けだったと思います。

この番組、ナント2005年にDVD3枚組で、当時のビデオや、フィルムから「伝説の国際プロレス1969-1974」として復刻されました。やはり、TBS畏るべしなのですが、肝心のビル・ロビンソン、カール・ゴッチのビデオがなかったのは(フィルムのみ)かなり、がっかりでした。しかし貴重なことに変わりは、ありません。

なお東京12チャンネル移ってからは、全然観た記憶がありません。
2006/09/30(土) 03:38:13 | URL | ブロンソン
証言その1
として拝聴させて戴きます。
TBSの独自色としてTWWAの名称は使っていた可能性が高そうで、
事実、TBSの番組表にはそう記載されているのですが、
番組表と実際のテロップは一致しない事もありますので、検証が必要となります。

伝説のテーズ対草津をご記憶とは羨ましい(笑)。
ストロング小林はかなり期待されていたんですが、
結局は猪木の噛ませ犬で終わってしまいましたね(爆)。
その他の有名選手の既述もありがたいです。

TBS時のDVDが出ていたとは知りませんでした。
タイトルテロップが収録されていれば問題なかったのですが(笑)。
国際プロは、やはりTBS時代が華だったでしょうね。
ヨーロッパの絢爛たるレスラー達。
ワールド大リーグ戦みたいなのやれば盛り上がったんでしょうが。
日本の小林とドイツのゴッチの日独同盟コンビで、
ロビンソンとロシモフの連合軍コンビと対戦とか、面白かったと思うのですが。
2006/09/30(土) 07:06:59 | URL | ごいんきょ
お手数おかけします。
>TBSの独自色としてTWWAの名称は使っていた可能性が
>高そうで、事実、TBSの番組表にはそう記載されているの
>ですが、番組表と実際のテロップは一致しない事もあります
>ので、検証が必要となります。

この番組の初回は、昭和43年1月3日(水)、ルー・テーズ(王者)
対グレート草津(挑戦者)のTWWA認定世界ヘビー級選手権試合。
そして当時の新聞に掲載されたTBS(もしくはTBS系列局)の広告
を見ると、
「新しい『T・W・W・Aプロレス中継』誕生!」
といった文字が躍っていたりします。

ところがプロレス史の文献によると、その昭和43年のうちに、
国際プロレスが関わった、新しいタイトル統括組織である「IWA」
が設立されています。
しかも、その翌年(昭和44年)までに国際プロレスのタイトルは、
「TWWA」の認定するタイトルから、「IWA」の認定するものに
取って代わられ、「TWWA」は事実上、有名無実になってしまう
のです。

私が疑問に思ったのは、「TWWA」という組織が実質的に消滅してる
にもかかわらず、「TWWAプロレス中継」の名称だけは継続して使った
のだろうか?という点にあります。
実際、昭和45年もしくは46年当時の新聞のテレビ番組表を見ると、
やはり「プロレスリング」「プロレス中継」という表記がありながらも、
時折「TWWAプロレス中継」と表記されている場合もあるのです。

「番組表と実際のテロップは一致しない事も」ということですが、
確かに新聞社側が便宜上、その名称を使っていただけかも
しれませんので、やはり当時の新聞だけでは、判断の材料には
なりそうにもないですね…。

因みに、話題にあがっていたDVDは、こちらです。
ttp://www.ponycanyon.co.jp/video/kokusai_pro/index.html
2006/10/07(土) 10:06:49 | URL | 部隊長
プロレス中継
ほとんどの人は、どうでもいいじゃんかと思っていそうですが(笑)。
テレビ史という側面からも明らかにしておきたい部分なんですよね、正式タイトル。

いまTBSの番組表を改めて見直したら、TWWA「プロレス中継」となっており、
正式タイトルはただの「プロレス中継」という可能性が高そうです。
というのは、水曜劇場のドラマなどは、
水曜劇場「時間ですよ」という感じで記載されてるんですね。
カッコの外に俗称を置いて、カッコ内にタイトルです。
そういう規則は他の番組でも共通してますし、
月曜のキックボクシングは、ただの「キックボクシング」ってタイトルでしたよね。
これは番組表でも、ワタクシの記憶でもそうです。
これらから推察するに、「プロレス中継」というのを最有力候補と訂正させて戴きます。

国際プロレスという名称はTBSの手を放れてからと思うので、
ブロンソンさんのお話は、記憶違いかもしれないです。

あと、ここはアングラサイトじゃないと思うんで(笑)、
アドレスh抜きで貼る必要ないと思うんですよ(苦笑)。
2006/10/07(土) 23:46:28 | URL | ごいんきょ
番組タイトル
この番組タイトルについて、かんかんがくがくの御意見が出ておりますが、私にとっては、それほどこだわることではないような気がするのですが。

TBS時代の国際プロレスは、初期から毎週のように見ていましたが、TWWAという名称の番組タイトルは、私の記憶には本当にないですね。何せ、小学校低学年の頃ゆえ、ごく初期はわかりませんが、少なくとも番組として軌道に乗ってからは、「国際プロレス中継」もしくは、「国際プロレスリング」という名称だった気がします。

「国際プロレスという名称はTBSの手を放れてからと思うので、ブロンソンさんのお話は、記憶違いかもしれないです。」
この御意見は、ありえないです。当時から、国際プロレスと言っていましたし(これは、当時見ていた人なら誰でもご存知でしょう)、実際、昭和41年10月にこの名称で設立されていますし、そのままのはずです。TBSプロレスという言い方も、していなかったですね(少なくともテレビの中では)。

NTVの日本プロレスが、ただのプロレスとしても通じたのに比べ、TBSのプロレスには、国際プロレスというはっきりした、わかりやすい名称が必要だったものと思われますし、また実際、当時見ていた人同士の会話もそれで通じていました。新聞紙上のタイトル表記は、私はあまりあてにならないと思われます。ただ、はっきりした確証は、ないのですが....。当時のTBSの方の御意見が聞きたいですね。
2006/10/09(月) 04:04:09 | URL | ブロンソン
侃々諤々
無駄と言えばこのブログ全て無駄なんですよね。
テレビの記憶を綴ったところで、興味が無い人には馬鹿じゃないのという感じでしょう。
興味を持つ人にも馬鹿じゃないの思われる記事いっぱいありますが(苦笑)。
歴史の検証って、多くはそんなもんなんですよね。
ごく一般人の日記史料でも有り難がって読むようなのは、
本当に当時の風俗や思考に興味がある人間だけで。
個人的な日記の大量生産であるブログ文化を揶揄する人も多いですが、
ワタクシは文化的に非常に画期的な事だと思ってます。
このブログだって、後世のためにやっているんですよね、大仰に言えば(笑)。

国際プロレスっていう名称は発足当時からなんですか。
それは認識が間違ってましたね。
すると「国際プロレス中継」説にも説得力が出てきます。
いずれにせよ、画面上ではTWWAの名称は使われなかったっぽいですね。

NTVはダイヤモンド・アワー、もしくはプロレス中継だったような。
2006/10/09(月) 07:18:57 | URL | ごいんきょ
ラッシャー氏
 私が小さい頃の山陰では、民放がTBS系山陰放送のみでした。系列違いで1~2週遅れで放送されるアニメ「タイガーマスク」は見ましたが、登場する馬場さん、猪木さんはしらん人でした。なんといってもリアルで中継を見せてくれた国際の金網の帝王木村さんが私のヒーローです^^
上京後、下北沢のすずなり横丁のプロレススナック「ステップルハウス」のマスターから昔の国際映像を見せていただきましたが、TBSの録画があまり残っていないのが残念と仰っていました。ラッシャーファンの私は当時店でもレアだったようです。 その猪木さん信者のマスターが亡くなってずいぶん経ちます(。。)
2007/01/14(日) 03:02:30 | URL | パパ
「山陰」じゃなくて
パパさんって島根出身なんですね。当時、鳥取県はNKTだけでしたので。もちろん、大山あたりから出雲市までくらいは両方飛び交ったと思いますが。
 ちなみにNKTは当初フジ系になる予定でしたが、当時の回線事情で日本テレビ系になったそうです。それでもBSSがテレビを始めるまでの半年間はJNNに加盟していたそうです。
 
2007/01/14(日) 22:12:25 | URL | かじか
日本列島 狭いようで広い
● パパさん
♪ 歩こうよ~  なんてCMソングを思い出してしまいましたが、
なんのCMだったかは思い出せません。
それはともかく、馬場・猪木を知らずに木村は知っている地方が有ったなんて、
ほとんどの地方の方は驚愕なんじゃないでしょうか(笑)。
うーん、奥が深いな。いろんな地方の方に事情を教えて欲しいですね。

ああ、プロレススナックってなんかテレビで観た気がします。
そこのマスターさんはTBS時代の国際プロレスを持っていると!?
うーん、ぜひ拝見したかったな。跡を継いだ人もいないんでしょうしねぇ。

● かじかさん
局名は和名の方が多くの人に伝わると思いますよ。
地方局はお任せします(笑)。
2007/01/14(日) 23:43:04 | URL | ごいんきょ
掃除機
難しい話は解らないのですが、みなさんのコメントを見てて思い出したのは、試合の合間に出てくる掃除機のこと。ダイヤモンド・アワーとかなんとかで「只今、三菱掃除機風神で…」とアナウンスも入ったような気がします。わざとらしいなあ、と子供心にも思ったものです。
2007/02/14(水) 16:42:22 | URL | オンデン1970
おそるべし!!
「国際プロレス」まで網羅しているとは、あらためて本ブログの「おそるべし」感が増幅しました。
私はテレビ東京に移ってからの枠しか見ていないのですが、金曜の新日本、土曜の全日本と三団体すべてを見比べていたにもかかわらず、国際が一番好きでした。何か、メジャー過ぎず、自分だけの番組のような感じで…
 で、中でもお気に入りの選手は、マイティ井上。サマーソルト・ドロップという決め技は、小柄な彼ならではと思います。脇を固める?寺西勇やスネーク奄美、稲妻次郎、マッハ隼人なども、そこはかとなくマイナー感が漂い(しかも弱い!)やられ役を見事に担っていました。
女子プロレスの同枠放映があったり(小畑千代なんか出ていた)、CMも清酒「力士」や「ホテルニュー塩原」「タチカワ電業」など、この枠ならではの企業が揃い踏み!
そんなショボイ内容でも、毎週月曜午後8時、バックドロップやブレーンバスターの必殺技ダイジェストとともにテレビ東京のスポーツテーマが流れるオープニングが映し出されると、わくわくしたものです。
2007/02/14(水) 17:45:47 | URL | Mr.テレビっ子
音は無いけど五月蠅いし可憐じゃない(笑)
● オンデン1970さん
それは旧日本プロレス時代のダイヤモンドアワーですね。
と言っても判別つかないとは思いますが(笑)。
スポーツ特集の時にもしかしたらやるかもしれません。
プロレスはどれもやりたいんでねえ…

● Mr.テレビっ子さん
そうですかあ?
マニアックな人間って、結構プロレスマニア多いですよ。
ワタクシにすれば、テレビの旅がエントリーされている事の方が
はるかに怖ろしいブログだなと思いますね(笑)。

マイティさんのサマーソルトドロップは、エドワード・カーペンターの
サマーソルトキックをアレンジしたものなんでしょうけど。
本元の技は、ずっと後に初代タイガーマスクが復活させましたが、
やはり元体操選手のご本家には敵わなかったんじゃないでしょうか。

>スネーク奄美、稲妻次郎、マッハ隼人
どれも懐かしい名前だなあ(笑)。

>清酒「力士」や「ホテルニュー塩原」「タチカワ電業」
これまたどれも懐かしい名前だなあ(笑)。
この番組のスポンサーだったんですか。
塩原はハトヤの稿で触れてます。
力士も懐かしいですね。いつか清酒CMやりましょう。
タチカワ電業は名前はわかりますが、CMが思い出せません。

オープニングは12チャンネルのスポーツテーマでしたっけ。
そのテーマもその事も思い出せないなあ。
2007/02/14(水) 23:33:51 | URL | ごいんきょ
日本でのAWAタイトル戦
80年3月31日後楽園のニックVS大木
は生観戦しました。
IWEのエースはラッシャーの
前はスーパースタービリーグラハムに勝ったマイティが超短期で
務めました。
杉浦アナウンサー渋いっす!
http://www.dvd.netyokocho.jp/catalog/PCBG-61038/
2007/02/15(木) 21:50:11 | URL | ドリー
ごいんきょ
あの試合を生でご覧とは羨ましい!
ニックもなかなかいいキャラしてましたよね(笑)。

おや。
マイティさんがグラハムに勝った事なんかあるんですか。
その頃は見てなかったようです。
グラハムってのは新日がWWWFと提携する直前のチャンプだと思いましたから、
普通のファンはファイトを記憶してないでしょうね。
サンマルチノだってレアだったもんな。
2007/02/16(金) 00:32:20 | URL | ほえー
スーパースタービリーグラハムは
ストロング小林離脱の為IWA王座に就かされた?ロビンソンをAWA圏で破り、日本でマイティに確か回転エビ固めで破れました。
直接ロビンソンにマイティが勝つなんぞ、許されなかったのでしょう。。
もうちょい遅ければ、スーパースターに勝つことも許されませんでした。
結局マッドドッグ・バションにあっさり王座を譲りラッシャー時代突入
誰にせよエースが地味すぎました。。
あの頃はアニマル浜口もジミィな中堅でしたし。。
国際プロレス 今思うと、愛すべき団体です。。
新日本大っきらいな僕は
猪木より国際軍を応援してました。。
2007/02/16(金) 21:33:34 | URL | ドリー
ニック大木の日
メインはラッシャー木村対ジョニーパワーズのIWAタイトル戦で
生放送の為その試合だけ
翌週にまわりました。。。
そんな条件を飲むエースのラッシャーさん
素晴らしいです!
2007/02/16(金) 21:49:14 | URL | ドリー
ああ
グラハムがWWWF王座に就く前の話ですか。
そうだろうなあ(笑)。
それにしても、見た目からしてやや説得力に欠けるブックですね。
ロビンソンが引き抜きでエースを続けられなかったんだろうなあ。
バションがチャンプになった事もあるんですか。
しかし次々懐かしい名前が(笑)。

新日大嫌いですか(笑)。
当時のプロレスマニアではけっこう珍しいんじゃないでしょうか。
ワタクシはかなりノメリ込みましたけどねえ。
まあ、小林さんとか木村さんを単なる噛ませ犬として使っちゃう
猪木の傲慢さはたしかに鼻につきましたが(苦笑)。

ニックVS大木は生放送でしたっけ!
言われてなんとなく思い出しました。
ああ、そう言えばそうだったかも。
プロレスも生放送でいいとこで中継が終わっちゃうって
有ったんですよね、当時でも。
新日でも何回か有りました。
2007/02/16(金) 23:43:42 | URL | ごいんきょ
真実
木村さんと上田さんは、すっごく
超いい人です。
断言できます。(・_・;)
えっ誰のことかって、
木村さんと上田さんだって。
2007/05/28(月) 19:26:37 | URL | とし
ああ、わかるわかる(笑)。
そんな感じします。
2007/05/29(火) 05:35:59 | URL | ごいんきょ
上田って
ゆうじさんですか?

いい人ですよね~

24時間テレビで

是非猪木さんに謝りたいって

クーデターはガチだったんでしょうか?
2008/02/29(金) 02:00:43 | URL | ドリー
ゆうじさんって誰かと思ったら、馬之助さんでいいんですよね。
ひょうきん族で赤信号と組んでたのも懐かしいです。
ああいう世界のクーデターって、根底にはやっぱり本心からのムカツキは有ると思いますよ(笑)。
2008/02/29(金) 04:57:11 | URL | ごいんきょ
阿修羅原
懐かしい名前ですね。彼は近鉄所属のラグビーの元全日本代表選手でした。又グレート草津も、八幡製鉄で同様に日本代表選手でした。そのラグビー繋がりで国際プロレスに入団したのでしよう。

因みに「阿修羅」の命名者は、ラグビー好きの野坂昭如氏であります。

ついでに草津氏のそれは、グレート東郷氏です。
2009/06/14(日) 07:18:17 | URL | t..sato
ラロ・シフリンにパブロ・クルーズ
今やどこの団体でも当たり前になった「選手の入場テーマ(BGM)」ですが、最初に本格導入したのは国際プロレスではなかったかと思います。

私が12chで国プロを見る様になった(国プロファンに復帰した)1976年ごろ、選手の入場テーマには、101ストリングス演奏の『スーパー・スター』が流れていました。
おそらく、かつての「マイティ井上vsビリー・グラハム戦」の名残りでは…と思いますが、いかがでしょうか?

1977年4月、“怪僧ラスプーチン”ことワイルド・アンガスが参戦した際のBGMは、ラロ・シフリン(スパイ大作戦や、燃えよドラゴンの音楽でおなじみ)の『ブラック・ウィドウ』。渋い曲でした。

この77年ごろから、他団体も各選手ごとのテーマを使うようになったのではと思うのですが。

さらに1978年、アニマル浜口&マイティ井上の“和製ハイ・フライヤーズ”のテーマとして流れたのが、
パブロ・クルーズが演奏した『ZERO TO SIXTY IN FIVE(日本名:フリーライド・サーファー)』という曲でした。
今、聴いても、古さを感じさせない傑作です。

ラロ・シフリンといい、パブロ・クルーズといい、「センスの良さ」を感じずにはいられない選曲だったなと、勝手に思っております。

ただ、その反面、ラッシャー木村のテーマ(ダニエル・ブーンの『スカイダイバー』)や、阿修羅原のテーマ(バリー・ホワイトの『愛の花束』)は、どちらもイマイチでガッカリしたものでした。

おじゃましました。
2010/03/16(火) 19:16:15 | URL | 甚六
国際プロレス
自分は昭和45年頃からTBSの国際プロレスを見ていますが確か番組タイトルは「プロレス中継」とシンプルなタイトルでした。レスラーがドロップキックをしているイラストが画面に出ているのが印象的でした。番組OPのB・ロビンソンの人間風車が決まってフォールするシーンも印象的でした。やはり初期の国際プロレスの最大の功労者は間違いなくB・ロビンソンです!S・小林、T・杉山らが一本立ちするまで国際プロレスの知名度と興行を支えてました。それからAWAでの修業で成長した小林が見事IWAタイトルを奪取しAWAの強豪達を相手に25回の連続防衛を果たしたのは初期の国際プロレスの立派な功労者ではないでしょうか!とにかくあの頃の国際プロレスは吉原社長の辛口の解説とTBSの新村アナのユーモアな実況がとても良かったです!やはり国際プロレスの全盛期はメジャーTV局TBSとメジャー団体AWAと組んだ時の頃ですね。
2010/04/01(木) 18:24:49 | URL | IWA
合掌。
ラッシャー木村さんが逝去されました。
各局が伝えるプロフィールの中に、「ラッシャー木村さんは7団体で活躍され…」というくだりがありました。
早速、指を折ってみると…
日本プロレス→東京プロレス→国際プロレス→新日本プロレス→旧UWF→全日本プロレス→プロレスリング・ノア。
間違いなく、7団体でした。ついでに言うと、東プロ崩壊後は故郷の北海道に一旦帰って、家業に従事されていたのでは…と思います。

昭和プロレス、昭和テレビのヒーローが、また一人、我々の「記憶の彼方」に旅立たれてしまいました。
本当に、本当に、おつかれさまでした。合掌。
2010/05/27(木) 23:11:27 | URL | 甚六
● t..satoさん
間のドットが一つ増えてますが、バージョンアップされたんでしょうか?(笑)
原さんが元ラガーというのは知ってましたが、草津さんもでしたか。
野坂先生が名付け親ってのも意外だなあ。どんな経緯が。
草津さんはグレート一門という事ですね(笑)。


● 甚六さん
全日プロの稿で書いてますけど、おそらくマスカラスさんの「スカイ・ハイ」が元祖だと思います。
1975年か、遅くとも76年にはミル・マスカラスのテーマとして大ヒットしました。
そのすぐ後、ザ・ファンクスのテーマ「スピニング・トー・ホールド」もヒットし、
全レスラーがテーマソングを持つ流れになっていきます。
ただ、国際プロレスラーのテーマをそれほどご記憶の方はそう多くないでしょう。
なかなか貴重な証言でした。


● IWAさん
TBS時代、視聴率は20%オーバーだったのですが、
当時のコアなファン層であったおっさん連中は、
今パソコンをいじれる人が少ないであろうためか、
TBSプロレス時代の情報が極端に少ないです。
特にOPのご記憶とか、貴重な証言だと思います。



ラッシャー木村さんも残念な事でした。
ネット上の話では、小林さん共々、リングネームを一般募集したという事ですが。
ラッシャーの名を意識してか、或いはそこから付いた名前なのか、
猛烈なラッシングファイトを時に応じて見せてましたっけ。
イカ天レギュラーだったようですけど、平成番組なので扱えないのが残念です。
2010/05/28(金) 04:29:47 | URL | ごいんきょ
ラッシャー木村のテーマ曲
「スカイダイバー」時代、リングアナウンサーが「ラッシャー木村のテーマ「スカイダイバー」!」とコールしてて、ラッシャー木村自身入場の際恥ずかしそうにしてたそうです(笑) それが嫌になったのかその後サンディ・ネルソンの「リバース・オブ・ザ・ビート」という曲に変更され長い間使われてました

ちなみに阿修羅原の2代目テーマ曲はミノタウロス(かの「ドラゴン・スープレックス」で知られる)の、その名もズバリ「阿修羅」(シングル盤が出ててパート1とパート2がありましたが主にパート1が使われてたようです) 後年の全日本プロレス時代と原の入場時に「あ~しゅら~!あぁ~しゅらぁ~!」という掛け声(?)が響いてそれが妙に印象的でした
2012/05/12(土) 23:57:54 | URL | 鉄ドン
菊池孝さんの名言
解説者の菊池孝さんが逝去されました。

今から丁度35年前、ラッシャー木村vsマイティ井上のIWA世界選手権で解説の菊池さんは、
「木村とすれば、『末雄(井上)の背中を流したくない』という気持ちでしょうね」とコメントされました。
さりげない一言ですが、相撲出身である木村選手の、
「後輩には絶対に負けたくない」という心情を見事に言い表した名言として、今も語り継がれています。

杉浦滋男アナ、芳の里淳三さん、竹内宏介さん、そして菊池さん…。
12チャンネルの実況席を支えた皆さんの雄姿を偲びつつ…合掌。
2012/09/05(水) 01:21:57 | URL | 甚六
そうか。門馬さんと菊池さんで解説やってたんですね。
たしか初期国際発掘DVDの解説もやってなかったかな。

背中を流したくないかあ。
新日での古館さんでしたか、噛ませ犬発言といい、周りが煽るのもプロレスでしたね。
2012/09/07(金) 01:59:16 | URL | ごいんきょ
国プロ中継終焉の真実
'81年3月をもって打ち切りになった後も5月と9月に特番枠で放映されてました ちなみに最後の放映日は9月23日、奇しくもあの「こんばんは」の日でもありました(笑)

余談ですが国プロ最後の興行も'81年8月9日の羅臼大会と長い間言われてましたが後年のマイティ井上の話によるとその後も数回興行が行われていたようです
2013/04/08(月) 12:32:26 | URL | 鉄ドン
国プロ終焉の真実その弐
その羅臼大会後、羅臼から東京へ戻るための交通費がないため、費用調達のために各地でゲリラ的に興行を行っていたそうです(涙)
2013/04/09(火) 12:37:33 | URL | 鉄ドン
あ。「こんばんは」の裏でやってたんでしたっけ。
じゃあ見てないや(笑)。
ちょっと残念な編成だなあ。
当時の新日に勝てるわけないのに(苦笑)。
2013/04/13(土) 07:23:01 | URL | ごいんきょ
私は九州の福岡です、国際プロレスはストロング小林がエースだった時昭和45年からTBS系列のRKBが半年毎に放送時間を変えて流してました。田舎でしたから日本プロレスは受信できませんでした。そして、昭和47年3月放送は打ち切られ、昭和48年4月からテレビ朝日系列のKBCでワールドプロレスつまり新日本プロレス中継が始まりました。ちなみに、全日本プロレス中継は昭和48年1月から始まりましたが、実家は田舎なんで受信できず、見られるようになったのは昭和51年4月からです。ストロング小林が新日本プロレスに移籍した後にラッシャー木村がエースとして東京12ch 今のテレビ東京は当時福岡にはキー局がなく フジテレビ系列のTNCが金曜の深夜にプロレスアワーとして昭和51年10月から放送をはじめました。私は華やかな猪木も好きですが、泥臭い木村も好きです。だから、昭和53年2月に国際、全日本、韓国の対抗戦での 全日本から国際へのあからさまな 妨害、理不尽な裁定にははらわたが煮えくりかえました。天龍と長州が国際の選手として全日本や新日本に殴りこんでいたら、平成のプロレスはどうなっていたんでしょうか?そしたら、木村の居場所がないか!
2013/08/22(木) 19:31:41 | URL | 国際プロレス LOVE
● 鉄ドンさん
前のコメント飛ばしてました。ごめんなさい。
ラッシャーさんにもテーマが有ったんですよね、当然(笑)。
恥ずかしがるというのが、らしいなあ。
今調べたら、原さんも諫早の人なんですね。
さすがに我が親父連中は知らなさそうだなあ、この人は。


● 国際プロレス LOVEさん
こちらも九州の方ですか。
日本プロレスを知らず、国際プロレスだけが流れる地方が有った。
いいですね~。多様性万歳!
ガラパゴスというのを侮蔑語に使う奴らは胡散臭い連中です。
生物多様性、素晴らしい事じゃないですか。
日本は日本らしくでいいし、九州も九州らしく有り続けて欲しいです。
国際プロレスと九州、如何にも合いそうな取り合わせ。

しかし結局は、ガリバーが上陸してしまったのですね。
まるでTPPの猛風に晒される現今の日本のようだ(苦笑)。
くたばれジャイアン、ジャイアンツ!!
ホークス万歳! イーグルス万歳!!
でもソフトバンクと楽天は嫌いだぞ!(笑)
2013/11/07(木) 17:39:46 | URL | ごいんきょ
学校
家ではプロレスは見せてもらえませんでした。問題が起きる前から。小学校で死亡事故があった様で教育庁からの達しで家庭ではプロレス見せないでくださいの達しが学校からありました。昭和43年の話
2014/04/22(火) 03:56:17 | URL | 名無しのおばん
へえ。死亡事故なんて有りましたっけ。
どんな技を使ったんだろう。
2014/04/29(火) 03:07:48 | URL | ごいんきょ
見せるなと言ってた処
NET金曜日の午後8時から維新の会現参議院議員猪木寛治さんの処です。
2014/05/03(土) 03:29:02 | URL | 名無しのおばん
やがて哀しき終末へと…。
国際プロレスの終焉の地が北海道・羅臼というのを、今日まで信じて疑いませんでしたが、これまでコメントから羅臼でシリーズ興行を終えた後も、東京までの帰路に小興行を続けながら移動費を捻出して戻って来たとの話には敗戦軍の憐れのようなものを感じました。まさに“ドサ廻り”と呼ぶべき所業じゃないかと思います。
日本プロレス界の良心とも云える苦労人の吉原国際プロ社長は、最後まで金策に走り回っていたそうですし、私も都内や地方会場で観戦した折にも、新日・全日とは格段に客足の少ない閑散とした試合風景を目撃して暗澹とした思いを抱きました。倒産数ヶ月前でのことですが、間もなく終わりを迎える団体となるのが予想できる場面に遭遇した感じです。盛り上がりに欠ける雰囲気でしたし…。
馬場・猪木といったスター不在というよりも、当初の草津vsテーズ戦からのマイナス印象を、最後まで引き摺ってしまったのではなかったかと思われます。
2015/12/07(月) 17:59:54 | URL | 建半
● 名無しのおばんさん
ワールドプロレスリングですね。
大きなプロレス番組で、まだ扱っていない最後の番組なのですが。


● 建半さん
日銭稼ぎながらの旅興行、ワタクシは好きですけどねー。
旅役者なんかもよく見に行きますし。

国際プロは功績が大きいですからね。
せめて、その点は確実に伝えていかないといけないと思います。
2015/12/13(日) 19:57:35 | URL | ごいんきょ
ファインカラー
おはようございます。今日はこちらからお邪魔します。

TBS国際プロレスは放送当時、大手三菱がついた大御所日本プロレスとは違って、メーンのスポンサーがなく、たしかファインカラーテレビ(日立さん?)、パイロット万年筆、マスプロアンテナあたりがまわしていたように思います。

当時日プロから米国路線を遮断され、欧州風のストロングスタイルプロレスに特化せざるを得なかった国際プロレスでしたが結局、後年はタブーだったデスマッチに手を出して崩壊してしまいましたね。
2017/09/19(火) 08:56:14 | URL | あおのさと
> ファインカラーテレビ(日立さん?)
ファインカラーは日本コロムビアに供給された
日立キドカラーの二つ名みたいですね。

'60年代といえばオンキヨーがテレビに手を出して
一時的に左前になった頃でもありますが、
カー(自家用車)、クーラー、カラーテレビが「3つのC」とか
「新・三種の神器」と呼ばれていた時代。
三菱重工とビクターの合弁で、あのビーバーエアコンが誕生した頃でもありますね。
2017/09/19(火) 21:55:29 | URL | くろねき
キドカラー
キドカラーといえば小学校の頃、校庭に飛行船が飛んできましたね。

パイロット万年筆。巨泉さんの「みじかびのキャプリキとれば」の前で「うれしい時も、悲しい時も♪」のCMが流れていました。

国際プロレスの怪力豊登は田川郡福智町の出身でした。後年、お隣の直方では名大関「魁皇」の銅像が立ちましたが。豊登もあのまま相撲を続けていたら日田彦山線香春駅あたりに銅像が立っていたかもしれません。
2017/09/20(水) 20:55:22 | URL | あおのさと
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
現場監督!地元のダイエーで50円でゲットしたよ! オオニタさんはけしてまたがないようにネ!
2008/06/26(木) 23:17:10 | Donweb::Blog
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ