私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-) ↑

世相巷談 (1978)

該当番組画像募集


フジテレビ報道2001からの卒業を昨日表明した竹村健一。
前番組の世相を斬るから15年を超える活動に一区切りということで、
その原点とも言えるこの番組を扱ってみようと思います。
ワタクシは、沢田亜矢子のルックルックこんにちは1コーナーとして
よく見ておりましたが、それ以前は独立した番組だったようです。
ただ、それは見た記憶が無いので、話はルックルック当時になります。

昨日の卒業で呼ばれたゲスト三人が、中曽根康弘、中川昭一、
そして小池百合子でした。
小池は他ならぬ、この番組でのアシスタント。
もっともワタクシは、覚えていないのですが。
単独番組当時だったんでしょうね。
ルックルックコーナーでは、沢田が時々応対していたように思います。
ただ、ほとんどは竹村の独壇場(笑)。
あれだけ個人一人の見解を垂れ流していた人も、
よく考えるとあまりいない気がします。
それまでの時事番組は、大抵会話の中で意見を述べてましたのでね。

それでも人気が出たのは、フルブライト留学一号生として、
本場でテレビ・メディアについて本格的に学んだ事を
フルに活かした成果という事なんでしょう。
パイプ片手の上から目線。
但し言っている内容は、アメリカを中心とした海外の見識を吟味した、
当時としては目新しい視点のものが多く、
そうした姿勢・外見からそのような内容が語られる事で、
竹村の人物像は増幅されていったわけです。
トレードマークのパイプも、洋行帰り・言論家の小道具として、
視聴者に無意識的な説得力を生んでます。
そうした全てが、きっと計算づくだったのでしょう。

この番組でよく見たなーと思う政治家が、
渡辺美智雄、中川一郎、そして中曽根康弘。
昨日、やはり本人もその三人を関係深い政治家に挙げてました。
昨日のゲスト政治家二人は、そうした関係での出演だったのです。
竹村がコーナー冒頭、時の時事に関して一人で見解を延々と語る。
それが一区切りつくと、傍らにいるその日のゲストを紹介、
彼らに関する対談となるというパターンでした。
渡辺は、栃木弁丸出しの親しみ易さで、率直に言うべき事を
隠さずに伝えようとしていた印象が有ります。
見ていて面白い政治家の一人で、主婦の人気も有ったはずです。
中川はしゃべりが苦手な感じで、ただ実直そうな印象は受けました。

中曽根はもう、今とあんまり変わってません(笑)。
特によく覚えているシーンが、鈴木内閣で行政管理庁長官になっての出演。
竹村が、「本当に大変なポストに就いてねえ。
なんでこんなポストに就けたんだか」と中曽根を労うのを、
中曽根は否定せず、ただ深く頷いておりました。
行政管理庁なんてどう考えても伴食だと思っていたので、
この二人のやりとりがけっこう意外だったのですね。
もっとも当時、行政改革という言葉がやたら連呼されており、
その関係で何か仕事をするのかなというのは思いましたが。
但し、その具体的内容は常にほとんど説明されず。
何をどう改革しても「改革」。ある改革が終わってもまだ「改革」。
思えば小泉政権でも連呼された「改革」という正体不明の妖怪は、
この頃から日本で暴れ始めていたのでした。
おそらく鈴木に次期総理として意識されていたのかもしれない中曽根は、
そのまま鈴木善幸が頓挫した行政改革路線を受け継ぎ、
国鉄・電電・専売の3公社民営化などの大仕事をやり遂げます。

昨日、小池が思い出話として、ガンジーの話を滂沱たる涙で
竹村が語ったというのが有って、かなり意外でした。
時々口調が強くなる事はあっても、基本的に感情に流されない
クールな印象が有ったのですがね。
キッチュがよくネタにしていた話しですが、大島渚との討論で、
大島が「言ってる事が違うじゃねぇかバカヤロウ!」と
例によって激昂したのを、「話にならん」と受け流した感じ(笑)。
ワタクシもけっこう番組・コーナーを見てましたけど、
泣いたのは見た事ないですからねえ。

「僕なんかこれだけですよ、これだけ」と手帳をかざす、
明光商会MSシュレッダーのCMで一躍脚光を浴びた竹村ですが、
主婦連は既に彼のキャラクターを把握していたのでした。
この番組中、自画自賛していた彼の言葉で印象的なのが、
「平仮名の魅力だと言われるけど、なるほどそうかと思った」というものです。
政治をわかりやすい語り口で主婦層に伝え始めた人物というのは確かでした。
ビートたけしの『気分はパラダイス』に何故かゲストで出演した際、
最後に得意げにピアノを弾いていた竹村。
昨日の番組卒業でも、もちろん披露しておりました。
とまあこんな記事を書いているとなんか追悼みたいですが(笑)、
まだまだ他の分野では活躍する人でしょうから誤解なきよう。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
CM
 竹村氏の出演されたCMというと、キッコーマンの「デリシャスソース」が思い出されます。

 奥さ~ん。「デリシャス」(「デ」にアクセント)じゃありませんヨ。「デリーシャス」です。

と、得意の英語にからめたCMでした。たしか、氏は英語の勉強法の本を数冊出しているんですよネ。
2008/03/31(月) 20:48:29 | URL | 自由人大佐
デリシャスソース
そうですね。
竹村先生と言えば「僕なんかこれだけですよ、これだけ」と、「大体やね」、
そしてデリシャスソースの、「デリシャスじゃなくてデリーシャスですよ、奥さん」。
この3語で全て表せるでしょう(笑)。
2008/04/01(火) 07:13:23 | URL | ごいんきょ
世相巷談コーナーが打ち切られた理由
日テレ労組が竹村氏の降板を要求し、最終的に日テレ経営陣もそれを受け入れたからなんですな。
それまでは「11PM」のスポンサー向けのパイロット版での進行役が竹村氏だったという伝説もある位日テレでの仕事も多かったんですが、その一件を機にフジ一本になったんですな。
ちなみに彼が日テレの番組を降板したときに妙に残念がっていたのが私の母親で・・・。
母親はどこをどう見ても共産シンパだと思っていたので、ちょっと驚きました(笑)。
ちなみに「世相を斬る!」の方はゲストとして笹川良一さんとかが登場していた時は父親と半ば強制的に視聴させられてました(笑)。一方母親はさすがに露骨に嫌な顔をしていましたが(笑)。
と、かなり変てこな家庭で育った事が私の人格形成に大いに影響したのは間違いの無いところでしょう(爆笑)。
2008/04/01(火) 12:37:14 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
北海のヒグマ(毎度ながら脱線ネタです)
 との異名を持つ中川一郎氏。自ら派閥を率いて、もしや北海道初の総理誕生か?とも言われたこともありましたが、残念なことに自ら命を絶たれました。
 「弔い選挙」として出馬したのが、長男である昭一氏と秘書である鈴木宗男氏でした。
 当時のニュースでは「骨肉の戦い」とまで言われたものです。もう四半世紀も前になるでしょう。
私もまだ小学生でしたが、なんとなく印象に残っています。
 中川氏が亡くなる数日前に
「国会敷地内で立ち小便をした」
というトホホなニュースが報じられました。
 夏休みの自由研究で新聞から気になる記事を取り上げて、それに簡単なコメントを付ける、ということをしていた私、もちろん恰好の材料として取り上げさせていただきました。(^₋^;)
 主亡き後の「中川派」はたしか石原慎太郎氏が引き継いだと思います。(記憶が定かではありませんが)
2008/04/01(火) 14:19:45 | URL | (ハンドル未記入)
あら、またやっちゃった
 たぶんおわかりでしょうけど、上のコメントは私「北国の人」です。
 あ、そういえば私「ドラえもん」にはコメントしてないです。コメントされたのはyigさんですよ~。
 どさくさ紛れのツッコミ、失礼いたしました。m(--)m
2008/04/01(火) 14:25:59 | URL | 北国の人
またまた失礼
件の「立ち小便」事件、亡くなる数日前ではなく数ヶ月前でした。
いけませんね。きょうはもうグダグダです。(*´Д`)=з
2008/04/01(火) 14:45:16 | URL | 北国の人
海原治
「世相講談」のホストにはもう1人、元防衛官僚で軍事評論家の海原治という人もいました。
この人はもともとゲストだったのですが、竹村健一が休んだ時の代打で司会もやるようになりました。
見た目はロマンスグレーのソフトでにこやかなおっさんでしたが、眼鏡の奥の目が笑っていないのがちょっと怖かったです。
2008/04/01(火) 19:15:25 | URL | hayamin
鈴木内閣が
総辞職したのは昭和57年11月26日。ちょうどルパン三世第一シリーズの再放送を夕方5時台にやっていた時期だったんですが、特別番組が組まれ、その日に放映されるはずだった「ニセ札づくりを狙え!」は延期でなく中止されました。毎日録画していた私はいまだに根に持っています。
全然関係ない方向に話を振ってすみませんでした。
2008/04/01(火) 21:41:13 | URL | あぶもんもん
竹村健一さんといえば
竹村健一さんといえば、あの独特な髪型ですよね。数年前にカットはカリスマ美容師のいる美容院に替えられたと女性週刊誌で見ました。昔は奥様がカットされていたとか。
2008/04/01(火) 22:15:41 | URL | 南 うなみ
一九分け
● TXの無いテレビなんて・・・さん
読売・産経に共通している点と言えば、親米保守(表向き)って事で、
どちらにしても竹村氏との親和性は高いんですがね。
ただワタクシなどから見ると竹村さんなんて保守じゃないですけどね。
むしろ革新的だなーと思いますよ。
やたらとアメリカの常識を振りかざしてましたしね。
あの当事はそれでたしかに革新的でしたけど、今になると古い観点ですけど。
むしろ日本やアジア独特のシステムや思想にこそ、守るべき点が多かったのではと思います。

日テレ労組ねー。
日テレにもアカい血が脈々と流れてますからね。
終いには新聞とも併せて、そういう勢力がツー・トップにいるという(笑)。
本文中でも書いたように、竹村氏は一人でとうとうと自論を開陳してましたから、
その辺が気に食わなかったんでしょうかね。
しかもこれも本文中で書いたように、それも計算のうちのはずで。
すなわち、テレビを洗脳システムとして絶対に意識しているはずなんですよね。
だから日テレ労組がアレルギー感じるのもわからないでもないですが、
そんなこと言うならお前らそもそもCIA傀儡の局にいるなよと思いますね。
妄想だけど(笑)。


● 北国の人さん
中川一郎氏逝去の後の争いは、酷いもんだなーと思いながら見てました。
秘書が長男を押しのけようとするなんて、ちょっとねーと。
中川一郎、渡辺美智雄両氏とも、一度は総理をやらせたかったです。
少なくとも森氏や現福田氏などよりは説得力ある人材でしたが(笑)。
中川さんの死に関しては、福田陣営からの追い込みが有ったとも言われますけどね。
そうだとするなら、別働隊として活動してる自分に、あまりに無体ではないかという、
そんな無念さが有ったんですかねー。それと総裁選での惨敗とのダブルショック。
憶測にしかなりませんけど。

ハマコーの立小便は覚えてますが、中川さんも有りましたっけ?
中川派はしばらく主不在で活動してましたが、最終的に名前だけ石原派になりました。
何を隠そう我が父は石原後援会に所属しておりました(名前だけ)。
あの頃の東京2区は凄かったんですよ。
自民・石原、社会・上田哲、民社・大内啓伍。いずれも党の顔のような人たちで、
その他に公明、共産と、定員5人を五大政党一人ずつで構成してました。
不偏不党のワタクシがいるに相応しい区だなと思っていたら、
ワタクシが引っ越したと同時に、自民2人になっちゃいましたけどね。
そんな地元なので石原派となった時はなんとなく嬉しい感じもしましたが、
でも続かないだろうなーともわかりましたけどね。
子分の面倒を見られる甲斐性なんか有るはずが無いと思いましたし。

あれ?
ドラえもん、yigさんのコメントに北国の人さんとかレスしてますね(苦笑)。
会員制の方で、藤子アニメ世代みたいな発言を見たばかりだったのと、
そちらでお二人がよく絡んでいるのとで、どうも混乱していたようです。


● hayaminさん
はいはい。そう言えばそうでしたねー。
「次は海原治さんの世相巷談です」という沢田さんの案内、覚えてます。
てっきり交代したんだとばかり思ってましたが、代打だったんですか。
顔とか言ってた内容は思い出せません。
竹村氏ほどはテレビ向きじゃなかったんでしょうね。


● あぶもんもんさん
再放送だから気楽に中止ですか。
でもそんな事より、82年録画のテープの方に興味が有ります(笑)。


● うなみさん
そうそう。一九分けとして親しまれました(笑)。
後に欽どこで斉藤清六さんも一九カットをギャグにしたり、
すっかり普通の日本語として定着した「一九分け」。
その発祥元はこの人でしたね。
奥さんがやっていたのかー(苦笑)。
2008/04/02(水) 06:01:25 | URL | ごいんきょ
これだけですよ。これだけ
のcmには何処かの児童劇団の者であろう男児が昭和の頃に筆入れのcmで97%程のパクリ又はパロディーを演じており証拠映像も今のところyoutubeにある
ちなみにサンスターやショウワノートやセイカノート等ではない
にしてもルックルック内のこのコーナーーならたまに目にしたものの報道2001は裏のがっちりや東映ヒーローその後の大沢親分の渇とか見ているので殆ど目にしてないのであるが一度でいいから大沢親分&張さんとのトークバトルが見たかったかも
2008/04/04(金) 19:04:09 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
日本テレビとフジテレビの唯一にして最大の違い
それは電通と先鋭な対立をした時期の有無でしょう(笑)。
何せ電通を今のような超巨大な存在にした立役者吉田秀雄氏が「日本の国力や国民の懐具合を考えるとテレビ放送開始はあまりにも時期尚早」と苦言を呈し、当時の政権党、自由党副総裁緒方竹虎氏(彼は朝日新聞OBで且つ中野正剛先生(彼も朝日OBだった)とも高校の頃からの友人だった)が「この放送局はアメリカによる占領政策の恒久化を狙ったものである」と批判し、結果初めは比較的乗り気だった吉田総理まで距離を置き出す、と。。
そんな日本国内の状況下でテレビ放送免許第1号を勝ち取る事が出来、しかも日本テレビ設立資金の為の円借款をアメリカ連邦議会で決定(当時日本テレビ設立に奔走していた柴田秀利氏の機転で電電公社宛の資金として何とか政界有力者の批判をかわしたが)とまぁ色々言われる要素が満載な訳で(笑)。
ちなみに先程書いた電通の吉田氏の危惧は大正力が打ち出した「街頭テレビ設置」とその街頭テレビから流されたプロレス中継による庶民の熱狂がスポンサーの獲得に大きく貢献して開局1年余りで黒字経営に転換し、後に電通が設立に奔走したKRラジオの方でもテレビ局を開局したという事情も相まって、電通の吉田氏は日本テレビに大正力の銅像を寄贈する訳ですが、その寄贈式の際、先程書いた柴田氏は完全にそっぽを向いていたとも伝えられていますね。
2008/04/05(土) 12:23:23 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
訂正も兼ねて
アメリカが日本テレビ(というより大正力に)へ援助する訳ですから「ドル借款」ですね(笑)。
一方、フジテレビ、というよりフジサンケイグループなんですが、そもそもの原型は「大阪の新聞王」とも言われたサンケイ新聞のオーナー前田久吉氏が東京タワーの設立目的で当時ニッポン放送重役だった鹿内信隆氏と手を結んだ事がそもそもの起こりなんですね。
その件もあって東京タワー運営開始当初は日本テレビとTBSは参加していなかったんですよ(NHKは教育テレビの方で当初から参加してはいた)。TBSとは早々に交渉がまとまり合流する訳ですが、日本テレビの方との交渉は難航を極めたそうで。
そもそも関東全体に向けてのテレビ電波の送信事業と日本全国を対象にしたマイクロウェーブ通信事業の運営目的で設立された筈だった日本テレビ放送網としては、その両方を他者に横取りされる事態を許す訳にはいかなかったという側面も大きかったと思いますね。勿論サンケイ新聞オーナーでもあった前田氏と大正力氏との新聞業界内での対立関係もあったのでしょうが。
TX絡みの話をすると、そんな東京タワー設立の経緯もあるせいか、フジ関係者は長らく東京タワーの真下にあった東京12チャンネル→テレビ東京の事を自分たちの子会社程度にしか思っていない様にも思えてならないんですがね(爆笑)。
何というか未だに「テレ東の癖に生意気だぞ!」みたいな態度が目に付くというか(笑)。つーか確かにスポーツ中継絡みでは設立初期の頃フジの方にも協力はして頂いた訳ですけど、正直テレビ東京に対する貢献度で言えば今でも大株主に名を連ねている毎日放送の足下にも及ばない程度に過ぎない訳ですし。第一、鹿内一族を経営から追放した今のフジサンケイグループ関係者がいつまで東京タワーのオーナー気取りを続ける積もりなのか?とも(笑)。
ちなみに前田氏はサンケイ新聞の経営不振の責任を取り当時フジサンケイグループのもう一つの中核企業だった文化放送の社長だった水野成夫氏(この方は戦前から財界人としての活動を始めており、その頃から当時陸軍将校だった鹿内氏とも深い関係にあった様です。私的には水野氏と鹿内氏の両者については労働組合対策を主目的として結成され後に「戦う日経連」としてその名を馳せた日経連繋がりという印象ですが)に経営を譲り、以降は東京タワー等の運営に専念されました。
2008/04/05(土) 14:40:15 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
大正力(たいしょう・ちから)さんがCIAとの繋がりが有ったらしいのは、
近年アメリカで公開され始めた文書で確認できつつあるような。
一方、今の読売を牛耳っているらしい?人のバックだった
国士様についてはもっとハッキリと確認できるようで、
であれば今の方もそんな感じの流れの人なんだろうと。妄想ですが(笑)。
靖国神社に関する、アカい血が滾ったかとも思われる一連の発言も、
実はアメリカ様のご意向にも沿っているから安心して開陳できているんでしょう。

すなわち、通常の独立国であれば、保守とか右翼とか言われる勢力は、
その国のシステムや文化・国民性の保守を活動の第一義に置くわけですが、
被占領国であるところの日本では、そうではないという事なのですね。
「改革」の正体とは…
そして同時に進められている「日本人補完計画」(?)

大正さんは対抗してか何か知りませんが、正力タワー構想をぶち上げて、
側近たちは辟易していたといいますね。
もう、老人特有の症状がチラホラ出始めていたとも言われます。

電通も含めて、おそらくアメリカ様を主人と拝する三者ですが、
それぞれは対立もし、タッグも組みという事ですね。
2008/04/08(火) 19:56:11 | URL | ごいんきょ
● ガッツさんにレス忘れてました
これだけですよは、当時よくパロディーのネタにされましたね。
竹村さんは野球について語ってるのあまり見なかったなあ(苦笑)。
2008/04/10(木) 06:37:54 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。