私的 昭和テレビ大全集
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新選組始末記 (1961)

新選組始末記



ワタクシが時代劇で最も好きな作品は、新選組血風録というものであります。
これは昭和40年のモノクロ映像という古い作品でありながら、
初めてビデオソフトで見た時に、衝撃的な感動を覚えたものでした。
そこには、それまで見ていたような生温い「テレビドラマ」とは何か一線を画す、
熱い滾りが全編随所に迸っていたからです。
狂気と正気は表裏一体。
他人を斬って撃って殺しまくらねば己が死す戦場に於いて、
話せばわかるだ言葉の力だなどと正気を保とうとするのは、生物一個体としては狂気の沙汰でしょう。
そうした場では、己の身の安全をまず第一に考えるのが生物としての正気と言えますし、
それは平静の場に於いては、或いは狂気じみて見えるものかもしれません。
故に、そんな切羽詰まった時局に於ける「正気」を安全の場に於いて演じるには、
或る種の「狂気」が必要なのではないでしょうか。
新選組血風録から感じた熱とはすなわち或る種の狂気であり、
それはテレビという媒体そのものと、役者・制作者たち、双方の若さが渦巻いていた頃の、
ひとことで言えば、時代が産んだ名作だと形容する他ないでしょう。
今の連中がどれほど努力と金と時間を注ぎ込んでも、それは凌げない。
そうした作品に関われること、これはもう天運と言うべきものなのです。

すっかり新選組血風録を語り始めてしまいましたが(笑)、
それについて本格的に語るのはもっと先の話としまして、
事程左様にワタクシを打ちのめしたかの作品は、ワタクシ以外にも
非常に多数の信奉者を生み、当時のドラマとしては桁を外れた各種評価を受けています。
かの作品に刺激を受けて新選組研究の道に入った者数多。
しかし、そんな名作・新選組血風録の前に、やはり新選組を扱った名ドラマが有り、
やはりそれに感銘を受けて研究に入った者もいるという事を知った時は、驚きました。
そんなドラマをテレビ黎明期に二つも生んでしまう新選組という存在。
往時の彼らもテレビもまた若く、己を顧みる事も投げ出して与えられた任務に没頭する以外無かった。
そんな狂気の相似性が作り上げた奇跡という事なのでしょう。
そんな一方のドラマが、この新選組始末記。
研究者の一人が当時見た記憶では、感極まって何も言えなくなる場面の演技が迫真であったといいます。
一人の人間を研究家にまで引きずり込んでしまう作品と、その演技。
新選組血風録に魅入られたワタクシにとって、先達とも言える存在をぜひ実見したい!
しかし昭和36年の作品で、当時は生ドラマだったという事から、こちらは絶対に見る事はできないだろうと、
ワタクシはいつもながらの絶望感を味わっておりました。
ところが仰天。
それからそれなりの年数を経て、TBS50年史という非売品の社史を入手できた折り、
その付属DVDメニューに、この番組名が並んでいるではありませんか。
ま、まさか… この番組って、現存してるのか!?
半信半疑でDVDメニューをクリックし、よもやの白黒画面が表示された時の感激。
ほんの一部の場面しかそこでは見られませんでしたが、正に伝説の番組を実見できた喜びは、
筆舌尽くし難きものが有りました。
しかしまあ、こんな番組がソフト化されるのはまず考えられないし、
丸々一本見る事など、なかなか叶わぬ事だろうなと諦めて数年。
かの横浜・放送ライブラリの所蔵番組にこれを見いだした時、
思わず出そうになる驚喜の叫びを噛み殺すのに苦労したものです。

そこで繰り広げられていたものは、新選組血風録とはまったく毛色が異なるものの、
やはり異様なまでの迫力に充ち満ちた場面の連続。
収蔵されていたのは鳥羽伏見の戦い前後編のみで、物語もかなりの後段に差し掛かり、
新選組は仇敵・長州に押しまくられ始めていく時局のものです。
いわゆる戊辰戦争が始まる時ですが、およそ生ドラマとは考えられぬ迫力で、
スタジオ演技の随所で火薬が用いられ、勿論ロケ収録場面では、
更に大規模な爆発シーンが随所で繰り広げられている。
当時のドラマでこれだけ大掛かりな制作がされたものは、そうは無いと思います。
しかし迫力に満ちていたのは火薬効果だけでなどない。
のっけから、近藤勇を演じる中村竹弥の豪芝居に圧倒されてしまうのです。
殿中に於ける古語調の難しい言い回しで、延々と、芝居がかった調子で大上段から訴えかける。
その迫力、言い回し。
往時の近藤はさしずめこんな調子で幕閣らと渡り合っていたかもと、見入ってしまいました。
生であの難しい長台詞を名調子でこなす。歌舞伎畑出身の強みと言えるのかもしれません。
今、これだけの人材を見つけるのは至難でしょうし、仮にいたとしても、
特段に美男でもなく、作られた人気も無い者を主役に抜擢しようなどとは、誰も思わないでしょう。
しかし、ただ顔と体だけがややましなジャニタレが近藤だの土方だのを演じたところで、
テレビ史に残る傑作などができるべくも無いのです。
普通の台詞にすら説得力の無い連中が、正気も狂気も演じられるはずがないでしょう。
ここにも、時代劇衰退の理由の一つを見いだす事ができます。
しかもそれは、テレビ番組の衰退にも普遍化できる事由であります。
成熟した文化は、腐る宿命にあります。

この番組はゼネラル・アワーとも言うべき枠で、八欧電気とゼネラル商事のクレジットから始まります。
するとゼネラル掃除機の生コマーシャルが始まり(笑)、男性アナが掃除機の機能を解説。
当時は掃除機もなかなかな高級品で、まだハタキ・箒での掃除が主流でした。
そして簡単な音楽のOPがあり、本編に突入。
まだ30分ドラマが主流の頃で、これだけ本格的なドラマでもそうでした。
番組中では当時は当たり前の、提供テロップが随所で流されます。
代わりに、途中でCMカットされるなんて事はありません。
視聴者はドラマが始まるとそれに集中する事ができましたし、
無駄に重複した場面を何度も見せつけられる鬱陶しさも有りません。
およそ芸術にはスポンサーの存在が不可欠なのやもしれず、
こうした視聴率や広告効果の数値だけを追わずに制作できた体制と余裕が無くなったのが、
時代劇衰退の理由第2として挙げられるでしょう。
今のテレビは、表面的にはだらだら悪い意味で遊んでますけど、良い意味での遊びが許されない。
それは、商売としていくらでも稼げる存在になったためで、
経済的合理性を最優先させたために一社提供番組が無くなり、
そのために個人的道楽で作られていたような(笑)番組が無くなった。
数多くの駄作の山からこそ一握りの傑作が誕生する余地が有るわけですが、
現在のテレビは基本的に許される番組制作の根本が画一的。
それは視聴者をウンザリさせるレベルまで来ているのに、もう後戻りができないのです。
ラジオのように一度壊滅的な状況に陥れば、それは実はテレビにとっては、
ささやかな、されど確かな幸福を取り戻す第一歩となり得るでしょう。
大きく言えば今の日本という国もそうした岐路に実はあると思いますが、それは余談。

当時から時代劇では定番とも言える芥川隆行のナレーションで本編が締められ、
エンディングで主題歌が流れ、配役スタッフの紹介となる映画のようなパターン。
そしてまたゼネラル電化製品の生CMとなります。
収蔵されているものではトースターのCMでした。
今ではオーブントースターが主流なんでしょうか。
当時は二枚入れてスイッチを下げるもので、頃合いを見計らって手動で上げて、
焼け具合を確認しながらだったので面倒でした。ちょっと目を離すと焦げちゃうし。
奥さまは魔女だったかな、ポンと自動的にパンが持ち上がる自動トースターを見た時は衝撃でしたね。
焼き上がったパンは、裏返した蓋に取り敢えず置いておくんですね(笑)。
二つの焼く穴に刺さっていた金属の部分が、パンスタンドの代わりにもなってました。
その頃、アメリカさんの占領的食糧政策の都合で、日本人へのパン食が奨励され、
むしろ米食を遅れたもの、非健康的なものとする論陣が張られました。
そんなこんなで、我が家でも特に休日などは、よくトーストを食しましたっけ。

このドラマは、子母澤の原作をベースとはしているのでしょうが、
子母澤の原作は小説のようなきちんとした物語ではありませんので、本来は映像化に馴染むものではありません。
それをドラマ化するにあたっては、より物語性・虚構性の強い後年の著作からも多く取り入れられています。
更には、このドラマ独自の世界観も数多くちりばめられ、
役者連の際立ちぶりもあって、ほとんど独自作品と言っても良い感じです。
例えば、近藤勇が養子とした、谷周平という隊士がおりまして、
彼は実は隊を脱走したと思われ、明治まで生き延びております。
なのにこのドラマでは、隊のみんなを助けるために、死を賭して西軍に向かっていき、
死ぬ間際力を振り絞って火薬に火を付け、橋を爆破して自らも散るという設定になっています。
途中で隊からいなくなったのは脱走の為なのですが、それを殉職のためと面白く作り替えているわけです。

この新選組始末記という作品の同名原作は、新聞記者あがりの子母澤寛が昭和初期に書き上げたもので、
大正の頃まではチラホラ存命していた元新選組隊士や、
その直接の関係者に直聴きした証言で構成されている、ドキュメンタリーのようなものです。
新選組血風録で新選組に興味を持ったワタクシは、この子母澤や、
生き残り幹部の永倉新八らの書き残した生々しき実見談により更なる興味をそそられ、
どんどん幕末という風雲の時代に惹かれていったのでした。
そして更にいろんな文献で調べていくうちに、人間の、特に老人の記憶には、
誤謬、錯誤、錯綜などが往々にして散見されるものであって、
それは確実な同時代資料によって補強を試みる姿勢が無ければならないと学びました。
勿論、当時の事ですから他の同時代資料などは無い場合が多い。
その場合は、他の同時代証言や後世も含む考察を積み重ねていき、
推量を洗練化していくしかないわけで、そこにロマンを見いだす余地も生じます。
この長い稿をここまでお読み戴けるほど(笑)当ブログに親和されている方ならお気付きでしょうが、
ワタクシが当ブログで執っている手法、それは、子母澤の手法をかなり意識していたのです。
子母澤が新選組始末記を出版したのと奇しくも同じ昭和3年に、平尾道雄という人が
新選組史録という本を出版し、こちらも研究の底本のようになっています。
そちらは、幕末当時のものを含め、出所が確実と思われる資料を駆使した、研究本と言える形式の内容でした。
ワタクシが当ブログで意識しているものは、そちらのやり方ではないという事です。

ところで、先に書きました、迫真の無言の演技。
とある本で読んだところでは、役者が台詞を忘れてしまったためという、
生放送時代ならではのエピソードだったようです(笑)。
ただ、それを名演に感じさせてしまうだけの迫力、説得力がこのドラマと出演者に漲っていた、
という事でもあるのだと思います。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
時代劇の衰微
木枯らし紋次郎の稿で出た宿題に、ごいんきょさんご自身から早くも解答が出されてしまいました。
たしかに、今生きている役者は、相当の年寄りを除いて、ちゃんとした日本語を発音できないし、いわんや役を演じることにおいてをや。( NHK のニュース読んでる人たちも日本語の発音はほとんど全員ダメですね。)
それに、和服が体に合ってない。体型だけじゃなくて、動きが和服の動きになってない。
もう二十年ぐらい前に故・杉浦日向子が、時代考証のしっかりしたリアル時代劇が見たいと書いていましたが、私はその方向でも時代劇の活性化は難しいと思います。
最大の元兇は、このブログで書くと身も蓋もないですが、やはりテレビという媒体じゃないでしょうか。時代劇は歌舞伎や女剣劇などの芝居の中で生まれ育った物で、本来はお金を払って見に行く物、弁当をこしらえて出かけて見る物だったわけでしょう。そういう観客は、たとえば「なんだまた忠臣蔵かよ。これこの間もやってたじゃん」などという感想は持たないので、作品が消費材にならず、親子代々楽しめるものだったと思います。

話はガラッと変わりますが、自動的にパンが出てくるトースターって、日本で市販され始めたのはいつごろでしたっけ。昭和50年ごろに藤竜也が、パンが飛び出すのを見て「たいしたモンだ・・・」とつぶやく CM がありましたが、あんなに最近じゃなかったと思うんですが。

2009/02/17(火) 00:17:13 | URL | あぶもんもん
いや、解答と言いますか、いくつもあるうちの幾つかという事ですよね。
根本は、もっと日本文化の根元にまで行ってしまうんでしょうけど。
ただあげつらうだけでなく、改善策も少しずつ触れていければいいとは思ってやってますが。

例えば江戸時代にやっていた芝居というのは、今の我々が時代劇を見るのとまた違ってたでしょうね。
かなり文化風俗が理解しやすかったと思いますし、
同じ徳川の御代を描いた劇であれば、現代劇に近かったんじゃないかな。
実際に新選組の人たちは、忠臣蔵をかなり意識してますし。
我々が先の大戦ドラマを見るような感覚に近いのかなあ。
テレビが消耗媒体というのは確かですがねえ。

藤さんのCMは覚えてませんが、自動トースターは昭和50年代以降でしょうね。
それ以前に持っていた人はお金持ちの家だと思います(笑)。
2009/02/17(火) 02:01:24 | URL | ごいんきょ
トースターCM
 すみません、私もトースターのCMの方に心が動かされてしまいました。
 物心ついたころ(おそらく昭和50年ごろだと思います)
 「僕はねぇ、パンを一枚しか食べないんだ。」
 というセリフのあったCMを思い出してしまいました。
 それを真に受けたのか(?)、私はトーストを原則として1枚しか食べてません。パンの厚さにかかわらず。
 ナショナル劇場の枠で見た記憶があるのですが、このCMが例の藤竜也さんが出ていたものなのかしら?
なんとなく、小林亜星さんが出ていたような気もするんだけれど・・・。(?₋?)
 自動トースター、私が物心ついた時はそれでした。オーブントースターも私が小学校に入るか入らないか(昭和52,3年ごろ)に我が家にお目見えしました。
 今はトーストもほとんど食べなくなりましたがね・・・。(朝はほとんどご飯です。私の仕事が休みの時、あるいは母親が旅行などで不在の時しか食べません)
2009/02/23(月) 11:08:30 | URL | 北国の人
うーん、なんかうっすら有ったような…。
少しずつですが思い出しそうです。
2009/02/23(月) 21:24:43 | URL | ごいんきょ
新選組始末記
さすがに、「新選組血風録」のようなテレビ映画と違って、生放送のスタジオドラマをご覧になった人は少ないでしょうね。
 私は、これも時代劇好きの父親と一緒に見ていました。

鞍馬天狗や月形半平太の敵役の幕府の犬としか思われていなかった新選組の評価が一変した番組として有名ですが、忠臣蔵や清水次郎長一家と同様に個性豊かな登場人物がおりなす集団劇の魅力がありました。
豪快に虎徹をふるう局長近藤勇(中村竹弥)、局長の影で策謀を練る陰険な土方歳三(大島渚映画の常連戸浦六宏)、二枚目の沖田総司(新東宝映画時代から若様が似合った明智十三郎)、粗暴な芹沢鴨(「仁義なき戦い」の山守組長金子信雄)などは、のちのちの新選組のイメージを決定づけたのではないでしょうか。例外は、土方歳三で、司馬遼太郎原作の「新選組血風録」「燃えよ剣」をテレビ映画化したときの栗塚旭の土方像で、陰の策士から天才的指揮官になりました。このときの、舟橋元の近藤勇は対照的にいささかなさけない男として描かれたように思います。
いろいろな隊士が描かれましたが、一番印象に残っているのは、十番隊組長の原田左之助役の山岡徹也です。悪役専門の山岡徹也がここでは、直情径行型の原田役を生き生きと演じていました。
そして、一番よく覚えているシーンは、やはり会津や桑名の藩兵が間に合わず、新選組だけで斬り込んだ「池田屋騒動」です。前後編と二回にわたって放送されましたが、スタジオでの生放送ですが、フイルムとは違うくっきりとした画面での立ち回りは迫力がありました。エンディングは、夜が明けて、京都の町衆が見守る中を傷ついた隊士をかばいながらの引き上げシーンでした。(忠臣蔵の吉良邸討入り後の泉岳寺への引き上げを思わせます)。
 テレビの「新選組始末記」が終了したのが、1962年12月でした。年が明けて1963年の大映のお正月映画として市川雷蔵主演で「新選組始末記」が封切られました。テレビの人気が映画化のきっかけだと思います。てっきり、雷蔵は沖田総司役だと思ったのですが、なんと密偵の山崎蒸の役だったのには驚きました。近藤勇が新東宝が倒産して弟の勝新太郎を頼って移籍した若山富三郎(当時は城健三郎)、土方歳三が天知茂、沖田総司がテレビの「琴姫七変化」で人気が出て「うわさの錦四郎」に主演した松本錦四郎というのは、ほぼイメージどおりでしたが・・・映画のクライマックスも池田屋騒動で、翌朝の引き上げシーンで映画はジ・エンド。
2009/02/28(土) 00:01:08 | URL | 漫中老
いやー。このドラマを当時実見した方からコメントが戴けるとは無上の喜びです。
池田屋の回を見られたとは本当に羨ましい。
新選組血風録の方はその池田屋から始まるのですが、
フィルム撮りながらもその迫力というか、役者連の凄みが伝わってました。

漫中老さんがおっしゃるように、先の大戦前までは、まだ東軍=賊軍という史観が強かったと思います。
東軍はなかなか主役にもしづらかったのでしょうが、
新選組がスターになった事でようやく東軍側の言い分も世に伝わり出しました。
そういう意味では、子母澤や彼の原作を映像化した人たちの功績は多大なものが有りますね。

これも漫中老さんのおっしゃるように、新選組の魅力とは集団劇としての魅力なんですね。
賊軍として扱われていた頃は、近藤勇=敵ながら天晴れ程度の認識がせいぜいだったと思いますし、
せいぜいが沖田・土方との三羽烏的な認知でしかなかったでしょう。

中村竹弥さんは、大江戸捜査網でも渋く脇を固め、テレビ時代劇を支え続けました。
土方歳三が陰険な人間として扱われた認識のようですが、
ワタクシが見た鳥羽伏見の回を見た限りでは、普通に隊長補佐として健気に働く副長という感じに取りました。
おそらく、そこに至るまでのエピソードの中に、土方さんをそう描いた回が幾つか有ったのでしょう。
池田屋の密会を探るための拷問は、その昔の東京タワーの蝋人形館でも再現されまして、
土方歳三=無情の冷血漢という史観は通常的でしたね。
現実には、大将の近藤さんを第一に考えて憎まれ役をも引き受けていた、
プロ野球の広岡監督補佐ヘッドコーチ時代の森さんみたいな存在だったと思います。

新選組の中では敵役のような芹沢鴨については、
新選組血風録でも味のある役者さんがやってましたけど、
この番組では、あのネコさんがやっていたんですよね。
その回もぜひ見たいものですが。
全話ビデオ化しないかな。
新選組ファンは多そうだし、動いて欲しいな。いつも通り人任せですが(笑)。

池田屋からの引き上げは、現実の事件に於いても、まるで忠臣蔵のようであったとの見聞が残されてます。
それは隊長の近藤勇その者が、最も強く意識していたと思われますし。
漫中老さんの解説を読んでるだけで、見たくてたまらなくなります(笑)。
やはり池田屋は新選組の華ですね。
亡くなった方々には申し訳ないんですが。

原田左之助さんは無骨なイメージですが、血風録の方ではちょっとキャラが弱い感じもしました。
こちらでは目を惹きましたか。
近藤さんは、血風録ではむしろ優しき隊長という感じでしたね。
それまでとはちょっと違うキャラクターだったと思います。
あの番組は、やはり栗塚歳三と島田総司に尽きるかな。

しかし、映画版ではあの雷蔵さんが山崎役とは驚きますね。
まあ1970年の燃えよ剣でも、山崎役の中野誠也さんが人気を博したと言いますし、
全体を俯瞰するという描き方に、密偵役はいいのかもしれません。
2009/03/02(月) 00:05:57 | URL | ごいんきょ
旧式トースター
パンが(焼きあがると)上に出てくるタイプがいつ頃に登場したのかは分かりませんが、昭和40年代に我が家にあったトースターは左右に蓋が開き、そこへ(2枚の)パンを設置するタイプでしたね。一度はひっくり返さなきゃいけなかったんだろうな。
2009/12/19(土) 11:35:58 | URL | 石毛零号
ほお。当時としてはお洒落な感じですね。
うちは普通に2つの穴に入れるやつでした。
いま思うと、1枚だと電気代が勿体なかったな。
2013/12/27(金) 00:40:53 | URL | ごいんきょ
私もリアルタイムで見ておりました
このサイトで特集されている昭和30年代のテレビ時代劇はリアルタイムで見た覚えのあるものがかなりありますが、この新選組始末記は鮮明に覚えております。当時私は小学校の5年生か6年生だったと思いますが、歴史が好きで新選組にも興味がありましたのでほとんどの回を見ました。比較的遅い時間帯だったと思いますが、父も見ていましたので見れたのでしょう。主だった配役も覚えております。近藤勇役・中村竹弥、土方歳三役・戸浦六宏、沖田総司役・明智十三郎、原田左之介役・山岡徹也・・・。女優では喜多川千鶴さんが近藤勇の思い人か何かで出ておられていたのを覚えております。それにこの作品は当時のテレビドラマでは珍しく出演者等のクレジットがラストに主題歌とともに流れていました。作品的に優れた作品であったことは子どもの眼からでもわかりました。その証拠に後年テレビと同じキャストで舞台化もされています。
2014/12/05(金) 20:49:21 | URL | ジロー
やはり、当時としては出色のドラマだったのですよね。
夜9時半から10時。当時の子供にはほとんど深夜でした。

近藤さんの思い人なんか有ったのですか。
その辺も完全に独自演出という感じですね。

たしかに最後に主題歌が流れてました。
あれって毎回そうだったのですか。
今に至るまで、そんなに数多い例ではないと思います。

舞台に関しては初耳でした。
よくご存知でしたね。
調べたら昭和37年8月に新橋演舞場でやったらしく、
なんと同じTBSドラマ『カミさんと私』と舞踊との3本立てでした。
中村竹弥さんは、テレビのおかげで新橋演舞場の舞台を踏めると感激したようです。
この舞台はテレビ中継もされました。
その後、市川雷蔵さんで映画化もされてますね。



その後に判った挿話としまして、小松方正さんがセットから落ちて7日程度のケガをしたと報じられております。

池田屋の回は全編がチャンバラだったら悪しく、中村竹弥さんはなんと刃引真剣を用いていたらしいです。

また、新選組では山南啓助氏も重要な位置にいたのですが、
このドラマでは伊東甲子太郎氏との絡みで初めて登場したらしいです。
2014/12/06(土) 07:14:49 | URL | ごいんきょ
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