私的 昭和テレビ大全集
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テレビナイトショー (1969)

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塚田茂さんが亡くなった際、追悼スレを作ると書いたはいいのですが、
なにしろ紅白歌合戦のテレビ中継第1回から関わっているという、
ちょっと傑出した昭和テレビ関係者なので、
関係した番組も多すぎて、どれにしようか迷ったり、
ネタの仕込みに結構な時間がかかったり、
という事で、かなり間が空いてしまいました。
で、どれにしようか散々迷ったあげく、種々の事情によりこの番組にしました。
とにかく、芸能界のドンの一人と言っていいほど主要な番組に関わり、
主要なタレント達を檜舞台に押し出した人です。
まあ、個人的な業績は、興味ある方は別途お調べ下さい。
ここで語ろうとしても一冊の本が書ける分量になってしまいます(笑)。

さて、夜のヒットスタジオスレでコメント頂いた事が有るのですが、
この番組の月曜日は、夜のヒットスタジオからの生放送二階建て構成で、
夜ヒットの出演者がそのまま居残って二次会をするような感覚でありました。
司会は勿論、前田武彦&芳村真理。
構成作家も勿論、夜ヒット同様、どんどんクジラこと塚田茂でした。
マエタケは、ライバル11PMの大橋巨泉と真っ向ぶつけられ、月水金を担当。
従って、月水金の構成も塚田茂とスタッフ東京。
火木はイレブン同様、東京以外からの放送だったようです。
つまりまあ、月~金の夜11時10分から55分までの45分間、
日テレで当時の深夜枠を開拓した老舗・11PMと張り合う番組だったわけです。

イレブンと張り合う以上、ピンク系も有ったのか?
しかしこれは、塚田が構成を担当した故か、ほとんど無いに等しいものでした。
ただ、毎日の冒頭に、ピングリッシュというコーナーが有りました。
これは、ちょっとエッチっぽい言葉の外国語を学習する趣向。
月曜は英語、水曜はドイツ語、木曜は中国語、金曜はスペイン語といった具合。
先のコメント欄でのご指摘は、吉永小百合さんが英語の解読に指名され、
内容は、「私はいま生理中です」というものだったようですね。
これが記念すべき第一回放送だったようで、ビデオが残っていないであろうこの番組の
具体的な記憶話が聞けたのは奇跡的でした。
お色気っぽいものは、どうもこのコーナーだけだったようです。

続くコーナーは、曜日によって違うものの、いずれにせよバラエティ番組色の強い構成。
そもそも塚田茂は、音楽物も含めたバラエティ番組の雄なのですから当然でした。
例えば水曜日は、ゲストを招いてその人物に近い人々をスタジオに呼びながら、
そのゲストの半生を振り返るようなものをやっていました。
浅井企画社長・浅井良二がゲストになった回では、
お昼のゴールデンショーで売り出し真っ最中のコント55号も出演。
55号が売れたのは浅井の献身的なバックアップが有ったからと紹介しながらも、
お昼のゴールデンショーで塚田が売り出した事には勿論触れず。
しかしながら、次のコーナーで塚田は萩本とちゃっかりコントを演じ(笑)、
夜ヒットでは既にお馴染みだった、お茶目なデタガリとしての面目は躍如たるものでした。
ずっと後年には、NHKの600こちら情報部でも名前と顔を売り、
こちらでは弟子の高田文夫も師匠譲り、いや、師匠以上のデタガリぶりを発揮。
両者ともご記憶の方は多いでしょう。

また、この番組はプロ野球・黒い霧事件の発端となった事でも知られ、
永易が「事件に自分以外の選手も関わっている」と爆弾証言したテープを
生で流したものだから、以後球界は、すったもんだの騒ぎとなりました。
すったもんだというのも昭和的な表現ですが(笑)。
しかし、当時生でこの回を見た方が羨ましいなと思ったものです。
球界を根底から揺さぶった大スキャンダル、その発端発言ですからね。
テープは今でも残っているんでしょうが、ちょっと再現は難しいでしょうか。
VTRが残っているはずは、例によってありませんしね。

コーナーの切れ目切れ目、CM突入直前には、石川みのりによるパントマイムが有り、
ピングリッシュコーナー直後のそのコーナーでは、
その日のピングリッシュで紹介された言葉を即興で表現してました。
最後のコーナーは「今週の歌」で、矢吹健だの梓みちよだのが出演しました。
そして歌手にインタビューしながら、クロージングメッセージを前武が語ってエンド。
提供は寄り合いで、ニッカ、タケダ、ダスキン、シチズン、
そして何故かミノルタカメラとリコーカメラ、カメラ会社二社がおりました。
アンネもスポンサーの一つで、第一回のピングリッシュが件の内容になったのも、
そうした大人の事情によるものと思われます(笑)。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
第1回目の小百合さん
夜のヒットスタジオのコメント欄にも書きましたが、この番組の第1回を観ました。結局第1回しか観なかったのですが。

大好きな夜のヒットスタジオに続いて大好きな前武さんが司会をされるというので、楽しみに必死に起きて観ました。
番組が始まるとその日夜のヒットスタジオに出演されていた歌手の多くの方がそのまま出演されていることがわかり、ちょっと興奮しました。
ごいんきょさんの記事にもあるように、二次会の雰囲気でした。
歌手の方が生の歌を歌い終わって、リラックスしている感じがしました。

始まるとすぐにホワイトボードに英語が書いてあり、訳してくださいということでした。
皆さんボードを覗き込み、分からないなという感じで顔を見合わせたりしていたようです。

どなたかが小百合さんなら分かるのではと言ってカメラが小百合さんを映しました。
吉永小百合さんは丁度その頃、早稲田大学を卒業した頃ではなかったでしょうか。だから小百合さんが指名されたという感じでした。

小百合さんはボードの後ろにしゃがむような感じで逃げていました。
私は観ていて小百合さんでも分からない英語なのかしらと思ったのですが、小百合さんは意味が分かったから逃げていたのだと後で分かりました。
吉永小百合さんが大好きだったので小百合さんのことはよく覚えていますが、他にはザ・ピーナッツさんが出演されていたような気がします。

以前コメントでも書きましたが、これは大人の番組だということが分かり、そこでテレビを消し、それからはこの番組を観ることがありませんでした。

2008/06/12(木) 19:08:46 | URL | モデラート
丁寧な描写ありがとうございます。
しかし惜しかったですね。
本文にもあるように、番組本編はそんなにエッチではありませんでしたし、
まして月曜は、夜ヒットの歌手たちがいろいろ趣向を凝らして歌う日だったので、
小百合さんの歌をもう一回聴けたはずなのですが。
立木義弘さんによる脱がせのテクニック講座は有ったようですがね。
2008/06/13(金) 06:56:16 | URL | ごいんきょ
確かマエタケさんは・・・
この番組はwikiによれば71年春で打ち切られたそうですが、マエタケさんは最後までは出演されておられなかったようですね。
途中からは西郷輝彦、高橋圭三、うつみみどり、大阪からはミヤコ蝶々らが司会を務めていたらしいです。

スポンサーでミノルタカメラというところで思い出したのはやはりこの数年後にほぼ同じ時間枠でスタートしたスポーツワイドショーの草分け「プロ野球ニュース」。私にとってミノルタはこの「プロ野球ニュース」=佐々木信也と一体化したイメージを持っています(笑)。でももうすでにこの番組の時代からこの枠でスポンサードを担当していたというのはちょっと意外でした。

以前もヒットスタジオの項目でのコメで書いたのですが、塚田さんは昭和の歌謡番組黄金期を築いた最大の功労者であったと、そう断言しても過言ではないと思います。
紅白の現在まで受け継がれる基本スタイルを考え出したのも彼であり、また「歌のアルバム」で定時歌謡番組のある種の定式を築いたかと思えば、60年代末にはいってからは「ヒットスタジオ」を今度は立ち上げ、スターによる歌謡ショーから、人間ドキュメンタリー的な要素を加味した構成へ、歌番組の制作の定式に新たなアプローチを自ら行い、そしてそのアプローチをより情報性を追求する構成を採った「ザ・ベストテン」によってある程度完成させたという・・・。
まさに昭和の歌謡番組の系譜は塚田さんの構成作家人生そのものであったといえるでしょう。

しかしながら、これだけの偉大な名だたる歌謡番組を生み出している人物でありながら、やはりここ十数年は隠居の身であったことからか、訃報の扱いは各局とも非常に小さかったですねえ。完全に「過去の人」扱いでした。

テレビの悪い部分というのは、現在のテレビの原型を汗水流して築いてきた功労者に対する扱いよりも、今活躍している、言い換えれば「数字が確実に取れる」タレントの扱いを重視しがちであるという点でしょうか。
日本のテレビ界ほど、実のところは無味乾燥な世界はないのかもしれないなあ・・・と彼の訃報の扱いの酷さを見ていて呆れてしまいましたけども・・・・。
2008/06/13(金) 23:08:46 | URL | Blue
おそらくゲバゲバが始まったのが司会交代の大きな理由なんじゃないかと思いますが。
そう言えばプロ野球ニュースで、よく「ミノルタ」と最後にコールするCM流れてましたっけ。

塚田さんは非常に多くの番組の構成を担当されているんで、
それを列記するとキリが無いんですが、音楽番組とお笑い番組、
総じてバラエティ型の番組の総元締めとも言える人です。
ドリフと55号はライバルとして有名ですけど、その双方を世に押し出した人ですね。

テレビというのは昔、大宅壮一が喝破したように、白痴メディアですからね。
過去も未来も無く、あるのはただ現在だけ。
ワタクシはそれもテレビの魅力だったと思いますが、
近年のように金太郎飴状態では、悪い面ばかりだと思います。
ただまあ他のコメントで言いましたけど、既に文化的には寿命を迎えたものですからね。

もっとも、NHKはそれじゃいかんだろうとは思うんですよ。
テレビ50年の時に、もっときちんと総括すべきだったですね。
作曲家の方々についてはかなり特集してくれるようになってきてますが、
その他のスタッフについてはまだまだ掘り下げが皆無ですね。
ワタクシに企画させてくれれば、きちんとした昭和テレビ総括シリーズを制作するんですが(笑)。
まあ塚田さんについては、高田文夫さんが何かやってくれるでしょう。
2008/06/14(土) 07:01:34 | URL | ごいんきょ
テレビナイトショー
当時、と、いうか当時から
11pmの人気は高かったですからね。
野球は巨人司会は巨泉には
どんな手段で争っても 
勝てないのでしょう。 
2008/06/18(水) 14:50:48 | URL | 梅吉
在京キー局での訃報の扱いのあまりの小ささを嘆く・・・
塚田茂さんと言えば在京テレビ各局にとっては足を向けて寝る事が出来ない程の存在(勿論テレビ界全体にとっても同様の存在な訳ですが特に在京テレビ局にとっては直接自局の番組制作に関わっていた訳ですからねぇ)の筈なのに、訃報の扱いがベタニュース以下と言うのは彼が三木鶏郎→永六輔の流れから出て来られた方では無い(塚田さんは日劇の舞台演出家からテレビの世界に進出された方)からなのですかねぇ。。。。。。。。。。。
只トリロー→永六輔ラインから出て来た方々なら特別番組まで組まれたりするというのも
永さんがまだまだご健在だからという理由でしか無い様にしか思えないですし。
正直扱いが酷過ぎますねぇ。。。。。。。。

テレビナイトショーに関して言えばさすがに私の手に余る番組(我が家は完全に11PM派でしたから(笑)。)ですが、巨泉・義一に対抗するのはさすがに大変だったでしょうね(笑)。
フジが昭和51年に「プロ野球ニュース」を復活させる以前で「11PM」に対抗できたのはNETの「23時ショー」位だったでしょう(笑)。
「23時ショー」は後に「トゥナイト」という番組に衣替えし、遂には「プロ野球ニュース」と共に「11PM」を終了に追い込む原動力となった番組ですし。
大阪では毎日放送が「番組内容があまりにも下品だ」として、早々にネットを打ち切り、ネットチェンジ後系列局となったABCでもそれが継承され全く放送されなかったという番組ではありますが。
ちょうど風営法施行直後で温和しめになった頃の「トゥナイト」を観た関西の友人が「何や!あの番組w」と言ってABCでやっているローカル深夜番組の面白さを等々と話出した際には、さすがの俺も「お前、今はやっていないけどトゥナイト名物企画の風俗街潜入ルポとか知らんやろw」と言い出しそうになった事もありましたけど(笑)


2008/06/18(水) 18:04:11 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
テレビナイトショー
扱いが小さいというのはどうにもこうにも納得いかないですね。
塚田さんは天才放送作家でしたよ。

永さんよりいまはみのもんたが
島田シンスケが吉本芸人
やオネエマンズのタレントばかりが注目されていて永さんはスミっこに
置き去りにされてる状態ですからね。こういう連中の顔は見たくないですし、正直いえばこういう連中のどこが面白いんだ。と、いつも思うのですが。
こういう連中ばかりが注目されているんですから仕方がない。
と、いえばそれまでかな。
放送業界連中のテレビタレント
起用基準と、いうのが
視聴者の皆さんといかにズレているか。と、いうことに
放送業界の皆さんは気づくべきです。
  
2008/06/18(水) 23:10:38 | URL | 梅吉
Blue
そういえば、いま思い出したことですが、リコーもその後はプロ野球ニュースの前の時間帯にあったニュース枠(こんばんわ、俵孝太郎ですのフレーズがなつかしい「ニュースレポート23:00」時代(笑))にスポンサード枠を移行し、この会社も随分と長くこのフジテレビ平日23時枠のスポンサーをやっていましたよね・・。

でもなんで、「テレビナイトショー」の時代には同業ライバル会社のリコー、ミノルタが同時にスポンサーで名を連ねていたんでしょうね・・・。大抵どちらか一方が敬遠するのが常でしょうし、スポンサーを決定する編成側もそのへんを考慮するのが普通だろうとは思うんですけどね・・・。
そのへんもあって後に両者のスポンサード枠は別々に切り離されたんだろうとは思うんですけど。
2008/06/22(日) 04:08:07 | URL | (ハンドル未記入)
● 梅吉さん
巨泉さんは視聴者を引きつける何かが有った司会者ですね。
太陽の相と言うのかな。
書いててよくわかりませんが(笑)。

● TXさん
ただねえ、塚田茂さんって言っても、すぐにわかる人も少なくなってると思うんですよ。
構成作家は結局裏方仕事で、仕方のない事なんでしょう。
ワタクシは、高田さんが作ってくれるであろう、「塚田茂全仕事」という書籍の発売を心待ちしています。
勝手に決めつけてますが(笑)、おそらくやってくれると思ってます。

23時ショーも有りましたね。それも勿論いつかは扱います。
トゥナイトは風営法改正前が華でしたよ。
と言うより、トゥナイトが改正に追い込んだと言えるかと(笑)。

● Blueさん
あー。その時間のニュースはリコーが提供してましたっけ。
プロ野球ニュースのミノルタはよく覚えてますが、それは言われればそうかなという感じです。
昭和40年代はカメラ会社も元気でたくさんCMやってました。
2008/06/23(月) 04:51:17 | URL | ごいんきょ
お礼
スタッフデータの提供、本当にありがとうございます。
ごくごく初期に木曜の司会を加藤芳郎がやっていたのは知っていたのですが、中村メイコがその相方だったのは初めて知りました。

あと、金曜もマエタケの相手役は芳村真理だったんですね。てっきり豊原ミツ子が水曜と兼ねて・・・と思っていたのでこれもちょっと意外でした。
恐らく、以前ごいんきょさんがおっしゃられていた「ゲバゲバ」との兼ね合い・・・・という点と照らし合わせみると、1970年の秋までは、月・水・金のフジ製作分に関しては初期の体制のままで推移して、その後、月:高橋圭三、水:土居まさる、金:伊丹十三の曜日別体制が交代した・・・という感じでしょうかね。
この年の秋にはマエタケさんは「ゲバゲバ」の第2シリーズのほか、在阪局製作の「おやじバンザイ」の司会者にも抜擢されたり・・・とフジ以外の局でのレギュラーが増えているんで、多分、連日の深夜生出演が難しくなったんでしょうね。

「23時ショー」もねぇ・・・あれも初期の司会者は開始日に掲載された一面新聞広告にその面々の名前が書かれていたので広く知れ渡っていますけど、その後に加入・交代した面々についての情報はほんとに乏しいんですよね。現時点で私のほうで分かっているのは・・・1972年に入ってから高島忠夫、広川太一郎、愛川欽也、藤原弘達が司会に入ったことぐらいでしょうか。

やっぱり情報が分からないから大雑把にしか取り扱えない・・・というのはとてももどかしいところなんですよね。「ナイトショー」にしたって「23時ショー」にしたっても今深夜にやっているどうでもいい番組(汗)以上にテレビ史的な”価値”のある番組なだけに現在ある情報や資料の乏しさが残念でしょうがないです・・・。
2014/03/30(日) 20:31:58 | URL | (ハンドル未記入)
メイコさんとか豊原さんは、お昼のワイドショーの方も、前武さんが抜けた後を埋めたりしましたね。
それにしても、関西版の出演者がまったく手掛かり無いのですが、
関西テレビ30年史に、一葉だけカラー写真が掲載されております。
そこに出ている男性は、宝田明さんのように思うのですが。
女性は、宝塚の人っぽい感じなんですよね。
宝塚・東宝と関係深い関西テレビなので、どちらも有り得る人選だとは思いますが。
2014/04/05(土) 21:41:47 | URL | ごいんきょ
私のほうもこの後も色々資料に当たってみたところで、いくつか新しい情報が確認できたので補足したいと思います。

・1969年7月に東海テレビが木曜製作となったタイミングで番組リニューアルがあった模様。その結果、関西テレビ版のメイン司会ははかま満緒から宝田明に交代、フジテレビ版も水曜と金曜の女性司会者(芳村真理、豊原ミツ子)の担当日が入れ替わった模様。
・1971年4月以降の関西テレビ版のメイン司会者は笑福亭仁鶴が担当(尚、同年秋に終了後、当番組火曜版の流れをそのまま受け継ぐ形で関西テレビは独自編成のナイトショー番組「ナイトパンチ」を金曜深夜に編成、そのまま仁鶴が司会に就任)。
・前田武彦・中村メイコのコンビは臨時編成だった模様(1970年3月11日(水)放送で美空ひばりのワンマンショー企画が編成された際に、芳村の代わりに中村メイコが前田とともに司会を担当していたらしいです)。
・最終盤の金曜メインだった伊丹十三のパートナー役は金井克子が担当。
 
ごいんきょさんがおっしゃっていた”宝塚っぽい人”は・・・詳細が不明です(汗)。
多分、宝田さんとの画面の映り具合のバランスを考慮する限り、男役ではなく娘役のトップかそれに準ずる位置にいた宝塚の女優がアシスタントをやっていた可能性が高そうですが、ちょっと宝塚方面での知識はかなり疎い(汗)ので全く見当がつきません・・・。
2014/04/08(火) 04:27:11 | URL | (ハンドル未記入)
関西版の方はまったくわからなかったので、目新しい話ばかりです。
やはり宝田さんでしたか。
女性の方は、ワタクシにも誰かは判りません。
宝塚の人かどうかもわかりませんが、そういう感じというだけです。
しかし、ただゲストで写っているだけかもしれません。
2014/04/08(火) 07:10:02 | URL | ごいんきょ
ナイトショー木曜版
 木曜日の司会者として、豊原さんと噺家の柳家小さん治氏が組んでいる時期がありました。「スタミナ料理」というコーナーがあって、小さん治師匠が鶏の肛門を食べて見せたのを覚えています。アシスタントで、双子の女性が出ていらっしゃいました。
2014/12/09(火) 16:15:07 | URL | キンちゃん
へえ。これは貴重なお話です。
プロ野球黒い霧で盛り上がっていたのをご記憶の方はいませんかねえ。
2014/12/10(水) 20:04:09 | URL | ごいんきょ
はじめまして
前田武彦さんは「ナイトショー」生放送で公然と鹿内信隆社長の政治色を批判した事が原因の降板で、当時大きく報道されていましたね(三年後の夜のヒットスタジオ・万歳行動で更に自らとどめを刺した印象です) 東海テレビ製作・児玉清さんの回、名古屋からの公開生放送では、全共闘の若者や群衆がステージに押し寄せ、暴動状態となり、パニック・放送事故で中断、愛知県警の機動隊やパトカーが数十台出動し、社会面トップニュースにもなったのですが、皆様方御記憶でしょうか?
2015/04/29(水) 20:54:04 | URL | 巽
はじめまして。
ほぉ~。そういう話は初耳です。
当時、あの鹿内天皇に物申す人がいたなんて凄いな~。
児玉清さんは、倍賞美津子さんとの組合せで木曜の司会ですね。

これって、11PMのサントリーに対抗して、ニッカあたりがCMやってたんでしょうか。
やはりウヰスキーの生CMが有ったらしいです。
2015/05/18(月) 07:23:21 | URL | ごいんきょ
ありがとうございます
ごいんきょ様とお話出来、光栄です。 ニッカウイスキーの生CM、ありましたね。当時の広告でも「ナイトショーで好評放送中」と掲載されています。当時、マエタケさんはラジオ関東「昨日の続き」で都知事選挙にも言及、秦野章候補を批判し「僕は美濃部派」と発言し、こちらも問題となり降板(苦笑)「ナイトショー」降板含め「タレントだって、意見がある、一種の言論弾圧」と苦々しい表情で抗議、「下落するマエタケ株」との共同通信の配信記事が1971年の段階でありました。 当時各局も「ナイトショー」のように個人的な意見を語る情報番組をやらせなければ大丈夫と思っていたのでしょうが「夜のヒットスタジオ」バンザイ事件は起こるべくして起きてしまったのでしょうね(>_<)フジテレビさんもまさかと絶句した事でしょう・・
2015/05/22(金) 01:07:05 | URL | 巽
ん?
ワタクシは著名人でもなんでもないのですが(笑)。

昨日の続きは、前田さんの代表作だったラジオ番組ですが、そんな事が有ったなんて。
どちらも前田さんの著書にも記述が無いですし、かなり放送関連の本を読んできたワタクシも初耳です。

前田さんは当然、秦野章ではなく、革新の星だった美濃部派だったでしょうね。
でも、そんなのが問題になるなら、今の吉田照美なんてどうなるんでしょう。
局で言えば文化放送とTBSラジオの偏向ぶりは酷いのですが、
テレビのように目立たないからか、あまり騒がれませんね。

前田さんは、テレビの草創期から活躍を始め、正直、
電波媒体の危険性というか、そういうものの認識が甘い部分が有ったかと思います。
初期の、影響力の薄い時期に自由にやれた記憶が強すぎたんでしょうね。
2015/05/23(土) 07:07:45 | URL | ごいんきょ
こんばんは
マエタケさん始め、当時の昭和ヒトケタ世代は、皆様方、生放送・司会でも正義感が強く情熱的でしたよね。大橋巨泉さん、青島幸男さん、永六輔さんらのリベラル派に、桂小金治師匠、ミッキー安川さんらの保守派、良くも悪くも゛あの方達だから゛とファンや関係者も許容している部分があったでしょうが、マエタケさんは一線を越えてしまったかな・・と。 現在のTBSは特に異常ですね。関東ではネットしていない「やしきたかじんのそこまで言って委員会」や「テレビタックル」等、意見が違う方々が議論する番組は素晴らしいです! 失礼ながら、吉田照美さん、室井祐月さんらは元々、ノンポリだった無知な若者が特定の勢力に感化されたタイプでしょうかね・・。余談ですが、最近、メディアへの異常な露出の多い元・共同通信の青木理氏には危険な物を感じます。では、また(^_^)
2015/05/29(金) 20:51:53 | URL |
おそらく、その世代の人たちは、自分の親世代への反発心、
これはどの世代でも持つものですが、
それに加えて、所謂GHQの洗脳工作が有りましたので、大きく振れたのでしょうね。
それにその世代は、日本が連勝していた当時を知らないというのが最も大きいと思います。
だから戦争観が分断的になってしまうんですよね。
今も巨泉さん、かなり精力的にその手の観点から発言をしておりますが。
愛川欽也さんもそうでしたし。

照美さんはノンポリだったのかな。
どうでもいいですが、小沢一郎って放送番組であそこまで持ち上げるような存在かと、
物凄く違和感が有りました。
2015/06/01(月) 07:09:54 | URL | ごいんきょ
23時ショーについて
場違いで申し訳ないのですが、1971年4月から1973年12月までNET(現・テレビ朝日)で放送されていた「23時ショー」についてですが、ごいんきょさんはその当時リアルタイムでご覧になられていらっしゃいましたでしょうか?

因みにYoutubeでは1972年当時のOPがUPされておりまして、下着姿?で昔のピンクレディのケイみたいな髪型の若い女性が後ろ姿で登場して、振り向いては日本刀を振りかざすシーンが映っています。

その当時、この番組はNTVの11PMに対抗して製作されたそうで、内容はタイトルを含めかなり露骨で過激だったそうですが、出演者の発言内容の一部に於いてピー音やモザイク等の修正があったりしたものなのでしょうか?

どうか宜しくお願い致します。
2015/08/08(土) 15:30:25 | URL | スノーク(広川太一郎)のファン
23時ショーは、一本丸々は見たことがありません。
しかし冒頭の部分だけ、たまたま見たことがあります。
その事については、丁度エロ番組特集をしてますので、近いうちに記事にしたいと思います。

内容ですが、11PMもですけど、過激という回はむしろ少なかったのでは。
生放送のはずですから修正は不可能ですけどね。
2015/08/24(月) 02:35:45 | URL | ごいんきょ
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(月水金) 構成:スタッフ東京・塚田茂 プロデューサー:太地恒夫・横井敏明 音楽:宮内国郎 制作:フジテレビ第二制作部 提供:ニッカウヰスキー、武田薬品、ダスキン、アンネ、    シチズン、ミノルタカメラ、リコーカメラ 司会:前田武彦(月水金)    芳村真理(月金) 芳村実子の時あり    豊原みつ子(水) (木)7月より 構成:岡田憲和、来宮洋一 制作:東...
2014/03/30(日) 07:36:35 | 補遺補遺 私っテレ掬うる
前回投稿を、少し訂正、補記したいと思います。 &amp;nbsp;
2014/04/07(月) 01:08:01 | 補遺補遺 私っテレ掬うる
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