私的 昭和テレビ大全集
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それは秘密です!! (1975)

それは秘密です!! タイトル
ひみつ (チャン!)
ひみつ (チャン!)
ひみつ 「それは、秘密です!」
チャーチャチャチャチャチャ チャチャチャチャチャーチャ
チャーチャチャチャチャチャ チャチャチャチャチャーチャ
チャラツチャチャー チャラツチャチャ
チャーツーッチャチャッチャ ツチャチャーチャー


舞台上装置にあるタイトルのアップ画面に、
女声による「ひみつ」というコールが何度か有った後、
司会の桂小金治が番組タイトルをコールして始まっていた、それは秘密です。
特ダネ!登場とか、お笑いスター誕生などと同じ感じの、
日テレ公開番組の共通フォーマットとも言えるOPでした。
日テレ火曜7時半という事で、先日のゲバゲバ90分の後輩枠ですね。
芸能人ゲストが何人か回答者として出演、列席し、
それぞれにまつわる秘密の人を当てるのが前半。
恩師との数十年ぶりの再会とか、それなりに感動はあるものの、
これはまだほんの小手調べ。
この番組は、ほとんど後半の素人さんのご対面のために存在しました。

とにかく毎週毎週、30年ぶりだの、40年ぶりだのの再会という触れ込みで、
よくもまあ、こんなに何十年もはぐれた親子がいるものだと不思議でした。
父親がとにかく好きだった番組で、毎週観ては泣いておりましたです。
裏番組は先に述べたぴったしカンカンで、ワタクシはお涙ものが嫌いなので、
前日の水戸黄門はあっさり譲っていたものの、こちらはわりと食い下がりました。
で、観たい番組を邪魔されるという悔しさがあったので、
こんなの本当の話なの?とか悪態ついておりました。
まあ、そのくらいに、何十年ぶりの再会が毎週ある事が不思議だったんですね。
そしたら、「戦争の時っていうのは大変だったんだから」と言われ、
ああそうか、そうだったよな、と納得したのでした。

そのように、戦争中や戦後のドサクサなどで親と生き別れになった子供さんが、
番組に応募して捜してもらうケースが圧倒的に多かったです。
小金治が事情をとうとうと読み上げる最中、そのご本人は、
それを聞きながら既に目にハンカチを当てている状態。
読み終えた小金治が絶叫しつつ舞台右側を指図すると、
探し求めていたお父さん、お母さん、兄弟姉妹が泣きながら登場し、
舞台中央で抱き合って、あとはもう、ただただ涙で会話にもならず、
というケースがほとんどだったと思います。
その様子を見て、ゲスト達もですが、小金治はひときわ滂沱たる涙。
アフタヌーンショーで怒りの小金治と異名を取った彼が、
「泣きの小金治」へと180度転換した異名をこの番組で得たもので、
二人が抱き合う姿を見守りながら、「良かったねえ」と声を掛けてました。
そんな様子を数分間も映した後、EDテーマ(曲はOPと同じ)が流れだし、
小金治による口上で締めくくられて番組は終わりました。
口上というのは、そのご対面者の引き裂かれた事情やその後の生活などを、
語呂よく説明文にしているもので、完全にご対面をショーアップしてました。

ワタクシはそもそもお涙頂戴が好きではないのですが、
こうやってあからさまにショー化したスタイルが鼻につき、
それもあってこの番組が、当時はあまり好きではなかったのです。
また、毎週毎週同じ様なシーン…
当時はその部分だけを切り取ってしか見てませんでしたから…
を観ていながら、毎週毎週同じように泣いている父親が、なんか滑稽でした。
で、ぴったしカンカンを観られない腹いせもあって、
「よくおんなじようなシーンで毎週毎週飽きもせずに泣けるな」とか、
「こんな感動の押し売り」とか、悪態をよくついておりましたですね。
我が家は父親も母親も戦前の生まれではありますが、
どちらも九州の農家の人間ですから、戦争の悲惨な体験は無いようで、
食べ物を含めて、当時は苦労したという事は無いようです。
むしろ、東京に出てきてからの独立した生活の方が大変だったでしょう。
それでも年の離れた兄が戦死していたり、
周りには悲惨な人も多かったでしょうから、
戦争中の話は実感として理解できていたわけです。
それに、よく考えてみれば、親を捜していた人たちは、
まさに我が親世代の人々であったわけでしょうから、
尚更まったくの他人事では無かったんでしょう。
若さというのは馬鹿さであって、それ故に邁進できる部分もある反面、
それ故に踏みにじる部分も多く、今にして思えば、
我ながら愚かな事を言っていたなあと思います。
まあ、卓見している中学生しか世の中にいなくても気持ち悪いんで(笑)、
あの頃はそれで良かったんだろうとも思います。
それなりの年齢になって解れば良い事なんだろうと。
あの頃、なんでこんなに簡単に泣けるんだと親父を不思議がっていた自分が、
今では、若い奴は誰も泣かないような他愛も無い映画で滂沱たる涙です(苦笑)。

提供は、ハウス食品と明治生命でした。
ハウスはこの当時、進出間もないラーメン市場に大量広告を導入。
そのシャンメンのCMでは、「私作る人、僕食べる人」というものが、
男女差別だと抗議を受けて放送中止に。
どこに差別性があるというのか!!!!!!!!!!!!!
ああ、これ、こないだ言ったばっかですよね(笑)。
明治生命の方は、有名なアイムア・チャンピオンのCM当時です。
お猿のボクサーの人形が、キーッキーッと歯をむき出したりしながら、
両腕を振り回し続ける映像に、「アイムア・チャンピオン」という
ナレーションが延々と続き、いきなり「アイム…」と途絶えて
猿の動きが止まってしまうというCM。
止まった後、人間の手が出てきてネジを巻き直して、
「カーン」とゴングが鳴り、再び動き始めるんですけど。
とは言え明らかに「死」を意識させるCMで、ショッキングでした。
これもCM史に残るCMで、印象深い人は多いと思います。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
ウチのばあちゃんも毎週泣いてました(^_^;)
いつも楽しく拝見してます。

懐かしいですね~。ウチのばあちゃんもこの時間はテレビの前にかぶりつき&号泣モードで見てました。当時小学生だったんですが、なぜか毎週付き合わされてました(;´_`;)

明治生命のボクシング猿CMも懐かしい。
一社提供だったような記憶だったんですが、ハウス食品もスポンサーだったんですね。
2006/09/15(金) 09:56:06 | URL | レオ社長
ハウス食品
社長さんでらっしゃいますか。セレブだなあ(笑)。

お婆ちゃんもこういう番組は好きですよね(笑)。
今のご対面番組では、離ればなれになった事情が
親の勝手な都合というのが多くて、怒りの方が先に立っちゃいますけど(笑)、
戦争の時代を経験した人たちは、本当に気の毒な事情でしたから、
そういう時代を生きてきた人たちには
一層たまらないものがあったでしょう。

ハウスはこの頃、本当に積極的にCM攻勢をかけて成功しました。
フジのアニメ名作劇場も、この時期ですしね。
2006/09/16(土) 00:10:34 | URL | ごいんきょ
ごたーいめーん!
>裏番組は先に述べたぴったしカンカンで、ワタクシはお涙ものが嫌いなので、
前日の水戸黄門はあっさり譲っていたものの、こちらはわりと食い下がりました。

そうそう。
私も、ぴったしカンカンを観たいのに、
父親がこちらを観たがるので、
火曜日は、父が早く帰ってくると、ガッカリしたモノでした。
(なんて娘でしょう)

これって、結構長く続いていたと記憶していて、
ウィキペディアで調べました。
1987年9月で終了、とあります。12年か。
確かに長いんですけど、もっと続いていたような…。
おかしいわ、と思いつつ、更に読んでいると、
1988年4月から「ルックルックこんにちは」の中の、
「小金治の涙のご対面」というコーナーとして
引き継がれた、とありました。
テーマ音楽も、同じモノをそのまま使ったそうです。
ああ、それで、と、自分の記憶にも、納得できました。

なぜ、おかしいと思ったかといいますと…。
実は昔、ほんの数年間でしたが、
子どもたちから「センセー」と呼ばれていたことがありました。
その時の教え子のある子が、
「僕が有名人になって、先生をご対面コーナーに呼ぶ」って
かわいいことを言ってくれていました。
それで、そういう仕事をしていた時期には、
まだ、ご対面コーナーが世の中にあったはず、と思ったのでした。

その子は今、大工さんになっているそうです。
今は、遠方に越して、仕事もかわってしまったため、
その頃のことは、ほとんど忘れていましたが、
懐かしいこと、思い出しちゃいました。
2007/05/15(火) 09:45:12 | URL | 秋桜
涙のご対面
秋桜さん、はじめまして。よろしくお願い致します。

「ルックルックこんにちは」の中の、
「小金治の涙のご対面」のコーナーは見たことがあります。
金曜日にやっていました。
前半が「テレビ三面記事」、後半が「涙のご対面」でした。
(以下、「ルックルックこんにちは」のスレに続く)

本番組ですが、私の家でもよく親(特に母親)がよく見ていました。ご対面のシーンになるとよく母親がもらい泣きしていたのを覚えています。

それにしても、この時間の明治安田生命の提供は長くやってますなあ~(ちなみに明治生命は安田生命と合併しております。)
「ラララ~、ララララ~、言葉に できない~}(by小田和正)
2007/05/15(火) 23:46:05 | URL | yig
小金治さんと明治生命
yigさん。私の母ももらい泣きしてたことがありますよ。あの人がかつてアフタヌーンショーやってた人だとは後で知りました。
 この番組って途中でステレオ放送になりましたけど、幼い頃に聞いたのと違ってとても迫力がありました。
 明治生命がスポンサーだったのもクレジット共々覚えてます。覚えてるCMは、鳩時計が正時になって「ハッピー、ハッピー」と鳴き、オルゴールが回りだすものです。生保としてはいかにもベタですね。
2007/05/16(水) 01:53:33 | URL | かじか
● 秋桜さん
見たい番組がある曜日は父親の帰りが遅くなるのを願う。
同じです。大変健全な子供ですね(笑)。
ルックルックの方もたまに見てました。
しかし、泣かせること言ってくれる生徒さんですね。
それだけ秋桜さんが慕われてたんでしょうが。
音楽関係の講師さんという事かな。
モデラートさんもなんとなくそれっぽいんですけど。
音楽的才能皆無に近いワタクシからすると憧れの存在です。


● yigさん
ワタクシもルックルックもたまに目にしてました。
ただ、好きな番組ではなかったのですぐチャンネル替えてましたが(笑)。
枠で占める割合が少なくなってもその枠に居続ける例は多いですね。


● かじかさん
ああ、そんなCMも有ったかな。
2007/05/16(水) 02:53:42 | URL | ごいんきょ
この番組はクイズ番組なのかな。
男性軍に鶴光師匠、三橋達也さん
女性軍に司葉子さんが出てたような 

ゲストの人の、あるいはゲストとは関係なくさまざまな人のご対面の相手が誰なのかを当ててゲストとご対面する番組だよね、確か。
 
2008/07/09(水) 13:49:37 | URL | 梅吉
そうですね。大別すればクイズ番組になるのかな。
その後のルックルックの1コーナーになった時には、
余計な演出は一切省いてご対面だけやっていたと思いますが。
2008/07/15(火) 07:06:56 | URL | ごいんきょ
うちの婆ちゃんも毎週号泣してました
レスしている皆さんのお宅同様、大正生まれのうちの婆ちゃんも毎週号泣していました。婆ちゃんも娘時代のお友達が終戦直後の混乱で行方不明とかで殊更感情移入して見ていました。小金治さんも巧かったですよね。今は、あんな名人芸の人いませんね。
2012/09/10(月) 20:17:07 | URL | とらお
そうですか。
お婆ちゃんもお友達の安否をぜひ知りたかった事でしょう。
今、みのもんたさんが小金治さんを継ぐ気なんじゃないかと思うんですよね(笑)。
2012/09/11(火) 00:51:37 | URL | ごいんきょ
アイムチャンピオン
確かに当時、あのCM流行ってましたねぇ。関係ないんですが、当時、西城秀樹さんの「ブルースカイブルー」のB面の曲名が「アイムチャンピオン」で、友人達によくあのCMの曲?って聞かれてました。(笑)それこそ全然関係なくて、ただの偶然だったのですが。
2014/02/10(月) 18:32:42 | URL | ろみたん
だって、結構ドッキリしましたよ、あれ。
秀樹さんの歌は知りませんでした。
2014/02/12(水) 06:56:18 | URL | ごいんきょ
opの口上
確か、雨止んで人傘を忘れる、とかく人は忘れがちなものです。推理と思い出の御対面、それは秘密です。と言う感じでしたね。やはり他の人もコメしてますが、我が家でもこの番組は祖父、祖母共に好きでしたね。最後の御対面の時は、年に何回か逢えずに終わるパターンがあり、その時はいつも以上に小金治師匠が泣いて謝っていた気がします。
2014/07/24(木) 22:59:01 | URL | かむい
「雨止んで、人傘を忘れる」。言ってましたねえ。
まるで小泉以降の自民党のようだ(笑)。

あ、逢えなかった事も有ったんでしたっけ。
そう言えば、もう亡くなっていたとかも有った気が。
2014/07/27(日) 08:00:35 | URL | ごいんきょ
手紙を託した人も…。
どうしても会う事が出来ない。と番組スタッフに手紙を託す場合があったような覚えがあります。かむいさんの書き込みの通り、いつもより小金治さんが旨いんです。特に最後のエンディングコメント。玉置さんの曲紹介のような「嫌いで逢わないわけじゃない…。」みたいないい感じの五七調で。婆ちゃんはいつも以上の大号泣、爺さんは新聞を読むふりをして涙を隠していました。今、この枠は火曜サプライズですか。毎回毎回、番宣ゲストと大食いデブタレの共演。芸が無いですね。よって見ていません。
2014/07/27(日) 09:21:59 | URL | とらお
ああ、有りましたね、手紙を読むというのが。
それから、亡くなられていた場合は、取材して得た話を、小金治さんがとうとうと説明していたかと。
「お母さんは~の仕事をされて、ずっとお子さんの事を気にされていたそうです」とか、
会えなくなった人の生涯を語ってましたね。

今ではこういう番組は、非常にわがままな理由で離れ離れになったというものばかりになるでしょうから、
やはり時代が生んだ番組ですよね。
2014/07/29(火) 06:34:33 | URL | ごいんきょ
思い出した事あ
最後のご対面のコーナーで思い出した事らあります。会う人によりBGMが違ってました。兄弟との再開の時は赤とんぼor故郷、肉親の時は(父親であっても)母さんの歌が流れました。
2014/09/09(火) 23:29:59 | URL | かむい
そうでしたっけ。
なんか小金治さんの語りしか覚えてないです。
い、う等、まだまだお待ちしてますよ(笑)。
2014/09/11(木) 06:23:39 | URL | ごいんきょ
小金治さんがお亡くなりになられたそうです
2014年11月3日、桂小金治さんが肺炎のため88歳でこの世を去られたとのことです。

この番組、正直記憶にありません。
なので結構昔の番組なのかなと思ってたのですが、1987年9月まで放送されていたので思ったより最近(と言っても昭和の終わる少し前ですが)までやっていたんですね。
裏の「火曜ワイドスペシャル」のほうでも見てたのかなぁ...
当時の火曜夜のフジテレビは「サザエさん(再)」「火曜ワイドスペシャル」「なるほど!ザ・ワールド」という大鉄板の番組リレーが完成されてましたし。

後に涙のご対面コーナーのみ独立して「ルックルックこんにちは」の1コーナーになったのはよく覚えています。桂小金治氏がコーナー司会を継続して、そちらでも「泣きの小金治」の名に恥じない泣きっぷりを披露していましたね。

桂小金治さんのご冥福をお祈りします。
2014/11/06(木) 09:31:56 | URL | 通りすがり
まずは
司会だった桂小金治さんのご冥福をお祈り申し上げます。安らかにお眠りください。

本番組、存在は知っていましたが、裏番組の「ぴったしカンカン」や81年10月以降は「火曜ワイドスペシャル」を見ていたのであまり見ていませんでした。
高校2年から卒業までは火曜の夜が予備校でテレビ自体見れず、浪人生活に入った87年4月から、裏番組が終わったり興味なくなったので終了までの半年間毎週見ていました。
「涙の対面」コーナーはもはやコメント不要ですが、ゲストの対面コーナーで大沢逸美さんがゲストのときに出身の札幌の中学校時代の先生が出て、芥川隆行さんのナレーションでその中学校が僕の父方の従兄と同じと知り驚きました。

解答者は女性チームのメンバーが当初は司葉子さんや扇千景さんといった大御所クラスが中心でしたが、僕が最後の半年間に見たときは天地総子さんがリーダーで、「オバケのQ太郎」の声をされていたので内心でテレビに向かって
「オバQ!」
と叫んでいました。

スポンサーも明治生命は開始から終了まで一貫していましたが、ハウスは記憶がなく、最後の半年間に見たときにロート製薬が加わっていました。
2014/11/06(木) 18:25:40 | URL | リオ
● 通りすがりさん
そうですね。訃報によって、ここも1日2日来客数が増えました。
ポンポン大将が検索一位だったのは意外でしたが。
アフタヌーンショーではここの検索表示順位が下の方なので、あまり増えませんでした。
『ルックルック』も勿論スレ有りますので。


● リオさん
やはり『ぴったしカンカン』の裏でしたから、子供が強い家では見てなかったでしょうね。
あまり子供が見て面白がる番組ではなかった。
出演者のご対面も有ったんですよね。でもそちらは非常に軽い作りで(笑)。
天地総子さんの記憶はワタクシには無いので、その頃はきっと自分の部屋を借りるようになって、
独自テレビ生活を満喫していたのだろうと思います(笑)。
だからロートが提供になったのも知らなかったですね。
鳩を飛ばさなくてもバラエティの提供をやっていたなんて(笑)。
2014/11/09(日) 09:42:58 | URL | ごいんきょ
ロートさんは
このころになると一社提供番組以外にも複数社提供番組のスポンサーになるケースが出てきて、あの「クイズ!ひらめきパスワード」も野村啓司さん司会のころはロートさんの一社提供だったのが最後の半年の山城新伍さん時代はロートさんを含む複数社提供になっていました。
景気や時代もあるのでしょうか、一社提供番組はほんと希少になりましたね。
2014/11/09(日) 18:43:26 | URL | リオ
元々がロートならともかく、他者枠にロートが入り込むというのは、
かなり異例なんじゃないかな。
2014/11/09(日) 21:29:37 | URL | ごいんきょ
涙のご対面
平成に入って「嗚呼!バラ色の珍生」へと引き継がれる事となりますね。

日テレ火曜7時台の明治生命枠、明治安田生命になってからもつい最近まで続いていましたね。「伊東家の食卓」もメインスポンサーでした。
2017/02/16(木) 05:51:54 | URL | TSUSHIMA
今さっき聞いた話ですが(笑)…
うちにもこんなエピソードが。

ある日、母方の祖母が血相を変えて母に電話してきたそうです。

 「テレビつけてみなよ!○○ちゃんが出てるよ!」

テレビをつけると、画面には蒸発した旦那に
涙ながらに呼びかける母の同級生の姿があったそうです。

旦那は結局見つからなかったそうですが、母の郷里の地銀支店に勤めている関係で、
その同級生と母は最近も顔を合わせているようです。
2017/02/17(金) 19:07:20 | URL | くろねき
● TSUSHIMAさん
この番組は、戦争によって運命が変わってしまった人々ばかりでしたが。
今でも番組が作れるものなんですねえ。


● くろねきさん
それはワイドショーとかの探し人コーナーでしょうね。
蒸発っていうのも聞かなくなった言葉だな。
2017/02/19(日) 13:24:56 | URL | ごいんきょ
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