私的 昭和テレビ大全集
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ベスト30歌謡曲 (1972)

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さてさて、一週間に渡って水曜の番組を振り返って参りました。
その締めとして、本日は二本立てであります。
整理すると、ワタクシにとって水曜日の記憶というのは、
7時はフジテレビのアニメかTBSの日本一のおかあさん。
7時半が特ダネ登場で、8時が石立ドラマと続けて日テレ、
9時がTBS水曜劇場、10時がNETの特別機動捜査隊→特捜最前線、
てな感じになります。明日からは木曜特集。
既に一部予告済みですので、2日はテーマを考える必要が無いです(笑)。

「ベスト30、歌謡曲」
という静かなコールで始まっていたこの番組。
ベスト10はベストテンと読むのが一般的でしょうが、
ベスト30はベストサーティではなく、べすとさんじゅうと言ってました。
和洋折衷。
大和魂を持って、西洋の文化も取り入れる日本文化の懐の広さよ。
そんな意図は欠片も無いと思いますが(苦笑)、
ランキングを羅列する音楽番組もそれまでいくつか例はありましたが、
この番組はなんと30曲のランキングが、中央ステージと客席を取り巻くように
ズラーッとスタジオ中に並んでるんですから。
それは圧巻でした。 ボードに書かれているのは、
芸名・出身地・得点・登場回数・タイトル・順位・初登場順位・その週の順位。
初めて観た時は、こりゃー凄い番組だなあと思ったもんです。
が、それは上げ底で(笑)、30曲すべてを紹介するわけではありませんでした。
ランキングからポツポツとかいつまんだ曲の歌手がその都度紹介され、
出てきて歌うというもので、結果的には従来の音楽番組とあまり差は無かったです。

初代司会者は愛川欽也と五十嵐じゅん。
のちに淳子と改名し、中村雅俊と結婚しました。
司会はそれほど長くない間にけっこう替わっており、
森田健作がスポンサー繋がりでやっていた時期もあり、
その頃の女性司会は、西口久美子でした。
青い三角定規。多くは語りますまい(苦笑)。
この頃の音楽番組の司会というのは紋切り型で、
ラジオの音楽番組をそのままテレビにしたような趣のばかりでした。
夜ヒットの前武や井上順、紅白の堺正章なんかが多少は砕けた感じにしましたが、
この番組はごくごく普通の音楽番組として進行していました。
だから、あまり記憶に残っている事はありません(苦笑)。
最末期と思うけど、ピンクレディーが毎週のように出ていたのは覚えてます。
モンスターを最初に歌ったのはこの番組じゃなかったかなー?
あの辺からどんどん歌が幼児化していって、うーむ…と思い始めました(苦笑)。
カメレオン・アーミーまではこの番組が有って、歌ってたと思います。
この番組で歌われた最後の曲は、カメレオン・アーミーだったかな?

提供は、グリコ、フェミニンなどでした。
モリケンをスポンサー繋がりと書いたのは、かような次第です。
グリコアーモンドチョコレートは、その昔は、
そのままの歌詞のCMソングで一世を風靡しましたが、
70年代あたりからお似合いの芸能人カップルを使い、
青春のイメージでCM展開やり出しましたっけ。
モリケンは確か、岡田奈々とやっていたかな。
すぐ後の百恵・友和コンビはベタすぎたと思いますが。
フェミニン。 フェミニン♪というジングルで、
女性の髪が流れるような映し方をするCMだったかと。
最近聞かないし、検索しても公式サイト見当たりませんね。
これはもう無くなったのかな?
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[猫カフェ]futaha



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この記事へ寄せられたコメント
じゅんきんコンビ
愛川欽也と五十嵐じゅんの司会で "じゅんきんコンビ" と言ってました。放送は、NETでしたよね。
ご指摘のとおり、スタジオ収録で、周りに観客席がありました。ラジオの公開録音風の番組作りではなかったでしょうか。

はっきり思い出せませんが、途中で五十嵐じゅんが、司会を降りちゃったのではないでしょうか。がっかりした覚えがあります。その後の森田健作と児島みゆき(だったと思います)の司会の時までは、見てました。

五十嵐じゅん見たさに見ていたようなものです。初めての司会は、かなり危なっかしかったと思います。キンキンは、当時はヤング(死語)の人気者で口が達者でしたから、かなり人気番組だったと思います。

昔、テープに録った覚えがある(森健司会)のですが、どっかにあるかなあ。
2006/09/30(土) 01:49:56 | URL | ブロンソン
音声テープ
愛川欽也さんはパック・インとかやってましたから手慣れたもんでした。
五十嵐じゅんさんは当時バリバリのアイドル人気があったようですね。
ワタクシはあまり印象無いんですが、当時の漫画などでよく出てきました。
児島みゆきさんもやっていたようですね。
森田さんはわりと長めだったんでしょう。

当時ビデオはありませんが、コアなTVファンは結構音声テープに録音はしてました。
もし見つかったら是非BBSの方にアップして戴ければ(笑)。
ワタクシも音声テープに、今では貴重な番組の音声がチラホラありますので、
いつかは公開する予定が有ります。
2006/09/30(土) 06:46:51 | URL | ごいんきょ
井上順さんも司会をやってましたよね。
キンキンさんや森健のあと、井上順も1975年から1年間だけ司会をやってたと思います。そのときのお相手はうつみみどりさん(まだこのときはキンキンとご夫婦ではなかった)だったみたいです。

順さんの最初の歌謡番組司会はフジテレビでやっていた「ゴールデン歌謡速報」(1972年10月~)で、小林大輔さんとコンビで担当した後、1973年4月からは徹子さんとTBSで「火曜歌謡ビッグマッチ」を1年担当して、この「ベスト30歌謡曲」を1975年から1年間、そして有名な「夜ヒット」司会とつながっていくんですよね。
2006/09/30(土) 22:43:01 | URL | (ハンドル未記入)
キンキン・ケロンパ
前武さんがゲバゲバで、命名したというケロンパ。
この時はキンキンと共演ではなく、入れ違いだったんですか。
なにしろマメに司会を入れ替えていたようですが、
井上順ちゃんって、この番組からそのまま夜ヒットにスライドした感じなんですね。

ゴールデン歌謡速報の司会やってましたっけ?
あれも記憶に残る歌謡番組でしたが、初期の記憶が強いです。
ビッグマッチってのは観てなかったな。
随分と音楽番組の司会を経験してたんですね、順ちゃん。
マチャアキの方は、紅白歌のベストテンが安定してましたからね。
2006/10/01(日) 17:33:39 | URL | ごいんきょ
エンディング
たしか番組が終わるときに、お客が舞台に上がって、服とかにサインがもらえたような記憶が・・
森田健作が司会をやってました。
防犯上今じゃ考えられないですね。
2006/10/29(日) 01:21:41 | URL | ZERO
仕込み客
うーん、そんな感じのエンディング、なんとなく覚えにあります。

歌手の周りにファンを侍らすって、たしかに大丈夫?って思うんですが、
ザ・ベストテンでもたまにやってましたし、
今のミュージック・ステーションでもごくたまに有りますよね。
それなりに吟味してるんじゃないですか。ファンクラブの人たちとか。
2006/10/29(日) 07:47:09 | URL | ごいんきょ
麻丘めぐみ
わー懐かしいです。
小中時代、よく見ていました。
特に印象的だったのが、麻丘めぐみさんがデビュー曲の「芽ばえ」で1位になったとき、ワンワンと大泣きして、ほとんど歌にならなかったことです。
あと、他の方も書いてますが、エンディングで、観覧者に対して歌手によるサイン会が始まるのですが、天地真理とか小柳ルミ子には沢山のファンが群がるのですが、無名の歌手(覚えているのは、原みどりとかいうナベプロの新人)とかには誰も来なくて、ポツンとしているのが何とも哀れでした・・・・。
キンキンもラジオでよく言ってますよ。「この番組は、ベストテン番組の元祖だた。」って。
でも、その前に、「今週のヒット速報」とか「ゴールデンヒット速報」とかありましたけどね・・・。
2006/12/09(土) 23:12:12 | URL | たけし
欧陽菲菲
連続投稿ですみません! 重要なことを思い出しました!
欧陽菲菲さんが「恋の追跡(ラブ・チェイス)」という歌でランクインし、いざ歌おうとしたときに、上からセットが落ちてきて、彼女の頭を直撃して、思わず「イテェーッ!」と叫んだのを覚えています。
でも、運良く怪我は無かったのですが、一歩間違えれば大惨事だったらしいです。
あと、山口いづみさんの「緑の季節」とか、ニューキラーズ(ピンキーとキラーズの、今陽子さんが抜けて女性が2人入ったグループ)の「太陽に愛されたい」とか、キャンディーズの「内気なあいつ」とかが、20~30位の間をうろちょろしてたのを覚えています。
(もちろんこの3曲は、時期は違うけどね)
2006/12/09(土) 23:21:38 | URL | たけし
情報数々
これって間違いなく見てたんだけど、あまり覚えてることが無いんですよね。
そんな中、随分と具体的で面白い話をありがとうございます。

芽ばえが1位になりましたか? それはかなり意外です。
オリコンチャートではそんなに行ってなかったと思いますね。
そこでどんなシステムで順位を決めていたか調べてみました。

北海道(北海道テレビ)、東北(東日本放送)、関東(テレビ朝日)、中部(名古屋テレビ)、
関西(朝日放送)、中国(広島ホームテレビ)、四国(瀬戸内海放送)、九州(九州朝日放送)
というテレビ朝日系列8局のある地方でリクエストを集計し、
それに全国十万人都市から無作為抽出したレコード店の売り上げを加味し、
レコード売り上げ40%、リクエスト50%、
ベスト30歌謡曲選考委員会で過去の売り上げ実績や期待度を10%加味し、コンピューターの回答を元に1万点満点で出されたランキングという事です。

ベスト30歌謡曲選考委員会ってのがいかにも当時で、ミソですね。
要するにプロデューサーの匙加減って事なんでしょうけど(笑)。

ベストテン番組の元祖はハッキリしていて、フジのザ・ヒットパレードですね。
日本歌謡曲の番組としては、TBS歌謡曲ベストテン。
歌謡曲ベストテンの当時は、その項でも書いているんですが、
プロダクションやレコード会社の反発がある中、第一歩を踏み出したという事で、
その功績を踏みにじってはいけません。
キンキンもいくら自分の番組とは言え、「元祖のような番組」くらいの表現で抑えないと(笑)。
フジのヒット速報なんかもそうですね。
ちなみに司会は、森田さんと研ナオコさんの時期もありました。
アシスタントは秋ひとみさんで、後にお笑いまんが道場に出てたかな?
森田さんはいろんな人とタッグを組んでますね。

芽ばえも恋の追跡も昭和47年ですから、本当に番組初期の話でしょうね。
しかし、イテーは覚えてないや(笑)。これは貴重な話でした。

ニューキラーズって知らなかったなあ。
山口いずみさんだの、キャンディーズの内気なあいつだの、
選考委員会の意向がかなり物を言っている感じですね(笑)。
2006/12/10(日) 03:14:25 | URL | ごいんきょ
私は・・・
私は、何をおいても森田健作さん見たさに見ていました。
当時は金曜日の8時だったか「ゴールデン歌謡速報」そひてテレビ朝日でしたよね。「ベスト30歌謡曲」
私が見てた時はペドロ&カプリシャスさん、チェリッシュがデビューしたばかりでまだメンバーがたくさんいた時です。
なぜか子供心に「なのにあなたは京都へ行くの」がとてもお気に入りでした。
山口いづみさんの「緑の季節」懐かしいです。美しかったですよね♪
2007/04/28(土) 22:28:03 | URL | もも
なのにあなたは京都へ行くの
森田さん、人気あったんだなあ。
モデラートさんだけでなく、ももさんの視線も独り占めしてたんだ。
羨ましい奴め(笑)。

金曜8時はゴールデン歌謡速報でしたね。水曜8時がこの番組。
そうですね。チェリッシュの歌も懐かしいです。
山口いづみさんの歌手時代は覚えてないなあ。
雑居時代は好きでしたが。
2007/04/29(日) 03:17:08 | URL | ごいんきょ
爆笑問題の田中さん
先日、テレビ朝日50周年記念番組でこの番組の映像が流れました。
井上順さん司会のバージョンでしたが、キンキンとか森田健作さんのしかオンタイムでは見てなかったので、新鮮でした。
でも、自分としては、やはりキンキンと五十嵐淳子さんのバージョンも見たかったです。
一時期You-Tube上で、森田健作さんと児島美ゆきさんのバージョンが音声だけ聞くことができたのですが、今は聞くことできないようです・・・。
そういえば、爆笑問題の田中さんがベスト30のファンだったそうで、よく話題にしてます。
去年、NHKの番組に出た時も、小さいときにベスト30の公開を見に行って、最後にジュリーと百恵ちゃんと秀樹に、自分の来ているTシャツにサインしてもらったそうなんだけど、ジュリーや百恵ちゃんは快くサインしてくれたけど、秀樹にサイン求めたらギロリと睨まれて怖かった、と話していました。
ああ、もっとベスト30の映像が見たい!
2009/02/13(金) 22:43:04 | URL | あらし
ほぉ。それは凄い。
あまり振り返られない番組でしたからねえ。
なかなかマニアックな構成さんだったようで(笑)。
西城さんはなんかツッパってたのかな。
沢田さんもそんな感じ有りましたけど、ファンにはサインくれたんですね。
2009/02/14(土) 07:14:48 | URL | ごいんきょ
なぞなぞです
小学校の頃、こんな「なぞなぞ」を出した友達がおりました。

『ベスト30歌謡曲』は、1時間番組のため、毎度の事ながら1位から30位までの全曲を紹介することが出来ません。
では、『ベスト30歌謡曲』の番組内で、全ての曲をフルコーラスで紹介するには、どうしたらいいでしょうか? ただし、放送時間はいつも通りの1時間とします。

この問題に、いろいろな答えが出ました。
「3倍速とか5倍速で歌う」(ナマ歌で出来るかい!)
「TBSとフジに協力してもらって、TBSは21位から30位、フジは11位から20位、そしてNETは1位から10位まで紹介する」(ムチャ言うな。確かに1時間だが、ヨソに割り込んで、おまけに枠を3倍使ってるじゃないか!これは反則!)
「無理だよ!そんなの…」「わかんねえよ!」

みんなが「ギブ・アップ」したところで、出題者の彼はおもむろに正解を発表しました。

「正解は『30組が同時に歌を歌うこと』でした…」

これなら、確かに1位から30位まで「フルコーラスで紹介」することは出来ますが、もはや騒音というか、喧しいだけですよね。
ウブな小学生による、なんともアホらしい「なぞなぞ」の一幕でした。

おじゃましました。
2010/06/01(火) 21:52:09 | URL | 甚六
でもそれって、5分で番組終わっちゃいますよね(笑)。
2013/11/10(日) 23:55:42 | URL | ごいんきょ
あいだけんじ
私のもっとも好きな歌番組だったですね。ちょい売れ程度の歌(歌手)でも連続して出場してましたね。「合言葉」の伊丹幸夫さんや「みかんの花咲く頃」の藍みよ子さんとか、やたらにはっきり覚えてます。
 この番組の大きな特徴はラストのサイン会でしたね。どなたかもおっしゃっていますが、人気歌手のところに人が列なすんですよ。でもって、無名の歌手には全然いかないと、AKBの握手会もこんな感じなんでしょうか。
 そんなある回でのこと、スペシャルコーナーでベテラン歌手の「あいだけんじ」さんが登場しました。皆さん記憶にありますか? 私はこの番組のエピソードがなければ、はるか忘却の彼方にいった歌い手さんだと思います。事実、名前の漢字がまったく覚えておりませんもの。で、その日もラストのサイン会の時間になったんですよ。まあ、当然ですが、あいださんのところには誰も行きません。普通ですと歌い手さんは、黙って立っているのに、何を思ったのかあいださん、人気歌手の長蛇の列に並んでいた、最後尾のいかにも気の弱そうな男の子に「サインしてやるよ」みたいな感じで、せっかくのまっ白のTシャツにでっかでかと「あいだけんじ」と書いたのです。それも平仮名で、誰でもすぐ読める字で。芸能人のサインとはとても思えないシロモノでした。その男の子が、涙目になっていたように感じたのは私だけじゃなかったと思います。あのTシャツとってあるのでしょうか。怒りで、すぐ捨てたかもしれませんね。
2014/11/25(火) 22:18:01 | URL | みのモンタナ
伊丹幸雄さんだの、藍美代子さんだの、まったく覚えてないですけど、
当時のNETと渡辺プロの関係性が有ったのでしょう。

愛田健二さん、名前は聞いた気がしますが、歌は覚えてないんですよねえ。
やはりそういう場面でボーッとしているような人は、どんな職種でも駄目ですよね(笑)。
きちんと絵面を意識すれば、愛田さんの行動は正解でしょう。
きっと男の子も喜んでますよ(笑)。
2014/11/26(水) 06:40:50 | URL | ごいんきょ
関西地区はABC朝日放送ではなくMBS毎日放送でオンエアだったようです。
当時のABCはTBS系列でしたから、
カンテレとフジが昔も今も8チャンネルで共通しているように、
ABCとTBSの6チャン都市間共通でした。

宮城県はkhb東日本放送が開局前は当時開局間もなかったミヤテレ(現在は日テレ系)でオンエアされたのではと思います。
2015/04/18(土) 18:35:28 | URL | 田中幸治
じゅんアップ
出場歌手が会場から立候補した人の誰かと結婚式をあげるコーナーがありました。天地真理が出たときドキドキしながら見た記憶があります。
小学校のクラスメイトが郷ひろみの回の時に登場したことも懐かしいです(最後にサインをもらっていました)。
小学校の頃の思い出の番組です。
2015/05/18(月) 22:09:11 | URL | するーぱす
ベスト30歌謡曲で思い出したのは、中条きよしさんの「うそ」がランクインした時。
まったく見知らぬ人が、まったく知らない歌でいきなりランクインして、
どんな人なんだろうと興味を持ったのですが、
その週は勿論、しばらく本人は登場しないで、
上位の曲なのにどんな人か、歌か、まったくわからなかったものです。
掲示板に出るジャケット写真だけで想像してましたが、やがて街中では聞けるようになりました。
でも、テレビで見た記憶は無いんですよね。



● 田中幸治さん
まだ捻転解消前でしたからね。


● するーぱすさん
そのコーナーは記憶に無いなあ。
その同級生、翌日はスター並みの注目度だったでしょうね(笑)。
2015/05/24(日) 12:22:24 | URL | ごいんきょ
ヒット曲を知る唯一のバロメーター
当時、オリコンチャートなどの存在もよくわかっていなかった自分にとって(当時のオリジナルコンフィデンス誌って、タブロイド判のスポーツ紙みたいな感じで、本屋ではなくレコード店、それもかなり規模の大きいところにしか置いてなかったりしましたよね。。。)、この番組は曲のヒットの動向を知ることのできる唯一の手段といっていいものでした。

同じ曲で確か7回出場したら、記念のメダルかなんかもらえたりして、百恵ちゃんが「春風のいたずら」でそれをもらっているのをみて、当時兄弟そろって淳子推しだった私は、非常に悔しい思いをしてました。

しかも百恵ちゃんはその次の「ひと夏の経験」で1位を獲得。。。片や淳子ちゃんはは。。。?
淳子推し=アンチ百恵だった当時、かなり複雑な感情を抱いていた記憶があります。

後から思えば、百恵伝説の序章というか始まりを、リアルに目の当たりにしたわけですが、ショックでしばらく番組自体をみなくなってしまい、その年(昭和49年)の年末、久しぶりにチャンネルを合わせると、なんと!淳子ちゃんの曲(はじめての出来事)が1位になっているではありませんか!

この曲は、彼女の最大のヒットで、オリコンでも唯一1位になった曲だったそうなのですが、そんな感じで贔屓の歌手の順位に一喜一憂する番組でしたね~
2015/08/02(日) 21:43:25 | URL | ほけみん
ぎんざNOWを見てた人は、オリコン社長の小池さんの事はよく知ってるんですけどね。

連続出場で何か貰えるっていうのは、フジのヒット速報からのイタダキですな。

ひとなつの経験が一位かあ。
そんなに凄い曲だった印象ではないんだけど、
やはりファン投票が物を言ったんでしょう。

ワタクシ百恵派を標榜してましたが、淳子さんもかなり好きでしたね。
可愛い子はみんな好きでした(笑)。
百恵さんはちっとも可愛いと思わなかったけど、どことなく存在に惹かれてたんでしょう。
2015/08/10(月) 06:59:02 | URL | ごいんきょ
ベスト30歌謡曲大賞
ごいんきょさん、お久しぶりです。
今年も様々な番組を発掘して下さい。

さて、ベスト30歌謡曲の話。
YouTubeに幾つかの音声がアップされてますが
森田健作と児島美ゆき司会コンビの回ばかりですが
1973年10月末の放送分では
南沙織の色づく街が7週連続出演で
ゴールデンメダルを授与されていたようです。
あと、表題に関する告知が紹介されていて
10週連続だとトロフィー授与だったようです。
一年を通じてトロフィーとメダルを授与された歌手が
ノミネート対象となり視聴者投票で
大賞が決まるシステムとの事なので
後に始まる全日本歌謡音楽祭の前身と言っても
過言ではないと思います。
2016/01/05(火) 13:10:52 | URL | テレビマニアな30代
音声だけアゲてくれている人も結構いますが、それでも色々な当時情報がわかるので貴重ですね。
2016/02/15(月) 02:06:22 | URL | ごいんきょ
新参者よりご挨拶 書かせて頂きます。
拝啓 お懐かしい歌番組、ぜひ書かせて頂きます。ちょうど自分が中学2年の頃、ガッガチのクラシック一辺倒の自分をガラリと激変させたのが「天地真理」初めてそのお姿を拝見したのが当時NETのベスト30歌謡曲でした。まず驚いたのは、伴奏しているバンドと言うよりもオーケストラの豪華さと、その極めて個性的な編曲アレンジでした。これには正直驚き、夢中で見るというより聴いておりましたね。当時伴奏は2つのバンドが交互に受け待っていました。まず「有馬徹&ノーチェクバーナ」「朝比奈五郎&ダウンビーツ」更にストリングスやウィンドは「新音楽協会なる怪しげや器楽奏者紹介会社」が受け持ち、肝心のアレンジは当時「伊藤辰雄さん」が行っていました。この伊藤辰雄さんはかなりの才能実力の持ち主と見受けられ、クラシック音楽の基礎の上に別の師匠からポピュラーの基礎を学んだというだけに、そのアレンジは大編成のオケを縦横無尽に操って忘れられぬ素晴らしいアレンジをいやが上にも見せ付けてくれ、物凄く勉強させて頂いたのです。この場をお借りして感謝を。また伴奏バンドの演奏も2つとも個性的であり「有馬徹&ノーチェクバーナは、トロンボーンのパートが無くてその部分はエキストラが補っていた」と後ほど有馬徹氏へのインタビューで語っておられましたね。不思議なのはこのノーチェクバーナはラテン系のショーバンドですが、ラテン系には必ずトロンボーンが入っているのが通例ですが、この点を聞きそびれました残念です。なお指揮者の有馬さんは、通常は両手での指揮でしたが、ベスト30のときだけは指揮棒使って指揮していましたね。また「朝比奈五郎&ダウンビーツ」はダンスバンドですからトロンボーン含めた通常編成でしたが、この朝比奈さんの指揮は、何かおかしなステップで何となく派手と言うか面白く、奇声が評判の個性的なバンマスでした。その他部門を担う新音楽協会は、弦と木管ウィンド、ハープ、更にはアコーディオン等も入っていましたね。何か相当な人数だったと記憶しています。思い出すのは「素人参加コーナーの中の、プロ歌手が指揮をして素人が歌う」と言う企画。これは大変面白くて、布施あきらなどは燕尾服に着替えて口ひげまでつけて「甘い十字架」を指揮していましたね。この直前朝比奈さんが、司会者の愛川欣也に「お手本見せますから」と、山本リンダの狙い撃ちを踊りながら指揮して「ウララっ」で強制終了となったところが忘れられないなぁ。ではこの名アレンジャー伊藤辰雄氏の素晴らしさとは?ずばり「レコードコピーでお茶を濁すなんてぇこすい事を一切せず、全て独自のアレンジで押し通した」所です。こんな凄い人も珍しいなぁと。例えば?記憶に残るのは「二人の日曜日、危険な二人、中学三年生、別れの鐘の音」等。特に森昌子の中学三年生は、間奏に蛍の光が使われますが、通常は4小節まで。しかし伊藤辰雄氏は何と8小節まで使ったのです。これは効果的だったなぁと。更にエンディングはオリジナルではマイナーで終わりますが、何と此処にも蛍の光を持ってきて終わるのです。すげぇなぁと。「危険な二人」では東海林修さんの素晴らしいオリジナルアレンジがありますが、それとは全然別の響き、弦を強調し、イントロのリードギターにトランペットを加えて効果倍増し、何ともど迫力の危険な二人に仕上げたのです。この点では当時の井上バンド等問題では無かった。また「別れの鐘の音」等は、オリジナルでは鐘をアナログシンセで創っていますが、伊藤氏は、エレクトリックピアノのチェンバロトーンを上手く使い効果を出していましたね。「二人の日曜日」では、イントロを大幅に半分に削ったにも関わらず、効果は抜群で不思議でしたね。「ちいさな恋」等では、オリジナルのフルートの代わりに、オーボエ?
コーラングレ?を使いこれがまた良かったんですよ。随所にアイディアと細かい配慮が見られ、才能の片鱗を感じましたね。実は何度か指揮者として指揮棒振ったことがありました。記憶では「有馬徹さんがオーバーヒート?」で、代役として、モニターヘッドフォンつけて指揮棒振っていた事が忘れられません。当時流行のラッパジーンズ?でしたね懐かしいなぁっ。なおこの番組の頭のテーマ音楽は「大野雄二さん」の作曲で、短いながらも名曲でした。全体としていえる事は、歌謡曲全盛の一番良い時代、銭金かけ放題の素晴らしい時代、実力派バックバンドと豪華なゲスト、絶妙なアレンジ、二度と来ぬ古き良き時代でした。嗚呼 敬具
2017/03/21(火) 10:56:15 | URL | よしたかくん
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