私的 昭和テレビ大全集
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咲子さんちょっと (1961)

咲子ちゃんちょっと

ちょっとちょっと来てちょっと待って

おそらく当時観ていた人には懐かしんで戴けるであろう、この主題歌。
MIDI入力してみたので、その発表のためのエントリーです。
ワタクシは観た事ないんですけどね。映像は多少なりとも残っているはずなんで、
テレビ版サザエさん共々、TBSチャンネルに放送実現して貰いたく候。
こういう記事では、仕方ないというか他にやりようも無いんで、
主として資料的なものから話を膨らませるしかありません。
そうして種を蒔いておいて、あとは皆さんのコメントという
慈雨で育てて戴ければと思います。 我ながら上手い言い回しだな(笑)。

映画版のサザエさんで親しまれていた江利チエミと、小泉博のコンビ。
その二人がテレビでまた夫婦役という事で、当初から注目されたでしょう。
昭和36年10月2日~38年12月30日までの
月曜夜9時から9時半に118回放送されました。
伊志井寛と葦原邦子が小泉の両親で、
古今東西の人類を悩ませていると言われる嫁姑問題を、
当時のテレビらしく明るく朗らかに描いたものでした。
江利のキャラクターがまた、そういう役に打ってつけだったと思います。
この月曜夜のTBSは、直前の時間に今にも続くナショナル劇場があり、
その『青年の樹』とのセットで覚えている人は多いと思います。

更に昭和39年4月6日から40年3月29日までは
『続 咲子さんちょっと』として、続編が46回放送されました。
この時のナショナル劇場は枠を一時間に拡大し、
森重久弥の好演でこれもテレビ史に残る『七人の孫』。
本当に良き時代、良き番組が目白押しだった、テレビの全盛期と言えましょう。
この番組で描かれる嫁姑も、現実的などろどろした形ではなく、
若いお嫁さんを老夫婦が暖かくサポートしてあげる形で描かれ、
江利のキャラクターとも相まって多くの共感を得ました。

提供は一貫して倉敷レイヨン。クラレアワーの触れ込みでした。
この当時にどんなCMがあったかは知りませんが、
もう少し時代が下った1970年代ですと、ガチョウをイメージキャラにしてましたね。
ガチョウの群れが革靴を履いてヨチヨチ歩き、
最後に1羽が「クラリーノ。履いて良かったな」と丸囲みでコメントするやつ。
ダークダックスがCMソング歌ってましたね。ランドセルのバージョンだと、
♪ ガチョウのランドセル ガッガガッガガガッガー とかいうのだったかと。
このクラリーノのガチョウCMは、覚えている人多いと思います。
ソウさんが「ガー子のだって、いい~よ~」と歌うんですよね。
ゾウさんって、ダークダックスのゾウさんね。遠山さん(笑)。
で、現在クラレが正式社名となっているらしき公式サイトにアクセスすると、
2005年からの広告しかアップされてませんね(苦笑)。
なんとかあの名作を観られるようにして欲しいものです。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
アヒル?ガチョウ???
え?クラリーノランドセルのコマーシャルってアヒルでなくてガチョウだったのですか?
なんて勘違い・・・Σ( ̄□ ̄ || 〒 ||
2006/08/25(金) 18:37:05 | URL | mikeneko
クラリーノ
ガチョウですね。
それは、ガー子という名前からも確実です。
記事にも書いたように、「ガチョウのランドセル」と歌ってましたしね。

でも、アヒルとガチョウの区別ってそもそもよくわからんですね(苦笑)。
2006/08/26(土) 07:01:10 | URL | ごいんきょ
江利チエミファンのひとりごと
江利チエミファンのもので、ブログをやっているものです。
クラリーノ...など、私のしっかりと覚えていないことをお教えいただき...
ありがとうございます!
2007/05/08(火) 22:17:59 | URL | う--でぶ
おや。江利さんファンの方ですか。これはこれはようこそ。
さて、この記事なんですけど、かなりいい加減なものでした。
実際は、咲子さんはお手伝いさんで、だからいつも
「咲子さん、ちょっと」と呼ばれて言いつけをされるという話だったようですね。
そして最終回は、咲子さんが結婚するからか、
「もうなんでも咲子さんちょっとと言うのはやめよう」
と言って終わっていたようです。
この番組を詳しく覚えている人はいないですかねー。
2007/05/09(水) 01:07:22 | URL | ごいんきょ
すみません レスいただいて・・・
いえいえ!
記事あってますよ!!
お手伝いさんではないです。
それは ここ を覗いてきてください。
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/35ea847487ec40b5d3de61524609bdac
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/3193961ef48737fb774b22694db6792c
私も昭和35年生まれ...なので定かではありませんが、そのお手伝いさん云々というドラマは44年ころの和泉雅子さんの主演の「犬と麻ちゃん」...ではないでしょうか???
咲子さんはOL--->上司のススメで見合い--->音楽家の青年の家に嫁ぐ...というストーリですので!!
2007/05/12(土) 21:20:41 | URL | う--でぶ
つづき
千秋実さんが「お-い アサちゃん 新聞!!」とか... お--い というのはもうダメですよ...と家人に諭される という場面だったように思います。
2007/05/12(土) 21:23:13 | URL | う--でぶ
あ、これは随分と貴重な情報を。
やはり合ってたんですか。
まあ、資料見ながら書いたとは思うんですけど(笑)、
その後に、最終回の記述も見たので、そんな勘違いをしました。
『新妻に捧げる歌』が続咲子さんちょっとのエンディングだったというのも貴重な話でした。

最終回は、「もう咲子さんちょっとというのはやめよう」
と終わったという事が、何かに書いてありました。
すると、同居していたのが、子供が出来て夫婦独立するとかいう感じだったのかな。
2007/05/13(日) 07:52:31 | URL | ごいんきょ
咲子さんちょっと
このドラマのシナリオライターは誰ですか、ぜひ教えてください。
2008/08/15(金) 12:47:41 | URL | (ハンドル未記入)
松田暢子
月曜日の9時半からは、家族全員で見ていました。東宝映画の「サザエさん」(原作長谷川町子)シリーズで10本にわたり、磯野サザエとフグ田マスオの二人の恋愛、婚約、結婚、新婚生活、そして男子(タラちゃん)誕生と演じてきた江利チエミと小泉博のコンビによるテレビでのホームドラマということですので、当然そうしたドラマを期待してしまいます。そして、明るく、元気で、そそっかしやの咲子さんというキャラクターはぴったりでした。脚本家の一人で東宝のプロデューサーでもあった堀江史朗の狙いは的中しました。
義父で漫画家南条高太郎役の伊志井寛は、花柳章太郎、水谷八重子とともに、劇団新派を支える大幹部の舞台俳優ですが、同じテレビ局の東芝日曜劇場「カミさんと私」シリーズ(原作:土岐雄三)で京塚昌子のやさしい思いやりのある夫を演じて好評でした。義母役の芦原邦子は、戦前の宝塚歌劇のトップスター(男装の麗人)で小夜福子や春日野八千代などとともに、人気者でした。「咲子さんちょっと」の頃はふっくらとしてやさしいがしゃきしゃきとした母親や祖母役が多くなっていました。
原作は、中島さと子の手記「嫁に贈る手紙」(講談社から単行本(正・続)が2冊出版されました)ですが、葦原邦子の役はこのさと子に当たります。さと子の夫の漫画家(伊志井寛の役)というのは、中島菊夫のことです。この人は、戦前の子供向け月刊誌「少年倶楽部」(大日本雄弁会講談社)を田川水泡「のらくろ」、島田啓三「冒険ダン吉」とともにささえた時代劇マンガ「日の丸旗之助」の作者です。(旗之助は、若君の近習で、二丁拳銃ならぬ二丁投げ縄の名人という少年剣士でした。)戦後もマンガを描き続け、私も、単行本で「左甚五郎」などの伝記漫画を読みました。
テレビドラマでは、江利チエミにあわせて、夫の京太郎(小泉博の役)は作曲家に変えてありますが、実際はさと子の息子は画家・イラストレーターです。「SFマガジン」(早川書房)の創刊号から抽象的な表紙を10年にわたり描いた中島靖侃(せいかん)がその人です。
1963年に松竹で映画化されたときには、出版社に勤める咲子が京太郎と見合いをして結婚するまでが描かれていますが、テレビドラマでは、第1回から婚礼当日に咲子が家事をしている様子や嫁を迎える南条家が描かれていたと思います。
「咲子さんちょっと」は間をおいて、1965年3月まで放送されました。そして、8ヵ月後の11月から始まったのが、テレビドラマ版「サザエさん」でした。フグ田マスオ役は小泉博ではなく、大映で気弱な二枚目役としての出番が少なくなった川崎敬三が三枚目役に新境地を開きました。
 脚本は前述の堀江史朗と松田暢子。松田暢子は、「おかあさん」「時間ですよ2・3」「なにわの源蔵事件帳」などの脚本を書いていますが、リストを見て私にとって思い出に残っているのは、「かしましアワー あした天気になあれ」です(プロゴルファーの話ではありません。あればちばてつやのマンガ)。1965年~1966年にかけて ABC朝日放送で 木曜日のお昼に放送されました。題名にあるように、漫才のかしまし娘が三人姉妹、その父親が松竹新喜劇の曽我廼家五郎八というホームコメディでした。松田暢子のほかに「びっくり捕物帖」の香住春吾が脚本を書いていました。

2008/08/21(木) 21:45:34 | URL | 漫中老
● 未記入さん
漫中老さんが詳しく書いて下さいましたね。


● 漫中老さん
またまた内容の濃いコメント、ありがとうございます。
中島菊夫さん、あまりピンと来ないですね。
ワタクシも漫画はそれなりに好きだった方で、
他の名を挙げられた二人は勿論よく存じているんですけど。
しかし、そんな有名人の家庭が舞台とは想像もしませんでした。
第1回から見てるって羨ましいですね。
サザエさんの方は、再放送だかで見てるのですが。
2008/10/14(火) 01:10:07 | URL | ごいんきょ
江利チエミのおもいで
咲子さんチョット

この番組は、我が家にTVが初めて入ったコロ、母が好きでたまらなかった番組です。わたしが中学時代のこと。
いま、母はすこし惚けてきましたが。。あのころ、鬼のように働いて私と弟を育ててくれました。
2008/10/31(金) 03:30:46 | URL | 試稿錯誤
そうですか。
お母さんからお話が聞けるといいんですけどねえ。
鬼のようにって、いいですね。
たしかに1960年代まで、日本人は鬼のように働いてました。
働かない人間がいっぱしの発言をするなんてとても許されませんでしたし、
数字だけ操作して実産業の所得を掠め取る連中が
「勝ち組」などと言われる盗賊社会でもなかったです。
2008/10/31(金) 06:35:36 | URL | ごいんきょ
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