私的 昭和テレビ大全集
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ポップ・ショー (1961)

該当番組画像募集

以前、笑って!笑って!!60分の稿で少々触れたのですが、
70年代芸能界のおしどり夫婦といった趣だった
ジェリー藤尾と渡辺トモコの、おそらく馴れ初め番組だと思います。
司会はその両者で、渡辺プロとTBSとが組んだポップス番組でした。
だから伊東ゆかりとかナベプロタレントが大挙して出ていたのですが、
先に書いたナインショウと同じ、ダニー飯田とパラダイスキングだの
坂本九だの、マナセプロの面々も活躍してました。
マナセプロとナベプロは、異体同心だったのですね。
パラキンのキューピーと坂本のキュー、キューキューコンビの
やり取りが、この時期のポップス系の音楽番組で定番でした。
キューピーちゃんの方はその後、楠トシエともに
おはよう!こどもショーの司会となり、子供向け方面へ転身。
ポップス時代は坂本にヒット曲では勝てなかったものの、
この番組と同じTBSの、オバQ音頭の大ヒットと、
その曲でのレコード大賞童謡賞の受賞で溜飲を下げましたっけ。

ポップショーだけだとなんか淡泊なタイトルなんですが(笑)、
多くの人はパント・ポップショーの名前で覚えていると思います。
その提供は第一製薬。
今では、あのルルの三共とかなりヨロシクやっているようですが。
当時ビタミン剤パンシーってのをここが出していて、
そこら辺からのネーミングなんだろうと思います。
後年、パテックスだのパントシンだのってのも出しました。
でも、パンシーって Pancy って書くんですけどね。
公式サイトではパンシーしか見つからなかったけど、
やはりパントっていう名前のビタミン錠も売っていたようです。
近年もパントゴールド錠っていうのを発売してるんで、
なんかパントって言葉に拘っているメーカーではあるようです。
が、その意味・由来はちょっと今のところわかりません。

当時の歌番組は、まだゴリゴリの歌謡番組が主流だったのですが、
TBSは積極的にヤング向けのポップス中心の番組を展開。
この番組もその一つで、20%近い視聴率の人気番組でした。
同じ年、日テレではやはりナベプロ主導による音楽バラエティー、
シャボン玉ホリデーが始まっているのですが、TBSは、
音楽番組はあくまでも音楽を中心としていたように思います。
そんなどちらのスタイルにも合うタレントを擁したナベプロは、
この時期の音楽バラエティー全盛で各局に根を張り、
盤石の体制を築いていく事になるんですね。
フジではザ・ヒットパレードという怪物番組も既にやってましたし、
NETでは、まだ局自体に力が無かったのでこれらほどの
ヒット番組は当時無かったかと思いますが、
9ショウを異体同心のマナセプロがやっていたり、
勿論そちらでもしっかりと根を張っておりました。
テレビの媒体としての力に目を付け、先行投資を厭わなかった
渡辺晋夫妻の慧眼を称えるべきなのかもしれません。
司会の渡辺トモコはナベプロの秘蔵っ子だったから
そんな芸名かとずっと思っていたんですが、どうも本名?
調べているうちに、黛ジュンと従姉妹って話を見つけて、
その黛の本名が渡辺順子らしいので、本名だったようですね。
他にも、三木たかしが黛の実兄だとか、いろいろ再発見しました。
かなりの芸能一族だったんですね。ちーとも知らなかった。

近年はあまり見なくなった純粋音楽ショーですが、
テレビ黎明期は非常に重宝なパッケージでした。
なにしろ当時は、ドラマも含めてほとんど全てが生放送。
ほぼ決まり通り進行させる事が可能な歌の羅列というのは、
生放送時代にはマッチしていた面が有ったのです。
もちろん歌手の方は大変で、失敗が無いように、
リハーサルを何回も繰り返しやって、万全の体制で臨んでました。
今ではそういう作りは、逆に贅沢なものとなってしまってますが。
この番組もそんな生放送時代の産物ですから、
例によって残存映像は皆無だろうと思われます。
残そうと思えばキネコでいくらでも残せたはずなんですけどね。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
1960年代の歌番組のキーワードは「和製POPS」と「レコード会社
1960年代初頭の唄番組はやはり和製ポップス主流だったためか、同様の系統の歌番組が多いようですね。

ポップショーとか9ショウは流石に知りませんでしたが、私が名前だけ聞いたことがあるのでは、「明治屋・マイマイショー」(これも坂本九司会・フジテレビで放送されていたらしいです)、「森永スパークショー」(「スパーク三人娘」を誕生させた番組)、「7時にあいまショー」(TBS、この番組のキネコ映像は何故か少数ではあるが現存しているらしい)、とかもほぼ同じ頃にスタートしていますよね?

ただ、ロカビリー・和製ポップスを得意としていた歌手がどんどん純粋な歌謡曲へと転向(園まり・伊東ゆかり・九重佑三子・梓みちよ)していくにつれてこれらの番組も全てドミノ式の如く終焉を迎えたみたいですね。まあ、時代にそぐわなくなってしまったから仕方はないんでしょうけど・・・。最古参であるザ・ヒットパレードも後に歌謡曲路線にシフトしていますけど、結局は後発の「Mフェア」・「夜ヒット」が軌道に乗るのを見届けるようにして1970年で終了しています。

あと、もう一つこの時代の歌謡番組には特徴があって、それはレコード会社が各自で番組枠を持っていた、という点でしょうかね・・・。特に「コロムビア・ヒットショー」(1960年~1967年、TBS)なんかは有名ですが、当時既に大物歌手だった三橋美智也・春日八郎を擁するキングレコードもコロムビアに対抗した歌謡番組を持っていたようです(名前は昔どこかの資料で見たことがありますが、すっかり度忘れ・・・)。ナベプロ台頭で影響力は弱まりつつあったとは言えど、まだまだレコード会社の権力もこの時代は相当に強かったですしね・・・。紅白とかああいった歌手の集まりがあったりすると、どこの会社がどれだけの自社所属の歌手をそのメンバーを送り込めるか、という点で熾烈な枠争いをしていたみたいですしねえ・・・。

2007/01/30(火) 12:03:45 | URL | (ハンドル未記入)
60年代歌番組事情
歌番組全体としてはやはり歌謡曲が強かったのですが、
洋楽が徐々に強くなってきたのがこの頃ですね。
マイマイショー、スパークショー、7時にあいまショー、
どれも有名な番組ですし、いつかは当ブログでも扱うでしょう。
中で、7時にあいまショーの映像だけはたしかに残っていて、
テレビ探偵団などで何度か見た事があります。
飯田久彦のルイジアナ・ママの映像が残っているのが凄いですね。
なんでこのパント・ポップショーや他の番組も残さなかったのか…

70年終了でありながら、ザ・ヒットパレードの映像を一本も残してないって、
文化に対する背徳行為だと断罪しますね。
そんなテレビ局が、今日になって著作権ゴロの片棒担ぎ、
コピワン放送なんぞやって映像資料引用すらさせないという、
またまた文化的背徳行為の愚行を重ねている。
書いているうちにまた怒りがこみ上げてきましたが(苦笑)、
この件に関しましては、ただいま準備中の違うブログでいずれ書いてみたいと思います。

ご指摘の歌手達が歌謡曲に移行していったのは、賞レースの問題も有るでしょう。
当時唯一と言って良い歌手の栄誉、レコード大賞は、国産曲対象でしたから。
坂本九さんとか森山加世子さんあたりが国産オリジナル曲を混ぜながら
ポップスを歌っていたのも、多分そんな事情なんじゃないかと思います。
ザ・ヒットパレードが路線変更したのは、やはりセールスの問題でしょうね。
歌謡曲も洋楽テイストをたくみにパクるようになり、
洋楽全体としてはかなりセールスが落ち込んでいただろうと思います。

黎明期のテレビ歌番組は、たしかにレコード会社の色が強かったです。
キングアワー、テイチクアワー、コロムビアアワー、ビクターアワー
といった番組がずらり並んでいました。
当ブログ既述記事でも、ビクター歌のパレードというのが有りました。
テレビが力を持つ前は、歌手のマス展開はレコード出してナンボですから、
レコード会社に絶大な権限が有ったのは至極当然で、
そんな構図を崩したのが、渡辺プロとテレビの連合軍だと総括できそうです。
2007/01/30(火) 21:59:47 | URL | ごいんきょ
テーマソング
♪ソラーソドラー ソミーレドー
 ララドレー ミレードー
 (中間の記憶が欠落)
 ミード ミーミドーラ ドドレドー

のテーマソングに合わせて(以前にもコメントしましたが・・)全員でせっせっせの手遊び風な踊りを踊っていました。それをカメラは斜め上の方から引いて映していたような印象があります。
 
2007/02/02(金) 20:02:20 | URL | モデラート
オープニング
という事でしょうか?
映像は皆無だし、おそらくレコード化もされてないでしょうから、
こういう記述は貴重ですよね。

残っている写真を見ると、チャコちゃんが出た回が有った?
2007/02/02(金) 23:03:28 | URL | ごいんきょ
エンディング
だったような気がします。
歌い終わった歌手の方が全員出てきて踊っていたというイメージがあります。が、いずれにしても曖昧な記憶です。
歌詞も出だしが
♪あなーたと・・・
ということと、最後が
♪パントポップショーで会いましょー
というところだけですね、自信があるのは・・
歌詞が分かったら嬉しいのですが・・
2007/02/03(土) 21:45:03 | URL | モデラート
あなーたとパントポップショーで会いましょー
でも意味が通じちゃいますね(笑)。
オープニングもわからないという事ですか。
制作関係者に何かの形で残してもらうしかないですかねえ。
大体はそういう事をやらない人があまりに多いんですが。
2007/02/04(日) 00:48:10 | URL | ごいんきょ
いつもの時間
確か、うたいだしは
いつもの時間 いつものところー
約束しましょう
ポップショーで会いましょうーー
こころもはずむ む む
あなたと私
パント ポップショー
パント ポップショー

パント ポップショー で会いましょうー


みたいな感じじゃあなかったでしょうか。

品川のアイススケート場、 前のプリンスのスケート場からやっていた記憶があります。
渡辺トモコの熱烈なファンでした。いとしのクレメンタインなんかが記憶に残っています。当時小学校の六年生で中学受験の準備中でした。
2010/01/09(土) 20:30:26 | URL | マービン
おー、これは細かい情報ありがとうございます。
補強証言が欲しいところですね。
レコード化はされてないだろうしなあ。
2010/01/12(火) 00:51:07 | URL | ごいんきょ
母も
私の母もマービンさんと同じ歌詞で歌ってました!
割と踊りもはっきり覚えてて、小さい頃よく回してくれました。回ったあとに相手と両手合わせて(掌を相手に向けて)、お互い自分で手をたたいて(各1回)、左手上向き&右手下向きで相手と2回パンパンしてました。
2012/09/20(木) 21:58:05 | URL | あやっぺ
パント
かつて第一製薬(現:第一三共ヘルスケア)から発売されていた保健薬パントの名前の由来は、おそらく、この薬の成分にパントテン酸が含まれているからだろうとおもいます。

保健薬が宣伝の中心になるとは、いかにも昭和的ですが、つい最近まで(第一三共になってからでも)発売されていたとは驚きです。
2012/09/21(金) 01:03:42 | URL | 10000k
● あやっぺさん
皆さん、よくご記憶ですね。
レコード化されてないだろうなあなんて書いていたのですが、
驚いた事に、きちんと音盤化されておりました。
http://www.youtube.com/watch?v=lAR2dKuyGn8&feature=youtu.be


● 10000kさん
お陰様で、もう一つの疑問が解決!
2012/09/22(土) 01:18:54 | URL | ごいんきょ
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