私的 昭和テレビ大全集
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THE REQUEST SHOW (1960)

リクエストショータイトルザ・リクエストショー

やっとこさやりました。
月間全日投稿を、ブログ開設以来初めて、1月に成し遂げました。
しかしタイマー投稿を混ぜていると言っても、全てきちんとその日にアップして
これだけの内容の記事をこれだけの日数続けて投稿するのは
なかなか大変だというのは、ブログをやっている方には特にお解り頂けるでしょう。
これも全て、ワタクシの暇さの賜物です(笑)。
この上は、年間全日投稿を目指し、松井秀喜の意志を継ぐ者として
更なる精進をして参る所存であります(笑)。



これまで述べたように、渡辺プロは黎明期のテレビの潜在力に着目し、
まだ経営が軌道に乗る前の各テレビ局に
手弁当での番組制作企画を持ち込んで、ガッチリと根を張りました。
フジのザ・ヒットパレード、日テレのシャボン玉ホリデー、
TBSのパント・ポップショー、その他あまたの歌番組…。
これらがことごとく大ヒット番組となり、
後のナベプロ帝国が築かれていく事となるのですが、
最後発のNETは、まだまだ局自体の力も弱く、
ここまでのヒット番組は、当時は出ていないように思います。
しかし、ナベプロは勿論NETにもしっかりと食い込んでいた。
教育テレビ局として開局したNETにも馳せ参じた渡辺プロ。
このザ・リクエストショーの構成は、ナベプロのドン渡辺晋の妻、
今にまでその権勢を振るう女帝・渡辺美佐でした。
開局間もなくでまだ力の脆弱だったテレビ局にとって、
タレント調達から番組構成まで一手に引き受けてくれる存在が
どれほど重宝だったかは、想像に難くありません。
まだ番組制作会社なんてものが本格的に出来る前で、建前上は
すべての番組制作を各キー局が全てやっていた時代です。
今ではキー局テレビマンは、難しい事を全て外郭企業に押しつけ、
自分達は彼らに比べれば大した仕事もせずに最高の厚遇を享受する
という、人材派遣会社経営みたいな賤業に落ちていますけどね。
あるある大事典の問題は、ワタクシは基本的に
視聴者のレベルが低いんじゃないかと思ってますけど、
その辺は準備中の別ブログでいずれ語るとして、
ああした問題も、そのような構造が影を落としている
一端だとは言えそうに思います。

ちょっと脱線しましたが、ナベプロがなぜそこまでして、
多くの人がまだ海のものとも山のものとも知れぬと思っていた
テレビ番組制作に賭けたかと言えば、先見の明と言う他ないです。
メディアの将来性に確信を持っていた事に加え、
各プロダクションとの繋がりを構築する場とも捉えてたんでしょう。
自社制作・構成の番組にゲストとして出演させれば、
仕事を回しているという恩を作る事になりますからね。
この時代の音楽番組制作で幅を利かせていたレコード会社は、
自社制作の番組では、当然のように自社専属歌手しか歌わせない。
ところがナベプロは、よその事務所所属のタレントであろうが
ゲストに呼んで、美味しい役所を与えたりもした。
この辺の駆け引きもあって、一大帝国を築く事になっていくんでしょう。

このリクエストショーは、視聴者に歌手・曲のリクエスト葉書を募集し、
その葉書を紹介しながら希望に応えていくという作りで、
表面上は他局のナベプロ番組に比べるとナベプロ色が薄くなってます。
中村八大作曲のテーマソング流れる中、
電光タイトルと出演者の顔が並んでいくオープニング。
そのOP画像を載せている通り、この番組は映像が残っています。
この当時の音楽番組で映像が残っているというのは大変貴重で、
TBSが比較的映像を残している局だというのは、
或る程度のテレビマニアの皆さんはお気付きのようですけど、
NETというのもなかなか隅に置けない局なんですね。
だいこんの花が全話カラーで残っていたのには驚きました。
同時期のよみうりテレビ細うで繁盛記は、
あれだけの大ヒット番組だったのに2話しか残していない有様。
東京12チャンネルも結構VTRが残っていたりしますし、
教育局という事が何か関係あるんでしょうか。

オープニングが終わると司会の寺本圭一が挨拶。
「皆さんこんばんは、渡辺プロダクション企画の
 ザ・リクエストショー、~回目を迎えました」
続けて、「皆様の希望する歌手、曲目をどんどんお寄せ下さい」
とリクエスト葉書を募集するのですが、この時の宛先が、
東京麻布局区内 NET ザ・リクエストショー 寺本圭一宛。
司会者宛の住所ってのも今日ではとても考えられませんね(笑)。
そしてアシスタントの浦野みどりがリクエスト葉書を読み上げ、
ゲスト歌手が歌を歌っていくという構成でした。
どんな人がどんな歌を歌っていたかというと、
小坂一也がハートブレイクホテルだの無敵のライフルマンだの、
スリー・グレイセスが泪のラヴレターだのカレンダーガールだの
を歌っていた、そんな時代です。
やはり洋楽系が中心だったようですが、ダーク・ダックスが
北上夜曲を歌ったりと、特にジャンルの固定は無かったようです。
あと、番組音楽を担当していた中村八大も、モダントリオを率いて
自ら楽曲を披露するという事も有りました。
レギュラーだったというわけではありません。
全体的にはそのような感じで歌を羅列していくのですが、
なぜか『似た人ご対面』というコーナーが有りました。
その名の通り、ゲストの一人に似た人が出てきて、
本人とご対面するというコーナーでした。

番組最後は、司会者によるお決まりの挨拶。
「それでは皆さん、また来週、この時間この番組でお会いしましょう」
そして一同がサヨウナラと手を振りながら、番組は終わるのでした。
後CMが挟まり、局アナによるエンドタイトル。
「来週は誰々に似た人を募集します。当選の方はスタジオにご招待の上、
 誰々さんからあなたに何々をプレゼントします。
 自薦他薦を問わず、皆様のご応募をお待ちします。
 宛先はご覧の所、写真を添えてお申し込み下さい。
 なお来週の出演者はだれそれなにがしの皆さんです。
 提供は、東横、白木屋。ザ・リクエストショー第~回を終わります」
と提供と制作NETがクレジットされて終了でした。

東横・白木屋についてはウィキペディアに詳しい説明があります。
日本証券史上に残る一大仕手戦の末、最終的に東急グループが
経営を掌握してそれほど間も無い頃で、そんな東横百貨店と
白木屋のグループ性を告知するための提供だった感じでしょうか。
この当時の東横のCMはちょっとわかりませんが、
昭和40年代には東横のれん街のCMが、
やはりNETの夕方ニュースの枠でよく流れていたように思います。
♪ 東横 のれん街~ ってやつね。
文字じゃ全然わかんないでしょうが(苦笑)。
たしか大正テレビ寄席も東急で公開されていたはずで、
東映や旺文社と共に、東京急行もNETと非常に関係が深い企業でした。
スポンサーといい、関東ローカルでもおかしくないこの番組ですが、
MBS毎日放送にもネットされていたようです。
いずれにしても例によって、この番組を覚えている人は
ネット上には少ないでしょうが(苦笑)。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
提供:東横・白木屋
「ザ・リクエストショー」という番組は見たことないですが(その頃は生まれるずっと前でした)、「提供:東横・白木屋」に反応しました。

東急グループが関わっているといっても、このクレジットから見て、現在の東急百貨店であって、電鉄は関連は薄いんじゃないかとおもいます。

でも、東京制作で、関東私鉄がスポンサーの番組が、関西にネットされたというのはすごいですね。

そういえば、昭和40年代から50年代にかけては、名古屋、関西私鉄提供の番組が、関東地区にもネットされてました。

東海テレビ「ふるさと紀行」(提供:名鉄)、毎日放送「真珠の小箱」(提供:近鉄)、関西テレビ「阪急ドラマシリーズ」(提供:阪急)など。

CMは、全国ネットだから、主にグループ紹介的なものが多かったですが(かつての三井、三菱、住友などの財閥系のCMのように)、阪急などは、地域性が強いCMがあって、関東の人間には、ある意味で楽しく見えました。

しかし、これらの番組も、放送枠の関東中心主義や番組のマンネリ化、なによりスポンサーの業績悪化により、放送規模はどんどん縮小し、2000年代半ばには、比較的遅くまで残っていた「真珠の小箱」も、関東地方では見れなくなりました。

今では、関東私鉄では、西武以外は細々ながらもテレビCMを流してますが、先日の東京マラソンで、協賛会社の東京メトロ(旧営団地下鉄)のCMが全国に流れたのは快挙です。

特に、箱根という全国的に有名な観光地につながる小田急や、羽田という日本の玄関につながる京急は、全国規模のCMを流してもいいのではないかと思います。
2010/05/05(水) 00:00:02 | URL | 10000k
もうひとつ書き忘れ
東横のれん街のCMが流れていたのは、日テレの夕方の「ジャストニュース」でした。
2010/05/05(水) 00:04:58 | URL | 10000k
京急なら
羽田から都心へのアクセス鉄道として、地方局にも積極的にCMを出稿してますよ。(当方四国在住)
羽田つながりでいえば、東京モノレールのCMも見かけましたし。
2010/05/09(日) 22:56:08 | URL | うみがめ
東急の提供なら…
関東ローカルで甚だ恐縮ですが、1971年~75年の春まで、毎週土曜日の朝7時台にTBSで『土曜デポルテ』という番組をやっていました。
この番組が東急(グループだったか百貨店だったかハッキリしませんが…)の一社提供でした。

内容は、スポーツ情報が中心でしたが、名物が「デポルテ6(シックス)」というバレーボールチーム。
あの「東洋の魔女」が、そっくりそのままメンバーに入り、あとはタレントという顔ぶれで、各地のアマチュアチームと対戦していました。
ちなみに司会は、「文さん」こと、山本文郎アナウンサーでした。

おじゃましました。
2010/05/10(月) 23:07:00 | URL | 甚六
レスありがとうございます
うみがめさんへ

四国でも、京急のCMをやっていたとははじめて知りました。
さすが、羽田に路線を持つ京急だけのことはありますね。

ちなみに、琴電には元京急の車両が、伊予鉄には元京王の車両が使われてます。


甚六さんへ

'70年代に、TBSで、東急提供の番組があったというのはかすかに覚えてましたが、その番組は知りませんでした。

TBSで、東急グループ提供番組といえば、「まんがはじめて物語」(及びその後のシリーズ)が有名です。

ちなみに、TBS以外の地方局にもネットされてましたが(局によっては、別スポンサーかノンスポンサー)毎日放送にはネットされてませんでした。

やはり、在阪局の東京嫌いがあるんですね。
2010/05/16(日) 11:50:50 | URL | 10000k
あの人もこの番組と関わっていた?
昨日から高知新聞のラテ面に、浜村淳氏の回顧録が連載されています。
恐らくは通信社からの配信記事でしょうが、その中に興味深い記述がありました。
実は浜村氏のテレビデビュー作こそ、この「リクエストショー」の司会者だったのです。

彼は大学在学中から、当時流行していたジャズ喫茶で司会を頼まれることが多かったのですが、実は地元京都のジャズ喫茶が渡辺プロとは密接な関係で、渡辺晋氏自らが率いるバンドもよく出演していたそうです。
そこで渡辺氏に請われて大学卒業から程なく上京、東京近郊のジャズ喫茶で司会の腕を磨き、やがてテレビに進出したとのことです。
ただこの当時は、浜村節と言われる独特の口調がまだ確立しておらず、余り長くは続かなかったそうです。

上記記事で司会者として記載されているのが別な人ということは、浜村氏はその人よりも前か後に担当されていたことになりますが、どうでしょう?
2010/08/26(木) 14:08:49 | URL | うみがめ
電鉄会社単独提供番組
関東で、電鉄会社単独提供番組といえば、東急グループの「まんがはじめて物語」のシリーズが有名でした。

しかし、関東私鉄では、近鉄や名鉄のような紀行番組はありませんでした。

純粋な通勤路線で、沿線に住宅地が多い東急に紀行番組は合わないですが、それにしても、関東私鉄で、紀行番組がなかったのは寂しいです。

当時の関東私鉄は、地元指向が強く、沿線に他地域からの来客を喜ばなかったのかもしれないです。

阪急ドラマのように、紀行番組でなくても、沿線の風景を、現地に行ったかのように伝える番組もあったのに惜しいです。

もっとも、今では「ぶらり途中下車の旅」が、かつての紀行番組を、しかも特定の会社に限らずにとりあげていますが。

ちなみに、1974年頃に、NET(現:テレビ朝日)で、京急単独提供の「クイズ・チェックNOW」というクイズ番組が放送されていたそうです。
2012/02/05(日) 07:32:48 | URL | 10000k
三木鶏郎氏
故・三木鶏郎氏は、昭和30年代に、小田急(小田急ピポーの唄)、京阪(京阪特急)、近鉄(近鉄特急)と、電鉄会社3社のコマソンを手がけていました。

しかも、その3社のコマソンが同時に使われていたのがすごいです。

当時は、今ほど同業他社についてうるさくなかったのか、それとも、コマソンだけなら(本人出演でなければ)問題なかったんでしょうか。

ちなみに、鶏郎氏は、鉄道ファンでもありました。
2012/02/19(日) 13:29:36 | URL | 10000k
最初で最後のテレビCM
今から8年前の2004年、旧営団地下鉄が、東京メトロへの社名変更告知(株式会社化)という、営団としては最初で最後のテレビCMをやりました。

営団時代は、営利企業ではなく特殊法人だったため、テレビCMなどの広報活動や、副業にも制約があったんでしょうね。

東京メトロ(社名は東京地下鉄)になってからは、有名タレントを起用したテレビCMを積極的に流してます。

面白いのは、過去に、山田優と新垣結衣という、鉄道に縁がない沖縄出身のタレントが2人も起用されていたことです。

沖縄人から見た、鉄道への憧れを表現していたのでしょうか。
2012/03/15(木) 00:00:47 | URL | 10000k
● 10000kさん
随分たくさん書いて下さっていたのに返信が遅れていて申し訳ありませんでした。

いやあ鉄道CM関連番組にお詳しい。
京急は西武以上のシブチンですね。
提供番組が思い当たりません。
東横のれん街、昭和40年代はNETで流れてた気がします。
NETが朝日傘下になって、NETに影響力の強かった東急もよそに流れた感じで、
TBSでははじめて物語とか始めたんですね。

東武あたりだと北関東まで伸びてるんで、無理にやろうと思えば出来たでしょうが。
往時は埼玉あたりでも景観いいとこ多かったでしょうしね。
チェックNOWは気付かなかったなあ。

昔は、CMソングを作るという職人が、三木さんくらいしかいなかったんでしょうね。
三木さんの元からいずみたくさんとか桜井順さんとか巣立って、
いろいろCMソングの幅が広がり始めて、亜星さんとか新しい人々が出てきたって感じですか。

営団時代は規制が有ったのかなあ。国鉄とか三公社がCMやっていたのに。
山田優さんですか。こりゃまた旬な名前を出してくれました(笑)。


● うみがめさん
へえ。東京よりも他地方で多くCM流してたんだ(笑)。
でも、提供番組はほとんど無いと思うんですよね。

浜村さんデビュー作とは意外な話です。完全に関東主導番組だと思うので。
関西弁が抜けてなかったとしたら、苦しかったでしょうね、当時は。
前後はわかりませんね。感覚的には浜村さんが後だと思いますけど。


● 甚六さん
あら。そんな時分からTBSで番組やってたんですか。
じゃあ前言は勝手な思い込みって事で(笑)。
2012/03/15(木) 23:08:06 | URL | ごいんきょ
京急アワー
実は、NETの水曜夜7時台は一時期「京急アワー」と言っても過言ではありませんでした。番組の冒頭には、かつての一社提供番組にはありがちだったオープニング映像もちゃんとありましたし。
番組名だけ列挙すれば「ゲーム・テレパシー」「びっくり大ショック」「ワンツー・チータ」そして10000kさんご指摘の「チェックNOW」となります。
京急提供と言えばラジオでも「ミュージック・トレイン」(RF)が長く続いていました。

因みに、東急グループ提供番組には他にも、TBSで日曜の午後から放送されていた「サンデースポーツ」がありました。
2012/03/16(金) 22:14:51 | URL | うみがめ
えー。その枠はまったく見てなかったなあ。
京急のOPってどんなのだったんでしょう。
2012/03/20(火) 07:58:36 | URL | ごいんきょ
土曜デポルテ
甚六さんのコメントで、この番組について触れていました。司会者・山本文郎氏を偲びつつ、若干の補足を加えたいと思います。

まず、この番組は関東ローカルではなく全国ネットでした。ただ、東急百貨店がスポンサーについていたのが関東だけだったのです。土曜朝7時台の放送だったことからもお分かりの通り、平日朝の「JNNニュースショー・おはよう地球さん」の土曜版といった趣でした。

番組内容としては、スポーツやレジャーの情報が中心で、甚六さんご指摘のバレーボール企画は、ゴルフやボウリングの企画と持ち回りで放送されていました。
ゴルフ企画は「珍コースチャレンジ・ゴルフ」と題して、プロとアマが対戦するのですが、プロ側は一打ごとに使うクラブの種類をくじ引きで決めるというものでした。
ボウリング企画は「早投げボウリング」と題して、制限時間内に何回でもボールを投げられるというものでした。
バレーボール企画では、番組チーム「デポルテ6」がその名の通り6人制だったのに対し、一般チーム(各地のママさんバレーチーム)は9人制でした。何せデポルテ6の中心メンバーは元・東洋の魔女、一般チームにはある程度下駄を履かせる必要があったのでしょう。
2014/03/04(火) 22:46:39 | URL | うみがめ
土曜デポルテなんて、まったく聞いた事無いんだよなあ。
あれだけチャンネル回しまくってたのに(笑)。

きっとワタクシが扱う事は無いと思いますので(笑)、
うみがめさんの解説は非常に貴重ですね。
2014/03/05(水) 19:49:15 | URL | ごいんきょ
またまた補足めいたことを。
この番組はとりわけ短期間での番組打切り・時間変更が相次いでいた開局初期のNETの番組ということもあって、開始時期や司会者などについても定かでない部分がかなり多いようですが、どうやら開始したのは昭和34年ではなく翌35年の秋からのようです。
35年9月以前の新聞ラテ欄のコピーを見る限り・・・当該番組のタイトルは全く登場しません。昼から夜の時間帯に移動したということも可能性としてはないとも言い切れないのでしょうが、開局初期のNETの昼の番組群を見ると、ほぼ大半が”暮らしの医学”とか”コーヒー教室”とかタイトルからして「教養・趣味番組です」といわんばかりの番組がズラーっと並んでいて、その時間帯にこのような種類の番組がポツンと編成されるのはちょっと考えづらいので、恐らくこの番組のタイトルがラテ欄に初めて登場する35年秋スタートと見てほぼ間違いないような気がします。

この解釈に則って・・・またまた補足めいた感じになりますが・・・分かる範囲での番組情報をここに書き記したいと思います。
・放送時期:昭和35年10月〜38年3月(日付まではちょっと特定できませんでした・・・)
・時間帯
(開始〜36年夏まで)月曜20時台後半枠
(36年夏〜37年4月まで)火曜21:15〜45枠
(37年5月〜9月まで)水曜21:15〜45枠
(37年10月〜12月まで)火曜21時台後半枠
(38年1月〜終了まで)金曜20時台後半枠
・司会者
初代:浜村淳(開始から約半年のみ?)
2代目:寺本圭一(36年春〜終了まで)
・アシスタント
初代:浦野みどり
2代目:伊東ゆかり
3代目:波多マユミ

浜村さんはどうも最初期のみの司会ですぐに寺本さんと女性アシスタントの体制に変わったみたいです。
尚、37年8月当時(「TVガイド」創刊当時)のこの番組のアシスタントは(「TV50年」によると伊東ゆかりとなっています。

 
2014/05/26(月) 18:50:20 | URL | (ハンドル未記入)
おそらく、画像の番組を放送していたテレ朝の番組で、
昭和34年開始と書いてあったかと思うんですけどね。
しかし、どうも昭和35年10月3日開始っぽい感じです。

その他、いろいろ細かい情報ありがとうございます。

出演者といい、ナベプロ色の非常に強い番組ですし、
ワタクシの書き方もいけなかったのでしょうが、この番組は渡辺プロではなく、マナセプロの制作です。
実家であるマナセプロ制作の番組でも、渡辺美佐さんはけっこう構成をやっていたりしたんですよね。
2014/05/26(月) 21:00:26 | URL | ごいんきょ
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