私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -



番頭はんと丁稚どん (1959)

該当番組画像募集

さてさて、昭和テレビ笑芸人列伝。
金語楼の次にテレビを席巻したのは、なんと言っても
東のクレージーキャッツ、西の大村崑にとどめをさしましょう。
時期的には、大村崑の方がやや先になりますね。
実は更にこれより以前、脱線トリオが人気を博すのですが、
それについては後日、違う話題でやろうと思っております。
崑ちゃんが最初に頭角を現したのが、既述のやりくりアパート。
眼鏡をズラした鼻めがねスタイルの可愛さで一躍スターとなり、
番組中の生CMでミゼットを連呼して、
ダイハツミゼットを昭和30年代の代表的車に押し上げたものでした。
そんなやりくりアパートで名を売った面々、大村崑、
茶川一郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、そして作家の花登筐らが、
この番組も請け負っていたので、やはり大人気となりました。
NHKの『私の秘密』を大きく抜き、60%を超える視聴率を記録。

内容は、タイトル通りに番頭はんと丁稚たちのやりとりを描いた
公開舞台喜劇で、提供は、便秘に七ふく、七ふく製薬。
「七ふく提供、番頭はんと丁稚どんをお楽しみ下さい」と
女性アナのナレーションで番組が始まり、幕が開くと
崑ちゃんたち丁稚連中がラインダンスよろしく足を揃えて
テーマソングを歌うというオープニングでした。
商売人の街、大坂らしい題材を得た花登筐は、
後にあきんど魂でのし上がる立身出世ドラマで名を馳せますが、
その作品では必ず主人公がイビリに遭い、
それを不屈の闘志で跳ね返すというのもウリでしたっけ。
この番組は喜劇ですが、そうした花登の作風は早くも現れていて、
大村崑演じる崑松が、丁稚仲間の茶川一郎にいびられる描写が有り、
それにめげない大村の描写が判官贔屓の人気を呼びました。

そうなると面白くないのが、いびる側の茶川一郎。
茶川はほどなく降板という事態となり、毎日放送と七ふくは、
新聞広告でそうした事態をお詫びしたと言います。
茶川はその後、一心茶助という喜劇で人気を盛り返すも、
その一心茶助をパクったという噂しきりの『てなもんや三度笠』に
人気を追われてからは、あまり名を聞かなくなってしまったようです。
少なくとも関東人は、今では知らない人が多いでしょう。
そもそも番頭役も、佐々十郎の予定だったのが、放送開始直前に、
やはりいびり役を嫌って降りたという話で、芦屋雁之助となりました。
禍福糾える縄の如し。
雁之助はここからスターとなっていき、佐々は後退気味となりますか。

崑松崑松呼ばれていた大村演じる丁稚・崑松は、
十円ハゲのかつらに例の鼻眼鏡。彼の眼鏡は元々、
関東喜劇人の三木のり平から拝借したアイデアと言いますが、
崑松の十円ハゲヅラは、後年、関東喜劇人たるドリフターズの
加藤茶がアイデア拝借し返し、全員集合のコントでよく使ってましたね。
この番組で波に乗った大村崑は、更によみうりテレビの方で主演を獲得。
そのとんま天狗の方も大ヒット喜劇となったものでした。
土曜とんま天狗(YTV-NTV)、日曜やりくりアパート(ABC-KRT 現TBS)、
そして月曜がこの番頭はんと丁稚どん(MBS-NET 現テレビ朝日)。
当時、正しく一世を風靡していた感が有ります。
とんま天狗のスポンサーだった大塚製薬には、
企業イメージキャラクターのように長年起用され続け、
昭和40年代もオロナミンCのCMでずっと鼻眼鏡を披露してました。
紛れも無く、昭和を代表するテレビ笑芸人の一人であります。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
ラジオ番組で。
先日、ラジオ番組に大村こん(すみません、変換が出来なくて)さんが出演されていて、『番頭はんと丁稚どん』や『とんま天狗』などの思い出を語っていらっしゃいました。

『番頭はんと丁稚どん』は劇場公開番組でしたが、映画劇場で最終の上映が終わった後に、演じたそうです。

『とんま天狗』はスタジオで生放送だったので、時代劇なのに白衣を着たメイクさんが横切ってしまったお話しや、お醤油の生CMの人が緊張のあまり秒読みの最後に卒倒してしまったお話しなど、楽しいお話がいろいろありました。
「『とんま天狗』の思い出を語らせたら一日あっても足りないです」と大村さんが仰っていましたが、本当に何時間でもお話が聞きたいです。

あの頃一緒に活躍した人々で、オロナミンCの大村さんと、養命酒の藤田まことさんがお元気なのはCMのためにも元気でいなければという気持ちがどこかにあるからではないかとも仰っていました。
2007/03/23(金) 23:42:58 | URL | モデラート
聞きたかった…
いやあ、テレビもほとの見なくなったのに、
ラジオなんてまずしばらく聞いてないですよ(苦笑)。
聞きたかったなあ、それ。

会場については、テレビバラエティ大笑辞典に詳しく載ってます。
予算の都合で、花登さんが所属していた当方芸能のコネで、
当方直営の南街会館という映画館でやる事になったとか。
当初は映画の合間にやっていたという事で、なんで映画を見に来たのに
こんなものを見させられなきゃいけないんだと、ブーイングが有ったそうです。
もちろん人気が出てからは、この番組目当ての客ばかりになるのですが。

とんま天狗は生ドラマですから、いろんなこぼれ話が有るでしょうね。
一日有っても足りないですか。
それは是非、三日三晩聞かせて戴きたい(笑)。

あ、そうか。藤田さん養命酒やってたっけ。
養命酒のCMも懐かしいや。
公式サイトでアーカイブを公開して欲しいですね。
2007/03/24(土) 00:06:52 | URL | ごいんきょ
「新・番頭はんと丁稚どん」もあったとか・・・・・・・
おはこんばんちは。
 当時、難波の「南街会館」で公開録画されていたのは、理由がも一つありやして、当時の毎日放送には堂島の毎日新聞社南館の屋上にあった3つだか2つだかの小さなスタジオしかなくて、映画館を借り切って収録するというスタイルを取らざるを得なかった、と、社史か何かで読んだことがありんす。
 ちなみに、後年「新・番頭はんと丁稚どん」という続編も放送されていたらしいですね。
 私が覚えているのはABC(朝日放送)の「あっちこっち丁稚」ですね。この番組は「番頭はんと丁稚どん」のパロディだと某サイトに載ってましたが、ホンマかいな???です。近年はベタベタの大阪バラエティが無くて、ワタクシ関東人には寂しい限りであります。
2007/05/16(水) 20:55:11 | URL | 三船主任
上のワタクシのコメントでで当方当方書いているとこには
東宝と入れて下さいね。大体わかるだろうとは思うんですけど。

● 主任さん
スタジオが無かったから花登さんのコネで
使えそうなとこを使ったという事ですね。
あっちこっち丁稚も有りました。
でも、関東で放送しましたっけ? 覚えてないですが。
2007/05/17(木) 02:46:18 | URL | ごいんきょ
月曜日の男
昭和33年になって、OTV大阪テレビは、朝日放送と毎日放送(新日本放送)に別れることになり、毎日放送は昭和34年3月1日からテレビ局を開局した。従って「番頭はんと丁稚どん」は開局時からの放送でした。
放送された月曜日夜7時30分というのは、ラジオの時代はNHKで「♪きーみもボクも あなたも私もほがらかに~忘れた歌ならおーもいだしましょ みーんなみごとに歌いましょ~♪」で始まる「三つの歌」。「おばんです」で全国区の人気者になった宮田輝アナの司会、伴奏は天地真佐雄のアコーディオンだけというシンプルな素人参加番組でした。そしてそのあと8時からは花菱アチャコ、浪速千栄子の名コンビによる「お父さんはお人好し」でした。テレビ時代になっても、月曜夜7時30分からはNHKの高橋圭三アナの「事実は小説より奇なりと申します。・・」で始まる「私の秘密」が人気を誇っていました。毎日放送テレビ開局の1月後の4月に我が家にテレビがきたのですが、「びっくり捕物帖」や「やりくりアパート」はすぐに我が家の定番になりましたが、この「番頭さんと丁稚どん」を見だしたのはなぜかずいぶん後でした。当初は月曜日の夜は、「ミッキーマウスクラブ」(YTV)、「あんみつ姫」(ABC)の後は「私の秘密」を見ていました。その後は、「シャボン玉人生」(ABC)「銭形平次捕物控」(ABC)と続きます。
 船場の薬問屋を舞台に崑松(大村崑)、一松(茶川一郎)、小松(芦屋小雁)の三人の丁稚と意地悪な小番頭雁七(芦屋雁之助)とがドタバタを繰り広げました。なかでも、頭に丸い10円禿げがあり、少し頭の弱い崑松に人気が集中しました。それまで、「やりくりアパート」でも佐々やん(佐々十郎)の脇で地味だった崑ちゃんは一躍日本中の子供たちのアイドルになりました。何かもらうと、両手両足を広げて左右に踊りながら、「こんなんもうた、こんなんもうた」と喜びを全身で表現した大村崑のはじけた演技に子供たちは魅了されたのでした。また、にくにくしいくせに、急にしなを作って「いやー、ものすごいこといわはる」と女言葉になる雁之助の落差、女形の茶川一郎、両手をもみ合わせながら「あのねあのねー」と幼児化してしまう小雁とそれぞれの個性も際立っていました。
 制作が東宝と毎日放送なので、屋号は「毎宝堂」、スポンサーが便秘薬の「七福製薬」なので、舞台が薬問屋でした。東宝が関わっていたのは、当時脚本・演出の花登筺は東宝(東宝関西支部テレビ課)の専属作家だったからです。
やがて、茶川一郎が抜けて、代わりに雁之助、小雁の弟雁平が入って平松となり、トリオを続けます。そのため、松竹が映画化した「番頭はんと丁稚どん」シリース4本には茶川一郎は出演していません。なぜ東宝ではなく、松竹(京都)が映画化したのかわかりませんが、そのため、第1作では脚本は花登筺ではなく、別の人が書いています。また、薬問屋の屋号も東宝からとった「毎宝堂」をつかうわけにもいかず、スポンサー名の「七ふく堂」となっていました。」
2007/05/19(土) 18:21:51 | URL | 漫中老
いやあ、本当に昭和30年代の番組は漫中老さんに書いて貰いたいくらいで(笑)。
コメント欄じゃ勿体ないんですよね。

茶川さんが抜けたのは、崑さんをいびる役で、
崑さんが判官贔屓で人気が出てしまったのが不満だという話を聞きます。
2007/05/20(日) 00:26:02 | URL | ごいんきょ
あっちこっち丁稚
この番組は関東でも放送してたんでしょうか?
あっちこっち丁稚は関西のみでしたね。
中2で関西に引っ越してあっちこっち丁稚をたまたま見て関西の吉本王国にハマってしまいました。
中でも木松こと木村進さんのファンになりました!
2009/03/12(木) 13:47:31 | URL | 緑のおばさん
この番組は関東でも放送されており、全国的な人気だったと思います。
あっちこっち丁稚はたしかに放送されておりませんね。
2009/03/25(水) 03:56:23 | URL | ごいんきょ
番頭はんと丁稚どんの謎
私は関東ですが、この番組は小学生の頃、見ていました。確か夜の7時半頃ではなかったかと思います。ということは、昭和40年代になりますが、初めに放送されたのは、昭和34年から36年にかけてなんですね。
ということは、再放送だったのでしょうか。それとも別番組だったのでしょうか。ごいんきょさんは、ご存知ですか。
毎回番頭の雁之助にいびられる大村崑の崑松。茶川一郎、小雁、佐々十郎といった人たちはこの番組で知りました。花紀京さんも出ていたような気がします。茶川一郎に似た友人がいて結構学校で話題になっていました。毎回、お約束があって、店の奥さんか誰かに頭の弱い崑松がごほうびに10円をもらって「10円もろた」といって大喜びする場面がありました。
2010/02/03(水) 02:44:23 | URL | ブロンソン
うーん… 茶川さんが出ていたという事は、
初回放送だとしか思えないんですけど。
再放送はちょっと考えられません。茶川さんの問題も有りますし。
2010/02/04(木) 06:53:28 | URL | ごいんきょ
上方全盛
半世紀以上も前の話、私公開生中継を見に行ったことがあるんです。一度だけ福岡に番組が来たときでした。場所は中洲近くの宝塚会館(現存せず)。当時若手だった藤田まことさんが裃姿でのCM。続いてレギュラーによるいつものドタバタ。当日出番のなかった茶川一郎さんがジャケット姿で挨拶に駆けつけました。あの頃の上方芸人は層が厚く特に日曜日の番組は必ず見ていましたね。殆んどの方達が引退や他界された中、大村崑さんだけでも健在でいて欲しいです。
2013/03/17(日) 23:55:45 | URL | 六無斎リターンズ
生まれも育ちも東京浅草という生粋の浅草芸人
実は茶川一郎さんは生まれも育ちも東京浅草で、浅草軽演劇のキドシン(木戸新太郎)一座出身という生粋の浅草芸人なんですけどね。
キドシンが戦前、東京吉本所属だった事が大阪に活動の場を移す切っ掛けとなった様ですけどね。

解説)戦前、吉本は浅草にも常設劇場を抱えていて、関東大震災後は、終戦に依る浅草からの事実上の撤退(正確には吉本の東西分裂→東京吉本の衰退・消滅という経緯らしいですが)まで浅草喜劇・演芸界で最大勢力となっていて(落語協会と落語芸術協会の分裂にも深く関わっているそう)
柳家金語楼も長く吉本に所属していた程。
ちなみに大阪の吉本本社は終戦直後以降、1950年代を当時全盛だった映画館経営にほぼ専念する事で経営を乗り切る(ちなみにその空白期間に上方演芸界で最大勢力となったのが松竹芸能)事となります。
2013/03/18(月) 01:32:41 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● 六無斎リターンズさん
いやー、生き証人現る(笑)。
しかし、羨ましいですねえ。
崑さん、お元気ですからね。
ご本人はオロナミンCのおかげだと言ってますし、本当にそうだろうと思います。


● TXさん
うっ!本当だ。
それは今の今まで、考えた事も無かったです。
なんで関西で活躍できて、関東で活躍できなかったんだろう。
大村崑さんの急速な台頭で、ちょっとイザコザ有った人々もいて、
茶川さんも少し拗ねた感じらしいですが、ちょっと惜しかったですね。
一心茶助でもそのうち扱おうかな。
2013/03/24(日) 22:11:26 | URL | ごいんきょ
生粋
茶川一郎さんが浅草出身だったとは私迂闊にも初耳でした。どうりでたまに江戸弁のセリフを言う時バカに板に付いていた記憶が有ります。間違っていたらすいませんが子供の頃生粋の浪花っ子と思っていたミヤコ蝶々さん、園佳也子さん、藤田まことさん達も実は東京出身だそうですね。全く人は後の環境によって変わるもんです。
2013/03/28(木) 23:06:43 | URL | 六無斎リターンズ
うーん、本当に意外な人々ですが、藤田さん以外はおそらく幼少の頃に移住してるんですね。
藤田さんは十歳かそこらの頃みたいですから、関東の呼吸もかなり理解できたんでしょう。
一時ナベプロに在籍していたのを知って不思議に思いましたが、
関東にもまったく違和感を持ってなかったんですね。
2013/04/03(水) 00:28:00 | URL | ごいんきょ
実は浅草芸人・二人目
ここでも少し出て来ている佐々十郎も、東京浅草生まれ(出身は東京千住の様ですが)で、昭和20年代は
清金(清水金一)や森川信(共に戦中戦後の浅草を代表する喜劇俳優)の一座で修業していたというれっきとした浅草芸人でしてね。
ちなみに森川氏は「男はつらいよ」の初代おいちゃん役でも著名ですね。
佐々十郎の場合は、森川一座が戦中の一時期、競争が激しく、又、何かとお上からの干渉が多くなった浅草を避け、大阪を本拠とした時期があった事がどうやら大阪との接点となった様ですけど。
茶川、佐々ご両人共、昭和30年頃に大阪に進出した様ですが、つまる所エノケンを筆頭に芸人の序列が固定化されていた浅草を避け、吉本の演芸部門も復活前で実力主義の気風が強かった大阪に活路を求めたというのが大阪進出の動機のようですね。

ちなみに佐々、茶川両氏が実質メインだったやりくりアパートは関東でも驚異的な視聴率を記録したのに対して、大阪・北野劇場出身の大村崑が名実ともにメインの当番組は関東では関西に比して視聴率が低め(とは言え30%前後は稼いでいた様ですが)だったという興味深い話も序でに。

只、それは開局数年経った6チャンネルのTBSと開局直後の10チャンネルの日本教育テレビというネットした局の違い(初期のテレビ受像機は1〜6chしか無く、フジやNETを観るには7〜12ch用のコンバータが必要だった)も少なからぬ要素だった様にも思いますけど。
2013/04/05(金) 00:03:25 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
ちなみに上で私が書いた話は
以上の話は、私がかなり以前に読んだ雑誌「東京人」の浅草芸人特集や、後にそれを元に当時の浅草を知るご年配の方からお伺いした話を、私の記憶を頼りに、且つwiki等のネットでの確認作業の上(笑)で記述しました。

大阪生まれの立場からになるのでしょうけど、私個人昭和40年代以降の浅草演芸の衰退振りを浅草当地で目の当たりにして悄然としたもので、その際にたまたま「東京人」という雑誌で浅草芸人特集を組んでいたので、興味深く読み進めていくとそこに茶川一郎や佐々十郎の名があったのにビックリしたもので、以降ボチボチながらもこのご両人の浅草修行時代からの足跡も辿っているんですけど、資料自体少ないのが・・・。
2013/04/05(金) 00:56:35 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
やりくりアパートで崑さんの人気が急上昇して、佐々さんや茶川さんが面白くなくなったんでしょうけど。
崑さん含め皆さん関東の空気も解っていたからか、
全国的にウケたんだろうし、最低限の品も有りましたしね。
作家が花登さんというのも大きいだろうな。
羞恥心の有る方だったと思いますので。
やはり、てなもんやからテレビの中の言葉が非常に汚くなったと思います。
関西弁の中でも、特に汚いと思われる表現を好んで多用してましたからね。
綺麗な関西弁は本当に素敵な言葉なのに、いわゆるお笑いの連中が全てぶち壊していると思います。
2013/04/13(土) 07:15:44 | URL | ごいんきょ
七ふく製薬
確か…スポンサーが和漢薬「七ふく」の七ふく製薬でしたね。関東だと「しちふく」と発音して、関西では「ひちふく」と発音しているそうで。正しくは…「ひちふく」ですね。
2014/02/20(木) 16:40:37 | URL | マスダっち1971
そうです。七ふく提供。
初期の関西制作番組ではけっこう目にする名前で、
ドラマの提供もやっておりました。
2014/02/23(日) 20:45:52 | URL | ごいんきょ
トラックバックしました
その七ふくですが、実は今年の3月から製造販売権が小林製薬に譲渡されました。その辺の事情について、ブログ記事にしています。
2015/06/13(土) 22:01:28 | URL | うみがめ
は~。
いろんなとこで、大手に収斂されてますね。
多文化共生なんて言葉は嘘八百なのだという証左がこんなとこにも。
命の母までがねえ。
2015/06/14(日) 22:10:05 | URL | ごいんきょ
小林製薬のM&A
2000年代に入ってから「キムコ」「命の母」「七ふく」などが小林製薬の商品となりましたが、それ以外にも同業他社の完全子会社化を積極的に進めていますね。
主だった所では2002年に使い捨てカイロの桐灰化学、2006年にアロエ軟膏のアロエ製薬、2014年にマダムジュジュのジュジュ化粧品を完全子会社化しました。最近でもアメリカの大衆薬メーカーを買収したと報じられました。
確かに色々な事情があっての真っ当な経済活動なのでしょうが、多様性としてはどうなのでしょうね。
2016/11/13(日) 23:34:53 | URL | TSUSHIMA
なんか、製薬事情に詳しい人が多いな、ここ(笑)。
うみがめさんはお医者さんだから、当然なのかもしれませんが。

ジュジュ化粧品も吸収されたのか。最近はあまり名前を聞きませんしね。
2016/11/15(火) 06:35:59 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
昨日何気なしにテレビを見ていたら、「 あっ、小林製薬! 」の前置きから始まる 便秘薬「 丸薬 七ふく 」のCM が流れ出し、 驚きました 。 七ふくと言えば、 7種類の和漢生薬 を主成分に、 添加物も植物由来 のものだけとした 植物成分100% の便秘薬で、 元禄3(1690)年 から 大阪で売り出された 歴史ある医薬品です。従って、「 し ちふく」ではなく「 ひ ちふく」と読み...
2015/06/13(土) 21:55:37 | カメログ・アネックス
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ