私的 昭和テレビ大全集
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田宮二郎ショー (1969)

該当番組画像募集

ただいま音楽番組特集をやっております。
おいおい。
なんで音楽番組特集で田宮二郎なんだよ。と言うなかれ。
ワタクシもこの稿を書く為に調べて初めて知ったのですが(笑)、
彼は結構なジャズ嗜好の人間だったようで、
東京12チャンネルの、『新宿この空の下で』という番組で、
バンドの一人としてペットを吹いている写真が残っています。
大映と訣別して演技で食う事が難しくなった彼は、
まずはテレビ出演で糊口を凌がざるを得ず、当時はまだ
かなりの都落ちイメージだった12チャンネル出演となりました。
その翌年、同じ12チャンネルで堂々冠持ち番組として
ブローアップされたのが、この田宮二郎ショーです。
こちらもなぜか音楽主体のショーなんですが、
考えてみれば、田宮はきっと、トークが苦手だったんでしょう。
そこで、トーク主体のショーではない、演奏もこなせる
彼ならではの音楽ショーという事で、出演を承諾したんでしょう。

そんな番組ですから、全編に渡って田宮は歌い、踊るわけです。
タイムショックでのクールな司会ぶりが染みついている世代には、
なかなか想像しづらい彼の姿ではあります。
が、田宮が歌い、踊り、演奏するというだけでも凄いのですが、
バックがまた凄かった。日野皓正クインテット(+1)。
後に日本を代表するジャズ演奏家が、日本を代表しえる俳優と、
関東地上波の僻地12チャンネルで毎週セッションを繰り広げていた。
こんな再発見が有るから無名番組と言えども疎かにできません。
まあワタクシは病的なテレビマニアですから、
まったくなんの再発見も無い無名番組の検証も好きですけどね。
しかし再発見新発見が有れば、喜びはまた一入ではあります。
ちなみに、藤村俊二もレギュラーでありました。
昭和50年代にこの番組をやろうとしても、
東京12チャンネルはきっとギャラ払えなかったでしょう(笑)。

番組は基本的には日野皓正クインテットをバックにした
田宮の歌唱がメインとなるのですが、合間合間の繋ぎでは、
驚くなかれ、コント仕立ての事も田宮自らやっていました。
番組冒頭、洒落た椅子に座って語り始める田宮。
「皆さん、現代は忙しすぎる時代ですね」などと、
まだ人気が本格化する前とは言え、既に掛け持ちしていた
タイムショックの司会とダブる語り(笑)。
ひとしきり落ち着いた語りを披露して、さて立とうとするも
椅子から尻が離れない。仕方ないので椅子をくっつけたまま
画面から田宮が消えると、接着剤を見せながら
脇から藤村俊二が出てくる、といった感じ。
あのクールな田宮ととぼけた藤村という組み合わせが絶妙です。
藤村俊二は元々が振り付け師ですので、この番組中でも
田宮に振り付け指導をするといった演出も有りました。
その藤村のコーナーも有って、一人で小コントをやってました。
実はもう一人、当時それほど名の知られてない歌手が出てました。
十田敬三。この名がピンと来る人はなかなかの通です。
あの、デビルマンの歌を歌った人ですね。
あれはデビルデビルマン~、今日もどこかでデビルーマーン~。

さて、番組の最後も軽いコント仕立て。
椅子に座って田宮の歌に拍手していた藤村が立ち上がろうとすると、
椅子がズボンとくっついていて持ち上がってしまった。
ニッコリ笑って接着剤を藤村に見せる田宮。
ってな感じで番組が軽妙に終わると、その後はプレゼントコーナー。
充電式ゴーカートのポップ・マイカートなんて、
時代を感じてしまう賞品が有りました(笑)。
ご希望の方はご覧の宛先へどうぞ、と女性がニッコリしてジ・エンド。
なお、この番組が終了となってすぐの71年頃、よみうりテレビ制作の
プラザ47という番組が始まり、そちらも田宮二郎ショーと冠してました。
舞台でもミュージカルをやったり、積極的に歌っていたように思える
当時の田宮ですけど、人気映画スターはレコードも売るって
そんな時代の考えを引きずっていたんでしょうか。
それとも本当に、歌い、踊る事が好きだったんでしょうか。
よみうりの方の田宮二郎ショー終了後は、少なくともテレビでは
ほとんど歌っていないと思うんですよね。
ワタクシは、実は田宮の歌って記憶に無いんです。無念。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
へぇ~
こんな番組があったんですねぇ…。
TVでの田宮さんと言えば「タイムショック」の司会jのイメージやら全員集合にゲスト出演された際の怪演!そして「白いシリーズ」!!という事になってしまいますが、個人的にはやはり大映時代の「悪名」シリーズが大好きでした。クールなイメージと、「関西のボンボン」のような役をうまく使い分けることができていたら、そして謙虚さと度量の大きさがあったら…、きっと息の長~い役者さんでいられた事でしょうに…。映画の斜陽という時代の悪さもあったのでしょうか。
晩年、松竹で撮られた「怒れ!毒蛇」というアクション(?)映画がありましたが、スーツ姿で不格好に跳び蹴りをする田宮さんに哀しさを感じてしまったのを思い出しましたw
2007/02/03(土) 14:41:49 | URL | おやじバンザイ
全員集合
ん。全員集合にそう言えば出た事が有ったかな。かなり記憶も朧ですが。

謙虚さと度量の大きさですか。難しいとこですね。
最近はそういう芸能人が出ないので、面白味は減りました。
ただ、田宮さんが早くに亡くなられたのは、ご自身の美意識故でしょうし、
ワタクシはそれでも仕方ないのかなあと思ってます。
2007/02/03(土) 23:58:00 | URL | ごいんきょ
誠実なクルマ
クルマ好きとしては 田宮二郎さんがイメージキャラクターをつとめていた、トヨタ自動車のコロナのCM、まだ小さかった自分は子供ながらに コロナの誠実なイメージにぴったりのキャラクターだなぁ。と感じていました。その後間も無く テレビの速報で田宮さんの自殺が伝えられ、今更ながらに残念でなりません。
2007/02/12(月) 07:29:26 | URL | トヨペット
コロナCM
田宮さんがやってましたっけ。
それは完全に忘れてしまいました。
見れば思い出すんでしょうけどねぇ。
2007/02/12(月) 21:41:26 | URL | ごいんきょ
山梨放送製作?
田宮次郎ショーですが山梨放送製作という情報が以前ネットに出ていました。12チャンなのか、プラザ47の方なのか解りませんが何か情報があればご教示ください。私が解っているのは山梨放送は日本テレビ系にて当時の野口社長は地方局のオーナー社長にしては渡辺プロ社長等とも親交があったようです。
2012/08/20(月) 20:13:59 | URL | とら
いや、山梨放送制作は有り得ないでしょう(苦笑)。
これは12チャンネル制作で間違い無いと思うなあ。

日本テレビ系だとしたら、よみうりテレビ版の方でしょうね。
万一あったとしても、ごく一部の回だと思いますけど。
2012/08/22(水) 02:47:23 | URL | ごいんきょ
十田敬三
なつかしいですね。
ペリーコモばりの美声ボーカル。
彼はこの番組のおかげで、スイングジャーナル誌の男性ボーカルでトップにランクされました。
田宮は、番組内で独りでは、めったに歌わなくて、ゲストのバックアップに徹していました。
一度だけ、ギターを弾きながらカントリーのCareless Love を歌ったことがあります。
2014/04/04(金) 10:22:31 | URL | sogenji
お。ジャズ愛好家の方ですか。
やはり大人文化の衰退著しく、スイングジャーナルもいつの間にか終わっていたのですね。
しかし、この番組を実見した方からコメントが戴けるとはまったく期待してませんでした。
台本ではけっこう歌の場面が用意されているのですが、
正直、田宮さん、歌はあまり上手くないですからね。
もしかすると番組では使用されなかったのかも。
でも、弾き語りは貴重な場面だったですねえ。
2014/04/05(土) 22:32:37 | URL | ごいんきょ
山梨放送
初めまして。貴ブログは以前から拝見していました。
「プラザ47」は確かに山梨放送制作でしたね。以下の資料に当時の関係者のインタビューがあります。
当時山梨放送は自社で購入したカラー中継車の活用のため、東京支社内に制作プロダクションを設けて、その一環として京王プラザホテルからの生放送で制作したそうです。


ttp://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/journalism/8/6.pdf
2015/07/07(火) 16:58:50 | URL | F11
あらまぁ(^^;)
「田宮二郎ショー」ですか。田宮二郎さんといえば、「クイズタイムショック」の司会者のイメージしかなかったですね。
2015/07/16(木) 18:20:59 | URL | マスダっち1971
F11さん。どうもありがとうございました。長年の疑問が解けました。しかも裏付けの資料まで。これからは枕を高くして寝られます。
2015/07/16(木) 19:42:18 | URL | とらお
初めまして。ずっと待っていたのに、なかなか書き込んで下さらないから(笑)。

日本テレビ版の方が山梨放送制作だったという事ですが、
一部のことかなと思ったら、たしかにYBS制作となってました。
あの時間帯にYBSあたりが制作番組をねじ込めたなんて、何か裏が有りそうな。
2015/07/17(金) 06:53:38 | URL | ごいんきょ
NTVの番組製作経費節減なのか、形を変えたYBS支援策なのか・・・
この頃のNTVは(富山に主力工場を抱えるYKKがスポンサーに付いた等の絡みか?)富山県の北日本放送に全国ネットのドラマを制作させたりと奇妙な編成を行なっていますね。

当時NTVが大正力逝去前の乱脈会計発覚の余波で極度の経費削減を強いられた状況で、地方局に番組製作を肩代わりさせたという事なのか、逆に全国各系列局からYBSに送られてくるネットセールス料でUTYというライバル局が開局し、オープンネットで無くなったYBSへの支援策代わりとする積もりだったのか・・・・・・・、案外、上にも触れている様にYBS社長の交友関係から田宮二郎をメインに据えたローカル番組を企画した(映画界から干された田宮はキャバレーの司会とかも厭わず受けていたらしいですし、ローカル地方局レギュラーの仕事として受けた可能性は大いにありますね)所、緊縮会計で苦しんでいたNTVの耳に入って「何、あの田宮二郎がメインなのか!それ全国ネットでやろう!」と相成ったというのが実際に近いかも(笑)。
2015/09/20(日) 22:38:27 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
ネット局争奪戦に絡めての飴だったのかもしれませんね。
2015/09/23(水) 21:09:52 | URL | ごいんきょ
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