私的 昭和テレビ大全集
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オーケストラがやって来た (1972)

オーケストラがやって来た


ドラマのTBSと言われた時代が有りまして、
そう言われるだけの著名な作品が確かにたくさん作られましたし、
それだけたくさん作られたのには、それだけ沢山の人材も居たのです。
しかし時節柄と言いますか労働争議がございまして、
簡単に言えば番組制作で定時を大幅に超えた分の金を寄越せ
とまあこういう話だったのですが、これが理屈から言えば
至極当然の話でありますので、TBSとしては困ってしまった。
でまあ、かなりはしょって言えば、この辺りから番組制作の形式が、
外注という事になっていくわけです。
昔は制作TBSとだけクレジットされていたドラマが、
この辺りからいろんな会社の名前と併記されてくるのですな。
かつてのTBSを支えた人材達の多くは、この労働争議を契機として
作家性の追求もあってか次々と独立。
TBSは外注制作への移行とマッチする形で、
彼らの立ち上げた新制作会社と提携していく事になります。

TBS出資の3社は、木下恵介プロ、テレパック、そしてテレビマンユニオン。
木下プロはもちろん高名な映画監督の独立プロですけど、
テレパックは、ドラマのTBSを支えた一人、かの石井ふく子の会社。
そしてテレビマンユニオンは、更に多くの人材がユニオンとして結集した、
テレビ制作の理想を追い求めたかのような集団でありました。
しかし、そのような高邁な理想を露骨に番組制作に出すあまりか、
最初の頃の制作番組で名が通っているのは遠くへ行きたいくらい。
財政的にも苦しかったと思われるこの会社の初期を支えたのが、
2つ目の長寿番組となる、この番組でありました。
初代社長にしてプロデューサー、萩元晴彦の発意と熱意で生まれたこの番組は、
「音楽を大衆化し、大衆を音楽化する」というキャッチ・フレーズの下、
高尚で庶民から遠い位置にあると思われていたオーケストラ演奏を、
かなり身近にしてくれた番組でありました。
主な演奏は、新日本フィルハーモニー。
こちらもやはり、日本フィルからの分派独立であれこれあったようですが…

その最大の成功要因は、やはり初代司会の山本直純にありましょう。
氏のライフ・ワークは音楽の底辺を広げる事だったようですけど、
あの「大きい事はいい事だ 森永エールチョコレート」のCMは、
そうした氏の姿勢の現れでもあり、また、
その後の氏の活動もやり易くしたでしょう。
我々のような子供にも、彼のキャラクターは受け入れられましたからね。
実際、あの山本直純が例の調子で大袈裟にタクトを振る様と、
エールチョコレートのCMがダブって、ガキでも見る気になったもんです。
オープニングは、正にエールチョコのCMの感じで山本が指揮し、
♪ オーケストラがやってきた オーケストラがやってきた
と歌うものだったと思います。で、シンバルが力強く入るんですね。
音楽に造詣が深い方々には殊更思い入れある方も多い番組のようで、
検索すると結構な数の記述が見つかるんですけど、ウィキペディア始め、
みな、テーマ音楽はヨハン・シュトラウスの常動曲と書いている…。
ワタクシが覚えているのは極初期のテーマなんでしょうか。

初期のアシスタントは、うつみみどりがやってました。
後年には、山本とも繋がりの深い世界の小澤、小澤征爾も加わり、
その世界は更に深遠に広がっていくのでした。
クラッシックを大衆に近づけるという理念の下、
或る意味なりふり構わず出された数々の企画は、
時に演奏側の新日本フィルとの軋轢も生んだという事ですが。
童謡だの、更には民謡だのとのコラボとかがいけなかったのかな?(笑)
勿論そんな奇をてらった企画ばかりではなく、
本格的な音楽家も数多く出演したようです。
アイザック・スターンと小澤征爾の共演が放送100回記念に予定されるも、
スターンの都合で若干時期がずれたようですが、出演は実現。

提供は日本電信電話公社。つまり電電公社ですね。
このブログに常駐しているようなおっさんおばはん連中には
解説はいらないでしょうが(笑)、今のNTTでございます。
実は、全国的な通話料金値上げの時期だったんですね、開始当時。
そこで電電公社は、この番組をそのPRに活用していたんです。
値上げは全国で段階的に実施されたので、
その地域でこの番組を無料公開録画するという形を取ってました。
この番組が来ると、その地方の通話料金が上がってたんです。
料金周知とお詫びを兼ねた無料公開って事だったんでしょうか。
で、その役割が終わってからも、約十年もの間、電電の提供で続きました。
最終的な全放送回数は全国272ヶ所、544回にも渡りました。
放送はずっと日曜でしたが、時間帯の移動があって、最初は14時半。
家族そろって歌合戦に続けての音楽枠でしたね。
78年4月から午前11時に移動、富士重工がスポンサーに加わりました。
どちらもお堅い会社でしたから、CMも記憶に残るようなのは無いですな。
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[猫カフェ]futaha



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この記事へ寄せられたコメント
テーマ曲は
ヨハンシュトラウスⅡ世の「常道曲」で、途中のホルンの旋律に「♪オーケストラがやってきた」と歌詞を付けたのですね。その部分では直純さんは会場のお客さんに向かってタクトを振っていましたっけ。
その旋律を聴くと、どうしても「♪オーケストラがやってきたー」と歌ってしまいます(笑)

番組と電電公社の通話料金値上げが関係あったとは、ビックリしました。
「題名のない音楽会」の出光興産は、若手音楽家を育てるために「出光音楽賞」を設けていますが、スポンサーの役割っていうのは大きいですね。
2006/11/14(火) 08:43:22 | URL | モデラート
訂正です
「常道曲」ではなくて「常動曲」(無窮動)です。
2006/11/14(火) 08:45:42 | URL | モデラート
ああそうか
そう言われれば歌詞が付いてたのはその部分だけだったような。
しかしワタクシの見込み通り、音楽に造詣の深そうなモデラートさん。
誤字はワザワザ書き直さずとも、わかる人にはわかると思いますよ。
って、いいかげん魔のワタクシとは違いますかね(笑)。

この番組を思い出せば、自然と題名のない音楽会も思い出しますね(笑)。
そうそう。そちらは出光提供でした。
正におっしゃるように、特にこういう番組に於いては、
スポンサーは企業イメージの向上を目的としてましょうから、
本当に真摯に番組を作っていたと思いますよ。
関連資料を読んでいるとそう思います。
昨今はこうした学術的な番組もほとんど無くなって、
娯楽色が強いものばかりですね。

テレビがあまりに普及したために広告料が上がってしまい、
一社や二社で提供するのが難しくなってきたからで、
その広告費は、広告代理店が大きく搾取しているわけですけど。
代理店の肥大化がテレビ番組の衰退に大きく影響していると思います。
あとは、テレビ局自体も無駄金多いですね。
まったくテレビと関係ない人間を個人的な繋がりで役員にしたり。
上から下までコネまみれで、抜本的に政治家が指導すべきなんですけど、
それをされないように政治家のコネもきちんと考慮しているので、腐敗は絶対に潰えない世界なのです。
それでいて表向きは綺麗事ばかり言ってる最低の連中ですよ。

なんて怒っている人間がワタクシに切々と訴えてくる夢を見ちゃいました(笑)。
2006/11/14(火) 23:23:35 | URL | ごいんきょ
影響は絶大
1968年生まれの私、エールチョコのCMも「オーケストラがやってきた」も覚えてます。ちなみに10年ほど前、東京新聞の昔の紙面のマイクロフィルムを東京都図書館で見てたら、1面いっぱいにエールチョコの広告が出てて(ド迫力!)、思わずプリントアウトを依頼してしまいました。
 山本直純さんは同じTBSの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の「おはやし」も担当してました。今考えるといかにも彼らしいですね。
 東海地方ではアマの岐阜県交響楽団(3年くらい前に50周年でサントリーホールで凱旋コンサートをやり、岐阜放送でも放送)が「ファミリーコンサート」という演出に凝ったコンサートを実施したり、一時期中京テレビが指揮者の外山雄三さんを司会にクラシック番組をいろいろ作ったり(うち「外山雄三音楽世界の旅」については全国ネットされたほか今でも放送番組供給センター扱いで流れてますね)といったことがありましたが、ルーツは「オーケストラがやってきた」に違いありません。
2006/12/15(金) 09:17:33 | URL | かじか
或いは故人に鞭打つかの様な豆知識
としてかの山本直純氏は日テレ版オバQの音楽担当であられた事はここの住人ならば既知かもというところだがその他サンライズの初のメカ物アニメの「0テスター」の音楽や何と何とptaに睨まれっ放しだったであろう「破廉恥学園」の音楽も担当していたのである

ちなみに彼がそこのキャラのヒゲゴジラとイメージ的に似ていたからかどうかは定かでない

にしてもこれも懐かしいわな

今彼が生きておいでならのだめブームに肖りというかそうでなくても活躍されていたろうに

ちなみに彼はその他nhkの幼児向けの音楽番組にも一時期出ていたとも付け加えようかな
2007/01/05(金) 16:11:59 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
山本直純さん
正にテレビ時代の音楽家といった風情でした。
落語の三平師匠にあたる人かな。
直純さんは、実力もケタ外れの人だったようですが。

● かじかさん
あら。ログが流れていた時だったんで見逃していたようです。

同じTBSと言っても、その番組はラジオですよね。
小沢昭一さんあたりは交友も深かったでしょうからね。
ワタクシはどちらも麻雀雑誌でもよく名前を拝見したもんです(笑)。
話の特集というミニコミ誌の主催者・矢崎泰久という人が
名うての雀豪で、よく交友関係をネタにしてました。
それによれば、直純さんはかなり破天荒な人だったようです。
当たり牌を口に飲み込んでそのまま帰ったとか(苦笑)。
小沢さんは決して下手ではないけど、かなり弱いようですね(笑)。

● ガッツさん
新オバQについてはその稿のコメント欄で話が出てますが、
0テスターもそうでしたっけ。
ちゃんと長期放送された割にマイナー感が強い0テスター(笑)。
ハレンチ学園の歌は個人的に思い出深いんですけどね。
あれは直純さんだったんだ。意識してませんでした。
そういやヒゲゴジラにかなり近いな(苦笑)。モデルなのかな?

NHK幼児番組に出てましたか?
ちょっと今のところ思い出せないです。そんなような気はしますが。
2007/01/05(金) 23:38:58 | URL | ごいんきょ
直純氏の最高傑作
ごいんきょさま。初めて投稿させていただきます。東京タワーと同い年の者です。本当は、ゲバゲバ90分の方に投稿しようかと思いましたが、今日は取り敢えずこちらに…。
オーケストラがやってきたは、中学生の頃よく見ていました。一番印象に残っているのは、ベートーヴェンの9つの交響曲を全部つなげてしまった、交響曲第45番「宿命」です。(1と9までの数字を足すと45になる) 運命1楽章の終結部が「黒田節」になっていたり、第九の4楽章の出だしが、いきなりタンゴの「ジェラシー」になってしまったりと、直純氏の面目躍如といった感じで、おおいに笑わせてしただきました。確か、ベートーヴェン 作曲/山本直純 変曲(編曲ではない)となっていました。
他にも、ピアノ狂奏曲「変ペラー」(エンペラー=皇帝?)では、中村紘子女史が、オーケストラとバトルを繰り広げるなど、強烈に印象に残っています。
番組のの収録音ではないですが、今でも「山本直純フォーエヴァー~歴史的パロディ・コンサート」というCDで聴く事ができます。
この番組のトラウマのおかげで、今でもトロンボーンなどという楽器を吹いています。
2008/12/13(土) 16:05:53 | URL | ジョージ
山本直純氏
小沢昭一の小沢昭一的こころ
のテーマ曲、ジングルも
直純さんの作曲ですよね。

全国各地の文化会館、体育館
公民館、コンサートホール
からコンサートの放送
してたんですよね。

N饗アワーとは違う
雰囲気の番組と、いうか
そんな感じの番組と、いうのが
伝わってきます。

大きいことはいいことだ~
も、直純氏の力作のひとつでしょう。 
2008/12/14(日) 10:49:14 | URL | 梅吉
また聞き違いネタですが
私ははじめ「オケラがやってきた」だと思って聞いていました。給食の時間にかかっていた「ガボット」に似ているな、と思いました。
2008/12/15(月) 02:56:54 | URL | あぶもんもん
● ジョージさん
なるほどー。直純さんらしい切り口ですね。
見た目キャラで近年までついナメた感じで捉えてましたが、
実は物凄い音楽センスの持ち主だったのですよね。

● 梅吉さん
小沢昭一さんってのも昭和ですね(笑)。
そのラインは麻雀関係でもたびたび名前を拝見しました。

● あぶさん
ああ、ちょっと似てる感じは有りますね。
2008/12/15(月) 07:07:53 | URL | ごいんきょ
ナオズミマユズミ
全盛時代には、ナオズミマユズミといって、よく黛敏郎さんと比較されました。

いかにも上から目線の黛さんと比べて(それが面白いところもあったけど)、直純さんは親しみやすい口調で、クラシックを解説してくれました。

「この番組は電電公社の提供でお送りしました。」のアナウンスが印象的でしたが、放送終了は1983年3月で、NTTが発足する2年も前なんですね。

今や、NTT本体(東日本、西日本)より、ドコモのほうがはるかに稼ぐんですよね。

ちなみに、KDD(現KDDI)も、当時の電電公社から分離した会社(国際部門)です。
2011/12/12(月) 23:01:46 | URL | 10000k
直純さんは非常にテレビ的な、得難い人材だったと思います。
黛さんのような人は今後も出てくるでしょうが、直純さんは代替がきかないですね。
2011/12/18(日) 06:41:45 | URL | ごいんきょ
最終回
はじめまして。「オーケストラがやってきた」で検索してこちらにたどり着きました。
古い記事にコメントしてもいいとのことなのでお言葉に甘えて…

子供だったのであまりきちんと記憶していないのですが、ラストに演奏しながらオーケストラの楽団員が一人ずつ挨拶して去ってゆき、最後に指揮者さんとトライアングルかバイオリンの人が残って握手を交わし、そして終了…だったのはこの「オーケストラがやってきた」ではなかったでしょうか?

あまりに印象的な最終回で、その場面だけが記憶に残っています。
いまだにあれ以上の演出はないと思っているほどに…

またこのようなクラシック番組、復活しませんかねえ。
2013/01/17(木) 10:17:31 | URL | 梅
はじめまして。
なんか切なくなる最終場面ですね。
ご覧だった人はいないかな。
2013/01/17(木) 23:13:35 | URL | ごいんきょ
番組内で流れていた電電公社のテレビCM。
「オーケストラがやって来た」のスレにお邪魔致しますm(_ _)mこの番組はおぼえてます。山本直純さんが司会・指揮をされていましたね。電電公社と富士重工がメインスポンサーでしたね。富士重工は、日曜朝11:00に移動になってからスポンサーに加入したんですね。「オーケストラがやって来た」といえば、電電公社のテレビCMです。私が今でも覚えている番組内の電電公社のテレビCMが、「プッシュホン」のテレビCMなんですが、マリ・クリスティーヌさんが出演されていたんですが、小さくなったマリさんが、ピョンピョン飛びながら足先でプッシュホン【600P型】のボタンをピッポッパッと押していたのを思い出しますね。ごいんきょさんは、多分ご存知ないかしら??
2014/10/08(水) 18:41:08 | URL | マスダっち1971
プッシュホンのCMが有ったこと自体はもちろん覚えてますし、
かなり羨ましかったですよねえ。
尤も、初期にはあんなもの入れている家はクラスに一人二人って感じでしたが。
CM内容は覚えてませんが、マリさんのはけっこう後でしょうか。
昭和末期という感じかな。
と思ったら、なんと、『なんたって18歳!』の頃からテレビに出てるんですね。
2014/10/13(月) 10:58:39 | URL | ごいんきょ
「プッシュホン」のCM、YouTubeにUPされてるよ!!
ごいんきょさん、「プッシュホン」のテレビCMがYouTubeにUPされてるよ!!1978年にオンエアされた作品で、若かりし頃のオヒョイさん(藤村俊二さん)とマリ・クリスティーヌさんが出演しています。1978年頃の「オーケストラがやって来た」内で流れていたかもね。「電電公社」か「プッシュホン」で検索すると…ヒットしますよ(^◇^;)
2014/10/21(火) 11:17:20 | URL | マスダっち1971
プッシュホン
プッシュホンはミケネコにとっては憧れた電話機でした・・・(*^_^*)
ミケネコ家の電話は1992年までずっとジーコロジーコロ回すダイヤル黒電話でした・・・('_')
電電公社のコマーシャルは色んなタレントさんが出ていて面白かったという印象が強いですね~(*^_^*)
研ナオコさんが出ていたらしたミニファックスのイメージが強いですね~(*^_^*)
2014/10/21(火) 23:43:18 | URL | みけねこ
みけねこしゃんへ
研ナオコさん、電電公社「ミニファクス」テレビCMに出てましたね〜〜!!CMの最後に「月々3700円!」って言ってたね(^◇^;)あと、桜田淳子さんは「ミニプッシュホン」のテレビCMに出てましたよ(^◇^;)
2014/10/22(水) 18:48:11 | URL | マスダっち1971
● マスダっち1971さん
見ました。なんとなく覚えてますけど、
あれがマリさんとは今見てもわからないです(笑)。


● みけねこさん
あ。(*^_^*)以外の終止符も有るのですね(笑)。
我が両親の家は、多分まだダイヤル回線なんだよな。
でも電話機の方が新しいのでそんな感じでなくなってますが。
やはり90年代まで黒電話使ってましたよ。
2014/10/23(木) 23:23:43 | URL | ごいんきょ
「オーケストラがやってきた」の後番組は……
「オーケストラがやってきた」は1983年3月で終了したんですが、その後番組で1983年4月から始まったのが、科学アニメ「ミームいろいろ夢の旅」なんですよ!!電電公社(のちのNTT)の一社提供で、1985年9月まで放送されていました。
2015/10/11(日) 12:17:21 | URL | マスダっち1971
最終回の曲?
梅さんの「最終回」のコメントを拝見し、演奏されていたのはハイドンの「告別」第4楽章だったのでは?と思いました。
演奏中に奏者がだんだんいなくなり、最後にバイオリンが2本残る曲です。
2015/10/11(日) 22:13:02 | URL | モデラート
● マスダっち1971さん
ミームは見ていなかったのですが、やはり電電提供だったのですね。
キャプテンシステムとかを提示して、未来の通信世界を色々と夢見させてくれました。
ところが、そんなものを凌駕するインターネットというものに組み込まれてしまうのですね。
その前には民営化もされてしまいましたし。


● モデラートさん
当ブログ文芸部長、真にありがとうございます(笑)。
2015/10/18(日) 12:28:54 | URL | ごいんきょ
げげっ!
ミームのほう観てたし…

キャプテンシステムといえば、父がキャプテンシステムの
プログラミングというかコンテンツ制作をやっていたようです。
勤めていた某百貨店のページだったんですが、
ねじり鉢巻で一から勉強して頑張ったと言ってました。

専用のコーディング用紙があり、それに手書きしていたようですが、
コツがいるグラフィックの制作にも手を伸ばしていたようです。
2017/01/26(木) 00:36:44 | URL | くろねき
新参者ご挨拶 知っている事
拝啓新参者ですが以後よろしくお願いいたします。この「オーケストラがやってきた」は、4歳からピアノレッスンを受けていた自分には大好きな番組でした。これは何より「山本直純氏のファン」でしたから。何せクラシックの正規教育を受けての大衆音楽?伝道師としての功績は大きく、残念ながら晩年は「クラシックへの回帰を熱望し、少し大衆的をやり過ぎた」と。残念でした。当時の放映は全て視ており録音や録画も大量にありますが、何せ致命的だったのは「音が悪かった」です。何せ弦の音がギシギシしていたり酷かったのは残念でした。当時何本か公開録画を観に言ったのですが、驚く程音が良かったのが記憶に残ります。テレビマンユニオンのディレクターの態度がでっかく、偉くなりてぇなぁと思いましたし、大原れいこなんてディレクターもいましたね。裏側も見せてもらい「U切ってっ」等と怒鳴りあう場面もあり、放送ってのは大変なんだなぁと思いました。現在再放送もありませんが、当時の録画を視ると「企画の面白さだけは伝わり」ますね。後半は面白くなくなるのですが、少なくてもクラシックを大衆的にしたのは「間違いなく山本直純氏」でした。何かと色々あった人ですが「あたりまえの常識人では出来なかった」でしょうね。
敬具
2017/03/11(土) 13:06:15 | URL | よしたかくん
● くろねきさん
いやあ、凄いお父さんをお持ちで。
ワタクシは新しもの好きでもあるので、キャプテンシステムは、かなり楽しみにしていました。


● よしたかくんさん
直純さんの実力というのは誰人も認めるものでしたから、確かに、あまりにも大衆的な方向に偏りすぎたのは惜しかったかもしれません。
もう少しあちらでも実績を残されていたら、もっとわかりやすく評価されていたでしょう。

ディレクターの態度が大きいというのが可笑しかったな(笑)。
ワタクシも12チャンネルのお笑い番組と、局や傾向は著しく劣りますが(笑)、そういう感想を持ちました。
テレビが一番良い頃で、連中も勘違いしていたんですね。

大原れいこさんもいらっしゃいました。よくご記憶で。
ワタクシは社史を持っているのでわかりますが。
勿論、あの女優さんとは別人なので、皆さん勘違いなさらぬよう(笑)。
2017/03/12(日) 18:57:12 | URL | ごいんきょ
ごいんきょ様へ コメント感謝を
拝啓 コメント有難うございます。色々思い出してみましたが、この「態度のデッカイディレクター」って「我孫子? 某何とか元男」とか言ったなぁと。メガネかけて太めで似合わないジーンズ上下を窮屈そうに来て、当時から「世界の小澤=正直自分は全然評価していませんが? に対してぶっ座りこんで「小澤さん前っ」なんてぇ指示出して、、、、「大原れいこ」って当時はロングヘアで、本家様とは似ても似つかぬ  でしたね(爆笑)医者でも行って名前呼ばれて気恥ずかしくなかったでしょうか? それと後半「重大な放送事故」がありましたのをご記憶ですか? 九州のほうのロケで山本直純先生が「某氏を招いて放送する予定でしたがVTR事故により放送できなくなりました。よって今回違う内容でお送りします」と。このVTR事故とは何なのか?察するに「始めっから収録されていなかった? 途中で編集事故などによりテープが破損、誰かの凡ミスでテープを消去、編集VTRのトラブルによりテープ破損」等など こんな身内の大恥を、わざわざオンエアでさらす必要も無かったと思いますが、テレビマンユニオンのお偉いさんあたりが「空気の良い場所に移動したのでは?」と。ともかくこの時代、何回かの公開収録では、スタッフの連中が「観客のガキを怒鳴り飛ばしていた」等何回か見ており、ごいんきょ様の言われた「勘違い野朗」ってのはこういう皆様方なのか?と。それと何より「一本目終わって次の収録まで約3時間のブランク」ってぇのは正直きつかった。時間つぶしが大変でしたよ。
正直、テレビ屋を目指していた自分には、到底ついていけない業界と思い知らされたのも、勉強でした。 敬具
2017/04/02(日) 16:05:32 | URL | よしたかくん
上記の補足 思い出した事
拝啓 上記の文章で幾つか補足し、思い出した点を列記いたします。長く続いた番組とは必ず中だるみするものでもこのオケがやってきたも、山本直純先生が一旦休止し、再開した後も、何かおかしくつまらなくなりました。これは司会者の変更や企画の変更も担当者の変更や局の都合等もあったでしょうが、やはり最後はかなり悲惨な状況で終わって行ったと記憶しています。中には初めて見た「SLオルガン=SLの形をしたオルガン」等記憶に残りますし「カルメンの素人参加大会」や「セビリャの理髪師指揮者大会」なんてのもありましたね。また「1分間指揮者コーナー」なんて凄く良かったのに残念ですね。つまり素人参加ってぇのが結構面白かったのですね。これはやはり山本直純先生のアイディアでしょう。素晴らしい方でしたから。今回何かと当時の思い出した事をお話しましょう。「山本直純先生の例の事件」後、某週刊誌の記事にはこんな事が書かれていました。「直純先生の夫人雅美がこうした仕事を低俗と称し、非常に嫌っていた」と。当時のディレクターが直純先生の部屋で仕事して徹夜明けでひっくり返って爆睡中、スリッパで引っ叩かれて叩き起こされた。「直純に低俗な仕事させてるのはお前だろう」と。その時直純先生はかばってやる所かスリッパ探してたとか。ディレクターは「ことに応じて臨機応変に出来ないのが山本先生なのよ」と。何か天才って解る様な気がいたします。しかし低俗な仕事って何?今はもう死んでいないから言わせてもらうが、本と得に低俗な仕事って別にあるでしょ?と。あんたなんぞに言われる筋合いは無ぇっと。実はこうした公開録画を頻繁に見に行ったのも、高校生の頃、密かにテレビ屋に憧れて、その仕事がしたくて密かに当時存在していた「千代田テレビ学園とか日本電子専門学校」等の願書取り寄せ学校見学行ったり、また当時  にあった学校の先生の自宅まで手土産持参でお邪魔し「どうしてもテレビの仕事をしたい」と。しかし其処で初めて聞く現実はあまりに現実でした。「高卒でうちの学校出ても、まずディレクター等には絶対になれない。せいぜい最高ADになれるかどうか」と。つまり放送には放送技術と放送芸術があり、少なくてもきちんとした大学を卒業してから専門学校に入るなら見込みもあるがと。何せこういう専門学校の学費は非常に高いですからね。1970年代初期には、今日の様なハードウェアは夢の夢、どうしても専門的なハードをいじるにはその業界に入るしか無かった。個人レベルの放送局なんてぇ夢にさえ出てこなくて、当時テレビ局作るには五千億円かかると。ところが今ではどうでしょうか?耐久性や信頼性はともかく「ほとんどプロと遜色無いハードが誰でも手に入り、ソフトも同様。しかもネット利用の放送局もせいぜい数十万円程度で出来る」時代と。誰でも簡単に、高性能PCと高速回線、さらに幾つかのハードさえあれば、放送局からポスプロ、製造工場まで持てる時代。ではこの業界に夢も希望も持てないのは当然でしょうね。自分もいつの間にかこの業界が大嫌いになっていました。何せ少し裏側の嫌な点ばかり見てしまったのがいけなかったのか。残念でしたね。そんな現実を教えてくれたのが「オーケストラがやってきた」なのかもしれませんが。敬具
2017/04/14(金) 12:27:05 | URL | よしたかくん
ビデオのトラブルも、たまには有ったんですね。
撮り直しって話は何かで聞いた事が有ります。
でも、放送に穴を開けなかったのは凄い。

ワタクシが見たテレビ屋さんは、舞台合間の掃除の時に、下に居た子供達のとこにホコリが飛んだらしいのですが、
ディレクターかな、「我慢する我慢する。只なんだから我慢する」って言ってました。
当時、まだ小学生のワタクシでしたが、
なんで「ごめんね、少しの間我慢してね」って言えないのかと、他人事ながら苛立ちましたね。
いま考えれば、特権意識で思い上がってたんでしょうね、彼も若かったろうし。

直純さんの事件、ワタクシはついぞ知りませんでした(笑)。
なるほど。休止時期が有ったのですか。

直純さんは結構前からテレビ音楽をやっていましたから、
もし「低俗」発言が本当であれば、
クラッシックを玩具にしたような感じに受け取っていたのかもしれませんね。
人の感じ方はそれぞれです。
2017/04/16(日) 10:50:21 | URL | ごいんきょ
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