私的 昭和テレビ大全集
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巨泉にまかせろ! (1970)

『巨泉 × 前武 ゲバゲバ90分』で大橋巨泉と前田武彦の共演を実現させる前段として、
それまで出演者としてはフジテレビを主戦場にしていた前田武彦が、
日本テレビにも多くの冠番組を持つようになっておりました。

対して、日本テレビの方を主戦場としていた大橋巨泉は、
既述『ビートポップス』は有ったものの、フジのバラエティ番組での活躍は目立たず。
それがゲバゲバ終了後になって、ようやく実現したのがこの番組でした。

なにしろ固定出演者として喧伝されたのが、大橋巨泉の他、
藤村俊二、うつみみどり、熊倉一雄、常田富士男。更に作家が河野洋。
これではゲバゲバの引っ越し、二番煎じと揶揄されるのも宜なるかなでした。

オープニングからして凝っていて、1分30秒の映像に当時の金で数十万円かけて、
美人をより美しく撮るよう、衣装や照明などを工夫して趣向を凝らした作り。
弘田三枝子、倍賞美津子、中尾ミエらが登場したようですが、
少なくともこの部分がフィルムなのは間違い無いと思うので、ここだけでも現存しているはずですが。
おそらくその部分と同じ人物でしょうが、毎週一人の歌手が「今週のパートナー」として登場。

第一回には吉永小百合が出演し、巨泉の一日相手役を務めました。
更には、巨泉と小百合で「春の雪」を演じるという趣向。
水曜劇場のドラマ『おはよう』を、若尾文子と共演できるからと引き受けた巨泉、
この番組でもそうした下心というか役得は得まくりでした。
第一回にはもう一人、異色の歌手コーナーで藤原弘達も出演し、
自作の言論自由節を披露しました。

あとは、まだ日本では知られていなかったピンク・パンサーが、
合成処理で巨泉と共演する部分が有りました。
新聞記事では、「日本でのニャロメ的漫画」とピンク・パンサーが紹介されたり(笑)。

いろんな意味で話題を呼んだのが、競馬コーナーでした。
これは番組が独自に取り寄せた競馬フィルムを使い、視聴者に応募して当てさせるもの。
なんと四十万通もの応募が有ったといい、しかも4割が主婦やOLという事でした。
お金が貰えるわけではなかったものの、商品はなんと純金メダル。
当初は二十万円相当だったものの、更なる人気を当て込んで、
最低人気の馬で当たった場合には50万円相当のメダルとなりました。

これが結構批判の対象となって、博打に免疫の無い人間を目覚めさせてしまうとの苦情が。
まあ、どうせゲバゲバが再開するまでの飛び石番組だったので、
それほ程には問題にならず、テレビ史的にもまったく振り返られない番組です。
しかし、競馬は評論家として本物の競馬番組にも出演してましたし、
クイズダービーなんてものも有ったりと、巨泉にとって、かなり飯の種となってくれましたね。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
巨泉墜つ
また偉大な昭和のTV人が逝ってしまいました。この人の番組は本当に面白いものばかりでした。合掌。
2016/07/22(金) 07:47:34 | URL | カースケ
華麗なる“転身”の果てに
現役早稲田大学(中退)時代に音楽評論家を出発点に、我が国の民間放送の勃興期に放送作家へと。持ち前のパフォーマンス力と堪能な英語力を生かして表て方(司会業)で一家を成した人物。まぁテレビ界を一軒のアパートに例えるならば、巨泉氏は「大家」とまではいかないまでも「管理人」くらいの自負があったのでしょうか?画面に映る態度の大きさはその表れでしょうが…!?
2016/07/23(土) 15:36:07 | URL | ピーちゃん
● カースケさん
巨泉という俳号は、巨人好きだった事も関係しているようです。


● ピーちゃんさん
「うん、ボクたちはね、大家とか管理人とかいうのではなしに、
 もう、草ボーボーだった土地をきちんと人が住めるように整備したの。
 そりゃアッチコッチ凸凹だったりしたのをさ、
 ちゃんと均して、土台作って、立派な建物建てたのよ。
 そしたらロクなヤローが住み着かなくなっちゃったんだよ。(笑)
 今じゃスラムだね。みすぼらしくなっちゃった。
 でも、たまには顔出してやってたんだけど。
 もう出てやれなくなっちゃったなァ」
てな感じでしょうか。
2016/07/25(月) 06:58:32 | URL | ごいんきょ
弘田三枝子
1回目のゲストは雪村いずみと弘田三枝子でした、弘田が赤いミニスカート姿で燃える手を歌い終わると巨泉氏と雪村さんが彼女の激変ぶりを話題にしてました、番組のエンディングに弘田が白いミニスカートで華麗に踊るシーンがあり当時まだ子供だった私も彼女の脚線美に思わずウットリし翌週からエンディングだけ見ていました、しかし翌月からそのシーンが突然中尾ミエに変更になりガッカリし(失礼)それ以来この番組は見なくなりました
2016/08/03(水) 06:41:24 | URL | コロコロさん
ミコちゃん
スレチですが、弘田三枝子を見た最初は、テレビドラマで、番組名は永らく忘れていましたが、1962年11月から放送の「花の番地」ですね。「シャボン玉ミコちゃん」でブレイクした直後です。それ以前に「みんなのうた」で何曲か、歌は聞いていましたが、声と顔が一致したのはそれが最初です。

67年4月からのNET‐TV「おやじさん」でも、同じく轟さんの娘役だったと思いますが、イメージはそう変わりませんでした。あるいは、この二つの記憶がごっちゃになっているかも知れません。因みに轟さんは、後者のドラマに出演中に急死しています。

あの時分、彼女はミドルティーンからハイティーンで、まるで化粧っ気もなく、まん丸な顔で少し太め。いかにも健康そうなイメージの少女でした。轟夕紀子の母親に「ママー」と甘えた声を出していたのを覚えています。後年、あんなバケモノのような(笑)コテコテに変身するとは、もちろん夢にも思いませんでしたが。
2016/08/03(水) 10:00:51 | URL | 権兵衛
● コロコロさんさん
雪村いづみさんの出演は、4月30日のようですね。
夫妻で出演されたようです。
弘田三枝子さんは4月の女性だったようですね。
だから5月から女性が替わったのでしょう。


● 権兵衛さん
『シャボン玉ミコちゃん』の後番組ですか。
きっと、前武さんが青島さんに、また仕事を取られた後ですね(笑)。

『おやじさん』は、森繁さんのナショナルゴールデン劇場の方での初出演作で、
その妻役の轟夕起子さんが放送期間中に亡くなってますね。
全話収録済みだったとは思いますが。

森繁さん作詞の主題歌を弘田三枝子さんが歌っていたようですが、どんな歌だったのでしょうか。
原盤が残っているなら世に出して欲しいですが。
2016/08/04(木) 00:30:36 | URL | ごいんきょ
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