私的 昭和テレビ大全集
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全日本プロレス中継 (1972)

該当番組画像募集


ちゃーんか ちゃーんか ちゃんかちゃんかちゃん
ちゃららら ちゃららら ちゃららちゃっちゃー
ちゃららら ちゃらら ちゃーらーらー (ぽんぽぽんぽぽん)
ちゃららら ちゃららら ちゃららちゃっちゃー
ちゃららちゃーららちゃーらーらー
ちゃららら ちゃららら ちゃららちゃっちゃー
ちゃららちゃーらーらーらーらー (ぽんかぽんかぽん)
ちゃららら ちゃららら ちゃららら
ちゃーちゃーちゃーちゃ つかちゃーちゃーちゃ つんかつららとん
たーたたー (とん) たららららら~
たーたたー (とん) たららららら~
つーかたーつーかたーつーかたーつーかたー
つたたつたたちゃーからちゃーから
つんたたーらつんたたーらつんたたーらつんたたーら
ちゃーかーつっちゃらっちゃちゃ つたたー つたたー
つたつったちゃらららんっ (ぱん)


昭和テレビに親しんだ世代なら、この字面を見ただけでわかりもうそう。
そう。かの日テレスポーツテーマ。
字面を見ただけであの勇壮な旋律が頭にこだましますよね(強制)。
このテーマソングで思い出す番組と言えば、プロ野球かプロレスと相成ります。
これぞ、日本テレビ一企業のみならず、高度成長期の日本人を奮わせた番組の代表。
日テレはこの二大番組で視聴率を稼ぎまくった故に、
往時はスポーツの日テレと呼ばれたものでした。
時は移ろい、今やプロ野球は編成のお荷物。
プロレスに至っては、ついに日テレの番組表から姿を消しました。
このままプロレスは絶滅してしまうのでしょうか。
取り敢えず当ブログでは、全盛時の全日本プロレスを振り返りたいと思います。

そもそも日テレは開局当時、街頭テレビに於ける
力道山のプロレスで名を売ったというのは、昭和テレビ知識の基本中の基本。
その力道山が東京オリンピックを前に非業の死を遂げた後も、
彼の興した日本プロレスという団体は、残されたレスラー達によって運営されていきました。
その際、後継のエースとなり活躍したのがジャイアント馬場。
力道山が幾多のレスラーと死闘を繰り広げ、守り続けた
インターナショナル選手権の後継者として、当時のトップアメリカレスラーを次々迎撃。
その体躯から注目を浴びておりましたが、一気に名実共たる実力者として花開いていきました。
しかし、数年のうちに日本プロレスという団体は、先輩レスラー達の内乱で瓦解。
後ろ盾である日本テレビは、馬場を中心とした新団体・全日本プロレスを旗揚げさせ、
旧来の日本プロレスは打ち切る事となります。
この構図は後年、三沢光晴を中心に再現される事となり、日テレのお家芸となるのですが。

全日プロは、馬場のアメリカとのコネクションをフルに使った、
当時は絶大なメジャーイメージであるNWAから招聘したレスラーと馬場との攻防、
とりわけ、猪木の新日本プロレスは逆立ちしても実現不可能であった、
NWA世界タイトルマッチを興行の軸として起動していきました。
中でも白眉が1974年、時の王者ジャック・ブリスコを馬場が降し、
東洋人として初めてNWA世界王者に就いた事で、これは事件でした。
かの豪腕・力道山すら為し得なかった偉業でしたが、
レスラーとしてもアメリカでもそこそこの認知度を誇り、
プロモーターとしても他のプロモーターとの信頼関係構築に定評が有った
ジャイアント馬場ならではの快挙と言えました。

ワタクシはその試合当時はまだプロレスにそれほど目覚めておらず、実見しませんでしたが、
ハリー・レイスを破って2度目、3度目の王座に就いた時はバリバリで見ておりました。
その頃、土曜の放送は夜8時から夕方5時台というマイナー枠へ移動となっておりましたが、
これが逆にワタクシにとって結び付きを強める要素となっていました。
夕方は他にこれが見たい!という番組もあまり無く、
当時複数いたプロレス好きの友人達に触発される形で視聴が恒常化。
猪木の新日は格闘技路線、過激なプロレスで正に全盛期で、
その相乗効果もあって全日にもどんどんのめり込んでいく事となります。
ただまあ忌憚のない事を言えば、温い感じはしてました。
とりわけジャイアント馬場の試合がワタクシには納得できないものでしたが、
レイスを破った試合の、あのランニング・ネックブリーカードロップは見事でした。
件の友人も、「馬場ってこんなに強かったんだあと思った(笑)」と語ってましたが、
ここ一番の世界戦であれだけ見事に技を決めたのは流石の業でした。

夕方時代の全日本プロレスと言えば、思い起こされるのはアブドーラ・ザ・ブッチャー。
中でも、アラビアの怪人と呼ばれたザ・シークとのコンビは、
対戦でもタッグでも、凄惨な流血試合を常としていました。
とりわけ記憶に残るのが、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンク兄弟の、ザ・ファンクスとの死闘。
この試合は、ブッチャーがフォークを駆使した陰惨を極めたものだったようで、
東京スポーツでの報道で楽しみにしていたワタクシは、些かの緊張を伴いながら視聴しておりました。
しかしその中継は、クライマックスのブッチャーによるフォーク突きのシーンなど、
中盤がごっそりと静止画とナレーションによるものでお茶を濁し、
テレビでしか視聴できない人間の妄想を刺激させ、髪掻き毟らせるものだったのです。
テリーの腕めがけてフォークを振り下ろすブッチャーの止め絵が忘れられない。

それほど凄絶な試合もある一方で、もう一つの華はなんと言ってもミル・マスカラスでした。
軽量を活かした見るも鮮やかな空中殺法と、二度と同じ覆面をしない艶やかなコスチューム。
日プロ時代から千の顔を持つ男として各種メディアでも話題を呼んでいた彼が、
ジグソーの歌うスカイ・ハイという歌をテーマソングにして縦横に活躍しました。
後にトップレスラー全てが持つ事になるテーマソングの正に先駆けで、
このスカイ・ハイはセールスもそれなりに伸びましたし、番組中でもよく使われました。
マスカラス来日中のエンディングにはこの歌が流れるのが風物詩で、
当時のワタクシにとって、日本の夏とはスカイハイのエンディングですね。
また、空中殺法の方も後のタイガーマスク路線で花開き、一大ムーブとなりましたし、
マスカラスが日本プロレス界に残した足跡は、ひとかどならぬものが有る事を改めて指摘しておきます。

このマスカラスもブッチャーと死闘を繰り広げ、およそタイプの違う両者対決でしたが、
マスクを破られ、マスカラスの髪と顔の一部が露出した際には、妙に性的興奮を覚えたものです。
マスクマンってそのように、覆面を剥がれるピンチっていうのも重要演出の一つでした。
相も変わらぬ露骨ブログですが(笑)、そうだ、うちみたいのを侮露愚と呼ぶ事にしよう(笑)。
ちなみに、マスカラス来日中ではない通常時のエンディングも当然、日テレスポーツテーマで、
その音楽をバックに、開催中のシリーズの案内、いつどこそこで興行されるかなど、
次々と局アナが読み上げ、来週の放送内容などを予告し、
チャンカチャカチャチャン♪と音楽と同時に放送が終わっておりました。

馬場がNWAを奪取したものの、3度ともすぐにベルトを奪い返されましたが、
これについて件の友人が、見事な解説をくれました。
 馬場が取っちゃったら防衛戦するためにアメリカに滞在しなきゃならないから、それは有り得ない。
うむ、なるほど。
興行というものの本質に鋭く切り込む一言で、目から鱗が落ちる思いがしました(笑)。
ところがこの我々の会話を耳にしたのか(笑)、程なく全日は新路線を開拓。
国際プロレス崩壊により日本プロレス界との繋がりが浮いた世界三大タイトルの一つ、
AWA世界王者であるニック・ボックウインクルをも招聘。
このニックについては国際プロレスの稿でも触れていますが、
いわゆるクセ者の類のチャンプで、防衛能力は秀でていました。
そんなニックを、事も有ろうに、ジャンボ鶴田が降してしまったのには驚きました。
一つには、馬場ならともかく、当時の鶴田はとてもそれだけの器ではなかったこと。
それは日本のプロレスファンに対しても勿論そうだったのですが、
AWAサイドがよくそんな案を呑んだなあというのが最大の驚きでした。
プロレスマッチメーク世界に於いては、「格」というのがかなり物を言うものです。

まあそれは金の力でなんとかならない事もないだろう、
しかしまたどうせニック滞在中の再戦でベルトを手放すんだろ(笑)、
という当時のプロレスマニアの諦観もものかは、なんと鶴田は、
ニック滞在中最後のリターンマッチに於いても防衛に成功。
さすがにこの時ばかりは仰天しました。
しかも、我々が有り得ないと揶揄していたアメリカへの防衛遠征にまで出かける、
あまりに徹底した王座奪取の形。
ああ… 仮にもアメリカが誇るプロレス三大タイトルの一つが、
黄色い猿めにこうまで蹂躙されるとは!!

ああ、ワタクシはアメリカ人じゃありませんでした(笑)。
ですので、さすがに鶴田を大きく見直し、そのアメリカでの防衛戦も注視しました。
しかしそこで見た光景は、先のワタクシのコメントの如きブーイングの嵐(笑)。
悔しげに地団駄を踏む鶴田に、更に親指を下向ける観客。
完全に悪役、ヒールの如き敵地での防衛戦は、結局やはり、鶴田に利せず。
AWAタイトルは無事にアメリカに戻ったのでありました。
これは、馬場が何度もNWAタイトルを奪取しながら、
必ず相手に滞在中に取り返されてしまうという「シナリオ」の多用により、
我々のようなコメントを漏らすファンが出てきた事への対応でもあったでしょうし、
何よりも、今ひとつ脱皮しきれなかったジャンボ鶴田への最大のサポートだったでしょう。
しかし、この件が有ってもやはり鶴田は今ひとつアピールするものが少なく、
一方、鶴田にブーイングを浴びせたアメリカ人にすら認知されていた
ジャイアント馬場という存在の、想像を超える存在感の方がワタクシには印象的でした。

それを遡ること数年、時代はかねてよりの対抗相手であったアントニオ猪木・新日本プロレス・テレビ朝日と、
馬場・全日・日テレ側との全面大戦争に突入していきます。
発端は、時の全日外人レスラー最大のスター、アブドーラ・ザ・ブッチャーが、
まさかの新日リングへと登場したこと。
動きは緩慢ながら妙なタフさを誇るブッチャーと猪木の対戦という、
新しいマッチメークの実現は、たしかにプロレスマニアに新しい楽しみを想起させました。
しかし、なんと言うか、やはり噛み合わない。
猪木のストロングスタイルと、ブッチャーの受けるプロレスは、
どうにもチグハグなものでしかありませんでした。
そしてブッチャーはみるみる魅力を失っていき、一時はサントリーのオレンジエードでしたか、
愛嬌たっぷりにCMにまで出演した人気は凋落の一途を辿りました。

ジャイアント馬場は義理堅く、プロモーターの信頼も厚い。
しかし、やられたらやり返すという強さもボスとして持っていました。
新日側の外人エースであるスタン・ハンセンが全日リングへ移籍。
これにはワタクシはかなりガッカリしたものです。
ハンセンのプロレスは猪木とこそ合うもので、
馬場のプロレスでは今のハンセンの良さが死んでしまうではないか、
そんな嘆きと不安を覚えたものの、世間は意に反してこちらは好評価。
以後ハンセンは、全日の外人エース格として長く活躍する事になります。

ジャイアント馬場とアントニオ猪木の違いとしてワタクシが最も感じるのは、
総理大臣に例えると猪木は中曽根康弘型、馬場は森喜朗型だという事です。
例えたら一層わかりづらくなっていると思いますが(笑)、
わかりやすく表現すると、人を活かすか、殺すか、という事です。
この全面戦争によって新日にはブッチャーの他に、タイガー戸口、
ブルーザー・ブロディらが登場する事になりますが、
誰も彼も猪木は使いこなす事が出来ず、持ち味を殺しまくりました。
戸口などは全日では鶴田とほぼ同格という破格の待遇だったのに、
愚かな事をしたものだと思いましたが、裏の事情はよくわかりません。

そもそも猪木はその前から、今や息子が俳優の坂口、ストロング小林、
そして国際プロレスのエースだったラッシャー木村といった、
いわゆる実力派日本人レスラーを軒並み自身の軍門に降し、
自らの強さを誇示する肥やしとしてきました。
ワタクシはそんな彼の使い捨てには非常に嫌悪感を抱いていましたが、
そんなやり方で通じるくらい、セメントでも彼らは猪木に向かえなかったという事なんでしょうか?
とにかく猪木の周りに来たレスラーは概ね消耗していった印象ですが、
一方の馬場は相手を消耗させず、大事に使っていたという印象なのです。

その最たる例がラッシャー木村で、猪木にさんざん軽く扱われ、
国際プロレスのエースであった過去の栄光も潰えてしまった彼に、
マイクパフォーマンスという、新日時代の失敗を逆用した位置で光を当てました。
明日の新日を背負うと期待された谷津、タイガーマスクとして大ブレイクした佐山、
実力派若手の前田など、猪木の下からは次々と離れていきましたが、
馬場の全日は、一貫して馬場の後継として鶴田は不動であり続け、
その鶴田との死闘で株を上げていった、全日タイガーマスクだった三沢光晴もまた、
鶴田の後継として不動であり続けたのでありました。

新日タイガーマスクの佐山が、マスカラスから更に発展させた四次元殺法で開いた新時代プロレス。
全面戦争で日テレがテレ朝から奪い返したタイガーマスクブランドに於いて、
全日タイガーとなった三沢光晴もまた、馬場派プロレスと言われた、
ワタクシに言わせれば温かった全日本プロレスに新時代を開かせました。
旧世代代表として迎え撃った鶴田もまた大いに魅せたもので、
それはアントニオ猪木の標榜した「過激なプロレス」を、
更に流麗に、淀みなく実現させた、プロレスを超えたプロレスと言えました。
馬場・鶴田・三沢。
いずれも志半ばと言えるような若き死は、「温い」プロレスであれば決して請求されぬ代償だったのでしょう。
激闘の戦士達に、あらためて、感謝と、労いの稿を記します。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
えーっと,お久しぶりです
トップバッターがおいらでごめんなさい。再びごいんきょ鬼籍に入ったかと心配していました。
馬場と猪木が組んでいたのをリアルタイムで見ていたおいら。同じようなものをご覧になったかたは,ここの常連さんの中にもたくさんいらっしゃることと思われます。
このころの思い出は,馬場のパンツがエンジ色だったことかな。
グレート草津,サンダー杉山,レフリーのおきしきな。
いろいろ思い出されます。
2009/08/01(土) 00:34:59 | URL | いくちゃん
「王者の魂」でしたか
テーマソング読みながら、思わず歌ってしまいました。学生時代から、ずっとプロレスを好きで良く見てました。どちらかというと新日派でしたが、三沢の死はショックでした。新日vsUWFが自分の中でのピークだったように思います。殺伐としたところが良かったのですが、K-1がでてきた頃から、何か勝敗が全てでありその他の要素を極力配した試合が人気の中心となった事、レスラーが格闘技の選手に中々勝てないのとで、自分自身、プロレスから引いていたように思います。
若い頃は全日の試合はあまりみて降りませんでしたが、結構、歳をとって見ると今、改めて馬場さんの試合も見たい気がします。

2009/08/01(土) 10:19:33 | URL | キリン児
「全員集合」より「プロレス」を選択したTBS系地方局
お久しぶりです!
私的には開局当初からのJNN加盟局ながらプロレス中継の関係で金・土の夜7時30分枠~9時枠の間だけNTV同時ネットとなっていたNBC長崎放送の事を取り上げざるを得ません(笑)。
何故殊更に取り上げるかと申しますと、長崎県2局目でNTV・フジクロスネット局(しかもクロスネット時代は讀賣新聞も株主に加わっていた関係でNTVの方が若干ながら優位だった。)のテレビ長崎が1969年に出来てからも長崎放送は金土G帯でのNTV同時ネットをプロレス中継がG帯から去った後も実に1983年まで続けていたんですな(因みながら長崎民放3局目(テレ朝系)が開局したのは1980年代後半。)。当然TBS絶頂期の土曜日ラインアップ「まんが日本昔ばなし」~「Gメン’75」は同時ネットされず、「まんが日本昔ばなし」は土曜夕方(?)から「クイズダービー」は金曜夜7:00からの時差ネットで「全員集合」はNTV同時ネットが解消される番組末期まで放送されず、「Gメン」も果たしてどの時間でやっていたのかすら私も分かりません(笑)。
そのお陰でNTVの夏の風物詩である「24時間テレビ」が(他系列番組の中断を挟みながら)長崎放送→テレビ長崎のリレー放送で募金の呼びかけも両局が合同で行っていたりと大阪で生まれ育った私からすると奇妙極まりない番組編成に正しくカルチャーショックを受けたものです(笑)。
大阪に住んでいた時に経験した毎日放送と朝日放送とのネットチェンジと並んで、当時の長崎民放2局の奇妙且つ怪奇なネットを目にしたのも私がテレビ、特にネットワーク関係に興味を持った大きな切っ掛けとなった事は疑いが無い所ですね(笑)。

ちなみに長崎民放2局時代の系列関係は
長崎放送・TBSメイン・テレ朝サブ(「モーニングショー」、「やじうま新聞(6時台まで)」(どういう訳かANNでローカル枠である筈のやじうまを同時ネットしていた)、昼前のANNニュースを除き全て時差ネット)・金土G帯のみNTV同時ネット
テレビ長崎・NTV、フジの対等クロスの形ながらFNNニュースは夕方のみで、他の時間帯のニュースはNNNと実質NTV優勢のネット
といった所でした。
2009/08/06(木) 03:09:29 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
ほんのちょっと訂正
1983年までの長崎放送のNTV同時ネット枠は
金曜 夜7時30分枠・8時枠
土曜 夜7時枠~9時枠
又それに加え、金曜日についてはテレビ長崎が夜9時枠以降がNTV同時ネットだった為に金曜日の巨人戦ナイター中継の際にも放送時間の延長で長崎放送→テレビ長崎のリレー放送になったとか(笑)。
2009/08/06(木) 03:55:23 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
プロレス
馬場氏、ジャンボ鶴田氏、三沢氏
それぞれなくなって
終了かな。

3人とも、あと猪木氏も
プロレスに革命をもたらした
プロレスを変えた男たちという
印象はある。 
こういうスターがいない
プロレスの時代は
いったん、幕を閉じた感じがする。

第2幕はどんなドラマになるのか。
どういう幕開けになるか
今から楽しみである。
2009/08/10(月) 23:29:27 | URL | しん 
マスカラス
という名前を聞いただけでモヤモヤっとした気分になりますね(笑)。私も肉体が不謹慎な反応を示しつつ観戦していました。しかし、そういう反応を狙ってましたね。後頭部のヒモを、一本一本ほどいていくのが何とも。マスカラスもマスカラスで、途中で抵抗をやめたりするんですよね。しかし、いいトコロで邪魔が入って、ヒモは全部ほどけない。で、鼻までは見えました。
 ジャイアント台風に出てきた銀仮面トルベリノ・ブロンコを思い出しました。馬場にマスクをはがれると頬に傷を負った元闘牛士の顔が。でもあのトルベリノ某って実在したんでしょうか?
 ブッチャーの兇器についてはアナウンサーが「ここからはよく見えませんが・・・どうやらフォークを改造した物のようです」と言ったのを覚えています。「改造した」というのが可笑しかったです。本当だとしたら、攻撃の威力とかビジュアル効果とかいろいろ考えてブッチャーが一生懸命作っているのかなあ、と。そのフォークを振り回していた頃に聞いた話ですが、ブッチャーって、世界の子供達の教育のことを考えていたり、伊達直人みたいな一面もあったそうですね。
 それから見て見ぬふりレフェリーのジョー樋口もいい味を出していましたね。試合前にブッチャーに「兇器持ってないか」とお約束で訊いていました。友人がジョー樋口を町で見かけてことがあり、テレビではいつもレスラーと一緒なので貧弱に見えるが、実際は強そうな凄い体格だと言っていました。
2009/08/22(土) 04:43:38 | URL | あぶもんもん
しばらくでした
よもやこちらで鶴田対ニックのAWA世界戦が熱く語られていようとは…
ちょっと驚きました。
因みに関東地区が土曜夕方だった時期、当地(東海地区)においては、
金曜深夜(「11PM」の後)→日曜正午でした。

>そんなニックを、事も有ろうに、ジャンボ鶴田が降してしまったのには驚きました。
>一つには、馬場ならともかく、当時の鶴田はとてもそれだけの器ではなかったこと。

ただこの当時は、徐々に馬場から鶴田へとエース格の禅譲が進んでいたように思います。
鶴田の(UNヘビー級王座を返上したうえでの)インターナショナル・ヘビー級王座の奪取、
その後の馬場と鶴田のコンビで持っていたインターナショナル・タッグ王座の返上。
馬場も衰えが見え始めたこともあり、「鶴田=次期エース」という路線はきっちりと敷かれ、
くだんのAWA世界王座を奪取した頃には、むしろAWAを獲ってもおかしくない印象は
与えていたと思います。

一方のニックは、AWAルールが「反則」及び「リングアウト」裁定での王座移動を認めて
いない(NWAも同様)のを「悪用」して、あからさまな反則を犯すなどして、綱渡り防衛を
重ねていた印象があります。

鶴田とニックによるAWA世界王座をめぐる攻防は、鶴田の奪取以前にも幾度か行われて
いて、いずれも鶴田が今一歩届かずという結果に終わっていますが、そのなかで印象に
残っているのは―あれは北海道の釧路だったと思いますが、タイトルマッチが佳境に入った頃、
両者のチェックに入ったジョー樋口レフェリーを、ニックが突き飛ばしてしまい、そのまま場外で
樋口が失神。ここで鶴田がリング上でニックに足四の字固めを極め、長く攻め立てたところで、
ふらつきながらも復帰した樋口がゴングを要請。タイミング的には、足四の字が極まったと見ての
ストップもしくはニックのギブアップで、実況の倉持アナも「やりました!世界タイトル奪取なりました!」
と大喜び。その後、勝ち名乗りを受けた鶴田。ところが肝心のベルトが鶴田に渡されない。
なぜなら正式な裁定が「鶴田の反則勝ち」、すなわちジョー樋口は、足四の字の攻防に入る前の、
ニックが自身を突き飛ばした行為を反則とみなしたという…。さすがに正式な裁定を聞いた時、
倉持アナも「ええ~っ!?」と驚いていましたが、解説の山田隆氏は「今思えば、樋口レフェリーが
ゴングを要請した際のゼスチャー、あれは反則裁定の時のものでしたね」と冷静に説明を加えていました。

しかし、こうして何度も繰り返された「不透明決着」は後々への伏線となっていき、鶴田がAWAを奪取
した時の試合は、鶴田の持っていたインターナショナル・ヘビー級王座も賭けたうえ、ルールもくだんの
AWAルールではなく反則・リングアウト裁定での王座移動も認められるPWFルール、さらに特別レフェリー
に現役引退して間もないテリー・ファンクを招へいと、今にして思えば、これでもかと言わんばかりのお膳立て
が出揃っていました(それでもニックは、事前にPWFルールでの挙行を飲んだと伝えられていたにもかかわらず、
来日するやいなや「そんな話は認めない。こちらにも考えがある!」などとぶっ放していたわけですが)。
もっとも試合自体は、心配された際どい判定ではなく、誰がどう見てもクリーンフォールで鶴田が勝ったため、
後々まで引きずる要素はなかったのですが。

問題はその後の王者としての防衛サーキットでした。鶴田がアメリカ入りするやいなや、東京スポーツは
「アメリカを単独で、それも過酷な日程で廻らねばならない王者の義務に、果たして鶴田は耐えられるか?」
といった、敵地での王座転落を危惧する記事を書いていたものです。しかもその記事に使われた写真が、
どこかのレストランで一人寂しげにステーキに手をつけている鶴田の様子で、それがまたさらに一抹の不安を
感じさせたものです。
それでも鶴田は防衛を重ねていったものの、最後の方はやはり不透明決着での逃げ切りが多くなり、
ある時は対戦相手に「鶴田は反則で逃げたずるいチャンピオン、もう二度とやりたくない」と、どこかで
聞いたような台詞を言われてしまう始末。そして遂にベルトを明け渡すことになりましたが、その相手が
当時はまだまだ無名の若手の域を出なかったリック・マーテルだったというのは、何たる仕打ちだろうな、
とやっぱり思ってしまいました。
2009/10/15(木) 00:14:07 | URL | 部隊長
マスク剥ぎ
はじめまして。ある言葉を検索してると、こちらにたどり着きました。
ブッチャーにマスクを破かれるマスカラス…大物マスクマンの素顔露出のピンチシーンに心臓がバクバクしたのを覚えています。
あと、全日でマスクマンと言えば、デストロイヤーも忘れられません。
この人の純白で伸縮性のあるマスクが何となく頼りないというか、相手がその気になればすぐにズッポリ剥がされそうで、いつもドキドキしながらテレビを見ていました。
その割にはズッポリというのはなかったと記憶するのですが、一度マスカラス兄弟に目もと付近まで捲られた時にはかなり興奮したのを覚えています。(性的な意味ではなく)
普段は口でマスクを噛んで取られないように防御するのですが、その試合は何かの弾みでそれが出来なかったみたいでした。
性的な意味で興奮したマスク剥ぎと言えば、私の場合は初代タイガーマスクです。
タイガーのマスク剥ぎに執念を燃やす小林邦昭との対戦での様々なマスク剥ぎバリエーションは今も印象に残ります。
破かれたマスクの下の顔が初代はどこかエロいと言うか、セクシーな部分があって、それに刺激されたのでしょうか?
2009/10/20(火) 17:06:43 | URL | ギャオ
生放送と編集
昭和50年代は全日、新日ともに良く見ていました。全日は放送時間が夕方だったので録画が多くて○○分経過ってテロップが良く出てました。新日はゴールデンタイムだったから生放送が多かったですね。学校で「生放送なのにきっちり放送時間内で終わるのはおかしい。」みたいな話題になった時、訳知り顔の友人が「台本があるし、相撲だって6時に終わる。それも年間90日。」プロレス好きの人は反論してましたが、私は一理あると思いました。
2012/10/08(月) 16:15:35 | URL | とらお
嫌いな番組でした。
「全日本プロレス中継」は1972
74年頃にかけて、白黒テレビと
カラーテレビで観た記憶があります
北日本放送で、毎週木曜日に午後
4時か5時頃から放送していました
当時この番組が大嫌いでしたが、父
親がプロレスの大ファンなので
嫌々観せられていました。
本当の殴り合いの喧嘩をしている
と思って凄く怖かったからです。
真冬で大雪の日も、番組が終るまで
外で震えながら待っていました。
いつの間にか終了してほっとしまし
た。 
2012/10/09(火) 21:16:43 | URL | くも
ステレオ放送
俺の地方ではその昔土曜日の夕方5時半から放送してました 当時番組冒頭のカード紹介の際アナウンサーが「ステレオ放送でお楽しみください」とアナウンスしてるのを聞いて当時は「レコードとか聴くステレオで聞く番組なんだろうか」と思ってました

余談ですが 当時まだステレオ放送が一般的でなかった頃は画面の左下あたりに「ステレオ」表記が出てましたが各局で違ってたのが印象的でしたね 日テレの「[S]ステレオ」とテレ朝のヒヨコが二羽並んでるようなのが記憶にあります
2012/10/10(水) 12:36:29 | URL | 鉄ドン
一回返信しておいたと思っていたのですが、こちらも送信ミスか何かで反映されてませんでした。
かなり遅れてのまとめレスで申し訳ないです。
ところで予告エンディングの音楽ですが、本文で書いた通り、通常は日テレスポーツテーマ、マスカラス来日時はスカイハイだったのですが、
もう一つ、ファンクス来日時のスピニング・トー・ホールドも忘れてはならないものでした。
あのクリエーションによる回転を彷彿させるイントロ演奏の中、開催予定の興業や次回放送の予告をアナウンスすると、興奮度が倍増でした。


● いくちゃんちゃん
心配してもらっておいて返信がこんなに遅くて申し訳ないんですが(苦笑)。
BI砲は日本プロレス時代ですから、もう少し前の時代ですね。


● キリン児さん
おや。通好みなハンドル(笑)。
歌うでしょ。歌えるでしょ。頭の中で木霊するでしょ(笑)。
たしかに、年を取ってくると馬場さんのわびさびが解ってくるんですよ(笑)。


● TXさん
長崎の放送事情まで随分と詳しいですな(笑)。
長崎の方で話に乗れる方は、ぜひ絡んで下さい。


● しんさん
やっぱりね、見る方の問題も有ると思うんですよ。
今、どれだけ浪漫の泉に水をたたえている視聴者がいるかという問題が。


● あぶさん
マスクマンって、覆面をはがされそうになる演出が売りの一つだったですけど、
やっぱりアレで性的興奮を覚えるって有りますよね。
もちろん男色云々とはまったく別次元で。
トルベリノ・ブロンコの話も通ですな(笑)。
あそこまで正体をばらしてしまうという事は、創作だったんでしょう。
ただ、梶原氏は本当に話作りが巧みだったです、あの当時。
フォークの改造は、いま思えば先を多少丸めてあったんでしょうね(笑)。
樋口さんは年がら年中失神したり、リングアウトしたり、凶器を見つけられなかったり、
とんだ二流レフェリーだと馬鹿にしながら観てましたね(笑)。


● 部隊長殿
驚かれたというのは、ここまでプロレスを語れる人間とは思っていなかったという事でしょうか。
テレビマニアがプロレスも好きである偏りって、けっこう大きいものが有ると思うんですよ(笑)。

そうですね。本文でも触れてますが、鶴田サポートとはすなわち、馬場さんからの禅譲を見越してのものだったでしょう。
ただプロレスって、なかなか既定路線通りではファンが納得しないから面白いんですよね。
樋口さん、ほぼ間違い無く最多失神レフェリーなんだろうな(笑)。
いやあ、それにしても随分と細かくご記憶で。
みな言われればそうだったなあと思いますが。
東京スポーツもご覧でしたか(笑)。それは素晴らしい。
あの当時の東スポは、史上最強のスポーツ新聞だったと思います。
プロレスは新日全日が全盛で、麻雀の王座杯で毎日牌譜は載ってたし。
王座杯なんて、福地・畑・花登のアマ三強と、小島・古川・灘・田村のプロ四強が年間の覇を競ってたんですから。
しかも、今にまで続く芸能・一般記事のトバシは当時も全開でしたし(笑)。


● ギャオさん
そう書かれていたので、ワタクシも検索して、どこからいらしたのか解りました(苦笑)。
まあ予期せぬ来客ではありますが、プロレス好きというのは間違い無いですからね。
デストロイヤーさんのマスクはたしかに危なげだったんですよ。
まるでフレアのミニスカートのように(笑)。
ところが、誰かが剥がしにかかった記憶が有りません。
やはり大物だったから、半端な相手にはそんな事を許さなかったんでしょうね。
野際陽子さんがミニスカ履いても、誰も黛ジュンさんみたく下から煽ろうとはしなかったのに似ているかと。
多分(笑)。
力道山さんとの対決の時はそれっぽいシーンが有った気がしますし、マスカラスさんも超一流ですからね。
ワタクシはマスク剥ぎでは、必ず性的な興奮を覚えましたね。少なくとも精神的には。


● とらおさん
よくそういう人いるんですけど、途中で終わる事もけっこう多かったんですよね。
それより、早く終わってプロ野球みたいな名場面集のような埋め草番組が流された記憶こそ無いです。


● くもさん
はは。子供が見て本当の殴り合いに見てくれたのは、レスラー側からしたら大成功だったですね。
大雪の中で震えてまでとは、余程ですねえ。
しかし、見てなかったという話でこれだけ当時が偲べるコメントも初めてでした。


● 鉄ドンさん
あー。ステレオでお楽しみ下さいって、オーディオ機器のステレオと紛らわしいですよね、そう言えば。
ステレオ放送なんて楽しめるようになるのはいつの事だろうと他人事でしたが、
Hi-Fiビデオが普及して、一気にハードルが下がりました。
2012/10/14(日) 21:39:56 | URL | ごいんきょ
興業
地元での興業の際は必ずその筋の方々が関係していました。リングサイドは関係者と思しき方ばかり。相撲の桟敷席ばりに飲食の接待も行われていました。試合のあとは親分衆との宴席も催されたとか。あと、テレビ中継のない場合、メインイベントは6メンタッグマッチで場外乱闘しながら引き分け、しかも人気レスラーは休場がお約束でした。
2014/03/21(金) 08:48:56 | URL | とらお
まあねえ。地方都市なんかで興業ぶとうとすれば、どうしたって筋の人が絡まないと、
まともにお客さんが来ないって頃が長かったでしょうしね。
本当に、小さなパチンコ屋の駐車場とかでやったりね。
ワタクシは、いわゆる呼び屋さんってのは有りだと思ってるんですよね。
あと博徒と稼業人。
そうした人々も一緒くたに暴力団扱いしたのは懸命で無く、ヤクザ者のギャング化を招いただけでした。
追い詰める時は、きちんと逃げ道を用意してそちらに追い込まないと、
追い詰められたら牙を剥いて襲いたくもなるでしょう。
2014/03/21(金) 23:00:54 | URL | ごいんきょ
必要悪
他はともかく博徒とテキヤは許されてもいいと思います。子供の頃、地元の老舗博徒の親分と爺ちゃんが付き合いがありましたがまともな人達でしたよ。少なくとも我々堅気の前では。鉄火場も良心的な経営だったそうです。前略おふくろ様の鳶の頭みたいに正業も持っていました。近所の人もあんな感じで普通に接していました。「力」の必要な相談事はみんなしていましたし。嫁いだ娘が今で言う「DV」被害に逢い、解決してもらって莫大なお礼をした近所の資産家もいました。今の時代でも許されるならパチンコより鉄火場に行ってみたいです。その後、ごいんきょさんの言うとおり何でもかんでも取り締まるようになってからおかしくなったと思います。脱線した長文失礼しました。
2014/03/22(土) 00:43:07 | URL | とらお
決してヤクザ賛美ではありませんが
それ以外にも興業師、ノミ屋、女郎屋、用心棒なんてのも人を欺いている訳ではないので必要ではないかと。何より行き場のない非行少年や刑務所の出所者なんかも受け入れていて雇用も創出していたし、テキヤは商品の調達で地域経済に貢献したり。用心棒による盛り場の治安維持も警察より迅速で的確。羽振りのいい組織は様々な形で地元にお金を落としたりでまさしく必要悪でした。
2014/03/22(土) 00:56:30 | URL | とらお
ま。大前提として堅気には手を出さないってのは守れないと。
バブル時代は日本人すべてがおかしくなりましたが、ヤクザ者もおかしくなりました。
真面目な銀行員を殺したり、代々住んでいる人間を力ずくで追い出したり。
ああいう連中には軍事力を使えるように法改正すべきとは思いますけどね。
2014/03/22(土) 00:59:25 | URL | ごいんきょ
力道山
少し前、「コメディ・フランキーズ」のスレに、力道山のことをちょっと書かせて頂きましたが、それ以上加えると完全にスレ違いになり、なおかつテレビ番組とは関係なくなりそうですので、改めてこちらに補足をさせて頂きます。

力道山があの事件の数時間前、ラジオの「朝丘雪路ショー」に出たことは、
「コメディ…」のところで触れましたが、石井代蔵著「巨人の素顔―双葉山と力道山」によると、当日の更にやや早い時間に、力道山は都内の某所(料亭)で、当時相撲協会の爆弾男と呼ばれていた高砂取締(元横綱・前田山)と密談しています。その話の内容というのが、弟子のアントニオ猪木(当時20歳)を大相撲に入門させ、三役に上がったら再びプロレスに復帰させる、という驚天動地のものだったそうで。嘘か本当か、猪木にはもう相撲の四股を踏ませていると、当人が周囲に漏らしていたとやら。考えればかなりムシのいい話ですが、力道山としては、当時すでにプロレス=八百長という批判がかなり強くなっていた折柄、古巣の大相撲をダシにして、プロレスこそが最強の格闘技だということを世間にアピールしたかったのでしょう。もし横死しなかったら、この話がどこまで進んでいたか、または立ち消えになったか、神のみぞ知るですが、猪木の運命も大きく変わっていたかも知れませんね。案外、大横綱になっていたかも(笑)。猪木-大鵬戦、見たかった気がしますが。

で、会談を終わってその足でスタジオ入りしたのですが、その時はすでにグデングデンでハイの状態だったようです。それから後の経緯は、あれから半世紀以上、手垢がつくほど論議されています。

ところで、力道山は主演映画はこれでもかと撮っていますが、テレビドラマには生涯でたった二本しか出演していません。まあ、彼にとっては、陳腐な言い方ですが、プロレスこそ正真正銘の主演ドラマだったと考えれば、納得がいく気がします。何せ清水アナウンサーという絶好の盛り上げ役がいましたから。今でも例の黒タイツとともに、「りきどう、ざんの、からて、ちょっぷが、いっぱつ、にはつ、さんぱつ、さくれつ、しま、した!!」というあの切れ切れの絶叫が時空間のかなたから聞こえてきます。
2016/09/12(月) 11:21:09 | URL | 権兵衛
猪木さん自身が相撲の話を受けたかという事も有りますがねえ。
でもリキさんが見て関脇まで行けると踏んでいたのだから、やはりかなり実力を買っていたんですね。

リキさんのドラマはスレにしてますよ。
2016/09/13(火) 03:41:35 | URL | ごいんきょ
 私の世代は全日本プロレスと言うと夕方4時30分~5時30分ぐらいにやってまして、遊びに行って帰ってく来てテレビをつけるとやってました。

 そのあと全日本プロレスを見て、5時30分からのダンバイン、6時からのダイナマンと2連発、夕食食べながら人形劇三国志、7時からの日本昔話(大抵入浴時間だけど)、7時30分の暴れはっちゃく、8時からは全員集合化ひょうきん族か暴れん坊将軍がお約束でした。
2016/09/13(火) 09:51:58 | URL | すーぱーぺるる
帰ってく来て→帰って来てでした。すみません。
2016/09/13(火) 09:53:01 | URL | すーぱーぺるる
子供番組が立て続けだった時代ですねえ。
今じゃ19時台ですら子供番組なんてあまり無いという…
2016/09/18(日) 08:06:42 | URL | ごいんきょ
顔面真っ赤
 小学生だった昭和40年代はプロレスを見ていませんでしたが、「顔面真っ赤」というフレーズはクラスの男子の多くがよく使っていたので覚えています。ブッチャーも45年頃から日本で活躍していたようですが、彼以前に顔面真っ赤になるまでの流血というとコワルスキーとかブラッシーなどの試合でしょうか。(少年漫画誌かげええ名前だけは知ってました。)
 ブッチャーは昭和50年頃すでに、世界の恵まれない子供たちに教育を受けさせることが大切だと発言したり(行動していたかどうかまでは知りませんが)、リング外では「いい人」をアピールしていたと思います。時代劇の悪役が家庭ではいい父親だったりとか、「知られざる一面」を伝えるというのも昭和50年頃から妙に流行ったような気がします。
2016/12/06(火) 14:29:29 | URL | あぶもんもん
アブドーラ・ザ・ブッチャー
レストランビジネスで成功するなどリング外では好人物として報じられていましたね。
タイガー・ジェット・シンも移住先のカナダ・トロントのインド人コミュニティーの代表格としても知られていました。
2016/12/06(火) 16:46:31 | URL | TSUSHIMA
● あぶさん
「顔面真っ赤」というと、ネット用語だと煽り合いの描写ですが(笑)。
向こうの悪役は、プライベートとビジネスは別って人が多かったですね。


● TSUSHIMAさん
エリックさんが銀行まで持ってるって話でしたが。
潰れたらしいですけど(苦笑)。
2016/12/14(水) 23:42:30 | URL | ごいんきょ
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