私的 昭和テレビ大全集
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夜のヒットスタジオ (1968)

ニッポン放送で『男性対女性』というラジオ番組があり、
そこでレギュラーだった前田武彦と元モデルの芳村真理。
前田「ナマズに似てるね」
芳村「そーお? でも好きなタイプのナマズでしょ」
二人の当意即妙の掛け合いを聞いた放送作家の塚田茂が、
このコンビで行こう!と決断したと前田の本には書かれています。
そのコンビによって始まった画期的な音楽番組、夜のヒットスタジオ。
何が画期的と言って、画期的だった事が一つではないのも画期的でした。
まず、夜10時から1時間の生音楽番組というのが画期的でした。
すべてが生歌・生演奏というのも画期的でした。
司会者のパーソナリティが前面に出ていたのも画期的でした。

夜十時と言えば、当時の感覚では深夜に極めて近いです。
11時ですと深夜番組って扱いですからね。
なにしろ当時の日本人は完全週休一日だし、
しかも朝から晩までよく働きましたから、
十一時には就寝する家も少なくない。
我が家も、十時には家族みんな布団の中でした。
ワタクシは、だから初期の頃は眠ってしまっていたか、
ウトウトと前半を観ていた感じですね。
カラー放送になるとかなり記憶も鮮やかですけど。
それでも、他の十時台の番組はそんな感じで記憶も曖昧なのが多いけど、
このヒットスタジオに関しては覚えている事もけっこう多く、
やはり子供ながらも、流行歌番組は楽しめたからでしょう。
で、そんな時間帯に、けたたましい流行歌の番組を作るというのが、
当時としてはちょっと異質な感じでした。

また、以前も書きましたが、当時の音楽番組は
子供でもわかる口パクばかりでしたが、この番組では
ダン池田とニューブリードによる生演奏で、歌手が生で歌う。
活き活きと指揮するタン池田の雄姿を覚えている人も、
このブログの閲覧者には多いはずです。
この生歌・生演奏の特質が露骨に活かされたのが、
かの「泣き」事件の数々でしょう。
ワタクシは、VTRも残っている、いしだあゆみと小川知子が
同時に泣いた回は、ちょっと覚えておりません。
しかし他にもゲストが泣き出してしまった回はありました。
その時の女性歌手が誰だかは忘れましたが、
歌っている最中にうずくまって泣き出してしまい、歌は中止されました。
子供であるワタクシは何がなんだかわからず親に尋ねましたが、
親も何がなんだかわからなかったようです(笑)。
いしだあゆみについては、この番組のウリの一つだった
コンピューター恋人選びで、恋仲が噂されていた森進一が出てしまい、
それでその後の歌で泣き出したのです。心中は本人しかわかりますまい。
ただ、この時に森も出演していて、いしだが歌うのを励ましております。
コンピューターの結果ともども、或る程度までは演出だったわけです。
泣きまで行ったのは、スタッフにすれば最上の結果だったんでしょう。
続く小川は、恋人だったレーサー福沢幸雄の死後まもなくで、
小川が以前に出演した際に、前田と福沢の電話での会話を
録音していたテープを、歌の直前に彼女に渡したのでした。
「テープをここで聞かせたりはしないよ。だから手に持って歌ってね」
そら、泣け!ちゅー事やないかい(笑)。
とまあ、2つとも或る意味ヒキョーと言うか、
生番組の盛り上げ方を上手く計算したというか、そういう面がありました。

司会者のパーソナリティに関しては、それまでの歌番組は大概、
「司会者」という括りの職人的な人が一人でこなす感じでした。
会話も無いか、あっても当たり障りのない話ばかりで、すぐに曲紹介。
ところがこの番組では、先のラジオの如く
前田と芳村が丁々発止でやり合うのみならず、
前田とゲストの絡みも注目の一つでした。
それをフォローするのが芳村真理の役どころ。
前田は芳村の「ナマズ」のみならず、自らは「カワウソのおじさん」と称し、
スタッフやゲストにも次々とあだ名を付けていきました。
先の塚田茂はドンドンクジラと呼ばれていたし、
コンピューター恋人選びの結果を発表する小林大輔アナは、
地下に陣取っていたので、モグラのお兄さんとして親しまれました。
後にクイズ100人に聞きましたで、アナウンサーの事を「屋根裏のお兄さん」
とか関口浩が言ってましたね。ちなみに前田は関口の事務所に所属するので、
パクリと言うよりも先輩に親愛の情を込めた呼称だったのでしょう。
歌手にも次々とあだ名をつけていきました。
ただ、こういうあだ名というのは難しいもので、
本人としてはあまり嬉しくない、もっと言えば不快なものもあったと思います。
前田武彦は当時の放送作家では永六輔と青島幸男の中間に位置する感じで、
青島のように笑いを徹底的に極めるでもなく、
ちょっとくすぐりの感じというか、ウイットというか、
そこら辺から皮肉っぽい感じのコメントも多く、誤解を大きくしたと思います。
それをフォローするのは、やはり芳村真理(笑)。
彼女の役割は、マエタケや井上順の悪ふざけを流す一言に集約されていたかと。

初代男性司会者だった前田武彦は、元々が構成作家でありますから、
生放送でしゃれたトークを考えるのはお手の物。
しゃべくりもラジオやお昼のゴールデンショーで鍛え上げ、
加えてルックスも悪くないという事で、この番組には打ってつけだったと思います。
ワタクシにとっての夜ヒットは、夜十時からやっていたマエタケ時代。
ホウトク金属が提供じゃなかったですかね?
ホートク ホートク 椅子はホートク ホートク
っていうCMソングが記憶にあるんですが。
見え過ぎちゃって困るのォ~のマスプロアンテナのCMもここで観た気が。
てわけで、ワタクシはマエタケの司会は大好きだったのですが、
じゃあ世間みんながそうだったのかと言えば、反対派もいたようで。
泣きのヒットスタジオが夜十時にもかかわらず視聴率40%を超え、
記者に心境を問われた前田はこんな一言を発します。
「高視聴率を取って言えるのは、視聴率なんてそれほど意味のないってことかな」
いかにものマエタケ節。今ならべつになにも感じないでしょうが、
当時の司会者像としては、これも皆様のおかげですというコメントが当たり前。
番組の司会中もこんな感じの物言いはしばしば観られ、
価値観の古過ぎる人間には、生意気な人間だという見方があったでしょう。
後に笑アップ大作戦でマエタケを久々にテレビで観た時、
「しばらくテレビで観なかったけど何かやったの?」と母親に聞きました。
彼女は事件を知りませんでしたが、こんな一言を。
「さあ、知らないけど、何か余計なこと言ったんじゃないの。
 凄く生意気だったもん、この人」
がーん。まさか一緒に観ていた母親が、マエタケをそんな風に観ていたとは、
ワタクシは少なからずショックを受けました。
が、この記事を書くのに大いに参考にさせてもらったマエタケの自著、
『マエタケのテレビ半世紀』の中でも、自分は生意気という見方をされていた
というような表現がいくつかあるので、世間的に少なくない人間が、
我が母親のような印象を持っていたんでしょう。
当時の音楽番組の司会者像を打ち破った、先駆者として払った代償は、
決して小さくないものだったわけです。
彼の司会があったればこそ、後の井上順や、更にはザ・ベストテンでの
久米宏らの司会が成立したはずなのです。
しかし、今のお笑い芸人司会者のような、ゲストをこき下ろして
自分達が美味しい思いをするという浅ましさはありませんでした。
敢えて言えばエスプリが効いていたというか、
受け手にそれなりの素養が必要な感じの笑いをやっていたように思います。
我が母はじめ当時の視聴者層には、通じない人間も多かったと思います。
先の「視聴率意味無い」発言も、真意は生の人間を重視したいというものでした。

その『事件』については、件のマエタケの自著に依って解説したいと思います。
事の発端は、日本共産党からの宮本顕治書記長(当時)との会談の申し入れ。
共産党とは言え、きちんとした額のギャラをくれるという事で、
前田は特に深くも考えずに受けてしまいます。
この会談の成功で共産党はその後も、
前田を各種イベントに呼び、どれも好評を博したのみならず、
前田にとっても非常に心地よい部類の仕事だったようです。
そして1973年6月。大阪参院補選、自民党・森下仁丹の森下泰、
共産党・沓脱タケ子の自共決戦で、共産党は前田に応援を依頼。
応援演説には躊躇しつつも、これまでの付き合いから激励くらいならと、
ギャラをきちんと貰ってあくまでも仕事として、前田は受諾。
ただ頑張って下さいと言えば済むだろうと思っていた前田でしたが、
天王寺駅前の大演説会場に於いて、一言を求められてしまいます。
ここで彼は咄嗟に、沓脱候補にあだ名をつけますと切り出し、
浅黒い顔色と鉄の塊のような風貌から「ボクシングのグローブ」と命名。
不破哲三や松本清張の困惑を受け(笑)、
「そのグローブで相手候補をノックアウトして下さい」と締めました。
この辺のアドリブセンスがマエタケの真骨頂でしょう。
ところがこの後、問題の一言を付け加えてしまいます。
「沓脱さんが当選されたら、その生放送(翌日のヒットスタジオ)で
 バンザイします。皆さん、見てて下さい」
一般人のファンに、テレビから合図を送って下さいとせがまれ、
手を振ったりはしていたという前田は、その調子でこんな約束をしたのでした。
そして選挙は沓脱候補の当選。前田は番組中のいつバンザイをしようか悩みます。
それも番組が進行するうちに忘れていたのですが、フィナーレで、
最後の出演者・東京ロマンチカが通り過ぎる時に気がつき、
既にマイクもオフになって音声は届かないまでも、
「三条君お疲れさま。バンザーイ」とやったのでした。
三条正人も意味がわからぬまま、つられてバンザイとやったと言います。
この一件が、フジサンケイグループの週刊誌によって報じられ、
マエタケの共産党バンザイ事件として問題化。
次の秋の改変期、ヒットスタジオは勿論、十二年続いていたラジオも含め、
すべての番組から降板を余儀なくされたのでした。
フェードアウトと言うにはあまりに急激な暗転。
前田はこの後しばらく、経済的にも苦境に立たされたようです。
このバンザイシーンも含め、前田は初期のオープンリールのビデオで
ヒットスタジオなどを所有していたようですが、
根に持っても仕方ないと全て処分してしまったとか。
なんとまあ、貴重な文化遺産を(苦笑)。

このバンザイ事件、問題の背景が実は幾つか有ります。
一番大きいのが、当時のフジテレビは今とは大違いの非常に閉鎖的な体質で、
労使対立も根深く、社員みなが自覚した、暗い時代であったという事でしょう。
そんな中で共産党に肩入れする前田に対する制裁という面もあったと思います。
前田の方も、思想的に共産主義者ではないと弁明しつつも、
政党や宗教の機関誌紙で芸能人が紙面を割かれるというのは、
その機関の宣伝行為になるのは明らかなんですから、
関係があると見られるのが当然だとワタクシは思います。
ギャラを貰っている「仕事」だからと言うのは通りません。
また、前田が学んだ鎌倉アカデミアには共産党員も多く、
その関係で彼の繋がりには共産党員が多かった。いずみたくもその一人です。
共産党が前田に様々な仕事を依頼したのもそういう関係があるからでしょうし、
前田の方も実は、そういう義理を意識していたんじゃないでしょうか。
問題のバンザイ事件は、例え「共産党バンザイ」とは言っていなくても、
公私混同という批判は当然の話で、ヒットスタジオ降板は仕方ないと思います。
しかし、よりにもよって他局のまったく関係ない番組まで奪われるほどの
非道であったとも、ワタクシには思えません。
テレビ開局以来長らく貢献してきた人間の生活基盤を、
根こそぎ奪うような圧力を、ワタクシは到底認める事は出来ません。

前田と共に相方の芳村真理も降板決定。
二人のさようなら番組が作られたのが、せめてもの救いでしょうか。
送り出される芳村真理は涙。内心憮然たるマエタケには涙は無し。
しかし、放送後の歓送パーティーで、ダン池田が放った言葉に泣いたと言います。
「正直でいつも本当の事を言う前田さん。別れるのが…悔しい!」
事情がわかっていてもみんなおざなりな挨拶しかしない中、
池田がこう言った時には自分でも信じられないくらいに涙が出て、
抱き合ったと言います。よほどに悔しかった事がわかります。
芳村はしばしのブランクの後、出来レースのように復帰。
この事も前田のプライドを大きく傷つけました。

その後前田は、関口浩事務所に所属し、現在は普通の生活に戻っているようですが、
この辺の事情は、なぜか著書では語られていません。
駅前でつまずいても誰も気にとめなくなったという彼ですが、
テレビ50周年の特番で、若いタレント達が通り一遍の反応しかできないのを、
自分がいたらいろんな事を伝えられるのにと歯ぎしりし、
テレビの還暦まで生きていたら続編を書いても良いと、著書は締められています。
関口事務所への移籍の顛末を含め、絶対に続編も読みたいですし、
他にも語っていない事、特にシャボン玉ホリデーでは多いと思いますが、
それらを暴露趣味ではなく、放送文化史の一頁として絶対に書き上げて欲しいと思います。
また書中で本人もPRしているのですが、もっと初期のテレビを知る人間に、
今のうちに語り残しておいてもらわなければいけません。
過去を語る事を斜に構える人間も少なくない中、こう言ってくれる人は貴重です。
特にNHKなどはこうした事を精力的にやらなければならないのに、
テレビ50周年だって若手のタレントなど使って視聴率を意識している場合ではないでしょう。
受信料を使って視聴率競争に堕するなと言いたいです。


かなり前田武彦でスペースを使ってしまいましたが、
実のところ、先にも言ったように、ワタクシにとっての夜ヒットは、
月曜夜十時、前田武彦司会の番組なんですね。
その後は長大たる付け足しのようなものでした。
司会は交代制から、芳村真理の復帰に伴い、三波伸介が起用されます。
なぜか三波は短命に終わり、井上順が登場。
彼も十年そこら司会を務め、ワタクシより年代が下の人には、
夜ヒットと言えば井上順という人も多いと思います。
ワタクシも、三波の司会はあまり印象に残っていませんが、井上の司会は好きでした。
とにかくやたらとダジャレを言ってましたね(苦笑)。
「順ちゃんはどうなの?」「僕の事はどうでもいーのうえ」
…… まあ、こんな感じでした(笑)。
しかしマエタケと違い、誤解されがちな「正直な一言」も無く、
より明るかった彼の司会は、たしかに夜ヒット中興の祖と言えるでしょう。
また、歌謡ドラマというコーナーもこの頃いつの間にか無くなりましたね。
ヒット曲をBGMに、出演者がコント仕立ての寸劇をするコーナー。
ワタクシはこれが好きではなく、そんな暇に歌を入れればいいのにと思ってましたが。
和田アキ子はここでも、ゴッドねえちゃんみたいな役をやってたと思います(笑)。
開始当初にあったコンピューター恋人選びも、同時に?無くなり、
その後エンディングのラッキーテレフォンクイズも無くなりましたが、
オープニングの持ち歌リレーだけは最終回まで継続されました。
歌手が、次に紹介する出演者の持ち歌をしばらく歌い、
そして紹介の言葉を添えてマイクをバトンタッチするもので、
演歌の大御所がポップス歌手を紹介する時などは爆笑モノでした(笑)。

井上順の後はもうグダグダっていう感じですね。
既に番組も長期化していてマンネリ感もあった中、
番組の放送時間を大幅に拡大した『~DELUXE』時代もありましたし、
深夜にロック・ニューミュージックオンリーの『~R&N』とか、
演歌もあったかな? そういうファミリー化もしたり、試行錯誤してましが、
肝心の歌謡界そのものがメロディー枯渇、光GENJIらによる口パクの横行、
テレビ出演拒否者の増加と、この番組を取り巻く環境は厳しくなる一方。
様式美も破壊され、こういうオーソドックスな音楽番組も需要が減りました。
開始当初は斬新なスタイルで当時のオーソドックスな音楽番組を蹴散らした
この番組も、いつの間にかオーソドックスな立場となってしまっていたのです。
芳村真理が本当に撤退した時が、きれいなやめ時だったと思いますが、
それぞれに生活がかかっている人がいるので、そうは単純にも行かず、
寿命はミエミエながらも古舘伊知郎らを起用してしばらく続きました。



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伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る(ブログ)
  http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
マエタケは基礎構築の功労者、芳村真理は番組発展の功労者。
前田武彦時代の夜ヒットの様子がよく分かる記事、かなり参考になりました・・・。

芳村さんも番組を20年(といっても一時降板した時期はあるが)で完全勇退したときに「やっぱり、マエタケさんあっての夜ヒット」ということを最終的には仰ってました。芳村さんの中には、やはりこのマエタケさんの「バンザイ事件」による降板と自らが再度戻ることになったことが最後まで司会をやっていく上でネックともなり、そしてまたその苦い経験を活かそうともしていたようです。それゆえに井上順、古舘伊知郎が後に入ったときもとにかく「司会をやりやすい環境を作ろう」ということも念頭に入れて、マエタケさんとのコンビと同様、流すときは流していく、横道に反れそうになったら軌道修正していくって形を維持していたようです。

彼女の砕けた感じではあるが羽目をはずしすぎない司会ぶり、その上で独特の存在感を放ち続ける。芳村真理のいた夜ヒットは他の番組以上に品もあり、砕けた感じも存分に含まれ、そして華やかさがあった。あの何者にも変えがたい絶妙な雰囲気のの土台には芳村真理の存在が光っていたのも事実なわけで、その意味で芳村真理が持っているパーソナリティー性は夜ヒットが色々と試行錯誤しながらも、そのベースを替えることはなく長く続く上では不可欠の要素だった、という感じがします。
あそこで仮にうつみ宮土理とか楠田枝里子とか、もっと他の女優さん(たとえば野際陽子とか)が入っていたとしても、まずあそこまでの雰囲気を生み出し、維持し続けることができたか?といえばかなり疑問符が打たれるところだろうと思います。やっぱ芳村真理の代わりはいないんだろうなあ・・・と感じますけどね。
この部分は私は強調して言いたいところですね・・・。「マエタケ時代を知らんお前に何が分かる!」とお叱りを受けるかもしれませんが・・・・(笑)。

最後にわざわざ長い時間を割いて私のワガママなリクエスト?に応えていただき本当に申し訳ない限りです。それでいてちょっと批判めいたコメントを残すのも問題ありかもしれません(汗)が、どうぞ私個人の考えとして受け止めていただければと思います。

これだけいろんな批評なりがいろんな世代の視聴者からも出ること自体が夜ヒットが広く愛されていた、ということの表れ。やはり私個人は夜ヒット・ベストテン・歌のアルバムの3つは終ってずいぶんたちますが、いつまでも音楽番組の傑作として語り継がれるべきだと思います。
2006/07/30(日) 21:41:27 | URL | blue
芳村真理さん
本文はワタクシの独壇場ですし(笑)、
また、様々な見解によって新しい発見をこれまでも何度もしてきてますので、
いろんな意見を仰って戴く事はむしろ有り難いです。
その際、出演者やその支持者を非合理に叩かれては困りますけど。

しかし、芳村真理さんが大きな役割だったというのはワタクシもべつに否定してませんよ(苦笑)。
結局、夜ヒット全体として考えれば、
芳村真理さんの番組だったと評論されても通る部分、あると思います。

他の女性ではどうだったかというのは難しい部分ですけどね。
他の女性でも、その人なりの良さは出たでしょうし、
男も、必ずしも前田武彦でなくても成立していた可能性も大きいと思います。
やはり当初は、その構成が斬新だったですね。
2006/07/30(日) 22:39:47 | URL | ごいんきょ
夜ヒットに関する書籍(公式本のようなもの)はかなり少ないらしく、それこそマエタケさんがリアルタイムで司会をされた時代に出した夜ヒット中心の話題のみを取り扱った著書(昭和45年頃の発売)と、芳村さんが番組勇退記念として思い出を振り返るということで出した「芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE」(昭和63年発売)、塚田茂さんが数ある自らの数ある構成担当番組の中の最高傑作として同番組を挙げて長く思い出・スタート時の裏話を述べている平成3年頃の同氏の著書、そしてマエタケさんが平成15年に出した「テレビ半世紀」の中の記述ぐらいだと思います。これら書籍はすべて図書館や自ら購入するなどして1度は目を通しているので、そこからの記憶でブログの記事の参考にしているところも結構あったりします。

私が初期の頃の話として面白く感じたエピソートに、マエタケさんの「カツラ」の話があります。1972年頃からマエタケさんは頭髪が薄くなっていることを気にかけるようになっていたらしく、思い切ってイメージチェンジ?という意味も含めてフランス製の長髪ぎみのカツラをかぶってある回の夜ヒットの司会に臨んだところ、相手役の芳村さんが「今日、マエタケさんは実はフランス製のカツラかぶってるんですよ~!分かりますかあ~!」と真実をそのまま述べてしまったんだとか。でも、マエタケさんはそこが彼女の司会のいいところだ、と逆にこの切替し伸し方を某カツラに関する著書でえらく評価していらしたのを記憶しています。何となく、初期の2人の司会が「丁々発止」そのものだったという評価も頷ける話だなあ、と思いました。
あとは、芳村さんが1000回で止める際、マエタケさんとの司会で初期夜ヒットを振り返るコーナーで、マエタケさんは「なまずがいつの間にか1000匹まで増えちゃった・・・」とか云々という発言をして、芳村さんがいつものように突っ込んでいたというシーンがありました。リアルで司会をしていた某回でこの1000回放送時のやりとりに係るやり取りをOP時にやったらしく、このやりとりが初期夜ヒットの雰囲気を象徴するような司会だったってこともあって、敢えてこのやり取りを20年ぶりに復活させてみた、ということのようです。

芳村さんの著書のほうでは、マエタケさんに対して賛辞を述べている記述のほかに、初期の頃のスチール写真も多く掲載されており、当時の人気コーナーの歌謡ドラマで、芳村さんがモデルらしく超ミニの股旅ルックをしているかと思えば、クレイジーキャッツ扮する水兵隊の歌う軍歌にのせて、隊長役のマエタケさんが槍のようなものを思いっきり突くポーズをしている写真もあったり、初期の頃の夜ヒットも面白い番組だったんだろうなあ・・・・と実感する写真も多かったです。
もう1度夜ヒットの歴史を振り返る公式本が出ないかなあ・・・と僅かな可能性に期待をしてるんですけどねえ・・・。


2006/08/01(火) 00:54:27 | URL | blue
乞公式本
これはこれは、力作と申しますか、ありがとうございます。
先に大事な結論から書いちゃいますと、公式本はたしかに欲しいですね。
でもフジテレビは、そういう歴史を振り返るような事は、あまりやらないですね。
社史も、まともなものは発行していない?
おそらく本文中に書いたような、暗い過去が原因しているのかもしれないですが。
夜ヒットも同様で、いろんな経緯を考えると、通史本は難しそうですね。

「芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE」(昭和63年発売)
はタイトルだけは知ってますが、写真集のようなんで入手はしませんでした。
前田さんの夜ヒット本があったとは知りませんでしたね。
機会が有ればぜひ入手したいです。
ドンドンクジラの著書もあったんですか。

カツラのコメントは覚えてませんが、
そう言えば長髪で違和感あった回はなんとなくあったような。

そうですねえ、マエタケ時代の夜ヒットは面白かったですよ。
井上順ちゃんも別種の面白さがありました。
古舘さん以降は、ワタクシにとっては別種の番組になっちゃいましたね。
彼はパワーが有りすぎるというか、やはり純粋なバラエティーの方が合っている気がします。
2006/08/01(火) 01:43:29 | URL | ごいんきょ
と、塚田さんが著書執筆にあたりインタビューを受けた芳村真理さんは仰ったそうです。

確かにそうだよなあ・・・・。あれだけフェードアウトしまくる?激しいカメラワークも夜ヒット中期では特に象徴的で、臨場感を伝えるには十分すぎるほどの機能を果たしてましたね。時に山口百恵が持っていたマイクがカメラに当り冒頭の部分が歌えなくなってしまったり(汗)、美空ひばりがカメラワークに注文を出したりと、いろいろ曰くつきが多いわけですけど、そういう部分も今となっては夜ヒットの歴史の深さを物語るエピソードになってますね。

あと、ご指摘の古舘さんに関しては、最初の頃は相手役の芳村さんに相当救ってもらっていて、彼も「真理さん(彼はいつも芳村さんのことをこうやって呼んでいます)が横についていてくれるから安心してバカなことが言えた」と言っていたのを記憶してます。まだフリーになって1年しか立ってない時点での大抜擢、そこに1回目から司会をしている看板の「女帝」がいる、これ以上の安心感はなかったでしょうねえ・・。当時のVTRでも、巧く芳村さんが、暴走するとストップを掛けて番組本流の進行に持っていく(この辺りがやはり芳村流)場面が幾度もありました。実は私自身はこの「芳村の手のひらにピエロのように汗だくで司会をしようとしている古舘」という構図がとてつもなく面白くて好きでしたね。そんなことを言えば井上順時代も「芳村にまとわり突いて茶化しまくる井上順」という絶妙な構図があったわけですけど。

芳村さんは最高級の「猛獣使い」といってもいいでしょうね。マエタケさんの「余計な一言」でさえも巧く中和させて批判を最小限かわそうとさせる一言を付け加えてしまう、そんなところからマエタケさんは彼女を「頭の回転が速い女」と言ってました。当時はおっとりして個性のない女性司会者が多い中でも芳村さんの起用もまたちょっと異質だったかもしれないですね。

なぜか、自分自身、どうも夜のヒットスタジオというと「芳村真理」という名前と一体になっているようで、どうしても芳村と夜ヒットという構図でコメントなりを書く癖があり大変申し訳ございません。子供心に「どっか何か知らんけど凄いオーラがあるおばちゃんだなあ~」と毎回出てくるときの衣装の強烈さと優しい司会ぶりを子供心に見て感じ、その当時の印象がいつまでも夜ヒットのあの階段セットとか番組の雰囲気とかとリンクして脳裏に焼きついて離れないんですよねえ。今の司会者なんかすぐ誰がやってたかなんて忘れてしまいますし、そもそも、最初から知らない。ってパターンも多いわけですけどね(汗)。
2006/08/02(水) 00:37:21 | URL | blue
夜ヒットはやはり動く画で見るのが醍醐味
と、塚田さんが著書執筆にあたりインタビューを受けた芳村真理さんは仰ったのですね。
タイトルをURL欄に書かれてしまったようです。
毎度コメント欄の編集を管理者ができないので申し訳ないんですけど、
適宜このように対応させて戴きますので、
blueさん同様、細かい訂正書き込みなどはされなくても大丈夫でございます。

カメラに注文と言えば、加賀ライトってのも最末期にありましたが(笑)。

ザ・ベストテンでの久米さんに対する黒柳さんも、同じ様な役割だったかと思います。
やはり頭の回転がかなり要求される立場だと思いますよね。

いろんな方がいろんなご意見を書いて下さるのは、
番組評に幅が出ますので有り難い事ですよ。
コメント欄ごときにこれだけの熱論を書いて戴くのも申し訳ないんですけど。
2006/08/02(水) 23:33:52 | URL | ごいんきょ
『夜ヒット』はあまり見ていませんでした
 「見てないんだったら書くな」ってのは無しにしてください^^;

 私は昭和47('72)年頃から歌謡曲を聴くようになって、アグネス・チャンやキャンディーズ、フィンガー5が登場してきた昭和48年('73)にはかなりのめり込み、『ベスト30歌謡曲』や『紅白歌のベストテン』などはよく見ていました。しかし、『夜ヒット』は放送時間が遅かったので見ませんでした。

 『夜ヒット』は中学生の時にYMOが出演するというので見たのが最初かな? でもその頃はニューミュージックが好きだったので、この番組を続けて見るまでにはなりませんでした‥‥。

 昨年の夏、宮城の母の実家に行った時、スカパー!で再放送を見ました。懐かしい歌がこれでもかと登場し、幸せなひと時でした。VTRが残されているということがわかり、その点も嬉しかったです。
 そして東京に戻って来てスカパー!に加入しようと思ったら、我が家はアンテナが立てられないことがわかって残念でした‥‥(T_T)
2006/08/04(金) 14:06:57 | URL | 自由人大佐
それでは
観てなかったんなら書かないで下さい。
え? 違うんすか?
お笑いでは「書くな」というのは「書いて」って事なんですが、違うようですね(笑)。
ワタクシも、観たこと無い番組の記事を結構書いてますし、
他人のこと言えませんです(苦笑)。

ベスト30歌謡曲も紅白歌のベストテンも観てました。
要するになんでも観てました(苦笑)。
ただ、どちらも持ちネタは少ないんで、
記事を書く時にふくらませるのが苦労しそうです。
そんな内情暴露はどうでもいいんですが(笑)。

夜ヒットは1976年頃から、つまり家庭用VTRが本格的になってからは、
ほとんどが現存しているようですね。
三波伸介時代以前は、かなり希少のようです。
ただ、沢田研二とかジャニーズなど、手前勝手な連中、
自分達が何のおかげで今の立場があるのか理解しようとしない連中が、
どうも勝手な主張をしているようで、彼らが出演している回は放送されません。
視聴者には権利がまったく無いという無礼者どもです。

と、ワタクシの知り合いが怒ってましたが、
ワタクシは、彼らには彼らの言い分があるんじゃないかなあ?とフォローしておきます(笑)。

スカパーアンテナ建てられないお宅もあるようですね。
ウチも角度的にギリギリなんです。
スカパーには2種類あるんですが、どちらもダメなんでしょうかね?
あとはケーブルTVしかないでしょうねえ。
東京なら、CATVもかなり普及してると思いますが。
2006/08/04(金) 23:46:45 | URL | ごいんきょ
副産物
すいません、「本物」はあんまし見てないのですが・・・
「R&N」確かにありましたね。ローカル編成枠だったので放送してない地域もあったと思います。で、フジテレビではプロ野球ニュース終了後、丸井提供枠を挟んでの番組だったので、この10分間は各局穴埋めしたんですが、当時私がいた山陰では後に自社製作番組に切り替えけっこう人気が出た、なんて思わぬ副産物もあったんですよ。「R&N」をネットしてなきゃこんなこともなかったでしょうね。
2006/12/15(金) 10:43:36 | URL | かじか
「R&N」「インターナショナル」「演歌」もあった
1989年秋改編で、夜のヒットスタジオのDX版が終了し、歌のジャンルにあわせて、本流の流れを汲む「SUPER」を中心に、金曜深夜枠に「R&N」「インターナショナル」、日曜昼の月1回放送で「演歌」と番組が一応「分割」されました。

でも、今考えるとあの「分割」が1年後の完全終了への「予兆」だったのかなあ・・・・という感じもしますね。
本流の「SUPER」もなんか番組内容を分割したために出演者も中途半端な感じになっちゃってましたしねえ(最終盤は演歌歌手も誰一人出演せず、ロックバンドもなんか人選が中途半端・・・)。異例の2時間番組にまで格上げするまでの勢いのあった「総合音楽番組・夜ヒット」の最終盤は何となく「寂しさ」だけが後に残るものでしたね・・・。
2006/12/15(金) 13:03:33 | URL | (ハンドル未記入)
ヒットスタジオ演歌
● かじかさん
R&Nはそれなりに貴重なアーティストも出てたので、注目はされましたね。
タイマーズの「おまんこ野郎FM東京」ってのも凄かったけど、
あれを丸々歌わせたプロデューサーに乾杯!(笑)

● 未記入さん
まさに昭和と共にヒットスタジオも終わったという感じですね。あとは惰性と言うか。
ただ、演歌まで発信し続けようとした姿勢は尊いと思います。

当ブログの世代ですと、歌謡曲ってのは演歌ありフォークありロックあり、
なんでも聞いてかんでも歌って、なんでもかんでもノッていたものですが、
音楽界そのものが、ジャンル・世代分けされていったんですね。
2006/12/15(金) 19:33:22 | URL | ごいんきょ
夜ヒットの歴代スポンサー
夜ヒットのスポンサーとして一番力を持っていたのは何と行っても「資生堂」でしたね。
1970年代~1980年代にかけてライバル「鐘紡」とCFソングで凌ぎを削りあっており、その余波を夜ヒットはモロに受けてました(鐘紡のCFソングは原則披露できず<但し、特例的に一部披露可能な場合はあった(松田聖子とか原由子とか)>)。結構これって死活問題な気もするんですが、夜ヒットはあえてその部分まで逆手に取って「アルバム」という存在に目を向けさせる端緒を作り、番組の新たな「強み」としていきましたが…。

あと、自分が物心ついたころは既に資生堂のほか、日清サラダ油・ダイハツ・森永製菓が提供に名を連ねていましたが、Wikiによれば初期のころには、自分自身全く聞き覚えのない企業(山水電機・コルゲート歯磨)がスポンサーに名を連ねていたり、アンネタンポンとかマスプロアンテナ(たぶん由美かおるがCMキャラクターで「見えすぎちゃってこまるの」とかいう歌を使っていた時代だと思います)もスポンサーになっていた時代があったというのもちょっと意外でした。始まった頃は夜10時がいかに「深夜」に近い時間帯だったか、というのが何となく初期スポンサーの顔ぶれを見るだけでも分るような気がします。

あと、これも今は無き「日本興業銀行」も初期の頃にスポンサーだったらしいですが、これに関しては恐らく当時の番組イメージとは一番かけ離れたスポンサーだったんだろうなあ・・・と大体の察しは付きますが(笑)。歌と司会者同士のジャブのし合いの間で
まだまだお堅いイメージが強かった「銀行」のCM・・・それはそれで見てみたい気もしますが。
2007/02/24(土) 03:33:10 | URL | blue
記憶に残るCM
夜ヒットのスポンサーが資生堂だったというのは意識してなかったです。
カネボウの曲が流せなかったのは最悪ですね。
もっともカネボウの方もラジオの提供番組で資生堂のCMソングを流さなかったのですが。
この辺は私企業がスポンサーである事の弊害ですね。
公共の電波を使った放送で広告するわけですから、
こういう恣意的な運用は控えるべきだと思いますが。
ははあ。その辺でアルバムの曲にねえ。
そういう分析は気付かなかったですね。

ワタクシが夜ヒットのCMで一番記憶にあるのはホートク金属なんですけど。
ホートク ホートク 椅子はホートクホートク
でも、夜ヒットじゃなかったのかな?
なんかそのように記憶してたんですが。
あと、トモエそろばんとかやってなかったかなあ?
ト・モ・エーの算盤~ パチパチ♪とか。
それから、答え一発カシオミニ♪のカシオ計算機とか。
どれもウィキペディアには書いてませんね。記憶違いかも。

桃屋とマスプロ電工はさすがに覚えてます。
三木のり平の古いアニメCMは、ここで見てましたね。
マスプロ電工は見え過ぎちゃって困るのォ~ですが、
あれも衝撃的なCMでした(笑)。
由美かおるさんじゃないですよ。おそらく無名の人。
興銀もやっていたかもしれないですね。
ワリコーの宣伝を見た気はします。地味なCMでした。
2007/02/24(土) 05:49:53 | URL | ごいんきょ
♪見えすぎちゃって困るの~
という歌は由美氏でなく無名の方が歌われていて後今に到るまでラムちゃんの元祖みたいな雷のキャラもそれこそアニメなので口パクで歌っていたと記憶居している

後テンちゃんみたいなキャラも居て何かの説明していたとも記憶がある

この番組や特に昭和期の22時台のCMに関しては書きたい事沢山なので何れ又
2007/02/24(土) 21:48:42 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
マスプロアンテナ
最後に「マスプロアンテナ」って一言言うのは野沢雅子さんの声だった気が。
2007/02/24(土) 22:42:02 | URL | ごいんきょ
夜ヒットのスポンサー変遷はこんな感じでしょうか・・・?
夜ヒットのスポンサー(主要ところ)の変遷はこんな感じなんでしょうかね・・・?

・マエタケ・芳村時代
<モノクロ時代>
資生堂・桃屋・コルゲート歯磨・ゼネラルフーツ・山水電気
<カラー時代>
資生堂・桃屋・マスプロ電工・日本興業銀行・ホートク金属(ホートクもやはり初期スポンサーらしいです)・アンネタンポン・山水電気・ダイハツなど(この時代はかなりスポンサー入替が激しいみたいです)
・芳村・三波時代
資生堂・キッコーマン・森永製菓・ダイハツ・日清サラダ油(確か大塚製薬もこの時代にスポンサーだったらしい)
・芳村・井上時代(月曜時代)
資生堂・森永・ダイハツ・日清サラダ油(この時代辺りからこの4社は不動になったような)・三洋電機・日本ヴィックス・キヤノン・十条キンバリーなど(後1~2社が数年かおきに変わっていた。)
・DX時代
資生堂・ノエビア化粧品・ダイハツ・トヨタ・ライオン・P&Gヘルスケア・キヤノン・日清サラダ油・松下電器・明治乳業・大正製薬ほか(前後半入れ替わり。計12、13社ぐらいがスポンサーだったというある意味凄い時代…)
・SUPER時代
資生堂・ダイハツ・キヤノン・P&Gヘルスケア・日清サラダ油ほか

って感じでしょうかね・・・?

十条キンバリーの後にスポンサーとなり以後終盤期まで夜ヒットの提供を担当したキヤノンについては一説によれば、当時(1981年頃)、この番組の司会である芳村さんのご主人の大伴さんがこのキヤノンの取締役を務めていた縁で提供に参加するようになったという話があります。CFキャラクター、あるいは取締役と親友だとか親族関係にあるというように司会者と何らかの関係がある会社がスポンサーになるというのは昔も今も普通にありますしね…。

資生堂というとなんといっても昔は提供スポンサー紹介のところでの「東京・銀座・資生堂」とお決まりのフレーズが印象的でした。なんともシンプル(すぎる?)フレーズですが、これっていつ頃まで使用されていたんでしょうかね・・・?
「資生堂」という企業のもつ「荘厳さ」みたいなイメージは、この「東京・銀座」という華やかさを連想させる地名との融合によって確立されていったという感がありますよね。
2007/02/26(月) 22:10:16 | URL | blue
CMあれこれ
これはまた随分と力作を。
ホートク金属、やはりやってましたか。
あのCMソングはこびりついてるんですよ、脳裏に。
吉村さんの旦那さんがキャノン関係とは知りませんでしたね。
キャノンも山水も含め、
書かれているスポンサーで覚えている方が少ないです(苦笑)。
桃屋はもう、何はなくとも江戸むらさき 特級~ の時代でよく覚えてます。
マスプロのCMが初めて出た時は、家族一同驚きましたよ(笑)。
終わった後、呆れて笑うしかなかったです(笑)。

東京銀座資生堂というフレーズをワタクシが一番覚えているのは
TBSの石井ふく子枠ですけど、昔は必ずそう言ってました。
やはりバブル直前頃、日本が豊かになり始めて
原宿とか渋谷とかいろんな土地が注目されるようになって、
その手の案内はなくなったと思います。
2007/02/27(火) 07:11:56 | URL | ごいんきょ
CM
マスプロアンテナのCMを初めて見たのは、夕方の再放送枠だったような気がします。子供心に「見ちゃいけないっ」と思った(笑)記憶があります。ので、かなり昔だったと思います(苦笑)。

70年代の資生堂のCM曲で、黄昏時の浜辺の映像で、
♪巡り会えた 君に会えた この出会いをどうしよう・・・
というのがありませんでしたか?
いろいろ検索してみましたが、分かりません。人生でたった一度聴いた曲です。
2007/02/28(水) 13:36:43 | URL | モデラート
提供紹介
この番組の提供紹介って、冒頭のメドレーが終わってからですよね。
だからより印象が薄くなってるんだと思う。
日テレみたく冒頭に提供紹介あればまた違ってたんでしょうが。

マスプロのCMは昭和45年頃でしょうね。
まあ昔と言えば昔ですが(笑)、
ワタクシもよく知っているカラーの時代ですので、
モデラートさんにとってはひよっ子みたいなものかと(笑)。
夕方には見た事ないんですけどね。
なんだろう、ニュースの時間とかでしょうか。

資生堂の曲、今の所は思い出せません。
と言うか、例によって採譜してくださればMIDIにしますので、
教えてくれる人が出てくるかもしれませんよ(笑)。
ワタクシが最初に思い出すのは、
銀座レッドレッド ウィウィ♪ってやつですね。
考えてみれば資生堂が銀座にあるからあんな歌詞だったんですね。
お洒落なCMソングの先駆けだったと思います。
2007/02/28(水) 20:53:03 | URL | ごいんきょ
その曲は
マスプロアンテナのあの曲は最近、なぜか東海地方では復活しております。地元だからですかねぇ?
2007/03/01(木) 00:29:00 | URL | かじか
資生堂のCM曲
コメントに書いた歌詞の部分だけ、8小節しかメロディーが分かりません。
もしごいんきょさんがMIDIにして下さってメロディーが甦ったら、なんと贅沢な曲探しでしょう。
日記を読み返してみたところ(笑)、ただ一度聴いたのは、1973年5月25日(金)フジテレビでした(あまり意味ないですね・・)。

4分の4拍子でテンポはゆったりです。
・ミシド│シ.ララーー│・ミラソ│ソ.ファファーー│
・ファソラ│ソ.レレーー│・レソファ│ミーーー┃

・は四分休符
シ.ラ は付点四分音符八分音符です。

何十年も頭の中で反芻していたので心配ですが・・
2007/03/01(木) 21:49:22 | URL | モデラート
日記
● かじかさん
おや、マスプロは東海地区でしたか。
デジタル化の今更見え過ぎちゃっても無さそうだけどな~(苦笑)。



● モデラートさん
入力ツール持ってますので、譜面さえ有ればMIDI化は楽なものです。
いつでも書いて下さい(笑)。
しかし日記にまで書くとはそうとう気に入ったんですね(笑)。
日付がわかるというのは資料価値高いですよ。
2007/03/02(金) 06:52:52 | URL | ごいんきょ
マスプロアンテナ
マスプロアンテナ、の文字に反応してしまいました。
私がマスプロアンテナのCMというと思い出すのが、青江三奈さんがミニスカートで出て、
♪あなた知ってる~マスプロアンテナ~
という「伊勢佐木町ブルース」替え歌バージョンです。
「伊勢佐木町ブルース」といえば、川内某先生作詞の大ヒット曲・・・・お許しは出ていたのでしょうか・・・・?
2007/03/03(土) 18:57:46 | URL | たけし
ため息
たけしさん。私はこのバージョンについて川内氏がどうしたのか分かりませんけど、冒頭の部分は川内氏の指示で急遽「ため息」を入れたそうですから、おそらくお許しは出たのではないでしょうか。
2007/03/03(土) 21:01:45 | URL | かじか
そのCMなら覚えがある
とだんだん本題からそれつつあるので話を戻すとオープニングの各々が自分以外の持ち歌のメドレーの際一例として田原俊坊の歌のメロディーがどんなものか初めて知れたという半分ギャグの意見も覚えている

後裏のニューステ前の朝日系の月曜のドラマ枠は確かポーラ一社のスポンサーだ覚えている
2007/03/03(土) 22:25:20 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
時事ネタ絡み(笑)
● たけしさん
おお~、なんと懐かしい記憶を思い起こさせてくれるのだろう(笑)。
あの歌も川内先生作詞でしたか。
べつに先生は洒落がわからないという人ではないでしょうからね。
森さんとの確執は、森さんの恩忘れが全てだと思いますよ。
その辺がきちんとしていれば、詞の追加どうこうは些細な事だと思います。
先生は、もう先も長くないという事で週刊誌に遺言記事を載せてますけど、
森さんにも親代わりの最後に人の道を再確認させているのだと思います。
ハッキリ言って天狗の振る舞いに、ワタクシにも見えます。
どれだけお世話になったか、もう忘れたんでしょうか。
ナベプロ独立の時の軋轢といい、そういう人なんだろうなと改めて思いました。


● かじかさん
青江さんも先生の人となりはよくご存知でしょうから、
話は通しているでしょうね、勿論。
この場合は完全に詞を弄んでいるわけですから、
話を通さないというのはちょっと有り得ないです、たしかに。


● ガッツさん
マスプロアンテナは提供スポンサーですからスレチじゃないですよ。

ああ、トシちゃんの歌の本メロって話ね(笑)。
でも村田先生が歌ったら余計にわからないけど(笑)。

>後裏のニューステ前の朝日系の月曜のドラマ枠は確かポーラ一社のスポンサーだ覚えている
むしろそちらがスレチやがな(笑)。
2007/03/03(土) 23:00:06 | URL | ごいんきょ
中村晃子さん
いしだあゆみさんと小川知子さんが泣いた回の次の日の朝はその話しでクラス中大変な騒ぎでした。
記事にある、もう一人泣いた歌手は中村晃子さんだと思います。
どんな男性が好きかという前田武彦さんの質問に彼女は「前田さん・・」と答えました。
マエタケさんは「こんなおじさんダメだよ・・」と言いましたが、中村晃子さんは「それでもいいの・・」と言いました。
大人の人が聞けば、冗談の会話だったのかもしれませんが、私には中村晃子さんの切ない思いが感じられました・・。
2007/03/05(月) 08:09:31 | URL | モデラート
いやいや
その回では中村晃子さんも泣いてますね、書き忘れましたが。
この回はビデオも残っているし、前田さんも著述しているので知っています。
ワタクシが見たのはカラーになってからでしょうね。
とにかく、他にも何度も泣きは有ったんです、これ。

ワタクシが見た時は、本当に唐突でした。
ごく普通に歌っていたのに、歌の中程で旧にうずくまっちゃったんですよね。
その前に何が有ったかは覚えてませんが、
親に聞いてもワタクシ同様ちんぷんかんぷんでしたので、
本当に唐突に泣き出したんだと思います。
あれは物凄く不思議な光景で、理由を知りたくて堪らなかったですね(笑)。


ところで、資生堂CMのMIDI作ってみました。
こんな感じでしょうか?
http://blog2.fc2.com/g/goinkyo/file/q.mid
2007/03/05(月) 20:39:23 | URL | ごいんきょ
CM曲
ごいんきょさん、資生堂のCM曲ありがとうございました。
とても嬉しいです。

1小節目のシとドは初めのミより上の音です。
他は完璧(私の記憶と)です。

CMだからまた同じ時間にテレビで流れると思って安心していたら、それ以来流れず、他でも一度も聴かなかったと思うのです。
ご存知の方がいらっしゃったら嬉しいです。
2007/03/05(月) 21:57:09 | URL | モデラート
お尋ね曲
1小節目というか、2小節目もですよね?
じゃないとかなり変な曲になりますが(苦笑)。
そんな感じで作り直しました。
アドレスは同じですのでもう一度聴いてみてください。
音色も指定できますがピアノでいいですか。
テンポはバッチリなんですね?
2007/03/05(月) 22:15:42 | URL | ごいんきょ
CM曲
はい、そうです。
そのとおり。
そう仰っていただくと、色々な音色で試してみたくなりますが(笑)、ピアノのままがいいです。
テンポは四分音符=92が理想です。
いろいろ言ってごめんなさい。
ありがとうございました。

歌っていたのは、熱唱系の男性でした。尾崎紀世彦さんとか上條恒彦さんとか・・そんな感じでした。
2007/03/05(月) 23:51:25 | URL | モデラート
「泣きの夜ヒット」
夜ヒットでは本当にシチュエーションの違いはあるにせよ、いろんな人が「泣き」ましたよね・・・。

芳村真理・三波伸介司会の時代だったかに五木ひろしが二人の恩師の対面に感激し、涙ながらに「浜昼顔」を歌った(74年8月)というシーンもこの時代の映像としては珍しく現存しているらしいです(確か1度だけ総集編で見たことがあるような…)。
ご対面コーナーも「恋人選び」同様に「泣きの夜ヒット」の定番コーナーでしたよね。
自分たちの世代だと、古舘司会時代のときにオメガドライブのカルロス・トシキがブラジルから来日した両親との対面に抱き合いながら涙したシーン(86年8月)とかも印象深いです。
2007/03/06(火) 00:46:39 | URL | (ハンドル未記入)
ご対面
● モデラートさん
♪=のテンポ指定は出来ないので、なかなか加減が難しいですが、
後ほどやってみますので吟味してください。


● 未記入さん
ああそうか。ご対面でも泣きのタネが有ったんですね。
五木さんのシーンは見たかな? ちょっとよく覚えてませんが。
カルロス・トシキさんの頃は見てなかったのですが、なんかいいシーンですね。
2007/03/06(火) 06:51:53 | URL | ごいんきょ
おふくろさんは誰のものか
川内先生が事件について説明されてますね。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_03/g2007030517.html
これを読む限りでは、森さんはかなり先生をコケにされてますね。
おそらく何も問題は生じないとタカを括っていたんでしょうが、
著作権には同一性保持原則が認められているので、
先生が主張すれば絶対に無碍にはできないというのを読み違えていて、
それを知らされたか今になって右往左往しているんでしょうな。
おそらく本気で、「森進一のおふくろさん」と思っていたんでしょうな。
歌も人間も、周りの人々によって育てられるものだという事が解っていない。
先生が、森は歌の心がわかっていないというのは
そんなような事なんでしょう。
非常に良い歌で、森さんの歌唱も確かに良かったので、
事態が悪化するのはとても残念ですね。


● モデラートさん
テンポ替えてみましたがどうでしょうか?
2007/03/07(水) 03:31:36 | URL | ごいんきょ
遠い日のCM曲
テンポまで記憶どおりに変えていただき感激しています。ありがとうございました。
ごいんきょさんの記事、コメント欄のお陰で、歌ばかりでなく、この曲を初めて聴いたときの驚き(少しワケありで)とか、焦り(CMが短いので)とか・・いろいろな感情までもが甦りました。
ありがとうございました。
この曲のことを教えてくださる方がいらっしゃったら嬉しいです。
2007/03/07(水) 07:16:06 | URL | モデラート
一つだけ腑に落ちないこと
ごいんきょさん。森さんがとても楽観的だったということは私も思います。もしかすると、何が問題だったのかすら分かってなかったのでは、とすら思えてきます。
 ただ、あの前座の部分は森さんの意思によって作られたものではないとも聞きますので、それなら作ろうとした人々のことが一切触れられていないことにも疑問を覚えます。
2007/03/07(水) 13:54:04 | URL | かじか
という事で情報募集
資生堂CM曲で使われていたというこの歌の情報がわかる方、
是非コメントをお願い致します。
http://blog2.fc2.com/g/goinkyo/file/q.mid
♪巡り会えた 君に会えた この出会いをどうしよう・・・


● かじかさん
ワタクシの前のコメントでも書いてますけど、
そこは本質ではないんですよ。
森さんは早くその事に気付くべきだったんですが。
自分でその詞・歌の部分を付け足す価値があると判断したのであれば、
誠心誠意をもって説明するべきだったのです。
そのための機会は、先生は何度も与えていたようですよ。
それで説得できないようなら、それは諦めるしかないわけです、法律的にもね。
誰が付け足しかはともかく、やめなさいと言われたらその意志を尊重する。
当たり前の事ではないでしょうか。
2007/03/07(水) 21:07:43 | URL | ごいんきょ
それくらいは疑う
ごいんきょさん。森さんは、新たに付け加える部分が出来たとき、川内さんへの手配などはスタッフがやってくれたものと思っていたといいます。
 もちろんそうにしても、昨年の紅白を見て川内さんから指摘されたときにすぐアクションを起こさなかった点は、ごいんきょさんもおっしゃる通り不備です。前々から指摘されてた以上、それで動いていても遅かったくらいです。
 だけど、あそこまで怒るんなら、森さん以外おとがめナシというのも変に思います。まさか、森さん以外に関わった人々は同業者で大先生だから不問にする、なーんてことじゃないでしょうね? なんたって発案者は森さんじゃないんですから、それぐらいは疑いますよ、私は。
2007/03/07(水) 23:47:51 | URL | かじか
あのですね
川内先生より格上の関係者いませんよ、あの曲に。
それと、誰に対して認めて、
彼に対しては認めないと言うのも、権利者の自由です。
発案者が誰とか、説明すれば良かったんじゃないですか。
それをしないで無視してたから
段々感情的になってきたんでしょう。
森さんが特に格下なのは確かですね。
だからこそ、分を弁えて応対すべきだったのですが。
それをできなかったのですから、こじれても仕方ないでしょう。
2007/03/08(木) 01:12:16 | URL | ごいんきょ
あんまりおふくろさん騒動に口を挟む気分はしないんだけど・・・。
ただ、このままこじれた状態が長続きしてしまうと、森進一さんだけでなく、いわば「喧嘩をふっかけた側」になる川内康範さんにもあまり良い影響は与えないような気がします。

こういった問題は単にこの「おふくろさん」に限らず、他の演歌歌手でも往々にしてあることのような気がします。
五木さんの「夜空」とかもアレンジが原曲とは全く違うような感じで今ではコンサートで歌われているようですが、あれも平尾昌晃さんがアレンジャ-をやった形跡はないんだよなあ・・・。

歌というのは作詞者・作曲者・歌手それぞれの想いがあって一つの作品として完成するものです。森さん、川内さん、猪俣さん、それぞれが「おふくろさん」は自分のものなんだ、と言ったところで、それは何れも分は適っていると思うんですが、だからといって、「自分だけ」の「おふくろさん」と断言してしまうのもやはり「三位一体」になっての「作品」である故にそれは間違ってるような。


2007/03/08(木) 23:58:18 | URL | blue
初期夜ヒットはある意味「意外」の連続。
「おふくろさん」の話はよしにして(夜ヒットの本流の話と離れているんで・・・)、

ブログをやっていて思うのはやはり、初期の夜ヒットの映像資源がきわめて少ない(写真とかは相当数残ってるんだけど)というのが不憫なところであったりします。
特にマエタケさんの時代なんかはその後の夜ヒット以上に「ハプニング性」を売り物にしていた傾向が強いので、「泣きの夜ヒット事件」以外にもかなり多くの印象的な出来事があったと思うんですが、それらが映像がない故に闇に葬り去られてしまっている、という感があります。

ただ、一つだけ出演者履歴が読み取れる初期(1970-1972年頃)の特徴としてはタレント夫婦が特別ゲスト扱いとして出演するケースが多かったということでしょうか。
思い当たる節でも・・・・
・松山英太郎夫妻
・坂本九・柏木由紀子夫妻
・井上順・青木エミ夫妻
・石坂浩二・浅丘ルリ子夫妻
・川口晶・長沢純夫妻
・梓みちよ・和田浩治夫妻
とかが特別ゲスト扱いで出たことがらしいです。この頃、丁度、夜ヒットスタッフが中心になって「ラブラブショー」を立ち上げた時期でもあるので、それとの兼ね合いで、こういった夫婦を特別ゲストとして出演させる試みを行っていたのかもしれませんね。

あと、もう一つ初期の傾向として面白いのは、俳優・お笑いタレントが歌手として出る頻度が相当高かったこと。
俳優では、石原裕次郎、鶴田浩二、勝新太郎、渡哲也、杉良太郎、吉永小百合、加山雄三、酒井和歌子、倍賞千恵子、千葉真一、藤岡琢也、財津一郎、森田健作、松島トモ子、児島美ゆき、団次郎(後に「帰ってきたウルトラマン」の主役を務めた俳優)、桜木健一、などなど。
コメディアン・タレントとなると、コント55号、てんぷくトリオ、東京ぼん太らも出ていますし、司会者として名を馳せた土居まさるさんも2、3回歌手として出演したことがあるそうですし、ゲバゲバでマエタケさんと共演していた巨泉さんもなんと歌手として出演しているのはちょっと驚きました・・・(後の芳村さんの著書の中にも加山さん・マエタケさん・巨泉さんの3ショットでの写真が掲載されています)。
またドリフタ-ズは丁度歌手としての絶頂期に被っているせいか、マエタケ時代には年に1度といわず何回も出演していたようです。ドリフなどはあまり自分の番組以外で歌っている、というイメージがなかったので、それもちょっと意外でした。

また、GS全盛期ではあったものの、「夜10時」=「大人の時間帯」の意識が強かったためか、スタートから1年間はGSの出演者はまったくおらず、逆に、ロス・インディオス、ロス・プリモス、コロラティーノ、マヒナスターッズなどムード歌謡グループが多く出演していた(何しろ初期レギュラーとして東京ロマンチカがいたぐらいですからね…)のもこの時代の意外な特徴の一つですかね・・・。
2007/03/09(金) 00:22:25 | URL | blue
尋ね曲発見
僭越ながら、私のブログに尋ね曲の件を書きましたところ、回答をいただくことができました。

町田義人
◆資生堂 - オーデコロン・MORE(1971・72年) 歌 タイトル「めぐりあい」
 (作詞:小池一子/作曲:葵まさひこ)
 ♪君に会えた 君に会えた この出会いを どうしよう
  めぐり合うと 信じていた ふたつの星のように
  ら・ら・ら・ららら・・・・・・・

町田義人さんといえば、ズーニーヴー「青い珊瑚礁」の方ですね~。
2007/03/09(金) 01:06:41 | URL | ダイアナ・シールズ
間違えた…
↑「白い珊瑚礁」です(汗)
2007/03/09(金) 01:08:20 | URL | ダイアナ・シールズ
判明
● blueさん
おふくろさんもこの番組で当然歌われてましたし、
ここは過去を振り返るだけのブログでもないので、話自体は有りでしょう。
blueさんのお話はごもっともですが、経緯を見守るしか有りません。
タレント夫婦が出ていたというのも、ドリフが出ていたというのも、
よく覚えてないんですよね。かなり意外に感じました。
巨泉さんは例のCMソングを歌ったのかな?
当時は前武さんとの関係も悪くなかったようですからね。
意外な出演者がたしかに多いですね。
発掘作業ご苦労さまです。


● ダイアナさん
あれ。ブログやってたんですか。
内緒にしてるなんて、いけずだなあ(苦笑)。
モデラートさんもお喜びでしょう。
ワタクシからもお礼申し上げます。
2007/03/09(金) 07:42:01 | URL | ごいんきょ
めぐりあえました。
ダイアナさん、ありがとうございます。
調べてくださった方にも本当に感謝です。
勿論ごいんきょさんにも大感謝です。
僅かな記憶はどんどん遠のくばかりだったのに、確実なものが分かって本当に嬉しいです。
それから私の中でもやもやしていた謎も解けました!
本当にありがとうございました。
2007/03/09(金) 07:59:54 | URL | モデラート
すみません(笑)
別に内緒にしていたわけではないですが、以前閉鎖したとお知らせしたブログとちがって、本当に「日記」ブログなのでわざわざリンクはるまでのものでもないと思った次第です…。

私自身はたいしたことないんですが、コメント入れてくださる方の中にはかなり音楽に精通されている方がいらっしゃるので、何か手がかりでも…と思って書いたのですが、アップして数分後には回答が出てしまいました(笑)。

>モデラートさん
残念ながら音源の発売はされていないようなのですが、CMが確定されましたので、もしかしたら資生堂のライブラリーに行けば映像が見られるかもしれませんね。本当によかったです。
2007/03/09(金) 09:03:48 | URL | ダイアナ・シールズ
町田義人さん
ちょっとだけ調べてみたんですが、
タケちゃんマンロボのテーマ歌ってました、そう言えば。
絶叫系という事で(笑)、アニメソングも歌ってますね。

● モデラートさん
些細な事でも人の役立ててこのブログも救われる思いです(笑)。

● ダイアナさん
恒例ですのでリンクページに書きますけど、いいですよね。
その方は検索して解答に辿り着いたようで、
ワタクシなど恥ずかしくなる滅私の方だなと。
なにしろワタクシ、全然検索しませんでした(苦笑)。
2007/03/10(土) 01:02:01 | URL | ごいんきょ
資生堂のCM
ずっと以前に図書館で「資生堂宣伝史」(たぶんこのタイトル)という資料を見たことがあります。
CM映像の入ったビデオが付属資料でついてて、もしかしたらお探しの曲の入った映像もあるかも知れません。
都内の図書館の蔵書検索エンジン↓
http://metro.tokyo.opac.jp/
かけたら、いくつかのところにあるみたいです。
あとは、検索したらこういうところもありました↓
http://www.tansei.net/casestudy/no15/shiseido/shiryo.htm
2007/03/11(日) 10:04:25 | URL | 桃
CM曲
桃さん、情報ありがとうございます。
早速図書館に予約しました。
とても楽しみです。

先日のダイアナさんが下さった情報により、初めの歌詞を間違って覚えていたことも分かったのですが、メロディーも長い間の記憶の反芻で違ってきているかも・・
『資生堂宣伝史TV・CM篇1960-1991』に入っていると嬉しいです。
ありがとうございました♪♪♪
2007/03/11(日) 18:30:58 | URL | モデラート
資生堂宣伝史
そんな本が有ったなんて寡聞にして知りませんでした。
早速入手しようと思ったのですが、二万円前後しますね(苦笑)。
入手自体は容易なのですが、お金の工面が容易ではないので(笑)、
取り敢えずはパスですね。
図書館で取り寄せてみようかな。
資生堂は昔から広告に力を入れているだけあって、
広告も文化として取り組んできているんですね。
2007/03/11(日) 20:08:05 | URL | ごいんきょ
資生堂の商標といえばなんといっても「花椿」。
資生堂創業当時、女性用整髪料の主流の原料として使われていた椿を商標として採用したものであるわけですが、このマークも時代と共に微妙な?マイナーチェンジを図りつつ、100年以上にわたり資生堂の顔として親しまれていますよね。
最近の「TSUBAKI」なんて「花椿」の資生堂だからこそのブランド力・信用度によってCM戦略も説得力を持ったものになっているような。なんつっても商品名がまんま「TSUBAKI=ツバキ」なわけで(汗)。我々の会社でしか絶対に商品として成立するわけがないという「自信」がみなぎっているような感じすらあります。

「伝統・歴史」という要素を巧みに新製品の宣伝・製品開発にもどんどん導入していきながら、あえて「古さ」っではなく「斬新さ」を前面に出して勝負をする、このあたりがかつて化粧品業界の両雄として君臨していた鐘紡との決定的な差ではないのかな・・・?という感じがします。


2007/03/12(月) 10:35:53 | URL | (ハンドル未記入)
花椿と桃屋と日本人
テレビ黎明期、資生堂提供の番組には
『花椿ショウ』の頭が冠せられていました。
かの光子の窓もそうですね。

子供の頃、ツバキ油って本当に手にツバして
髪を整える事かと思ってましたが(苦笑)。
カネボウって古さをウリにしてますっけ?
ワタクシには資生堂との姿勢の差はよくわかりません。
資生堂の姿勢。
ファッションとか化粧品など装飾関係は、
伝統と革新のバランスが難しそうですね。
ただ、伝統が有る方がブランドイメージは強固になるでしょう。
その辺、きちんと資料館を造っているあたりは上手いなあと思います。


ところでスポンサーのもう一つ、
桃屋のCMはどれもよく覚えているんですけど、
いかの塩辛のCMだったかな?
お茶漬けを作ってサラサラ食べるCMで、
「ニッポン人に生まれて良かった」と締めるCMが有りまして、
子供ながらも深く噛みしめて聞いていた、特に印象強いCMとなっています。
今では絶対に生まれないセリフでしょうね。
2007/03/12(月) 23:18:53 | URL | ごいんきょ
椅子はホウトク、ホウトク
なぜかこのフレーズが気になり(というか子供の頃の記憶を思い出してしまった)GOOGLEで”ホートク金属”を検索してみました。
ところが最初に出てきたのはこのブログ!!

そこで、”ホウトク金属”で検索したところ……

見事にHPもwikiもありました。

(株)ホウトク(現在の社名)は愛知県の会社だったんですね。隣県(静岡)の者でありながらこれは初耳でした。

”ホウトク”はやはり二宮尊徳の”報徳”からきているようです。
幼い頃兵庫の”報徳学園”を椅子を作るための学校だと思ったことがありましたが、今考えると、椅子を作る学校というのはうそばっかりとはいえ、ホウトクと報徳学園の間には0.00……1%位は関係は……あるのかな?

HP内に過去のCM映像がありました。夜ヒット放映当時はこんな感じのCMだったのでしょうか?
http//www.houtoku.jp./corporate/cm
2007/03/13(火) 22:40:04 | URL | yig
ジョセフィーヌ、椅子をもて
本文のちゃんとホウトク金属と既述してるんですが、
だだ長いんで探すの面倒ですよね(笑)。
いやあ、しかし、ホートクのCMを再見できるとはなあ。いい時代だ(笑)。

左のナポレオン編は、夜ヒット当時に流れていました。
セリフもみんな覚えてます。
ただ、このナポレオン編の前に、歌が長いバージョンが有ったんですよ。
♪ ホートク ホートク 椅子はホートクホートク
  ホートク ホートク 椅子はホートクホートク
  椅子はホートクホートク
ってやつでした。一行目後段は、微妙にメロディーが違います。
絵面はよく覚えてないんですけど、実写だった気がします。
2007/03/13(火) 23:40:37 | URL | ごいんきょ
夜ヒットは「期待されざる番組
自分も愛知在住ですが、ホウトクが自分が住む県の企業だったというのは全く知りませんでした・・・。

やはり、初期の頃の夜ヒットは平日の夜22時という時間帯がネックだったのか、或いはスタート当初は局もまさかフジテレビを代表する大番組になるとは思っていなかったこともあってか、大手スポンサーが付きにくかったみたいですね。そういった意味では「桃屋」「資生堂」は先見の銘があったのかもしれません(笑)。

ほんとに最初はこの番組、局も「つなぎ」という前提でスタートさせたこともあって、全然期待されていなかったんですよね・・・。「歌番組はカラー放送で」というのが常識化していたこの時代にあって「モノクロ」放送でのスタートだったこと。そしてもう一つがスポンサーが付きにくかったということ。この2点がいかに期待薄の中での船出だったかを物語ってるように思います。
2007/03/14(水) 17:51:18 | URL | (ハンドル未記入)
訂正

上記のタイトル、「夜ヒットは「期待されざる番組」だった?」と書きたかったのですが、ちょっと不手際で途中がけで送信してしまいました・・・(汗)。
2007/03/14(水) 17:52:39 | URL | (ハンドル未記入)
しかし、あの椅子を使う人って……
そういえば、あのCMの椅子、どんな方々が使っていたのでしょうか?リビングには大きすぎそうだし、オフィスには派手すぎるし……
もしかしたら、こんな椅子もできますよというPR用なのかな?
ホウトク製のパイプ椅子や、会議用の折りたたみ机は今でもよくみかけますので……

ごいんきょさんへ
ロングバージョンの歌、どこかで残っているといいですね。私も一度拝聴したいものです。

2007/03/14(水) 22:53:05 | URL | yig
よみがえったホウトク
そういえばホウトクってこないだ火事になったところですよね。新学期で痛いところだったはずですが、見事に立ち直っております。
2007/03/14(水) 23:51:38 | URL | かじか
ホウトク
スポンサーが付きにくかったかどうかは何とも言えませんが、
ホウトクがやっていた頃はもう、人気絶頂でしたよ。
ちなみにホウトクは、少し前にNETのゴールデンタイムも提供してます。
当時はまだ、後発のフジやNETのスポンサー料は今ほどべらぼうじゃなかったんじゃないでしょうか。
結構アレ?と思うようなマイナー企業名が提供で出てきます。


● yigさん
あの椅子はいわゆる重役椅子じゃないですか?
ナポレオン編でかかってる歌は、上に書いたロングバージョンの二行目だけですね。
よく聞くとプッツリ切られているのが確認できると思います。
それと書き忘れてましたが、URLの .jp は .co.jp の誤りですよね。
コピペでなく、ワザワザ打ち込まれたんでしょうか?(笑)


● かじかさん
こないだですか。それは大変でした。
2007/03/15(木) 06:50:07 | URL | ごいんきょ
記憶にあること。
『夜のヒットスタジオ』が始まって、暫くしてフジテレビ初の深夜放送(オールナイトフジ?)が始まり、その第1回のとき、『夜ヒット』の出演者がそのままスタジオに残り番組の頭に出ていました。
『夜ヒット』の流れの番組だと思い、家族が寝静まった中必死に起きて観ようとしました(笑)。
ボードに英語が書いてあり、誰か訳してくださいというのですが、誰も分からず、どなたかが「小百合さんなら分かるでしょう?」と振ると、その日『夜ヒット』に出演されていた吉永小百合さんがボードの陰に隠れるように逃げていました。
それを観て、小百合さんでも訳せないのかなと思ったのですが、答えを聞いて訳したくなかったのだと分かりました。
と同時に、これは子供の観る番組ではない!と気づき、慌ててテレビを消しました(笑)。
2007/03/15(木) 08:23:55 | URL | モデラート
はい、手打ちです
そういえば、"co."を打ち忘れていました。ご指摘ありがとうございます。

あの椅子、実はオランダ製のようでして、ホウトクがそれを輸入販売しているようです。(これもHP上で確認しました。)

歌のプッツリ切れた部分は見事に確認できました。
それにしても、このナポレオンの声、”奥様は魔女”のオープニングナレ-ションの声に似ていますg
2007/03/15(木) 22:25:10 | URL | yig
ナポレオンの声
途中で切れてすみません。
ナポレオンの声、"奥様は魔女”のオープニングナレーションの声に似ていますが、同一人物なのでしょうか?
ついでに、その作風も”ブラック魔王”などを思い出しそうな雰囲気ですけど、ハンナバーバラは絡んでいるのでしょうか?

●かじかさんへ
HPにもその経緯が載っていましたね。でも無事に操業再開できてよかったと思います。
2007/03/15(木) 22:33:21 | URL | yig
詳しく…
● モデラートさんさん
あや、また貴重なお話を。
オールナイトフジには第一期が有るんですよね。
その話はあまり出てこないですが、第二期ほど見た人がいないんでしょうか。
小百合さんが出たという事でご覧になったのですか。
その頃までは吉永さんも普通に歌番組で歌ってたんですね。
しかし、なんか喉に小骨が引っかかったような文章です(苦笑)、
結局、どんな内容だったんでしょう?
いや、わかります、わかります。
モデラートさんも女性という事で、言いづらい事はあるでしょう。
しかしここは、テレビの記憶を伝えるブログ。
ワタクシも過去、嫌で嫌で堪らないのに書いた内容、言葉、数多いです。
それもこれも、文化の伝導という事を考えればこそ。
モデラートさんにも、是非、そのままの言葉を書いて戴きたい。
例えば4文字言葉のようなものでも、そのまま書いて戴きたい。
これは趣味で言っているわけではなく、文化的な呼びかけなのです。
女性に卑猥な言葉を言わせてニヤニヤするなんてエロ親父趣味では、決してありません。


● yigさん
ほほお。オランダ製とな。それでナポレオンなんですね。違うか。
あ、あの声どこかで聞いたと思ったら、そうですね。
正に奥さまは魔女のナレーション。
アニメは国産でしょう、いくらなんでも(笑)。
2007/03/16(金) 02:36:18 | URL | ごいんきょ
多分「テレビナイトショー」では・・・?
モデラートさんが仰っている番組は恐らく「テレビナイトショー」じゃないかと思います。
日本テレビの「11PM」に真っ向対抗する番組として製作された深夜番組で、巨泉さんが司会を担当していた月・金、及び三木鮎郎さんが司会を担当していた水曜は、マエタケさんがこの「ナイトショー」の司会を担当していました。
他の司会は、フジテレビ側の資料によれば、木は加藤芳郎さん、火ははかま満緒さんだったらしいです。

上記の話題に挙った回の放送日は多分、1969年3月31日ではないか?と思います。調べてみると、吉永さんが夜ヒットに初登場したのはこの回で、ナイトショーもどうもこの日に放送を開始したらしいので、多分この日で間違いないでしょう。

でも、冷静に考えてみると、マエタケさんはこの時、月曜だけに限っても、「お昼のゴールデンショー」、そして「夜のヒットスタジオ」、引き続いての「ナイトショー」と3本の生番組の司会をこなすという過酷スケジュールだったわけですよね・・・。みのもんたが朝・昼帯制覇をいまは成し遂げてますけど、この当時のマエタケさんもいかに「人気ナンバーワンの司会者」だったかが、この過酷なスケジュールをみても一目瞭然ですよね・・・。
2007/03/16(金) 22:03:37 | URL | blue
ナイトショー
blueさんのコメントを読んで、?だったことがスッキリしました。
記憶では『夜ヒット』が終わってニュースか天気予報があり(その時がすごく眠かった)その後すぐの番組でした。(オールナイトフジを検索してみるともっと遅い時刻だったのですね。)
前武さんが司会だったから、『夜ヒット』と同じような番組だと思ったのですね。
「11PM」に対抗するっていうのを何となく聞いたことがあるような・・
それから最大の疑問、何故こんなに遅くまで起きていられたか?
春休み中だったのですね。
個人的な疑問ばかりですが、スッキリと私の中では解決しました。
ありがとうございました。

それからパネルにあった英語は文章でしたが、ごいんきょさんが期待されている(あ、失礼しました。)ような言葉ではないのですが、大きな声で言うような言葉ではなく、それで小百合さんも嫌だったのでしょう。
益々中途半端になってしまいました(笑)。
2007/03/16(金) 23:09:13 | URL | モデラート
こちらはスッキリしないですが(笑)
● blueさん
ああそうですね。
オールナイトフジはたしか土曜深夜だったので、
夜ヒットに続けての放送は考えられないです。
しかし初代オールナイトフジの見聞談が無いのは事実。
記憶が有る方には、是非オールナイトフジスレで語って戴きたいものです。

たしかにナイトショー、前武さんやってました。
なるほどねえ。夜ヒットと連動性持たせたりしてたんだ。
いいともからいただきますの流れもそんな感じでしたっけ。
昼、夜、深夜と制した、前武絶頂期ですね。
吉村さんとともに元祖フジッ子だったのに、まさかあそこまで足下すくわれるとは(苦笑)。


● モデラートさん
いやいや。例えば4文字言葉だとしても、そのまま書いて下さって大丈夫という事です。
まさかテレビのフリップで4文字言葉はやらんでしょう(苦笑)。
大きな声で言えないのはわかりますが、
どういう内容を書いていたかというのがとても気になります。
おそらく日本中で覚えているのはモデラートさんくらいでしょう。
あなたが語らなければ、その番組の内容は永遠に封印されてしまうのです。
勿体ないじゃないですか。さあ、書いてみて下さい!
ワタクシは小百合さんにそれを言わせようとしたエロ親父とは違います。
純粋に文化的希求ですよ。ええ。
セクハラで訴えないでね(笑)。
2007/03/17(土) 06:15:16 | URL | ごいんきょ
ボードの言葉
もう少し引っ張ろうかと思ったのですが(笑)・・
ボードの言葉は『私は今生理中です』のようなものでした。(覚えている方、違っていたら直してください(笑))。
そういえば、この頃は生理用品のCMも殆ど無い時代でした。

あれ?この言葉って他に何か大人しか分からない意味があるのですか?
子供だったから深夜一人だったこともあり、慌ててテレビを消したけれど、先も見ておけばよかった(笑)・・

2007/03/17(土) 08:08:52 | URL | モデラート
おそらく
英文の方は「私はいま整理中です」という文章で、
それを小百合さんが声に出して言ったら、
別の意味でツッコむという演出だったのではないですか?
モデラートさんはまんまと引っかかったのでは?(笑)
でも、もっと見ていてくれればもっとナイトショーの証言を得られたのに、残念です。
もっとエロイ意味を期待していたのも残念です。
いや、文化的に(笑)。


>あれ?この言葉って他に何か大人しか分からない意味があるのですか?
そんなこと年上の方に言われても(笑)。
2007/03/17(土) 22:28:23 | URL | ごいんきょ
(泣)
意を決して書いたのに・・・(笑)
2007/03/17(土) 22:45:41 | URL | モデラート
いや
すみません。
勝手に頭の中でいろいろ妄想していたもので(笑)。
しかし、そのくらいの言葉に恥じらいを見せるとは、
やはりお嬢様だったのだとなあと、萌えますね(笑)。
2007/03/17(土) 23:06:09 | URL | ごいんきょ
資生堂のCM曲
以前、
桃さんに教えていただいた『資生堂宣伝史』を漸く図書館で借りることができました。
凄い資料ですね。1960年からのCMが361本も入っていました。
それで、
ダイアナさんに探していただいた、「めぐりあい」のCMをとうとう観ることが出来ました。
ごいんきょさんのブログに巡り会えて本当に良かったです。
皆さん、ありがとうございました。

本当に感動してます。
他にも♪あったるかーしら
で当たったトラベルセットも映像で観ることが出来、すごーく懐かしかったです。
資生堂ってすごい会社ですね。

「めぐりあい」の曲は記憶違いのところと、後半も分かったので、採譜してみました。
こういう曲を採譜してはいけなかったら、削除してください。

・ミド.シ│シ.ララーー│・ミラ.ソ│ソ.ファファーー│
・ファソラ│ソ.レレーー│・レソファ│ファーミー│
・ミド.シ│シ.ララーー│・ラシド│ミ.レレーー│
・レドシ│ドーーーシラ│シーーードシ│ラーーーー│
・ミファミ│ミ.レレーー│・レミレ│レ.ドドーー│
・ドミレ│ド.シシーー│F.O

いい曲ですね。
ららら・・の歌詞のところは胸がキュンとします。

今日はちょっと眠れそうにありません(笑)。
2007/04/17(火) 18:36:39 | URL | モデラート
361本!?
そんなにCMを見られるんですか?
すると2万円もまんざら高過ぎではないですね。うーむ…

これはこれは、また採譜してくださったんですか。
そうですね、良いかとか悪いかとか聞かないで下さい(笑)。
いくらなんでもこれは…と思ったらそれなりの処置はします。
そうでない限りは、まあ、上手くかわしていきましょう(笑)。
時間が取れたらMIDIに挑戦してみます。
そうとうお気に入りのCMだったようで、見つかって何よりです。
ワタクシからも桃さんにお礼を申し上げます。
2007/04/17(火) 23:20:29 | URL | ごいんきょ
CM三昧
60秒のCMが多いので、1時間観て62,3本、こんなにCMを続けて観たのは生まれて初めてです(笑)。
でも懐かしくて、美しくて、とっても楽しいです。
10代の吉永小百合さんも観ることができ、びっくりしました。
3週間楽しみます(笑)。
2007/04/17(火) 23:45:34 | URL | モデラート
CM集
実はワタクシもつい最近、リカちゃんCM30年史を入手したんですが、
40分ほどのビデオなのに、一気に見ちゃいますね(笑)。
ただ、細かい転換が続くので、たしかに飽きるというのと違いますが、
些か疲れます(苦笑)。
2007/04/18(水) 21:42:52 | URL | ごいんきょ
ダン池田、死す
夜ヒットの指揮者であったダン池田さんが亡くなられましたね・・・。

彼の指揮スタイルは独特でしたね。
なんというか「アクションの決めポーズ」に近いようなリズミカルな指揮。

彼はもともラテンのバンドの出であったことがこのようなリズミカルな指揮スタイルにつながったらしいです。そういやー、時折、ラテン音楽でよく使われるコンガを指揮そっちのけで叩いているシーンもよく見たような・・・。

あとは彼には他のバンマスにはない明るさがあり、それがタレントとしての活動がある程度巧くいった要素となっていたように思います。

他のバンマスさんは(こんなことをいうと失礼だが)ちょっと気難しいという雰囲気があったりしましたが、彼は何となく親しみやすさ、とっつきやすさがありましたね。「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員、「スターどっきり」のレポーター、初期ヒットスタジオのコメディ要員・・・まさに「バンマス」という仕事の概念を大きく覆したといえるでしょう。
こういう方だからこそ「それまでの歌番組のイメージを覆した」ヒットスタジオの指揮者という職責もピッタリ来たんだろうなあ・・・。

しかしながらあの暴露本出版は一体なんだったのか・・・。

昭和60年3月に時間枠拡大・放送曜日移動となると同時にダンさんはヒットスタジオの指揮を降りたのですが、他の番組では普通にまだ「ニューブリードの指揮者」として活動をされていたんですよね、確か。

その点からもよほどヒットスタジオの製作者との間には想像を絶するような確執があったのは一目瞭然でしょうな・・・。ヒットスタジオに「だけ」出ないんですから(汗)。

恐らく、マエタケさんの降板劇以降、彼の中には番組に対する憮然たる思いがきっとあったんでしょう。上記の記事の中にも触れられていますが、マエタケさんの送別パーティーで唯一心から降板を惜しむ挨拶をし涙したというのがダンさんだったとか・・・。マエタケさんとの絆は思っていた以上に深かったのかもしれないです。

ダンさんの死をマエタケさんや芳村さんは今頃どのように感じておられるのかな・・・。かなり淋しく思っているでしょうね。

2008/02/23(土) 00:12:54 | URL | K&Y
テレビでは裏方とも言えるバンマスで、およそこの人ほど認知度の高かった人も、そうはいないでしょうね。
おっしゃるように、独特の大げさな指揮と、その風貌とが相まってのものでしょう。
ラテン系と言われれば納得の風貌でした。

ドッキリのレポーターなんてやってたんですか。
オールスターでの彼も印象深いですね。

たしか暴露本を書いて業界を敵に回したように思いますが、
純粋な部分を多く持っていた方なんでしょうね。
2008/02/23(土) 04:48:56 | URL | ごいんきょ
資生堂じゃないよ
遅レスですが、「ギンザレッド・ウィウィ」は「カネボウ化粧品・'76春のキャンペーン・テーマ曲」です。
2008/02/24(日) 16:48:27 | URL | 石毛零号
あ。カネボウか(笑)。
関係者が見たら噴飯モノですな(笑)。
2008/02/25(月) 00:31:23 | URL | ごいんきょ
私は前武時代の夜ヒットはあまり覚えていないんですが、井上順二の頃も時々泣いてる出演者がいましたね。石原裕次郎が顔を見せた途端に岩崎宏美が泣いたんですが、あれは何故だったのかいまだに謎です。
ホウトクのCMで「シーザーの椅子を狙うのは誰か」ってのもありませんでしたっけ。ただの事務用の椅子のTVCMがあるなんて、いいですよね。

資生堂の「君に会えた」はごいんきょさんのMIDIを聞いてメロディーが蘇る実に心地よい体験をさせていただきました。資生堂CMオンリーのスレ、あるといいですが。
「ひんーやーりとー風が笑うー」とか「あーかいー花がゆーれてーいまーすー」とか、いい曲がいっぱいありました。
2008/02/25(月) 19:21:57 | URL | あぶもんもん
井上順さん、当時井上順之名義じゃなかったでしたっけ?
ありがとうか何かで、名前がそうなってたような。
岩崎さんのは覚えてないですね。
ホートクのシーザー版も今のとこ思い出せないですね。
見れば思い出すかもしれませんが。

資生堂スレですか。
いつかはやるでしょうけどね。
個人的には、タイアップCMってあまり好きじゃないんで(笑)。
2008/02/26(火) 06:49:06 | URL | ごいんきょ
ダン池田さん
確か、西城秀樹さんがご出演のときに、傷だらけのローラだと思いましたが、ひとフレーズずつ過去に出演したフィルムを繋ぎ合わせて流れたことがありました。
何回も出演して歌ったのだなぁとか衣装がいろいろで楽しいなぁとか思って観ていましたが、
芳村真理さんが繋ぎ合わせた映像なのにこんなに綺麗に音楽が流れて、ダン池田さんが生演奏でいかに正確なテンポで毎回演奏されているかがわかりますねって仰いました。
その言葉にもダンさんの演奏にもちょっと感動しました。
2008/03/03(月) 13:40:48 | URL | モデラート
ダンさん,惜しい人を・・・
この人とチャーリー石黒さんでしょうか,私にとって,昭和40年代の印象に残る演奏家は。
何か暴露的な発言をして,演奏家を辞めてしまったのがショッキングでしたが,全く辞めてしまったんでしょうかねぇ。風貌からいって40年代の代表と思えるのですが。とにかく惜しい・・・。
2008/03/03(月) 23:07:49 | URL | いくちゃん
● モデラートさん
ワタクシは、そんなコメントができるあなたにもちょっと感動しました(笑)。

● いくちゃんちゃん
昔はバンマスの名前ってけっこう前面に出ていたので、
他にも何人か言われれば思い出す人いると思うんですけどね。
ハーフっぽい名前にしてるが多かったですかね。
暴露話も、正義感が強い性向が出てしまったんでしょう。
2008/03/04(火) 07:29:59 | URL | ごいんきょ
傷だらけのローラとはまた...
モデラートさん<

繋ぎ合わせた映像なのにこんなに綺麗に音楽が流れて...ということは、ダン池田さんの指揮ももちろん正確だったのでしょうけれど、西城秀樹さんの熱唱も毎回正確に同じだったのでしょうね(笑)。

あの歌はけっこうなエネルギーを消費しそうな感じですし...そう思うとなおさらすごいです。

そうやってコラージュされた音と映像、残ってたらそれはそれでお宝でしょうね。ごいんきょさんの本文の内容と照合すると、前武さんはいない時代かな...。
2008/03/04(火) 22:56:10 | URL | nardo
当時のヒデキさんの歌は、カロリー消費量甚大って感じのばっかですよね(笑)。
薔薇の鎖のマイクアクションには度肝抜かれましたし。
2008/03/05(水) 06:04:06 | URL | ごいんきょ
うちの親父はね
人気がなくなると,歌手はそういうことするんだ,って言っていましたね。
何がって?秀樹がマイクをひっくり返して歌うシーンを見て,かつてのミッキー某氏や山下某氏たちのロカビリーのことを皮肉ってたんですよ。ちなみに親父は三橋美智也のゆうやけとんびが好きでした。
2008/03/05(水) 20:24:26 | URL | いくちゃん
うーん、ロカビリー歌手の人もヒデキも、人気絶頂の中でやっていたと思うんですが(笑)、
気に食わない存在への偏見みたいなもんでしょうねえ。
2008/03/06(木) 07:32:22 | URL | ごいんきょ
歌唱
nardoさん
芳村真理さんの隣には井上順さんがいたと思います。
仰るように、西城秀樹さんの歌唱も勿論凄いということですね(笑)。

ずっっと以前、テレビ局を見学したときに、丁度歌番組のリハーサルをやっていました。
ベテランの歌手の方が後ろのビッグバンドの個々の楽器に音楽的な注文をされて入念にチェックするのを見て、緊張感がこちらにも伝わってきました。
テレビではヒット曲をさらりと歌っているように見えていたのですが。
2008/03/06(木) 16:51:23 | URL | モデラート
なるほどねえ。
今もそこまでやってる歌番組あるのかな。
2008/03/06(木) 18:28:25 | URL | ごいんきょ
今の音楽番組は基本的に「口パク・カラオケ音声」が基本なんで、ここまで入念に音合わせやリハーサルをやってる番組はほとんどないはずだと思います。
Mステでも、ギターを演奏している人を見ていると音楽と手振りが全然あってない(笑)。ジャニーズ事務所のタレントなんて、とりわけ口パクが酷くて、どの番組でも同じ歌声ですもん(歌手が本職なのに、唄をなめているとはどういうことなんだ?汗)。

ヒットスタジオのリハーサルは他の音楽番組以上に時間をかけていたことで有名でしたね。バンドマンの人らは朝9~10時に局入りして、それから当日出演予定者の曲の音譜を貰い演奏の調整を行い、それから司会者・歌手が昼ごろに入って、台本読み合わせ、通しリハーサル、個別音あわせ、衣装合わせ、カメラ割りの調整など等、こまごまとしたことをやって、ギリギリでさあ本番、という感じだったらしいです。

このリハの中でのエピソードで有名なのが、1983年に来日出演したU2の話。彼らがリハ中、ダラダラと音あわせをやっているのをプロデューサーが見て「ダラダラやるぐらいなら出るんじゃねー!」と一喝してしまい、一食触発になったらしい。このエピソードがあったためにU2は長らく「日本嫌い」となった、という話で、U2のファンからは未だにヒットスタジオは目の仇にされているという状態らしいです。
しかしながら、ここまで既に一線級の海外スターだった彼らに真正面から意見を言ったヒットスタジオのスタッフの行動に私は拍手を送りたいと思うと共にテレビマンとしての「プロ根性」を垣間見ることができるようにも思います。

今のTVプロデューサーでここまで出来る人がはたしているんでしょうかね・・・?今のナアナアな番組ばかりのテレビの惨状を見る限りではまずいないとは思いますけど。
2008/03/13(木) 05:23:09 | URL | Blue
U2の話は初めて聞きました。
プロ根性とも言えますが、わざわざ海を渡ってきた異文化の人への接し方としては、
もう少しやりようがあったんじゃないでしょうか(笑)。
Mステでのタトゥーみたいのは論外ですけどね。
2008/03/13(木) 07:32:09 | URL | ごいんきょ
どんどんクジラもついに鬼籍に・・・。
塚田茂さんがお亡くなりになりましたね・・・。

年齢からすればもう鬼籍に入っても仕方はない年代にはなっているのは確かですが、やはり司会者の芳村真理がいわば「表の看板」とすれば、塚田さんは「裏の看板」として番組晩期まで番組のトップに立っておられたという方だけに、大変淋しいものがあります。

塚田さんはこの番組について「自分が担当してきた番組の中で代表作といえば、この番組以外はない」とそう生前自負されていたんだそうです。

その後、彼は「ベストテン」の立ち上げなどにも参加しているわけですが、その素地というのはまさしく「歌謡番組の体裁を180度変えた」この番組を立ち上げ、成功を収めたからにほかならないわけで、そういった点から「最大の代表作」という自負があったんだろうと思います。

今のテレビ音楽番組で作家陣たちが「これがおれの代表作」だと胸張って後年も言えるような番組があるんだろうか・・・。何となくそんなことが頭を過って来ますねぇ。

塚田さんの著書の中でもこの番組の記述はかなりの比重が置かれていて、番組立ち上げのときのエピソードもかなり多く触れられています。
司会者の2人がどうやって決まったのかというのも書いてありましたし、ある程度の企画のコンセプトが出来上がるまで相当の難産だったという話も出ていた記憶があります。

この番組の始まる前のフジの月曜10時はドラマ枠(この番組の前番組はたしか外国産ドラマを輸入して放映していたようですが)して利用されていたものの、視聴率は不振をきわめ、一旦ドラマの放映を休止し、次の確実に数字が取れる企画が決定するまでの間の繋ぎを用意する必要が生じ、小川ショーの伊藤昭氏と塚田さんにその繋ぎ番組の企画を出すようにフジテレビの編成が要求してきました。

しかしながら繋ぎ番組であるゆえに、企画を何ヶ月も掛けて丹念に練り上げるということは出来ず、ほぼ突貫工事、見切り発車のような感じであったようです。

番組の企画案が一応出来上がるまでの約1週間、塚田さん、伊藤さんら番組初期を支えることとなる製作首脳陣3,4名は家にも帰ることもできず、フジテレビの会議室に缶詰になって色んな企画を出しては流れ、出しては流れ、を繰り返していくうちにこの番組の構成の骨格が徐々に出来上がっていたそうです。
この辺の悪戦苦闘ぶりも塚田さんの著書には詳細に記述されていた記憶があります。
「あまりの疲労のために食事が喉を通らず、カレーライスを水で流し込みながら、話し合いを続けた」とかそういった記述があったのは覚えがあるんですよね・・・。かなりの難産だったのはこの編からも想像に難くないでしょう。

やはり「夜10時」しかも、一般の官公庁や企業の多くにとっては「仕事初め」の曜日である月曜日、ということになると、既にこの時間には疲れて就寝してしまっているという家庭も当時は多く、どうすれば一人でも多くの人々に注目を集められる番組が出来るのか、この辺が相当企画を作り上げるに当たってネックになったようです。

しかし、当時の製作陣たちはこの「時間帯」にあえて、挑戦的な番組を作ることを決断し、「生放送の歌番組」、しかも「歌手の素顔を引き出す」コーナーを数多く用意するというコンセプトで企画案を作成し、これお元にしたパイロット版の評判もよかったことから、この「夜のヒットスタジオ」の本放送が始まった、というわけですね・・・。

しかし、その「急場しのぎ」のつもりだったこの番組がここまでの長寿番組、テレビ史上に残る名音楽番組として今でも語り草となるような番組になるなんて、塚田さんも企画を出した当初は全く想像もしていなかったんじゃないでしょうかね・・。
本当に人生は何か起るかわかりません(汗)。

もう上記の著書も10数年前に1度読んだきりで、それから呼んでいないので、ところところ記憶ちがいがあるかもしれません。また近くの図書館にも蔵書検索するとあったはずなので、時間があるときに借りて読んでみたいと思います。

テレビ史に燦然と輝く塚田さんの構成手法はこれからも高田文夫ら彼が育てた構成作家達に脈々と受け継がれていくであろうと、残された多くの弟子筋の作家達の今後の活躍を期待したいと思います。
2008/05/16(金) 18:26:13 | URL | (ハンドル未記入)
どんどこ鯨の子沢山~♪ っていう歌詞が海のトリトンにありますが、
ドンドンくじらから取ったんだろうか。
なんてくだらないマクラはどうでもいいんですが、放送作家の巨星堕つって感じですね。
月曜のビバリー昼ズ聞きたいけどなあ。

塚田さんの著書、いま注文しました(笑)。
それなども読んでから、塚田さんの追悼スレも作ろうかと思います。
ところで、例によってBlueさんですよね?
なんでここんとこ無名書き込みなんだろう(笑)。
2008/05/18(日) 09:07:36 | URL | ごいんきょ
特に意味はありません(笑)
ただ単にネーム欄にハンドルを記入するのを忘れているだけです。

塚田さんの著書は、自分がぶち当たってきたテレビ史関連書籍の中でもとりわけ内容密度が濃い本だったと思います。
恐らくブログ管理・運営でもかなり有益な資料となるのは間違いないはずです。

上記の芳村真理の「動く絵じゃないとこの番組は面白くない」という発言もこの本の中での塚田さんとの談話の中で出てきた発言です。どうぞ手元に入ったら、探してみてください(汗)。

どうも金曜の昼の「ビバリー昼ズ」で高田先生はかなりの時間を割いて、恩師への感謝と、その人となりを、色々とあの独特の江戸弁口調で(笑)仰っておられたようですよ。

人伝にこの時の放送内容を聞いた人の話ですが、こんなエピソードを披露されておられたようです。
「毎日広告代理店や放送局での企画会議が10ぐらい入っていて、そこにいつもかばん持ちとして付いて来るように言われた。その会議で塚田先生は、だーっと矢継ぎ早に話しをしていって、それを一本の番組にしてしまう。それでオレに、その話を元に「朝までに台本に仕上げて来い」と言われた。だからその話しを聞き逃さないように毎回必死にメモを取って、夜遅くまでそれを下敷きに台本の組立をやる作業を何年間も毎日やっていた」とか、
「それで当時は手書きで台本書いていたから、一字一句、塚田先生の字のクセを真似て書くようにしていた。」とか・・・・
かなり内容の深いエピソードですねえ。

これは本当に師弟という関係でなければ話すことができないエピソードだなあ・・・という感じがします。こういう作業を通じて出来上がった台本を通して、一時の夜ヒットや家族対抗歌合戦なんかも放映されていたのかー、と感慨深いものがあったと同時に、テレビ現場がいかに当時はみな必死に物作りに励んでいたのか、というのを感じさせるとてもいいエピソードだったと思います。

こういった厳しい鍛錬の時を早い時期から経たことによって高田先生や、玉井貴代志さんといった方々は30代には入るかは入らないかの頃には、塚田先生から、ヒットスタジオなどの主要担当番組での現場指揮を任され、そして一人の放送作家として、「なるほどザ・ワールド」「ひょうきん族」の主要ブレーンとしてしっかり個人名が登場するようになるなど、どんどん頭角を現すようになったわけですよねえ・・・。
作家を育てる才能も本当に一流な人でしたね、塚田先生は。

それで上記の放送で締めの言葉で、そのときに今のテレビは空前の教養・クイズブームだと言う話しが出たときに、高田先生は、
「塚田先生がいたら、今の若い奴はなにやってるんだ!ちゃんと作れ!って入ってると思うよ。きっと」
と仰っておられたらしいです。

塚田さんの心情を汲みしたものではありますが、これが高田さんの今のテレビ界に対する評価でもあるんでしょう。

そうだよな・・・、今考えてみれば高田先生が担当していた「ひょうきん族」とかでもお茶を濁すわけではなく、時間を掛けて収録なりコント台本なりを作っていたもんなあ・・・。
それが高田さん世代の作家までは「当然なこと」「当たり前に誰でも普通にやること」なんだろうなあ。。。
今の作家はほとんどいてもいなくてもどうでも存在になっちゃってますね、そうやって考えると。
アイディア欠乏はほんと作家としては死活問題ですよねえ。。。もうちょいいい機会だからこれを機に若い作家達は自分達のみの振り方考えるべきではないでしょうかねえ、と思いますが。
2008/05/18(日) 11:07:31 | URL | Blue
そうか。金曜で触れることができたんですね。
非常に聞きたかったです。
ですが、さわりだけでも教えてもらえて良かったです。
作家、特に放送作家というものは常に新しいものを生み出し続ける過酷な商売で、
塚田さんが、鵜匠のような地位を考案したのは、
徒弟制度の取り入れと同時に、そうした消耗回避の方策の考案でもあったんでしょう。

高田文夫さんの言葉も印象的ですね。
実際、今のテレビ番組は作家の比重が往年に比べてかなり軽い存在になっています。
番組形態だけ整えておいて、あとは出演者の捌きに任せるという番組が非常に多いですからね。
でもそれは作家の怠慢という部分よりも、テレビの構造的な問題なんでしょうから、
若い作家を責めてもあまり事態の改善に繋がらないと思います。
高田さんはそんな事は百も承知で、同業の先達として、後輩の尻を叩いているんでしょうけどね。

そういう事はたけしさんも言ってましたね。
大量にスタジオに集められた出演者が、VTRを見て一言二言適当にコメントするって番組ばかりですが、
そんな立場に甘んじている芸人に、今の芸人は楽だなあみたいな事を言っていたような。
視点は同じですし、要するに構造的問題なんですよね。
どんな文化であれ、いずれは衰退するもので、
存在だけはしていても、新しい面白みを生み出せなくなったものはこれまでも多数あります。
テレビもそういう存在なんですよね、既に。
ワタクシは、地上波放送というものはそういう意味で終わった存在だと思っています。
新しい要素が技術革新で取り入れられない限り、それは改善されないと思います。
2008/05/21(水) 06:43:32 | URL | ごいんきょ
いくらなんでも共産党バンザイなんて 
トークのプロで売れっ子であるはずのマエタケさんが
共産党バンザイなんていわないと
思う。

そこはプロなのだし
バンザイのジェスチャーしたのは
本当だろうけど。
東京ロマンチカのメンバー
だと思うのだが。
三条正人と、いう人に対して
照明が消えて暗くなったとき
マエタケさんが形ならできる
と、模索して 
三条くんおつかれさまバンザイ
と、いって例のバンザイしたんだよね。 
ただ、共産党の宮本顕治氏と懇談
したり 
赤旗まつりの仕事を引き受けたり 
共産党議員候補の選挙演説
の仕事を引き受けたのは
マズかったよね。
で、結局夜ヒット降ろされて
出ていた番組もすべて降ろされた。

その後、お天気マンで復活して
いまもたまにテレビで見る程度だけど、マエタケさん全然老けてないね。 
2009/02/01(日) 23:13:11 | URL | 梅吉
復活の仕事がお天気マンだったんですよね。
石原良純さんの先駆けのような(笑)。
2009/02/02(月) 00:36:30 | URL | ごいんきょ
共産党万歳発言
公共放送なら勿論編成されていたろうし又読売系もこの産経系もそうしていたろうがそれでももし比較的革新色の強いかも知れない朝日系ならどうなっていたのやら
2009/02/07(土) 20:39:35 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
比較的革新色が強いというか、ソ連の影響下に有ったとすら言われてますけどね(笑)。
先日のテレビ朝日ニュース50年を振り返る番組では、
ゲストコメンテーター全てが左翼色の露骨に強い人でウンザリしました。
ワタクシはバランス感覚を失っているメディアは、右であれ左であれ大嫌いです。
2009/02/08(日) 23:14:52 | URL | ごいんきょ
淳子ちんがぴんから兄弟を
歌ったオープニングをyoutubeにて見つけた
出身地で厳密にとやかく言えないかも知れんものの秋田の出の彼女は演歌でもなかなかイケていた
もし友達の昌子ちんみたいに演歌に進んでいたなら芸能史も己の運命も今とは変化し得ていたかも

後未だ話題にならないこの番組での森永のcmなれど主にハイクラウンやハイソフトがオンエアしていたと覚えており黄色いミルクキャラメル等のものはさすがに無かったとも記憶している
もし近代での放送ならあゆちんのハイチューとかが流れていたかも
2009/09/26(土) 15:26:11 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
「恐らく、その背景には当時の政治状況も絡んでいただろう。折しも安保問題が片付き、田中角栄を頂点とするマスコミ支配が完成へと向かっていた頃で、共産党に肩入れするタレントの存在を快く思わなかった人は少なくなかったはずだ。
しかしそんな理由だけで前武程の実力者がテレビを干されるとは考えにくい。
筆者が思うに寧ろその実力が仇になったのではあるまいか。彼の武器は放送作家出身らしい才気とそこから生じる毒舌であり、それは称賛される一方で見えない敵も作っていただろう。実力者前武を疎ましく思う人々にとってこの舌禍事件は実態はどうであれ、格好のバッシング材料だったに違いない。
してみると、この一件は戦前のアカ狩りや戦後のレッドパージとは異なり、権力者の失脚に近いものだったかも知れない。ともあれ、芸能人と政治思想が無縁のものになってしまった現代ではこういう干され方は有り得ないだろう。その点前武の一件は、当時の政治的熱気の賜物でもあったわけだ。」
(「芸能界一発屋外伝」宝泉薫編・著より)

前田武彦さんの御冥福をお祈り申し上げます。
2011/08/06(土) 22:52:02 | URL | ナベチン
裏の月曜ロードショーを
意識したような演出例えば映画主題歌それも向こうで好評だった作品の歌というのは洋物こそ皆無であったものの角川作品のものは歌われていたっけかな

一度ぐらいなら洋物も歌われていたりして
2011/08/07(日) 22:32:03 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
角川映画のテーマ
角川映画のテーマといえば、ジョー山中の「人間の証明のテーマ」や、町田義人の「戦士の休息」(野生の証明のテーマ)は歌っていたような気がします。

あと、歌手とタイトルは忘れましたが、戦国自衛隊のテーマも歌っていたかもしれないです。

セーラー服と機関銃や、時をかける少女は、間違いなく歌ってました。


そのジョー山中さんが、64才で亡くなりました。

角川映画では、横溝正史シリーズのインストゥルメンタルが有名でしたが、ボーカル入りの曲では、人間の証明のテーマが初のヒット曲ではなかったでしょうか。

ご冥福をお祈りします。
2011/08/08(月) 23:36:14 | URL | 10000k
● ガッツさん
露骨に歌唱力の劣る人でなければポップス系の人が演歌を歌うのはまあいいんですけど、
逆に演歌系の人、例えば村田先生あたりがポップス系を歌うと、大爆笑でした(笑)。
森永提供番組は、やはり子供番組の記憶が強いですからね。


● ナベチンさん
前田さんの一件は、真相は闇としか言いようが無いです。
誰か関係者が証言してくれない限りは。
それにしても角栄によるマスコミ権力化の弊害にはウンザリします。
なにしろ官僚同様、査察機構が無いのですから。
とは言え、一度与えた権力を取り上げるのは容易ではないですが、
ネットにより個々の力で対抗できる可能性がゼロではなくなりました。
勿論、それによる弊害も有るのですが。


● ガッツさん
それはまあ。たまたまじゃないですかね。
昔はヒット洋画がテレビに来るまでかなり時間差が有りましたから。
単に需要・供給が噛み合わなかっただけかと。


● 10000kさん
映画のテーマに関しては、そんなに意識してなかったと思いますけどね。
今ほどはテレビ局制作の映画も多くなかったですし。
山中さんは、ゴッドファーザー愛のテーマに詞をつけたものを『愛のささやき』と題して歌い、
ドラマ『男と女のあいだには』の主題歌となりました。
ですが、歌手としての力が有りすぎて、テレビとの関わりはあまり記憶に残ってないです。
2011/08/11(木) 22:01:29 | URL | ごいんきょ
広瀬テーマ
古館司会時代はこのテーマは
使ってないと、思うが
マエタケから井上順時代のときに
広瀬健次郎氏のテーマ曲が
使われていたような
ムード音楽、軽音楽っぽい
リズムのテーマ曲だった感じかな。

現在も放送している
フジテレビの朝のワイドショーの
とくダネでやってた
朝のヒットスタジオもこのテーマ
だったと、思う。
アマタツさんにお天気お願いしますと、いう流れで〆に入るコーナーね。
僕は夜ヒットというとこれなんだよね。これは記憶に残るテーマだから。 
 
2012/08/03(金) 02:09:22 | URL | サイドスロー 
テーマって、あの短いブリッジの事ですかね。
朝のヒットスタジオでも使ってたんだ(笑)。
2012/08/03(金) 05:00:33 | URL | ごいんきょ
大伴稲
おニャン子4長山恵利5市川美春6亜紀ムール8甲田さゆり9リン美香11松崎恵規12後藤その子13下山和子14春美(富川)15出戻り立見里歌16秋元麻巳子17木村早苗18ルリ子(永田)19由紀子(岩井)が出てた時井上順が大伴稲「おおとういね」(営業名:芳村真里)からかってましたよ。唄:せーら服を脱がさないで
2014/04/21(月) 07:32:28 | URL | 名無しのおばん
訂正
上の訂正:芳村真里正しくは芳村真理 せーら服を脱がさないで正しくはセーラー服を脱がさないで
2014/04/21(月) 07:53:41 | URL | 名無しのおばん
大伴稲(営業名:芳村真理)
芳村真理のファーンで有名になったのがおかみさん名:日高みづえ(旧姓:高田)の御主人親方名:松金親方(若島津)
2014/04/22(火) 02:59:47 | URL | 名無しのおばん
なんと言ってからかったんですかね。
真理さんのファンだというのは、元若島津さんの方という事ですね。
2014/04/29(火) 02:58:09 | URL | ごいんきょ
順さんは何かにつけ出演歌手の”本名話”が出ると、決まって真理さんの本名をさらっと出して笑いを取ってました。
当の真理さんはちょっとムッとしてましたけど(笑)。

だってインパクトありますもんね。「大伴稲」ですからねー、あの風貌で(汗)。本名とイメージがこれだけ落差あるタレントを自分は見たことありません・・・。
2014/04/30(水) 14:32:48 | URL | (ハンドル未記入)
御免なさい
旧姓高田の旦那さん松ヶ根親方(若嶋津)これが正しいです。
2014/05/03(土) 02:41:51 | URL | 名無しのおばん
訂正馬鹿な女
おニャン子クラブ8出戻り2回目國生さゆりもしかしておニャン子いちの離婚歴
2014/05/03(土) 02:51:49 | URL | 名無しのおばん
● 未記入さん
そう言えば言ってたかな。
イネさんというのは、真理さん誕生当時としてもいささか古めかしい響きが有ったでしょうね。
でも明治の人からしたら花子とか、そういう感じの普通の名前だったわけで。
2014/05/07(水) 02:01:18 | URL | ごいんきょ
もう一度!
小川知子さんといしだあゆみさんの涙の映像はありませんかね。もう一度見たいです。
2014/05/14(水) 23:38:24 | URL | ホクデン
あれは残っていて、たまに放送されますね。
ただYouTubeにアゲても、すぐに削除されてるんでしょうけど。
2014/05/24(土) 23:51:35 | URL | ごいんきょ
重ね重ね思うのは、前田武彦時代の映像保存率が壊滅的に悪いのがつくつく思い悔やまれるところですね・・・この番組は。
もし1100回以上の放送回のほぼ全てが今も完全に残っていたら・・・もっとこの番組の「歌謡文化史」的な意味での価値は高かったはずなんですよね。現に400回以降しか完全に残っていない状態とは言えど、この番組のアーカイブスは「歌謡界の大宅文庫」(by古舘伊知郎(笑))と形容できるぐらいの豊富さがありましたしね。紹介した曲数も、出演した歌手数も民放歴代歌謡番組では群を抜く多さを誇ってますし。

いしだあゆみさんのファンが某所であげておられる「吉永小百合→勝新太郎」のOPメドレーのバトン渡しとか、映像でホントに見てみたかった気がします。まぁ、音声が残ってるだけでも奇跡なんですけどね。
2014/05/25(日) 10:02:17 | URL | (ハンドル未記入)
ですね。しかも、数少ないビデオ所有者だった前武さんは、消してしまったと言うし。
なんとまあ。
2014/05/25(日) 20:43:26 | URL | ごいんきょ
前期ヒットスタジオであまり知られていないこと。
この番組については、特に井上順加入前の時代であまり知られていない事実が結構あったりするんですよね。

知っている限りでは・・・
・あの野沢那智が2代目のモグラのお兄さんだったこと(時期的には昭和48〜50年)。
・一時公開番組形式を採っていたこと(三波伸介時代)
・固定した司会者がいなかった時代がある(昭和48年秋からの半年間)
・初期名物企画の「コンピューター恋人選び」は前田武彦時代の後期には”手法が飽きられた”という理由で一時打ち切られていること(但しその後、三波時代の初期、井上順時代のごく最初期、芳村真理降板後の男性司会コンビの頃に限定的に復活している)。尚、初回放送時の恋人選びのカップルは”モルモット=布施明(このとき彼は「愛の香り」という歌を披露してます)、相手=水前寺清子”。
・初期には持ち歌以外にコント調の演出で童謡を紹介するパートがあったこと(なので全盛期は2本やっていた「歌謡ドラマ」は開始当初は1本だけしかやっていなかったらしい)。尚、映像が残ってる44年1月27日放送では、前武さん自身が”山寺の和尚さん”を坊主姿に扮した青江三奈・美川憲一をダンサーに従え(汗)披露しているらしい。
・レギュラーだった東京ロマンチカはかならずしも毎回新曲を披露しているわけではないこと(どうも1ヶ月に1度の割合で新曲披露をしていたらしく、それ以外は新曲披露なし、もしくはラテンナンバーを披露していたらしい)
・「歌謡ドラマ」は一時期、ゲスト歌手が殆ど参加せず、レギュラー陣だけでやっていた時期があった(昭和47年頃)。
・昭和49年春からの1年間は三波、芳村のほかに朝丘雪路も司会者として出演しており、進行は芳村と朝丘がやっていた(三波はいわゆる”コメディ要員”的扱いだった)こと。但し、朝丘は舞台で1ヶ月出られなかったり、起用初回にいたっては病欠したりと欠席が多かったそうだが・・・
・エンディング企画の「ラッキーテレフォンプレゼント」は初回からあったが、その当選者抽出方法がスロット方式ではなく、乱数表から電話番号の下4桁の数字や賞金金額を選ぶ方式だったこと(尚、50年春で一旦廃止、51年の春、井上順起用と同時にスロット方式に形を変えて復活、62年までこの方式で継続)・・・etc

どうしても初期のこの番組というと例の”泣きのヒットスタジオ事件”に話題が集約されがちですが、調べていくと結構面白い新事実がかなり多くあったりするんですよね・・・。昭和44年最後の放送分の出演歌手が全て”飛び入り”だったという事実を某所音源で知ったときもちょっと驚きでしたし(汗)。

それだけにこの時期の資料が少ないのがちょっと残念です・・・。
2014/06/18(水) 06:10:51 | URL | (ハンドル未記入)
いろいろ詳しくありがとうございます。

コンピューター恋人選びですが、アルゴリズムが公表されてないですし、
ハッキリ言ってお手盛りだったと思ってます。
当時から視聴者も馬鹿ではないので、そうした指摘は有りました。
沢田研二の時など、選ばれたのが上原ゆかりちゃんですよ。
そんなコンピューター診断、有りますか(笑)。
2014/06/20(金) 22:49:16 | URL | ごいんきょ
どこの放送局か
唄って次の歌手を紹介する冒頭で、ピンク・レディー、朝田のぼる、神田広美 と日テレ、スタ誕!デビュー組が唄っていていて、どこの放送局か?と思う場面がありました。
フジの君スタ!デビュー組の林寛子→高田みづえ→石川ひとみ という組み合わせなんて見たことなく・・・。
2015/01/18(日) 09:00:08 | URL | T&C
ピンク・レディー、朝田のぼる、神田広美って、なんか凄い顔触れですね(笑)。
朝田のぼるさんが夜ヒットに出ていたなんて。
2015/01/18(日) 17:38:32 | URL | ごいんきょ
渡辺プロ
地元ではフジテレビ系列の放送局がなかったので、見られるようになったのは大学に入学して、上京してからでした。
ベストテン番組のように、誰が何位とかいうドキドキ感はなかったので、し毎週、習慣として見ていただけでしたが、何か月か見ているうちに、「何でこの歌手は、こんなに頻繁に出ているんだろう」とか「何でこの歌手が出ているんだろう」とかいうことを感じるようになりました。
そして、気が付いたのは、それらはみんな渡辺プロ所属の歌手だということでした。
あまり売れなくなった頃の、小柳ルミ子、梓みちよ、いしだあゆみ、テレサ・テン、伊東ゆかり、石川ひとみといった面々がなぜか頻繁に出る・・・。
そして、五十嵐夕紀、渡真介、野中小百合(糸川蛍子時代も)、森田つぐみといった売れていない新人が、有望新人としてデビュー前から何度も出る・・・。
ゴリ押しとはこういうことを言うんだな、と10代ながら感じました。
一方で、ピンク・レディーが初めて出たのは、もう2枚目の「SOS」が出る頃だった気がします。
そういえば、「ザ・ベストテン」のプロデューサーだった山田さんという方は、こういう風潮が嫌で、公明正大な歌番組を作ったと聞いた覚えがあります。
2015/06/14(日) 21:13:32 | URL | たけし
でも、ホリプロの歌手もよく出ていたし、そんなに偏重していたという感じは受けないんですけどね。
ピンクも、ペッパー警部が注目されていた頃にこの番組で歌ったような。

渡辺プロの問題も有りましたけど、芸能界全般、不透明な事ばかりでしたからね。
そこに楔を打とうとした人々は大したものだと思います。
ま、またぞろそんな世の中になっているわけですけど。
2015/06/14(日) 23:07:50 | URL | ごいんきょ
スーパーエレクトリックばあちゃん
 最近インターネットで動画(レコードの音声のみ)を見つけることができました。私の記憶ではスパイダースが再結成した時の歌で、昭和50年代前半に夜ヒットで聞いたと思っていたのですが、よく考えると井上順二が司会しながら出演者として歌ったのかな、変だなと疑問でした。
 調べたらこれ、昭和45年、ザ・スパイダース解散直前の歌だったようです。それなら、記憶通り夜ヒットだったとすれば前武司会時代だったかもしれません。司会の紹介を受けてスタンバイして歌う流れと、歌っているスタジオの雰囲気が夜のヒットスタジオだった気がします。
 それにしては、テレビで一度聞いただけの筈なのに何故か強烈に覚えていました。ただインターネットで聞いたレコード版とは囃子言葉がちょっと違いましたが。「ドッキンカンコン」 アドリブだったのかもしれません。
2015/12/20(日) 15:23:49 | URL | あぶもんもん
夜ヒットは生ですから、歌詞も替えていたかもしれませんね。
なかなか貴重なご記憶だと思います。
特別版だから「スーパー」ですか。
2016/03/03(木) 22:44:46 | URL | ごいんきょ
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