私的 昭和テレビ大全集
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月光仮面 (1958)

該当番組画像募集

とうとう川内康範さんがお亡くなりになりました。
当然のように月光仮面の登場です。



まあこれだけの番組、散々あちこちで康範先生自らも含め、多々語られており、
オンエアで見ていないワタクシなんぞがこんな辺鄙なブログで語る必要も
今更無いと言えば無いのですが、それはいつもながらなので置いておいて、
解説みたいな事をすると焼き直しばかりになってしまうので、
ワタクシ個人の感想など交えながら、追悼がてら先生個人についても、
個人的に思うことなど綴ってみようかと思います。

ワタクシが最初に見た月光仮面は、1972年のリメイクアニメ版でした。
それについてはまたその作品を語るときに細かく語ることにしまして、
その当時はまだ子供ですので、オリジナル版は知りません。
主題歌は、オリジナル版を三沢郷が軽快に曲を変えたアニメ版のを、
わりと好んで聴き、歌っておりました。
その後、昭和50年ですか、始まって間もないぴったしカンカンで、
フィルム問題として月光仮面のシーンが使われ、その時に、
月光仮面というのはかなり昔に白黒実写版が最初にあったこと、
主題歌は歌詞こそ同じだけど、曲は古臭い、弾んでない歌だったこと、
等々を知り、ちょっとしたショックを受けるわけです。

その後、一場面だけならちょくちょく見られる機会も有りましたが、
本編1話まるごと見られる機会はなかなか有りませんでした。
ビデオが普及した頃も、なぜかテレビ版はソフト化されず、
ワタクシは映画にはほとんど興味が無いので(笑)、それは借りず、
なんでこれだけの有名名作がソフト化されないのか憤慨していたわけです。
そんなワタクシのような人間を取り巻く状況を大きく変えてくれたのは
なんと言ってもCS放送でした。
そしてCS局がいろんなコンテンツを開拓していくと、
テープメディア時代には開拓されなかった様々な番組が、
LD、DVDのディスクメディアソフト化によっても開拓されていきました。
実写月光仮面は、そんなこんなのLD化の際に見たと思います。

その時に買ったのはマンモスコング編でした。
テレビ探偵団だったかなんだったかで一場面を見たときの衝撃。
最初の国産テレビ映画で、既に最初の「怪獣」が登場していたのですから。
マンモスコングは巨大なゴリラ。
ただ、実写版ではゴリラの面影はまったく無くて、でもその代わり
非常にグロテスクな面相で、白黒画面も相まって、不気味さの極みでした。
そんな面妖なコングが、実に巨大という設定で、道や建物を破壊する。
当時の事とてミニチュアの出来など特撮面は、正直低レベルですが、
コングの不気味さはそれを補って余りあるものでした。
おそらく当時の子供たちは、とても怖かったに違いありません。

そんなシーンを見た時の衝撃を忘れられず買った、マンモスコング編LD。
なぜか放送当時のOPが無いのが非常に不満でしたが。
実際には、コングが建物を壊すシーンに武田薬品のマークが映るという、
例のタケダタケダのタケダコールのOPではなかったようです。
しかし、武田鉄矢がこの番組を回顧する際、必ず、
タケダコールと一緒に思い出すと語っておりますので、
コング編の後あたりなんでしょうか、例のタケダコールが、
月光仮面当時から有ったのは確かなようです。
マンモスコング編の後の回は大抵OP残っているのですが、
いずれにしてもタケダコール部分は残っていないようですけど。

先に国産初のテレビ映画と書き、そのような解説をされる事が
非常に多い本作品ですけど、実際には、前番組の「ぽんぽこ物語」というのが
真の初国産テレビ映画のようで、それが初のタケダアワー作品でもあるのでしょう。
ただ、こちらは不評だったようで、すぐ1クールで打ち切り。
続けて制作されたこの番組は、国産テレビ映画、タケダ提供作、
その両面で絶対に成功が期待される中での企画だったわけです。
特に当時は、アメリカドラマが雨後の筍のごとく持て囃され、
外貨準備高等を考えた国策的にも、国産テレビドラマの発展が急務でした。
後に川内氏の政界での発言力も増した背景には、
国産テレビ映画発展の礎を築いたという事もあるんでしょうか。

和製スーパーマン月光仮面は、特撮技術費も捻出できない状況のため
空は飛ばず、オートバイで移動するという身近さ(笑)。
それが「月光仮面のおじさん」という呼び名にも繋がるわけですが、
当時の大瀬さんはおそらく20代。
当時の20代は今とは比べものにならんくらい大人として見られてました。
特撮を伴うような派手な活躍は出来ないため、立ち回りも肉弾的。
しかしそれら設定は後年、当時はこの番組の制作を蹴ったという
東映によって、ちゃっかり仮面ライダーとして大きく開花。
もって和製実写ヒーローの元祖とする事に、異を挟む人はいないでしょう。

ワタクシにとっての川内作品は、既述のレインボーマンをおいて他にないのですが、
テレビ史における位置は、比べものにならないほど、
この月光仮面の占める部分は絶大なものでありましょう。
前記のように歴代政権に大きく関わったとも言われ、
最晩年は森進一との騒動で世を賑わす等、作詞・劇作などの
クリエイティブな部分以外でも名を知らしめた人でした。
その森氏との確執については、両者の関係を全く知らない人が
表面だけ捉えてあれこれ言っても詮ない事です。
川内氏は嫌がらせであんな事をする人物ではないからで、
その辺は騒動の最中、両者を知るような立場の人間ほど、
森氏に反省を促す弁を表明していたのでもわかります。
では、森進一が歌うおふくろさんや花と蝶はもう聞けないのでしょうか。
これに対する回答と解決策は、森氏の胸の中にしか存在しないわけです。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
にせもの?
子供の頃、月光仮面のキャラクター筆入れを使っていました。
絵のデザインから考えて、恐らくこの実写版が元になっていたのでしょう。
しかしそれは、我々の世代になじみの深いアニメ版とは微妙にキャラクターデザインが違うものでした。
そのせいか、周りからは「それ、にせものじゃないのか?」とよく言われたのを思い出しました。
2008/04/11(金) 17:24:45 | URL | うみがめ
思い出すこと
川内康範さんのご冥福をお祈りします。

幼い頃月光仮面を観てとても不安でした。
悪者を取り囲むおまわりさん達が月光仮面が到着するまで何もできないでいたからです。
月光仮面がいなかったらどうなるのだろう、月光仮面がいてくれて本当によかったと。
でも不安はその先にありました。
私のいる本当の世界にはおまわりさんはいるけれど、月光仮面はいない。
もし悪者がいたらどうすればいいのだろうと。
お話しの世界と現実の世界が混濁して不安な日々でした。

風呂敷を使って月光仮面ごっこをするときに、自分で結ぶと結び目が大きくなり、風呂敷が首に巻きついて全然月光仮面ではなくなってしまいました。
そこでいつも母に頼んで、風呂敷の角をちょっと摘んだ小さな結び目を作ってもらいました。
そうすると本物の月光仮面のマントのようでした。
2008/04/11(金) 19:44:33 | URL | モデラート
きのう歌ったカラオケは
奥村チヨの嘘でもいいから,川内先生の詩でしたねー。たまぁにぃはあたーまをー,なでなでしってぇんねー。
私にとっての月光仮面は,モップスの歌ってるバージョンでしょうか。鈴木ヒロミツも亡くなって,あーかなしいかな・・・。
2008/04/11(金) 19:50:38 | URL | いくちゃん
川内康範先生といえば
うなみにとっては「ダイヤモンドアイ」「コンドールマン」「レインボーマン」そして水原弘さんの「君こそ我が命」ですっ。ウルトラマン以降の特撮においてうしおそうじさんと双璧をなす唯一無二の方でした。
うなみの弟が「正義を愛するもの月光仮面」のアルマイトのおべんと箱を使っていたのをよく覚えています。ごいんきょ様も書いておられましたがOPの音楽も好きでしたよ。オリジナルの子供の声よりもかっこいい感じで軽快さは失われたけれど今でも好きでカラオケで歌っちゃいます。
2008/04/11(金) 22:07:50 | URL | 南 うなみ
元祖ヒーロー物
HNに反してばかりの私です(笑)。
本来ならかなり後に(というよりつい最近)放送されたテレ東ギャグアニメ「ご存知!月光仮面くん」を取り上げるべきなんでしょうが、やっぱり私も日テレアニメの方が強く印象に残っております(笑)。
でオリジナル版なんですが、かなり有名な話で私も幾たびか言及したりした事なんですけど、このテレビ映画は最初「鞍馬天狗」として企画されたものだったんですね。
ところが時代劇のセットを組める予算もなければ、企画した宣弘社も撮影機すら抑えていない状況だったんですよ。
勿論スタッフも居なければ、役者も一人も確保していないという状態で・・・・・・・。
そんな事もあって前作に続いて脚本を頼まれた川内さんがあちこちの映画会社等を回って
撮影助手とかに誘いを掛けてスタッフを確保し、大部屋俳優に声を掛けて役者を確保し(大瀬さんもそんな大部屋俳優の一人で芸名も川内さん自ら付けたといいます)、古い機材を集めて何とか撮影体制を整えたりとかなり苦労された様です。
で当初企画した「鞍馬天狗」も低予算のため同じコンセプトでそのまま現代劇に置き換えようという話になって、「月光仮面」の誕生と相成った訳です。この月光仮面の主要スタッフが後に東映に招かれて撮影した映画が「大忍術映画ワタリ」で、そもそもはこれをテレビ映画として始める予定だったのが原作者の白土さんに拒否されて代わりに用意したのが「仮面の忍者赤影」なんですね。
でその主要スタッフが後に毎日放送からの要請で企画したのが・・・・・・・・・・・。
もう言うまでも無いでしょう(笑)。
2008/04/11(金) 22:18:06 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
♪つきの光を背に受けて~
とこのエンディングなれどももし彼の後期の作品のレインボーマンやコンドールマンのようにコミックソングみたいなのも聴きたかったかも
次マジな話として我が国のヒーロー草創期とアメコミのそれと比較すると黄金バットはスーパーマンでこの作品はバットマンみたいな風かも

にしてもポンポコ物語がブレイクしていたら我が国のヒーローはどうなっていたのやら
2008/04/11(金) 22:20:51 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
● うみがめさん
アニメ化の際に関連商品もいくつか出たわけですが、
実写版の記憶で展開しちゃった商品もあるんでしょうね(笑)。

● モデラートさん
女の子も月光仮面ごっこやってたんですか。
すると琴姫様ごっことかもやったのかな。
不安についてはワタクシも似たような事は感じましたよ。
現実に怪獣はいないわけだけど、もし発見されたらどうなるんだろうと。
ウルトラマンは現実にはいないわけですからね。

● いくちゃんちゃん
嘘でもいいから、なかなか通な選曲ですね。
赤塚不二夫先生のぶっかれダンという漫画で、
買い物の品を忘れないように「ぶり、ぶり、ぶり」と呟きながら出かけて、
町中でその歌が流れて、「たまには私をダキダキしてーね~」って聴いて、
繰り返しが「ダキ、ダキ、ダキ」に変わっちゃって、
魚屋さんで「ダキください」って言っちゃうシーンがやたらおかしかったですが。
「ダキなんて魚はねえよ」って魚屋さんが困っちゃうのね。
モップスを聴いた世代ですか。
あの替え歌もきちんと許可されたんでしょうかね。

● うなみさん
君こそ我が命ですかあ。
ワタクシもよく覚えてますが、なかなか古いですね(笑)。
ワタクシもアニメ月光仮面の何か持っていたんですけどね。

● TXの無いテレビなんて・・・さん
鞍馬天狗ねえ。そう言えば雰囲気が多少似通ってますね。
それにしても予算不足はかなりのものだったんですよね。

● ガッツさん
たしかアニメ版のEDがそれだったような。
実写版にEDって有ったんですかね?
現存するソフトには収録されていないと思いますが。
2008/04/12(土) 07:00:45 | URL | ごいんきょ
月光仮面は誰でしょう
当時、私はアニメ版以前に実写版が存在した事は知っていたんですが、それでもテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう」の『レコード大作戦』で月光仮面の主題歌が使われる時、実写版の方の歌が流れるのに違和感を感じていましたね。「欽ちゃん(スタッフ)にとっての『月光仮面』はそっちかもしれないけど、今は違うんだよ。投稿者が考えていたのもそれじゃないよ」と。
でもいま考えれば、実写版の方の主題歌を使ったのは当然ですよね。
2008/04/12(土) 09:25:31 | URL | 石毛零号
宣弘社と伊上勝氏
伊上勝氏と言えば「仮面ライダー」のメインライターで、彼が亡くなったときにはプロデューサーの平山亨氏が「俺の気持ちとしては「これで仮面ライダーは終了した」という思いだ」と述べられた程の方なんですが、そんな彼は元々宣弘社社員で「月光仮面」の放送当時企画課に在籍していた(確か既に課長だったみたいです)方だと知った時にはさすがに驚きましたね。
「月光仮面」の成功に刺激された様に日テレで始まった「流星王子」の企画と同時に(おそらく人手不足の為と思われるが(笑))原作・脚本も担当した事が脚本家になった切っ掛けだった様ですけど。
「人間何が天職かは分からない」という教訓を得ましたね。
ちなみに東京12チャンネルでも「プレイガール」で非常にお世話になりました。

改めて調べ直したんですが、「ぽんぽこ物語」の失敗でタケダがスポンサーから降りそうになったのを引き留める為に広告代理店の社長自ら「今度は我が社自身でプロダクションを立ち上げて本格的なテレビ映画をやるから」と言った一言が切っ掛けだったみたいですね(笑)。で最初は「医者を題材にした映画にしましょうか?」(おそらくタケダが製薬会社だったからだと思われる)ともおっしゃっていたらしいんですが、タケダ側の反応が今一つで、その後の話し合いの結果、活劇をやろう、となったみたいです。
で、言い出した以上後に引けなくなりプロダクションを立ち上げ、宣弘社の殆どの社員がかり出されていたとも(笑)。その頃入社された阿久悠さんの生前の話では「僕は映像関係の仕事がしたかったから宣弘社に入ったんだけど、まさか入社初日に「おい!絵コンテ書けるか?」と言われて絵コンテを描かされるとは(笑)」という状態だった様です(笑)。
ただもう忙殺という言葉がぴったりだったんでしょうけど、一方で皆そんな状態が楽しかったんだろうなぁ。。。。。。。。。とも思えてならないんですよねぇ。
宣弘社自身が日本の高度経済成長期を体現していた会社だったという訳でしょうね。



2008/04/12(土) 15:21:37 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
宣弘企画
● 石毛さん
投稿者の年齢によりますけど、投稿者も実写版を想起していた可能性も高いですよね。
まあそれはどうあれ、アニメ版の月光仮面はさほどの知名度とはとても思えず、
スタッフの措置は当然だったでしょうね。

● TXの無いテレビなんて・・・さん
伊上さんといい阿久さんといい、宣弘社には本業の枠にとらわれない
社風と人材が有って、たまたま時代と状況がそれにマッチしたという事でしょうね。
特に後段の部分など、今は宣弘企画となっている同社の公式サイトにも記事が有ります。
http://www.senkokikaku.com/
川内先生への大瀬さんと現社長の追悼文も有りますね。
それにしても来年は月光仮面50周年だったんですが…
2008/04/12(土) 23:17:03 | URL | ごいんきょ
月光仮面の歌
熱血王ガッツィンガーさんの書かれている「月の光を背に受けて~」という歌は、実写版の中で月光仮面が登場する時に自分で歌いながら出てくる歌のことではないでしょうか。
私も月光仮面をちゃんと見たのは72年版のアニメが最初なんですが、昔10インチぐらいの白黒テレビで見たのも少しだけ記憶にあります。マンモスコング(たしか東京タワーに登ってた?)と、この歌は覚えています。といってもメロディーが難しくて自分では歌えないんですが。
道路にシルエットが見えて、この歌が聞こえてくると谷貫一が「あっ、月光仮面の歌だ!」と言っていた場面がありました。
2008/04/14(月) 17:15:10 | URL | あぶもんもん
本来は、その歌の方が主題歌になるはずだったかと思います。
タイトルも「月光仮面の歌」ですよね。
それが主題歌はよく知られる「月光仮面は誰でしょう」になった代わりに、
月光仮面が自分で歌うアピールソングになったですね。
後期のOPでも冒頭はこの歌の一節で始まります。
この番組にEDというのは無かったと思うんですよね。
後のタケダアワー作品でもED無しが通常ですし。
それからアニメ版のEDはOP同様、同じ歌詞でメロディーが違うものだったですかね。
2008/04/15(火) 05:08:58 | URL | ごいんきょ
OPは
月光仮面の再放映は
昭和41年に初めて再放送されたそうです。
ただし、第二部からです。
その際、第二部、第三部は第四部用OPの画像にテロップのみ入れ替えて放送してるとの事

ちなみにワンコインシリーズの第二部は初回放送版OPが収録されています。
2008/05/26(月) 00:56:51 | URL | はに丸
以前コメントくれた事が有るはに丸さんでしょうか。
昭和41年ですか。
それでも結構なブランクですから、当時の人は懐かしかったでしょうね。
第二部、第三部のOPが差し替えられたのは
おそらく提供表示がらみだと思うのですが、
ワンコインのものにはそこら辺も収録されてるんでしょうか?
それとも、レーザー版でも収録されていた、海外版のやつかな?
2008/05/28(水) 07:04:15 | URL | ごいんきょ
 月光仮面は、人気があり、学校でよく漫画を書きました。マンモスコングなど、不気味さで秀逸でしたが、月光仮面は何故か打ち切られました。噂では、当時、月光仮面のまねをして塀の上から飛び降りて怪我をする子が続出し、中止に至ったという話です。本当に、元祖、ヒーローですね。当時の子はマントの代わりに、風呂敷を首に巻いていました。まぼろし探偵では、マスクを自作というところでしょうか。
2008/06/16(月) 17:40:45 | URL | 団塊世代
マンモスコングはやっぱり怖かったでしょ?
いま見ても怖いもの。

女の子だったモデラートさんも月光仮面ごっこをやったと言いますからね。
やはり風呂敷で。
風呂敷を普通に使っていた時代(笑)。
今また買い物かごや風呂敷が見直されそう。
2008/06/19(木) 00:46:36 | URL | ごいんきょ
月光仮面の歌
月光仮面の登場前にテーマソングのように流れる「月光仮面の歌」。三船浩が朗々と歌い上げるこの歌は、いつも1小節「♪月の光を背に受けて~♪」だけで、フルコーラスで歌われるのを聞いた人はいなかったと思います。そこで、川内康範原作の「小説月光仮面」の中に歌詞が載っていたのを見つけましたので、その歌詞を書いておきます。

「♪月の光を 背に受けて
  仮面にかくした このこころ
  風がふくなら ふくがよい
  雨がふるなら ふるがよい
  愛と正義の ためならば
  なんでおしかろ この命
  わが名は月光 月光仮面♪」
2008/09/10(水) 00:13:09 | URL | 漫中老
月光仮面のモデルは極真カラテ創始者で、極真会館初代総裁の故・大山倍達です!
2008/09/13(土) 01:46:47 | URL | ドラゴン
前の方のコメントで、来年50周年とか書いちゃいましたが、
今年が月光仮面50周年だったんですね。
なんか因縁です。

● 漫中老さん
旧版ではまるまる流れる機会は無かったんですか。

● ドラゴンさん
川内先生なり大山さんなりの言及が有ったんでしょうか?
2008/10/17(金) 06:51:52 | URL | ごいんきょ
大山さんがモデルという話について
言及自体は大山さんの方が常日頃仰っていた様で、一方の川内さんも米国占領当時、大山さんが米軍兵士・MP相手に徒手で臨み追っ払ったという話を聞き付け現場に駆け付けたりと大山さんの姿を追いかけていた事を認めたそうです。
只月光仮面というヒーローのキャラクター造型面に影響を与えたというよりはエピソード面での影響と思われます。
キャラクター造型にまで影響を与えたのは「鉄腕アトム」の方だとお伺いしていますし
私自身もその様に思います。手塚先生はあちこちで米軍兵士・MP相手に徒手で叩きのめした大山さんを思い浮かべながら鉄腕アトムの造型をしたと聞いてはおります。
ただこの辺については正直確信を持った話としては確認し切れていないんですよねぇ。
月光仮面・鉄腕アトム共々大山さんサイドからの話ばかりで作者サイドからの話の方が今一つ確認し切れていない点で・・・。
2008/10/17(金) 22:57:21 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
今一度確認作業を行っていますが・・・
「月光仮面」「鉄腕アトム」共にどうも大山さん近辺からの話としてしか出て来ませんね。
エピソード面での影響はあったのでしょうが、私個人の考えとしては身体一つで顔も出している状態で徒手で闘ったとされる大山さんを月光仮面のモデルとするのは正直無理があり過ぎる様にも思いますが。月光仮面は顔等を隠しマフラーも巻いた状態で手にはピストルも持っていた訳ですし。
こういう話は逆に大山さんのイメージを損ねる話のようにも私は思えるのですが・・・。

2008/10/17(金) 23:21:24 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
手塚先生、川内先生、大山さん、皆さんお亡くなりになってからこういう話が出てくるって、どうなんでしょう。
剣道の発祥は韓国だという説を思い出しました。
2008/10/19(日) 21:13:23 | URL | ごいんきょ
スピード感
昭和の終わり近く、もう25年以上前だと思いますが、懐かし番組特集で月光仮面の一部を見たことがあります。その時たしか道路にシルエットが見えて、最後の部分を歌いながら月光仮面(姿は見えない)が歩いていました。
 げ~っこ~~ げ~っこ~~ げ~っこ~~か~め~ん~~
だったように覚えていますが、正しい歌詞として出ている(わが名は月光~)のとは違うので、私の思い違いだと思います。いち早く谷幹一が「あっ月光仮面の歌だ」と気づいてあげていましたが、それを見た時、同じシーンを子供の頃に見たことを思い出しました。改めて見たら、なにか家路をたどる疲れたサラリーマンが歌謡曲を口ずさんでる雰囲気で、ホッとする感じでした。
その懐かし番組で見た記憶ですが、サタンの爪ってスローモーだったんですね。
 おれは、  パラダイ、王国の、  秘宝を、   ねらう、     サタンの、   つめだ・・・
て感じで、子供にも年寄りにも外人にも解りやすく区切ってしゃべっていました。アクションものんびりしていたし。幼児番組の着ぐるみキャラと共通する物があるのは、やっぱり着ぐるみかぶってるせいだったんでしょうか。それとも、あれ以上セリフやアクションを速くすると視聴者がついてこられなかった・・・わけはないですよねやっぱり。
2008/10/20(月) 16:40:21 | URL | あぶもんもん
挿入歌

同じ大瀬康一主演、宣弘社製作のテレビ映画「隠密剣士」ではボニー・ジャックスの歌う演歌調の挿入歌「江戸の隠密渡り鳥」は、主人公の秋草新太郎が街道を歩くシーンなどにフルコーラスで聞かせていましたが、月光仮面の歌の場合は、登場前にどこからともなく歌が聞こえてきて、敵味方とも「あっ。月光仮面だ」「どこだ」とかの会話がかぶさって、歌詞が聞き取れないままに、月光仮面の登場となり、私が覚えている限りではフルコーラスをじっくりと聞かせることはなかったと思います。
2008/10/21(火) 00:01:09 | URL | 漫中老
● あぶさん
昭和30年代の実写ヒーロー物は、全体的にゆったりしてますね。
子供が聞き取りやすいようにしてたというのもあるのかな。

● 漫中老さん
主人公が音楽ならしながら出てきて、
悪役が「どこだ」とうろたえる。
ワタクシが好きだったキカイダーの原型がここに(笑)。
2008/10/21(火) 05:10:57 | URL | ごいんきょ
HONDAのバイク
HONDAのバイクに乗っていたのを憶えています。
のんびりしていたのかもしれませんが、子供心に鷹の爪は怖かった記憶があります。
2013/12/11(水) 18:25:20 | URL | 昔の子供
月光仮面のは、ドリームC70というらしいですね。
ホンダのカブは本当に名車でした。
ご多分に漏れず中国に仕事を任せてしまったために、
今や過去の栄光もボロボロという感じです、ワタクシの中では。
2013/12/11(水) 21:04:30 | URL | ごいんきょ
当時の東京の様子が良く分かる
使っている車は左ハンドルの外車だから、当時はまだ日本の自動車産業が未熟だったんだ。ジープも米軍仕様の左ハンドルだしね。幽霊党の逆襲で最終回に月光仮面が舗装してない道路を疾走している場面で、オート三輪が止まっていて、そのオッサンが月光仮面の疾走を見ていた場面が面白い。
サタンの爪で首領が道路で仮面を取る時、背景で東京タワーが建設途中だったのが映っていた。
懐かしいな。
2014/10/17(金) 20:26:10 | URL | 中年親父
ですよね。
この頃のロケを見ると、いちいち懐かしい感じになって(笑)。
舗装されていない道を知っている世代も、かなり田舎の子くらいになってそう。
2014/10/18(土) 19:47:55 | URL | ごいんきょ
ロケ地
どこかのサイトで松戸市までとしか判明しなかったとありましたが、その後だれも投稿しないので、元地元民として書きます。オープニング、劇中のシーンで何もない造成中の道路は常盤平団地、けやき通りを走行、オープニングの最後に拳銃を撃つところは当時金ケ作駅(現常盤平駅)に向かって来たけやき通りです。道路とカーブは今もそのまま、八柱駅(若い人には分からないかも)の近くを通るシーンは今は無きガソリンスタンド前の県道、常磐線金町駅近くの江戸川鉄橋下(C57けん引列車?が上を通る)の区道と葛飾神社近くのシーンが覚えているところです。60歳以上の方、地元の方でないとわからないかも。松戸市か商店街でももっと宣伝してもよいかも。常盤平団地は高齢化、孤独死ばかり知られてしまいました。
2015/01/31(土) 10:37:02 | URL | 武内文平
懐かしいですね
武内文平様、常盤平駅と八柱駅は、高校が松戸だったので帰りに周辺に時々行きましたが、月光仮面のロケ地でもあったとは。

月光仮面は73年のアニメ版を見ていたのでそちらの印象が強いですが、実写版は「ぴったしカンカン」のモニターで往年のオープニングが流れてそれから月光仮面の格好をしたレポーターが街頭インタビューをするシーンで見たくらいです。

月光仮面はアニメ版のボニージャックスが歌う主題歌もいいけど、やはり初代のあの主題歌ですよね!
ただ、鉄道好きの僕は初代の主題歌を聴く度に、往年の寝台特急「月光」の写真が強烈に浮かびます。
2015/01/31(土) 22:31:09 | URL | リオ
● 武内文平さん
へー。
ロケ地巡りが好きな人には、かなりのお宝情報かも。


● リオさん
月光なんて電車が有ったのですか。
2015/02/01(日) 06:02:07 | URL | ごいんきょ
そうなんです
67年10月から75年3月の新幹線博多開業まで運転されていた列車でした。
2015/02/01(日) 07:13:19 | URL | リオ
今なら呼び出し音に月光仮面流すんでしょうけどね。
2015/02/08(日) 07:34:35 | URL | ごいんきょ
巨匠 小川寛興先生を偲んで
緊急報告 小川寛興先生ご逝去に伴い、心よりお悔やみを申し上げます。
思い起こせば30数年前、何かと無礼なお手紙やお電話を差し上げ、御多忙の中本当に丁寧な対応を頂き、その交わした一つ一つの会話は終生忘れられません。御礼にと、当時手元に在る限りの音源をコピーしたテープに、小川先生は本当に喜ばれ、場末のファンとしてこんな嬉しい事は無かった。小川寛興先生は、元々オペラ歌手の道を志、素晴らしいバリトンのお声を持ちながらも果たせず、当時の大家「服部良一氏の内弟子となり、作曲と管弦楽法」を学び、指揮界のベテラン「森正さんに指揮法を学ぶ」と言う、超エリートの音楽教育を受けられました。
もちろん、声楽家を目指す為の勉強は個人的なされていたのですが、素晴らしいメロディーメーカーとしての資質はこうした凄い師匠の皆様方の影響でしょう。特筆なのは「作曲、編曲に共に堪能」と。単なるメロディーメーカーでは決して無かった点。更に「アレンジャー」としても、キングレコード等での多数の編曲作品を聴くにつけ、素晴らしい才能実力を持つ方と認識させられました。それは「月光仮面 さよならはダンスの後で おはなはん」この3曲を聴いただけで不滅の方と解ります。まずメロディーラインが平板では無く、大きく動きうねりが感じられる」点。具体的には「月光仮面の歌=三船浩 まさにこの曲はオペラのアリアそのもの」であり、下手な歌い手には絶対に歌えない難曲です。此処には、挫折はしたかもしれないが、かつてオペラ歌手を志した小川寛興先生の「ひとつの答え」が確かに存在しましたね。その証拠に小川先生は過去「カラーの幻想 日本の城」と言ったシンフォニーやシンフォニックスィートを作曲され、国際的な音楽祭等にもNHKの委嘱により参加もされています。つまり師匠の服部良一氏が指導を受けたメッテル氏が元々西洋クラシック音楽界の血を濃く受け継ぐ方であり、その師匠の孫弟子と言う方が、小川先生としたら、何ら不思議では無い。アレンジャーとしても、オーケストレーションの使い方動かし方が実に巧みで、確かに現代の最新の流行においては、正直古くなってしまったり違和感が感じられる部分はありますしかし、何より基本に忠実である事(例えば弦がハーモニーの時は管はモノフォニック、その逆も真なり)とか、現代の様に突拍子も無い事を平然とやる様な事は決して無かったと。これはやはり大家の伊福部昭先生が「ある意味理屈や理論を無視して、全く独自のドロ臭い土俗的な絶対に真似出来ないサウンドを生み出したが、実はあまりにクセが多くて参考にはなり難かった」のも事実でしたから。小川先生にはこうした経緯はありませんでしたから。やはりこういう点が「クラシックの基礎と素養を身につけ、これこれこれがこういう理屈だからこうなるんだ」と言う、つまり本当の基礎が解っていなければ出来なかった音楽 これを創られたのです。正直独学の方やこの辺が怪しい方は、在る意味突拍子も無い事をしでかしてたまたまそれが良い結果となる事もありますが、実は優れたメロディーメーカーとサウンドメーカーの両立は大変難しいのですねこういう怪しい方は、、、また驚くのは「曲の使い回しが感じられず、正体を掴ませ難い」と。つまり「あっこの曲は誰それだっ」と直ぐに作家の正体がばれてしまう方も多い中、そういうネタバレが本当にほぼ無かった?と言うのが小川寛興先生の凄さでした。晩年はシャンソンの作曲等をなされ、ライブ等で発表されておられましたね。また「自作はほぼ必ず自分で指揮をとり、他者に任せる場合も必ず立ち会って監修する」事でも有名でした。こうして自分の作品に責任を持ち、確かな音楽理論に裏付けられた「寛興節」は、今後も永久に語り継がれ、歌い継がれ、演奏されていきます。小川寛興先生から頂戴したお手紙、お年賀状、永久保存してあります。合掌
2017/07/21(金) 16:40:30 | URL | よしたかくん
続 大家「小川寛興先生の足跡」
拝啓 改めまして大家「小川寛興先生の足跡」を偲びます。小川寛興先生と言えばまず「テレビジョンヒーロー物=月光仮面、七色仮面、実写の鉄腕アトム(BGM)、ハリマオ、ジャガーの眼、隠密剣士」等などが上げられますが、実は「ママはライバル、花のピュンピュン丸」等のコミカルなドラマやアニメもお得意でした。更には正統的作品群その中でも傑作とされるのが「東映 徳川女絵巻」でした。このシリーズはそれ以前「渡辺岳夫先生の大傑作 大奥=チェンバロを全面にヒューチャーした傑作」が在り、小川先生は相当に意識しておられました。そして12弦琴を使ったあの名曲を生み出されました。またあまり知られませんが「なべおさみ主演の青春太閤記今にみておれ」のBGMが大傑作なのです。これは先生ご自身が会心の作と評する仮面の忍者赤影のBGMに匹敵する程の楽しく人懐っこいメロディーとアレンジは、コミカルなドラマをいやが上にも盛り上げ、素晴らしい効果を演出しました。自分はすっかりほれ込み、テレビ音声からBGMを引き出して編集し聴き狂いました。また何と言っても「細腕シリーズ=細腕繁盛記 細腕一代記(坂口良子)」が傑作で、ドラマのテーマを憎い程に掴んだマイナーのメロディーは、強く我々の義理人情に訴えかけてくるのですが泣けてくる程の出来栄えでした。ここでマンドリンとチェンバロ、ハープのコラボが実現しました。更にちょっと毛色の変わった曲として「紅ツバメお雪」これは一聴すると小川先生の曲には聴こえません。女性ソロヴォーカルを前に出し、意外性を狙った憎い曲でしたね。しかし小川先生の曲なのです。更にとどめは「梅之助の遠山の金さん」です。此処で小川先生は自己初の「デュオグループに全曲ユニゾンで歌わせ、しかもバッキングはツインギター、ベース、笛、尺八」だけ、、、、これがまた物凄く斬新で。何でもスポンサーには?だったようですが結果は大成功でした。更にBGMでは「金さんがもろ肌脱いで刺青見せるシーン=ミーっラソラっシーっ」てなファンファーレはその後の金さんドラマの中でも最高のブリッジでした。この他「ありがとう=作曲相良直美 のアレンジ担当」でも相良直美の素人っぽい曲にリズムとブラスを強調したノーストリングス(弦無し)で、素晴らしいアレンジを施して下さいました。この曲はサビでかなり間延びしており、アレンジに相当助けられていましたね。此処で、数十年前、小川寛興先生にインタビューした際の記録から、お話して差し支えない部分を列記いたします。 まず「作曲編曲の際、ピアノを使用されます?=自分はピアノは使わない。使うとしたら、音を確認する程度」と。これは勉強すると解りますが、特に歌物の場合にピアノで弾いた曲が必ずしも肉声で良いか?と言うのは解らないからです。SSW等はギターを使います。 「詩が先ですか?曲が先ですか?=さよならはダンスの後で、虹色の湖などは曲が先に出来ました」と。「デビュー作ぽんぽこ物語について=何分相当昔なので記憶が無いが、全て生放送で自分がピアノ一台で穴の開いた部分に即興でブリッジをかけた」と。「日劇で当時、マダム貞奴等の作曲や指揮をしていたが、飛んでくるケーブルをジャンプしながら指揮をしていた」と。「赤影などで、イントロの頭などが微妙に違う事がありますがこの理由は?=スコアが違う訳では無くピックアップの相違だからその場で変えたのでしょう」と。「当時の録音のご苦労は?=何せ予算が無くて楽士が集められずに苦労した。月光仮面などはせいぜい5人。しかし知恵を出し周波数の広い楽器で幅を出し、極力音が薄くならぬようにした。中にはフルートを細工して(詳細不明)和楽器に近づけたりした(和楽器は金が高くつくので) 「鉄腕アトム=実写、アニメ=共にBGMは自分だが、残念ながら記憶が曖昧。ただ増田克幸と言う人は未知で、テーマのメロディーを書いた人かもしれない」と。「アレンジを担当される場合、原曲とのメロディへーの誤差がありますが?=自分は担当ディレクターが用意した譜面で編曲する。時に困ることがある。またオリジナルは極力聴かない、せいぜいテンポの確認程度」と。この他「月光仮面、ジャガーの眼、赤影」等は当時としてもかなりイントロが長く魅力的だが、それだけで音楽になってしまう事など、色々お話頂きました。先生の音楽の魅力はまず「当時としては、意外な程に臭く無く、都会的」だったと。これは水戸黄門の木下忠司先生の創られたBGMがどちらかと言うと「土臭く、強く日本人を意識させるメロディー」なのに対して、小川先生は「赤影のBGM含め、かなりハリウッド的と言いますか洋楽の要素を取り入れた=和洋折衷の素晴らしさ」がビンビン感じられます。其処には、カネやタイコの和楽器だけで無く、日本人の和の心を西洋の楽器とサウンドでブレンドさせ、決して古臭さを感じさせないサウンドに仕上げてしまったのが凄い処でしょう。これは「伝七、遠山、などのBGM」でもはっきりと聴く事ができます。本当に大変な大家を失ってしまいました。もはやこれだけの巨匠は現れないかも知れません。結論として「師匠が凄いとお弟子も凄い」と。しかし何より、当時の服部良一氏の「歌をやめて俺に弟子入りしろ」と勧めた際、小川先生の才能実力を見抜き、全く独自の内弟子教育で小川先生を育てた師匠服部良一氏、と言う方も、思えば凄い方でした。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 敬具
2017/07/22(土) 12:45:14 | URL | よしたかくん
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