私的 昭和テレビ大全集
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ザ・ベストテン (1978)

ザ・ベストテン(1978)提供:日産、日立、花王、キリン



何故かは知りませんが、ザ・ベストテンのデータブックが発売されました。
なんで今更?って感じですが、放送終了15年という事ですか。
なんだか中途半端にキリがいい節目に出しましたね(笑)。
そんなわけで、いい資料本が入手できましたので取り上げます。
ワタクシはおそらく第一回から見ていると思います。
その第一回のベストテンはこんな内容でした。

1978/1/19(木)放送

10 野口五郎  風の駅
9 清水健太郎 泣き虫
8  狩 人  若き旅人
7 西城秀樹  ブーツをぬいで朝食を
6 沢田研二  憎みきれないろくでなし
5 郷ひろみ  禁猟区
4 中島みゆき わかれうた
3 桜田淳子  しあわせ芝居
2 キャンディーズ わな
1 ピンク・レディー UFO


新御三家と呼ばれた野口・郷・西城、そして格上の沢田、
デビュー曲のヒットが記憶も生々しい清水、狩人と、
当時の男性アイドル総出演といった感じです。
かと思えば、中島みゆきがランクインしており、
新しい胎動も確実に見え始めています。
この中島はとうとう、一度も出演しませんでした。
『わかれうた』そのものは、他の番組で何度か歌っています。
嫌々(笑)。

女性アイドルの代表格だった桜田淳子も、
その中島作曲の『しあわせ芝居』で貫禄のランクイン。
山口百恵は、翌週『赤い絆』でランクインしたのが初登場でした。
この赤い絆は、赤いシリーズの一つである同名ドラマの主題歌で、
「ベストテンでしか歌わない赤い絆!」と久米宏が紹介してました。
TBSのドラマですからね。しかし、ジャンプの柱みたいなアオリ(笑)。
そして年輩者に感慨深いのは、なんと言ってもキャンディーズ、
ピンク・レディーの1・2フィニッシュでしょう。

方やキャンディーズは、既に解散表明後で、カウントダウン状態。
こなたピンク・レディーは、正に絶頂期。
このUFOは、老若男女を巻き込んだ凄まじいヒットとなりました。
こんな感じで放送中の歌謡界を逐一解説するスペースも無いので(笑)、
放送開始の1978年から数年に絞って話をしたいと思います。

70年代はメロディー枯渇もまだまだ遠い先の話で、
日本歌謡界は本当に黄金期だったと思います。
上記の様にアイドルが王道として君臨していましたが、
アリス、中島みゆき、松山千春、甲斐バンドといった系統も支持され、
渡辺真知子、八神純子、サーカスといったポップスもあり、
更には演歌ですらしばしばランクインするという百花繚乱状態。
年輩者から若者・子供までが、歌番組を一緒に楽しめた時代です。

その上に割って入ってきたのが、世良公則とツイスト。
GSブーム崩壊後あまり見かけなかったロックバンドも、
ランキングに関わってくる時代がやって来ました。
夏には『勝手にシンドバッド』を引っ提げ、サザンオールスターズが、
冬にはドラマ『西遊記』の主題歌『ガンダーラ』を引っ提げ
ゴダイゴが戦線に加わり、また一層出演者層が広がりました。

西遊記と言えば、よその局の番組主題歌でも平気で流しました。
赤い絆はTBSでしか歌わせなかったクセに(笑)。
『熱中時代 刑事編』主題歌がランクインした水谷豊は、
わざと?収録日をベストテン放送の木曜にするなど、
明らかにイヤイヤムードを漂わせていたのに、なんと!
日本テレビのスタジオまで押し掛けてその場で歌わせる怪挙!(笑)

フジテレビの『欽ドン』の中で歌われたイモ欽トリオの歌や、
同じ萩本欽一の手がけたテレビ朝日『欽どこ』中でのわらべのヒット曲も、
向こうさんにお邪魔して収録という事がしばしば有りました。
やはりこの頃からでしょうか。以前では考えられなかった
局の垣根を越えた交流が、他の事例でも見られる様になります。
もしかするとベストテンスタッフの功績なのかもしれません(笑)。

しかし! テレビ番組には絶対的なタブーが厳然と存在します。
天皇制批判よりも難しいそのタブーとは、スポンサー様のご意向。
1980年3月10日に矢沢永吉が発表した曲は、
全ての放送局、歌番組…特にランキング番組を慄然とさせました。
その名も『 THIS IS SONG FOR COCA-COLA 』とタイトルされた
その曲は、オリコン最高5位にランクイン。30万枚を売り上げる
押しも押されもせぬ大ヒット曲となってしまいました。
ま。それでも通常のランキング番組はてんとして恥じず、
ハナからいつも通り無視しました。

なにしろツイストの『燃えろ いい女』なんて、単に資生堂の
イメージソングでしかなかったのですが、それでもカネボウ提供の
ラジオのランキング番組では無視したくらいです。
堂々と商品名をタイトルしたこの曲の存在は、ほとんど全ての
放送局、番組に、頭から亡き者とされていました。
ところがこのザ・ベストテンは、そもそも番組発足時に
黒柳徹子がスタッフに条件提示して参加した経緯がありました。

『ランキングに絶対に手を加えない事』

おかげで記念すべき第一回から中島みゆきという
テレビ拒否児がランクイン、番組が不出演の謝罪をするハメに。
しかし、それもかえって、データを本当にいじらないという
デモンストレーション効果になり、むしろイメージアップになりました。
が、この矢沢の曲の扱いには、かなり頭を抱えたでしょう。
スポンサーサイドで商品がかぶらないなら、まだ救いがあります。
しかし、有力スポンサーのキリンが、キリンレモンという炭酸飲料を
有力商品の一つにしており、放送道徳上、とても扱えません。

結果、その週のランキングで、視聴者は世にも奇妙な発表を見ます。
「(CMソング)! 矢沢永吉!」
高らかに「CMソング!」と呼称した久米の心中はどうだったのか?
いずれにせよ、パネルには『(CMソング)』と発表され、
少しだけ久米が事情を説明した後は、他局同様、亡き者とされました。
これも黒柳との約束を、スタッフがかたくなに守った故でしょう。
これまでのランキング番組なら、ハナから存在そのものを無視してます。
こんな事例もベストテンの公明正大さを保証したと思うのですが、
今回発売されたデータ本では、この件は完全に無き事とされています。

あれだけの高視聴率を誇った番組。
その歴史を改ざんする事など到底できるわけもないのに、
このデータ本で紹介されているデータに、
この曲は(CMソング)とすら出て来ません。
なのに、きちんと全週で10曲紹介されている。
データの改変が、歴史の書き換えがされてしまっているのです。
放送当時の公明正大さは、どこへ行ってしまったのでしょう。
黒柳徹子は、この件をどう思っているのでしょうか?

件の書籍中、元スタッフが口々に、この公明正大さを語っています。
たしかに放送中は、認めても良いと思います。
何故、そんなスタッフが公認しているデータ本が、
このような改ざんをするのでしょう。
既に時も経ち、書籍ならスポンサーも直には関われず、
或る程度の扱いをする事は可能なはずなのに。

勿論、お世話になったスポンサーに不都合な既述になり得るから、
記事として扱わないという姿勢は、よくわかります。
しかし、データそのものを改ざんしてしまう事は、到底認められません。
矢沢永吉が歌った『 THIS IS SONG FOR COCA-COLA 』がヒット曲として
巷で流れ、ファンも矢沢も、他の曲同様に愛した歌だという事実。
この事は、いかにテレビ界の根性がねじ曲がっていようとも、
絶対に消し去る事はできません。

おっと。ちょっとこの部分が長くなっちゃいました(苦笑)。
なお、キリンはその後 1984年に、SARRYが歌うキリンレモンのCMソング
『バージン ブルー』をランクインさせ、面目を保ちます(笑)。
ま。そんなこんなで1989年まで続いたベストテンは、
正しく昭和末期の歌謡界と添い寝した番組と言えるでしょう。

その功罪、相半ばす。というのが、ワタクシの評価です。
功は、完全なるデータ至上主義を貫いた事。
プロデューサーを始めとするスタッフの利権構造ですらある、
出演者決定権を、自らの掌中から手放したのは画期的でした。
その結果、それ以前では考えられなかった歌い手も実現しました。
水谷豊など、その最たる例でしょう。

罪は、歌番組の様式を崩壊させた事。
歌手というのはそれぞれのファンの大切な想いを背負った存在であり、
それまでの歌番組では、少なくとも表向きは丁重に扱いました。
しかしこの番組では、久米宏は毒舌を浴びせ(笑)、まあそれは
笑って許せる範囲でしたが、決定的だったのは追っかけ中継。
駅のホームやら空き地やら、どこでもかしこでも歌わせました。
これがこの番組のウリの一つでもありましたが、
歌手、タレントという存在の神秘性というか、
そういうものを根こそぎ剥ぎ取った面もあるでしょう。

ベストテンは、偶像(アイドル)としてのタレント性を
自らがぶち壊したとも言え、回り回ってレコード不況、歌謡界の没落、
ついには己の寿命が絶たれるという自業自得を地で行ったと思います。
郷ひろみが途中から、この番組だけ出演拒否したのは、
歌手としての矜持を考えれば、非常に合点がいくものです。

ちょっと罪を取り上げる部分が長くなって、
全体的にキツめになってしまったかもしれませんが、
ワタクシも第一回から毎週毎週、楽しみにして見てましたし、
功の部分も勿論、多大であった番組です。しかしやはり、
この番組は久米宏降板の時点で終わるべきだったでしょうね。
どこまで行っても久米宏と黒柳徹子の番組。
それがこの、ザ・ベストテンだったような気がします。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
歌謡曲の最後の輝き・ニューミュージックの台頭
 ごいんきょさんの本文を読み、ランキング形式を採り入れた『ザ・ベストテン』の功罪が想像以上に大きかったのではないかと考察してみました。

 一方、「ニューミュージック」と呼ばれるジャンルのミュージシャンは、積極的にTVに露出していましたネ。その前の「フォークソング」の世代の方々は、TVへの出演を拒んでいましたが。

 この『ザ・ベストテン』が始まった年に私は中学校に入学し、それまで「歌謡曲」を聴いていた私は、徐々に若者向けの「ニューミュージック」に興味を移しました。これは不思議と世の中全体の動向とも一致していたように思います。

 「ニューミュージック」勢がどんどん歌番組に出演するようになり、『ザ・ベストテン』のようなランキングで出演者が決まる歌番組では、純粋な「歌謡曲」の歌手たちがランク外にはじかれてしまう現象が起きるようになったのではないでしょうか。

 ちょうど'80年(昭和55年)前後に貸しレコード店が現れ、レコード業界全体が揺らいだ時期でもありましたし。「歌謡曲」にとっては不幸が重なったとしか言いようがありません。

 「歌謡曲」と「ニューミュージック」の垣根が曖昧になっていき、中島みゆきや谷村新司、さだまさし、山下達郎などのソングライターがアイドルに楽曲を提供するようになっていきました。アレンジも垢抜けていき、「歌謡曲」の持っていた泥臭さが消えてしまったのがこの頃だったと思います。
 これが、結局「歌謡曲」の個性を失わせ、素晴らしい職業作曲家の活躍の場を奪ってしまったように思います。

 その後、私が高校に入学した年にはちょうど『ベストヒットUSA』が始まり、日本ではかつてないほど洋楽が注目される時期がやってきます。TOTOやナック、ビリー・ジョエルなどを聴くようになって、私の興味もちょうど洋楽に移りかけていた時期でしたので、ここでも世の中と私の嗜好の変化が奇妙に一致していたことが面白いです。
(私が世の中の移り変わりに流されていただけ、とも言えますが(^^ゞ)
2006/06/26(月) 22:56:32 | URL | get_better4u
ランキング拒否
ランキング拒否者はジャンル問わずでした。
歌謡曲でも、郷ひろみがいましたもんね。
ニューミュージック系でもさだまさしとかアリスはわりと出てましたが、
中島みゆきや松山千春は断固拒否派でしたし。
松任谷由実なんかは調子よく、
「テレビ拒否じゃないですよ~」なんて言いながら、
その後は絶対に出なかったりね(笑)。
郷ひろみはハッキリとランク付けを拒んでましたね。
ワタクシなんぞには理解できない感覚です。
だって、あんなもんただの遊びですからね。
遊び心が無い芸能人って、基本的にイヤです。
例えば演歌歌手と言われる人には、そういう人って少ないんですけど。
が、大切な歌を遊びに使われたくないと思いこんでしまうのも、
それはそれでアリなんでしょうが。

ワタクシは「歌謡曲」という言葉自体は懐広いと思ってるんですよ。
いわゆるニューミュージックすら包含してると思うんですよね。
ラップとかになると、さすがに難しくなってきますが(苦笑)。
どうして歌謡曲とニューミュージックが差別化されてしまったかと言えば、
当のミュージシャン自身が差別化してしまったからだと思うんですけどねぇ。
松任谷由実なんぞは確信犯でしたけど。
ここいらもワタクシは、実は不満ですけど(笑)。

ワタクシは洋楽はさほどはノメらなかったです。
ベストヒットUSAは小林克也さんですよね?
世の流れと自分の趣味がシンクロするって事ありますよね。
2006/06/27(火) 05:53:44 | URL | ごいんきょ
夜ヒットでもやはり芳村真理が降りた時点で、番組の幕引きをしたほうが良かったのでは?という意見はいまだにかなりありますよねえ・・・。私もその意見を主張している一人です。
芳村真理がいなくなってから、夜ヒットはほんとに華やかさもなくなり、出演者も偉く偏ってしまいました。そのことからいえるのは、
・芳村真理という第1回から司会を続けた偉大な存在が前提となって、普通はテレビで歌など歌うはずもない女優・男優が次々とイレギュラーに出てくれた。そして、テレビに出ないアーティストへの交渉もスムーズに行っていた。
・彼女の存在なくしてあの番組の持つ独特の格の高さと出演者各人の連帯感は存在しえない。
というところでしょうか。これはベストテンもいえることで、黒柳徹子が仮に久米降板と同時、またはそれからすぐに仮に降板していたとすれば、もっと早い時期にベストテンは終焉のときを迎えてしまっていたのかもしれません・・・。
司会者、というのは本当に番組の個性を左右する重要な存在なんですよねえ・・・。歌番組はやはり砕けた中に格調の高さを感じるものが一番クオリティーが高い。その意味では芳村(・井上順)時代のヒットスタジオと、黒柳・久米時代のベストテンは、その理想に最も近い番組だったのでは?という感じがします。
2006/07/15(土) 00:56:46 | URL | (ハンドル未記入)
本当は
久米さんと一緒に降板したかったんじゃないでしょうかねえ。
そうでもないのかな?
夜ヒットについては、マエタケさん降板時に一度真理さんも降板しているんですよね。
すぐに復帰した、いわゆる出来レースみたいなもんでしたけど。
マエタケ降板理由をオブラートに包む為のね。
音楽番組に格調というか、芯の通った部分はとても大事だと思います。
2006/07/15(土) 07:08:02 | URL | ごいんきょ
徹子さんも真理さんも、それぞれ久米さん、順さんんとのコンビが長いこともあって、やはりかなり信頼関係は扱ったようで、何れも、男性司会者降板のときに同時に更新に路を譲ったほうがいいのでは?と思い悩んでいて、そこにスタッフが何とか続けて欲しいと懇願して司会を続けていたという話も残っているようですね。
スタッフもスタッフで、彼女らがいなくなってしまったらこの番組の存在価値が薄れてしまうことぐらいは分かっていた、ということなんでしょうね。
やはり、どこまでいこうと、夜ヒットは芳村真理(と井上順)、ベストテンは黒柳徹子と久米宏の番組なんですよねえ・・・。他の司会者がやるとどうしても彼女らとの比較から見下げた感じでいつも見てしまうのも自分の悪い癖なのでしょうが・・。
2006/07/16(日) 01:42:46 | URL | BLUEBIRD
司会者
10年そこいら司会者が定まってしまうと、
その色に番組が染まってしまうというのはあるでしょうし、
観ている側が感情移入してしまうのもむしろ当然でしょうからね。
後を請け負う人は逆に言えばそれだけ大変で、
その意味でスタッフとしては、片方だけでも残って欲しいというのは譲れない線でしょうね。
2006/07/16(日) 07:21:48 | URL | ごいんきょ
ここのブログで「夜ヒット」をどう扱ってくれるかなあ?といろんな番組コメントでの管理人さんの造詣の深さを見て感じました。特に私は夜ヒットに関してはこの番組のみ(というよりこれを中心として歌謡曲黄金時代を振り替えようという名目)のブログを管理・運営しているんで、是非、なんて思います。何しろ説得力が凄いですもんね・・・・どの番組のブログの記事読んでいても。

是非扱って欲しいなあ・・・と。やはりこの番組のテレビ史上に残る音楽番組の傑作ですしね。あとは同じフジでこちらは続いてますが「ミュージックフェア」。南田さんがちょっと最近どこかの番組出ているときに体調がよくなく、歩くこともままならないような状態になってるのを見て、「ああそれだけ時代がすぎたんだなあ」と悲しみを込めて実感した次第ですが。 
2006/07/23(日) 16:03:39 | URL | blue
凄い
んー、これは凄いブログですねえ。
夜ヒットはCSの721でかなり放送されているんで、
振り返る事ができるものも多くなりましたが、
こういうサイトがあると本当に便利ですね。
なんらかの形で特筆的にリンクさせて戴きたいと思いますし、
わざわざリクエストまで戴いたので、近いうちにやってみたいと思います。

が、当ブログを勘違いされても困ります(笑)。
ここは正式な評論とかを目的としているわけではなく、
あくまでもワタクシ個人の想い出を中心に、
ごく個人的な見解を発露しているだけですのでね。
いくら外交辞令とは言え、あまり持ち上げられすぎると、
かえって困ります(笑)。

ミュージックフェアもいつかは勿論やりますけど、
こちらは現在放送中という事もあり、
けっこう先になる予定なんですね。
まあ末永くお楽しみ頂ければと思いますです。
2006/07/24(月) 00:24:02 | URL | ごいんきょ
リハーサル歌手
この番組は売れっ子の歌手が出演する為
多くの歌手がリハーサル時には
スタジオに居ることが不可能だった。

しかし、カメラ音響をはじめとする製作スタッフはリハーサルをやらなければならなかったので、
その時のヒット曲を歌うことが出来る「スタジオ歌手」「リハーサル専用歌手」がリハーサルで活躍した。

代表的な歌手には三宅由起子(コットンタイム・ボーカル)がいる。
2006/09/02(土) 22:00:48 | URL | 影武者
へえ!
それはそれは、なかなか貴重な情報をありがとうございます。
リハーサルの時は演奏だけと思いましたが、専門の歌手がいたんですか。
三宅由起子さん、ワタクシは存じ上げませんでしたけど、
ちょっと賢くさせて戴きました。
2006/09/03(日) 00:13:43 | URL | ごいんきょ
はじめて書き込みします。
はじめまして。

ザ・ベストテンのブログをやってまして、書き込みしたくなりました。
個人的にこの番組が、今まで見たテレビ番組の中で一番好きでした。

で、気になるのが矢沢永吉さんの「THIS IS SONG FOR COCA-COLA」
この曲は、10位以内には登場せず、20位~11位でおさまってました。
で、その時期だけ20位~11位の発表が無かったのが印象的です。
番組冒頭の各ランキングデータで、「CMソング」となってて、驚いた記憶があります。
あの時は、番組スタッフ達、苦労したと思いますが。
ちなみにこの曲好きでシングルレコード持ってます。

この番組、ランキングが正直なのは、見ていてわかりますね。
(やや怪しいと思ったときもありましたが)
おにゃん子全盛の頃でも、ランキングに入ってたり、視聴率の稼げる山口百恵、松田聖子、中森明菜でさえ、ギリギリ11位で10位以内に入らなかった週も多かったです。

それでは、又来ます。
2007/03/04(日) 23:06:58 | URL | ベストテンマニア:K
いらっしゃいませ
テレビ史上一番好きな番組でしたか。
ワタクシも音楽番組では一番熱中して観ましたね。
ワタクシもベストテンブログやろうとした事あったんですが(苦笑)、
すぐに飽きちゃいましてほっぽり投げてます (^_^;
これはなかなか素晴らしいブログですね。
後ほどピックアップリンクさせて戴きます。

矢沢さんの曲は、何度か番組で(CMソング)と紹介されました。
初登場の時には、久米さんがきちんと
『CMソング矢沢永吉! ~~点!』とコールもしてます。
そしてその後、どうしてそういう紹介になるかの説明をきちんと一回だけやりました。
その後は、タイトルの読み上げだけやってサッと次の曲の紹介に移るようになりました。

ランキングは正直かもしれませんが、リクエスト葉書の操作で
納得行かないランクもまま有りましたけどね。
寺尾聰のルビーの指環も、記録作りのためのリクエストが利いて
12週まで伸びたって感じでしたし。
まあそんなのは、どんなランキングでもなんらかの形で発生するので仕方ないのですが。
2007/03/05(月) 02:03:17 | URL | ごいんきょ
追っかけリポーター
この番組の名物の一つがTBS・松宮アナに代表される追っかけリポーターの存在でしたね。
かつて私が住んでいた北海道にも、非常に個性的な追っかけリポーターがいました。詳しくはトラックバック先の記事をご参照下さい。
2009/01/21(水) 14:53:18 | URL | うみがめ
HBCのなんとかさーんという呼びかけは覚えてますが、
容姿や名前は思い出せないですねえ。
それにしてもベストテンほっかいどうの長寿ぶりは凄い。
2009/01/24(土) 01:02:40 | URL | ごいんきょ
松山千春は
一度だけ出演しませんでしたか?
局のスタジオに行ったんじゃなくて、どこか別のスタジオで一人だけで歌ったのを中継したような気がします。カメラに向かって「みんなの顔が見えないのはつらいよ。寂しいよ」と言っていたのは、この番組だったと思うんですが、確かではありません。
サザン、初出演のときは湘南海岸からの中継でした。「もうすぐベストテン」の一曲だったでしょうか。桑田佳祐が
「もうねェここじゃねェ、黒柳さんが知らないような音楽をバンバンやってるんスよ」とハイテンションで息巻いていて、黒柳徹子があの人当たりのいい調子で
「まあまあそれはぜひ聞かせていただきたいと思います」と受け答えしていました。
ああ、このバンド、今は異端児ぶってるけど、すぐにメジャーになって大人の側に取り込まれるんだろうな、と思って見ていたら、そのうち本当にそうなりました。

出場歌手に変な衣裳を着せたり(具体例は思い出せませんが)、妙な演出で歌わせたりもしていました。覚えているのは大川栄策の「さざんかの宿」。箪笥を担いで、御用提灯を持った黒子だか下っ引きだかが「御用だ御用だ」と取り囲む中で殺陣を演じながら歌っていました。
米米クラブの「シュールダンス」。歌の前に石井竜也が駄洒落を言おうとしてトチリました。「シュールダンス、収納箪笥」(ホントは逆の順番で言いたかった)。
ヒロシ&キーボーの「三年目の浮気」。男と女の立場を逆にして、「三年目の浮気ぐらい大目に見てネ」「両手をついて謝ったって許してやらねえ」。この映像がもし残っていたら、えらいマニアックな稀少価値があると思います。欲しい! また見たい! しかし、探しても無いんでしょうねえ。
2009/01/24(土) 03:28:13 | URL | あぶもんもん
松山さんも甲斐バンドも、一度だけ出演しましたね。
一度だけでもいいので出て下さいというくどきもしてたようですし。
テレビの前で謳うのが淋しいというのは詭弁じゃないかな。
だったらレコードなんか出さないで旅回りしてればいいわけで。
レコーディングスタジオでは淋しくないんですかね?

サザンは異端ぶっていたわけでなく、人気者でいこうというのが最初から一貫した姿勢で、
ワタクシは当時はテレビの味方でしたから(笑)、
テレビ拒否タレントが大嫌いでしたし、サザンは大好きでした。
紅白にも普通に出てたんですけど、NHKが馬鹿な事に自分達で関係を断っちゃいました。

大川さんのタンス担ぎはベストテン語りに欠かせませんね(笑)。
シュールダンスもベストテンに入ったんですか。
2009/01/24(土) 07:33:07 | URL | (ハンドル未記入)
松山千春さんの出演
少なくとも2回はあったことは覚えています。

1回目は「季節の中で」が1位のなった時。
この時は確か10分近く松山さんのトークがあって、中々歌が始まらないなあ、という印象がありました。

2回目は「長い夜」が1位になった時。
この時も話が長かったのですが、それ以上に歌いっぷりが印象大でした。
「ながーーーーーーい、よるを」
「このあいを、ちかーーーーーーーうーーー」
という物まねでよく使われるフレーズが記憶に残っています。
コロッケさんの松山千春の物まねを見てると必ずこのシーンを思い出します。

そういえば、2回共スタジオではなくライブ先での出演でしたね。
2009/01/24(土) 16:40:26 | URL | yig
シュールダンス
送信した直後に、待てよと思ったんです。
シュールダンスなんかがベスト10でも20でも入るわきゃないですね。別の番組だったようです。NHK だったか?と思いますがハッキリしません。松山千春の出演、私が覚えていたのは長い夜の方でした。サザンは最初見た時から有名志向だなと思いました(^^)。それがあまりにハッキリ当ったもので。
私は拒否タレントは、まあそれで人気を高める戦術ならそれもいいのではないかと思っていましたが、出ないと言っておきながら出たのには「何もそこまでしなくても」と浅ましく思いました。

ランキングは、レコード売り上げと有線リクエストと葉書リクエストで決まるんでしたっけ。実は、葉書リクエストの比率が高いというので、高校の時にバカな企画がありました。全校生徒が10枚ずつ校歌を葉書でリクエストしたらベストテン入りするか、という企画です。結局、もちろん全校生徒は投票せず有志だけとなりましたが、私の母校の校歌をリクエストする葉書が二千枚ぐらい舞い込んだ週があったはずです。まあ二千枚じゃどうにもなりませんね。
もし校歌がベストテンに入ったら誰が歌うんだろう、と口々に言っていました。
2009/01/24(土) 22:47:40 | URL | あぶもんもん
エスビースナック
『ザ・ベストテン』の中のCMというと
「イエローネームのキリンメッツ」
「提供後の日立のCM」
を差し置いてなぜか
「エスビースナック」
を真っ先に思い出します。
(なぜかSBカレーではない)

①「のりチップ、ごまチップ」
水谷豊さんと、等身大の看板が2体出てきて、「のりチップ、ごまチップ」という歌に合わせて、最初は看板の左手(一体ずつのりチップ、ごまチップを持っている)が動いているのにつられて本物の水谷さんがつられて動かしている。

②「スナックトースト」(だったかな?)
野球のユニフォームを着た水谷さん(外野の守備っぽい)が飛んできた
「スナックトースト」を口でナイスキャッチ!
菓子自体はいわゆるクルトンに味がついたような感じの代物だったと思います。

③5/8チップ(はちぶんのごちっぷ)
これは西田敏行さんが出演していました。
「えー、本日はこれ(普通のポテトチップ)で5/8チップを作りたいと思うのですが、時間がないので……」
このときポテトチップにはさみを入れようとしている西田さんの仕草がおもしろかったですね。

そういえば5/8チップも私は食べやすくて好きだったのですが、いつのまにか消えてしまいましたね。
2009/01/25(日) 00:26:38 | URL | yig
いつもの便乗シリーズ
 yigさんのコメントを読んで、私もエスビーのお菓子をひとつ思い出してしまいました。
 「あられチップ」という商品です。
 CMでは、西田敏行さんが黒のタンクトップとスパッツ(タイツ?)姿で(たぶん、エアロビクスの先生という設定だと思われる)
 「あーらーれー、チップチップチップ・・・」
という掛け声とともにステップを披露するものでしたが、西田さんが足をかなり高くあげていたのを見て、なぜか家の両親が驚いていた記憶があります。私は全然気にもとめていませんでした・・・。(^^;)
 カレーといえば、三ツ矢歌子さんの「ゴールデンカレー」のCMが思い出されます。
2009/01/25(日) 21:22:57 | URL | 北国の人
● yigさん
ああ、松山さんは2回有りましたっけ。
冒頭トークは10分も有ったんですか。
フォーク歌手のそういう自己顕示が酷く醜いなと思ってました。
自分に都合がいい条件を引き出すのも必要なんでしょうが、
そのために時間を削られる人たちがいるって事を思えばねえ。
演歌の人たちはそういうワガママが無いし、テレビ拒否も無いんで好きでしたね。

季節の中ではスタジオじゃなかったですか?
ライブが終わった後のステージだったのかな?

ああ、西田さんの8分の5チップは記憶に残ってます。
水谷さんは覚えてないな。
熱中時代刑事編の頃でしょうか。
だとしたら、出演にはスポンサーの力も働いてたのかな。
メッツは、We want a METS! ってやつですね。


● あぶさん
もうすぐベストテンってコーナーも有りますから。
校歌、ランキングに入らなくて良かったですね。
もし入っていたら史上に残る愚行として後世まで語り草です(苦笑)。


● 北国さん
ああ、あられチップって有ったかな。
セリフはなんとなく覚えてますが、画は思い出せませんね。
西やんもあんな体に見えて手入れしてたんですね。
2009/01/26(月) 06:52:35 | URL | ごいんきょ
中継先
中継先が駅のホームっていうのもありましたね。僕が覚えているのが、79年小林幸子さん、81年松田聖子さん、86年中山美穂さんぐらいです。特に静岡駅の中継のとき久米さんが「上原さん開けて」というのが印象に残り、そして中山美穂さんが米原駅で歌えず中途半端な場面で出発してしまったのも覚えてます。
2009/02/01(日) 01:34:22 | URL | SAY
そうなんですよねー。
ワタクシは、ああいう中継があまり好きではありませんでした。
音響設備も悪いから歌声だけが妙に浮かんじゃうし、
あまりに慌ただしく歌手に歌わせてしまっていて。
そこまでして毎週毎週同じ歌を歌わせる必要あるのかなと思いました。
しかしよくまあご記憶で。
2009/02/01(日) 07:41:10 | URL | ごいんきょ
国鉄
伊藤敏博が国鉄職員で確か富山駅?
でサヨナラ模様を歌ったのを覚えてます。
だーかーらーねえねえ・・・
とかって。

やっぱりわたくしにとって印象深いのは、ピンクレディー透明人間のときに消える映像ですかね。
今ならCGで簡単ですけど、当時はどうやってたんでしょうか?
大体バックのバンドの人もみえてたのが不思議・・・。
当時にこんな高度なCGができたって信じられませんけど。


2009/02/01(日) 08:47:26 | URL | くりお
青春の思い出
始まった頃は親がうるさくて見てなかったのですが高校卒業して部屋にテレビが入り、見るようになりました。
毎年年末の迷場面珍場面集には必ず投稿していましたがいつもボツで。
ベストテンのデータブックは買いましたよw
2009/02/01(日) 16:11:29 | URL | 緑のおばさん
スナックトースト
いやはや懐かしいの一語に尽きるわな
確実に記憶している事として今の野球中継に欠かせないスピードガン導入の前年に鳴り物入りで使われスピードガン導入と共に表舞台から消えたストロボアクションそう球筋を一つづつ点線のごとく連ねて映す手法のものがありこのcmでも水谷氏がサザエさんの旧エンディングのようなンガクックみたいに口に頬張る様子がその技術で撮られていたのではなかったろうか

今の右京のイメージとは偉い違いかも
2009/02/01(日) 16:22:21 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
● くりおさん
そうですね。
あれは素朴な歌なので、ああいう場で生ギターで歌っても違和感なかったです。
透明人間の映像も不思議でしたが、田原俊彦さんのキミは薔薇薔薇という感じで、
箱に入った田原さんが薔薇薔薇になったマジックは本当に仰天しました。
そう言えば昔、人体真っ二つという魔術をよくテレビでやってましたね。
回転ノコギリで箱に入った人間を真っ二つにしちゃうの。
あれも不思議でしたけど、あれ以上のインパクトが有りました。

● 緑のおばさんさん
おー、それは残念でしたが、是非ここに投稿して下さい。
採用率100%です(笑)。

● ガッツさん
あの後、あられチップも水谷さんのCMも少しずつ思い出してきました。
あ。水谷さんが放り投げで口に入れてましたっけ。
ストロボアクションだったかな?
2009/02/02(月) 00:10:31 | URL | ごいんきょ
ありましたね
人体が箱にはいったやつは、中で体を
折り曲げた人がふたり入っていて
真ん中で切るみたいなたねあかしが
よく小学○年生に載ってたような。
箱じゃないやつは血が吹き出たり
するんですよね。
トシちゃんもいろいろやってましたね。
ただリアルタイムなのか、特別番組でみたのか
区別がつかないものもありますな。
タンスかつぎとか(笑)
あとひょうきんぞくのひょうきんベストテンで
みたものが混同してるとか(笑)

最後の写真がけむりだらけなんですよね。でも今持ってる人貴重か!!

日立は
『ヒタッチ!ヒタッチ!ヒーターチの
洗濯機』みたいなオペラ調の歌い方のCM覚えてます。
あとヒーターチーのはい氷!(前出してますかな?)







2009/02/02(月) 20:49:43 | URL | くりお
そうなんですよ。
回転ノコギリで切って、赤い液体をほとばしらせるんですから。
凄い時代だったよなあ(笑)。
ベストテンについては、ワタクシはほぼ毎週見てました。
日立で覚えているのは河合奈保子さんですね。
からまん棒とか、♪ひったちっのゴミパック とか。
2009/02/04(水) 07:07:12 | URL | ごいんきょ
からまん棒とか、♪ひったちっのゴミパック 
いやあ~、懐かしい!!
「日立の、HINT(ヒント)商品です」というフレーズ共々懐かしいですね。

「タンス担ぎの大川栄策」
「ふんどし姿の山本譲二」
「演奏後にギターを投げつけるChar」

ベストテンでインパクトの強いシーンを3つ挙げるとすれば以上のシーンといったところでしょうか。

P.S.
また機会があったら「ビッグベストテン」もスレ立てしていただけるとうれしいですね。
(フジテレビ系で放映されていた。
司会は高島秀武さんと丘みつ子さん。「黒柳さん、見てますか?」のフレーズで始まる。)

2009/02/04(水) 22:28:03 | URL | yig
そう。HINT商品ね。
中でもからまん棒は、いいネーミングでしたね。

ビッグベストテン、歌番組特集の時にやろうか迷ったんですが。
そう遠くない将来にやる事にします。
2009/02/05(木) 07:25:53 | URL | ごいんきょ
技術の日立
 「奈保子のブラウス、もう、からまん棒!」ですね。懐かしい。
 ゴミパックも記憶にあります。河合奈保子さんは80年代前半頃の日立家電品のCMキャラクターでしたね。「ククレット」という電子レンジのCMもあったような。
 くりおさんのコメントにあった「ハイ、氷!」の冷蔵庫のCMは黒柳徹子さんがそれこそオペラっぽく歌っていたと思います。
 (♪ハハハハァ~、ハイ、氷!という感じでした)
 洗濯機は「青空」という商品名でペギー葉山さんが出ていた記憶があります。
 ペギーさんが1フレーズ歌った後に例の「日立、日立、日立の洗濯機」という女性コーラスが入っていました。
 このCMは「からまん棒」よりも前で、ベストテンよりも「ぴったしカン・カン」や「すばらしい世界旅行」で流れていた印象があります。
 こんなことを書いている割に、我が家の日立製品は1階で使う掃除機と私が使っている電気カミソリだけだったりします。(^^;) 
 
2009/02/05(木) 22:51:03 | URL | 北国の人
日立の洗濯機・青空は、1960年代からのブランドですね。
♪ ひったーちぃの~ あーおぞら~~ というジングルで終わるCMでした。
ベストテンでは、やはり番組とリンクしてる感じの奈保子さんが印象深いです。
日立は冷蔵庫がわりと強いですよね。
2009/02/06(金) 06:51:30 | URL | ごいんきょ
松宮一彦氏
山田氏のザ、ベストテンの本の中で
シャネルズを黒人のくせに
と、いう発言をした放送が
ありましたが
黒柳徹子さんがお詫びして
お怒りの表情で訂正してましたね。

シャネルズを黒人のくせに
と、発言する人の神経がわかりません。 
何を考えてああいう発言をするのでしょう。

あと、追っかけマンの中継と
中継先の生歌がいつも楽しみでした。
もう、松宮さんが他界して
10年になろうとしてますが。
松宮さんの中継のレポートぶりと
ラジオの軽快なトーク
大好きでした。
スーパーDJと、いうにふさわしい
くらい軽快だけど
面白くて楽しいトーク我々に
楽しませてくれました。
音源とVTRがあれば
また、いつでも楽しんでみたい。  
2009/02/09(月) 02:12:20 | URL | 梅吉
その発言の時も生で見てましたし、ワタクシもドキッとしました。
これはちょっと危ないなーと感じましたけど、黒柳さんの対応も少し冷静じゃなかったように思います。
黒人のくせにと言ったのは、黒人という存在に対してではなく、シャネルズに対してだったのでしょう。
シャネルズは不良どもの等身大のヒーローでしたので、
つい、ぞんざいな口の利き方になったのだと思います。
彼らがおしろいを塗って白人のマネをしてもその子は白人のくせにと発言したでしょうし、
その場合に黒柳さんがあそこまで気色ばんだか非常に疑問です。
つまり、黒柳さんを含む我々のうちに無意識的にも黒人への差別的理解が有るからこそ、
あの程度の発言が差別として扱われてしまうと言えるのではないか、というのがワタクシの解釈です。

そうか。松宮さんお亡くなりなんですね。
若過ぎですよねえ。
2009/02/12(木) 00:14:44 | URL | ごいんきょ
タクロウ
昔のザ・ベストテンは1978年から1989年まで12年間放送した音楽番組で、ランキングは反転フラップ方式で順位を発表したのが懐かしく思う。初代男性司会者の久米さんが空港のボードと言ってしまったのが今でも忘れられない。1回目のベストテンで記念の1位はピンク・レディのUFOだ。銀又は金のスパンコールの水着のような衣装はとても素晴らしい。宇宙人を模した帽子と銀又は金のブーツを履き、振り付けで歌ってたので生足が見えなかったのが残念だった。ストッキング履いてなかったら足が綺麗に見えたかもしれないな。
2009/02/22(日) 20:52:34 | URL | (ハンドル未記入)
あの得点ボードは正に空港の時刻表ボードから思いついたものらしいです。
2009/02/23(月) 20:52:25 | URL | ごいんきょ
ぜひもう一度見たい
松田聖子が『渚のバルコニー』を全て英語で唄ったときがありました。『I love you so love you もう離さないで』を
『I love you so love you darling, please don't let me go.』と唄ってました。 
2009/07/26(日) 22:37:24 | URL | T&C
追い掛けます お出かけならば 何処までも
ウチの田舎の観光名所にデビュー当時の松田聖子が来て歌った時は大パニックになりました。私は行かなかったですが。
地元出身の男性フォークデュオが凱旋中継みたいな感じで出演した時は何故か銭湯から。放送事故が多発したのは言うまでもありませんでした(^_^;)。
一時期一年に一回地方の野外でオール公開生放送を展開していまして、ウチの田舎にもやって参りました。
私はその頃学生で東京にいましたが(T_T)
2010/03/06(土) 22:40:13 | URL | ナベチン
あずさ2号 狩人の鉄拳
 狩人が「あずさ2号」を歌ったような気がしていたんですが、調べたら「あずさ2号」は昭和52年の曲で、この番組の第一回よりほぼ一年前。私が覚えているのは、前奏の間のしゃべりで久米宏が、狩人の歌の練習はとても厳しく、弟が間違えると兄の鉄拳が飛ぶことも、と紹介していたことです。そのあとに「あずさ2号」のピリリと張りつめた歌詞を聴いた、と思っていたんですが、別の曲だったのかもしれません。それともあれは紅白で、前奏にかぶせてではなく、次の曲を紹介する時に鉄拳のエピソードを言っていたのか、今となってはまったく分かりません。

 以前の梅吉さんのコメントを読んで、松宮アナウンサーが亡くなったことを知りました。私は久米宏の「こいつは俺の手下だ」という態度が厭でした。いつも妙に陽気な調子で「まつみや~」と呼び捨てにされて、誠実に追っかけレポートする姿は好ましかったです。
2010/06/04(金) 13:44:17 | URL | あぶもんもん
時代に合わなくなった「ザ・ベストテン」
TBSの看板番組、かつ音楽番組の代名詞ともいうべき「ザ・ベストテン」ですが、放送期間は、1978~89年と11年、思ったほど長寿番組ではありませんでした。

歌謡曲の衰退や、番組のマンネリ化もあるけど、ザ・ベストテンの終焉の最大の理由は、この番組のポリシーの「追いかけます、お出かけならばどこまでも」が時代に合わなくなったことだと思います。

一つは、アーティストのプライベート(プライバシーも含む)や、音楽活動としてのポリシーを尊重するようになったこと、もうひとつは、無理な追いかけ生中継が、ダイヤの乱れや交通渋滞、騒音問題などを引き起こしかねないことなどがあります。

特に、ベストテン放送時によくあった、新幹線の駅や、中には車内から歌うというのは、ダイヤの遅延や、テレビに映されること、車内での騒音が問題になる今では考えられないです。

あと、今の感覚でいえば、当時のベストテンのスタイルは、ランキング番組としても、聴かせる番組としても中途半端に見えます。

例えば、今の「COUNT DOWN TV」は、ちょっと大人には見にくい番組ですが、演奏を少なくして、ランキングを100位まで掘り下げるというのは、ランキング番組として理にかなっているとおもいます。

それに対して、「ザ・ベストテン」は、ベストテンだけ取りあげて、それ以下の曲はおざなりというのは、ランキング番組としては中途半端だし、一曲あたりの時間も限られるから、どっちつかずになってしまいます。

まれに、21位以下のランキングも紹介したことがありましたが、やはりこれくらいやらなくてはと思いました。

歴史に残る番組ですが、回顧(懐古)編ならともかく、リアルタイムのランキングでは復活は無理なような気がします。
2010/06/05(土) 12:04:04 | URL | 10000k
ベストテン番組とスポンサーの関係
「ザ・ベストテン」で感心したのは、スポンサーつきの番組(民放の番組のほとんどがそうですが)であるにもかかわらず、ライバル会社のコマソンも差別なくランキングしていたことです(さすがに、矢沢永吉の「This is a song for Coca-Cola」は、タイトルに商品名が入っているためダメでしたが)。

スポンサーあっての番組だけに、スポンサーの意見には逆らえないですが、普通の歌番組ならともかく、ランキング番組だったらたとえコマソンであっても正確に扱ってほしいです。

その点、許せなかったのが、FM東京の「コーセー歌謡ベストテン」(ラジオ番組ですみません)。
m(_ _)m

当時、化粧品会社のコマソンが、ベストテンの上位を賑わしていたため、他のランキング番組では普通にランキングしていたにもかかわらず、資生堂やカネボウのCMソングはランキングすらされないという不公平さがありました。

しかも、当時、CMソングのヒット曲がなかったコーセーだったから、その露骨さが余計に目立ち、ランキングに入れないのは単にライバル会社というだけでなく、自社のヒット曲がないからという"やっかみ"じゃないかとさえおもいました。


後に(ベストテン番組が下火になってから)、「ザ・ベストテン」も含むベストテン番組は、オリコンのような、ヒットチャートの正確さを求める番組ではなく、単なる人気投票番組なんだから、スポンサーうんぬんも気にするようなことではないとおもうようになりましたが。
2011/05/21(土) 07:45:36 | URL | 10000k
● T&Cさん
有りましたね。
最初の「渚のバルコニーで待ってて」は、「Meet me darlin' on the sea side balcony」でした。
最後の「そして秘密~」を、「Don't tell anybody~」としていて、名訳だと思いました。
意味が日本語詩のままで、曲にもはまってた、匠の技だったと思います。
たしか、その手の仕事をしている視聴者の人が送った詞が採用されたのだと思います。
レコード化しても良かったと思うのですが。


● ナベチンさん
そりゃなるでしょうね~。
銭湯から中継のフォークデュオ… 名前を伏せるとは水くさいですね(笑)。
放送事故… 露出ですね(笑)。
地方のロケというととんねるず事件を思い出します。


● あぶさん
あずさ2号をこの番組で聞いた記憶は無いですね。
久米さんと松宮さんは、先輩・後輩の気さくな関係を出してたんでしょう。


● 10000kさん
いやー、テレビで、しかも音楽番組で連続十年というのは、格別に長寿番組なのですよ。
夜ヒットとかミュージックフェアは、更に別格のバケモノなのです(笑)。
放送スタイルは、いろいろ現状に合わないでしょうね。
昭和時代は、コマソンに使われた歌は、ライバル企業が提供している音楽番組での放送は至難でした。
カネボウもラジオで音楽番組をやってましたが、資生堂のCMソングは一切流さず、
燃えろ!いい女がランクインしてないのは不自然だと新聞に投書が有りました。
たしかに、データをいじりたいなら提供すんなと思いますけどね。
向こうとしては、データを自由にするために金を出してるんでしょうけど(苦笑)。
2011/05/22(日) 00:20:13 | URL | ごいんきょ
岡田有希子ファンの今
「ザベストテン」の番組に岡田有希子さんが出ていましたが、1986年4月8日に所属事務所のビルから飛び降りて自殺をしました。
でも、今も彼女のファンはいます。
で、岡田有希子さんの命日にお墓参りに来る人もいます。
岡田有希子さんのファンは、今のAKB48やPerfumeなど、日本全国各地のご当地アイドルなどをどう思いますか。
2011/10/12(水) 18:03:14 | URL | 永山修一
ジャニーズ=自民党、EXILE=民主党
「ザベストテン」にもジャニーズが出ていました。
田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊、少年隊、光GENJI、男闘呼組などなど、「ベストテン」が終わってからSMAPやTOKIOやV6なども現れました。
「ベストテン」があった頃からジャニーズはトップにいました。
これは今まで政権にいたということでジャニーズは自民党だと言うことです。そして、このジャニーズからトップを奪い、政権交代を果たしたEXILEは民主党です。
2011/10/13(木) 17:24:57 | URL | 永山修一
ジャニーズ=自民党、EXILE=民主党PART2
自民党が2009年の総選挙で敗北して民主党が政権をとりました。
芸能界にもそれのようなものが起き、今まで政権をとっていたジャニーズがEXILEに政権をとられました。モーニング娘。もAKB48に政権をとられました。
2011/11/06(日) 13:58:53 | URL | 永山修一
岡田有希子さんはトップアイドルになった直後の死で、大変な驚きでした。
ジャニーズ帝国はまだ健在ですよね。
嵐の櫻井クンという官僚との絆も有りますし、裏も表も怖いもの無しですよ、多分。
2011/11/13(日) 16:24:51 | URL | ごいんきょ
久米宏は横山やすしと情報番組をしていたことがあります。
そして、久米宏は「ニュースステーション」のキャスターをしました。その「ニュースステーション」のキャスターだった小宮悦子が「サンデーフロントライン」をやったのですが2年で終わり、今は「報道ステーションサンデー」ですが、「サンデーフロントライン」は小宮悦子の後釜に星野知子を使うべきでした。
2011/11/22(火) 17:24:41 | URL | 永山修一
「サンデーフロントライン」の件ですが、なぜ小宮悦子の後釜に星野知子を使えといったのかというと、彼女は過去に「ニュースシャトル」のキャスターをやっていたから、彼女が「サンデーフロントライン」のキャスターになったら視聴率が上がったり「星野知子はフロントラインの救世主」とまで言われるようになるだろうと思ったからです。
2011/11/24(木) 18:40:33 | URL | 永山修一
再び、ベストテンの話に戻りますが、菊池桃子も出ていました。
とんねるずも出ていました。
ベストテンでのとんねるずは岡山の生放送で、怒鳴り声で「雨の西麻布」を歌ったり、カメラを壊したりとやりたい放題、そして、裏に自分の番組を作ったりしました。
西村知美も出ていました。彼女は日産のCMにも出演しました。
2011/11/24(木) 18:47:24 | URL | 永山修一
TVスクランブルについては既述です。
上部中央検索窓をご利用下さい。
とんねるずの暴走は、その後の特番でもさんざん使われてましたね。
2011/11/27(日) 08:32:38 | URL | ごいんきょ
とんねるずの暴走の件ですが、テレビ界を暴れまわったので、秋元康氏はAKB48の問題を起こしたメンバーみたいに辞めさせたほうがいいと思います。
2011/12/21(水) 17:39:15 | URL | 永山修一
とんねるずは秋元さんが責任者ってわけじゃないでしょうし、
不祥事の質が違うんじゃないかな。
2011/12/30(金) 05:03:15 | URL | ごいんきょ
芸能界のトップが入れ替わった理由
芸能界のトップはかつてはジャニーズとモーニング娘。がとっていましたが、今は、EXILEとAKB48がトップをとっています。
AKB48はなぜモー娘からトップをとったのかというと、とにかくかわいいということと、AKBは制服と黒髪の清純派イメージが当たりました。
EXILEも天皇の前でサングラスを外したりして、見かけによらず真面目なサラリーマン的なイメージが当たりました。
一方のジャニーズはお酒を飲んで裸になったり、未成年者なのにお酒を飲まされたり、大麻や暴力疑惑があったりしました。モー娘も同じく、元メンバーの喫煙などの問題や元メンバーのできちゃった結婚などがありました。
また、ジャニーズはまるでチーマー状態のルックスですし、モー娘もキャバクラさながらです。こんなになったので、みんな飽きて、AKBやEXILEに行ったのです。
2012/01/04(水) 18:25:29 | URL | 永山修一
なるほど。一理あるかもしれません。
もう少しベストテン時代の話と上手く絡ませて解説して下さると助かりますね。
2012/01/05(木) 04:14:31 | URL | ごいんきょ
山本譲二のふんどし「みちのく一人旅」
話をベストテンに戻しますが、演歌歌手の山本譲二も出ていましたが、彼の代表曲「みちのく一人旅」のとき、彼はふんどし一本でそれを歌ったこともありました。
また、寺尾聡も「ルビーの指輪」を歌ったりもしました。
2012/06/05(火) 17:24:38 | URL | 永山修一
そうそう。
あれはその筋の人には堪らなかったんじゃないかな(笑)。
譲二さんは、さすがに話を聞いて「エッ!」と思ったらしいですけどね。
2012/06/30(土) 05:54:55 | URL | ごいんきょ
メモリーグラス
堀江淳さんのメモリーグラスが大ヒットした時、地元デパート屋上のビアガーデンから中継がありました。きっとヒットする前から入っていた仕事なので義理を欠けずにいたのでしょう。デパートを含めた我が町の夜景をやはり地元老舗ホテルの屋上から抜いたのをかなり後になってから知りました。地方からの中継は系列局のアナウンサーがやけに舞いあがっていたような記憶があります。
2013/03/26(火) 20:01:02 | URL | とらお
なんかそんな場面も有った気が。
でも、あの歌というか、あの声が嫌いだったので(笑)、
きっとまともに見てなかったと思います(笑)。
2013/03/28(木) 22:11:53 | URL | ごいんきょ
金原奈保子(読み:かねはらなほこ 旧姓:河合)
黒柳徹子さんと久米宏さんがぶっつけ本番リハーサルなし奈保子さんの視力の時だけリハーサルやって居たようですよ。ちなみに0.04
2014/04/30(水) 04:44:51 | URL | 名無しのおばん
なんで視力検査に予行が必要なんでしょうね。
2014/05/07(水) 01:47:24 | URL | ごいんきょ
カメラ
カメラで撮って奈保子さんから見えるのを再現してたのです。
2014/05/08(木) 02:48:46 | URL | 名無しのおばん
あー。なるほど。
2014/05/08(木) 20:41:54 | URL | ごいんきょ
インストルメンタル
1980年頃、「ヒゲのテーマ」や、YMOの「テクノポリス」、「ライディーン」など、インストルメンタル曲がかなりヒットしていましたが、ザ・ベストテンにはランキングされてませんでした。

ザ・ベストテンでは、インストルメンタル曲はランキングの対象外だったのでしょうか。
2014/05/31(土) 15:46:25 | URL | 10000k
流行りモノを扱うが故の長寿化への難しさ。
歌謡番組というのは、数ある番組ジャンルの中でも特に”流行の象徴”たる流行歌を取り扱う番組ジャンルなだけになかなか長く続けるのは難しいものがありますよね。

特に昭和の時代は1年を追うことに音楽シーンが目まぐるしく変化するような劇的な時代。ことに1960年代〜1980年代にかけての変化の大きさはその当時の代表的なヒット曲を聴けば一目瞭然なぐらいの”落差”がありますからね。

そんな変化が早い取扱いの難しい代物を題材にしながら、番組を長く続けるというのは本当に至難な業なはずで、だからこその”歌謡番組こそテレビの花形”といわれる所以であったとも思うんですよね。

しかし、それだけ長く続いた名歌番組も、総じて終りに向かうときの寂しさは他の長寿番組以上のものを感じました。なんていうのか、流行りモノを扱っている番組だっただけにその流れからズルズル取り残されていった結実ゆえの強烈な哀れさが痛いぐらいに感じられるといいましょうか・・・。

「ヒットスタジオ」も「ベストテン」も「トップテン」も全てその最終回をリアルタイムで見たのですが、どれもこれも全てスタジオで何十人かゆかりのゲストを呼んで・・・・という内容でして、確かにその面々は豪華で、それなりに表向きは盛り上がっているようには見えたのですけど、なんかその端々には”お通夜”みたいななんともいえない寂しさが立ち込めていて、
全盛期、色々な話題を率先してふりまいてきていた番組ばかりだっただけに、その落差で余計に悲しかったのが思い出されます。


2014/05/31(土) 17:04:06 | URL | (ハンドル未記入)
21位から30位で
10000Kさん。YMOのライディーンとテクノポリスはたまーにやっていた21位から30位のコーナーでランクインしていたのを見た事あります。老若男女に支持されていたグループではないのでいいとこ20位代でしょうか。ヒゲダンスは洋楽カバーではなくインストだから対象外ですかね?YMOのどちらの曲か忘れましたが、浴衣姿のサングラスした女性の頭から蛇の出ているメデューサみたいなジャケットが使われていたような???記憶違いだったらすいません。
2014/05/31(土) 22:22:25 | URL | とらお
● 10000kさん
対象外ではないでしょうけど、歌無しの曲って、根本的に売れづらいんですよね。
列記されたものは全て中ヒットといった感じで、実売数は話題性ほど行ってなかったと思います。


● 未記入さん
トップテンの最終回は、普通にトップ10紹介してなかったでしたっけ。
ドリカムが『笑顔の行方』を中継で歌ったのは最終回じゃなかったかな。
歌番組が終わりに受けて寂しい感じになるのは、華を感じなくなっていくからでしょうね。
番組によっては、露骨に出演者の格が落ちたり(笑)。


● とらおさん
ヒゲのテーマも、ベストテンに入るまでには売れてないでしょうね。
2014/06/01(日) 08:17:04 | URL | ごいんきょ
今週の20位から11位
ごいんきょさん、お久しぶりです
話題にのぼっている「ヒゲのテーマ」
チャート梁山泊というベストテンの
データが全て掲載されたサイトで
ランキングを調べましたら
1980年5月1日放送分で17位に初登場
その後、16位→17位と
計3週に渡ってランクインされていた
というデータが残っていたので
リクエストが上位だったら
10位圏内にランクインされていたかも。

2014/06/01(日) 12:09:28 | URL | テレビマニアな30代
そう言えば、ランキングされていた気しますね。
もし10位に入ったとしても、演奏のしようも無かったとは思いますが。
2014/06/02(月) 01:08:26 | URL | ごいんきょ
地元系列局の扇動
何の曲だったか忘れましたが割と番組初期に沢田研二さんのコンサートが地元で木曜日に開催予定でした。ランクインすればコンサート後に生中継。って所だったんですがランキングは下がる一方で、ベストテン入りは微妙な状況。そこで地元系列局では「ザ・ベストテンにハガキを出して○○県から中継を!」というキャンペーンスポットCMを大量に流しました。人口の少ない県の悲しさでそんな努力も実らず、その曲はランキングから外れてしまいましたが露骨でしたね。昔の地方コンサートだったから主催、協賛スポンサーとかとの絡みだったんでしょうか?のどかな時代でした。
2015/07/21(火) 13:34:22 | URL | とらお
へー。
でも、大変正直な努力で、むしろ好感持ちますよ。
金や色で落とそうとしないとこが(笑)。
それでも出られなかった。
いかにベストテンの制作側が、きちんとデータ至上主義を貫いたかって事でもありますね。
ま、TBSはレコード大賞で散々その手の悪名を売ってましたからなあ(笑)。
2015/07/26(日) 08:16:15 | URL | ごいんきょ
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 これまで私の好きな歌などについて並べてきましたが、今日は視点を変えて好きな歌の「作り手」を並べてみたいと思います。 このblogでは特撮番組のレビューや怪獣のガシャレビューなどを書いていますが、もちろん懐かしの特撮ヒーロー番組は大好きです(^o^) ですから、
2006/06/26(月) 22:56:28 | 失われた時を求めて
 ハンパではない長文ですので、一気に読まない方が良いかと思います。 私の好きな歌謡曲を挙げていこうと思います。今日はお休みですので、暇にまかせて書きたいだけ書いています。 アイドル歌謡曲は歌手の男女を問わず、容姿が第一優先にされるものですネ。しかし時を経
2006/06/26(月) 22:57:14 | 失われた時を求めて
 私が中学生だった昭和53年~56年前後のニューミュージックのご紹介です。 この頃はアリス、ゴダイゴやさだまさし、そしてツイスト、渡辺真知子、八神純子、長渕剛、クリスタルキングなどのヤマハのポプコン出身者が大活躍していました。 では、行ってみましょう!●僕ら
2006/06/26(月) 22:57:39 | 失われた時を求めて
このカメログを訪れる方の中には、現在あるいは過去の一時期北海道に居住歴がある、と言う方も少なくありません。 私自身、過去ログでも触れた通りの元道民ですが、そんな今道民あるいは元道民として、これを知らなければモグリだと言われるラジオ番組があります。 HB...
2009/01/21(水) 14:48:54 | うみがめのスローライフ
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