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水戸黄門 (1969)

水戸黄門

月曜TBSと言えば、ブラザーアワーに続く8時からの、
ナショナル劇場という金看板がありました。
「ありました」ではなく今もナショナル劇場枠は健在で、
TBS開局の翌昭和31年スタートと、あの東芝日曜劇場より歴史があります。
そもそもは日曜劇場のようにホームドラマ主体でしたが、
なぜか知らねど、1969年に、いきなり水戸黄門登場。
それまでの路線と大きく異なるし、しかも初の時代劇。
なぜ今更?という受け止め方が主流だったと思います。
ところが、以後の大岡越前、そして江戸を斬るといずれも長期シリーズとなり、
ナショナル劇場はあたかも時代劇枠と化していたのでありました。
理由を考察するに、スポンサーサイドの高齢化?
それと、NETの素浪人シリーズが老若男女に受けて、
本格時代劇ドラマの時代が幕開けしたというのもあるかと思います。
とにかくまあ、ナショナル劇場でも青年の樹とか七人の孫あたりは、
時代的に当ブログ閲覧者の方々も見ていない方が多いでしょうが、
この番組は、ここを恒常的にご覧の方なら7割5分の方が視聴経験あるでしょう。

初代黄門は東野英治郎で、助さんは杉良太郎、格さんは横内正でした。
第1部から風車の弥七は出ていますが、八兵衛は第2部からの出演です。
ワタクシ個人の思い入れでの黄門ベストメンバーを書き連ねると、
黄門(東野)、助三郎(里見浩太朗)、格之進(大和田信也)、
その他は弥七と八兵衛の二人で充分でした。
第14部から黄門役が西村晃になり、それでワタクシもやや引いて、
おそらく16、7部あたりからは完全に見なくなりました。
と言うか、成長した事と、既にテレビは一家一台の物ではなくなっていたので、
親とTVを一緒に見なくなった事が一番大きな要因ですけど。
若い頃というのはマンネリを許容できないんですよ。
そうでなくとも、何年も見続けていてマンネリ気味なのに、
毎部毎部、おんなじようなストーリーがいくつも出てきたり、
そういうのにだんだん耐えられなくなりましたね。
で、しばらくぶりに観た時に、お銀だの飛猿だの、やたらとキャラが増えてて、
ああ、わしの時代も終わったんじゃのう(笑)と、本当に観なくなりました。
結局なんだかんだ言って、マンネリの黄門を支持していたわけです。
その、毎部のようにでてきた話というのは幾つもあって(笑)、
ニセ黄門になりすまして好き勝手している奴に、
正体を明かさずに近づいて、ニセ黄門が最後にビックリする話とか、
黄門さまそっくりの人間が現れる、主役が一人二役をする回なんかありますね。

大体が、物語の冒頭は八兵衛が茶店で団子食ってて置いていかれそうになり、
そんな一行の前に困っている様子の年寄りや女性が現れ、
事情を聞くとその藩のエライさんが商人となあなあで悪さをしていて、
黄門さまは素性を隠してちりめん問屋の光右衛門と名乗り、
風車の弥七が屋敷に忍び込んで悪事の様子を調べ上げ、
その頃かのエライさんが女性の弱みにつけ込んで手込めにしようとし、
「おやめ下さい」と着物を軽く解かれる様子にワタクシが興奮し、
弥七の風車がヒュッと柱に刺さって救いの手を差し伸べ、
逆上したエライさんが手下どもを呼んで弥七を抑えろと命じ、
そこへ光右衛門が現れて正体を隠したまま説教し、
こやつも一緒に斬れとエライさんは更に逆上し、
取り巻き一派と助さん格さん弥七の一大チャンバラが繰り広げられ、
時々光右衛門も自ら杖で殺陣を見せ、頃合いを見計らって格さんが一喝。
「控えい控えい! この紋所が目に入らぬか!」
葵の御紋の入った印籠を目にして、慌てふためいて土下座する一同。
「ここにおわすお方をどなたと心得る!
 畏れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にてあらせられるぞ!
 頭が高い! 控えおろ~~~!!」
で全員がへへーとなるけど、たまに諦め悪いのが斬りかかり、
スパッと一太刀で斬られて死んでしまい、
事件は無事解決して光圀公がハッハッハと高笑いし、
また他の国への道中が始まるラストで、
八兵衛がばかな事を言って一同で大笑いし、
芥川隆行の語りで締められて、♪ パーパーパーという音楽で終わりました。
こんな感じですよね? 一部変な部分もあったけど(笑)。

弥七ってのは昔はよくわかんなかったけど、元は義賊なんですよね。
実は黄門さま一行の中で、一番人気あったんじゃないかなあ?(笑)
少なくともワタクシは、例の印籠のシーンも良かったですけど、
弥七の風車がヒュッと刺さるシーンで一番ゾクゾクしました。
水戸黄門外伝・義賊 風車の弥七っていうシリーズを作っても
当たったと思います。もちろん八兵衛も出してね(笑)。
その八兵衛は、弥七に憧れるヘボな盗っ人。
もちろん、二人とも黄門さまと旅するようになってからは足を洗ってます。
情報収集の時にその腕は活かしてますけどね。

主題歌を含め、音楽も良かったですね。劇伴の巨匠・木下忠司。
かの巨匠・木下恵介監督の実弟なのですから、なんという芸術兄弟。
喜びも悲しみも幾歳月はじめ、木下監督の映画や木下恵介アワーなどは勿論、
この水戸黄門、そして特捜最前線など、数々の名曲を紡いだ人です。
主題歌は、歌詞も本当に、日本人~!って感じです(笑)。
黄門と直接は関係ないけど、人生とは旅だという事なんでしょう。

そもそも映画の時代から、なぜ黄門さまがこうも持て囃されるのか。
おそらくこの答えは単純で、大日本史を編纂し、水戸学の基礎を作り、
幕末揺籃期の尊皇攘夷思想の源となった人だからでしょう。
よく薩長土肥が尊皇と言われるので、佐幕側は尊皇じゃないみたいに思われますが、
あの時代に尊皇じゃない武士というのは基本的にいません。
かの新選組にしてからが、その発祥は尊皇攘夷思想に拠ります。
ここいらの誤解は長州による官賊二分政策による悪しき洗脳の結果で、
会津を始めとする奥羽列藩同盟など関東側は、
維新後、かなり長い間いわれの無い肩身の狭い思いをしました。
中でも取り分け我慢ならなかったのが朝敵の汚名で、
そうした忸怩たる思いを抱いていた武士達、その子孫達は、
維新後の各戦争で、いまこそ朝敵の汚名を雪ぐ時と、
明治天皇の名の下で、年齢を超えた武士ならではの気概で活躍しました。
当時の日本はなぜ戦争が強かったのか。
今の日本人もどきとは気概が違ったのです。
ちょっと脱線が過ぎましたけど(笑)、
要は、長州閥が力を持っていた明治期、その友藩と言うか、
尊皇攘夷思想の源であった水戸藩も、或る程度は優遇されていたという事です。
また、その思想の産みの親である黄門さまも、英雄視される土壌があったわけです。
水戸学が討幕運動に利用された事は、徳川御三家たる黄門さまがもし健在なら
絶対に快くは思わなかったでしょうが、そうした土壌から、
現在に至るまで英雄となっている様は、痛し痒しと複雑な思いかもしれませんね。

水戸黄門
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
同じ脚本
再放送が多いので気がついたのだけど、水戸黄門て同じ脚本の使い回しって多くないですか?佐野黄門の頃なんてなんか前に見たような話ばかりで、八兵衛の食い物談義に格さんの「あきれた」の一言で始まる冒頭も毎回同じ。格さんと裏切者の友人の話や、頑固職人親父と子どもの話とか前に見たぞって話ばかりでしたね
2006/11/10(金) 16:35:49 | URL | 田毎の月
脚本
同じ脚本って事はないんでしょうけど、
或る脚本を原作みたいにしてるって事はあるんでしょうね。
もうちょっとオリジナル性を出せないんですかね。
2006/11/11(土) 07:00:08 | URL | ごいんきょ
色々な定番はあれども
一番好きな定番としてはストーリーに直接関係のある場合も無い場合もあるご老公がある忍びで城抜けしている藩主と二人きりの時に何の気なしに腰を下ろしたところが米俵であったために山田花子嬢を更に太らせたクラスの田舎娘の怒りに触れ追い回されてしまうという展開である

この定番は三代目まではあったものの以降は石坂里見黄門とはちぃと合わないみたいなので新たには見てないのだが何時か又見たい
2007/02/03(土) 11:15:44 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
ちなみに
その娘役として比較的今挙げた分類には当てはまらないかも知れない杉田かおるちんも名を連ねていてこれはメインのストーリーでも有る
2007/02/03(土) 21:57:31 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
家を造るなら
家を造るなら~♪
加藤和彦のナショナル住宅パナホームの歌も懐かしいナショナル劇場。
ガッツさんの指摘の定番シーン、ワタクシはあまり印象強くないんですけど、
有ったかもしれません。
杉田かおるさんまでは覚えてないなあ(笑)。
2007/02/03(土) 23:46:39 | URL | ごいんきょ
この秋から・・・?
 松下電器がパナソニックに社名変更するというニュースが報じられています。
 ①家電に使われていた「ナショナル」ブランドを廃止し、「パナソニック」に一本化する。
 ②松下電工などのグループ企業も「パナソニック」のついた社名に変更する。
 ③6月に開かれる株主総会で承認されれば、10月に社名変更を行う。とのことです。
 当然、この枠も「パナソニック劇場」になるのでしょう。もしかして時代劇から撤退?なんてことも起こりそうな気がしますが・・・。
 もちろん「明るいナショナル」の歌もなくなってしまうのでしょう。いつかはこの日が来るんじゃないかと思ってはいましたが、まさかこんなに早いとは・・・。またひとつ、昭和が遠くなっていくような気がします。
2008/01/10(木) 21:52:52 | URL | 北国の人
こちらのスレに来ましたか。
ナショナルキッドのスレだとよりピッタリだと思いましたが(笑)。

よくわからん措置ですね。
海外向けだけそうすれば済む話だと思うのですが、
もっと深い部分での理由が有るのでしょう。
ナショナル劇場時代劇枠については、数年前に打ち切りが検討されました。
でも、いつの間にか存続していたという感じですから、
いつ無くなっても不思議ではないですね。
2008/01/11(金) 06:58:31 | URL | ごいんきょ
三代目の格さんが
今日からオンエアの今年の東映戦隊シンケンジャーで爺や役として暫く子等の目に触れる機会が増す
彼は格さんの時のように控えおろうみたいな台詞宣うており流石という風かも
これもマゲ物復権への一つかも
どうせなら散々尾張家を悪役扱いしたマツケンに名古屋絡みのヒーローにコキ使われるというのも一度見てみたいわな
2009/02/15(日) 16:28:42 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
人生楽ありゃ苦もあるさ
タイトルの歌詞が好きです。
私は番組内容にはあまり興味無いんですが、主人が大の水戸黄門ファン。
しかし何年か前の石坂浩二さんの黄門さん以来見なくなりました。
主人曰く「石坂浩二じゃ面白くない」んだそうです。
意味がサッパリわかりませんw
2009/02/15(日) 18:00:06 | URL | 緑のおばさん
● ガッツさん
ははあ。伊吹吾郎さんね。
かろうじて彼の頃までは見てました。
一気にチャンバラ復活まではいかないでしょうけど、
いかにも東映らしいアプローチだなと思います。

● 緑のおばさんさん
おそらく、キャラが合わないって事なんでしょう。
石坂さんは品が良すぎる感じで、諸国漫遊っぽくないんじゃないかな。
2009/02/16(月) 01:10:23 | URL | ごいんきょ
時代劇冬の時代
時代劇が絶滅危惧種になっています。
「暴れん坊将軍」や「大岡越前」、「銭形平次」などは今はありません
2011/12/08(木) 17:30:58 | URL | 永山修一
とうとう黄門終了という事で、各方面喧しいですが。
そりゃ日本人らしい日本人がいなくなっていくのだから、
日本人ならではのドラマも無くなって行くでしょう。
今後は、むしろハリウッドで制作し始めるかもしれないですね。
2011/12/18(日) 07:20:17 | URL | ごいんきょ
現実の徳川光圀
水戸黄門のモデルである徳川光圀はドラマのように友を連れて歩きませんでした。
水戸藩の藩主であったとき女遊びをしたり、三味線を弾いたりとやりたい放題でした。光圀の祖父はあの関が原の合戦で有名な徳川家康で、三代将軍家光とは親戚です。
光圀はわが国で初めてラーメンを食べた人物でもあります。老後は何をしたでしょうか。
大日本史の本を執筆し、この本は光圀の死後も発行され、明治時代まで発行されました。
水戸学は幕末の尊王攘夷運動のルーツだということですが、西郷隆盛や坂本竜馬などの志士たちは水戸学を学んだのでしょうか。
2011/12/20(火) 17:02:02 | URL | 永山修一
「水戸黄門」アニメにも影響が
「水戸黄門」はアニメもあり(まんが水戸黄門)、それをベースにしたロボットアニメ(最強ロボダイオージャ)もありました。
「水戸黄門」の時代劇は何者かの作り話で、この作り話は光圀の死後にできたものです。
2011/12/20(火) 17:25:21 | URL | 永山修一
ドラマはあくまでもドラマであって、現実とは異なります。
それはこの番組でも同様です。
元は講談師が作り出した話らしいですが。

水戸学は幕末武士なら学んでない人はいないんじゃないかな。
アニメでも何度か扱われてますが、どれも出来は…(笑)。
2011/12/30(金) 05:19:56 | URL | ごいんきょ
東野黄門
水戸黄門と聞いて私も一言書き込みたくなりました。長いシリーズでしたが、東野黄門の3部から12部ぐらいが一番面白かった気がします。私のベストメンバーは東野黄門、里見助さん横内格さん中谷弥七高橋八兵衛宮園お新、ですね。特に第5部が好きでしたね、五島の姫小林かおり(当時は和枝)敵役の玄竜(天津敏)のシリーズはゲストも充実していて脂ものっている感じでした。この頃は他の時代劇も充実していていろいろな番組を見てテレビもよく見てましたね。なんかとてもなつかしい気がします。
2016/05/15(日) 19:09:20 | URL | おっちゃん
そうですねー。
いわゆるマンネリが完成されていった時期ですからね。
いま見ると第一部とか面白いのですが。
2016/05/20(金) 00:07:28 | URL | ごいんきょ
新参者よりご挨拶にて候
拝啓 以後よろしくお願いいたしたく候。「水戸黄門」と言いますと、まず思い浮かべるのが「人生楽ありゃーのテーマ曲」ですが、ボレロのリズムを意識したといわれるこの曲については語りませんが、数十年前CALの仲介で、大作曲家「木下忠司先生に数回お電話差し上げ、インタビュー」させて頂いた事から、差し支えない部分を公開させて頂きます。まずこの非常に不思議な魅力を持つ水戸黄門BGMは、自分が小学6年生の頃に初放映開始。以後今日まで変わらぬ魅力と悪魔の囁きにも似た魔力で研究対象です。まずは「その編成オーケストレーションですが、当時の録音はマルチでは無くて全て一発録り。最低でも35人位の人数が集まった」と推測されます。特に「弦ストリングスは、チェロに重点が置かれ」ており、重要パートを担います。また「クラリネット、ホルンの多用が特徴的」で、殺陣BGM、風車の矢七のテーマ等が魅力的です。また「偵察や不気味等のBGMには、フルートの唇を振るわせる特殊奏法=一聴では水笛の様な音も特徴です。また「トロンボーンはわざと強烈なアクセントをつけ音を割る奏法」が特徴的で、まずクラシック等では許されない奏法です。また驚くのは「ハンマーダルシマ=チンバロン等の民族楽器の多用」も特筆で、よく木下節には使われますが、実に乾いた良い音色で音にクセをつけます。また「ピアノの使い方も極めて特徴的」で、無くてはならぬ重要なパートを占めます。また「ティンパニーのペダル奏法」も極めて珍しく、トレモロしながらペダル踏んで音程を上下させると言う、まずクラシックではやれない奏法も特筆です。また「エレキギターの音を細工して,琴の音に近くして演奏する」曲もあり、アコーディオンも多様されていましたね。更に「バイブの多用」も魅力的で、殺陣BGM等が良かった。またこれは良く聴かないと通り越してしまいますが一曲、割とコミカルな場面に使われたアップテンポの曲で「伊福部昭先生の地球防衛軍マーカーライトファープ曲」に酷似した曲もあったりして。木下先生いわく「水戸は曲が多くて100曲以上は楽に創った」と。此処で最大の疑問なのですが、この水戸黄門BGMにはシンセっぽい電子楽器が使われていますが、これは一体何なのか?木下忠司先生いわく「変わった音は全てシンセと思って良い。只あの当時はシンセと言うよりもコンボオルガン等といっていた」と。此処が非常に重要な所です。実は1968/9年当時、まだポータブルなシンセは販売されていたか否か? 例えば有名なシンセ先祖元祖ミニモーグの発売は1970年、アープは71年、国産ローランド一号機SH1000は更に翌年でした。実は当時の「京王技研=コルグ」では、伝説的なキーボードデカコルグ」が試験的に販売され、密かに人気になっていました。木下先生が言われるコンボオルガンとはこれが一番近いのですが、残念ながら1968/9年当時出来ていたのか?試作品段階だったのか?はっきりしませんし、肝心のポルタメント奏法が出来たのか?が解らないのです。特に水戸BGMには「シンセっぽい音=割と矩形波のクラリネット的な音?を使ったポルタメント奏法が多用」されており、非常に興味が湧きます。しかも音のピッチが悪く揺れているからです。此処で考えられるのが「実はシンセでは無くて、オンドゥマルトゥーノでは無いか?」と。このオンドゥマルトゥーノは「ヘンリーマンシーニの刑事コロンボ」や「バリーグレイ氏のスティングレイオリジナル言語版テーマ曲」等に多用されており、一聴シンセに聴こえますが実はシンセでは無かったと。驚きですが真実でした。しかし此処で一つ疑問が。それは「時々出てくるシュワーーーっ」と聴かれるノイズジェネレーターを使った様なノイズ音をご存知でしたか? 特に初期テーマ曲のイントロに聴かれるシンバルと同時に鳴る変な音」とか。実はこの当時のオンドゥマルトゥーノにはこのノイズ発生が出来なかったらしいのです。この程度のノイズエフゥクトは他にも方法がありますが、何とも謎なのです。更には名曲名メロディー揃いの水戸BGMですが「3拍子のマーチ」ってぇのがご存知ですか? これって名曲なのですよ。更には「殺陣BGMの見事さは特筆」で、小川寛興先生の赤影BGMさえ凌ぐ様な名曲揃いで、もうたまらない魅力満載です。特に弦の使い方が良いなぁ。更に贅沢なのが「二人のサスペンダーシンバル 一人はハード固いスティックで、もう一人はソフト柔らかいスティックで二つのシンバルを叩く」と。特に後者ソフトは「ドラ、ゴングの様な音」も出ますから。更に「セットドラムや細かいパーカッションの使い方もとにかく芸が細かくて、細部までよく練られて」いますからね。また当時「音楽録音したスタジオは何処か?」なのですが、関係者の話では「ナレーションを録音したのはおそらく早稲田アバコ」だと。現在のアバコに問い合わせたら「確かに当時、芥川隆行のナレーションは録音した覚えがあるが、BGMはうちでは無い」と。では一体何処のスタジオでこれだけの音楽録音をしたのか?どうも当時の関係者も続々死んでいてすでにはっきりしない点も多くなっています。どちら様かご教示下されば嬉しいです。つまり当時のスタジオが解れば、エンジニアも割れる。ってぇと謎のシンセっぽい電子楽器の正体も暴かれるっと。どちら様かどうしても情報が欲しいです。自分は小学6年からこのBGMにのめり込み、中学時代には安いオープンリールレコーダーにテレビそっくり録音し、BGMのみを切り取り継ぎ接ぎ編集して一曲完成させて聴き狂っていましたね。正式BGMCDの発売される実に数十年前からでした。何せ台詞がかぶらない音楽を探すのが大変でしたが相手は本物ですからね。音が悪く最悪だったが楽しかった。しかし、当時から数十年「未だに発売されないBGM」も多く、この挑戦は死ぬまで続きそうですね。木下忠治先生は自分の事をきさくに「君付け」で呼んで下さり、実に途方も無い物凄い情報を頂きました。しかし、この点だけは「黙って墓場まで持参」いたします。また何か思い出しましたら書かせて頂きます。敬具にて候。
2017/03/31(金) 16:18:51 | URL | よしたかくん
> 人生楽ありゃーのテーマ曲
ぺぇーーーーぇぇぇ!
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、
カァァーーーーーっ!
ベン、ベベベベン、ベベベベン、ベベベベベベベベベ…

↑あっ、これスルーっすか?
ありゃりゃ(*_*)
「おばあちゃん、水戸黄門始まったよ!」(午後4時の再放映のイメージ)なんてね。
「カァァーーっ!」の楽器、学校の音楽準備室で盛り上がったもんだけどなぁ(笑)。

100曲以上は楽に創った、となると、放映開始後に
追加されていった曲がかなりあるのかもしれませんね。
放映期間も長いですし、それなりに時間をかけて追加されていれば
普通にシンセ使用の曲もあったのかも?という気もします。
もう検証なさっているかもしれませんが、
どの曲がいつ初登場したのか調べてみると面白いかも?

「シュワーーーっ」はラジオの局間ノイズの利用だったりして?
しかし、あまり一般的でない技法が使われた可能性もあるとなると、
誰かしらブレーンがいたのではないか?という感じもしますね。
それも大物だったりして…1968~69年というと、
ちょうど大阪万博(企業パビリオンなどで電子音楽多用)の
準備してる頃だよな、というのも気になります。
オンドゥマルトゥーノ(オンド・マルトノ)は1931年には
日本に入ってきているそうですから可能性はありそうですね。
2017/03/31(金) 20:23:38 | URL | くろねき
くろねき様へ 早速の斬り込み感謝にて早漏
拝啓 くろねき様 「物凄いすさまじい、極めて現実的VRなサウンドを描写」して頂き感謝にて早漏、では無かった候(汗っ) 全然全くスルー等いたしませんが、なるほど「レディオの局間ノイズ」と言うのは考え付きませんでござった。また影の大物フィクサー説並びに大阪万博近しの為の準備前夜 と言う極めて現実的な時代の波と言うのも衝撃的な発見でした。うーんなるほどごいんきょ様の下に集まられる方々はレベルが高いと。思えば「黛敏郎さんや冨田勲先生」等も、万博パビリオンの為の電子音楽などを、NHKで創ったりしていたか、しようとしていた時期とも重なりますね。しかもスポンサーの松下は大阪。ローランドの元もとの基本を造ったと言われるエース技研も大阪。何かここらへんに疑問解決のヒントがありそうですね。いやくろねき様の鋭いご指摘に感謝し、更に皆様方の鋭い「突っ込み」を心より期待いたし候。敬具でござった。
2017/03/31(金) 23:51:07 | URL | よしたかくん
Re:感謝にて早漏
> 「物凄いすさまじい、極めて現実的VRなサウンドを描写」

そう言っていただけるとこちらもかき甲斐がありカウパ(ry

> うーんなるほどごいんきょ様の下に集まられる方々はレベルが高いと。

いや~、こればかりは公式パンフ読み込んでるだけはあるかもしれませんね、
まぁレベルではなくヒマの為せる技ですけどね(笑)。

> 「黛敏郎さんや冨田勲先生」

武満徹さん(「ノベンバー・ステップス」という作品が有名ですね)や
「日本一のパンケーキ使い(?)」(食べるほうじゃなく
アルテックのスピーカーユニット・モデル755のこと)であった
音響エンジニアの伊藤喜多男さんのお名前も浮かびますね。
ご両名とも万博に関わっておられます。

ラジオ受信機(特にFMのそれ)にバンドパスフィルターがあれば、
ごく簡単な音源ができると思います。
当時の日本には当然そのどちらもありますから、
発想があれば作ることはできたでしょうね。
そういえばエレピアンやビクトロンといった
国産電子ピアノも登場は確か'60年代でしたよね。

それとモーグ・シンセサイザーは、1964年には
プロトタイプが開発されていたようですね。
平凡社の「ファンタスティックブック」(大人向けの絵本です)に
そういえばそう書いてあったのを、前レスの後に思い出しました。
AESコンベンションでの発表年を開発年として書いてあったみたいです。

本物のモーグは、それこそ冨田勲さんが大変な苦労をされて
個人輸入なさった話が有名ですが、
公開の場で発表はされてた訳ですから、ある程度の模倣は
日本でも可能だったんではないかと思います。

日本には何しろエサキダイオード(トンネルダイオード)という
大発明をし、商品化まで持っていった企業がありますから、
自前の電子楽器を開発するのにはむしろ恵まれた環境にあったかもしれません。
今では当たり前のオペアンプICを、世界で初めて音響製品に
組み込んだのも日本企業で、しかもこれは1968年頃の話です。
2017/04/01(土) 03:40:20 | URL | くろねき
くろねき様へ 久々心底やりがいの在る議論に感謝を
拝啓 いや久々こんなにやりがいの在る議論に参加させていただける事、ごいんきょ様、皆様に心より感謝を。只自分が一番恐れる事は「ここはごいんきょ様の城 自分よしたかだけが気持ち良くなる自慰行為の場所では絶対に無い」事。この様な極めて身の在る議論はぜひぜひ多数の皆様にぜひぜひご参加頂きたいと。電子工学専門家、電子楽器開発担当者、当時のスタッフの方々などなど、ぜひご来訪下さい。自分は過ちがあった場合、決して意地を張らず間違いは正します。くろねき様の指摘は正しいものです。しかしどうしても解らないのは「木下忠司先生の言われた、コンボオルガンってえ呼ばれていたシンセ?」って何なのか?と。当時「ミニモーグ(ムーグは明確な誤り)登場により、シンセってぇ言えば、アープであろうとEMSでもローランドでもモーグ?」と呼ばれていた事実。これは各社の電子オルガン全てをエレクトーンと呼んでしまっていた事実。ドクターモーグの大型のモジュラーシンセはすでに造られ販売はされていましたが、こんなとんでもない化け物が使われたとは到底思えませんね。更に実はモートンブックラーも現代音楽理論に基づくシンセを造り販売していたのもこの前後の時期。しかしブックラシンセには極一部の機種以外は鍵盤が無かったと。タッチボードやアナログシーケンサーで動いていたと。この機種も使われたとしたら怪しい。実は水戸黄門BGMの「探索、夜の場面等の例のポルタメント電子楽器が鳴る所、よくよく聴きますと、低音部に実はもう一音、極低音で電子楽器の音と確認されるフレーズ?」が鳴っています。つまりマルチでは無く一発録りならば2台のシンセ?が使われていた事にもなります。益々全然解らないのです。当時の貧相なコンボオルガン程度ではこんな音はまず出ない。確かに当時からの日本の電子工学は素晴らしいもので、その後日本のシンセが世界を席巻した事実が物語ります。もしかして只の発信機だったかもしれない。しかし確証が無い。これを考えますと夜も全然眠れません。ぜひぜひ皆様のお力をお借りして謎を解きたいですね。今後ともくろねき様、ごいんきょ様、権兵衛様、高校教師様などなど、ぜひよろしくご指導お願いいたします。敬具
2017/04/01(土) 11:37:31 | URL | よしたかくん
Re:よしたかくん様
前略

まず前レスの訂正を…

> 今では当たり前のオペアンプICを、世界で初めて音響製品に
組み込んだのも日本企業で

これは「世界で初めてほぼオールIC化されたステレオアンプ」の誤りでした。

現在は電源保安機器の専門メーカーである日幸電機の製品で、
TRM-50(1969年9月発売)というのがそれです。
その後平凡なデザインに戻ってしまいましたが、なぜかこの時期の製品だけ
ピアノキー式スイッチが特徴のハードボイルド感溢れるステキなデザイン。
創業事業のサーキットブレーカーはもちろん、
ICや回路モジュールも自社開発していたようです。

さて本題ですが、コンボオルガンとはハモンドオルガンを電子楽器化したもので、
いわゆるコンボスタイルのバンドで使うことを
想定しており、名称の由来もそれらしい…とのこと。
トランジスタオルガンと呼ぶこともあり、シンセサイザーには含まれないそうです。
(「偏ったDTM用語辞典」による http://www.g200kg.com/jp/docs/dic/ )

ハモンドオルガンといえばロータリースピーカー
(レスリースピーカー)というものがありますが、
もしかしたらこれを援用したことも考えられるのではないでしょうか?
DTMで言うフランジャーのような効果は出せたのではないか、
と思いますがいかがでしょう。

モートン・サブトロニック(Morton Subotnick)、ドナルド・ブクラ(Donald Buchla)、
それにラモン・センダー(Ramon Sender)を加えた3氏が開発したのが
ブクラ・シンセサイザーですね(ブックラと表記されることが
多いそうですが、発音的にはブクラのほうが近いそうです)。

ちなみにブクラ氏は昨年79歳で亡くなったそうですが、
日本初導入とされるブクラ・シンセサイザーは、
1970年に東京芸大の音響研究室に設置されたものだそうです。
放映中に追加された曲がある説を出しましたが、
仮にそうだったとすれば充分間に合いそうですね。

敬具
2017/04/01(土) 20:59:45 | URL | くろねき
くろねき様へ 早速のコメント感謝を
拝啓 何か全く久々血が騒ぐのです。若かったあの頃、何も怖くなかった、、、実はこの問題解決の為に、近々ある場所に乗り込もうか?と考えておりました矢先でした。すでに関係者の大半がおっ死んでいる中、現役に近い国民的ドラマでこれだけ謎が多いのは聞いた事が無いと。おそらくある点ではくろねき様の主張は当たっている。しかし「音を連続してなめらかに鍵盤上下させられる機能は、幾らハモンドでも不可能だったはず」です。此処でご指摘のあった「ブクラシンセ」は、ごく一部の小型機種の写真を見たら、簡易な37キー位のキーボードとインアウトジャックがついていました。やはりこの当時は何かこう言った「シンセっぽい電子楽器」が使われていて、通称コンボオルガン名義の上に乗せられて弾いていた?のをたまたま木下忠司先生が見られた?様な事も推測できます。但しブクラ初導入が1970年としたら、1968-9年のBGM録音には到底間に合いません。実は、自分が中学生の頃「学校の理科実験室に、オルガン管」と言う不思議な器械?があったのを思い出しました。これは「トコロテンを押し出す器械の先に口で吹くマウス?」を取り付けた様なおかしな楽器で、吹くとまさにポルタメントの音階しか出ないと。ああいう音が近いのか?と。しかしまさかあんな単純な楽器もどきが使われたとは思えません。今月中には「最も重要な関係者が居た」と思われる某所に攻め込む?つもりですので、何か解り次第、この場所で報告いたします。いゃまた今晩眠れねぇなぁ、、、敬具
2017/04/02(日) 15:42:59 | URL | よしたかくん
木下忠司さんがそんなに電子音を操っていたというのが、かなり意外なんですがね。
お弟子さんの仕事とかではないんですかね。

音頭丸殿がそんなに早く日本に有ったというのは意外でした。
2017/04/16(日) 09:55:19 | URL | ごいんきょ
「あの時代に尊皇じゃない武士というのは基本的にいません。」とありますが、あの当時は「日本国」という概念は乏しく武士にとっては自藩が何よりも大事であり、その上に君臨する「大公儀」=「幕府」は敬うものの、天皇の存在を知ってはいても敬うまでの気持ちなどなかったのでは。薩長が「大公儀」に対抗するために担ぎ上げた神輿が「天皇」なだけであって、明治以降生じた皇国史観に魅入られた人達がよく口にする「常に日本の中心には、神聖な天皇がいて民衆から崇敬され、政治、文化、伝統に影響を与え続けてきた。」 などというのはたかだか150年くらい前に植え付けられただけでしかありません。
2017/05/25(木) 17:05:54 | URL | (ハンドル未記入)
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