私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



おトラさん (1956)

該当番組画像募集

2004年11月末にスタートした当ブログも、もう5年を経過しました。
当初の予定では5年もあれば余裕で千番組を突破するつもりだったのですが、
記憶語りが主とは言え、全てを記憶だけで語ればあまりに薄っぺらになってしまいますので、
そこは各種文献などの調査もしていたり、当初の想像を超えてハードな作業で、
今では毎日、何を語ればいいものか、その番組を決める事が最大の難関となっています。
始める当初には想像もしなかった難儀さと日々格闘しつつ、
それでもなんとか連続更新をしたいという向上心。
向上心なんだろうか、これ(苦笑)。
そんな幾多の逡巡を経て広大なネット公海を航海してゆく、
更改も後悔も無いままの公開記事、本日もお楽しみ下さい。
と言いつつ、今日も前置きが長いのですが(笑)。

最近見つけた文献の一つに、テレビ番組事始(志賀信夫著)というのがございます。
これは、放送評論家の草分けとして名高い志賀信夫氏が、
テレビ黎明期の番組について覚え書きを含めて描写しているもので、
資料が非常に少ない黎明期の番組を知る、大変有益な書でございます。
これを読んでまず思ったのは、当ブログと似たような趣旨だなあという事でした。
念の為に発行日を見たところ、勿論この書の方が先に執筆されているのですが、
初期のテレビを知る方々も、もうそれなりに人生の終盤に差し掛かろうかというお年で、
志賀氏のような方が資料的な事だけでなく、覚え書きもして下さるというのは、
消え物であったテレビの歴史を記していく上で、絶対に有益な手段なんですね。
関係者の方々はそのように、公的な場所で精力的に語り残して戴きたいのですが、
一介の視聴者だった方々は、是非ご自分のブログなりで書き残して戴きたい。
それも億劫でしたらその時は、このブログにどうぞ、なんなりとコメントして下さい。

ここは昭和のテレビに関してなら、どのような些細な事でも大歓迎の場所であるのみでなく、
記憶違いなどによる誤謬・錯誤も無問題という姿勢なのです。
もしかしたら違っているのではないかという懸念に囚われず、
多くの人にその記憶を公開してみて下さい。
特に昭和30年代の番組を実見し、語れる人がパソコンをやる年代には少なめで、
このブログでも古い番組、特に昭和30年代の大人を対象にした番組には、
ほとんど実見した方のコメントが付きません。
ワタクシはそれにめげず書き続ける意思を持ってはいますが(笑)、
実見した方のコメントを戴ければ、やった甲斐を感じる事、倍増であります。
ただ、どれどれのどこそこが面白かった程度でも良いんですよ。
まずは、ご自分の記憶を書き残してみて下さい。
まだ保存しようという姿勢の無かった当時の番組では、
それがテレビ史に非常に有益な情報となる可能性も高いのです。




さて、長い長い前置きを飛ばして下さった方々、ここからこんにちは(笑)。
今回は、そんな実見談があまり期待できないながら当時は大人気であった、
テレビ史から外せない番組の一つ、おトラさんです。
ジェスチャーの柳家金語楼が主演した喜劇で、元々はKRテレビ当時のTBS放送でした。
主婦之友から読売新聞に連載された西川辰美の漫画に、
仲間内で女形芸を得意としていた金語楼が着目し、自ら映像化権を手にしたと言います。

そしてすぐ東宝の映画プロデューサーに談判したものの、
男がお婆さんを演じる映画が当たるとは思われず、それは実現せず。
次に金語楼が当たったのがKRテレビで、当時スターが少なかったテレビ界に於いて、
金語楼に任せきりで番組が作れるという話は、スタート間も無いKRも渡りに船。
こうして昭和31年4月6日夜9時半から30分連続番組としてスタートしたのでした。
金曜の金語楼劇場。当初は『大黒様のお出まし』というタイトルで、
クイズ入り子供向けだったと志賀は記してますけど、
夜9時半で子供向けだったんでしょうか?
とにかく『おトラさん』としては6月8日スタートと別の資料にあります。

脚本は有崎勉。他ならぬ金語楼のペンネームで、自作自演でした。
姪の小桜京子のおマメさん、若水ヤエ子のおヤエさん、柳沢真一のいも長、
平凡太郎の平さん、山崎屋酒店の御用聞きに谷村昌彦、童謡歌手・川田孝子など、
多彩なキャラクターが刹那的に笑いを繋げるもので、
元がコマ漫画だけに、筋の通った話のドラマという感じではなかったようです。
テレビ視聴世帯が少ない時分とは言え、視聴率68%も記録したヒット作でしたが、
スポンサーのノーシンが伊勢湾台風で被害を受け、存続が不可能になったんですね。
今なら枠はそのままでスポンサーだけ替えるという事もできるんでしょうけど、
黎明期は、スポンサーの色というのが大きな部分を占めていたんでしょう。
そして昭和34年10月23日、『サヨウナラの巻』で最終回となるのです。TBSでは。

しかし、これだけの人気番組を終わらせてしまうのは惜しいという声が内外で有り、
加えて金語楼一座の仕事の問題も有り、NETへの移動と相成るのでした。
この番組をKRテレビで引き受けた大垣三郎が、NET開局時に引き抜かれており、
金語楼の番組『人情往診カバン』というのを作ってみたものの今ひとつで、
それなら終わるおトラさんをこっちでやろうという話になったらしいです。
TBSの人気番組を、ほぼ同じスタッフ・キャストでやれる事になったNETは、
けっこう捕らぬ狸の皮算用をしていた事でしょう。
こうして昭和34年10月30日、『引っ越しの巻』というタイトルで間断無くスタート(笑)。
なかなか洒落が効いてますけど、往事はさすがにのんびりした空気だなと思います。
NETでの提供は、丸井百貨店でした。
ちょっと丸井でお買い物してくるからなんて、おトラさんが言ってたんでしょうね(笑)。

わたしは女中のおトラさん
  ほうき持ったら猫を追い (ニャゴ)
  はたき持ったら蠅を捕る (ブゥ)
  おけを持ったら鼠取り (チュウ)
  ざるを持ったら
      ドジョウすくいも踊ります
  わたしは女中のおトラさん

おそらく金語楼が戯けながら歌っていたであろう、主題歌『女中のおトラさん』。
TBS時代も同じものだったとは思いますけど、
作詞作曲者がわかりません。JASRACデータベースにすら有りません。
なので、鬼の居ぬ間に2番も載せておきます(笑)。

♪ わたしは女中のおトラさん
  ほうちょ持ったらこーこ切り (サク)
  しゃもじ持ったらご飯つけ (サー)
  コップ持ったら水を飲み (キュ)
  おぼん持ったら
      やすき節でも歌います
  わたしは女中のおトラさん

金語楼にとってはもう一つ、NETに移った事により新境地が開けました。
倅の一人である山下武がNETにいたためで、この番組のディレクターを担当。
後に、あの『大正テレビ寄席』を世に出すディレクターです。
テレビ寄席についてもいつか絶対に当ブログでやりたいんですが、
何しろ長かった番組だし出演者も数多いしで、なかなか気合いが入らないのですが。

ともかく彼は、複雑な生い立ちも関係してか、金語楼とは一線を画して接しており、
テレビ寄席にも呼ぶ気は無かったと言いますし、この番組も、
あくまでもディレクターと出演者として接していたと言います。
しかし、ほぼ同じキャストで継続して期待されたこの番組でしたが、
同じ金曜ながら夜十時と繰り下げになっており、局が変わった上に
時間帯まで遅くなっては、視聴習慣の継続性は減殺されてしまい、
なんと一年もしないうちに本当の終了となったのでした。

志賀の本を読んで、一つ、長年の疑問が解けた気がしました。
このブログでも何度か述べた事が有りますが、なぜ昔のテレビ番組には
お手伝いさんがあんなに登場していたのだろうかという疑問です。
答は単純明快、テレビはその昔、富裕層の持ち物だったからなのです。
庶民の生活を描いたところで、なかなか真の共感を得られにくく、
また、貧しい家庭を描くと絵としてもの悲しいものとなってしまい易いですし、
特にホームドラマなどでは、舞台は裕福そうな家となる事が多かったのですね。

このおトラさんを楽しんでいたのも、そういう富裕な家に実際に務めていた、
おトラさんのような家政婦たちだったと志賀は解説しています。
その家の息子よりも長くその家にいるおトラさんは、
実質、その家の全てを仕切ってしまう、女主人の佇まい。
現実の家政婦さんでもそうした層がおり、そんな自由にテレビを見られる人たちが、
おトラさんの活躍と金語楼の芸を堪能していたんでしょう。
ただ、70%近い視聴率を上げた最大の要因は、
金語楼の芸の力以外の何ものでもないでしょう。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
隣のテレビ
ごいんきょさんの長い長い前置きに感動しました(笑)。

以前コメント欄で書いたのですが、隣の家に観せてもらいに行ったのが「おトラさん」でした。
これは多分両親が観たかった番組で私は内容は全く覚えていません。

両親が出かけるのを待ちきれず、一人で人形を持って隣の家に行き、時間が来るのを待っていました。隣の家の人は時間になるまではテレビをつけてくれないので、人形で遊んでその時を待っているのですが、どうしても眠たくなって観ることが出来なかった思い出があります。

ただ割烹着を着たおトラさんが台所でザルを持って踊っていた場面とそれを観て親達が笑っていたのをぼんやりと覚えています。
ごいんきょさんの記事の中の歌詞に ざるを持ったら
 ドジョウすくいも踊ります
とあったので、もしかしたらこの歌に合わせて踊っていたのかしらと思いました。
2009/12/04(金) 23:13:48 | URL | モデラート
丸井提供っすか‼︎
「おトラさん」って…丸井提供だったんすか‼︎丸井提供っつったら、ミニ番組しか思い当たらなかったけど。「おトラさん」って…ドラマでしたよね⁉︎1959年頃ですから、OIOIロゴもなく、初代の赤いカードすら登場していない頃ですね。
2014/05/12(月) 10:50:24 | URL | マスダっち1971
NETに移ってからですけどね。
丸井で主題歌シートも配っておりました。
2014/05/21(水) 07:07:42 | URL | ごいんきょ
モデラートさんに返信し忘れておりました。
かなり間が空いている上に見逃しとは、重ね重ね申し訳無い事です。

一家揃ってお隣に観に行ったのですか。
それほど話題になっていたんでしょうね。

時間になるまでテレビをつけない!
電気代の節約なんでしょうが、よく我慢できたなあと。
と言うか、そんな我慢できるのにわざわざテレビを買ったのも凄いというか。(笑)。

眠かったモデラートさんが見ていたという事でもあり、オープニングの可能性は高そうですね。
しかし、毎回金語楼さんが踊っていたのか、それともその部分はVTRの使い回しだったのか、
ちょっと気になるワタクシなのですが、そこまで覚えている人もいないでしょうね。
2014/05/25(日) 00:25:33 | URL | ごいんきょ
見てましたが
ノーシンの提供は覚えてないんです。
内容もおぼろげで、山崎屋(谷村昌彦)が勝手口から
こ~んちは~ や~まざきやですが~
今日(きょう)なにかご用ございませんでしょうか
はい~
と酒屋の濃紺の前掛けをした姿で言うのが面白かった。
もちろん御用をうかがっている相手はおトラさんです。
おトラさんは100%、着物に割烹着姿だったかな。

で私が歌で覚えているのは後発なんでしょうか、当時の丸井のCMソングです。
この後コマソンの女王の名を欲しいままにする「楠トシエ」が、おトラさんのアニメに合わせて歌っていたかと思います。
アニメの主役は女性であるのは確かですが、おトラさんだったかどうかはハッキリしません。

10ヶ月 経ちました ぜ~んぶ払っていい気持ち
この次は なに買おう
月賦の丸井 まっるっい~のクレジット
まる~~~い (パラッパパラ)まる~~~い

当時は「月賦の丸井」でしたなぁ。

ごいんきょさんのご案内では番組スタートは私7歳のころですが、そのころウチにテレビが来たんだったかなぁ。
浅草に転居したのが私8歳になる年だったので、たぶん転居に併せて購入したんだと思います。
14インチで木製の台に乗ってて、フリンジのついたゴウチョウなカバーがかかっていましたっけ。
2015/05/13(水) 11:24:54 | URL | AtamiCliff
アメリカでも、日本独自のドラマとして報道されたくらいでして、
おトラさんの割烹着姿は制服のようなものでした。

おそらくNETに移ってからご覧だったのでしょう。
月賦の丸井のコマソンも、時のコマソン女王・楠トシエさんだったのですね。

浅草!
なんと羨ましい生い立ち。
2015/05/14(木) 23:50:47 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ