私的 昭和テレビ大全集
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スチャラカ社員 (1961)

スチャラカ社員 (1961)
スットン トロリコ スチャラカ チャンチャン
という道中歌も懐かしい、てなもんや三度笠で大ブレイクした
藤田まことも、テレビ笑芸人第一世代と言って良いでしょう。
必殺やはぐれ刑事で鳴らした彼も、そもそもは喜劇で出てきたのです。
そのてなもんやは既述なんですが、彼は実は、
それ以前に喜劇でブレイクしていたのをご記憶の方は、
今日ではそうは多くないかもしれません。
それが、先の歌にも出てきた奇天烈な言葉の、スチャラカ社員。
スチャラカとはなんぞやという説明を受けずとも、
誰もがなんとなく、ああ、スチャラカな社員なんだろうなと(笑)
納得してしまうだけの語感が有る、タイトルの勝利であります。

社長が、まだちょっとだけ若かったミヤコ蝶々で、
横山エンタツやダイマル・ラケットといったお笑いの大御所を配し、
若手社員に藤田まこと、白木みのるの名コンビ。
このコンビは、後にてなもんやで、より一層の活躍を見せます。
お茶汲みみたいな存在で長谷百合という子がいて、
彼女を藤田が呼ぶ時に、長谷くーんというのが定番になってました。
後期になると長門勇が加わり、あの「おえりゃあせんのう」
という岡山弁が大人気になります。その前の人見きよしが言っていた
「ホント? チートモ知らなかったワア~」というセリフも、
定番ギャグとして随分と流行りました。
ワタクシ、番組は覚えてないのに、どこで知ったか、
いまだにたまにこのセリフが口に出る時あります(苦笑)。

藤田・白木といった出演者だけでなく、同じ朝日放送なので
スタッフも主立ったところはてなもんやと同じ。
ディレクター・澤田隆治、作家・香川登志緒の黄金コンビ。
更には曜日も同じ日曜日で、方や夕方、こなたお昼でした。
1960年代の日曜、昼は現代劇のスチャラカ社員、
夕は時代劇のてなもんや三度笠で茶の間を席巻していた、
澤田・香川・藤田・白木たち朝日っ子。
澤田は当時の番組を幾つか残してくれており、
おかげでてなもんや三度笠も、末期の数本とは言え今でも見られます。
このスチャラカ社員も、一応映像は残ってます。

ずっと一室を舞台に、数多い登場人物が場面転換もなく
延々と話し続けるコメディという事で、毎週毎週、
それも数年間も、よくもまあ喜劇台本を書き続けられたものです。
藤田まことはしばらくして、ギャグアニメの決定版、
おそ松くんのテーマ曲も歌ったり、バリバリのお笑い畑だったのですが、
先達の大村崑ともども、俳優という感じにスライドしていきました。
けれども、その特殊な風貌、ハッキリ言えばチビ、
もっとハッキリ言えば小人だった白木は、
喜劇ではないドラマに活路を見出すのは難しかったようで、
だんだんと姿を見なくなっていったのは寂しかったです。
あの素っ頓狂な声が耳に残ってますねー。
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この記事へ寄せられたコメント
中田ダイマル・ラケット
現在の知名度からいうと、藤田まことになるのでしょうが、これは、昭和の爆笑漫才コンビ中田ダイマル・ラケット(通称ダイラケ)主演のコメディです。昭和30年代、大阪道頓堀の寄席角座で人気者だった兄弟コンビのダイラケは、朝日放送と専属契約を結びます、当時、傷薬といえは、全国的にはメンソレータムが圧倒的なシェアを誇っていた中に、大塚製薬がオロナイン軟膏を大々的に宣伝しながら売り出し、ラジオ番組を提供します。これが「お笑い街頭録音」で「お笑い街頭録音は聞いてみてみ、オロナイン軟膏はつけてみてみ」というキャッチフレーズは大流行しました。番組も、大阪人が二人寄れば漫才になるといわれるくらいですから、毎回のテーマに素人とダイラケの当意即妙のやり取りはおもしろくて、人気番組になりました。続いて、ダイラケは、間抜けな(大阪弁で言う「スカタン」な)サラリーマンを演じたラジオ番組「スカタン社員」でも大当たり。こうした寄席の舞台やラジオでの人気をバックに、朝日放送テレビで初主演となったのが、髷物コメディ「びっくり捕物帖」でした。ダイラケが目明しの親分子分に扮して、上役の与力が藤田まこと、その妹が森光子。関西在住のミステリー作家香住春吾の脚本でしたので、謎解きもあり、森光子の立ち回りもあり、日曜のお昼は、毎日放送の吉本新喜劇を見ないでこちらを見ていました。
2年ほど続いた「びっくり捕物帖」の後が忍者コメディ「どろん秘帖」。忍術学校の落第生がダイラケ、忍術学校の校長の娘で二人を助けるのが、宝塚出身の環三千世(白覆面に白装束で現れるので、二人がつけた名前が「まっしろけ」。「快傑白頭巾」とか、もうちょっとネーミングに凝ってほしかった)。環三千世は美人でしたが(東宝映画にも出演)立ち回りがあまりにへたくそなためか、人気がでずに、半年ほどで終了し、その後に登場したのが、公開コメディ(もっとも最初の何回かはスタジオでした)の商事会社・海山物産の大阪支店が舞台の「スチャラカ社員」でした。こうした流れからもお分かりのように、主演はあくまでダイラケだったのです。
。出演者の序列から言えば、社長のミヤコ蝶々、支店長の横山エンタツ、社員が腹話術師で「イットウショウー」と奇声を発する人形(ハリス坊や)とともに、ラジオの人気者だった川上のぼる、その次が藤田まことでしょうか。そのほか、課長が人見きよし、給仕が白木みのる、美人の女子社員が長谷百合というのがレギュラーでした。「ほんとー、ちーともしらなかったわー」のフレーズで人気の出た、人見きよしが、ミツワ石鹸提供の「名犬ラッシー」の後のクイズ番組「ショーダウン」の司会者として東京へ行った後に、後任で出演したのが、長門勇でした。一方、「ハセクーン」と鼻にかかったフレーズで人気の出てきた藤田まことと白木みのるを起用して、一年後にスタートしたのが、「てなもんや三度笠」だったのです。
2007/03/28(水) 21:28:18 | URL | 漫中老
藤純子
もう一人大事な人を忘れていました。東映仁侠映画の花・緋牡丹のお竜シリーズで大ブレークする前の藤純子が出演していたことです。
これは長谷百合が映画出演か、ヨーロッパへ行くためか、とにかく番組を降りることになったため、演出家の澤田隆治が後任を探しており、たまたま知り合いの東映プロデューサー俊籐浩磁に誰か新人女優でいませんかねと聞いたところ、うちの娘がデビューしたところだ、というので、出演することになったようです。このとき、藤純子は、高校生か、高校卒業したばかりの初々しさでした。相手役の藤田まことは、さっそく「フジクーン」と甘えていました。
2007/03/28(水) 22:10:56 | URL | 漫中老
ダイラケさんと藤純子さん
只今、昭和のテレビ笑芸人列伝という括りでやっており、
その中での藤田まことさんの出始めの作品としての、この番組なんです。
ダイラケさんは、テレビ笑芸人という感覚じゃないんです。
本当はてなもんやをやりたかったのですが、既述でしたのでね。
ダイラケさんは昭和50年代に入ってもその漫才芸は円熟味が増すばかりで、
ワタクシも恐れ入りながら見ておりました。

ラジオ時代の話はワタクシにはわからないし、語る人も少ないので貴重ですよ。
スカタン社員については資料的には知ってまして、
書かこうかどうしようか迷ったのですが、コメントして戴いて助かりました。
びっくり捕物帳というのも有りますね。漫中老さんは関西の方ですね。
どろん秘帖というのは初耳です。よくご記憶ですねえ。
人見きよしさんの顛末と言い、これだけ詳しく当時をご記憶の方も少ないでしょう。
随分と詳しく丁寧な解説で助かりました。
また無理のない範囲で宜しくお願いします。


藤純子さんについても資料的には知ってました。
皆さんにコメントで補填して戴けると助かります(笑)。
富士さんというとどうしても、3時のあなたでの「犯人さん、出てらっしゃい」を思い出してしまいます(笑)。
初々しかった富士さんも見たかったですねえ。
2007/03/28(水) 22:25:46 | URL | ごいんきょ
年代
>昭和のテレビ笑芸人列伝という括りでやっており

わかりました。今後はそういう観点から、コメントしていきます。

>漫中老さんは関西の方ですね。
生まれも育ちも大阪です。

>よくご記憶ですねえ。
多分、私のほうが年長であり、祖母や父親の影響で子供の頃からお笑いが大好きだったからでしょう。
2007/03/29(木) 19:12:10 | URL | 漫中老
関西事情
そうですか、これはこれは心強い。
関西ローカルの話題で、しかも昭和30年代の話となると、
ネットでは語れる人は非常に少ないと思われます。
頼もしい方に来て戴きました。
2007/03/29(木) 23:54:39 | URL | ごいんきょ
小野薬品工業
この番組のスポンサーを務めていたのは、大阪の製薬会社・小野薬品工業でした。今でこそ同社は医家向け専業メーカーとなっていますが、かつては健胃消化薬「タフマック」や抗菌軟膏「バラマイシン」を町中の薬局でも販売しており、そのためにこうしたお笑い番組のスポンサーにもついていたのでしょう。
「スチャラカ」を直接観た記憶はありませんが、確か同じ枠の後継番組で、前述の商品のCMを観た記憶があります。EHエリック氏が「胃で効き、腸で効く…」と耳を動かしながら語りかけるCMはインパクトがありました。
「あなたの生命にまっすぐです」というごく真面目な企業CMを「サンデーモーニング」や「スーパータイム」などで流す今とは大違いと言っていいでしょう。
2007/05/01(火) 17:58:54 | URL | うみがめ
胃で効き、腸で効く。覚えてますよ。タフマックですか。
しかしエリックさんというのは言われればそうかなと思いますが、
耳を動かしていたかは思い出せないな。
エリックさんと言えば耳動かしですけどね。
しかし製薬会社ってなんで大阪ばかりなんですかね。
2007/05/01(火) 21:01:31 | URL | ごいんきょ
スチャラカチャン
真昼の番組だったかなぁ
ガラス窓の下に机が横1列に並べた
オフィス。みやこ蝶々も そして
あの感高い声でいつも「はせ~く~ん」が耳について超美人の長谷百合
さんあの時結婚されたお相手は
島津製作所の重役のお方でしたかな
???
2008/01/13(日) 11:18:00 | URL | 大阪の人
ですね。お昼の番組ですよね。
ハセくん、島津製作所の人と結婚したんだあ。
2008/01/13(日) 13:27:45 | URL | ごいんきょ
耳ピク
私も少し出来ます。ていうか私の場合、後ろでかすかな音がすると耳がそっちに動くんです。前世はネコだと思います。
胃腸、いいでちょう、というのは何のCMでしたっけ。E.H.エリックじゃありませんでしたか?
2008/05/31(土) 00:04:45 | URL | あぶもんもん
前世ですか。
前世占いって笑えましたよね。
ああいう笑えるものならいいと思うんですが。
胃腸いいでちょう。うーん、なんか有ったような。
エリックさんだった気はします。
2008/06/01(日) 20:16:20 | URL | ごいんきょ
スチャラカ社員にぶつけた裏番組の運命の分かれ道!
NETは昭和39年にそれまで水曜昼の放送だった「大正テレビ寄席」を日曜昼に移動させ勝負を挑みました。
そして関東等では「スチャラカ社員」と五分以上の人気を誇り遂には圧倒した訳ですが、関西では東京演芸が主体という内容が毛嫌いされたのか全く人気が出ず・・・・・・・。
ここで毎日放送は早々に「大正テレビ寄席」のネットを打ち切りスポンサーは同じ大正製薬のままで「吉本新喜劇」に切り替え、これが人気番組となった訳ですが、この件でNETと毎日放送との不仲は決定的になってしまいました・・・・・・・・・・・・・・・。
ちなみにこの日曜昼の毎日放送「吉本新喜劇」枠ですが、大阪のネットチェンジの後、NET系列となった朝日放送が新喜劇以外の吉本芸人も加えた「日曜笑劇場」としてスポンサー毎事実上受け継ぎ、現在も大正製薬はスポンサーから外れたものの番組自体は継続中です!


2008/06/04(水) 01:28:32 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
TXさんって関東人ですよね?
じゃなきゃハンドルがおかしいし(笑)。
よくまあ関西事情までご存知ですな。
2008/06/07(土) 23:27:56 | URL | ごいんきょ
実は大阪近郊生まれで(笑)
もう今では関東での生活の方が長いんですがねぇ。その辺はごいんきょさんの察する通りなんですが(笑)。実は関西のテレビ史上最大の出来事だったABC,MBSネットチェンジの際の視聴者の混乱振りを肌で体験している人間でもありまして。今にして思えば、その体験が私がテレビに関心を持ち、ひいては東京12チャンネル→テレビ東京に思い入れを持つようになってしまった原点かもしれないなぁ、と最近つくづく思うことしきりでもあります(笑)。


2008/06/08(日) 19:36:37 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
ああそうでしたか。
やはりいろんな地方の放送事情をご存知の人は
そんな感じの人が多いですね。
2008/06/11(水) 06:36:08 | URL | ごいんきょ
コメディアン藤田まこと
だと、実感できる番組
スチャラカ社員とてなもんや。

藤純子さんと、いうのは
寺島純子さんですよね。
3時のあなたよく、見てましたから。
  
2009/02/19(木) 23:48:55 | URL | 梅吉
そうですね。我々には藤純子、
3時のあなたでは寺島純子、
そして現在は富司純子と、3つの名を持つ人です。
寺島しのぶさんが娘さんですね。
2009/02/21(土) 02:02:00 | URL | ごいんきょ
「リキホルモ」
ってなクスリもありましたっけね。
CMで白木みのるがうまそうに服んでました。

それにしても、
あまたの名番組を世に送った、
大淀南のABCホール、
惜しいです。
一度観覧に行ってみたかった。。。
2009/04/13(月) 11:12:58 | URL | 葉っぱ
小野薬品のリキホルモ。
力道山さん絡みの商品だというのはわかるんですが、
開発したんでしょうか、CMに出てただけなんでしょうか。
ちなみに奥村チヨさんが、そのCMソングでデビューされてますね。
大阪ABCホールという名は番組中でよく聞きましたが、
新しくなったんですね。
2009/04/14(火) 00:46:48 | URL | ごいんきょ
リキホルモ、、、て「オトコに精リキ、オンナに魅リキ」って宣伝してましたね。
2009/04/15(水) 15:28:08 | URL | 亀
え?
真っ昼間っからそんな濃いCMやってたんですか?
2009/04/16(木) 01:02:05 | URL | ごいんきょ
藤田まことさんが亡くなられ、非常に残念
私の名前は、ふじたまこと(藤田真)です。
小学校の時、スチャラカ社員、てなもんやを楽しく見ていたことを思い出します。名前が同じだったことから良く冷やかされました。
藤田さんが必殺そしてNHKの大河ドラマ(脇役)と名優になっていくのが非常にうれしかったです。
2010/02/19(金) 11:18:01 | URL | makotochan
音だけでも有名人と同姓同名の子って、必ずからかわれますよね(笑)。
でも、今となってはそれも思い出の一つなのでは。
藤田さんは大河に出演された時も、結構な意外感で捉えられたようです。
2010/02/22(月) 00:21:46 | URL | ごいんきょ
ありがとう
私の記憶では、藤田まことさんが「ふじくーん」と言っていたようだったのですが、「はせくーん」だったとは。ところが、このコメント集を読んでいると、当初「はせくーん」で、その後長谷百合なる人物が降板に。その代役が藤純子とありました。
私の脳も、まだちょっとは大丈夫だったと、安心した次第です。ありがとう。先日、66歳になったところです。
2010/03/07(日) 17:01:56 | URL | お猿さん
30年前の3月4日
1980年3月4日。大阪のとある街で、一人の「天才型芸人」がひっそりと亡くなりました。

その人は、『スチャラカ社員』では当初チョイ役でしたが、その後、レギュラーになります。そして、E.H.エリックさんと「タフマックED」のCMにも出るようになり、『これはエライことですよ、これは』の名セリフを残します。

やがて、その人は『てなもんや三度笠』や『ごろんぼ波止場』でも人気を集め、1960年代後半を代表する売れっ子芸人になりました。

ところが、その人には深刻な「借金癖」があり、徐々に芸人仲間から疎まれるようになりました。おまけに、お粗末としか言いようのない「事件」が発覚し、その人は暫く表舞台から姿を消してしまいます。

数年後、東京・浅草を再起の地と決め、その人は芝居に、漫才にと巻き返しを図りました。今から34年前の5月のこと。TBSの『3時にあいましょう』では、その人の活動に密着した「特集」が組まれたほどでした。

ところが、大阪で懲りた筈の「借金癖」は東京でも治まりませんでした。再起に手を貸してくれた東京の芸人さんたちも、文字通り「匙を投げた」そうです。
折角の舞台だというのに、稽古に姿を見せず、朝から酒をあおっていては、持病の糖尿病は悪くなる一方でした。

やがて、身も心もボロボロになって大阪に戻ってきたその人は、それから暫くして息を引き取ったそうです。30年前の、ちょうど今頃でした。
享年44。本名・直井新一。そう、その人とは、『ルーキー新一』。まさに、不世出の天才型芸人でした。

この人を、ごいんきょ様がおっしゃる「昭和のテレビ笑芸人列伝」に加えるには、あまりにも「華」の期間が短かったかも知れません。また、「素行」がマイナスに働いている事も否めません。

ただ、わずか数年の間にいくつものギャグを世に出し、ガキだった我々を大いに楽しませてくれたことは忘れない、いや、忘れることは決してないと思います。

おじゃましました。
2010/03/12(金) 03:19:21 | URL | 甚六
ルーキー新一さんのギャグ
スチャラカ社員では、「ふじく~~ん」の後に恥ずかしそうに「まことさん」といって手を握られる藤純子さんの初々しさと、「いや~ん、いや~ん」の、ルーキー新一さんのギャグが強烈でした。
私も、この人が天下を取るのだなあと思ってましたが、残念な後半生でした。
2010/03/17(水) 01:47:07 | URL | サハラ
歌も出てましたっけ
題名は忘れましたが,例の事件のあと,ルーキー新一さんは,キャバレーをまわりじきじきにレコードを売る日々・・・と週刊誌にありましたっけ。
アニメ版白黒のロボタンでも,「ぼっち」や「きーこたん」のからみの中で,いやんいやん,ってやってましたね。ひっじょーにきびしいっ,って財津さんのギャグも織り交ぜていましたが。
もう,30年ですか。
2010/03/18(木) 08:30:48 | URL | いくちゃん
木屋町ブルースです。
サハラさん、ありがとうございます。最後の「この人が天下を…」を読んで、思わず「同感!」と唸って
しまいました。

いくちゃんさん、お久しぶりです。
ルーキーさんがキャバレー回りで売っていたレコードは、『木屋町ブルース』という曲でした。自主制作盤とはいえ、天下の「テイチク」レーベルで、サイン色紙がついて500円だったそうです。

今、テレビで「彦麻呂」や「ほっしゃん。」を見ると、なぜかルーキーさんの顔が浮かんできて仕方がありません(なんとなく顔が似ていると思うのですが…)。

おじゃましました。
2010/03/18(木) 12:57:16 | URL | 甚六
様々な方がこの大全集をご覧になっているようで(笑)
私が大正テレビ寄席の毎日放送不ネットの件をこの大全集のあちこちで書いているのを様々な方がご覧になっているようで、後に色々正確な話が分かってきましたので訂正(苦笑)。

そもそも大正テレビ寄席は別の曜日で放送開始された番組(その頃は毎日放送もネット)で、NETはこの番組がスチャラカ社員と互角以上に戦えると踏んで、それまでNETでも放送していた吉本新喜劇(毎日放送製作・大正製薬提供)に変えてスチャラカ社員の裏にぶつける事に決定した訳ですが、関西では大正テレビ寄席に対する視聴者の反応も鈍かった事もあって、毎日放送は吉本新喜劇の時間変更等を拒否し、大正製薬のネットスポンサー下での関西ローカルという形(テレビではかなり変則的(ヤン坊マン坊天気予報位ですね)ながら、ラジオでは割合多く見受けられる方式で企画ネットと言われるらしい。)で吉本新喜劇のこの時間での放送を続けたというのが実際の所だった様ですね。
2010/08/30(月) 22:43:54 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
とは書いたものの・・・
上のように書いた後、調べ直していると「毎日放送は日曜お昼に大正テレビ寄席をネットしていたものの....」との記述もあったりと・・・。
そうなると当時の毎日放送の日曜お昼は
吉本新喜劇(自社制作NET系ネット番組)→大正テレビ寄席(NET系ネット番組)→吉本新喜劇(自社制作関西ローカル番組)
となり、大正テレビ寄席をネットしていた間、吉本新喜劇は別の時間に移動してのローカル枠で放送されていた事になる訳ですが。
只、後に23時ショーをネットしながらも1年足らずでネットを拒否し、ローカル枠に戻したというのもありますから、当然そういうケースも当然あり得る話ですし・・・。
ちょっと機会があれば大阪の縮刷版をめくる必要性を感じますね(笑)。

2010/08/30(月) 23:39:06 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● お猿さん
せっかく当時ご覧の方にコメントを頂いたのに、
返信できずに申し訳ない事をしてしまいましたね。
後期をご覧だったようです。


● 甚六さん
ルーキーさんと言えば、両乳首をつまむ感じで身を振りながらやる
「いやーんいやーん」が懐かしいですが。
天下を取った人と言うにはあれですけど、忘れ難き人ではあります。


● サハラさん
後期の藤さんの頃にご覧の方が多いようですね。


● いくちゃんちゃん
ロボタンはほとんど覚えていないのですが、ルーキーさんや財津さんが
お馴染みのギャグをやっていたとは知りませんでした。


● TXさん
どうしても関西テレビ事情の書き残しは、関東のそれに比べて少ないですからね。
関西の業界通の方々に奮起して戴きたいです(笑)。
2010/09/03(金) 07:14:38 | URL | ごいんきょ
スチャラカ社員
子供でしたので、途中からしか覚えてないですが、「・・・そんなことだったら 出世はできない 力と馬力でがんばれ ほいほい」とだけ歌えます
2010/09/28(火) 21:56:30 | URL | ど忘れだ
スカタン社員
小学生の頃、ラジオの「スカタン社員」を関東から電波状態の良いときに聞いていました。はじめて直にふれる大阪文化でした。学校でもテレビの影響で関西弁がはやり始めていて、女子が「うち」「おおきに」などを使ってました。
「スチャラカ社員」もテレビでよく見ていました。他の方のコメントで関連や流れがよくわかりました。
2010/10/10(日) 02:31:04 | URL | クインナルビー
● ど忘れださん
リキホルモのCMソングですね。
いかにも高度成長期です。


● クインナルビーさん
中部の方でしょうかね。
関東まで聞こえていたのなら凄すぎますが。
テレビは方言も身近にしましましたし、方言を殺しもしましたね。
2010/10/24(日) 22:05:09 | URL | ごいんきょ
テレビ世代、、、
今年57歳、、、テレビの開局に合わせて産まれて来たようなものです。
早くから白黒テレビがありました。今で言うテレビッ子で、特にNHKオタクでしたね。
開局当時のテレビの番組表は、時間帯で虫食い状態。関東地区で有名だった「伝助劇場」を何気なく思い出していたら、「スチャラカ社員」も思い出しました。
♬コレステロールも血圧も~♬でしたっけ?大きな薬ビンから白木氏が歌いながら出てくるんでしたよね。
伝助と同じような年齢になって、あのレトロ風景の中に自分の子供時代をダブらせています。
NHK放送センターは当時は渋谷ではなかったんですね。
よく行きました。それで番組の絵はがきをもらってくるんですよ。それをスクラップブックに貼って、、今でも取ってありますよ。僕のお宝です。約50年も昔のものですからね。
朝の連続ドラマ「おはなはん」から大河ドラマ「太郎」や「バス通り裏」「ひょっこり~」「時間少年」いろいろです。
時の流れは、時には残酷なものですね。致し方ないのですが、時間は残せませんが歴史として残せるものがある事はうれしいものです。時々、覗いてみますのでよろしくお願いします。
2010/10/29(金) 08:55:32 | URL | オスカー君
いやー、第二世代としては本当に羨ましい方々ですよ。
昭和30年代の番組を、もっと見たかったです。
白木さんの描写も貴重です。
他の番組でもコメントを戴けると嬉しいですね。
2010/10/30(土) 06:15:44 | URL | ごいんきょ
スチャラカ社員の人見きよしギャグ
人見きよしさんのギャグを思い出して検索していましたが、「ホント? チートモ知らなかったワア~」しかみあたらず、その後の「聞いてみないとわからないもんだね~」と「どうすることもアイキャンノットだね~」が出ていなかったので寂しく思い書いています。当時はテレビがまだ普及していなかったので、一家全員で見ていて大笑いしたものです。
2013/04/09(火) 14:33:17 | URL | ロブ蔵
チートモ知らなかったワア~は、ワタクシも聞いた事が有るので、
後年までずっと使っていた代名詞だったんでしょうね。
他のは初めて聞きました。
一家で楽しんでいる風景、いいですね。
2013/04/14(日) 08:10:40 | URL | ごいんきょ
スチャラカ社員
長谷百合が藤田まことと結婚して退社。その後に入社さたのが、富士純子でしたね。当時は藤純子と字が違ってますが。
やはり、すごく綺麗な人でした。
2015/04/09(木) 22:02:37 | URL | レベッカ
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